わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえているならば、堪え忍ぶ心が弱まると困るから。
助動詞「る」「らる」 ―コントロールできない現象― 自発・受身・尊敬・可能
助動詞「る」「らる」は、本質的には「コントロールできない」ということです。「る」「らる」がつくことによって、その動詞は、こちら側が恣意的に操作できない現象・運動であることを示します。
「頭(かしら)」「付く」から「かしづく」になったと言われます。「頭が床につくほど敬意を示して取り扱う」ということから、「(尊い人を)大切にする」という意味合いになります。対象が養育すべき子どもであれば、①「大切に育てる」、対象が大人であれば、②「大切に世話をする」という訳し方をします。
動詞「おもふ」に、上代の尊敬の助動詞「す」がついて、「おもはす」となったものが、「おもほす」「おぼほす」「おぼす」と変化しつつ一語化しました。成り立ちのとおり、「思ふ」の尊敬表現であり、「お思いになる」と訳します。
動詞「負ふ(おふ)」に、使役の助動詞「す」がついて、「おほす」となりました。そのため、根本的な意味は「(責任・任務・使命などを)背負わせる」ということであり、「命じる」「言いつける」などと訳します。もともとは敬語ではありませんが、通常、「責任・任務・使命」などを与える側の人間のほうが偉いので、実質的には上下関係を成立させる動詞になります。そのことから、次第に敬語のように扱われていきました。
動詞「聞く」に、上代の助動詞「ゆ」がついて、「聞かゆ」となったものが、「聞こゆ」と音変化しながら一語化しました。「ゆ」は「自発」を意味しましたので、「聞こゆ」というのは、「聞こえる」という意味になります。「世間に聞こえる」という文脈であれば、「評判が高い」などと訳します。
『落窪物語』の一節です。ポイントは、副詞「かたみに」、敬語動詞「聞こゆ」、敬語動詞「たまふ」、接尾語「み」です。
形容詞の語幹について、「~ので」という意味になる用法が、よく和歌に使用されますね。「瀬をはやみ(川瀬が速いので)」とか、「潟をなみ(干潟がないので)」とかいったように、「名詞+を」+「形容詞語幹+み」の構文になることが多いです。
御死にもやしたまひけむ、え見つけたてまつらずなりぬ。(竹取物語)
『竹取物語』の一節です。ポイントは、動詞「す」、敬語動詞「たまふ」、助動詞「けむ」、副詞「え」、敬語動詞「たてまつる」、助動詞「ず」、動詞「なる」、助動詞「ぬ」です。
動詞「得(う)」の連用形「え」が副詞化したものです。「得」は「手に入れる」ということですから、「やりかたをつかんでいる」とか、「ほしいままにする」というような意味合いになります。もともとは「うまくできる」という意味で用いられましたが、平安時代には下に打消表現を伴う用法だけになっていき、もっぱら「できない」の意味で用いられました。
『竹取物語』の一節です。ポイントは、名詞「年頃」、動詞「見ゆ」、敬語動詞「たまふ」、連語「けるなりけり」です。
助動詞「べし」は「推量」「意志」「可能」「当然」「命令」「適当」など、多様な意味の区別があります。
「三つをば奉らむ。」といひて、既に分かつべかりけるとき、(沙石集)
『沙石集』より「いみじき成敗」の一節です。ポイントは、敬語動詞「奉る」、助動詞「ん」、副詞「既に」、助動詞「べし」です。
「ことが落ち着く」という意味の「澄む」に「て」「に」がついて、やがて「すでに」という表現になったという説があります。そのことから、古い時代には①の意味で用いられました。漢文の「既き」を訓読する際にこの「すでに」を用いたので、「既」の文字が担っていた②の意味でも用いられるようになったようです。
「託言(かこと)」という名詞がありまして、それが動詞化したものが「かこつ」だと言われています。「託言」は、「(責任・原因などを)他者に託す言葉」ということであり、「言い訳」「口実」あるいは「非難」「言いがかり」などの意味になります。「かこつ」は、それらを「動作」に置き換えて訳せばOKです。
『沙石集』の一節です。
「ゆく」は擬態語で、「ゆくゆく」「ゆくらゆくら」「ゆくりか」など、いくつかの語になっていきました。これらは「動揺する様子」「安定しない様子」「揺れ動く様子」などを示しています。「ゆくりなし」は、そういった「動揺」や「不安定」を導くような「突然」で「不意」の出来事に用いられるようになりました。「ゆくりなし」の「なし」は、「無」ではなくて、「はなはだしくそのようである」という意味の接尾語です。
