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明治大正埋蔵本読渉記 https://ensourdine.hatenablog.jp/

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

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2022/01/13

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  • 『封人窟』 渡辺 黙禅

    封人窟:渡辺黙禅1 1915年(大4)樋口隆文館刊、前後終編全3巻。 明治大正期の長篇小説の大家の一人、渡辺黙禅の一作。新聞小説を各紙に何本か掛け持ちで連載していたらしく、同じ年に単行本として何点もの長篇(2分冊、3分冊)を出していた。作風は多数の人物が入り乱れる波乱万丈型の活劇譚が多く、涙香によって翻案紹介された19世紀末の英仏の新聞小説(フイユトン)に通じるものがある。 当時の清国から朝鮮、日本を股に巧みな変装術で強盗を繰り返す一団によって破綻の憂き目を見た実業家一家は、火災にも遭遇し困窮に追い込まれる。父親は朝鮮の山奥での金鉱探しに起死回生を掛ける。姉娘は誘拐されて外国へ人身売買されそう…

  • 『隠密一代男:捕物秘帖』 佐々木味津三

    隠密一代男:佐々木味津三 1942年(昭17)蒼生社刊。 1934年(昭9)非凡閣、新選大衆小説全集 第15巻所収。『隠密一代男』 1934年(昭9)平凡社、佐々木味津三全集 第8巻所収。『神風時雨組』 『隠密一代男』の通しタイトルで公儀隠密薬師寺大馬とその配下弁次、六太が加賀百万石の城下と、京都所司代の奇妙な裁定の謎を解く捕物帖風の2篇。米国で言えばFBI に該当したかも。3人組のタスクフォースとして意気が合っているが、全体的に武家の体面維持という落し所を探る恰好付けが気障りだった。 隠密一代男:佐々木味津三2 『隠密青葉城』は「旗本退屈男」の一篇で伊達藩に入り込んだ隠密を支援する話。ヒーロ…

  • 『船冨家の惨劇』 蒼井雄

    船富家の惨劇:蒼井雄 1936年(昭11)春秋社刊。 1956年(昭31)河出書房、探偵小説名作全集第9(坂口安吾・蒼井雄集)所収 昭和初期、春秋社の懸賞小説で一等を獲得した作品だが、作者の蒼井雄はプロの作家とはならず、会社員としてのキャリアを全うし、この作品が代表作とされた。緻密な骨組みと丁寧な描写、舞台となる土地の選定などいずれも傑出していた。作中に手本としたと思われるフィルポッツの「赤毛のレッドメイン家」を何度も引き合いに出しているのはかえって邪魔にも思えた。時刻表のトリックの嚆矢とも言われ、鉄壁のアリバイをいかに崩せるのかには思わず引きずりこまれる。細部の描写は重ね塗りの油絵のタッチを…

  • 『悪魔を買った令嬢』 川口松太郎

    悪魔を買った令嬢:川口松太郎 1949年(昭24)日比谷出版社刊。 1949年(昭24)1月~12月 雑誌「スタイル」連載。 川口松太郎の現代小説の一作。彼は通俗小説の大家と呼ばれたが、小説というものが「何かを物語るもの」という本質を有するかぎり、快筆をふるって読ませる小説を量産した事績を埋没させるべきではないと思う。少なくともその時代の作品遺産として読み返されるべきだろう。 終戦直後の東京の風景・風俗を描き出している。清純派女優として人気の高い関暁子は、両親をはじめ三人の姉妹と幼い弟までの大所帯の生計を担いながら生真面目そのものの模範的な生き方をしている。奔放な性格の妹の出奔に触発されて、そ…

  • 『尼崎里也女:丸亀女傑』 石川一口

    続編『怪婦丸亀大仇討』 春帆楼白鷗 尼崎里也女:石川一口、鈴木錦泉 画 1910年(明43)積善堂刊。 1916年(大5)樋口隆文館刊。 石川一口(いっこう)は江戸時代から続く講釈師の石川派の五代目として明治後期に活躍した。生没年、本名など不詳。口演速記本は70数点に及ぶ。 尼崎里也(あまがさき・りや)は江戸中期に実在した人物。2歳の時に父親が殺害され、母親も病死したため、伯母の手で育てられた。成長してから、逃亡した親の仇を探して江戸に出て、剣術を修め、女手ながらも見事仇討を果たした。 この講談では、母親譲りの美貌でありながら、男まさりの怪力の持ち主という設定で、小娘の身で単身江戸に旅する。途…

  • 『恋の魔術』 江見水蔭

    恋の魔術:江見水蔭1 1919年(大8)樋口隆文館刊、前後終全3篇。 大正期のロマン伝奇小説。江見水蔭の軽妙な筆運びがグイグイ読ませてくれる。甲州韮崎から山奥に入ったラジウム鉱泉の星飛村が冒頭の舞台。山歩きで遭難しかけた青年が這う這うの体で一軒の家に助けを乞う。そこには鄙には稀の美人で清楚な人妻がいた。恋愛ロマンの始まりを予見させるが、双方とも身元が明らかになっていくと・・・このような小説の筋立ては天下一品だと思う。インドの秘宝をめぐる争奪戦やら、恋のさや当てやら、ドロドロの愛憎劇やらが盛り沢山なのだが、掛け合い漫才的な可笑しみも加味され、登場人物も多彩で面白かった。水蔭はフィールドワークにも…

  • 『木乃伊の口紅』 田村俊子

    木乃伊の口紅:田村俊子 1914年(大3)牧民社刊。 「木乃伊(ミイラ)の口紅」という題名が妙に気にかかっていたので読もうと思った。田村俊子は幸田露伴に弟子入りした純文学作家である。季節や事物への感受性が繊細かつ鋭敏で、文章に重みを感じた。共に文学活動を志す男女の生活苦にあえぐ姿。二人では食っていけないから別れたい。作者自身の生活体験の記述に終始しているのが「純文学」そのものなのだろうが、その心境描写は見事であっても、解決が見えない閉塞感に対しては読者の心も晴れないと思った。☆☆ 「炮烙の刑」これも実人生の経験から来ているという。夫以外の男と恋愛しているのがバレて、夫は激怒し、殺意さえほのめか…

  • 『日の丸太郎:豪傑小説』 三宅青軒

    日の丸太郎:三宅青軒2 1908年(明41)大学館刊。前後全2巻。 副題に「豪傑小説」と銘打った明治の壮士が活躍する話。東京二六新聞に連載。主人公の日の丸太郎という名前からしてお伽話めいているのだが、いきなり上野の花見の場に現れて国粋論を演説する。彼は気迫と胆力で他を圧倒するが、その狙いとするのが外国文化からの影響の排除と古来の日本人の大和魂の称揚だという。この大和魂の概念がなかなか漠然としていて今となってはわかりにくい。 当時の内閣批判やら日清協力による列強との対峙策など、小説に時事問題を織り込んだ作者の放談になっていた。また江戸から明治まで続いた吉原などの性風俗の詳述もある。言いたい放題の…

  • 『青春売場日記』 獅子文六

    青春売場日記:獅子文六 1937年(昭12)春陽堂、新作ユーモア全集 第10巻所収 獅子文六(1893~1969)の中篇「青春売場日記」を中心とするユーモア小説の中短編集。昭和初期の東京でデパートの女店員(ヂョテさん)の採用試験に応募した二人の女性がふとしたことで仲良しになる。二人とも難関を突破して合格するが、一人は男爵家の令嬢、もう一人は貧しい母子家庭の娘で、どちらも女店員の規律やしきたりに当惑しながらも職場に順応していく。物語は一人の青年をめぐって二人の間で揺れ動く恋愛感情の混戦模様が描かれているが、女性の社会進出が広がりを見せ始めた時代の作者の明朗で優しい眼差しが感じられた。☆☆ 青春売…

  • 『蘆江怪談集』 平山蘆江

    蘆江怪談集:平山蘆江 1934年(昭9)岡倉書房刊。 平山蘆江(ろこう)(1882~1953)についてはあまり語られることがない。記者作家として新聞社を転々として、演芸・花柳界の著作が多いが、歴史物、あるいは怪談物も知られている。 彼の文体は平静沈着な語り口で、まるで手を取って導かれるような快適さが感じられる。ここでは怪談話12篇に雑話1つを編んだ一冊で、埋没させておくのはもったいないと評価する筋から、近年ウェッジ文庫として再刊されていた。毎晩一話ずつ読むという楽しみにもなった。最近のホラー物とは大違いで、奇怪な事象を抑制した畏怖心をもって語るスタイルに大人の味わいがあった。「鈴鹿峠」は彼の「…

  • 『火葬国風景』 海野十三

    火葬国風景:海野十三 1935年(昭10)春秋社刊。 海野十三(1897~1949)は昭和初期から終戦直後にかけて活躍したが、当初は探偵小説家としての作品が多かった。この一冊は単行本としての四番目の作品集で、表題作「火葬国風景」の他に8篇収められている。「火葬国」は空想力を掻き立てられる中篇で、火葬場の窯の先に隠された世界の物語という着想は強烈な印象を与えてくれる。彼の言葉に「同時に奇想天外なる型の探偵小説も書いてみたいといふ熱情に燃えてゐる」とあるように、奇想天外の要素が彼の持ち味であり、魅力でもある。作品中に帆村荘六(ほむら・しょうろく)という私立探偵をしばしば登場させており、これはホーム…

  • 『踊子殺人事件』 武田武彦

    踊子殺人事件:武田武彦 1946年(昭21)岩谷書店、岩谷文庫10。 武田武彦という探偵小説作家の名前はあまり聞かなかったが、調べてみると終戦直後に創刊された雑誌「宝石」の編集にたずさわった人で、その合間に作品を書いていたようだ。デジタル版で岩谷文庫の一冊を手にしたが、あとから考えれば、その時期に刊行された粗悪な紙の薄っぺらな冊子の短篇だった。編集者らしいこなれた筆致で、戦後風景の中で起きる事件を書いているが、モーリス・ルヴェルの短篇のネタを(どれとは言わないが)応用したように思う。恐らく「宝石」に掲載したものを文庫化したようだ。その時期の推理小説業界の状況も垣間見えて面白かった。☆☆ 国会図…

