chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
明治大正埋蔵本読渉記 https://ensourdine.hatenablog.jp/

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

cogeleau
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/01/13

arrow_drop_down
  • 『重右衛門の最後』 田山花袋

    1908年(明41)如山堂刊。『村の人』という表題の短編集に所収。他に『悲劇?』と『村の話』との3篇から成るが、文学史上も知名度が高い「重右衛門」を初めて読もうと思った。予想通り難解だった。従ってこの1作だけで読了とした。 名前からして鷗外のような歴史物かと思っていたが、花袋が親交のあった長野県の山村(現飯縄町)の友人たちの郷里を訪ねたときの体験談がもとになっている。前置きが長く、なかなか「重右衛門」が登場しないのも、文豪の作品とはこういう語り口なのだという敷居の高さを感じさせた。 村の豪農の家に生れた重右衛門はまともに働こうとせずに、酒色に身を持ち崩し、家作や田畑を売り払い、村人に借金や物乞…

  • 『田鶴子』 篠原嶺葉

    1909年(明42)如山堂刊。篠原嶺葉(れいよう)は尾崎紅葉の門下生の一人。生没年は不明。この『田鶴子』は恩師紅葉の死の6年後に完成。その霊に捧げられた。ヒロインの田鶴子は20歳の女子大生。母を早くに亡くし、旧軍人の父親と継母とその娘と一緒に暮らしているが、遊蕩者で知られる若い伯爵家からの縁談を拒絶したために姦計にかかり、新聞に実名入りの不純交遊を報じられて勘当される。自然主義文学であれば、その生活苦から身を持ち崩し、転落していく話になるのだろうが、彼女の場合は生きることに真摯に肯定的に向かって、当時は珍しいヴァイオリン教師として下宿暮らしを始めていく。言文一致体の定着期であるためか、下例のよ…

  • 『十六文からす堂』 山手樹一郎

    1951年(昭26)文芸図書出版社刊。山手樹一郎長篇傑作集、第2巻 1953年(昭28)雑誌読切倶楽部に連載。 1955年(昭30)桃源社刊。山手樹一郎自撰集、第7巻 雑誌「読切倶楽部」では「からす堂シリーズ物」として当時は大人気を博し、10年以上にわたる連載となった。その最初の8篇の短編集が「十六文からす堂」というタイトルで何度も出版された。 長屋住まいの浪人が「観相・手相、十六文からす堂」という旗印を下げて深編笠をかぶって土手の柳のそばに立っている。それに恋慕の情を抱いたのが「たつみ」という飲み屋の女将お紺である。この二人の交情に加えて、占いの依頼者からの事件の展開と解決を描く。初対面の人…

  • 『人肌千両~黒門町伝七捕物帖』 野村胡堂・他4人の合作

    1954年(昭29)東京文芸社刊。1949年に発足した捕物作家クラブの中心にいた野村胡堂、土師清二、城昌幸、佐々木杜太郎、陣出達朗の5人によるリレー形式の合作になる。合作による「伝七」物は新聞や雑誌への連載でしばらく続いたが、1953年から足かけ10年にかけて松竹と東映で13作の映画化が行われた。主演はすべて高田浩吉。その半数以上の原作が合作であり、今でも読むことができる。 「人肌千両」は映画化第1作で、上映に合わせて単行本として出版された。語尾を「です、ます体」で統一し、野村~陣出~佐々木~城~土師の順で執筆された。江戸を騒がす怪盗団「疾風」(はやて)に狙われ、脅迫状で千両箱を用意するように…

