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明治大正埋蔵本読渉記 https://ensourdine.hatenablog.jp/

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

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2022/01/13

  • 『娘変相図:銭形平次捕物控』 野村胡堂

    1950年(昭25)矢貴書店刊。新大衆小説全集第10巻所収。銭形平次物は長中短合わせて383篇にのぼるそうだが、まともに読んだのは今回が初めてになる。胡堂の文体は「でした、ました」という丁寧な語尾に特徴がある。傲慢な読者でも語り手がへりくだった姿勢に思えると素直な心情になる。 この作品は数少ない長編の一つで、江戸中の十八歳の娘たちの中から籤引きで当った者に千両を与えるという催事に起こった殺人事件を皮切りに、続出する殺傷事件や誘拐事件の謎に銭形平次と右腕の八五郎が追っていく。関係する人物の表情や感情の変化を丁寧に描写している点に味わいがあった。謎の組み立ても巧みで、犯人像がなかなか見えてこない上…

  • 『悪華族:探偵実話』 荻廼家主人

    1897年(明30)8月~1898年(明31)1月 雑誌「人情世界」連載、日本館本部発行 作者の荻廼家(おぎのや)主人についてはこの作品以外には生没年を含め、全く不明。この版元所属の記者作家の筆名の一つと考えられる。伯爵家の財産の横領を企む分家の弟と結託した家令が令嬢を拉致して殺害したことから物語が始まる。最初に捜査に関わった探偵が途中で惨殺され、仲間の探偵が後を継ぐが、許婚の父親を容疑者として逮捕し、自身も大怪我をする。結局三人目の探偵が犯人一味を追い込む。主要人物がリレー形式で交代して捜査をつなぐのも珍しい。登場人物が多く、筋も入り組んで、相関図をメモしないとわかりにくかったが、読み応えが…

  • 『江戸ざくら』 渡辺黙禅

    1919年(大8)大川屋書店刊。みやこ文庫第16篇~第17篇『後の江戸ざくら』全2巻。大政奉還から明治維新にかけての近代日本における大変革期を生きる人々の生き様を描いている。武家社会の崩壊は俸禄という経済基盤を失うことで多数の士族や雇人たちが路頭に迷うことでもあり、明治初頭には各地で不平士族の反乱が起きた。歴史上実在した人物、例えば思案橋事件の永岡(小説上は長岡と表記)久茂や竹村俊秀も主要人物として登場する。また当代随一の美人と称された陸奥亮子も芸者の小兼としてヒロインお蝶を危機から救う。話の展開が巧みで、作者黙禅は才腕を発揮しているが、ある人たちは旧体制の衰亡とともに消え去るしかなかったこと…

  • 『新編坊ちゃん』 尾崎士郎

    1938年(昭13)雑誌「日の出」連載。 1939年(昭14)新潮社刊。 1954年(昭29)山田書店刊。 1956年(昭31)20世記社刊。 これは名作『坊ちゃん』の後日談の形を取っている。主人公「坊ちゃん」は失職し、豆腐屋の2階に下宿していたが、生活に困窮している。そこに「山嵐」が突然現れ、中国の大連の会社での仕事に誘う。登場人物の性格設定が既になされているので、なじみの人物が別天地の環境でどう行動するのかだけを見守ることになる。外地で偶然にも「赤シャツ」や「野だいこ」にもちょっと再会するが、単なる同窓会風では面白味がないのを作者はわかっていて、「マドンナ」のような役割の女性や、ひと癖のあ…

  • 『花の肖像』 藤井重夫

    1960年2月~12月 雑誌『読切倶楽部』連載。 1961年(昭36)東京文芸社刊。 藤井重夫(1916-1979)は復員後、新聞記者を経て作家活動に入った。世代的には戦中派になる。一度芥川賞候補となる。この作品は戦後期の服装学院に通う若い女性三人組を中心とした青春群像を軽妙なタッチで描いている。特に大きな事件が起きるわけでもなく、貨幣価値の感覚がちょうど10分の1、30円のスタンドコーヒー、300円のクリスマスケーキなど、現代文化の基点となった昭和の風俗を垣間見ることで妙に懐かしさを感じた。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。 https://dl.ndl.g…

  • 『神秘の扉』 高木彬光

    1960年(昭35)浪速書房刊。神奈川県の海沿いの田舎町に建つ広荘な洋風建築の松楓閣に暮らす富豪の朝比奈家に次々に起きる失踪事件。古文書の整理に雇われた秘書、群司の眼を通して丁寧に語られるその不気味さに満ちた屋敷の空気は迫真的に感じられる。 目次の見出しを紹介したから即ネタバレだと非難するのは過敏過ぎる気がするが、この作品は明らかに黒岩涙香の2つの傑作「幽霊塔」と「白髪鬼」の骨格を借用したことがわかる。いずれも江戸川乱歩によってリライトもしくは改作されたもので、この高木作品は言い方が悪ければ「三番煎じ」になる。あるいはオマージュと言えるかも。残念なのは、語り手の視点が後半で転々とすることと、こ…

  • 『烈女富士子』 松林右圓

    1897年(明30)3月~8月 雑誌「人情世界」連載。松林右圓(しょうりん・うえん、1854-1919)は泥棒伯圓と称された二代目松林伯圓の弟子で、1901年に伯圓を襲名して三代目となった。この講演速記物の連載時はその直前の時期にあたる。右圓の速記本は極めて少ない。 この講談も新作物で、明治中期の東京での首無し殺人事件や誘拐監禁事件に端を発し、日清戦争の勃発による朝鮮への出征に至るまで様々な事象に振り回される人物たちの姿を描いている。やや風呂敷を広げ過ぎてまとまらない感じがするが、語り口は丁寧である。☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。 https://dl.ndl…

  • 『満月城秘聞』 山岡荘八

    (まんげつじょうひもん)1955年(昭30)偕成社刊。山岡荘八は「徳川家康」を始めとする歴史小説の大家だが、その他の作品、特に少年少女向けの歴史物も少なくない。これも青少年向けの偕成社刊行による単行本の一つで、10代の少年少女を主人公とする時代物の冒険譚になる。町道場で武術を修練する娘が、ふとしたことで信州の領主の姫君の身代りとなって、怪奇と陰謀渦巻く城に乗り込んで行く。年少者が大人たちと対等に勝負しえない非力さは読者の側としても承知せざるを得ないが、互いの協力や工夫や偶然でそれを克服していくところが要点となる。終戦直後の時代には映画も隆盛を極めたが、その娯楽時代劇を連想させるような単純明瞭な…

  • 『血染の片腕:探偵講談』 山崎琴書

    1901年(明34)博多成象堂刊。明治30年前後の第一次探偵小説ブームの頃の講談速記本。これも実録をベースに講談にしたものと思われる。山崎琴書(きんしょ, 1847-1925)は明治大正期の講談師だが、積極的に探偵講談に取り組み、速記本の出版も多く、ミステリー作家出現までの先駆けの一人だった。 日本橋署の探偵(刑事)がある夜九段坂の付近で人の叫び声を聞いたので、駆けつけると人の姿はなく、切断された片腕だけが見つかった。被害者は瀕死の重傷のはずだが、どこにも見当たらなかった。被害者探しの捜査過程は警察の精力的な行動として描かれている。ただし話芸の高座の特徴で、ちょっと脱線やまぜ返しなどで聴衆の注…

  • 『疑問の三』 橋本五郎

    1932年(昭7)新潮社刊。新作探偵小説全集第5巻。昭和初期の探偵小説作家10人の競作全集の一つ。作者の橋本五郎(1903-1948) もその一人だったが、長篇作品はこれ以外に見当たらない。(同姓同名の戦後生まれのジャーナリストとは別人。) 神戸の公園のベンチに連続して放置された死体が発見される。いずれも前夜に絞殺されたものと判定されたが、直前の目撃情報では犯人と連れ立ってゆっくり歩いていたという。それが同じやり方で4人も続くとなると警察も躍起となって捜査に取り組んで行く。事件の発見者となった2人の新聞配達の青年も事件に首を突っ込んで行く。丁寧な筆致で読み応えはあるのだが、読者に対する情報の開…

  • 『善悪二箇玉:西国奇談』 邑井貞吉

    (うらおもてふたつだま・すぺいんきだん) 1896年(明29)11月~1897年(明30)6月 雑誌「人情世界」連載、日本館本部発行。 邑井貞吉(むらい・ていきち, 1862-1902)は講談師の名跡を父邑井一から継承し3代目として活躍していた。円朝や涙香による西欧読物の翻案の流れを受け継ぎ、積極的に新作物に取り組んだ。これも珍しいスペインの物語を底本として、これまでの一般的な口演速記ではなく、自分で語ったものを自分で筆記するという「自講自記」の新たな試みで寄稿している。しかしこの3代目貞吉は40歳で早逝する。ある意味では貴重な作品だったと言える。 男女の双子として育った女の子のお力は、親兄弟…

  • 『この世の花』 北條誠

    1956年(昭31)東京文芸社刊、第1巻~第3巻。 1960年(昭35)東方社刊、上下2巻。 1963年(昭38)春陽堂文庫、正続2巻。 戦後の1955年(昭30)にラジオ・ドラマとして放送され、大評判となった作品の原作である。単行本として合わせて900頁を超える大長篇だが、第2部の終わり辺りで切り上げとした。物語として人生の転変や浮沈を描いているが、段落ごとの作者の語りに結論が見えず、達成感が得られなかった。一口で言えば、代議士令嬢とその家に居候していた学生との愛と憎しみの変転劇である。それに地方の素封家の息子の横恋慕や、貧しいながらも清楚な娘の思慕、友情に篤い熱血漢の友人などが加わり、人間…

