chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ふうちゃんのお城ブログ https://blog.goo.ne.jp/fuhchan2399

お城巡りについての記録 日本100名城、続日本百名城、その他のお城。城郭検定等について掲載しています。

fuhchan2399
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/12/09

  • 第68回ふうちゃんお城ブログ 江戸無血開城と洗足池

     今から155年前の4月11日は江戸城が無血開城された日です。ウクライナとロシアの戦争をみるにつけ無血開城がいかに意義あることであったかがわかります。今、こうしている間にも有能な人材の命が失われているからです。 お花見の名所として知られる大田区南千束の洗足池(東急池上線洗足池下車徒歩0分)には、江戸無血開城の立役者勝海舟夫妻の墓があります。海舟が建てた無血開城のもう一人の立役者西郷隆盛の留魂洞と留魂詩碑もあります。海舟は西南戦争で被った西郷の不名誉の回復に貢献しています。そして、洗足池には、大田区立勝海舟記念館あります。勝海舟の記念館は日本ではここだけだそうです。なぜ、大田区の洗足池に勝海舟記念館があるのでしょうか。 それは、開城の前々日と前日に江戸無血開城の細部の打ち合わせに、官軍と池上本門寺で会うため...第68回ふうちゃんお城ブログ江戸無血開城と洗足池

  • 第67回ふうちゃんのお城ブログ 阿波踊りと徳島城

    わたしが昨年9月お城の授業を行った東京都杉並区の小学校で昨年12月に阿波おどりの講習会(授業)が行われました。講師は高円寺阿波おどりシルバー連の方です。わたしも参加しました。実は阿波おどりについて、学生時代の思い出があります。当時、わたしは、カニ族をしていました。カニ族とは横長のリュックを背負い、国鉄の均一周遊券(指定地域の急行、特急の自由席が期間内は何回でも乗れた)を片手にユースホステルなど安い宿を泊まり歩く旅行者をそう呼びました。蟹の横歩きのスタイルに似ていたからでしょう。わたしも、北海道、東北を巡り、このときは四国に行きました。徳島県の日和佐ユースに泊まったときミーティング⦅ユースホステルのペアレント(主催者)を中心に宿泊者が夕食後に集う会合⦆で阿波おどりを踊りました。ペアレントの森さんが阿波おどり...第67回ふうちゃんのお城ブログ阿波踊りと徳島城

  • 第66回ふうちゃんのお城ブログ 町田市の町内会での講演

    19日(日)東京都町田市の町内会で講演をさせていただきました。演題は「小学生にもわかるお城の話」でした。主催者から所感をLINEでお寄せいただきました。 『「小学生にもわかるお城の話」「お城の話で交流会」を、地元ゆかりの伊東冨士雄先生をお招きして開催しました。(*かつてわたしは町田市教育委員会と玉川大学に勤務したことがあります)先生から「現存12天守」の授業を受け、参加者全員が「お城」にまつわる様々な思いを語り合い、笑顔で楽しい時を過ごしました。「日本には約3万の城があるといわれている」「国宝の天守は5城ある」「天守や櫓だけがお城ではない」等々、会場からは「へー、そうなんだ!」との声が聞こえました。現存12天守は天災や戦災に耐えて「400年間生き延びた」ものであり、「城」は殿様だけを守るものでなく領民を守...第66回ふうちゃんのお城ブログ町田市の町内会での講演

  • 第65回ふうちゃんのお城ブログ ーふうちゃんのファミリーヒストリー(江戸城の石垣)

    東京都大田区本羽田に羽田山長照寺という日蓮宗のお寺があります。創建は1550から98年といわれている古刹です。ふうちゃんの菩提寺です。このお寺の墓地の3分の1が「伊東」家なのです。羽田空港のある大田区羽田には「伊東」という姓が多いのです。友人が校長をしていた大田区羽田小学校(ふうちゃんの両親の母校)では伊東姓の子どもはファーストネームで呼ばれています。 一般に、「お名前は」と聞かれて「いとう」と答えると「伊藤」と理解されることが多いです。わざわざ「東」の「いとう」ですと言わないと「伊東」と理解してもらえません。 このお寺を訪問し住職さんから羽田の伊東のルーツ「ふうちゃんのルーツ」についての話を聞きました。 住職さんの話を聞く前の羽田の「伊東」についてのふうちゃんの理解は以下の通りです。半島半島にある伊東の...第65回ふうちゃんのお城ブログーふうちゃんのファミリーヒストリー(江戸城の石垣)

