真面目なホテルマンの続力は、お得意様が亡くなったお別れの会をするために、招待状を送ることになります。登録してある書家の中から送り主は、遠田書道教室の「字」を選びました。京王線下高井戸駅にある遠田書道教室という看板のある古い日本家屋を訪ねます
初めまして。私には孫が2人いますので、正真正銘のバァバです。 でもまだまだ楽しいことが沢山あります。読む・書く・見る・聞く・食す・・・。そんないろいろなことを書いていこうと思います。
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真面目なホテルマンの続力は、お得意様が亡くなったお別れの会をするために、招待状を送ることになります。登録してある書家の中から送り主は、遠田書道教室の「字」を選びました。京王線下高井戸駅にある遠田書道教室という看板のある古い日本家屋を訪ねます
川越観光案内所に勤める柚原さんは30代後半の女性です。英語も堪能で最近増えた外人客の対応も一人でこなしています。夕方になるとバイトの大学院生大西君他2人も誘って、4人で街をぐるりと6キロ走ります。すると、このところずっと閉まっていた元印刷所
*「沈黙の春」で自然破壊に警告を発した著者が、今ある自然を子供たちに残したいというメッセージを込めて、誌的に語る物語です。 ある台風の夜、レイチェルは1歳8カ月になったばかりの甥のロジャーを、毛布にくるんで海岸へ連れていきました。大きな波の
ワイン蔵造所の一番の働き手・母を亡くして、双子の弟である歩みは覚悟を迫られていました。姉の光実は母親を尊敬してこの醸造所を手助けしていましたが、歩みは逃げてばかりいました。今度ばかりは自分も助けていかねばなりません。 祖父は入院中、父は経理
*美しい資産家の女性が、7階の窓から飛び降りて亡くなりました。テレビや週刊誌は大賑わいです。彼女と接触のあった人々が語ります。 早川松夫:まだ少女のような鈴木君子さんと夜学のそろばん塾で一緒でした。熱心でおじさんたちの間では興味をそそる存在
湿地の林の奥の家で、カイアは育ちました。ところが兄弟も母も出ていってしまい、最後に父が出ていって、一人で暮らしていました。海辺の貝を取って町に売りに行き、暮らしに必要な品を整えました。 村の青年・チェイスとは仲良く、彼女のことを好きだと言っ
「ありがとう西武大津店」:成瀬は子どものころから何でもできて、やりたいことをやり遂げる元気な子供です。中学2年になった今でもマイペースで生きています。この夏休みを西武に捧げる、と断言しました。8月31日に44年の歴史に幕を下ろす西武大津店の
百合子が5歳の時から33年間、温かく見守ってくれた継母の「乙美母さん」。71歳でこの世を去り、その49日の準備をしています。百合子は素直に甘えられず、そっけなくしていましたが、ほんとうは大好きでした。 乙美は料理が上手でしたが、父も褒めたこ
一話:厳しい父の元で修行を積んだ陶芸家の省造は、父亡き後も茶わんや壺を作って注文に応じています。父は厳しく、気に入らないものは、すぐに割ってしまいました。今回の窯出しでは注文の品のほかに、青い壺がなかなか良い色に出来あがりました。妻も褒めて
*1948年から58年の間にアメリカとヨーロッパに滞在しての見聞・行動録です。その心意気と行動力、そして文章のうまさに感動しました。 「アメリカ」:昭和23年秋、私は留学生としてマサチューセッツ州のボストンに、2年間の奨学金を貰って出発しま
アメリカ南部で生まれた黒人のリンダには、大工の父とお屋敷に勤める母と2歳下にウィリアムという弟がいました。15歳になった時には両親は亡くなっており、姉弟はドクター・フリントのお屋敷で奴隷として働いていました。主人も奥様もケチで冷たく、尊敬で
高校生のホールデン・コーンフィールドは、成績不良で学校を退学になります。その挨拶に受け持ちの先生のところへ行き、夜は同室者と喧嘩します。学校を出てから汽車に乗り、街で遊び、家に着くまでの話が事細かく記されています。この少年の観察は細かく、相
