陽を浴びた福寿草待つ雪間かな薄氷思いも薄きあれやこれ陽にあたりなば消えゆく氷・・・・・・・・・・・福岡はその昔、音楽の街と呼ばれた。大陸への玄関口は世界の文化の輸入拠点だった。戦時中は本場の洋楽に触れることができると全国から人が集まった。戦後は井上陽水さんらが「ニューミュージック」旋風を起こし、海援隊が九州弁でヒット曲を生んだ。そして、後に「めんたいロック」と呼ばれた音楽シーンの中心にいたのが、先日亡くなった「シーナ&ロケッツ」の鮎川誠さんだ。久留米市出身の鮎川さんが初めて洋楽に触れたのは、レイ・チャールズの「ホワッドアイセイ」。レコード店に通って試聴しては書店で音楽誌を立ち読みし、ラジオであらゆる音楽を吸収した。1960年代に迎えた思春期はどっぷりと音楽につかった。誰にも文句を言わせまいと奨学金を得て九...好きを極める