動詞「むつかる」と同根の形容詞です。現代語では「赤ちゃんがむずがる」などと使いますね。何かを不快に思って機嫌を損ねていることです。「むつかし」はそれの形容詞版なので、中心的な訳語は「不快だ」がよいです。
「正(まさ)」が「無し」であるので、基本的には「よくない意味」になります。漠然と「正しくない」というニュアンスであれば①の意味になります。「正しい態度ではない・正義の行いではない」という文脈であれば②の意味になることもあります。
名詞「もの」に、格助詞「から」がついたものです。平安時代は主に①「逆接の用法」として用いられましたが、中世に入ると、②「順接の用法」が出現しはじめて、近世には②が主流になりました。江戸時代の作品であれば②の意味になりますが、平安・鎌倉期の作品であれば①で訳しましょう。
「道長が家より帝・后立ちたまふべきものならば、この矢当たれ」と仰せらるるに、同じものを中心には当たるものかは。(大鏡)
『大鏡』より「南院の競射」の一節です。ポイントは、「帝・后立ちたまふ」、助動詞「べし」、接続助詞「ば」、最高敬語「仰せらる」、終助詞「ものかは」です。
もとは、形式名詞「もの」に、反語の「かは」がついたものです。そのため、「~であるものか、いや、~ではない。」というように、反語の文意で訳すのが基本です。
代名詞の「そこ」と、量や程度を示す接尾語である「ら」が一語化したものです。もともとは、「おおよそそのくらい」という「漠然とした数」を示していましたが、やがて、「はっきり数えられないほど多い」という意味合いで用いられました。
藤原伊周(帥殿)が、父である藤原道隆(関白殿)の南院で「弓の競射」を催した時に、藤原道長がふと訪れたときのお話です。「道隆」は「道長」のお兄さんなので、「道長」からみれば「伊周」は「甥っ子」にあたる存在ですが、このとき伊周は、道長(権大納言
ぬしの御年は、おのれにはこよなくまさりたまへらむかし。(大鏡)
『大鏡』の一節です。ポイントは、形容詞「こよなし」、敬語動詞「たまふ」、助動詞「り」、助動詞「む」、終助詞「かし」です。
成り立ちははっきりしませんが、「越ゆなし」から「こよなし」になったという説があります。「越ゆ」が「無し」なので、「越えるものがない」ということになりますね。そのことから、「この上ない」「格別だ」「段違いだ」という意味で用いられます。 主に肯定的な文脈で「ほめ言葉」として使用されますが、下に「けなし言葉」がある場合には、むしろ「とんでもなくダメだ」という逆の評価に用いれます。
「事」「割り」から「理(ことわり)」という名詞が生成され、それが動詞化したものが「ことわる」です。「事」を「割る」ということは、「中身を分析する」とか、「道理を明らかにする」という行為になりますね。そのことから、基本的には「判断する・判定する」という意味が中心になります。その「判断」や「判定」を、根拠を持って人に伝える場合には、「説明する」という訳になります。
『大鏡』より、「雲林院の菩提講」(先つ頃~)の現代語訳です。大宅世継(190歳)と夏山繁樹(180歳)が話し始める場面です。
漢語の「優(いう)」に「なり」がついたものです。「優」という文字のとおり、「優れていて立派だ」という意味で使用されます。「いうなり」「いうに」などとひらがなで書かれていることも多いので、「優」という漢字をイメージできるかどうかがカギですね。
いとしもおぼえぬ人の、おし起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。(枕草子)
『枕草子』の一節です。ポイントは、副詞「いと」、副助詞「しも」、動詞「おぼゆ」、助動詞「ず」、副詞「せめて」、形容詞「いみじ」、形容詞「すさまじ」です。
「おほどかなり」は、「おおらかな様子」を示すほめ言葉です。「おほどく」という動詞もありまして、それも「おおらかさをそなえる」という意味になります。「おいらかなり」と意味が似ていますが、「おいらかなり」のほうは、「不必要に波風を立てない」という「平静さ」のニュアンスを持つのに対し、「おほどかなり」は、多少の波風があっても受け入れられるような「器の広さ」を示しています。
「老い」からきていると言われる形容動詞です。一般的に、老いた者(年齢を重ねた大人)のほうが活動が平坦ですので、「穏やかだ」「おっとりしている」などと訳します。
「すさまじ」の「すさ」は、「荒む(すさむ)」「荒ぶ(すさぶ)」の「すさ」と同じものです。日本神話の「スサノヲ」の「スサ」も同根のことばだと言われています。
「今めかし」は、動詞「今めく」と同根の語です。「~めく」は接尾語で、「~のようになる」「~らしくなる」ということですから、「今めく」というのは、「今風になる」「当世風に振る舞う」といった意味になります。「今めかし」は、その形容詞版です。基本的には、「目新しくてしゃれている」「今風で華やかだ」などと訳します。
