多摩丘陵地域での暮らし、テレワークと首都圏の通勤、知的財産関連の仕事の情報などを紹介しています。
現在暮らしている多摩丘陵の情報や、首都圏での通勤、テレワークなどで感じることなどを共有していきます。
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【稲城市若葉台】君も博士になれる展は2022年5月8日(日)まで
連休が始まっていますね。前日(4月29日)が雨で肌寒かったのですが、今日は朝から良い天気です。風がちょっと冷たい感じがしますが、日向では半袖でも過ごせそうな、爽やかな日になりました。 テレビ朝日の施設で行われている「君も博士になれる展」は、開催期間中にコロナ対応で緊急事態宣言な...
【年表を歴史小説でつなぐPJ】鬼役<三十一>殿中 坂岡真 1840年から1845年頃の日本
将軍の毒見役、鬼役とも呼ばれる御膳奉行の矢背蔵人介を主人公とする人気シリーズ。歴史小説というよりも江戸時代を舞台にした時代物ですね。ちょうどコロナの最初の緊急事態宣言が出された頃から少しずつ読み続けてきて、現時点(2022年4月)の最新刊の一つ手前まで読み終えました。 この巻で...
【タイで暮らした思い出:微笑みの国滞在記】タイのお寺はトンガっている
上の写真は2010年5月頃に撮影したものです。 まだ家族がタイに引っ越してから間もない頃に出かけた先で見た建物で、お寺のようでした。 この後も、タイではお寺をたくさん目にしました。 日本のお寺と違うところがたくさんあったので、覚えていることを書いておこうと思います...
アドセンス管理画面のメッセージ「要注意 - 収益に重大な影響が出ないよう、ads.txt ファイルの問題を修正してください。」にとりあえず対応
「要注意 - 収益に重大な影響が出ないよう、ads.txt ファイルの問題を修正してください。」 Bloggerの設定をいじっていたら、アドセンスの管理画面に上のようなメッセージが出るようになってしまいました。 設定の「収益化」のところのカスタムads.txtを有効にする...
【年表を歴史小説でつなぐPJ】楊令伝<十二>九天の章 北方謙三 1130年頃の中国
中原までを領土に加えた金国。 遼と宋の敗退により一気に支配領域が広がったが、その内政は落ち着かず、朝廷内では早くも権力争いが起きていた。 阿骨打(あぐだ)と楊令との間で語られた理想の国家の姿は現実のものとなるのか。 金国内の権力争い 阿骨打亡き後は、弟の...
日々読書をして暮らしていた人って、家に本がたくさんありますよね。 書棚が一杯になって、棚によっては前後二段になっていたり、机の下に積んであったり、居間に放置されたり。 転勤が多く、引っ越しのたびに整理をしていた人であればある程度の量に収まっているかもしれません。 しかし、引っ越...
【年表を歴史小説でつなぐPJ】絶海にあらず<下> 北方謙三 940年頃の日本
瀬戸内の出師たちの反乱を収めた藤原純友に、京にいる藤原忠平は疑惑の目を向ける。 そして、伊予掾(いよのじょう)としての官位を解き、京への帰還を命じる。 京に戻った藤原純友は、弟の任官を願い、自分自身は無位無冠の身となり、自らは交易に力を入れ始める。 藤原純友が任地を離れる...
【年表を歴史小説でつなぐPJ】絶海にあらず<上> 北方謙三 930年頃の日本
平安時代の京では、藤原北家が次第に強大な権力を握りつつあった。その北家に繋がる藤原純友は、ふとしたきっかけで任官することになる。藤原氏の氏長者、忠平の窮地を救ったのだった。純友は従七位下伊予掾(いよのじょう)として任官、赴任する。 瀬戸内海では水師たちが、京からの指示による内...
【終活の一歩手前】祖父の生涯と葬儀を振り返る 北海道の昭和の頃のこと
祖父は北海道入植後、まず道北(比布のあたり)で農業を始めたようです。それから石狩川沿いに少しずつ南下して、最終的には砂川に落ち着きました。 50歳を過ぎた頃から体調を崩し、入退院を繰り返すようになりました。55歳頃に仕事を退職し、家で畑仕事をしたり、親戚の家を訪問したりしていま...
【終活っていつ始めるの?】定年後の暮らしが気になったときが始めどき
人生をどのように終えるのか。それをきちんと考えることで、最期のときまで充実した生活を送ることができるようになります。終活が注目されているのはそのためですね。 エンディングノートを書いたり、自分史をまとめたり。どのように看取ってもらうのかを決めたり、自分の意思が示せなくなったときに...
【北海道のこと】北海道を走るならホクレンのスタンドを使いたかった
帰省して、北海道の道路を走っていたら、久々に見かけました、ホクレンスタンド。 昔、道外の人がバイクのツーリングで来て、ホクレンのスタンドでもらえる黄色い小旗を荷物に立てて走っていたのが、羨ましかったです。 バイクもカッコよかったのですが、黄色いフラッグも目立ちました。 あの頃...