  • 『悪魔の弟子』 浜尾四郎

    1929年(昭4)改造社、日本探偵小説全集 第16巻所収。 浜尾四郎の作家としての活動は6年間しかなかったが、その最初期の3作品を読んだ。 『悪魔の弟子』 片や裁判所の判事、片や殺人犯。獄中から少年期に兄のように慕っていた判事に宛てた長文の手紙のスタイルを取っている。少年時代には上級生や従兄などから事物への興味の方向性や価値観が影響を受けることは確かにある。ただし一般的には成長の過程で、どこかに社会的な規範や尺度とのすり合わせが行われる。この囚人の場合には異常なほど純粋過ぎたのか。「あんたのせいでこうなった」と難詰しても、その責任を転嫁する訳にはいかない。さらに「不眠症」や「催眠薬」への過度の…

  • 『慶安水滸伝』 村上元三

    慶安水滸伝(上巻):村上元三 1953年(昭28)1月~10月、時事新報、大阪新聞で連載。 1954年(昭29)大日本雄弁会講談社刊、上下2巻。 江戸初期の由井正雪の乱を記した史書「慶安太平記」は後世に講談や歌舞伎、絵草紙などに形を変えて取り上げられていたが、村上元三は「慶安水滸伝」とタイトルを変えて、史実の人物に交えて架空の人物を作り出し、多種多様な人間模様を描いた。特に主人公の元小倉藩士、櫟大介は人を殺めたために脱藩し、放浪の身となった二刀流の使い手であるが、取り立てて何をしたいかという目標も意欲もなく、周囲に流されて行動するのが気になった。由井正雪と丸橋忠弥その股肱の武士たち、幕府の大老…

  • 『その名は女』 大林清

    その名は女:大林清 1955年(昭30)1月~7月、中部日本新聞、西日本新聞に連載。 1955年(昭30)大日本雄弁会講談社刊。(ロマンブックス) タイトルの由来は、シェークスピアの「ハムレット」中のセリフ「弱き者よ、汝の名は女なり」だと思われる。事業の失敗から夫が自殺したヒロインの千春は、未亡人になった途端に男たちから言い寄られる。まだ若く美貌であるためだが、生活は破綻しており、実家に戻る以外には考えられなかった。美人女性は往々にして、外から声をかけられ、誘われるのに乗るか反るかを考え勝ちで、自らの意思で目標を探すことがないのかも知れない。 好意を持たれても、自分では好きになれない男に対して…

  • 『君は花の如く』 藤沢桓夫

    君は花の如く:藤沢桓夫 1955年(昭30)7月~1956年(昭31)東京タイムス紙連載。 1956年(昭31)大日本雄弁会講談社刊。 1962年(昭37)東方社刊。 大阪の化粧品会社で働くヒロインの朝代には暗い過去があった。東京で男に翻弄される生活を断ち切るために単身逃れて来たのだった。ふとした事件で知り合いになった篤夫という青年に心を惹かれながらも、その彼に思いを寄せる和歌子の存在を知り、素直に恋情を育くむのをためらってしまう。さらにまた過去の男からもストーカーのように彼女の住まいに押しかけられて、パニックに陥るなど、ガラス細工のように壊れやすい二人の愛情をいかにして成就させるかを、作者は…

  • 『窓』 山本禾太郎

    窓:山本禾太郎 1929年(昭4)改造社、日本探偵小説全集第17篇所収。(4篇) 1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集、第35巻所収。(2篇) 山本禾太郎(のぎたろう、1889~1951)は「新青年」に『窓』が入選したのを機に作家活動に入った。戦前期における「新青年」「探偵趣味」「ぷろふいる」などに書いたが、寡作家だった。その前までの裁判所書記などの経験から、捜査資料や検察調書の体裁で事件を叙述するという客観化した視点での書法に特徴がある。語り口も落ち着きがありよく整った構成になっている。他に『童貞』『小坂町事件』『長襦袢』『閉ざされた妖怪館』☆☆☆ 閉された妖怪館:山本禾太郎 国会図書…

  • 『呪いの塔』 横溝正史

    呪ひの塔:横溝正史 1932年(昭7)新潮社、新作探偵小説全集第10巻所収。 軽井沢に設定された空間迷路の観光施設「バベルの塔」が舞台。雑誌社の社員由比耕作は人気ミステリー作家の大江黒潮から別荘に招かれる。そこに出入りする人々にはそれぞれ入り組んだ愛憎模様がある。余興に探偵劇を企画するが、被害者役の作家黒潮が塔の天辺で本当に殺されてしまう。軽井沢の濃霧が捜査を阻むうちに第2の犯行が・・・ 書き下ろしの長篇だったらしく、最初の予告では「呪いの家」というタイトルになっていた。探偵役の白井三郎は中盤まで存在感が稀薄だが、終盤には奇妙な生活ぶりや目覚ましい行動力の発揮などが描かれ、興味が深まる。全体的…

  • 『時代の霧』 竹田敏彦

    時代の霧:竹田敏彦 1937年(昭12)3月~11月、読売新聞連載。 1939年(昭14)大都書房刊。 モダニズム文化の活況を呈していた昭和初期から日中戦争の暗い影が世相に及ぼし始める時代に、若い二組の男女の恋愛曲線が互いに交叉し、変容していく様を描いている。銀座でのミステリアスな結社や、復讐心から富豪の財産を乗っ取ろうとする姉弟の企み、保険外交員の裏舞台など、当時の風景に興味深さを感じた。物語の筋のもつれに加えて、それぞれの立場の人物の受けとめ方の微妙な差異なども細かく描かれ、ロマン小説としてはなかなか面白く読めた。☆☆☆ 時代の霧:竹田敏彦2 国会図書館デジタル・コレクション所載。 htt…

  • 『伊達騒動』 沙羅双樹

    伊達騒動:沙羅双樹 1954年(昭29)6月~1955年(昭30)1月、東京日々新聞連載。 1955年(昭30)同光社出版刊。 自分の育った郷里の歴史上の事件として有名であり、見過ごせないと思っていた。事件を取り扱った類書は数多あって、山本周五郎の「樅ノ木は…」や村上浪六の「原田甲斐」などにも手をつけたが、読み通すことはできなかった。複雑な利害関係もからんで、悪玉と呼べる人物はいないとされる物語を、今回ようやく読むことができた。史実に忠実ではないものの、その要素を作者なりに再構成し、さらに小説的な側面も付加したもので、人物相関図もかなりわかりやすくまとまっていた。ただしその創作部分と史実部分と…

  • 『頭の悪い男』 山下利三郎

    日本探偵小説全集:改造社版、第15篇(山下・川田集) 1930年(昭5)改造社、日本探偵小説全集 第15篇(山下利三郎・川田功集)14篇所収 1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集 第35巻 新進作家集 4篇所収 山下利三郎(1892~1952)は大正後期の雑誌「新青年」での探偵小説隆盛期に江戸川乱歩と前後してデビューした。当時は「円本」と呼ばれる「全集本」が大流行していたため、その全集の一巻として作品集が刊行されたが、単行本での出版はなかった。短篇14作のうち、表題作の他にも数篇、冴えない小学校教師吉塚亮吉の日常生活の中で起きる出来事の数々に文芸的な味わいを感じた。本格推理とか謎解きとか…

  • 『浮れてゐる「隼」』 久山秀子

    隼の勝利:久山秀子 1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集 第35巻 新進作家集 6篇所収。 1929年(昭4)改造社、日本探偵小説全集 第16篇(浜尾・久山集)15篇所収。 久山秀子は「隼のお秀」と呼ばれる女掏摸(スリ)であり、何人もの手下を抱えている。浅草などの盛り場とか映画館、あるいは市電や地下鉄の人混みが稼ぎ場であった。大正末期からその行状記を探偵雑誌に掲載していたが、作品集として出版されたのは昭和4年の日本探偵小説全集の1巻(浜尾四郎との合巻)だった。単行本でなかったのは、当時「円本」と称される「全集本」が大流行していたためと思われる。著者の写真が掲載されていて、それが唯一の肖像…

  • 『岩見重太郎』 柴田南玉

    岩見重太郎:柴田南玉 1902年(明35)求光閣刊。 1910年(明43)春陽堂、家庭お伽話第27篇所収。 岩見重太郎は怪力無双の剣客として江戸時代から講談や絵草紙で親しまれてきた人物である。明治の講談筆記本はこの本だけに限らず、多くの演者によって出されていた。柴田南玉(なんぎょく、1845~1915)は明治期の東京の講釈師の一人で、筆記本も少なくない。 戦後の幼少期にも雑誌等で読んだ記憶はぼんやりとあったのは、狒々(ひひ)退治の挿話だ。日本古来の伝承である「白羽の矢」を立てられた家で、年頃の娘を土地の神に生贄として差し出すところに出くわした岩見重太郎が、身代わりとなってその正体の狒々を退治す…

  • 『影人形~釘抜藤吉捕物覚書』 林不忘

    影人形~釘抜藤吉捕物覚書:林不忘 1955年(昭30)同光社刊、11篇所収。 1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集第25巻新進作家集に5篇所収(うち4篇は重複) 最初は大正14年3月から雑誌「探偵文芸」で連載が開始された。岡本綺堂の「半七」ばりの江戸情緒の味わいが出ている捕物帳で、不忘の出世作だが、今は「丹下左膳」の名声の陰に隠れてしまったのが惜しい。 藤吉と手下の勘弁勘次、葬式(とむらひ)彦兵衛の三人所帯で女ッ気は無い。手下の冗談や混ぜ返しにまったく乗らないニヒルさ(あるいは気取り)が見られ、短躯でガニ股の見栄えのしない藤吉への馴れ馴れしさを遠ざけているが、それが名探偵の心の内を容易に…

  • 『浮雲日記』 富田常雄

    浮雲日記:富田常雄 1952年(昭27)湊書房刊。 1955年(昭30)東方社刊。 明治中期の自由民権運動から日清戦争に向けて、まだ日本の近代化が形を成すに至らない時代の青春群像を描いている。武芸全般を修めた主人公の春信介は、身体一つで上京するが、すぐに騙されて牛肉屋に住み込みの身となる。その後、男爵家の書生、車夫、壮士節、新聞記者などを試みるが、好男子のため先々で娘たちに恋焦がれる立場となる。硬派漢で独自の人生観を持つ彼は情に流されることなく生きて行く。この作者の代表作「姿三四郎」と似通った求道者の姿が見えた。恋に生きる女性たちの心情の変容についても巧みに描き出していた。☆☆☆ 国会図書館デ…