  • 『美人冤罪死刑:探偵実話』 狂花園主人

    1896年(明29)11月~1897年(明30)11月 雑誌「人情世界」連載、日本館本部発行。 (びじんむじつのしけい)狂花園主人も版元日本館所属の記者作家と思われるが、生没年を含め詳細は一切不明。この作品も連載後に単行本化されたようだが、現在デジタル・コレクションで読めるのは明治期の雑誌連載の形のみという稀少なものである。 暴風雨の夜に豪商の家に忍び込んだ女賊に主人が殺害および放火される事件が起きる。この犯行には養女のお玉を死罪に陥れる策略が真犯人たちによって念入りに組まれており、警察側にもそれを見破ることができなかった。何とかその冤罪を晴らそうと動いたのが、お玉と愛人同志だった園井警部なの…

  • 『若い真珠』 小糸のぶ

    1959年(昭34)1月~1960年(昭35)2月 雑誌「読切倶楽部」連載。 1960年(昭35)東方社刊。 小糸のぶ (1905-1995) は教職のあと、戦後昭和期の約20年間に恋愛・ロマンス作家として旺盛な活動をした。筆致にくせがなく、読む者にさわやかな印象を与える。この作品もまだ戦後復興期の東京を舞台に、映画会社の広報部に勤務するヒロインと有名会社の社長の御曹司との恋愛の芽生えから誤解と行き違い、そして逃避と再会までの愛の行方を描いている。国会図書館デジタル・コレクションでは雑誌の「読切俱楽部」も閲覧できるので、挿絵を味わいながら各月ごとに読み飛ばしができた。さらりとして読みやすい文体…

  • 『生首於仙:探偵実話』 恋菊園主人(高橋翠葉)

    1896年(明29)6月~12月 雑誌「人情世界」連載、日本館本部発行。 (なまくびおせん)古書界では稀覯本とされる明治中期の娯楽文芸誌「人情世界」の創刊時からの連載小説の一つである。作者の恋菊園主人(れんぎくえん)はこの雑誌の主筆高橋翠葉(すいよう)の変名と推定される。しかし生没年は不詳。(残念ながら創刊号のみ欠落しているので、第2号から読み始めた)怪談まがいのタイトルだが、芸者揚がりで男爵の愛妾となった熊田お仙の腕に生首の刺青が施されていたことに由来する。お仙は情夫を男爵家の家扶として潜り込ませ、その手下たちを使って謀殺事件やら財産横領を画策する。探偵実話としているが、実話を脚色して書いて…

  • 『明暗三世相』 直木三十五

    1932~33年(昭7~8)改造社刊。上下2巻。直前まで朝日新聞に連載されたものを挿絵とともに出版。(デジタル・コレクション収容は上巻のみ) 1935年(昭10)春陽堂刊。日本小説文庫367~9、前中後全3篇。 直木賞に名前を残した直木三十五なのだが、これまでその作品に出会う機会はなかなかなかった。これも国会図書館デジタル・コレクションによる個人サービスによる賜物である。 明治維新直前の大混乱期における会津藩の久蔵、久馬、久伍の三兄弟のそれぞれの生き様を描いている。世相を描く中で気が引かれたのは、当時の人々の中で小唄、ざれ歌、詩吟、囃子唄などがごく自然に歌われていたことに気づかされた点である。…

  • 『春姿からす堂』 山手樹一郎

    1959年(昭34)新年号~1960年(昭35)12月号、雑誌『読切倶楽部』連載。 1961年(昭36)桃源社刊。 雑誌連載当時から絶大な人気を誇った『十六文からす堂』シリーズは1953年から1965年までの延べ13年間にわたって掲載された。その都度単行本にまとめられて出版され、今回で読むのは5冊目となった。「大和屋の娘」、「怪盗あらわる」、「女からす堂」、「花の嵐」の中篇4作が入っている。いずれも連載半年で解決する。シリーズ物の気楽さとは、登場人物も時代背景も毎度おなじみの環境で、ヘタな事にはならないという暗黙の設定の安心感なのだろう。各エピソードにもどこか「既視感」や「前例への類似性」を感…

  • 『鬼小町:探偵実話』 菱花生

    1901年(明34)三新堂刊。前後2巻。作者の菱花生(りょうかせい)については生没年も不明、明治後期から大正にかけて探偵実話や悲劇小説を書いている。これにも探偵実話の副題をつけていて犯罪実録を小説風に書き記したもの。地の文は明治期そのものの漢文調で区切りがなく、格調はあるが慣れるまではやや読みにくい。会話部分は口語体で講談調。 板橋街道の鶴屋の小町娘と評判のお留は、虫も殺さぬような顔をしながら祖父母に甘やかされて育ったため、陰で男たちを色仕掛けで操りながら勝手気ままな人生を送っている。殺人放火やら、造幣局印刷所からの盗難、金貸し婆の失踪などの事件が次々に起きるが、警察の捜査関係者の動きは断片的…

  • 『白髪鬼:情仇新伝』 黒岩涙香

    1893年(明26)町田浜雄刊。 1934年(昭9)春陽堂刊。日本小説文庫 No.349 1957年(昭32)光文社刊。黒岩涙香代表作集第2巻。 原作は、イタリア風の名前ながらも英国人小説家のマリー・コレリ(Marie Corelli, 1855-1924)による『復讐(ヴェンデッタ)』で、1886年に発表すると評判になり、早速涙香によって翻訳された。人名は和名の読み替えだが、イタリアの地名がそのまま訳されている。涙香の代表作の一つとされている。文脈を読んで行く上では丁寧な翻訳に所々補足説明を加えている。 ナポリ地方に代々伝わる羅馬内伯爵家の当主波瓢(ハピョ)は伝染病に感染して死亡するが、墓所…

  • 『黄昏の悪魔』 角田喜久雄

    1950年(昭25)矢貴書店刊。新大衆小説全集第6巻所収。 1957年(昭32)桃源社、推理小説名作文庫。 戦後混乱期の東京と伊豆を舞台にしたサスペンス小説。満州から戻った身寄りのないヒロイン江原ユリの身辺に次々に迫る脅迫じみた婚姻届の強要と殺人事件。周囲の者が自分のことを自分以上に知っているらしい謎の事実の存在、その謎を解明できないままに翻弄される不安と恐怖を、戦後の焼け跡の残る東京の風俗の中に描いている。後半の伊豆の旧華族別邸は領地内ではないのに、住民の支配者として強大な権力と影響力を及ぼしていた点は現実離れしているように思えた。☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス…

  • 『徳川家金蔵破の件』 菅谷与吉・編

    1893年(明26)日吉堂刊。この作品の作者名は明記されていない。奥付に編者として記されたのは版元の社主だった。明治20年代は社会体制の安定、言文一致体の浸透、印刷技術の向上などによって多様な出版文化が花開いた時期だった。特に探偵小説はまだ犯罪実録的な内容だったが、第一次ブームとして広く読まれた。 この事件も江戸末期の安政年間に騒がれた実話で、江戸城の御金蔵から千両箱2つを盗むという大胆不敵な犯行だった。明治維新から10年余り昔に遡るのだが、それだけ江戸時代は近かった。本文は漢文調で統一され、読みにくさはあるが、文体は整っており、しかもルビが付されていたので、何とか読み通すことができた。 金蔵…

  • 『ある文藝編集者の一生』 大村彦次郎

    2002年9月、筑摩書房刊。昭和初期から戦中を経て戦後に至るまでの文芸雑誌の編集者であった楢崎勤の生涯を語るつもりで付けたタイトルだと思われるが、内容は雑誌出版業の側面から見た昭和前半の文壇史そのままだった。昭和初期にはプロレタリア文学思潮の台頭が見られたが、それに対抗するように新感覚派の川端康成、横光利一らのモダニズム表現が活発となり、若手作家たちによる十三人倶楽部とか新興芸術派倶楽部の集まりが出来た。それらは統一した主義主張を持たず、個性と多様性にあふれ、離合集散を繰り返して変容して行った。それに関わった新潮社や改造社、文藝春秋社などの活動はさながら群像劇を見るようだった。 また昭和10年…

  • 『誰が罪』 篠原嶺葉

    1915年(大4)湯浅春江堂刊。タイトルとしては当時評判を呼んでいた菊池幽芳の『己が罪』にあやかって付けられたと思われる。他にも『新己が罪』(多数)とか『人の罪』(小栗風葉)などもあった。 描かれる三つの家族のそれぞれが高利貸(あいすと呼ばれた)からの借金で苦しんでいる。娘を芸者に出したのも窮余の金策のためである。高利貸の商売は金利の高さの上に諸手数料で差し引くという極悪非道なもので、昭和末期に自殺者まで出した「サラ金」問題に通じる明治期の暗黒面だった。物語の筋の骨子は、青年が貧困から脱すべく、芸妓の支援を受けながら勉学に励み、見事司法官に合格するまでということになるが、平民の生活ぶりを含め、…

  • 『宙に浮く首』 大下宇陀児

    1948年(昭23)自由出版刊。表題作のほか、中篇の『火星美人』と3つの短篇を収める。『宙に浮く首』は信州の田舎の村の銭湯での殺人事件から端を発する。表紙に「スリラー小説集」と銘打って出版された通り、犯行の異常さや残虐さが強い印象を与えるが、ほとんどが行動描写で、事件に付随する事象に振り回される感じがする。この作家の特徴として真犯人が悔悟して事件の真相を語る場面が多い。読後感はいまひとつ。☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。 https://dl.ndl.go.jp/pid/1339216

  • 『魔女を探せ』 九鬼紫郎

    (くきしろう)1959年(昭34)川津書店刊。九鬼紫郎は戦後1950年代を中心に推理小説・時代小説の分野で旺盛な創作活動をした。タイトルの「魔女」の言葉は意味が重過ぎる。「消えた女を探せ」くらいの軽さが適当だった。語り口に特徴がある。彼の言い方をマネれば、ムズかしいカンジを書かずにカタカナ表記で言いトオす気軽さ。その軽いノリが一つの魅力でもある。和製ハードボイルドにミステリーを加味させた手法で、主人公白井青児の活躍が何作かシリーズ化されている。この作品で残念なのは「起承転結」の物語構成の「転」の途中あたりから話がもつれ始め、あまりスッキリした決着にならなかった点で、しかもその不完全感をうまく説…