【北海道のこと】国道12号線の「日本一長い直線区間」の南端と北端のこと
冬の終わり頃にレンタカーを借りて実家に帰省しました。実家にはほんの3時間ほどの滞在になりましたが。 その際に、日本で一番長い直線区間のある国道12号線を走りました。上の写真は助手席で嫁さんが撮影したものです。進行方向は南向きです。 この国道12号線の直線区間の北端は、砂川市と滝川...
【地方への移住を考えている?】定年後に移住する地方都市 例えば札幌はいかが?
暖淡堂が暮らしについて考えていることを記事にしていきます。自然が豊かな多摩丘陵の紹介もします。
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【地方への移住を考えてる?】参考になる内閣官房・内閣府のサイトのご紹介
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川崎市麻生区黒川の里山地区にあるひまわり畑のひまわり、咲き始めています。 里山に散策に来られた方、あるいはセレサモスで新鮮野菜をお買い物に来られた方、ぜひちょっとだけ足をのばしてお立ち寄りください。
日頃お散歩している道の脇や路面に、サインのようなものが出現しました。 町内会で発信されている「不審者情報」では、数人の「アジア系?」の人たちが書いていたということですが、さて、真相はどうでしょうか。
現時点で、週に2回出社していますが、その出社日はとても疲れます。コロナが始まる前よりも遅い時間に出社し、早い時間に帰宅しているのですが、翌朝は身体に重い疲労が残っています。 ずいぶんと体力が落ちてしまっている感じです。以前と持ち物の種類も量も同じはずなのですが、カバンがとても重たく感じます。コロナ
出社当番の日は、まずテレワークの日と同じ時間に、自宅で仕事を始めます。そしてラッシュの時間帯を避けて出社しています。今は、大体お昼休みを使って会社に移動するような形になっています。 それで、朝の混雑した時間帯の電車での移動がなくなっています。これは心身ともにとても楽です。
こんにちは、暖淡堂です。 今年もそろそろ梅雨入りしそうですね。 雨が降ると、電車でのお出かけがちょっと面倒になります。 そんな時、ちょっと立ち寄って気分転換ができる本屋さんがあるといいですよね。 今回は多摩丘陵地区の小田急沿線に暮らしていて、普段から便利だなと感じている書店3店...
小田急多摩線で新百合ヶ丘から3つ目の駅は黒川駅である。そして、2つ目の急行通過駅でもある。多摩丘陵の散策のための入り口なのに、急行は通過してしまう。 きっと、里山を散策する人には、各駅停車を利用するような落ち着いた心を持ってもらいたい。そんな小田急電鉄の計らいがあるのだ...
こんにちは、暖淡堂です。 以下のようなニュースがありました。 平均寿命 川崎市麻生区が男女とも全国最長 厚労省調査 川崎市麻生区は多摩丘陵地区の一画。 小田急小田原線の新百合ヶ丘駅を中心にした地域です。 ここに住んでいる人の平均寿命が全国一位だ...
こんにちは、暖淡堂です。 小田急小田原線の新百合ヶ丘駅に隣接する書店三省堂について、以前記事にしました。 この三省堂について、改めて思うことがあります。その辺り、書いてみようと思います。 入り口がわかりにくい 上の写真を見ていただければわかりますが、三省...
通っていた小学校の校舎は、古かったせいか、工事が途中で放置されたままになっているようなところがありました。 天井がポッカリと開いたままになっているところもあったりして。 小学生の男子がそんなところを見つけたら、放っておくはずがありません。 僕は、友人に誘われるよう...
休日のお出かけ先は決まりましたか? ご家族連れで、車でのお出かけを計画されているのであれば、山口県がお勧めです。見どころが多いことに加え、道路が整備されていてとても走りやすくなっています。 山口宇部空港にはレンタカー各社があり、空港ビルからほんの少し歩いただけで車に乗ることができ...
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃で...
多摩丘陵地区から富士山周辺は車でとっても行きやすいです。 西に向かって相模原を抜け、道志道を走っていると山中湖畔に出ます。 所要時間は相模原市内から山中湖畔に出るまで1時間くらい。 のんびりと走っても2時間はかかりません。 山越えになるので、スピードを出さずにゆっくりと行く...
子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように...
通っていた小学校の校舎は、古かったせいか、工事が途中で放置されたままになっているようなところがありました。 天井がポッカリと開いたままになっているところもあったりして。 小学生の男子がそんなところを見つけたら、放っておくはずがありません。 僕は、友人に誘われるよう...
休日のお出かけ先は決まりましたか? ご家族連れで、車でのお出かけを計画されているのであれば、山口県がお勧めです。見どころが多いことに加え、道路が整備されていてとても走りやすくなっています。 山口宇部空港にはレンタカー各社があり、空港ビルからほんの少し歩いただけで車に乗ることができ...
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃で...
多摩丘陵地区から富士山周辺は車でとっても行きやすいです。 西に向かって相模原を抜け、道志道を走っていると山中湖畔に出ます。 所要時間は相模原市内から山中湖畔に出るまで1時間くらい。 のんびりと走っても2時間はかかりません。 山越えになるので、スピードを出さずにゆっくりと行く...