  • 『不連続殺人事件』 坂口安吾

    不連続殺人事件:坂口安吾、高野三三男(画) 1947年(昭22)初秋号~1948年(昭23)7月号、雑誌「日本小説」連載 1956年(昭31)河出書房、探偵小説名作全集 第9巻所収 不連続殺人事件:坂口安吾1 終戦直後に創刊された雑誌「日本小説」に連載された坂口安吾の推理小説の名作。その欄外で読者への犯人当てクイズを募集し、江戸川乱歩へも謎解きを勧誘していた。N町の山間部にある広大な金満家の屋敷に作家、詩人、画家、女優、女流作家、劇作家、弁護士などが妻同伴で招待される。そこに巨勢博士という名探偵も加わっている。登場人物の多さも驚きで、屋敷の人間にさらに警察の捜査関係者も入れると30人近くになる…

  • 『風雲一代男 奇傑金忠輔』 野村胡堂

    風雲一代男 金忠輔:野村胡堂 1951年(昭26)湊書房刊。 1959年(昭34)川津書店刊。表題を「天竺浪人金忠輔」と変えている。 江戸中期、文化文政年間に実在したとされる仙台藩の浪人、金忠輔(こん・ちゅうすけ)の破天荒な事績を小説化したもの。金(こん)は仙台以北に散見する苗字で、現在では金野(こんの)という変形も多い。他に「今」「今野」もある。すでに江戸期から史伝のほか講談等でも語り継がれていた。野村胡堂も岩手県出身なので、この人物に興味を抱いた可能性がある。 藩士の武術を教える道場主によって殺された親の仇を討とうとしていた小娘を助けて、忠輔は仇討ちを成就させるが、身辺を追われる立場となり…

  • 『新聞小説史(大正篇)』 高木健夫

    新聞小説史(大正篇):高木健夫 1974年(昭49)1月~1976年(昭51)10月、雑誌「新聞研究」第270号~第303号連載(うち288号、289号は休載)全32回 日刊新聞に連載された小説の種類と数とがおびただしいものだったことを本書によって改めて知らされた。その時代の文芸活動に新聞という媒体が果たした役割は非常に大きい。 日本の文学研究にのみ特異なことと指摘されるのが「純文学」と「通俗文学」あるいは「大衆文学」という識別法である。純文学史とは文芸活動の上澄みのような、あるいは衆愚を寄せつけない高踏的な領域なのかもしれない。新聞小説すらそこには含まれないほどの厳しさがあるのだが、だからと…

  • 『君失うことなかれ』 富田常雄

    君失うことなかれ:富田常雄 1953年(昭28)東方社刊。 1958年(昭33)東京文芸社、富田常雄選集第8巻所収。 タイトルの「失ってほしくない」と願うのは、女性の心と身体の両方の処女性と言えるものを指していると思われる。ここでも終戦直後の東京郊外の世相が背景となり、開放的になった男女関係、特に姦通や堕胎の問題を産婦人科の女医歌子とその妹の教師秀子の生き様を中心に描いている。他に下宿屋を営む未亡人、そこに住む貧乏画学生と放蕩者の大学生、元連隊長という自尊心を捨てて細々と鰻屋の屋台を張る中老の男など、人物像の書き分けも巧みで読後感が充たされた。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人…

  • 『白猫別荘』 北村小松

    白猫別荘:北村小松 1948年(昭23)新太陽社九州支社刊。 怪奇小説集と銘打った短編集全9篇を収める。終戦直後の刊行で版組や用紙が粗悪のため、印字も不鮮明で読みにくい。怪奇趣味というよりも、人間心理の奥底にある不可解なものを完全には否定も肯定もしきれるものではないことを気づかせてくれ、どこか文芸的な香りも感じられた。文体としては表面がザラザラとした紙のような滑りにくさがあった。相性の問題かも知れない。戦後の横浜市街の様子には親しみが感じられた。☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。 https://dl.ndl.go.jp/pid/1134075 白猫別荘:北村小…

  • 『花ふたたび』 阿木翁助

    花ふたたび:阿木翁助 1956年(昭31)桃源社刊。 阿木翁助(1912~2002) は戦後昭和期のラジオ・テレビの脚本家として知られた。あとがきによると、この作品は連続ラジオ・ドラマとして全国21局で昭和30年6月から約1年半、433回にわたって放送された原作を小説の形にまとめたものだという。その後映画化もされたほどの評判だった。 亡き夫の後を継いで岡谷市で製糸工場を営んできた泰子は倒産の憂き目に遭い、コネを頼って東京で生活の再建を目指す。女子大生だった娘のまゆみも働かざるを得なくなる。ちょうど終戦直後の復興期で、したたかな女実業家や場末の印刷屋で働く昔馴染み、車を乗り回す会社の御曹司、別荘…

  • 『鳴門秘帖』(上巻)

    鳴門秘帖:吉川英治 1927年(昭2)大阪毎日新聞社刊。 1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集第9巻所収。 1939年(昭14)新潮社刊。 鳴門秘帖:吉川英治、岩田専太郎1 『新聞小説史』で、吉川英治の出世作『鳴門秘帖』も新聞小説として大正末期から昭和にかけて連載されたものだったことを知って読んでみようと思った。当時から絶大な人気があったらしく、各社から単行本、全集本などが出されたが、それぞれに別々の画家による挿絵が入っていた。全3巻の大長編だが、最初の上巻にあたる「上方の巻」と「江戸の巻」(全体の3分の1)で読了とした。達意の文体による典型的な伝奇小説である。十年前に公儀隠密として阿波…

  • 『詩と暗号』 木々高太郎

    詩と暗号:木々高太郎、東郷青児 1947年(昭22)新太陽社刊。 終戦直後の雑誌「モダン日本」に連載されたという連続探偵小説と銘打った8篇からなる。何らかの理由から医師としてではなく、理科系の教師として信州と思われる田舎町の高等女学校の教師として赴任した藤村章一郎の探偵譚。終戦直後の女子高生たちの姿は新時代の自由思想の風潮を反映してすがすがしく美しく描かれている。事件としては教師や生徒の間でのちょっとした出来事を掘り下げる程度だが、単なる謎解きではなく、その背景にある心情への細かな洞察や、田舎の四季の移り変わりの風景を詩情豊かに描いていて、文芸的な味わいがあった。☆☆ 詩と暗号:木々高太郎、三…

  • 『女学生』 藤沢桓夫

    女学生:藤沢桓夫(たけお) 1947年(昭22)新太陽社刊。 終戦直後の大阪の寄宿舎のあるミッションスクールが舞台となっている。夜の庭園を散歩していたヒロインの目の前に青年が塀を乗り越えて入って来た。アルセーヌ・ルパンまがいだと思って黙って見ていたが、やがて気づかれてやむを得ず話を交わし、温室へ身を隠すように示唆する。一見ミステリー風だが、異性との交流を通して目覚めていく女性心理の揺れ動きを細かに綴っている。戦時中の国粋的な思想統制の時代からたった1~2年でこうした自由で活気のある感情表現が可能になったことは、魔法の呪文でもあったのかと不思議に感じられる気がする。物語の推移は婦人雑誌で連載され…

  • 『運命の車』 山田風太郎

    運命の車:山田風太郎 1959年(昭34)桃源社刊。 明治時代の歴史的事件の中に、訪日中のロシア皇太子が警察官に刀で切りつけられるという大津事件があった。その犯人を真っ先に取り押さえたのは一行を乗せていた人力車の車夫の二人だった。事件後、彼らは日露両国から勲章を受け、ロシアからは莫大な終身年金をおくられることとなり、「帯勲車夫」と賞賛された。 この小説はこの歴史上実在した二人の人物のその後の人生を描いたものである。なまじっか働かなくても一生安楽に暮らして行ける境遇となった男たちの、一人は生来のどうしようもない性行を改めようとしても変えられず、放蕩三昧で破滅する人生を送り、他方は(これは創作の要…

  • 『二人毒婦』 江見水蔭

    二人毒婦:江見水蔭 1926年(大15)樋口隆文館刊。前後全2巻。 江見水蔭の小説には、交通が不便だった明治・大正期の観光地、保養地、遊興地の様子を生き生きと描いている個所が多い。この作品では年始を避寒の地で迎える大洗海岸やそこの旅館の様子など。昔は隣室との境が襖一つで仕切られていた。 「毒婦物」とは言うものの、悪事を糧に男どもを翻弄する犯罪小説ではない。伯爵家の夫人となったヒロイン伊勢子が過去のやましい少女時代の不品行を暴露されないようにと腐心する苦悩と、もう一人のヒロイン澄江の奔放な生きざまを対比させている。民間探偵の木曽が伊勢子を救おうと買って出たり、澄江から積極的に言い寄られたりと、コ…

  • 『体温計殺人事件』 甲賀三郎

    体温計殺人事件:甲賀三郎 1935年(昭10)黒白書房刊。 1950年(昭25)12月、雑誌「富士」に「体温計殺人事件」再掲載。 中篇の表題作「体温計殺人事件」の他、「黒木京子殺害事件」、「百万長者殺害事件」の2篇を読んだ。いずれも昭和初期のもの。「体温計」は辺鄙な漁村の外れに人間嫌いの富豪が建てた洋館の別荘で起きた密室殺人事件。表題の体温計と言えば、昔は水銀を用いたものがほとんどだったが、それを凶器とするには大変な手間が必要だった。当然誰が犯人かとは言えないが、途中に老松の伐採による祟りとか、公金横領とか、廃測候所の奇人とかの挿話を絡ませたのは伝奇的な味わいを深めていた。3篇とも哀愁を秘めた…

  • 『血闘』 三上於菟吉

    血闘:三上於菟吉 1931年(昭6)新潮社、長編三人全集 第18巻 所収。 時代物から現代小説まで広範囲なジャンルで健筆をふるった三上於菟吉が書いた初の探偵小説というふれ込み。大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災のときに事件が発生する。震災当日の生々しい惨状や街の様子を描いた小説は珍しかった。(今年がちょうど震災後百年でもあったので・・・) 事務所のビルの倒壊で圧死した実業家大川信兵衛の秘書山口詮一はその混乱を利用して、その莫大な財産の横領を企てる。その場に生き残ったタイピストのなみ子はそれを知って身を隠す。山口は金庫から取り出した遺言書を書き換えたのだ。被害者には勘当の身で米国…