35歳同士の夫婦、栗原清和・佐都子は不妊症治療をしても子どもに恵まれません。テレビで見た「特別養子縁組」に引かれます。子どもを育てられない母親の赤ん坊を子供に恵まれない親が引き取る制度です。二人は養子を育てることを決心して、広島の「ベビーバ
*20歳になったばかりの青年パウルが見たこと経験したことを語っているので、まっすぐに事実として伝わってきます。 彼には戦友がいます。前線に出ていない時は、カルタをしたり冗談を言い合ったりしています。関心の最たるものは食事です。白いバンと肉の
*自称「輝さんファンクラブ・メンバー」の一人としては、久しぶりに宮本氏の世界を楽しめました。 物語は、亡くなった奥さんに送られてきた一枚の葉書を元に、日本にある主な灯台を巡る話ですが、住んでいる板橋商店街の詳しい様子、商うラーメン屋の店の内
奈月は大学生です。友人と3人で夏休みにベトナム旅行をする予定です。その話を聞くと、母の真依子は迷い悩みましたが、一大決心をして奈月の前に戸籍謄本を置きます。そこには、母の出生地がベトナム国ニャーチャン市と書いてありました。 夢にも考えたこと
☆八月の銀の雪:就職活動中の堀川は、どこも落ちてイライラしています。いつも行くコンビニの店員、アジア系の女の子のもたつきにも腹を立てます。ある日、同じゼミだった清田に声をかけられて、調子のよい商売に誘われます。仮想通貨を預かって運用するのだ
*平成27年の話と昭和26年から41年までの話が交互に出てきます。その形でここに記すのは難しいので、初めと終わりだけ記します。 ・昭和26年10月、一家は進駐軍キャンプ大津A近くの長屋に住んでいました。父は日雇い労働者、母は足が悪く、子ども
梅雨は明けたけれど日差しのない日、小田急線・相模大野駅からバスで20分ほどの相模原公園へ来ました。大木も茂る広々とした気持ちのよい公園です。目当てはアジサイ。ごく普通の薄紫のから真っ白くて丸いアナベルまで、たくさん咲いていました。ウィークデ
*9つの短編小説から成る本です。その中から2つの作品を記します。 サキの忘れ物 千春は病院に併設している喫茶店で働く18歳の少女です。勉強はできず、夢中になれるものもなく、高校をやめました。そこへ、平日は毎日夜の8時に来て閉店の9時まで本を
東京・上野にある国立美術大学の森本ゼミ。4人の学生が「自画像」という課題の絵を描き、教授の評を受けています。森本教授は、ハラスメントで訴えられそうな、厳しく相手をやっつける言葉を投げます。 猪上詩乃:両親ともこの大学を出た画家です。彼女は子
妃斗美は35歳で独り者。小さな雑誌社の副編集長です。仕事は面白くてやりがいがあります。けれど…休暇で実家に帰ると、母は「貯金をしておきなさいよ。・・・いい人はいないの?」と言い、弟は「40、50になっても女が独身でいるなんて、化け物だ」と言
*私はサスペンス小説は、ほとんど読みません。怖い話が嫌いな臆病者ということもありますが、人が殺められるのが嫌なのです。この小説は、植木職人が主人公というところに引かれて読み始めましたら・・・まさにサスペンスです。どうしようと思う間もなく、読
*これは日系イギリス人の作家、カズオ・イシグロが熱意をもって脚本を書いた作品です。黒沢の映画で唯一印象に残っているシーンは主役の志村喬がブランコに揺られながら♪命短かし恋せよ乙女♪を歌うところです。それほど昔の映画を戦後のロンドンを舞台に、
枝田光輝は、働く母と2人暮らしの小学5年生です。家事はまあまあ手伝えますが、勉強はダメ、運動もダメで、友達もいません。ところが5年生になったクラスで押野に初めて声をかけられて、友達になりました。押野は明るくてお調子者の人気者で、光輝とは真反
*4月からNHKの朝のドラマで牧野富太郎博士の物語が始まります。主演を神木龍之介が演じるので、とても楽しみです。大袈裟に言うと、私は牧野先生の孫弟子ではないかと思います。50代の10年間、月一回の植物観察歩きで指導してくださった先生が、牧野