  • ふうちゃんのお城ブログ号外

    ふうちゃんのお城ブログ「第64回小学生と江戸城訪問」が1000リアクションを達成しました。皆様のご支援のお陰です。本当にありがとうございます。今まで、本ブログで思いつくまま、お城について綴ってきました。子供たちにお城の楽しさを語ることをライフワークしていきたいわたしにとって、そのことを内容とした回で、今までで最も多いリアクションを頂けたことは存外の喜びです。これからもよろしくお願い致します。https://blog.goo.ne.jp/fuhchan2399/e/7cb180d8edf61d6c47d14e7107855988ふうちゃんのお城ブログ号外

  • 第64回ふうちゃんのお城ブログ 小学生と江戸城訪問

    あけましておめでとうございます。今年、初の投稿です。江戸城から始めます。(昨年終わりも江戸城でしたが) 江戸城大手門近く内堀・桔梗掘りからのオススメのアングルです。左から富士見櫓、桔梗門、巽櫓です。みな、現存の建物です。さて、先日、こんな手紙を小学校5年生からもらいました。「先生のおかげで江戸城の知らなかった知ることができて、とてもうれしかったです。特におどろいたのは江戸城の天守です。第二次世界大戦で焼けてしまったのではなく、明暦の大火でやけおちてしまったのですね。そして、天守を作り直さなかった理由がとてもいい理由で感動しました。」 昨年12月に、知人の小学校の先生の依頼を受けて小学校5年生とその保護者を江戸城を案内したのです。 また、別の子どもの手紙にも「江戸城のぼくがまったく知らなかったことや面白いこ...第64回ふうちゃんのお城ブログ小学生と江戸城訪問

  • 第63回 ふうちゃんのお城ブログ 皇居(江戸城)乾通り一般公開

    11月30日皇居乾通り一般公開に行きました。ふうちゃんのお目当てはやはりこれです。富士見櫓です。正面から富士見櫓を見ることができます。こちらから見ると加藤清正がつくったといわれる高石垣の上に乗っています。いつも東御苑から見ている北面はこれです。高い石垣の上に乗っているようにはみえません。北面には破風がありません。南面には、唐破風、千鳥破風があります。この富士見櫓の姿を見るには、今回のような特別公開、皇居一般参観(事前申し込み、当日受付整理券をもらう)に参加する必要があります。でも、今回の一般公開の本来のねらいは秋の風景、紅葉を愛でることにあるのでしょう。ご心配なく富士見櫓には紅葉がよく似合うのです。しかし、今回、乾通りを通っているふうちゃんが気付いたのは石垣の見事さです。大坂城に負けていません。城壁に二ヶ...第63回ふうちゃんのお城ブログ皇居(江戸城)乾通り一般公開

  • 第62回ふうちゃんのブログ 滝山城

    伊東潤の読書会のメンバーと10月1日に東京都八王子市にある滝山城に行きました。滝山城は続百名城です。八王子市には4つある東京の百・続百名城のうちの2つがあります。現在の滝山城は、北条氏照(小田原北条氏3代氏康の次男)が築いたと言われています。ここは滝山城の大手門への入口です。竹藪が両側にある坂道(天野坂)を上っていきます。その坂道がカーブしています。ここまで上ったとときどこか、ここと似た城に最近登ったことがあると感じました。両側に竹藪と曲がった坂道。おそらく、この坂道に違いない。そうです。小机城(横浜市港北区)です。北条氏が築城した城には共通点があるのでしょうか。(カメラに適当な写真がなかったので小机城まで写真を撮りに行ってきました。) さて、わたしは、滝山城は今回で3回目ですが、ぜひ、確認したいことがあ...第62回ふうちゃんのブログ滝山城