  • 『稲妻左近捕物帖』 九鬼紫郎(九鬼澹)

    稲妻左近捕物帖:九鬼紫郎 1952年(昭27)同光社出版刊。 1950年(昭25)4月および12月、雑誌「富士」に2篇掲載。 探偵雑誌「ぷろふいる」の編集長を長年務めた九鬼紫郎が九鬼澹(たん)の名義で発表した南町奉行所同心の稲妻左近の活躍する捕物帖10篇を収める。捕物名人というふれ込みだが、あまり個性は目立たない。むしろ手下の岡っ引「脂下り(やにさがり)」の吉五郎の仇名の意味「得意がってキセルを上に向けてふかす姿」を思わせる恰好つけに妙味がある。トリックの組成にはやや苦しい事件もあるが、女っ気はない。篇中の「変貌伝」は南町奉行所内での事件で、当時の生活ぶりが感じられ、緊張感もあって充実していた…

  • 『彼女の太陽』 三上於菟吉

    彼女の太陽:三上於菟吉 1927年(昭2)7月~1928年(昭3)5月、雑誌「女性」連載 1931年(昭6)新潮社、長編三人全集 第18巻 所収 昭和初期にモダニズムの先進的な旗振り役を果たしたプラトン社発行の雑誌「女性」に連載された注目作。若くして病気で夫を亡くした女性が文才を認められ、女流作家として歩み出す。しかし自分の人生に男がいない孤独感から、女性遍歴で悪名のある劇作家と交際を始め、恋情を抱くに至る。しかしその男が別の女と交際する現場を目撃した場所で彼女は昏倒する。それで冷静に身を引くかと思いきや、むしろその女から男を奪い返そうという意欲に掻き立てられ・・・。男は女を、女は男を求めざる…

  • 『水晶の座』 牧逸馬

    水晶の座:牧逸馬 1927年(昭2)7月~12月 雑誌「女性」連載。 1933年(昭8)非凡閣、新選大衆小説全集 第3巻 牧逸馬集 所収。 牧逸馬(1900~1935)は林不忘や谷譲次の筆名でもそのジャンル別に分けて作品を書いた。タイトルの「水晶の座」とは、豪州の砂漠の僻地に住む部族に伝わる美と若さを保つ秘法を記した書付のことだという。世界的な探検家で理学博士でもある山岸氏は満場の講演会場で猛毒の吹き矢で殺害される。目の前で聴いていた探偵作家の串戸が現場に駆け寄り、その犯人探しに加わる。その場にいた夫人の洋子もその後の行動を共にするのも珍しい。情景描写に昭和初期に流行した「新感覚派」的な表現が…

  • 『恐ろしき生涯』 フェリックス・ヴァロットン、税所篤二・訳

    恐ろしき生涯:ヴァロットン Vallotton 1927年(昭2)7月、9月、12月 雑誌「女性」に掲載。 作者のフェリックス・ヴァロットン (Félix Vallotton, 1865~1925) は後期印象派の影響を受けながら、ナビ派に参加し、画家、木版画家、美術評論家として活躍した。原題は La Vie meurtrière(凄惨な人生)で半自伝的な内容だが、草稿のまま死後発見されたという。美術評論家の税所篤二が翻訳した。 探偵小説風に始まるが、本質的には文芸作品で、自殺した若い男が書き残した手記という形式で、その男の生い立ちから感受性に富んだ半生が語られる。特にフランス的なのは、美しい…

  • 『林中之罪』 菊亭笑庸・訳

    林中之罪:菊亭笑庸 1894年(明27)今古堂、探偵文庫 第九篇~第十篇 前後2巻。 菊亭笑庸(きくてい・しょうよう、生没年とも不明)は黒岩涙香に追随するように海外の探偵小説の訳述に活躍した。他の多くの翻案作家たちと同様に彼らの存在はそれぞれの版元の広告等に名前が出る程度で、詳細は不明となっている。笑庸の場合には主として今古堂の探偵文庫シリーズに何点かの作品が残された。しかもドイツ語の語学力を駆使できた人物は森鷗外など少数者だったので重宝がられた。 林中之罪:菊亭笑庸2 この「林中之罪」についても原作者が誰かは明らかにされていない。舞台はほとんどロンドンの市街や公園であり、読んでいくうえでも英…

  • 『神木の空洞』 甲賀三郎

    神木の空洞:甲賀三郎、山名文夫・画 1928年(昭3)1月~5月、雑誌「女性」連載(中断) 1930年(昭5)先進社、大衆文庫第6巻所収。 「神木の空洞」(しんぼくのうつろ)は現在は古書の稀覯本もしくは国会図書館デジタル・コレクションでしか読むことができない。昭和初期にモダニズムの先端を行く雑誌として「女性」が発行されていて、その末期に連載された。 舞台は湘南地方の海辺のとある村、秋葉神社が出てくるが、大磯や二宮周辺にはいくつか同名の神社が点在する。語りは三人称だが、視点は民宿に滞在する探偵小説作家の高笠にある。探偵作家に本物の探偵をさせるという微妙なアンバランスさが面白い。神社に隣接する素封…

  • 『伯爵邸の奇怪なる事件』 大久保北秀

    伯爵邸の奇怪なる事件:大久保北秀 1936年(昭11)大京堂書店刊。 実在した警視庁の名探偵、正力聰之助(そうのすけ)の活躍を記述する10篇。筆者の大久保北秀(ほくしゅう)も警察関係者だった模様。聰之助の口述を北秀が書きとめたものだが、ほとんど実録に基づいていて迫真性がある。苗字は異なるが警視庁捜査課の警部として小泉聰之助という名前は専門誌の「月刊警察」や「捜査研究」にも何度か登場している。探偵読物としても筋立てや構成に工夫が見られて、引き込まれるような手際良さがあった。圧巻は怪盗鼬の権次の捕物劇で、震災前の浅草十二階や非合法に実在したアヘン窟のことなど興味深かった。☆☆ 国会図書館デジタル・…

  • 『唐人お吉』 井上友一郎

    唐人お吉:井上友一郎 1949年(昭24)11月~1950年(昭25)雑誌「改造文藝」連載。 1952年(昭27)講談社刊。講談社評判小説全集 第10巻所収。 唐人お吉:井上友一郎2 幕末の動乱期に、下田に開設された米国総領事ハリスのもとに妾として通った唐人お吉の波乱の生涯を描く。唐人という呼び名は、鎖国が続いた江戸時代の庶民たちにとって、あらゆる異邦人に対するもので、彼らに身体を売る行為は奇異な目でさげすまれた。お吉自身にとっても好んでそうしたわけではなく、半ば国難を救うためという大義名分と、恋人に棄てられた自暴自棄からと作者は語る。お吉はまだ若い、気骨のある芸妓で評判だったが、憂さ晴らしに…

  • 『風雲将棋谷』 角田喜久雄

    風雲将棋谷:角田喜久雄 1939年(昭14)大日本雄弁会講談社刊。 1950年(昭25)矢貴書店、新大衆小説全集 第6巻 角田喜久雄編所収。 角田喜久雄の出世作の一つ。何度も映画化されていた。将棋谷とは信州飯田の山奥の隠れ里だが、蝦夷の民の一部が移り住んだという。村人はこぞって将棋を好んだが、その村に眠る秘宝をめぐって争う人間たちを描く。蠍道人、女侠客、お尋ね者の雨太郎、岡っ引の佛の仁吉とその娘お絹、そして将棋谷から江戸に出てきた朱美と龍王太郎。よく考えてみると荒唐無稽な設定であり、展開なのだが、個々の思惑と欲望の絡み合いが読む者を引きつける。伝奇小説の典型だと思った。☆☆ 風雲将棋谷:角田喜…

  • 『生首美人』 フォルチュネ・デュ・ボアゴベ、水谷準・訳述

    生首美人:ボアゴベ 1949年(昭24)1月、雑誌「苦楽」に掲載。 水谷準は戦前から戦中期にかけて長らく雑誌「新青年」の編集長として名を知られたが、探偵作家としても活躍するとともに仏文科の語学力を生かして、フランス物の推理小説の翻訳も多く手掛けた。このボアゴベの作品もその一つだが、新聞小説としては短かく、筋の展開は歯切れが良すぎるので、おそらく抄訳ではないかと思われる。 生首美人:ボアゴベ2 原題が Décapitée(デキャピテ)=「首を切られた女」という訳語になる。19世紀のパリでは四旬節の祭礼騒ぎで仮装舞踏会があちこちで開かれていた。そのどんちゃん騒ぎの中に届いた荷物の中身が美人の生首だ…

  • 『宮本洋子』 里見弴

    宮本洋子:里見弴 1947年(昭22)苦楽社刊。 日中戦争の激化してきた昭和14年から終戦に至るまでのいわゆる戦中期を過ごしたヒロイン宮本洋子の生活と心情の移り変わりを描く。一流の音楽家同士で結婚したが、夫は召集後間もなく戦死する。その直前までの宮本家は各分野の文化人が出入りするサロンの華やかさがあった。洋子もフランスに留学したピアニストであったが、戦況の悪化によりそうした芸術活動も抑圧された。この時代の知識人たちが抱いていた反戦思想を表面に出せば、投獄あるいは拷問で犬死になるしかなかっただろう。夫を失った悲しみに耐えながら、疎開先で農業にいそしむ姿は崇高にも見えた。終戦の放送が彼女の精神に与…

  • 『新編 捕物そばや』 村上元三

    捕物そばや:村上元三 1955年(昭25)6月~1956年(昭26)5月、雑誌「読切倶楽部」に連載。過去に別の雑誌に掲載されたものの再掲載を含め計12篇。 村上元三が生み出した捕物帳の主人公 加田三七のシリーズは作者自身も愛着があったようで、終戦直後に書き出してから20年のうちに80作を越えていたという。ほとんどが雑誌掲載が初出だったが、この「新編」として連載した作品は作者の存命中は単行本化されなかった。今年(2023)にようやく捕物出版という会社で全篇出版された。 元八丁堀同心だった加田三七がそば屋を始めたのは明治に入ってからで、警察の部外者ながら事件が起きると首を突っ込むのが性分。こうした…