動詞「なつく」が形容詞化したものです。基本的には目の前にあるものに対して「近くにいたい」という心情を表す言葉です。そのことから、「魅力的だ」「かわいい」といった意味でも使われるようになりました。かつてあったことを懐かしむ③の意味は、中世に入ってからの用法であり、現代語と同じなので、古文の問題の場合は、①②の訳し方になりますね。
「惜し(をし)」は「名残惜しい」「手放しにくい」という意味です。「口」は当て字であり、「くち」の由来は「朽ち」「心地」などの説があります。「朽ち」だとすると、「ダメになったもの」に対して「惜しい」と思っていることになりますね。あわせると、「くち」+「をし」は、「期待に反する現象」に対しての「落胆や失望」を意味していると考えられます。そこで、「残念だ」「つまらない」などと訳すのですね。
「い」は、「眠ること」を意味する名詞で、漢字で書くと「寝(い)」です。名詞の「寝(い)」は、単独で使用されることはなく、「安寝(やすい)」「熟寝(うまい)」という熟語になったり、「寝を寝ず(眠らない)」「寝も寝られず(眠れない)」といったように、慣用句の一部として使用されたりします。
漢語の「念」に、サ行変格活用「す」がついて一語化した動詞です。「念」には、もともと神仏にまつわる気持ちが根底にあり、「念願」「念仏」など、現在でも使用される言葉です。「念ず」は、「神仏に対しての気持ちを強く持つ」という意味合いになるので、「祈る」「祈願する」という意味で使用されます。
形容詞「清し」の語幹に、見た目や様子を示す「げ」がついて形容動詞化したものです。あくまでも「様子」に対してのほめ言葉なので、第一級のほめ言葉である「清らなり」に比べると、ランクの落ちることばです。そのため、「清らなり」は、神仏などの超越的な存在、皇室、超上位層の貴族などに用いるのに対し、「清げなり」は、身分がそれほど高くない人にも使用します。
形容詞「清し」の語幹に接尾語「ら」がついて形容動詞化しました。意味は「美しい」ということなのですが、内側からにじみ出るような第一級の美を示す語であるため、身分やオーラなどが第一級の人物にしか用いられません。訳も単純に「美しい」とするのではなく、「上品で」「清らかで」「輝くように」などといった語を伴うことが多いです。
形容詞「清し」の語幹に接尾語「ら」がついて形容動詞化しました。意味は「美しい」ということなのですが、内側からにじみ出るような第一級の美を示す語であるため、身分やオーラなどが第一級の人物にしか用いられません。訳も単純に「美しい」とするのではなく、「上品で」「清らかで」「輝くように」などといった語を伴うことが多いです。
「~かぬ」という補助動詞がありまして、「かなし」も同根のことばだと言われます。「~かぬ」は、不可能を表し、何かを堪えたり、押しとどめたりすることができないという文意で使用されます。「かなし」も似たように、「ある対象に対するあふれる気持ちを押しとどめることができない」という意味合いです。具体的には、「(a)大切な人に対する愛情」または「(b)死別などにおける悲哀」などを意味します。
「いやがる」という意味の「厭ふ(いとふ)」が形容詞化したという説が有力です。「不遇な人」を見ることは心が痛みますから、「嫌なこと」ですよね。そのことから、「(見ているのが心苦しくていやになるほど)気の毒だ・かわいそうだ」という意味になります。
「いやがる」という意味の「厭ふ(いとふ)」が形容詞化したという説が有力です。「不遇な人」を見ることは心が痛みますから、「嫌なこと」ですよね。そのことから、「(見ているのが心苦しくていやになるほど)気の毒だ・かわいそうだ」という意味になります。
「労(らう)」に「甚し(いたし)」がついた「ろういたし」が、「ろうたし」となりました。「いくらでも苦労したいと思える対象」に用いやすい形容詞です。子どもなど、保護が必要な存在に使用することが多く、「かわいらしい」「いとしい」などと訳します。
意味① 残念だ・がっかりだ② 不本意だ・意に沿わないポイント「本意」は、もともとは「ほんい」ですが、撥音「ん」を表記しないことから、そのまま「ほい」と読むようになったようです。「本」は「かねてから」ということで、「意」は「したいこと」ですか
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わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえているならば、堪え忍ぶ心が弱まると困るから。