  • 弟61回 ふうちゃんのおしろぶろぐ

     https://blog.goo.ne.jp/kamii05/e/de59ffdc20bd26e7addf21f9b5019144弟61回ふうちゃんのおしろぶろぐ

  • 第60回 都内の城跡(志村城、高島秋帆砲台跡)

    東京都板橋区の志村にこんな空堀があるなんて驚きです。志村城です。管理状態も極めていいです。 熊野神社の西側(左手裏側)にこの空堀があるのです。解説はここにあります。.室町時代からのお城の歴史がつづられていますわたしが昨年12月に横浜で開かれたお城expoで求めた「東京の城めぐり」を参考に板橋区北区(城北地区)に詳しい大学時代の友人Oさんに案内してもらいました。わたしは大田区(城南地区)の出身なので、城北のことは殆ど知りません。この本を見ると百名城(江戸城・八王子城)・続日本100名城(滝山城・品川台場)以外に多くの城が東京にあることがわかります。この熊野神社があるところは二の丸で本丸は志村小学校があります。左奥のコンクリートの建物が志村小学校です。東京の小学校がお城の本丸にあるなんて驚きです。わたしが務め...第60回都内の城跡(志村城、高島秋帆砲台跡)

  • 第59回ふうちゃんのお城ブログ 現存12天守訪問記2

    現存12天守の続きです。 ⑦備中松山城天守です。現存12天守で山城なのは備中松山城だけです。松本城が平城で、その他10天守は平山城です。岩村城、高取城と備中松山城で日本三大山城と言われています。標高430mの臥牛山山頂付近に建っています。岩盤を利用して、その上に石垣を造りその上に天守を建てています。天守の1回に囲炉裏があることでも知られています。 最近の話題は何といっても、猫城主さんじゅうろうの存在です。飼い主がいる飼い猫でしたが、家出をしてお城に来ていまいました。一度飼い主の元に戻したのですが、再び家出をしてお城に来ていまいました。高梁市では、飼い主の了解を得て、お城で世話をすることになりました。タクシーの運転手さんの話では、さんじゅうろうに会うことをだけを目的に山道を歩いてお城にやってくる人が増えてい...第59回ふうちゃんのお城ブログ現存12天守訪問記2

  • 第58回ふうちゃんのお城ブログ ふうちゃんのお城検定入門(ふうちゃん小学生に授業)

    2022.9.16に都内の小学校で念願かなってお城の授業をしました。対象は4.5.6年生の希望者82名です。タイトルはふうちゃんのお城検定入門です。このようなパワポ資料で、プロローグを行います。お城大好きなあなたお城にきょうみのあるあなたこれからお城知りたいあなた大歓迎です。ここから本題に入ります。事前に提示した問題1,問題2の答え合わせをしていきます。4年生、5年生がいるので江戸時代について簡単に説明します。令和、平成、昭和、大正、明治、その前が江戸時代、今から4百年以上前という程度ですが。その時代を通して、残っているのが12天守(天守閣)お城の中心になる建物。これから12の天守の写真を一つずつ提示していきます。 ここから写真を提示しながらお城について話をすることがポイントになります。直木賞作家の今村翔...第58回ふうちゃんのお城ブログふうちゃんのお城検定入門(ふうちゃん小学生に授業)

  • 第47回ふうちゃんのお城ブログ 現存12天守 訪問記1

    現存12三階櫓について2回に渡って触れました。現存の天守についても2回に渡って触れてみようと思います。訪問して感じたこと、城郭検定で学んだ事などについて述べていきます。 ①1弘前城天守です。最初に建てた天守が落雷で炎上し、200年間天守のない時代ががありました。正保城絵図には、天守が失われていたために「てん守ノあと」との注記があります。現在の天守は1810年に建てられたものです。石垣の修理をするために曳家工法を使って70メートルずらしたところに現在建っている。工事終了後は元の位置に戻される予定です。この石垣工事に10年を要しています。名古屋城は天守を木造に建て替えると言っていますが、その土台となる石垣の修理をしてからということになると10年では済まないと思うのはわたしだけでしょうか。 ②松本城天守黒漆喰下...第47回ふうちゃんのお城ブログ現存12天守訪問記1

