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  • 満たされないことに価値がある

    満たされないことに価値がある。 それは、わたしの価値観である。 わたしは、満たされた空間に厭悪を感じる。 その空間とは、物理的な空間でもありうるし、 精神的な空間でもどちらでもありうる。 「満腹は幸せなことだ」 そう言いつつ「腹八分目」と矛盾したことを言う人々もいる。 「満足」と「幸せ」を取り違えてしまうことは、ままあることこように思える。 「満足」=「幸せ」と思い込んでしまうこともある。 満足した豚より、不満足な人間であるほうがよい。すなわち、満足した愚か者であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。 J.S ミル 『功利主義論』  い

  • シモーヌ・ヴェイユの生まれた日

    彼女の詩のなかから、わたしが一番好きな詩を。(意訳あり) 『扉』 さぁ 私たちに扉を開け そうすれば私たちは果樹園を見るだろう 私たちは、月が跡を残した果樹園の冷たい水を飲むだろう 私たちは花が見たい ここでは喉の渇きが私たちをおそう 期待を抱いて、苦しんで、私たちは扉の前にいる 必要ならば、私たちは自分自身の力でこの扉を打ち壊すだろう 私たちは扉を押すが柵はあまりにも頑丈である  私たちは苦しみ、待ち、そしてむなしく見つめなければならない 私たちは扉を見つめる 扉はゆるぎもせず閉まっている 私たちはそれにじっと目をすえる そして苦しみ打ちひしがれて泣き出す 扉は開

  • 食べない理由はやまいか信念か

    自分では認めたがらなかったが、彼女のからだの具合は思わしくなかった。 彼女はほとんどものを食べなくなったし、出された食事は最後まで食べようとしなくなったし、デザートに出るリンゴも、「フランスの子供たちは食べていないから」という理由で拒否した。ⅰ このような食思欠損の原因には、道徳的規範に属する配慮以外にも、……明らかに身体的な食欲不振という事情がひそんでいる。ⅱ つまり彼女は、その手の専門用語であらわすならば確実に拒食症だったのだろう。 けれど、拒食症というラベルを貼って彼女という人間を定義できてしまうほど、彼女は簡単ではないし、それは、彼女に対する冒涜だと思う。わたしは、彼女

  • We only get ourselves by living

    Life is already in our hands when we are born, but we only get ourselves by living. 命は生まれたときにすでに手にしているが 自分自身は 生きることによってしか手に入れることができない 人生に意味はない 人生に意味を持たせるために 人は必死になって生きる 実存は本質に先立つ L'existence précède l'es

  • わたしに食べさせないで。わたしに語らせて。話を聞いてほしかった。

    摂食障害ないし拒食症患者の数が増加しているというニュースを読んだ。お決まりのように「拒食症とは……」の解説つきで。医者の見解つきで。 低体重へのこだわり 認知の歪み…… 10年以上経っても言うことが変わらない。 なんてこった。それが医者の言うことか。楯突くつもりはないけれど。胸の内で憤りを禁じ得なかった。あんまりにも言いたい放題だった。 偉そうなことを言って、わたしこそいまからここに放言高論を記そうとしている。 「低体重へのこだわりが……」 ーー確かに。 「食事へのこだわりが……」 ーー病名にそう書いてあるよね。 「強迫観念。依存。拒絶……」 ーーごもっとも。見てればわかる。本

  • 接触忌避と摂食忌避

    わたしは 人から体に触られることが苦手。 街中で手を握ったり腕を組んで歩くひとびとを見る。到底自分にはできない行為だと思う。わたしは、彼らに嫌悪しているのではない。非難しようとしているのではない。だからわたし(たち)のことも批判しないでほしい。ただ、そういうふうに感じてしまう人間もこの世にはいると知ってほしい。 わたしは 人から身体にさわられたくない。 それが病院には二度と行きたくないと思う理由のひとつ。医者ならば? 看護師ならば? わたしが患者なら? 身体にぺたぺた触れていいのだろか。 わたしは 人と食事をすることが得意ではない。なぜなら、食べることに集中できない。食べる姿を凝視