  • 『血風呂』 平山蘆江

    血風呂:平山蘆江 1934年(昭9)非凡閣、新進大衆小説全集第20巻 平山蘆江集 所収。 平山蘆江(ろこう)(1882~1953)についてはあまり語られることがない。記者作家として新聞社を転々として、演芸・花柳界の著書が多いが、歴史物、あるいは怪談物も知られている。この作品はたまたま手にした今となっては珍しい長篇伝奇小説だった。 タイトルの「血風呂」とは女体の美を保持するため、若い男の生き血を風呂に入れて浴びるという京都の公卿家に伝わる秘法という。旗本の次男坊の主人公源三郎は美男剣士と評判で、江戸では公家のご落胤、医師の娘、水茶屋の娘の三人から思い慕われていた。彼女たちは浮世絵の美人画に彫られ…

  • 『荒鷲の爪痕』 江見水蔭・万代山影・共著

    荒鷲の爪痕:江見水蔭 1905年(明38)青木嵩山堂刊。 江見水蔭の文学結社江水社に加わっていた万代山影(本名・英五郎)との共作となっている。栃木市の女学校で学ぶ仲良しの二人の令嬢が遠足で大平山に登った時、大鷲に襲われて一方の澄子は顔に傷を負い、入院する。しかし彼女はその夜忍び込んだ賊に凌辱されたのを苦にして自殺する。残された敏子はその仇を取るために犯人探しの旅に出る。明治中期にはまだ鉄道網が整備中で、関東では川蒸気という水運が利用されていた。ここでも鬼怒川や利根川の貨客の往来が描かれている。自由民権運動も盛んで、彼女は女権活動家の講演活動に加わるが、その様子にも時代の特徴が見えて興味深い。最…

  • 『涙美人』 丸亭素人・訳述

    涙美人:丸亭素人 1892年(明25)今古堂刊。 丸亭素人(まるてい・そじん)(1864-1913)は記者作家の一人だが、黒岩涙香とほぼ同世代で、涙香が確立した西洋小説本の訳述業にまるで「二匹目の泥鰌」のように追随して活躍した。涙香が中断した連載物の「美人の獄」を引き継いで完訳したことでも知られる。明治中期の訳述本のスタイルは、人物名は日本人名、場所も当初は日本に置き換え、挿絵も江戸風俗の慣習を残したものが多かったが、次第に場所は西洋の現地、挿絵も洋間に洋装の男女がいる風景に変って行った。(人名だけは和名表記がしばらく残った) 涙美人:丸亭素人2 『涙美人』の原作は米国の当時ベストセラーだった…

  • 『人間豹』 江戸川乱歩

    人間豹:江戸川乱歩 1939年(昭14)新潮社刊、江戸川乱歩選集 第5巻。 乱歩特有の怪人対探偵・明智小五郎の探偵活劇の一つ。少し前に読んだ「蜘蛛男」と骨組みが似通っている。前半は主人公の青年が気に入っていた女性たちを立て続けに人間豹に奪われるストーリーだが、後半は明智探偵に主役の座を譲って、完全に脇役になる。レビューの女優として以前連作小説に登場していた「江川蘭子」の名前がここにも使われている。性格描写の点では前作のほうが印象深かった。どちらにしても怪人とその一味の手際の良さに対し、警察側の間抜けさが目立ち、それを明智小五郎がカバーする図式になる。この本の刊行が戦中期にかかって検閲が厳しくな…

  • 『捕物そばや』(天狗ばなしの巻)村上元三

    捕物そばや:村上元三 1953年(昭25)桃源社刊。全11篇所収。 1961年(昭36)12月、雑誌「小説倶楽部」錦秋大増刊号に「軽気球の殺人」のみ再掲載。 捕物そばや:村上元三2 村上元三は戦後の時代小説の代表的な作家の一人だった。剣豪もの、武将もの、侠客もの、伝奇ものなど広範囲な分野で多くの作品を残したが、捕物帳でも加田(かた)三七というそば屋の主人が活躍する短篇を約70作書いていたのはあまり知られていない。 背景は明治初期、東京の湯島天神下でそば屋翁庵を営む加田三七は元々は八丁堀同心だった。配下の岡っ引だった幸助もそば職人として働くが、何か事件が起きたとなると二人で首を突っ込むのが心の張…

  • 『因果華族:活劇講譚』 安岡夢郷

    因果華族:安岡夢郷 1917年(大6)大川屋書店刊、みやこ文庫第1編「因果華族」 1918年(大7)大川屋書店刊、みやこ文庫第2遍「馬丁丹次」 1918年(大7)大川屋書店刊、みやこ文庫第3編「雪見野お辰」 探偵活劇と悲劇小説をミックスしたような物語構成の大長編、全3巻。当初は横浜新報に連載。登場人物も頭の整理が追いつかないほど多数。安岡夢郷は新聞の記者作家だが、講談師のような構成と語り口で書くのが特徴で、その口数の多さが持ち味でもある。 雪見野お辰:安岡夢郷 財産乗っ取りの悪事を企む仲間たちの結束が固く、善良な華族の方々がなす術もなく、いとも簡単に悲惨のドン底に追いやられる。彼らを助けようと…

  • 『自殺博士』 大下宇陀児

    自殺博士:大下宇陀児 1959年(昭34)同光社出版刊。 1956年(昭31)5月、雑誌「小説倶楽部」増刊号再録「走る死美人」 風采の上がらない元警察署長の私立探偵・杉浦良平と助手の影山青年の活躍する短篇シリーズから6篇を収める。いずれも戦前から戦中にかけて発表されたもの。主役の探偵の下品な笑い声をはじめ、老体の醜悪さを事あるごとに描いているのに特色がある。「儂」(わし)という主語を使うのも珍しい。(下記に引用) 作品では「昆虫男爵」と「蛇寺殺人」が充実していた。また「走る死美人」は、深夜の晴海通りを白い馬が半裸体の女性を乗せたまま築地の方角へ疾駆するというエキセントリックな光景が印象的だが、…

  • 『江戸っ子八軒長屋』 林二九太

    江戸っ子八軒長屋:林二九太 1956年(昭31)桃源社刊。 1955年(昭30)7月~12月、雑誌「読切俱楽部」連載。 林二九太(はやし・にくた、1896~ ? ) は当初劇作家として活躍したが、戦中から戦後期にかけてはユーモア作家として多くの作品を残した。この作品は江戸、小石川の伝通院裏の八軒長屋に住むデコ松とボケ七という弥次喜多風のコンビに、長屋と近隣の住民たちを加えて、凸凹の騒動を軽妙に描いている。雑誌連載時の風間完の挿絵にも味わいがある。☆☆ 江戸っ子八軒長屋:林二九太2 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。 https://dl.ndl.go.jp/pid/1…

  • 『鉄仮面』 フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ

    鉄仮面:江戸川乱歩 1940年(昭15)博文館刊。久生十蘭・訳。 1938年(昭13)大日本雄弁会講談社刊。江戸川乱歩・訳。 フランス史における「鉄仮面」の史実はルイ14世時代の奇妙な謎としてデュマやボアゴベイをはじめ多くの作家たちの創作欲を搔き立てた。名前を秘せられたある人物が鉄の仮面を被せられたうえで外部世界との関係を一切絶って生き永らえさせるという残酷な刑罰である。単なる終身刑以上に苛酷だ。 ボアゴベイは、その人物を王政に対する反乱軍の指揮官だと設定してこの小説を書いた。鉄仮面を牢獄から救い出すために30年もの年月をかけて、許婚のテレーズと忠実な部下たちがあの手この手で試みる物語。自分た…

  • 『鞍馬天狗:新東京絵図』 大佛次郎

    鞍馬天狗・新東京絵図:大佛次郎 1947年(昭22)1月~1948年(昭23)5月 雑誌「苦楽」連載。 1948年(昭23)大日本雄弁会講談社刊。 倒幕が成就し、明治維新となった直後の鞍馬天狗の後日譚。江戸は東京と改称され、徳川家は駿府に移り、旗本・御家人の多くはそれに付き従って移住した。人口は急減し、広壮な武家屋敷は荒れ果てた空き家となった。士農工商のうちの武士階級のみが失職するという社会秩序の大変動が起きた。その混乱期の明治元年の東京に、役目を終えた鞍馬天狗こと海野雄吉が若い書生たちと模索の日々を送る。食い詰めた旧旗本の不平武士たちが商家を襲うのも頻発するが、官軍の治安維持も方針が定まらな…

  • 『紫被布のお連:探偵実話』 橋本埋木庵

    紫被布のお連:橋本埋木庵 1903年(明36)金槇堂刊。前後2巻。 タイトルの「被布」(ひふ)とは現代人には馴染みが薄いが、和装用語、高貴な婦人の和服の上にはおる上衣のようなもの。(画像参照) 被布 huaban.com これも探偵実話の一つで、明治中期、東京横浜を中心に強盗と殺人を平気で冒し続けた毒婦お連の浮沈の人生。何よりもなかなかの美人であり、探索方の追求を巧みにかわしながら逃亡し、その先々で美貌と巧言を武器に身を隠す術は見事というしかない。つまり男どもはどうしても美人に敵わないということに尽きる。連載115回の長丁場になる埋木庵の豊潤な筆力は平面的ながらも読ませる。☆☆ 国会図書館デジ…

  • 『姿なき怪盗』 甲賀三郎

    姿なき怪盗:甲賀三郎 1932年(昭7)新潮社、新作探偵小説全集 第3巻。 1956年(昭31)河出書房、探偵小説名作全集 第2巻。 「怪盗」というよりも「怪人」だろう。盗み程度では済まない、平気で次々に殺人を企てる鬼畜の犯人だ。敏腕記者がやっと取れた休暇を過ごすために訪れた西伊豆の辺鄙な漁村が寄りによって怪事件の舞台となる。その偶然の重なりを気にする前に、どんどん謎の渦の中に引き込まれていく。憂いを秘めた美貌の女性は自らの出自や来歴を頑なに語ろうとしない。犯人は単なる変装の名人というだけでなく、それを上回るトリックを仕掛ける。主人公獅子内の身体を張った活躍が読んで快適だった。☆☆☆ 姿なき怪…