  • 『匕首芸妓』 渡辺黙禅

    (あいくちげいしゃ)1911年(明44)樋口隆文館刊。前後2巻。前半は華族令嬢一行4名の旅行客と見せかけた詐欺窃盗の一味の鮮やかな犯行と逃避行を塩原・那須の風光明媚な景勝描写とともに描いている。しかし後半は秩父困民党事件での実在した人物たち(田代栄助、加藤織平、落合虎一/寅市)の動静を詳述している。二通りの物語の要素を結合させたのは作者黙禅の手腕でもあるが、騒乱の後日談も含めると主人公役の視点が浮動的なのが少々気になった。いつものように登場人物の多さとスケールの広さでは読み応えがあった。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は長谷川小信。 https://dl.ndl.go.jp/…

  • 『角兵衛獅子』 大佛次郎

    1967年(昭42)講談社刊。大佛次郎少年少女のための作品集1所収。幕末の京都で謎の勤皇派の志士として活躍する「鞍馬天狗」シリーズの一冊。最初の出版は昭和2年、少年倶楽部掲載後、渾大防書房から刊行された。少年向けとして書かれたものだが、知名度が高く、ほぼ古典的とも言える人気の長さを保っている。 身寄りのない子供たちが寝食の世話を受ける代わりに角兵衛獅子を舞って稼ぎを強いられている境遇。その困窮を救ったのが鞍馬天狗。少年杉作の視点から描かれる「天狗のおじさん」の活躍は、筋立ては平凡ながら尊敬と憧れの感情移入にあふれている。☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。 htt…

  • 『女群行進』 浅原六朗

    1930年(昭5)新潮社刊。新興芸術派叢書10。表題作の他、短篇13篇所収。作者は大正から昭和初期にかけての新興芸術派の一人としてモダニスム(=都会における風俗習慣や生活様式の現代化)風景を斬新な感性で描いている。当時の唯物論思考の流行によるものか、即物的な感情に左右されて行動する男女は、自己方向性が見えず、かえって俗物的な心情が目立つ気がする。特に女たちの積極的な行動に対して男たちが衝動的に反応する場面が多いのに気づかされる。自伝的な要素として教会関係者の言動が各篇の所々に出てくる。また踏み込んだ愛情描写には多く伏字xxが用いられ、それが想像力を搔き立てる点ではむしろ大きな威力を感じる。全般…

  • 『史蹟甚九郎稲荷』 中村兵衛

    1914年(大3)樋口隆文館刊。前後終全3篇。表題は神社の縁起由来記のように思われるが、中身は江戸時代初期の史伝上の人物、佐久間甚九郎の半生記である。作者中村兵衛は神戸又新日報の文芸部記者である傍ら、「書き講談」の口調で読みやすい多くの小説を書いた。甚九郎は宇喜多家の家臣の子孫として主家の再興を画策したとあるが、史実とはやや異なるように思われる。美男で多才、かつ豪勇であるため、赤穂、鳥取、岡山と各地を流浪する先々で、娘たちに思慕される設定は、作者の他の作品でも見うけられる。稲荷神の化身である白狐が天変地異を起こして甚九郎を助ける場面が出てくるが、彼が特に信心深いためとは書いていない。しかし現代…

  • 『電話を掛ける女』 甲賀三郎

    1930年(昭5)新潮社刊。新潮長篇文庫第3編。表題作の中篇の他、『地獄禍』の中篇と『笠井博士』の2つの短篇を収録。関東大震災後の復興期にあたる昭和初期の東京の風俗描写が新鮮に見えてくる。特に冒頭の渋谷の道玄坂の泥濘の道を歩く謎の女の姿は印象深い。(下記に引用)公衆電話ボックスも現在ではほとんど姿を消したが、当時は「自働電話の箱」という呼称で、交換手を経由して通話していた。ミステリーの初期らしく、登場人物も限られ、まるで演劇の舞台で少数が演技している中に謎解きが行われる簡素さが特徴的だ。やはり表題作が秀逸だと思えた。☆☆☆ 昭和初期の「新潮長篇文庫」の広告には、後年名を残す作家とともに、当時だ…

  • 『第二の接吻』 菊池寛

    1925年(大14)改造社刊。当時、内務省の検閲により発禁図書とされた。このデジタルコレクションではかつて発禁本として保管されていたものを公開している。数カ所で風俗紊乱的表現と指摘された個所には朱筆の跡が残っている。下記にも一部引用したが、当時としてはかなり踏み込んだ赤裸々な表現があり、煽情的と見なされ、版の改訂を余儀なくされたらしい。当初は朝日新聞に連載されていたが「接吻」というタイトルからしても非常に大きな評判を呼び、映画化や舞台化もされた。 代議士邸に居候する大卒の会社員村川は、ふとした事から邸内に寄寓する倭文子(しづこ)に恋情を抱く。しかし代議士令嬢の高慢で勝気な京子も村川を愛し、三つ…

  • 『縛られた女たち』 三角寛

    1939年(昭14)大日本雄弁会講談社刊。三角寛はライフワークの「山窩(サンカ)」に関する研究と著作に関わる以前は、朝日新聞の記者としてサツ回りの担当で刑事たちとの交遊が深かった。その折々に得られた刑事の体験談をもとに、得意の筆をふるった6つの短篇をまとめたのが本書である。昭和初期の風俗描写も生き生きとしている。様々な経緯によって道を外さざるを得なかった女たちの生きざまと共に、思わず生唾を飲みそうな美女の妖艶さも描き出す手腕は、派手な「飛ばし記事」で注目された三角の天性の構想力の賜物と思われる。刑事たちの間の功名争いや失策に対する上司の温情なども面白かった。☆☆☆☆ (注:飛ばし記事とは、確証…

  • 『日本ミステリー小説史』 堀啓子

    2014年、中央公論新社刊。中公新書2285。筆者は明治期の新聞小説の傑作「金色夜叉」が英国小説の翻案であることを解明したことでも知られる。本書はコンパクトな新書版という手軽な分量の中に、日本における明治から戦後に至るまでのミステリー小説の発展史を概説したものである。序章から第2章までは江戸期から明治初期までで、文学史的ではあっても現代のミステリーに直接結びつく要素は少ない。第3章以降の黒岩涙香の登場、そして円朝や多くの講談師たちの口演速記本の流布、果ては毒婦や凶賊の犯罪実録の人気などが入り交じって探偵小説の隆盛に至ったのだと思う。どうしても名の知られた明治の文豪たちとの関係、つまり名作へのミ…

  • 『魔の池』 中村兵衛

    1907年(明40)大学館刊。大学館という版元は冒険活劇から奇怪なミステリー風の読物に至るまで多数出版していた。これは東京の芝公園弁天池を巡る奇譚。日露戦争が勃発し、軍人たちには出征が目前に迫っていた。若い陸軍大尉は伯爵令嬢と結婚式を挙げる予定だったが、その当日、洋行帰りの謎の淑女の讒言によって突然延期となる。新郎新婦のいずれにも出生の秘密があり、嫡出子ではなかった点から混乱が起きる。 作者の中村兵衛は、生没年が不明ながら、関西中心に広く文筆活動をしており、その筆致も確かな作品が多い。しかしこの作品は彼の駆け出しの頃のものと思われ、筋の飛躍や構成の詰めの甘さが目立った。☆ 国会図書館デジタル・…

  • 『鉄鎖殺人事件』 浜尾四郎

    (てっさ)1933年(昭8)新潮社刊。「新作探偵小説全集」第6巻。検事出身の私立探偵藤枝真太郎の活躍する長篇推理小説の一篇。銀座の裏通りにある事務所に入り浸る語り手の「私」を含め、ホームズとワトソンの枠組みの居心地の良さがある。タイトルは、被害者が刺殺された上に鉄の鎖で縛られていたことから来ている。目次でもわかるように、立て続けに関係者が殺害される事件が発生し、対応しきれないほどになるが、後から考えると「なぜそこまで殺し続ける必然性があったのか?」という大きな疑問と、登場人物の中から容疑者となる可能性のある人物が消えて行く心細さがあった。ミステリーでは、犯人は登場していることが鉄則だからだ。語…

  • 『死骸館』 小原夢外(柳巷)

    1908年(明41)大学館刊。小原夢外という作家名についてはほとんど情報が見つからなかったが、下掲のブログ記事により小原柳巷 (1887-1940) と同一人物であったことがわかった。明治末期の20代に夢外、大正時代の30代に柳巷、そして昭和初期には流泉小史と称して「幕末剣豪秘話」で評判を得た。こうした「転名」の作家は少なくなかったように思う。版権契約のせいだったのかも知れない。 「死骸館」とは米欧で身元不明の死体を陳列する施設を言う。(下記参照)英国小説の翻訳と思われるが、原著名は不詳。珍しくも豪州メルボルンが舞台となっているが、人名だけは日本名に置き換わっている。河岸に流れ着いた櫃に金目の…

  • 『相川マユミといふ女』 楢崎勤

    1930年(昭5)新潮社刊。新興芸術派叢書第22編。楢崎勤は作家である傍ら雑誌「新潮」の編集長でもあった。この本は表題作の他23篇を収める。都会に生きる孤独な女性の生きざまの寸景の集合体と言える。昭和初期のダンス・ホールで来客の相手をする踊り子として働く女性が多く描かれる。現在からみればどうでもない単語を伏字にしている。何の事件が起きるわけでもないし、結末がある話でもないが、原稿用紙数枚の短さで、読みやすさと共に不思議な味わいをもたらしてくれる。☆☆☆ 当時、プロレタリア文学の流行に対抗するべく「新興芸術派」と呼ばれる自由なモダニズム表現を目指すグループの動きが見られたが、川端康成、井伏鱒二、…

  • 『美人殺』 島田美翠(柳川)

    (びじんごろし)1896年(明29)駸々堂刊。探偵小説第10集。明治中期の探偵小説ブームで続々と刊行されたシリーズ本の一冊。この一年後には島田美翠は柳川と名前を変えて、言文一致体に切り替えている。この作品ではまだ叙述部分は文語体になっている。(下記参照) 若い娘の水死体が発見されるが、最初は身投げかと思われた。しかしその口の中に人の手の小指の一部が嚙み切られて入っていたのがわかって、警察の偵吏による事件の捜査が始まる。片手の小指が失われた人物を探す中で、偶然目にした人物や謎の手紙や待合茶屋の隣室の会話の立ち聞きなど、幸運に恵まれる捜査の進展に「そんな甘いもんじゃないはず」とつい思ってしまう。ミ…