心ならずもこのはかない現世に生きながらえるならば、恋しく思い出されるにちがいない、そんな夜更けの月だなあ。
(あなたが来ないとわかっていれば)ためらわずに寝てしまっただろうに。(あなたを待っているうちに)夜が更けて、とうとう西にかたむくまでの月を見たことだよ。
もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし 和歌 (百人一首66) もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 前大僧正行尊 『金葉和歌集』 歌意 私がおまえをしみじみいとしいと思うように、おまえ
つつみ隠していたけれど、顔色や表情に出てしまっていたのだなあ、私の恋は。恋のもの思いをいているのかと、人が尋ねるくらいまで。
こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか 和歌 (百人一首41) 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見 『拾遺和歌集』 歌意 恋をしているという私のうわさは早くも立ってしま
『沙石集』より、「歌ゆゑに命を失ふ事」の現代語訳です。
『平家物語』より、「忠度の都落ち(ただのりのみやこおち)」の現代語訳です。
「こそあらめ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の未然形+助動詞「む」の已然形です。「こそあれ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の已然形です。どちらも、多くは「逆接構文」をつくるので、基本的には「~けれど」という逆接のかたちで訳しましょう。
『平家物語』より、「能登殿の最期」です。
「おきつ」の「おき」は、「置く」と同根と言われています。「これからしようとすることを心の中に置く」というイメージであり、実際、「おもひおきつ」「おぼしおきつ」のかたちで使われることが多いです。
『大鏡』より、「行成の器量」「行成とこま」の現代語訳です。 「行成」は「藤原行成」のことです。能書家の達人として、小野道風・藤原佐理・藤原行成を「三蹟(三跡)」といいます。 空海・嵯峨天皇・橘逸勢の「三筆」っていうのも日本史で出てきたね。
漢語「労」を重ねて形容詞化したことばだと言われています。「労」は「年功・熟練」などを意味し、多くの経験を積んだがゆえの「物慣れた巧みさ」を示しています。そういった「熟達性」は、周囲からすると気品があって美しく見えますので、「上品だ」という意味でも用います。なお、「老老じ」を語源とする説もあります。あるいは、「リョウリョウジ」と記す写本もあることから、「良良じ」を語源とする説もあります。
動詞「侮る(あなづる)」が形容詞化したものです。「あなづる」の「軽蔑する・見下げる」という意味がそのまま生きているのが(1)の意味です。「軽く扱ってよい」ということは、「敬意を持たなくてよい」ということなので、やがて「遠慮しなくてよい」「気を遣わなくてよい」という意味でも使われるようになりました。それが(2)の意味です。
「しる(知る・領る)」に、尊敬の「す」がついた「しらす」という語がありましたが、さらに「召す」が付くことによって、非常に高い敬意を示す語として用いられました。もとは「しらしめす」ですが、中古以降は「しろしめす」と言いました。もともと「しる」には、主に「知る/(領地などを)治める」という意味がありますので、その尊敬語として考えておけばOKです。
「たぎたぎし」という語から転じた語という説があり、その場合「怠」は中世以降の当て字といわれます。「たぎたぎし」の「たぎ」は、岩肌を屈折しながら落ちる「滝」と同根で、「道のりが屈折している」「道がデコボコである」「足がぎくしゃくする」といった意味になります。「デコボコ道」を進んでいくことが面倒で困ることであるように、(1)「不都合だ」という意味で使用されます。そういった「平らかに物事が進行しない」状況に対して非難めいた気持ちを込めて用いる場合には(2)「もってのほかだ・とんでもない」と訳します。その説とは別に、漢語「怠」を重ねて成立したという考え方もあります。
『栄花物語』より、「今さらのご対面」の現代語訳です。
つげる! 意味 (1)言う・告げる・宣言する ポイント 主に上代につかわれたことばでです。「言う」と訳して問題ありませんが、「普通のことば」ではなく、「神聖なものにかかわる呪力をもった発語」に用いられました。もともとは神が大切なことばを表明