子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように...
こんにちは、暖淡堂です。 今朝の里山は気温が下がりました。肌寒いというより、ピリッとした寒さ、みたいな感じでした。 いつものように朝の散歩をしたのですが、今朝は青空の下に梨農園の梨の花がとても綺麗に見えました。梨の花は咲き始めていたのですが、今朝はとくに白さが鮮やか...
こんにちは、暖淡堂です。 毎朝のルーチンにしているお散歩で目にする風景が、日々変わっています。このところあちらこちらで目にしていた菜の花ですが、この週末に急に伸びていました。 黄色い花がたくさん咲いていて、とても春らしい様子で好きですね。周囲の畑の土も、日中は陽射しに...
祖父の葬儀の後、数日して夏休みが終わりました。宿題はほぼやっつけで片付けて、学校に提出しました。 宿題をちゃんとやらなかったのは、この年の夏休みだけではないのですが。 夏休み中はほとんど会わなかった同級生たちと再会して、また放課後など一緒に遊ぶようになりました。 ...
葬儀が終わると、遠くから来ていた親戚は、一度我が家に移動しました。 簡単な食事をして、お酒を飲む人たちは改めて飲み直しました。 それから帰る人と、そのまま家に泊まる人に別れて、家に泊まることになった人たちはさらに飲み続けました。 雨は止んでいましたが、空は暗かった...
栗平は小田急多摩線一つ目の急行停車駅 小田急多摩線の最初の急行停車駅は栗平である。各駅の電車しか停まらない五月台も、引け目を感じる必要はない。あこがれの新百合ヶ丘から一つ目の停車駅であることは変わらないのだ。 むしろ各駅停車に乗った場合は、栗平は新百合ヶ丘から二つ目の駅。五月台...
通夜の翌日は本堂に祭壇を移動させて告別式。 生まれて初めてお経をフルバージョンで聞きました。 曹洞宗なので、おそらく般若心経も唱えられていたのでしょうね。 「ギャーテイギャーテイ」と言っていたような気もします。 当時は、お経の意味はもちろん解らず、すぐに飽きてしまい...
祖父が亡くなったときに起こった不思議なことが、今でも実家の家族の話題になります。 特に 鳴家 やなり に関しては「実例」のようなものが家族内で共有されています。 「誰々が亡くなったときには」、「どこそこのおばさんが危篤になったときには」など、いくつかのエピソードがあ...
最近の葬儀は葬儀会場を使うことが多いですね。 昭和の頃の北海道の実家の辺りでは、自宅を使うか、お寺で行っていました。 普段行くことのないお寺の中を見ることができる貴重な機会でした。 本堂の仏像などを見ることができ、子供ながら、宗教というものがあるのだと、なんとなく...
夜中のうちに祖父の遺体は家に運ばれていました。 座敷に敷かれた布団の中に横たえられていましたが、なんだか知っている祖父よりもずっと小さく見えました。 なにかが抜け出て、しぼんでしまっているようでした。 朝からよい天気だったことを覚えています。 祖母は祖父の枕元に...
入退院を繰り返していた祖父の容態が急に悪くなりました。 母や祖母が付き切りで看病する日が続いたので、僕や妹の世話をするために、母方の祖父母が家に来てくれていました。 母方の祖父母は本当に優しくて、僕や妹は安心して過ごしていたのですが、夜などは寂しくなりました。 あ...
多摩丘陵にははるか昔から人が住んでいる。縄文時代から住んでいるのだ。 遺跡、史跡もたくさんある。歴史好きにはたまらない。 面白い地名もある。意味がわかりそうでわからないものもある。 例えば五月台駅から歩いて行ける地域の地名、五力田(ごりきだ)がそうである。 なんだ、五力田とは。...
小学校高学年の頃の思い出を綴ります。 家族や自分自身の生活が変化し始めた時期です。 色々と自分なりの考え方をするようになっていきました。 それでもまだまだ子供でしたが。 今思えば、僕は、子供の頃一緒にいた祖父の年齢とほぼ同じになっています。 そして、普段やって...
学校には図書室という部屋があって、たくさんの本が並べられているということを知りました。 それ以来、図書室は学校の中での一番のお気に入りの場所になりました。 小学校は木造の校舎で、炭鉱での採掘が盛んだった頃に建てられていたもので、とても大きな建物でした。 職員室のある...
いわゆる早生まれだったので、同級生の中で小さい方でした。 ずっと家の周りで遊んでいただけなので、体力もありません。 それで、通学で歩いて学校まで行けるかどうか、心配されました。 そのくらい、頼りない小学1年生でした。 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (...
多摩丘陵では自然が多い。里山暮らしも可能である。五月台は新百合ヶ丘の一つ隣の駅。憧れの新百合ヶ丘に近い。小田急多摩線で、たったの一駅しか離れていないのだ。 しかし、そこはもう多摩丘陵。小田急多摩線はしばらく尾根伝い、あるいは尾根の近傍を走る。尾根周辺の平らな部分に線路を敷いてい...