  • 『古塔の影』 江見水蔭

    1922年(大11)樋口隆文館刊。軽い筆致で小説を量産した江見水蔭の晩年の作品ということだが、なぜかこの作品だけはインターネットに公開されておらず、個人送信に限定していた。 物語の舞台は入間市近郊の丘陵一帯、昔朝鮮から渡来した高麗人たちが集落を構え、高麗郡と称したが、その秘宝を石塔の下に隠したという言い伝えがある。先祖からの関わりがあるそこの土地を買い占めようとする伯爵夫人と人気女優との確執、また無形倶楽部と称する有閑貴族たちの秘密結社の活動など、伝奇小説風の展開が興味を誘う。明治大正期の武蔵野鉄道(現西武線)沿線の風物描写もむしろ新鮮に思える。 心理描写の二重性、つまり自分が感じていることと…

  • 『奇想天外』 篠原嶺葉

    1908年(明41)大学館刊。正続2巻。明治後期の新聞小説は、読者の興味を引こうとして題名を奇異なものにすることが流行した。 嵐の夜に渋谷の森の中で一人の代議士がピストルで殺害された。その死体をヒロインが発見するのだが、関係者たちほぼ全員それぞれ別の理由でその付近にいたことがわかる。しかし警察の捜査では犯人は探し出せなかった。物語の背景にあるのは日清戦争で、1894~95年の一年半の期間である。この戦争については今となっては人々に忘れられているが、当時は「帝国開闢以来の大戦争」と考えられ、国内党派間では主戦論と和平論とが熱く議論されていた。間諜(スパイ)の活動も活発で、ヒロインに横恋慕する朝鮮…

  • 『白日夢』 北町一郎

    1936年(昭11)春秋社刊。作者は昭和初期から戦後期にかけて探偵小説やユーモア小説の分野で活躍した。多弁な語り口が特徴。この作品は関東大震災後の昭和初期、六大学野球のWK戦を背景に立て続けに起きる殺人事件とそれに振り回される関係者の行動ぶりが描かれている。探偵らしい探偵は出てこない。プロットを構成する題材がてんこ盛りで、読者は頭の中で整理しきれないほどだった。風呂敷の広げすぎに思える。事件ごとの関係者の証言集は、芥川の「藪の中」の手法を思わせる。暗号解読は凝り過ぎて判りにくい。当時の風俗を垣間見れたのは面白かった。☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵・挿絵なし。 個人送信サービス…

  • 『瀧夜叉お仙』 島田柳川(美翠)

    1897年(明30)駸々堂刊。探偵文庫第一編。明治25年からの10年間は明治期の探偵小説の一大ブームが到来し、東京の春陽堂、大阪の駸々堂などが「文庫」「叢書」などのシリーズを組んで盛んに出版していた。奇しくも英国でホームズ物が発表された時期に重なる。日本の探偵小説は黒岩涙香が翻案していたフランスの新聞小説(フィユトン)の探偵奇談の要素が強く、まだ本格推理には至らなかった。 作者の島田柳川(りゅうせん)は生没年不明だが、尾崎紅葉の硯友社の一員として活動していた。駸々堂からの一連の探偵小説シリーズに筆名を柳川、美翠(びすい)、小葉(しょうよう)などと変えながら多くの作品を書いた。言文一致体が定着す…

  • 『人の罪』 小栗風葉

    1919年(大8)新潮社刊。前後2巻。これは本当に埋もれていた佳品だと思った。日本の近代文学に限って使用される「純文学」という概念のラベルを貼るか否かというのは問題にすべきではないと思う。情景描写も丁寧な筆致で、文芸作品としてよく出来ていて、読み応えがあった。 自分の親兄弟が、社会的な評価で下賤とされる職業、あるいは犯罪者であった事実をもって、本人たちまでもその烙印を背負って社会の表舞台に背を向けて生きなければならないという考え方は、狭量な「世間の目」という言葉とともに一般人の心の底に巣食っているものだ。シェークスピアの「オセロ」のイヤーゴのような陰湿で腹黒い人物も巧妙に描いている。また同じ姉…

  • 『旅枕からす堂』 山手樹一郎

    1957年~1958年(昭32~33)雑誌「読切倶楽部」に連載。 1958年(昭33)桃源社刊。 「からす堂シリーズ」の第4巻。「千人目の春」から続く「新妻道中」の長篇を収める。互いに親しくなって二年以上になるお紺とからす堂だが、観相で千人の人助けをする大願成就までは結婚できないでいた。そしていよいよ千人目という時に、からす堂は密命を受けて三島まで旅に出ることになり、ついでにお紺を同伴することにして慌ただしく祝言を挙げる。東海道中の先々での小事件を解決しながらの旅となる。手相・観相による予言じみた託宣がよく当たり過ぎるのも読者には次第に鼻につくようになる。目的地の御家騒動も二三日で解決するのも…

  • 『悪魔の恋』 三上於菟吉

    (おときち)1922年(大11)聚英閣刊。当時屈指の流行作家とされた三上の初期の頃の長篇小説である。若い男女の逢引きの場面から始まる。青年は富豪の息子、娘は親の金銭の不始末から身売り同然の結婚を迫られていた。息子は彼女を助けるため金策に走るが、行き詰まって家の金を盗み、殺人の嫌疑も受ける。物語はどん底の状態で放免になった青年の復活劇と共に、不幸な結婚を強いられた娘の自殺未遂から人生への光明を再び見出すまでを描いている。巻末の余白に鉛筆で落書きがあって「三上って野郎の文章は相変らず下手糞だ」と書いてあった。文体は悪文ではないと思うが、確かに構成上、偶然や僥倖の要素が多すぎる気がした。しかし最後ま…

  • 『深編笠からす堂』 山手樹一郎

    1955年~1957年(昭30~32)雑誌「読切倶楽部」に連載。 1957年(昭32)桃源社刊。山手樹一郎自撰集、第12巻 「からす堂シリーズ」の第3巻。「夜桜お千代」、「花曇り村正」、「教祖お照様」の3中篇を収める。 思うにこのシリーズの主人公はからす堂ではなく、居酒屋「たつみ」の女将お紺であることがわかる。からす堂はお紺の危機を救う正義の味方なのだ。一件の話のきっかけがお紺の心情のゆらぎとそれに触発された行動が絡んでくる。 からす堂に惚れたと明言する「夜桜お千代」との女の一念の鞘当てに加えて、巧妙なトリックによる犯行で右往左往させられる。 また「教祖お照様」では、江戸の根岸に現れた「お照様…

  • 『千軒長者』 水谷不倒

    1908年(明41)如山堂刊。作者の水谷不倒は本来国文学者として有名で、浄瑠璃研究や江戸文学についての著作集を出している。40代までは大阪朝日新聞社の記者として新聞連載小説を書いていた。「千軒長者」も人形浄瑠璃の外題になっている「山荘大夫」(山椒大夫)に通じるものがある。柔術師範の弟子だった主人公は師匠の遺言によりその娘と許婚の約束をするが、道場をたたんで岡山に引っ越しするときに、騙されて娘と母親は海賊船に拉致されてしまう。その捜索のために彼は刑事となり、大阪の一角に広壮な屋敷を構える謎の富豪の屋敷に下男として潜入する。実話に基づいた物語と思わせるのは、その捜索の経過の回りくどさや、長者屋敷の…

  • 『お紺からす堂』 山手樹一郎

    1953年~1955年(昭28~30)雑誌「読切倶楽部」に連載。 1955年(昭30)桃源社刊。山手樹一郎自撰集、第3巻 「からす堂シリーズ物」の第2巻。「鬼小町」、「死相の殿様」、「比丘尼変化」、「江戸の兇賊」の4中篇を収める。各篇とも雑誌には4回から長くて7回にわたって連載となった。半年以上も待たされた当時の読者はさぞ待ちくたびれたことだろう。毎回前号までのあらすじが載っていた。 からす堂がお紺の店に毎日昼食を食べに来るようになって、彼女は嬉しいのだが、まだ夫婦になれないもどかしさから、あれこれ思いを巡らせる女性心理が描かれる。あからさまに語ってははしたないとされる女の情熱、欲情、あるいは…

  • 『重右衛門の最後』 田山花袋

    1908年(明41)如山堂刊。『村の人』という表題の短編集に所収。他に『悲劇?』と『村の話』との3篇から成るが、文学史上も知名度が高い「重右衛門」を初めて読もうと思った。予想通り難解だった。従ってこの1作だけで読了とした。 名前からして鷗外のような歴史物かと思っていたが、花袋が親交のあった長野県の山村(現飯縄町)の友人たちの郷里を訪ねたときの体験談がもとになっている。前置きが長く、なかなか「重右衛門」が登場しないのも、文豪の作品とはこういう語り口なのだという敷居の高さを感じさせた。 村の豪農の家に生れた重右衛門はまともに働こうとせずに、酒色に身を持ち崩し、家作や田畑を売り払い、村人に借金や物乞…

  • 『田鶴子』 篠原嶺葉

    1909年(明42)如山堂刊。篠原嶺葉(れいよう)は尾崎紅葉の門下生の一人。生没年は不明。この『田鶴子』は恩師紅葉の死の6年後に完成。その霊に捧げられた。ヒロインの田鶴子は20歳の女子大生。母を早くに亡くし、旧軍人の父親と継母とその娘と一緒に暮らしているが、遊蕩者で知られる若い伯爵家からの縁談を拒絶したために姦計にかかり、新聞に実名入りの不純交遊を報じられて勘当される。自然主義文学であれば、その生活苦から身を持ち崩し、転落していく話になるのだろうが、彼女の場合は生きることに真摯に肯定的に向かって、当時は珍しいヴァイオリン教師として下宿暮らしを始めていく。言文一致体の定着期であるためか、下例のよ…