  • 『キリストの石』 九鬼紫郎

    キリストの石:九鬼紫郎 1960年(昭35)日本週報社刊。 1963年(昭38)新流社刊。「女と検事」に改題。 タイトルは新約聖書の話から来ている。罪を冒した女を石打ちの刑にしようとする所で、キリストが、自身に罪を持たない人間だけがそれを行なえるのだと諭したという。 この小説においては、人を裁く検事の立場でありながら、自身に道義的な罪を抱えずにそれが行なえるのかと自問する場面が出てくる。しかし内容的には富豪の不審死をめぐるミステリーで、気軽に楽しめた。誰もが脛に傷を持っており、特にその傷が自分の担当する訴訟案件に関連した場合には、自分の地位や将来を危うくする覚悟にまで追い込まれるのはうなづける…

  • 『新聞小説史(明治篇)』 高木健夫

    新聞小説史(明治篇):高木健夫 1970年(昭45)4月~1973年(昭48)12月、雑誌「新聞研究」連載、全45回。 1974年(昭49)国書刊行会刊。 国会図書館デジタル・コレクションでは、雑誌「新聞研究」に連載されていたので、毎日1号ずつ読むのが楽しみとなった。生きた明治文学史を読んだという感じがする。 明治大正期にはラジオ・テレビなどのメディア媒体は無く、もっぱら紙情報=新聞が重要な役割を果たしていた。娯楽も同様で、新聞は安価で手軽な印刷媒体であり、毎朝配達されるもので連載小説を読み続けることができた。これは同時期の欧米においても同様で、定期購読者の獲得に功を奏した。また小説本の版元は…

  • 『青鷺の霊』 土師清二

    青鷺の霊:土師清二 1928年(昭3)朝日新聞社刊。 1955年(昭30)和同出版社刊。 青鷺の霊:土師清二2 タイトルは中身とほとんど無関係だった。江戸中期の仇討ちをめぐる群像劇。一方で親の仇を探して東海道を旅する浪士の阿部豊之助主従がいる。そして彼らに人違いで父親を討たれた浜松藩士の篠田秋弥も親の仇として彼を追うことになる。さらに街道筋の胡麻の蠅やら猿回しの一味やらが加わり、仇を討つことや恨みを果たすことがその人物たちの行動の原動力となる。結局はそれぞれが東海道を東に西にうろうろと行き来し、あるいはひたすら江戸を目指すことになる。各々の心境の微妙な変転を描いてはいるが、この人たちは何を糧に…

  • 『江川蘭子』 江戸川乱歩・他5人の合作

    江川蘭子:江戸川乱歩 他5人 1931年(昭6)博文館刊。(頁の損耗および落丁あり) 1947年(昭22)探偵公論社刊。 長篇連作探偵小説と銘打ってのリレー形式の作品。①江戸川乱歩、②横溝正史、③甲賀三郎、④大下宇陀児、⑤夢野久作、⑥森下雨村という昭和初期の第一線で活躍したミステリー作家たちの競演、という企画だけでも興味が惹かれた。カバー画像は終戦直後に復刊された探偵公論社のものだが、昭和初期のものよりも紙質も印刷も劣り、戦争によっていかに日本が窮乏していたかがわかる。 両親を惨殺された現場で生き残った乳児として、老夫婦によって育てられた蘭子は、持ち前の美貌と優れた知能を備えながらも、感情を極…

  • 『平和の巴里』 島崎藤村

    平和の巴里:島崎藤村 1915年(大4)左久良書房刊。 島崎藤村は41歳の年、1913年4月に神戸から出国して1916年7月に帰国するまでフランスに滞在した。その背景には家庭環境のいざこざがあったという。ちょうど第一次世界大戦が勃発する直前で、パリからの書簡という形式で東京朝日新聞に「仏蘭西だより」を断続的に掲載した。本書はその前半の15カ月間の見聞記、まだフランスが戦争に巻き込まれていない時期の感想・随想をまとめている。 明治期の日本はまだ市民生活が和風の習慣から抜け出てはおらず、パリの宿で生活するだけでもその差異の大きさは強烈だったと思われる。単身での滞在なので、生活者としてよりも孤独な旅…

  • 『人の妻:探偵小説』 冷笑散史

    人の妻:冷笑散史 1893年(明26)三友社刊。 冷笑散史(れいしょう・さんし)とは「思ふ処」あって仮名にしたと、序文でことわっている。元々ドイツ語の原本を翻案したもので、伊藤秀雄の『明治の探偵小説』によれば、同時期に独語からの探偵小説の翻訳の多かった菊亭笑庸あたりではないか、と言及している。 タイトルの『人の妻』は、自分の恋人に親が決めた結婚相手がいるなら、その男にとっては彼女は「人の妻」となりうる訳であり、他方ではその恋人同士が駆落ちすれば逃げた女が「人の妻」になってしまうという論理を言っている。結婚話がうまく捗らない娘の父親が殺害される事件で、その捜査は地道な証拠固めで進められる。探偵方…

  • 『白蘭紅蘭』 藤沢桓夫

    白蘭紅蘭:藤沢桓夫 1952年(昭27)湊書房刊。 1950年(昭25)9月~1951年(昭26)12月、雑誌「婦人生活」連載。 独身で吝嗇家の叔父が多額の財産を残して死去した。平凡なサラリーマンの青年は相続人となったが、ある見知らぬ女性との結婚が前提条件とされていた。その女性探しと金目当ての策略とが大阪の街に繰り広げられる。設定はまるで英米のロマンス映画を思わせる。文体は平易で、筋立ても巧妙で、読んで楽しめた。出てくる女性がどれもなかなかの美人という設定は現実離れしているが、大衆受けしたようで、当時大映で映画化されている。☆☆ 白蘭紅蘭:藤沢桓夫2 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人…

  • 『蜘蛛男』 江戸川乱歩

    蜘蛛男:江戸川乱歩 1930年(昭5)大日本雄弁会講談社刊。 都心のビル街に美術商を騙って妙齢の美人姉妹を次々と篭絡する謎の怪人蜘蛛男。その手口は猟奇的な乱歩の世界そのものだが、作中に言及されるように欧州の怪奇童話「青髭」に似通った陰惨な罪業も見える。警察と犯罪研究の畔柳博士による追跡劇は、怪人の驚異的な動きと巧みなトリックで読者を驚かす。後半にやっと明智小五郎が登場する。怪人の最後の大舞台は、映像化されたならエロ・グロ過多で、昭和初期でもよく発禁にならなかったものだと思われた。☆☆ 蜘蛛男:江戸川乱歩2 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。 https://dl.nd…

  • 『坊ちゃん羅五郎』 白井喬二

    坊ちゃん羅五郎:白井喬二 1942年(昭17)淡海堂出版刊。 1948年(昭23)講談社(小説文庫) 尾張の代官の御曹司として気ままに育ったように見える羅五郎は、付け人の呂之吉と共に代理で調停に出かけたが、その間に父親が冤罪で免職となる。それに対して一本気の正義心から、閉門破り、破牢、領外逃亡までに至る。しかし侍育ちの常識はその武家言葉とともに平民社会では通用せず、そのギャップが半可通のまぜ返しとして描かれる。落語の掛け合いにも通じる。この人を食ったようなナンセンス文学が戦時真っ只中の昭和17年に刊行されたのは興味深い。続編もあったが、一応読了とした。☆ 坊ちゃん羅五郎:白井喬二2 国会図書館…

  • 『九番館』 長田幹彦

    九番館:長田幹彦 1921年(大10)博文館刊。 長田幹彦(1887~1964)は「祇園物」と称される花街の風俗を描く耽美的な作風と言われていたが、この作品は一風変わった探偵小説というふれ込みだったので手に取った。ある港湾都市の一角にある「九番館」という教会の跡に貧民のための施療院と子供の養育所を運営する医師と清楚な女性の話で始まる。描写は平易で読みやすく、宗教心のある慈善精神が漂う。米国で蓄財をした富豪の令嬢の誘拐事件から謎の黒衣の人物の跳梁などへ話が展開するが、推理よりも探偵活劇に近い味わいがあった。作中一カ所に「本牧」という地名が現れたので横浜のイメージが固まった。結末の締め方には現実味…

  • 『生首正太郎:探偵実話』 あをば(伊原青々園)

    生首正太郎:伊原青々園 1900年(明33)金槙堂刊。前中後全3巻。時事新報連載136回。 明治から昭和初期にかけて作家および劇評家として活躍した伊原青々園(1870~1941)(本名:敏郎)は20代の頃「あをば」という筆名で新聞小説を書いていた。これは「あをば」の著作本の奥付に彼の本名が書いてあったことから判明した。 『生首正太郎』は明治初期に阪神と京浜の両方でピストル強盗を繰り返した犯罪実録を物語風に書き直したもので、時事新報に長期にわたって連載され、芝居にも脚色されたという。その仇名は、肩先に男の生首を口に咥えた女の刺青をしていた事による。当時は捜査情報が共有されることが少なく、犯人が高…

  • 『迷宮の鍵:探偵情話』 江見水蔭

    迷宮の鍵:江見水蔭 1923年(大12)博文館刊。 江見水蔭(1869~1934) は硯友社の門人で、明治期での多作家の一人とされている。「はしがき」にもある通り、日本で最初に「探偵小説」(犯人探しの)を書いたようだ。この本には「芸妓殺し」の中篇をはじめ、他に4篇の短篇を集めている。明治文学における「探偵小説」は江戸時代の講談話の流れを汲んだ悪漢物、毒婦物などの実話を発展させた実録小説が大勢を占めた。しかしホームズ物など外国の影響を受けた後の小説はこの「芸妓殺し」でも見られるように、何人かの容疑者とともに、謎解きに鋭い推理の冴えを見せる探偵役を登場させている。江見水蔭は古墳や遺跡の調査や発掘の…