  • 『白菊御殿』 遅塚麗水

    1908年(明41)精華堂刊。前後2巻。都新聞に連載。白菊御殿と呼ばれる華族の伯爵家の騒動を描いたものだが、登場人物のどれをとってもピリッとした所のない、生半可な者ばかりなのが他に例を見ないほど印象に残る。中心となる当主の伯爵も本来謹厳なところが、妾女にうつつを抜かし、新参の女中に触手を伸ばす。その嫡男も放蕩三昧に走る。その取り巻きも御家の体面維持のため、物事を直視せず、決着させず、ごまかしを重ねる。話をどう解決させるのかが気になりながら読み進む。お抱え馬丁の太郎が義侠から動き回るのが救いとなる。現実の御家騒動もこうした煮え切らない人間たちが右往左往してうやむやに納めていたのだと思うと、むしろ…

  • 『丹那殺人事件』 森下雨村

    1935年(昭10)柳香書院刊。雨村は「新青年」の編集者でありながら、英米の推理小説の翻訳にも積極的で、ヴァン・ダイン、クロフツ、フレッチャーなどを紹介した。さらに自ら創作にも手を染め、力作を残した。この「丹那」も長篇で、最初は週刊朝日に連載され、犯人当て懸賞も企画された。ちょうど東海道本線の丹那トンネルが難工事の後に開通した時期でもあり、その入口にあたる熱海の来宮の別荘地が事件の舞台という話題性もあったようだ。海外事業で成功して帰国した戸倉老人は親友の甥である高須青年を伴って熱海に来たが、ある夜所用で一人で外出した後に殺害されているのが見つかる。その老人の遺言書を預かる公証人とその友人で警視…

  • 『清水次郎長』 神田伯山

    1924年(大13)武侠社刊。神田伯山の名演とされる筆記本で、当時は3巻で出されていたが、国会図書館のデジタル・コレクションには版元を改善社に変えた2巻目までしか収容されていない。講談は書かれて書物となった途端に文芸となると思う。歴史的に実在した侠客の一代記で、講談に取り上げられる頻度も高く、類書も極めて多い。江戸後期には各地で賭博が横行し、その土地ごとの侠客たちはその上納金で勢力を保ち、拡張した。今で言えば「反社会的勢力」なのだが、時には奉行から十手を預り、捕物に協力するなどの役割もあった。清水次郎長の場合は、物語における事件や抗争のメリハリが効いていて、行動原理となる義理や人情に命を賭ける…

  • 『博士邸の怪事件』 浜尾四郎

    1931年(昭6)新潮社刊。長篇文庫第20編。浜尾四郎は現職の検事として勤務した後、辞職して弁護士事務所を開設した。作家としては5年余りのみで、39歳で脳溢血で急死した。作風は非常に簡潔かつ明晰で、理知的な筆致で説得性がある。自身の経歴を反映させたような元検事の私立探偵・藤枝真太郎を数作で活躍させている。ラジオでの生講演に出演した博士の自宅で、その放送時間中に妻が殺害されるという事件で、本格的な謎解きだが、司法解剖によって推定された死亡時刻とのズレも困惑材料となった。博士邸という演劇の舞台を思わせるような限られた空間で犯行と捜査が進められていく。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。挿…

  • 『美女蝙蝠~黒門町伝七捕物帖』 野村胡堂・他4人の合作

    1957年(昭58)雑誌「小説倶楽部」桃園書房発行。新年特大号に掲載。 「伝七捕物帳」は映画化やテレビドラマ化される頻度が高かったせいか、知名度は高い。しかし当初は捕物作家クラブの作家たちによる共同企画で、合作だった。初出は京都新聞での連載だったが、映画化で封切になるのに便乗して、その原作を「小説倶楽部」に再掲載したようだ。作者名は、野村胡堂、城昌幸、谷屋充、陣出達朗、土師清二の5名の連名で、数章ごとにリレー方式で書き継いだと思われる。その名残らしいのが、煉瓦のつなぎ目のように物語の筋の飛躍やちょっとしたズレとして感じられるのは仕方がない。それでも錚々たる捕物作家のお歴々の筆致には確たるものが…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、cogeleauさんをフォローしませんか?

ハンドル名
cogeleauさん
ブログタイトル
明治大正埋蔵本読渉記
フォロー
明治大正埋蔵本読渉記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用