  • 『十六文からす堂』 山手樹一郎

    1951年(昭26)文芸図書出版社刊。山手樹一郎長篇傑作集、第2巻 1953年(昭28)雑誌読切倶楽部に連載。 1955年(昭30)桃源社刊。山手樹一郎自撰集、第7巻 雑誌「読切倶楽部」では「からす堂シリーズ物」として当時は大人気を博し、10年以上にわたる連載となった。その最初の8篇の短編集が「十六文からす堂」というタイトルで何度も出版された。 長屋住まいの浪人が「観相・手相、十六文からす堂」という旗印を下げて深編笠をかぶって土手の柳のそばに立っている。それに恋慕の情を抱いたのが「たつみ」という飲み屋の女将お紺である。この二人の交情に加えて、占いの依頼者からの事件の展開と解決を描く。初対面の人…

  • 『人肌千両~黒門町伝七捕物帖』 野村胡堂・他4人の合作

    1954年(昭29)東京文芸社刊。1949年に発足した捕物作家クラブの中心にいた野村胡堂、土師清二、城昌幸、佐々木杜太郎、陣出達朗の5人によるリレー形式の合作になる。合作による「伝七」物は新聞や雑誌への連載でしばらく続いたが、1953年から足かけ10年にかけて松竹と東映で13作の映画化が行われた。主演はすべて高田浩吉。その半数以上の原作が合作であり、今でも読むことができる。 「人肌千両」は映画化第1作で、上映に合わせて単行本として出版された。語尾を「です、ます体」で統一し、野村~陣出~佐々木~城~土師の順で執筆された。江戸を騒がす怪盗団「疾風」(はやて)に狙われ、脅迫状で千両箱を用意するように…

  • 『白菊御殿』 遅塚麗水

    1908年(明41)精華堂刊。前後2巻。都新聞に連載。白菊御殿と呼ばれる華族の伯爵家の騒動を描いたものだが、登場人物のどれをとってもピリッとした所のない、生半可な者ばかりなのが他に例を見ないほど印象に残る。中心となる当主の伯爵も本来謹厳なところが、妾女にうつつを抜かし、新参の女中に触手を伸ばす。その嫡男も放蕩三昧に走る。その取り巻きも御家の体面維持のため、物事を直視せず、決着させず、ごまかしを重ねる。話をどう解決させるのかが気になりながら読み進む。お抱え馬丁の太郎が義侠から動き回るのが救いとなる。現実の御家騒動もこうした煮え切らない人間たちが右往左往してうやむやに納めていたのだと思うと、むしろ…

  • 『丹那殺人事件』 森下雨村

    1935年(昭10)柳香書院刊。雨村は「新青年」の編集者でありながら、英米の推理小説の翻訳にも積極的で、ヴァン・ダイン、クロフツ、フレッチャーなどを紹介した。さらに自ら創作にも手を染め、力作を残した。この「丹那」も長篇で、最初は週刊朝日に連載され、犯人当て懸賞も企画された。ちょうど東海道本線の丹那トンネルが難工事の後に開通した時期でもあり、その入口にあたる熱海の来宮の別荘地が事件の舞台という話題性もあったようだ。海外事業で成功して帰国した戸倉老人は親友の甥である高須青年を伴って熱海に来たが、ある夜所用で一人で外出した後に殺害されているのが見つかる。その老人の遺言書を預かる公証人とその友人で警視…

  • 『清水次郎長』 神田伯山

    1924年(大13)武侠社刊。神田伯山の名演とされる筆記本で、当時は3巻で出されていたが、国会図書館のデジタル・コレクションには版元を改善社に変えた2巻目までしか収容されていない。講談は書かれて書物となった途端に文芸となると思う。歴史的に実在した侠客の一代記で、講談に取り上げられる頻度も高く、類書も極めて多い。江戸後期には各地で賭博が横行し、その土地ごとの侠客たちはその上納金で勢力を保ち、拡張した。今で言えば「反社会的勢力」なのだが、時には奉行から十手を預り、捕物に協力するなどの役割もあった。清水次郎長の場合は、物語における事件や抗争のメリハリが効いていて、行動原理となる義理や人情に命を賭ける…

  • 『博士邸の怪事件』 浜尾四郎

    1931年(昭6)新潮社刊。長篇文庫第20編。浜尾四郎は現職の検事として勤務した後、辞職して弁護士事務所を開設した。作家としては5年余りのみで、39歳で脳溢血で急死した。作風は非常に簡潔かつ明晰で、理知的な筆致で説得性がある。自身の経歴を反映させたような元検事の私立探偵・藤枝真太郎を数作で活躍させている。ラジオでの生講演に出演した博士の自宅で、その放送時間中に妻が殺害されるという事件で、本格的な謎解きだが、司法解剖によって推定された死亡時刻とのズレも困惑材料となった。博士邸という演劇の舞台を思わせるような限られた空間で犯行と捜査が進められていく。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。挿…

  • 『美女蝙蝠~黒門町伝七捕物帖』 野村胡堂・他4人の合作

    1957年(昭58)雑誌「小説倶楽部」桃園書房発行。新年特大号に掲載。 「伝七捕物帳」は映画化やテレビドラマ化される頻度が高かったせいか、知名度は高い。しかし当初は捕物作家クラブの作家たちによる共同企画で、合作だった。初出は京都新聞での連載だったが、映画化で封切になるのに便乗して、その原作を「小説倶楽部」に再掲載したようだ。作者名は、野村胡堂、城昌幸、谷屋充、陣出達朗、土師清二の5名の連名で、数章ごとにリレー方式で書き継いだと思われる。その名残らしいのが、煉瓦のつなぎ目のように物語の筋の飛躍やちょっとしたズレとして感じられるのは仕方がない。それでも錚々たる捕物作家のお歴々の筆致には確たるものが…

  • 『両国の秋:綺堂読物集』 岡本綺堂

    1939年(昭14)春陽堂刊。タイトルの「両国の秋」は綺堂の作品中で情話集に分類される江戸期の男女の情愛のもつれを描いた中篇になる。春陽堂のこの一巻には、他に半七物の最後の四篇と共にしばしば半七の外典とされる『白蝶怪』の中篇が併収されていた。 『両国の秋』は蛇使いの見世物小屋を張るお絹が心底から思いを寄せる屋敷勤めの下級武士林之介との心情の機微や町人たちの生活感を達意の文章で味わい深く描いている。特に林之助がお絹の病気を気にしながらも、貧しい茶屋奉公の娘に次第に心が惹かれていく板挟みの心理など、立派な文芸作品として読み応えがあった。☆☆☆☆ 「半七物」も三十年ぶりに再読したが、文句なく堪能でき…

  • 『三十九号室の女』 森下雨村

    1935年(昭10)朝日新聞社刊。週刊朝日文庫第1輯。昭和初期のレトロ感に満ちた東京の街並みの描写に心温かさを感じる。東京駅で呼び出しを受けた主人公が電話口に出ると先方で女性の叫び声が聞こえ、電話が切れる。発信元は有名ホテルだった。電話が貴重で交換手経由だった時代で、その通話をした部屋に行ってみると、女性の他殺体が見つかった。新米弁護士の主人公とその友人の新聞記者は、警視庁の担当刑事と時には競争し、時には協力しながら事件の解明に取り組んでいく。作者の語り口は明快で、謎の組み立て方に巧妙さが見られ、読み進む者を惹きつけるのだが、後から見るとやや凝り過ぎると思えるのは推理小説の宿命かも知れない。☆…

  • 『カートライト事件』 フレッチャー作、森下雨村訳

    1928年(昭3)改造社刊。世界大衆文学全集第8巻。森下雨村訳。いわゆる円本時代に各社から出された全集本の一つ。フレッチャー (J.S.Fletcher, 1863-1935) はイギリスの小説家。広範囲なジャンルでの作家活動で知られたが、推理小説がメインであったと思われる。原題は "Cartwright Gardens Murder"。 真夜中の住宅街での怪死事件で、目撃者となった青年ジェニソンと地味な刑事ウォーマスレーのそれぞれの立場で謎解きが語られる。クロフツの作風にも通じるが、心理描写よりも行動描写に重きを置く英国ミステリーの味わいはどうも淡泊過ぎる感じがする。☆☆ 国会図書館デジタル…

  • 『白石噺・孝女の仇討』 青龍斎貞峰

    1920年(大9)大川屋書店刊。八千代文庫79。江戸時代、仙台藩白石で実際にあった仇討ち話。孝子堂という史跡もある。私事ながら幼少期を過ごしたこの小都市で、見聞きしていた話の詳細をこの年齢になって初めて読んで感動した。農民の父親を武士に斬殺された姉妹二人の物語で、女ながらに由井正雪に武芸を学び、鍛錬して仇討ちを本懐したという。明治大正期に盛んに出版された講談速記本の一つで、言文一致体の完成過程を実感できて読みやすい。浄瑠璃を含め江戸期の絵草紙や実録本でも十指に余る類書がある。☆☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクションで閲覧。口絵は鈴木綾舟(朱雀)。 dl.ndl.go.jp

  • 『殺害事件』 丸亭素人・訳

    1990年(明23)今古堂刊。原作はエミール・ガボリオ(Emile Gaboriau, 1832-1873) の『オルシヴァルの犯罪』(Le Crime d’Orcival, 1866) というフランスの新聞連載小説である。原作では名探偵のルコックが活躍するが、多湖廉平(たこれんぺい)に置き換えられるように、登場人物はすべて日本人名になっている。パリ近郊の大柴(おおしば)村にある貴族の邸宅で陰惨な殺人事件が起きる。現地の判事や医師だけでは無理なのでパリから探偵に来てもらう。物語の中盤はガラリと趣向が変わる。財政が破綻した貴族が自殺に追い込まれた所を田舎貴族の好意によって救われ、財産目当ての結婚…