  • 『伝奇紫盗陣』 土師清二

    伝奇紫盗陣:土師清二 1940年(昭15)博文館文庫 173, 174所収。前後2巻。 (でんき・むらさきとうじん)珍しくも鎌倉時代を背景とした伝奇小説である。北條氏の執権政治の1200年代から江戸時代の1700年代までは500年の隔たりがあるのだが、武家時代の風俗にあまり大きな差異は感じられない。それだけ遠い昔なのだが、漠然と同じ空気感で読んでしまう。中国の宋で発明されたという強力な大砲の製造法を書き記した『火砲鋳要』を手に入れるため、政権要職の2つの勢力と野盗集団の首領白虎、そして北條氏に復讐を企てる妖艶な紫夜叉とが入り乱れて、知恵と策略の争奪戦をくり広げる。道化役の小次郎が話をさらにかき…

  • 『青い樹氷』 大庭さち子

    青い樹氷:大庭さち子 1955年(昭30)7月~1956年(昭31)7月 雑誌「新婦人」連載。 作者の大庭さち子 (1904~1997) は戦中から戦後にかけて少女向けの小説を中心とした創作活動を続けた。戦後は婦人雑誌等に、旧来の道徳観念に縛られてきた女性の生き方を問い直そうとする作品を書いている。 この作品のヒロイン美保子も女子大生でありながら、アルバイトとして新宿のバーで雇われマダムとして働く。異母姉の加代子とは性格や行動が全く異なり、合理的に割り切った生活を送り、男性との関わりも自分の感性を抑制した冷やかなものでしかない。しかし、自分の出生の秘密や過去のしがらみの再出などで、その心情がか…

  • 『二番線発車』 高見順

    二番線発車:高見順 1955年(昭30)1月~12月、雑誌「婦人生活」連載。 1956年(昭31)東方社刊。 お嬢様育ちのヒロイン恵子が、初めて社会に出て働こうとして父親の紹介した会社に就職する。職場の先輩として積極的に声をかけてくれた男に好感を持つが既婚者であり、別の演劇好きの青年からは言い寄られる。好奇心に釣られて行動するがガードの甘さにつけこまれる。男女の関わりの中で、好感から好意へ、慕情から恋愛へと揺れ動く若い女性の心理を描いているが、その頼りなさが作者の姿勢の軽薄さにも思えて締まりがなかった。読者が若年者であれば共感が得られたかもしれない。☆☆ 二番線発車:高見順2 国会図書館デジタ…

  • 『黒壁』 水上勉

    黒壁:水上勉 1961年(昭36)1月~11月、雑誌「新週刊」連載。 1961年(昭36)12月、角川書店刊。 1963年(昭38)角川小説新書。 黒壁:水上勉2 (こくへき)山伏信仰で知られる熊野川流域での殺人事件。電力開発工事の監督官庁の敏腕課長が現地への出張中に失踪し、他殺体で発見される。交通の不便な山奥の集落や山々の風景を土地勘のある視点で丁寧に描いているのが巧みだった。一見何でもない公務員がなぜ惨殺されなければならなかったのか、その犯人の心の奥までは見通せず、また語られもしないのが不透明感として残った。☆☆ 黒壁:水上勉3 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。…

  • 『夕立勘五郎』 神田伯山

    夕立勘五郎:神田伯山 1929年(昭4)大日本雄弁会講談社刊、講談全集第8巻所収。 1954年(昭29)大日本雄弁会講談社刊、講談全集第18巻所収。これは戦後再刊されたものだが、演者名は無記名となっている。ほとんどが戦前刊の三代目と同じ口調なのだが、所々に戦後の風俗や流行語が挿入されて、可笑しく思えた。誰かが手を加えたのだろう。 夕立勘五郎:神田伯山2 大正から昭和初期にかけての神田伯山の口演筆記本は三代目による。三代目神田伯山(1872~1932)は11歳で二代目に弟子入り後、めきめきと腕を上げ、1904年に32歳で師匠の存命中に三代目襲名を受けた。 江戸の大名や旗本の屋敷への奉公人の口入れ…

  • 『女の一生』 田村泰次郎

    女の一生:田村泰次郎 1956年(昭31)大日本雄弁会講談社刊。講談社ロマンブックス、上下2巻。 1953年(昭28)9月~1956年(昭31)5月 雑誌「婦人生活」連載。 『女の一生』というタイトルには、「この人生って何だったんでしょうね?」と自問するヒロインの当惑した姿が見えるような気がする。モーパッサンの名作をはじめ、日本の小説家にも多くの同タイトルの作品が書かれており、それぞれの人生を生き抜いた女性の感慨が表れている。田村版のこの作品も足掛け4年の雑誌連載で、昭和の戦前から、戦中を経て、戦後に至るまで、ヒロインが人生の盛期を5人の男性との関わり合いに翻弄された生きざまを描く。戦争の惨禍…

  • 『敵打日月双紙』 三上於菟吉

    敵打日月双紙:三上於菟吉 1935年(昭10)平凡社、大衆文学名作選 第3巻所収。 1941年(昭16)博文館文庫(第2部 22-23) 所収。 (かたきうち・にちげつそうし)江戸時代までの仇討ちは、殺された親の仇を子供が藩主の許可を取り付けて竹矢来の場で果し合いという形で行われていた。この作品も敵討ちの話だが、物語の骨格を米国の作家ジョンストン・マッカレーの『双生児の復讐』(The Avenging Twins, 1923) に拠ったとされている。確かにそれまで日本に紹介された復讐譚である黒岩涙香訳の『白髪鬼』や『巌窟王』と同様に、復讐の対象となる敵を一人ずつじわじわと追いつめて滅ぼすという…

  • 『ダルタニャン色ざんげ』  クルティル・ド・サンドラス 小西茂也・訳

    ダルタニャン色ざんげ:小西茂也 1950年(昭25)河出書房刊。 1955年(昭30)河出書房、河出新書32 作者のガティアン・ド・クルティル・ド・サンドラス(Gatien de Courtilz de Sandras, 1644~1712)は、ブルボン王朝時代のフランスの軍人であり、文筆家であった。この作品は『三銃士』の種本となったことをアレクサンドル・デュマもその序文で明言しているが、その種本の中にすでにアトス、ポルトス、アラミスが登場していたのを知って現実味のある懐かしさを感じた。しかし三人の性格の違いや個性を彫り上げたのはやはりデュマの文才だったのがわかる。サンドラスは「ダルタニャンの…

  • 『皿屋敷:新説怪談』 芳尾生

    皿屋敷:新説怪談 芳尾生 1913年(大2)『皿屋敷』と『後の皿屋敷』の全2巻、樋口隆文館刊。 有名な怪談「皿屋敷」の「いちまぁ~い、にまぁ~い」の話かと思って読みだしたが、中身はまったくホラー味のない下剋上の謀反史談だった。もともと姫路の「播州皿屋敷」と江戸の「番町皿屋敷」があるのだが、前者のほうがルーツになっているらしい。 姫路城主の小寺伊勢守を弑逆して乗っ取りを企む青山鉄山一派の動静を探るため、忠臣の衣笠元信は侍女のお菊を間諜として送り込む。お菊は青山の息子から求婚され、家臣からも言い寄られるのを巧みに利用しながら機密を探り出す。家宝の皿十枚についてはお菊を妬む別の侍女の計略であり、お菊…

  • 『広島悲歌』 細田民樹

    広島悲歌:細田民樹 1949年(昭24)世界社刊。 1949年(昭24)10月、雑誌「富士」掲載:『美しき大地』(中間部) 1949年(昭24)11月、雑誌「富士」掲載:『山河の歌声』(終末部) 被爆直後の広島とそこに暮らす人々の惨状に直接触れながら、その核兵器使用の衝撃と平和への思いを強く訴えた小説。単なる体験記の形態でなく、三人称の小説とすることで、それらの人々の体裁の裏側までもが客観化され、極限状態に追い込まれた人間の姿が全身像として見えるような印象になる。作中でも、瀕死の状態に陥った女学生を担架で運ぶ途中に、突然その娘が大声で軍歌を歌い始め、歌い終わると同時に息を引き取ったというくだり…

  • 『華族令嬢愛子:探偵実話』 菱花生

    人情世界 (1901) 1901年(明34)3月~10月 雑誌「人情世界」連載、日本館本部発行 華族令嬢愛子2 明治後期の読物雑誌「人情世界」(旬刊)に長期間にわたって連載された構想の大きい探偵活劇。地の文は美文調の文語体、会話は口語体という、言文一致体の定着直前の一般的な小説文体である。 長崎での葛籠入り殺人死体事件の犯人を追って、探偵有尾は追跡の旅費や手当が出ないために退職し、自腹で東京へ向かう。犯人は海野伴作という中老の男だが、年齢以上に身体は敏捷、頭脳も「奸智姦才に長けたる」手ごわさがある。一時は主要人物たる探偵が殺害されるかという事態に至る。 ヒロインの愛子は自身の過去に謎を持ちつつ…

  • 『清き泉を掘らん』 芹澤光治良

    清き泉を掘らん:芹澤光治良 1951年(昭26)4月~1952年(昭27)4月、雑誌「婦人生活」連載。 1954年(昭29)北辰堂刊。 抽象画を学ぶ画家の卵の青年とその友人の哲学科の学生、その妹のフランス語教師、そして音大生を目指す娘という男女二組を中心にした恋愛模様を描く。兄妹を除けば三通りの恋愛の可能性があるが、特に画家の青年に対する二人の女性の恋愛心理の対立と変容で、結果的にどれも成就しなかったのは男性側の進路の不確定さにあるように思う。煮え切らない態度の反復で物語が終始するパターンは純文学的と言えるかも知れないが、面白味に欠ける。ヒロインの一人が修道院に入るという結末は、現実逃避にしか…

  • 『六つの悲劇』 山岡荘八

    六つの悲劇:山岡荘八 1949年(昭24)1月~12月、雑誌「富士」連載。 1955年(昭30)東方社刊。 山岡荘八(1907~1978) は大著「徳川家康」「織田信長」をはじめとする歴史小説家として知られているが、人物伝や現代小説でも非常に多くの作品を残した。 この作品は「六つ」という数字にこだわらず、敗戦とその後の日本の人々の心身を襲った数多くの悲劇について語っている。一番は価値観の崩壊と再構築の時代だったということだろう。しかもそれが前向きな方向性を示しているのは共感できる。 物語のプロット構成が通俗的な展開で安易に思える反面、それぞれの人物が歎き、悲しみ、考える心情を深く掘り下げている…