『栄花物語』より、「世の響き」の現代語訳です。
『大鏡』より、「宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご)」の現代語訳です。
助動詞「つ」に、願望を示す終助詞「しか」がついて、さらに、詠嘆を示す終助詞「な」がついたものだと言われています。単純な希望(願望)というよりは、実現が困難なことや、普通に考えると不可能なことについて、「~したいものだなあ」と望む場合に用いられます。ベースとなっている終助詞「しか」だけで「願望(希望)」を示すのですが、「しか」は、過去の助動詞「き」の連体形「し」に、疑問や感動(詠嘆)を表す「か」がついたという説があります。
『枕草子』の一節です。ポイントは、副詞「いかで」、助動詞「けり」、動詞「見ゆ」、連語「にしがな」、動詞「おぼゆ」です。
ラ変動詞「あり」に、推量の助動詞「む」が接続詞、「あらむ」となったものから、「あ」が欠落して「らむ」となり、一語の助動詞として認識されていったものだと考えられています。「む」が主に「未来」を推量するものであるのに対して、「現在」を推量するものが「らむ」であり、「過去」を推量するものが「けむ」です。
『徒然草』の一説です。ポイントは、感動詞「あな」、副詞「などか」、助動詞「けん」、連語「なむ」です。
過去の助動詞「き」の古い未然形「け」に、推量の助動詞「む」がついて一語化したものと考えられています。過去のことを推量する場合は「けむ」、現在のことを推量する場合は「らむ」、未来のことを推量する場合は「む」を用います。
『宇治拾遺物語』より「児のそら寝」を教材にして、動詞の活用行を確認しましょう。
『宇治拾遺物語』より「ちごのそら寝」の現代語訳です。
「憂鬱」の「憂」のイメージどおりの形容詞です。動詞「倦む(うむ)」と同根のことばと考えられています。思い通りにいかないことに対しての「嫌になってしまっている状態」を示します。訳としては、「つらい・嫌だ」といったように、心情語として訳すことも多いです。
『徒然草』の一節です。ポイントは、形容詞「心うし」、動詞「おぼゆ」、連語「かちより」、動詞「まうづ」、助動詞「けり」です。
「憂し(うし)」に「心」がついたものが「心憂し」です。
『大和物語』の一節です。ポイントは、副詞「いと」、形容詞「むつかし」、形容詞「心もとなし」、敬語動詞「はべり」、動詞「参る」、完了「つ」です。
意味① 【完了】 ~てしまう・~た② 【確述・確認・強意】 きっと~・たしかに~③ 【並列】 ~たり、~たりポイント助動詞「ぬ」については、「つ」とセットで考えるとよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【完了】 ~てしまう・~た② 【確述・確認・強意】 きっと~・たしかに~③ 【並列】 ~たり、~たりポイント助動詞「つ」については、「ぬ」とセットで考えるとよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【自発】 自然と・ふと~② 【受身】 ~れる・~られる③ 【可能】 ~できる *主に打ち消しの文脈で使用➃ 【尊敬】 お~になる・~なさるポイント助動詞「らる」については、「る」といっしょに考えたほうがいいので、まとめたページをご
意味① 【自発】 自然と・ふと~② 【受身】 ~れる・~られる③ 【可能】 ~できる *主に打ち消しの文脈で使用➃ 【尊敬】 お~になる・~なさるポイント助動詞「る」については、「らる」といっしょに考えたほうがいいので、まとめたページをご
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「しむ」は、「す」「さす」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「さす」は、「す」「しむ」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「す」は、「さす」「しむ」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
『大和物語』の一節です。ポイントは、名詞「みだり心地」、動詞「おこたる」、動詞「はつ」、助動詞「ず」です。
助動詞「む」のク語法未然形「まく」に、「欲し」がつき、「まくほし」となったものが、「まほし」になっていったと考えられています。「む(まく)」によってイメージされている状態を「欲している」ことになりますので、「したい」「てほしい」という「希望」を表すことになります。