★すがも平和霊苑:4年前に逝った妹が眠っています。妹はシングルで個性がはっきりしていましたので、友人が多くはありませんでしたが、毎年、ごく親しかったお友達3人が一緒にお参りしてくれます。 桜は5分咲きで、古木の貫録を醸していました。染井吉野
一章「朋香」:21歳の朋香の職場は、総合スーパーの中の婦人服売り場です。田舎を脱出したくて東京の短大に入り、就職の時に30社くらい落ちて、最後に決まったのがこの会社です。けれど、お客のクレームには上手に対応できず、なんとなく勤めているだけで
紗穂は24歳の看護師です。受け持ちである雪野サエの様子を診にきました。95歳、脳梗塞を起こしてもう3年も意識不明です。ところがその夜、サエの意識が戻り紗穂の腕を握ります。そのとたんに大地震が起こりました。病室が逆さになった気がして、強い吸引
お正月過ぎに、青山通りから入ったところにあった「クレヨンハウス」の前を通ったら、「吉祥寺に引っ越しました」という看板が掛かっていて、がっかりしました。以前は道路から下がったところにオーガニックレストラン、2階から上は絵本の専門店がありました
磨いたような青空の日、花好きな友人と小田急線・新松田へやってきました。駅の陸橋からど~んと富士山が見えて、歓声を上げます。ところが駅前は人の行列。平日を狙ったのに、同じ考えの人々がこんなにたくさん!JR松田駅前からバスが出ているというのに、
少年たちが涙を流す出来事が、ゴアで起こりました。日本を出る時から父のような存在だったバリアーノがインドの管区長になられて、ゴアに留まることになりました。一緒にローマに行けないことを、心から残念に思って泣きました。宗達には「そなたも使節の一員
俵屋宗達は、京都の扇屋の息子です。幼いころから絵を描くのが好きで、父を手伝って扇の絵を描いていました。彼が描いた絵の扇はよく売れました。数えで12歳になった時、織田信長から安土城へお召がありました。殿の前で絵を描いてほしいというお達しでした
*第166回芥川賞を受賞した、文芸春秋に載っている作品を読んでの感想です。出だしから彼のいる状況がスーッと入ってくる文章でした。 佐久間亮介はメッセンジャーバッグを背負って、雨の中、自転車を走らせています。ベンツに邪魔され、トラックに雨水を
都(みやこ)は高校を出て、東京で好きなブランドのショップに勤めていました。けれど母の具合が悪いから、と父から連絡があって牛久大仏の見える茨城県の実家に戻ります。母は重い更年期障害で、起き上がれない日もあります。都が病院へ付き添うようになりま
10年ぶりぐらいに、友人と江ノ島へ行きました。久しぶりの小田急線・江ノ島駅は、デザインはそのままに新しく輝いていました。橋の中ほどから右手の海の向こうを見ると、富士山は裾だけ見せて雲に隠れています。「残念ねー」と言い合いました。思ったよりも
1940年7月1日、一人暮らしの寡婦Kは、ロンドン郊外の自宅の玄関前で瀕死の小鳥を見つけました。温かいフランネルで包んで台所の炉辺に座り、くちばしが開くようになってから、マッチの軸で温かいミルクを小さな喉に一滴ずつ垂らし、小さな鉢の内外を毛
友人の文化人類学者・畑中幸子さんの「あんたも来てみない?ほんまにええところや」の誘いに乗って、1968年3月インドネシアを訪れた後に、ニューギニアにやってきた作家・有吉佐和子のありのままの記録です。 小さなセスナ機でオクサプミンに着いてから
東京・世田谷線の駅から徒歩15分の所に築31年の「ビューパレスサエキⅢ」はあります。1階と2階に4部屋ずつあり、どの部屋にも12支の名前がついています。太郎は亥室です。30歳、離婚して今は独身です。アパートの誰とも付き合いはありませんが、最
花村茜は43歳独身の勤め人です。父が亡くなって、郊外のぼろアパートを相続することになります。築20年、9戸のうち4戸も空き家です。見に行った日は桜の花びらが散っていて、花桃、レンギョウ、ドウダンツツジが花盛り。しかも花壇に花を植えていた老女