  • 『大岡政談お富与三郎』 邑井一

    1896年(明29)天野高之助刊。同じ版型で1902年(明35)に日本館からも出ている。江戸時代から歌舞伎や絵草紙で何度も取り上げられた話で、明治の講談筆記本でもこの邑井一(はじめ)の他、松林伯円、玉田玉秀斎、春錦亭柳楼らが競って口演した物が出版された。「大岡政談」の頭書だが、絵草紙のタイトルを踏襲しただけで、大岡越前は出てこない。配下の同心石田幸十郎が最後の審判を下す。この名前が入っただけで客の入りも、本の売上も増えたからだろうと思う。芸者上がりの人妻お富と大店の若旦那で美男の与三郎との道ならぬ恋路ゆえに人生の道を踏み外していくという話。邑井一の口説は流暢かつ軽妙で、落語家の語りに近く、引き…

  • 『鏡と剣』 江見水蔭

    1913年(大2)嵩山堂刊。前後2巻。江見水蔭の作品はこれまで活劇風の軽いノリのものを読んでいたが、これは少々異なった。母を亡くして後、気性の合わない継母との生活に苦しみ、家を出た10代の少年は銚子の漁村に住む乳母の許を頼るが、大人たちの貧しく醜い暮らしぶりを目の当たりにして、放浪の旅へと翻弄される。ふと田舎芝居の一座に救われ、娘役として雇われるようになる。タイトル中の「鏡」は母の遺品として所持し続けた物だが、女形役者としての自分の本性を暗示するようで、それが出生の秘密にも通じる感覚がある。しかし本来自分は軍人を父に持つ「剣」の血筋という自覚も打ち消せない。その二つの挟間で悩み続けるという一種…

  • 『有憂華』 菊池寛

    (うゆうげ)1932年(昭7)春陽堂刊、日本小説文庫1。タイトルの意味は「憂いのある花」のようなことで、物語の中心となる三人の女性のそれぞれの愛の不幸をかこつ姿を描く。菊池寛は頭脳明晰な人だったと言うが、感情の起伏や心理の変化を登場人物ごとに巧みに書き分けている。特に会話の中での無言「・・・」の表記は言葉を超えた感情の深長さを示すのには効果的。大正から昭和初期にかけて舞台化や映画化もされた話題作だった。☆☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵は寺本忠雄。 dl.ndl.go.jp

  • 『近代異妖篇』 岡本綺堂

    1926年(大15)春陽堂刊、綺堂読物集3、全14篇。「青蛙堂鬼談」の続編と明記している。もしその怪奇談の会がそのまま続いたと考えれば徹夜で語りあったということになるだろう。この作品集は中の一作品「影を踏まれた女」のタイトルをつけて出版されたこともある。現代でも神隠しで子供がいなくなったという話などの事件は少なくないが、そのような時に人は奇妙な言動をなぜ取ったのか、その当事者の心の奥は計り知れないことを改めて認識する。野村胡堂の一連の「奇談クラブ」の話集と同様に味読できた。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵は無し。 dl.ndl.go.jp

  • 『怪談美人の油絵』 松林伯知

    1901年(明34)滝川書店刊。松林伯知は泥棒伯円と称された名人松林伯円の弟子で、明治後半から昭和初頭まで講談師として活躍した。高座での口演の外に速記本での出版物も師匠の伯円に匹敵するほど多かった。伝統的な剣豪・合戦物から文明開化後の近代物まで幅広く取り上げた。この「美人の油絵」も明治時代に急速に人気を高めた京都在住の洋画家と、その伴侶の座を争う2人の美女、および粗忽者の弟子や粗暴な書生が入り乱れる犯罪と怪談との一大話が語られる。伯知に圧倒されるのはその話量の多さと豊かさであろう。小説家たちが筆をなめて一心に書き綴るよりも素速く、口から次々と朗々と繰り出される言葉には感服させられる。☆☆☆ 国…

    地域タグ:京都府

  • 『奇美人』 小栗風葉

    1901年(明34)青木嵩山堂刊。小栗風葉はかなりの多作家であった。晩年は代作者や翻案も多かったようだが、物語の構成に工夫をこらした、読んで親しみやすい作風だと思う。この作品は彼の20代半ばのもので、当時言文一致体はまだ完全には定着しておらず、地の文は文語体の美文調になっている。最初は読みづらいが、我慢して読み続けるうちに慣れてくる。会話部分はそのままの口語体なので落語や講談と同じように読める。主人公は夜の上野公園で見知らぬ美女から「悪い男に追いかけられているから助けて」と声をかけられて事件に引きずりこまれるが、彼はたまたま刑事であり、美女に興味を引かれつつ、その奇妙な行動の連続に戸惑いながら…

  • 『野原の怪邸:探奇小説』 鹿島桜巷

    1905年(明38)大学館刊。鹿島桜巷(おうこう)の最初期の著作と思われる。地の文は文語体で格調が高い。怪奇小説仕立ての探偵小説。松戸市郊外の河原塚に建つ怪しい邸宅をめぐる探奇譚である。この家に住む叔母夫婦を訪ねて来た書生の主人公は、その家が少し前から空家となり、夫婦の行方が知れず、化物屋敷のような奇妙な現象が起きていることを知る。彼は単身で謎を解こうとするが、探偵の知識も経験もなく、危機に瀕する。一番奇異に思うのは、悪だくみの一味の生活感の無さである。自分たちの基地を荒れすさんだ家に放置して、あたかも飲まず食わずで生存しているように見える。怪奇を作り過ぎた作者の盲点かもしれない。☆☆ 国会図…

  • 『青蛙堂鬼談』 岡本綺堂

    1926年(大15)春陽堂刊、綺堂読物集2、全12篇。 1939年(昭14)春陽堂刊、夕涼み江戸噺。 三月三日の雪降る夕べに青蛙堂(せいあどう)の主人から呼び出しを受けたので行ってみると十数人の客が集まった。食事の後に主人から今日の会合の主旨は怪奇な話を互いに語り合う会だという。「三浦老人」の場合と異なるのは老若男女が入れ替わって一話ずつ話すのだが、その語り手の身元は言及されない。怪異談なのだが伝聞語りで、謎が解明される訳でもなく、聞かされる側=読者にとってあまり恐怖心を起こさせないのがかえって読んで楽しむという満足感を与えるように思う。何気ない季節感のある描写には読んで感心させられる。☆☆☆…

  • 『銀行頭取謀殺事件』 松林小円女

    1901年(明34)至誠堂刊。松林派の門人の一人と思われる松林小円女(しょうりん・こえんじょ)は東京出身の女流講談師だが、詳細は不明。この演目は明治の東京で実際に起きた人を陥れるための殺人事件を題材としたと思われる。小円女にはあと1作の講演本「まぼろし小僧」が出ている。ソツのない、てきぱきとした口調で読みやすい。特に興味深いのは、主人公と許婚の約束を交わした娘が親の脅迫によってやむなく別の男と婚礼を挙げるという当日に、式の席上で男の旧悪を暴露し、式をぶち壊しにするという一段で、女性講談師ならではの意気込みが感じられる。 表題の演目は同じ版元から2カ月前に下記の通り別の題名で2分冊で出版されてい…

  • 『三浦老人昔話』 岡本綺堂

    1925年(大14)春陽堂刊、綺堂読物集1、全12篇。 1939年(昭14)春陽堂刊、夕涼み江戸噺。 岡本綺堂には本業の戯曲作品と一連の半七捕物帳の外に奇談の聞き書きのような作品集がある。若い頃に半七を何冊か読みふけったあとは、転勤のためその奇談集のほうまでは手が伸ばせなかった。この「三浦老人」は半七の番外編のようで、今回ふとしたきっかけで再度読み始め、たちまちその語り口に魅了されてしまった。12篇の小話があるが、個々の話をつなぐ合い間に枠物語のように筆者と三浦老人との交友の経緯が語られるのが味わいを深めている。個々の小話にも作為を感じさせない自然な語り口を読み進めることができた。☆☆☆☆☆ …

  • 『幽霊塔:奇中奇談』 黒岩涙香

    1901年(明34)扶桑堂刊。前後続篇の全3巻、萬朝報の新聞連載で124回。 当初はベンヂソン夫人(Mrs.Bendison) 原作、野田良吉訳、黒岩涙香校閲という表記であった。しかしまず英国作家でベンヂソンという人物は探し出せず、原作も不明だった。また野田良吉は助手的な下訳者だったかもしれない。結果的に表紙には黒岩涙香・訳述といういつもの表記が出ている。大正時代に入って米国映画「灰色の女」(A woman in grey) がその原作の映画化であることを涙香研究家の伊藤秀雄が突き止め、正しい作者名もアリス・マリエル・ウィリアムソン(Mrs. Alice Muriel Williamson, …

  • 『神出鬼没』 川上眉山

    1902年(明35)青木嵩山堂刊。前後2巻。川上眉山は尾崎紅葉の硯友社へ参加した作家であり、泉鏡花と共に観念小説を書き、自然主義を目指して挫折し39歳で自殺したという。しかしながらこの作品は純文学からは遠くかけ離れた探偵活劇の娯楽作であった。「弱きを助け、強きを挫く」正義の味方の正体不明の人物・船越三郎が活躍する。財産を横領した男が残された母娘を陥れようとするところに救助に現れ、並外れた身体能力と立ち回りで危機を脱出させる。変装、誘拐、活劇の入り混じった場面展開と会話主体の筆致は読みやすい。この私立探偵の超人的な活躍はめざましいが、幾度も危機にさらされるヒロインの色恋沙汰の要素がここには出てこ…

  • 『三怪人』 江見水蔭

    1914年(大3)樋口隆文館刊。前後続終の全4巻。外見的には大長編になるのだが、江見水蔭の場合には等しく「娯楽活劇映画」を見るような面白さと軽さが味わえる。北アルプスの山中の苗名の滝で偶然出会った三人の怪しい人物たちは各々、児雷也、大蛇丸、綱手という講談上の仮の名前を名乗る。綱手は美人女賊のお俊であり、傷心の旅にあった児雷也・緒方雪彦と互いに騙し合いながらも親密になって行く。当時一世を風靡していたフランス映画「怪盗ジゴマ」のやり口をそのまま日本に移植させた怪盗エックス(X)は警察の手配網を手玉に取る凶行を各地でくり広げる。彼の名前も正体も大蛇丸以外は最後まで不明のままとなる。他に引退した名探偵…