  • 『風吹かば吹け』 大林清

    風吹かば吹け:大林清 1950年(昭25)4月~1951年(昭26)12月、雑誌「新婦人」連載。 1954年(昭29)東京文芸社刊。装丁は風間寛。 冒頭の戦争末期、昭和19年の別荘地軽井沢での作中人物の登場の仕方を読むと、その性格設定が「風と共に去りぬ」の人物像を容易に連想することができる。かといって作品そのものは翻案でもパロディでもなく、その類型的な人物像がなじみやすい程度でしかない。美貌なうえに自信家で行動的なヒロイン、一見ニヒルだが鋭い洞察力の先にスケールの大きさを感じさせる男、そしてヒロインが思いを寄せる青年華族はその期待とは裏腹に地味で引っ込み思案な女性と結婚してしまう。それらの人物…

  • 『折れた相思樹』 富澤有為男

    折れた相思樹:富澤有為男 1950年(昭25)1月~1952年(昭27)6月 雑誌「富士」連載。2年半、30カ月に及ぶ。 1952年 講談社刊。(傑作長編小説全集第21巻所収) 富澤有為男(ういお)(1902~1952) は作家であると共に帝展に入選するほどの実力のある画家でもあった。戦前期(1937)に芥川賞を受賞していたが、作家としての現在の知名度はなぜか低い。寡作であったのと中央文壇からは隔絶して暮らしたからかもしれない。 この作品は戦中から戦後にかけての若い画学生と南西諸島で育った少女との心と心の絆の深さを描いた感動作だった。写生に訪れた島で二人の心の交流が始まるが、単なる恋愛に発展す…

  • 『地獄から来た女』 田村泰次郎

    1948年(昭23)2月~12月 雑誌「りべらる」連載。 1948年(昭23)太虚堂書房刊。 終戦直後の混乱期に大都市の繁華街などでは生活苦から売春する多くの女性たちが現れた。そうした女性たちの更生と自立を目的とした寮施設を運営する青年長見は、ある夜警察の一斉摘発に同行して、街角で客待ちをする一人の娘と出会う。そこには極度の困窮に追い込まれた母娘の生活があった。男女の関係は、精神的にも肉体的にも相手を求めずして生きて行くのは困難であり、それが特に女性の場合にも多様で複雑な心理が働くことをこの作品の中ではあからさまに描き出している。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利…

  • 『犯罪の足音』 岡田鯱彦

    犯罪の足音:岡田鯱彦 1958年 光風社刊。 1963年 青樹社刊(青樹ミステリー) 岡田鯱彦(しゃちひこ)は国文学者で、古典に題材を求めたミステリー作品もある。これは戦後期に書かれた現代物の一つである。 結核に感染した大学一年生の青年が、病後の療養のために南伊豆の突端にある小さな漁村の旧家の離れに居候として滞在する。三度の食事などは旧家の若妻の世話になるが、その夫というのは親子の歳の差がある老人だった。青年は彼女にほのかな恋情を抱くが、彼女の身辺では次々に人が亡くなるという出来事が起きる。青年は療養の日々の徒然に事件の推理を試みるが、素人じみた発想しかできない。風光明媚な背景を思えばタイトル…

  • 『遠山の金さん』 山手樹一郎

    1961年(昭36)講談社刊、山手樹一郎全集 第29巻 「遠山の金さん」とは、後に遠山金四郎景元として江戸北町奉行および南町奉行などを歴任した人物。柳橋の船宿相模屋の二階に居候する遊び人の金さんはもともと旗本の次男坊の身の上だが、家を飛び出して町人として勝手気ままな生活を送っている。山手樹一郎は長期のシリーズ物として金さんの若き日の行状記という体裁を取っている。この巻では雑誌連載の毎回一話完結で全22話を収めているが、この後も書き続けられ、「遠山政談・江戸ざくら」や「金四郎桜」まで出ている。 恋仲の看板娘お玉とのやり取りや福井町の岡っ引重五郎が持ち込む事件の謎解きが中心で、作者の安定した筆致を…

  • 『剥製人間』 香山滋

    剥製人間:香山滋 1949年(昭24)7月~9月 雑誌「富士」連載。(初出時は『女體剥製』) 1948年(昭23)10月~11月 雑誌「富士」連載。『恐怖の仮面』 1955年(昭30)東方社刊。 東方社の単行本には表題作『剥製人間』と『恐怖の仮面』の中篇2作と短篇4作を所収。香山滋(かやま・しげる)(1904-1975) の作風には幻想味に妖艶味が加わった独特の魅力がある。 表題作の『剥製人間』のタイトルは初出時には『女體剥製』だったが、そのままのほうがよかったようにも思う。銀座のバーで働くヒロインは気まぐれから、ふと思い立って水上温泉の知り合いの宿に列車で向かう。向かい側に座った若い男から、…

  • 『愛と罪』 中野実

    1949年(昭24)8月~1950年(昭25)12月 雑誌「婦人生活」連載。 1951年 東方社刊。 終戦直後の東京の、焼跡が残り、闇市がはびこる中での人々の生活。主人公の舞台装置家岩村は身寄りのない若い女性の来訪を受け、モデルでも下女でも使ってほしいとせがまれる。彼女は有名ジャーナリストの娘だったが、戦争で一家が没落し、ならず者たちの中で暮らしていた。彼は彼女をその境遇から救い出そうとするが、妻の裏切りで彼自身の生活もすさんで行く。 文体はよくこなれていて読みやすいのと、語り口にどこか軽妙さがあって深刻にはならない。心境や感情の変化にやや飛躍が見られ、人物の行動の方向性がアンバランスに思える…

  • 『ノア』『三界萬霊塔』 久生十蘭

    ノア1 1950年(昭25)2月~4月 雑誌「富士」連載。『ノア』 1949年(昭24)7月 雑誌「富士」連載。『三界萬霊塔』 戦後に復刊したと公言する一般大衆向けの文芸雑誌「富士」は国土の復興を目指す人々の旺盛な読書慾を満たして大いに販売数を伸ばした。版元は世界社と称したが、戦中期の「キング」改め「富士」を出していた講談社からその書名だけを譲り受けたのかもしれない。(「キング」は「キング」として戦後復刊していた) 富士(戦後) 久生十蘭の作品の根底には暗い流れを感じる。あまり楽しい結末は見えず、救いや報われさえ期待できない空恐ろしさで身震いする。この異色中篇『ノア』も衝撃的な内容だった。 戦…

  • 『花と波濤』 井上靖

    1953年(昭28)1月~12月 雑誌「婦人生活」連載。 1954年(昭29)講談社刊。 井上靖を読むのは何十年ぶりかになる。地方都市の裕福な医者の家に育ったヒロインの紀代子は京都の叔母の許に寄宿して、何か仕事を見つけて働こうとするが、生活に追われる境遇でもない。郷里に残った幼馴染の文学青年と、京都で知り合った遠縁の学究肌の青年と、偶然出会った人当たりのいい中年の彫刻家との三人との関係を通しながら自分にとっての真の愛情とは何なのかを考え続ける。 異様に思えるのは、彼女が驚くほど積極的に、ある意味では無防備にも彫刻家の男の誘いに応じ、名所見学と食事を共にすることで、しかもその機会を自分から追い求…

  • 『悪魔博士』 西條八十

    1948年(昭23)12月号~1949年(昭24)8月号、雑誌「東光少年」連載。 1953年(昭28)偕成社刊。 東光少年 終戦直後の昭和20年代には軍国主義の抑圧から解放されて、数多くの雑誌が出版された。少年少女向けの雑誌も同様で、この「東光少年」も国会図書館デジタル・コレクションで閲覧可能となっている雑誌の中から見つけ出したものである。昭和23年12月に創刊するも、戦後の物資不足、特に粗悪な紙、不鮮明な印刷などで、コンスタントな月刊誌とはなかなかならなかった。主力執筆陣には吉川英治、海野十三、富田常雄などが加わり、漫画はまだ少なく、挿絵による多くの読物を揃えていた。この時期に詩人の西條八十…

  • 『母孔雀』 竹田敏彦

    1956年(昭31)1月~12月 雑誌「小説倶楽部」連載。 1956年(昭31)東方社刊。 ヒロインは若後家の身ながらも兜町で「紅将軍」の異名を持つヤリ手の証券会社経営者となっている。女手ながら美貌を武器に、強引な手腕で亡夫の後に会社を立て直した。物語の前半はその栄華の中に居ながらも、家庭では義理の子供たちに疎まれ、孤立した心の虚しさを感じている。そのところに、昔離縁させられた実の子供たちが貧困の中で働いているのを発見する。彼女はその境遇の改善のために手を差し伸べることに喜びを見出していく。根底には古来の母子物の哀話感が見えはするが、成功した女傑の精神的充足に絡ませたところに戦後世相の面白味が…

  • 『悪魔』 稲岡奴之助

    奴之助 悪魔1 1911年(明44)嵩山堂刊(すうざんどう)(青木嵩山堂から社名を変更したらしい) 題名から想像して、犯罪小説かと思って読み始めたが、明治期の悲劇小説の部類だった。「悪魔」と題したのは恋人に振られた画学生が、恨みつらみを込めてその恋人の肖像画を描き、それを画題として出品したことによる。画学生は友人に励まされながら、その絵を完成させることで失恋を克服し、芸術家として成功の道を確立する。それに対して華族夫人となることを選んだヒロインの澄子は、その美貌が災いして、横恋慕では攻め寄られ、小姑からはいびり倒され、ついには夫から離縁されるに至る。因果応報の悲劇とも読めるのだが、たまたま小間…

  • 『指環』 黒岩涙香

    涙香 指環 1889年(明22)金桜堂刊。原作はフォルチュネ・デュ・ボアゴベ (Fortuné du Boisgobey, 1821~1891) の新聞連載小説『猫目石』(L’œil de chat) だが、涙香は元々の仏語から英訳された本からの重訳で記述していた。発表から1年後には和訳が出版されていたところに当時の日本の翻訳者たちの敏感さを感じる。 涙香は人名を日本名に、舞台となるパリの通りや公園の地名も漢字に置き換えているが、それでも洋風の雰囲気を十分に感じさせてくれる。今回は、酒類や産物の入市関税を逃れるために地下道で運び込む一味の犯罪を偶然知った貴族の青年とそれに巻き込まれた伯爵夫人の…

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