  • 世界中どこにいても

    拒食症の只中、ニュージーランドで視野が広がった。自分らしく生きていく気力を見出した矢先。一緒に暮らしていた子が断食し始めた。誰かさんのようになりたかったらしい。ティーンエイジャーのわたしには充分過ぎる苦痛だった。 あの国は好きだ。大好きだ。美しい国だ。 アメリカの閑静な住宅街の道端でぶっ倒れた。 低血糖。大学のドクターに日本へ帰れといわれた。わたしは諦めが悪い。日本と二度往復した。結局ドロップした。二度と帰らなかった。 わたしはいずれあの国へ行くだろう。過去の自分に向き合うために。 ドイツの彼女はどうなっただろう? わたしは部屋から時々見ていた。彼女は近所をよく歩き回っていた。駅で

  • 鏡のうしろへまわってみても

    鏡 鏡のうしろへ廻ってみても 私はそこに居ないのですよ。お嬢さん! 萩原朔太郎 『宿命』1939. はっとさせられるのは、わたしが拒食症だから? 鏡に映るわたしと、鏡に映ったわたしをみているわたしの両方がいることに気がつかなければいけない。 鏡をみてもわたしを見ることはできない。 それは、わたしによって見られたわたしだから。 では、わたしはいったいどこにいるの?

  • 何者〜わたしについて〜

    わたし  何者。 女性を自認している。 拒食症  痩身。女性的な肉体を持たない。 丸みもくびれも持っていない。 むしろそれを自らの意志で拒む 原発性無月経  生まれてから生理を経験したことがない。 子供をつくれないからだ。 子供を産みたいと思ったことはない。 アロマンティックアセクシャル  異性に性的魅力を感じない。 恋愛感情を抱かない。 そこに同性も異性もあるのか。 生物学的にわたしは、女性なのだろうか。 恋愛感情を持たないわたしは、自分を愛せるだろうか。 だからといって自己の実存を否定しようとは思わない。 私は人から人として見られてたい。 それだけ。 私がわたしであるなら

  • 自分との会話 他者との対話

    自分を理解してもらうことに必死になるより 他人を理解することに必死になったほうがいい 他人を理解しようと努力するより 自分を理解しようと努力すべきである どっちに賛成? 他の考え方もある? 自分自身と会話するだけでなく、外の世界で対話しなければ生じない変化は山ほどある。実行するのは簡単ではないけれど。

  • なんもくわんひとだよ

    「パンとごはんどっちが好き?」 「どっちも好きではないです」 「じゃあ麺が好きなの?」 「それも好きじゃない……」 「え? じゃぁ、いつも何食べてるの?」 「違うよ、この人なんもくわんひとだよ」 突然横から口を挟まれた。 奇異することなく、自然にそう言った。 その人の言葉にちょっと救われた。 食べないことは個人の自由 食べないことは病気ではない 「病気」と簡単に言ってしまう前に まず、自分が自分自身であり続ける権利を 後者は先見的獲得

  • More than Love

    Love me When I whisper  I’m dirty Loving is duty To be loved  is dominated Give us Freedom When people scream They’re blind and  left behind   Right!  Right!  Rights

  • そこに何があるのか

    わたしの目に見えてわかるもの 正しいと思いがち こころ 目に見えない ましてや他人のこころなら尚更 からだとこころが反対のことを要求していると わたしの存在が肯定出来なくなってしまう わたしの認識は そこに何があるのかによって左右されているのではない わたしの認識の仕方 ものの見方によって左右されている わたしの世界は わたしが望んだようにしか見えない だから わたしの見る世界は わたしの思ったように変えられる

  • そのことに絶望している

    食べたいのに食べられないからつらいのではない 食べたくないのに 食べなければ生きていけない そのことに絶望している 食べさせようとするからだと 食べさせないようにするこころが 両方同時に存在している 理解されない苦しみではなくて ありのままの自分を 受け入れてもらえない悲しみ  それを孤独と言い換えよう

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