  • 『品川八人斬』 松林伯円

    1896年(明29)三誠堂刊。明治の名講談師の一人松林伯円(通称泥棒伯円)の口演筆記本。江戸寛政年間の実話に基づいた妖刀村正による斬殺事件。明治中期以降講談筆記本の流行により、「世話講談百番」などの企画で次々と出版されていた。版元の競争もあり、同一内容の講談を題名だけすり替えて別の版元から出すことも多かった。この講談も『袖ヶ浦血染錦』として三友舎から出ている。事件は品川の宿場女郎との恋の鞘当ての結果、痴情に狂った旗本が姦策をめぐらした仲間を次々と斬殺したので、直接袖ヶ浦とは関係がない。江戸時代の歓楽の大半が遊郭を舞台としたものが多い。「酒・女・歌」は全世界の人間に普遍的な快楽なのだろう。☆☆ …

  • 『奇々怪々』 三宅青軒

    1901年(明34)矢島誠進堂刊。三宅青軒の得意な一人称「われは」で語る格調高い「である」文体。先に読んだ『不思議』もそうだったが、奇をてらうタイトルをつける傾向がある。今回もふと主人公が見染めた美人女性が見かけによらず男勝りの身体能力を有している。その父親は「博愛団」という貧者病者のための施設を運営する代議士だが、高利貸の華族と対立し、告訴され収監されるうちに獄中で自殺する。その復讐をする手段が奇想天外なのが読者の興味をそそるが、一人称の主人公は目撃者の立場であり、真相は最後まで明かされない。奇怪な事象を連続させると説明の付けようがなくなるのか、早々の幕引きとなる。☆☆☆ 国会図書館デジタル…

  • 『恨の焔:悲劇小説』 遠藤柳雨

    (うらみのほのお)1915年(大5)樋口隆文館刊。前後2巻。作者の遠藤柳雨(りゅうう)については生没年を含めほとんど不詳。明治末期から大正時代にかけて明瞭な現代口語文体で悲劇小説を書いた。 地方の富豪の息子が東京の大学で学ぶために上京し、同郷の友人2人もその富豪の援助を受けながらそれぞれ専攻を修め、互いの友情を深めている。しかしそのドラ息子がふと見かけた美人芸者に懸想し、たちまち放蕩に身を持ち崩す。友人2人は彼を諫めるが、意志薄弱の彼は立ち直れず、ついには親から勘当される。友人たちもあおりを食らって揃って路頭に迷う。生活を持ち崩すほどまでに女に操られるがままの男の恋情は傍から見ても救いようがな…

  • 『猿飛佐助:真田郎党忍術名人』 雪化山人

    1919年(大8)立川文明堂刊。大阪の出版社、立川文明堂は明治末期から青少年向けの立川文庫(たつかわぶんこ)を発刊し、大きな人気を博した。作者名の一つ、雪化山人は講談師玉田玉秀斎とその妻子たちによるリライトの共同筆名である。猿飛佐助の名前は戦後の昭和世代に少年期を迎えていた人々には憧れの超絶忍者として記憶に刻まれている。もう一人の忍者・霧隠才蔵を加えた真田十勇士の活躍も立川文庫の功績である。戦後世代の忍術映画でもいきなり姿が消えてしまうシーンには夢中になった。どんな勝負でもほとんど負ける心配のない安心感というものは痛快に思うのだが、現実にはありえないことでも、少年時代の夢のように楽しいものだっ…

  • 『金貨:探偵奇談』 岡本綺堂

    1912年(大1)今古堂刊。かつて愛読した「半七捕物帳」の作者岡本綺堂は40代以降に精力的に作家活動に入った。「半七」を生み出す前には探偵物や怪奇物を書いていた。この作品は米国の映画のノベライズ物だが、序文を見る限りシナリオから翻訳して読み物にしたようだ。当然ながら当時の無声映画の場面の説明は目まぐるしく展開する。本来劇作家でもあった綺堂なので、暴走も飛躍もコントロールしながら彼らしい明瞭な文体で綴っている。映画では小さく穴の開いた金貨がキーワードらしいが、必ずしもそれがなくとも事件は自白や悔悟で解決している。☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は常三という画印があるが不詳。 dl…

  • 『秘密の女』 山田旭南

    1912年(明45)日吉堂刊。タイトルの意味は「隠し子」である。三河島の富豪がかつて保養先の千葉の鹿野山神野寺の土地の女に産ませたのだが、今死を目前に遺言の執行人として寺の僧侶を指定した。その子お糸だけが血統があり、外には後妻とそれに密通した番頭がいた。お糸の身辺にも財産狙いの悪だくみをする義父たちがおり、彼女はほとんど孤立無援の状況に翻弄される。ある一味と別の一味との悪事のしのぎ合いになる。普通なら絶望で自殺するところを別の意図を持った悪人に救われるという展開もあり、読み応えがあった。筋の組み立てにかなり工夫が見られる。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は田中竹園。 dl.n…

  • 『殺人倶楽部:探偵奇談』 コナン・ドイル 森蜈山・訳

    1912年(大1)文成社刊。文成社は偉人伝、処世法、実用書などの出版物が多かった。森蜈山(ござん)による訳書はこの一点しか知られていないが、明治末期におけるホームズ物の翻訳の貴重な例証になっている。文体もこなれていて読みやすい。最初はタイトルが珍しいのでドイルの別の作品かと思ったが、読んでみると第一短編集「冒険」の3作品だった。どうして原題とは異なった題をつけたのかは不明。「殺人俱楽部」⇒「オレンジの種5つ」、「地下の秘密」⇒「赤毛組合」(訳文中は「紅髪結社」)、「写真の行衛」⇒「ボヘミアの醜聞」。地名は倫敦(ロンドン)の米架街(ベイカ)、ホームズ名は穂室静六(ほむろ・せいろく)になっている。…

  • 『恋と情:探偵実話』 太年社燕楽

    1912年(明45)矢島誠進堂刊。明治期の探偵実話を題材とした講談筆記本。前後続の全3巻。演者の太年社燕楽(たねんしゃ・えんらく)は大阪の講談師の長老格で本名は伊藤伊之助、それ以上の情報はほとんど不明。筆記本はあまり出ていないが、弁舌巧みで多少説教じみているが堂々とした語りである。 物語の前半は、娘を唆して横浜で質屋を経営する青年から資金を搾取する親の無軌道と青年の転落話。後半は高崎の大店の身代を乗っ取ろうとする男女の策謀。何れの場合も色の道で失敗させられる善玉の男たちを描きながらも、いかに失地回復の上に勧善懲悪に至るかを語り尽くしている。☆☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は…

  • 『夜半の嵐』 泉清風

    1919年(大8)春江堂刊。泉清風(せいふう)は大正期に欧米から輸入された無声映画のノベライズ本の作者として活躍した。数年で20数点を出している。しかしノベライズ本の多くは、写し出された映像に従属して語りを加えるためか、普通の小説本や講談本に比べてどうしても浅薄な印象を免れない。 この小説は泉が書いたオリジナルの悲劇小説だというので読んでみたが、作品としての構成力が弱く、例えてみれば家屋を四隅の柱から建てたものの、その柱の間を壁が繋がらず、全体の筋立てが成り立たなかった。個々の人物の挿話(例えば碑文谷の踏切番の話など)は良く書けているのだが、全体の流れとしてはプロット集の下書きのような未完成品…

  • 『黒闇鬼』 丸亭素人・訳

    1891年(明24)今古堂刊。(こくあんき)原作者は明らかにされていないが、作風からするとボワゴベではないかと推察する。丸亭素人(まるてい・そじん)は黒岩涙香と肩を並べるほどの訳述者で、文体も似通っている。パリとその郊外の町を舞台に、田舎町に隠棲する高利貸の老人の殺害事件の捜査と美人で魅力的な寡婦との結婚を巡る男女の曲解やすれ違いを描いている。意外な言動に対する疑念や思い込みの応酬など、心の綾を描く割りには心理分析までの文学性はなく、あれこれと振り回される。当時のフランスの新聞連載小説(フイユトン)の特徴だと思う。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。表紙絵・挿絵作者は未詳。 挿絵は結…

  • 『獅子の牙』 水谷準

    1948年(昭23)八重垣書房刊。作者の水谷準の名前は戦後のフランス推理小説の文庫本で翻訳者として知られていた。作家でもあったが、長年「新青年」の編集長として活躍していたので、作家としての作品数は多くない。現在、国会図書館デジタル・コレクションに収容されているのは少年向けの冒険小説「獅子の牙」のみである。終戦直後の刊行で、横書きのタイトルも今風に左から右へと直っている。主人公兄弟の叔父がアフリカで殺害され、そこに遺したダイヤモンドの秘宝を探し出すべく暗号文が届けられる。そこで彼らは探検隊を仕立ててアフリカに赴く。同時代に爆発的に人気を博した絵物語作家山川惣治の作品を彷彿とさせる。挿絵の小松崎茂…

  • 『変装の怪人:怪奇小説』 鹿島桜巷

    1905年(明38)大学館刊。序文でドイツの小説からの翻案であると明言している。言文一致体への移行が盛んに行われていた時期ながら、旧来の文語体表記で書かれている。「~たり」「~けり」「~なり」など格調は高いけれども、鹿島桜巷(おうこう)の語り口は明快で、数年後の作品では現代口語の文体に切り替わっているが、どちらにしても読みやすい。夜行列車の車内で起きた強盗殺人事件。被害者は静岡県内の銀行員で大金を東京に運ぶ役目だった。県警のベテラン刑事が担当するが捜査は難航し、警部の若い息子が助力を申し出る。被害者の娘が誘拐される事件も起きて、息をつかせない筋立てに読者は引きずられる。後半は謎解きよりも追跡劇…

  • 『呪いの家』 松本泰

    1922年(大11)金剛社刊。松本泰秘密小説著作集第2編。ロンドンの古い趣のある一軒家に住むことになった日本人家族の物語。書き下ろしの出版と思われる。中間部にこの屋敷にまつわる恋愛がらみの別個の物語がまるで枠物語のように組み込まれている。筆者自身は6年ほど英国留学しており、作品でもロンドンの地理を細かく描いている。(一般の読者はそこまでロンドンの街路に詳しくない。)表題で「呪いの家」というほど家が怪奇でもなく、推理を働かせるほどの謎でもないが、恋愛感情の変化や推移の機微の描写に傾斜しがちで、謎解きが行き当たりばったりになるのは、刑事や探偵ではない人物を描いたためだろう。☆☆ 国会図書館デジタル…

  • 『英国孝子ジョージスミス之傳』 三遊亭円朝

    1885年(明18)速記法研究会刊、8分冊。 1991年(明24)上田屋刊。「黄金の罪」(こがねのつみ) 1927年(昭2)春陽堂刊、円朝全集巻の九。 明治中期になって、坪内逍遥の「当世書生気質」や円朝の速記本などによって言文一致体への動きとともに文学の充実が見えてくる。円朝に関しては、旧来の演目への妨害工作なども背景にあったらしいが、円朝自身、明治人としての進取の精神で、西洋物の翻案や着想を創作に近い形に展開させ得る話芸の力量があったのだと思う。これも序言にある通り英国小説の翻案であり、場所を東京に移し、人物名もスミスを清水に、ハミルトンを春見に、エドワードを江戸屋に読み替えている。一時「黄…

  • 『不思議』 三宅青軒

    1903年(明36)文泉堂刊。珍しい「われは」という一人称で京都在住の青年作家がミステリー仕立ての物語を語る。言文一致体の「だ」「である」を使っているが、語尾だけを漢文調から置き換えた感じで文体としてはどこか堅苦しさがある。東京にいる親友の法学士を久々に訪ねると傷害事件で収監されたという。さらに彼が獄中で自殺し、その遺骸は謎の人物が引き取って行方知らずとなった。しかたなく主人公は帰宅するが、その夜行列車の中で同室にいた旅客が殺害される。主人公にとって予想外の事件が畳みかけるように次々に起こり、不思議の念に囚われ続ける。作者三宅青軒の作品には当時のキリスト教会の礼拝や集会の記述が結構出てくるが、…

  • 『笠井松太郎:義勇仇討』 平林黒猿

    1911年(明44)松本金華堂刊。正続2巻。口演の平林黒猿(ひらばやし・こくえん)も明治後期に活躍した講談師の一人と思われるが、情報はほとんど出てこない。この作品も剣豪・仇討物の一つで、続篇に「仙台義勇の仇討」とあり、仙台城下にて仇討が遂げられたということで読んでみる気になった。主人公は武者修行で各地を転々とするが、土佐の高知で滞在していた屋敷の当主が闇討ちになり、その息子と一緒にその敵討ちの旅を続ける。各挿話が小気味良く語られ、面白く味読できた。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は長谷川小信。 dl.ndl.go.jp

  • 『横山花子』 渡辺黙禅

    1913年(大2)樋口隆文館刊。前後2巻。前に読んでいた「千里眼」の後日譚である。幼児だったヒロインの花子が花も恥じらう19歳の娘に成長している。母親譲りの美貌が災いして強欲な実業家一味に何度もかどわかされそうになる。結局彼女は、その身上の転変やら、女性の自立やら、自由恋愛やらのすべてに翻弄された一生だったと言える。千里眼のような透視能力者は、ちょうど明治末期に人々を驚かせる事象が続出して、大きな騒ぎとなったことが契機となったようだ。(下記※) 後日譚は従前の話に依存する事柄がどうしても多くなるし、懐旧談はパート2、パート3と続くと味わいは薄れてしまう。☆☆ ※本の万華鏡:第13回 千里眼事件…

  • 『地獄谷:探偵奇譚』 俊碩剣士(北島俊碩)

    1916年(大5)春江堂刊。大正期になると欧米から輸入された映画の中でも連続活劇物が人気を博した。各地で上映されると同時に新聞や雑誌、単行本でノベライズされた作品が大量に出回った。またそれに触発されるように日本を舞台とした探偵活劇、これは推理や謎解きではなく、犯人の追補劇となる探偵アクションの小説も多く書かれるようになった。この作品もその一つで、明治中期以降避暑地として開発が進んだ軽井沢から浅間山にかけて、独探(ドイツのスパイ)と探偵との一対一の追跡と死闘の物語であり、映画を見るような娯楽作であった。作中では1899年開業の軽井沢ホテルも出てくる。☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵…

  • 『ほととぎす』 規子

    1912年(明45)湯浅春江堂刊。もともと「不如帰」(ほととぎす)は徳富蘆花の小説で、1900年出版されると当時の大ベストセラーとなった。相思相愛の幸せな結婚をしながらも、頑固な姑や片恋慕の男の諌言、結核への羅患などで離婚を余儀なくされ、悲惨な中で死を迎えるというパターンの物語は、多くの模倣本に加え、モデル暴露本やら、後日談、果てはその馴れ初めまで遡る前日談と、多種多様の類書が続々と出版された。これもその一つだが、俳句雑誌の「ホトトギス」の指導者正岡子規を思わせる作者名規子(きし?)はここ以外には見当たらない。同時期に同じ版元から家庭小説を書いていた大平規(ただし)ではないかと思う。芸者の身上…

  • 『新奇談クラブ』 野村胡堂

    1932年(昭7)春陽堂刊。日本小説文庫216~218 所収(3分冊)。銭形平次の連作のみ有名な野村胡堂だが、その少し前に一連の「奇談クラブ」という中短編集を書いていた。あまり知られていないが、戦後「奇談クラブ」5篇と「新奇談クラブ」13篇をまとめて「奇談クラブ」として刊行されたことがある。奇談クラブとは「デカメロン」のように一堂に会したメンバーが交互に幻想怪異譚を語り合うオムニバス形式の短編集となっている。もともと「奇談クラブ」のほうが中篇集、「新奇談クラブ」のほうが短編集となっていたが、国会図書館デジタル・コレクションで読めたのは「新」の9篇と中篇の3作の計12点だった。いずれも荒唐無稽と…

  • 『千里眼』 渡辺黙禅

    1913年(大2)樋口隆文館刊。前後続の全3巻。明治改元直後2~3年の社会制度の定まらない混乱期における、新橋の美人花形芸者梅吉とその一子花子の波乱万丈の物語。タイトルの「千里眼」は花子に備わる透視能力のことを指すつもりだったが、この3巻ではまだ彼女が幼児なので、意味が合っていない。作者黙禅特有の壮大な構想による筋立てで、人身売買や海賊船の危難とそこからの救済とがジェットコースターのように連続する。明治政府の立役者である森有礼や江藤新平も登場し、廃刀令などの歴史的な事象に迫真感を与えている。「千里眼」の持ち主「横山花子」に関してはさらに2巻の後日譚が用意されている。☆☆☆☆ 国会図書館デジタル…

  • 『疑問の黒枠』 小酒井不木

    1927年(昭2)波屋書房刊。世界探偵文芸叢書第7篇。38歳で早逝した小酒井不木の代表作の一つ。彼自身医学者であり、その知識を反映させた探偵小説を精力的に書き始めて4年足らずで世を去った。「黒枠」とは新聞の死亡広告記事のことであり、悪戯で掲載された記事を逆手に取って、今で言う生前葬のような模擬葬式を実施する中で被害者が本当に死んでしまう。誰が、なぜ、どのように?を究明する本格探偵小説が始まる。情景描写は丁寧で、謎を追究するうちに次々に予想外の事件が起きるので探偵役も読者も振り回される。日本の本格推理小説の黎明期における秀作に数えてもいいと思う。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵…

  • 『実説古狸合戦:四国奇談』 神田伯龍

    1910年(明43)中川玉成堂刊。四国徳島に伝わる狸合戦の話を神田伯龍が講談の形で演じたものの筆記本である。江戸時代までは狐狸と人間との化かし合いなどが多く語られていたが、狸の二大勢力の合戦を擬人的に描写し、細かに記録した物は極めて珍しい。主人公の金長(きんちょう)狸は現在でも明神として祀られている。伯龍の語り口は聞いている分には丁寧だが、それを文章で読むにはやや回りくどい感じもする。☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は鈴木錦泉。(ARC浮世絵ポータルデータベース) dl.ndl.go.jp 実際には続篇が2冊「津田浦大決戦」と「日開野弔合戦」があって、伯龍の口演で刊行されており…

  • 『催眠術』 大沢天仙

    1903年(明36)文禄堂刊。最近読んだ菊池幽芳の『新聞売子』も催眠術が物語の重要な要素となっていたが、日本には明治20年頃に紹介されていた。それを事件の犯罪の手段として用いたのが本作品である。催眠術にかけられた人間がその意識や記憶、思考までも変えられてしまう点で、事件の解決まで収拾がつかなさそうにも思える。天仙の文体は現代口語文に整っていて読みやすいが、読者への必要な説明なしに状況を飛ばしてしまう乱暴な悪癖がある。それは叙述の技法の一つかも知れないが、筋の飛躍について行く側の苦労も感じた。☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は鏑木清方。 dl.ndl.go.jp *関連記事: 『…

  • 『無惨』 黒岩涙香

    1890年(明23)鈴木金輔刊。黒岩涙香の数少ない創作小説の中篇。堀端に投げ込まれた無惨な他殺死体を二人の刑事が捜査する。一方は中年のベテラン刑事。もう一方は初手柄を期待される理論家の新米刑事。二人の間の競争心むき出しのやり取りは涙香物では見慣れた場面である。当時涙香は一年前から翻案物の著作を新聞に連載し、それを毎月1~2点刊行するほどの人気作家となっていた。もしこの創作推理小説が成功していたならば、その後彼の推理作家としての道が開けたかも知れない。しかし彼は語学力を駆使した比類のない翻案者であり、読者に読みやすい文章を届ける筆記者であり続けたのだと思う。そしてこの独自のスタイルこそが涙香を明…

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