  • 第56回 ふうちゃんのお城ブログ 番外編 教材ウオッチング 嬬恋村愛妻の丘

    今回はお城ではなく群馬県嬬恋村愛妻の丘です。嬬恋村の「嬬恋」は日本武尊が東征の鳥居峠(長野県上田市と群馬県嬬恋村の県境)に立ち海神の怒りを鎮めるため海に身を投じた愛妻の弟橘媛を「吾嬬者耶」(あづまはや)「わがつまよ」と追慕した古事に因んでいます。 キャベツ畑に囲まれた愛妻の丘の展望台に夫が立ち妻に愛の言葉を叫ぶという行事が9月初旬に行われています。展望台は常設されていますのでいつでも叫ぶことができます。後ろの台が愛を叫ぶ展望台左の石の台がキャベチューする2人の位置を示す足形のある台です。展望台の近くに愛妻家テルミ原則の掲示があります。なかなか含蓄のある内容です。日常的に実践したいものです。ここに来るといつもそう思いますが。日常化は????としておきます。 さて、ここから教材ウオッチングです。この写真から嬬...第56回ふうちゃんのお城ブログ番外編教材ウオッチング嬬恋村愛妻の丘

  • 第55回ふうちゃんのお城ブログ 松代城(海津城)と川中島古戦場跡

    5月10日川中島古戦場跡(八幡原)と松代城(海津城)を訪ねました。松代城の本丸天守台の手前に海津城の石碑があります。松代城の歴史年表松代城は川中島の合戦のとき武田信玄・香坂弾正虎綱によって前線基地・策源地策源地海津城という名称で築城されたことが分かります。 川中島の合戦と言えばこの場面でしょう。第4次合戦の時謙信と信玄が直接対決しました。謙信が信玄に襲いかかり、信玄が軍配で防いだという場面です。謙信は三太刀したのですが、信玄の軍配には7太刀の跡があったというのです。また、こんな話があることもわかりました。執念の石という石があります。こんな話、現地を訪れなければわからないことでした。もうひとつ、おまけ。首塚です。「敵に塩を送る」として有名な話です。そのきっかけが、香坂弾正が敵味方の区別無く6000名の戦死者...第55回ふうちゃんのお城ブログ松代城(海津城)と川中島古戦場跡

  • 第54回ふうちゃんのお城ブログ千代ヶ岡陣屋跡

    お城訪問の話ではありませんが作家伊東潤との出会いについて書きます。6月20日(月)伊東潤「維新と戦った男大鳥圭介」を早朝の布団の中で読んでいました。P301からp302に差しかかったところで背筋がゾクゾクっとしました。わたしの歳になるとこんなことは、めったにありません。 松前城で榎本武揚が大鳥圭介にある男を紹介する場面です。 フロックコートの上に長マンテルをは羽織ったその男は、高い頬骨を誇るかのように海を見つめていた。それは獲物を探す鷹のようでもありまた、諦念の境地に達した高層のようでもある。「大鳥さんは、中島さんと初めてでしたか」「ああ初めてだ」「それは失礼しました」榎本が男を紹介すると、男は愛想笑い一つ浮かべず、ぶっきらぼうに名乗った。「元浦賀奉行所与力、中島三郎助。以後お見知りおきを」実は,わたしは...第54回ふうちゃんのお城ブログ千代ヶ岡陣屋跡

  • 第53回ふうちゃんのお城ブログ 高遠城

    5月6日(金)高遠城址公園で目にした光景です。地域の方が桜祭りの片付けをしていました。殆ど訪れている人はいませんでした。4月中に行われていた桜祭りの喧噪が嘘のような静けさでした。桜祭り開催中には町の随所に臨時の駐車場を設け多くの人を裁いていたことが交通規制図・駐車場案内図を見るとわかります。 でも、殆ど人のいないこの時が城郭ウオッチングには絶好の環境です。 ここでは、この城にある事物から2人の人物について触れて見ます。まず、仁科五郎信盛です。武田信玄の五男、勝頼の弟です。信盛を祀ったのが新城(信盛)神社です。高遠城本丸にあります。信盛は天正10年、信長の嫡男信忠率いる五万の兵と三千の兵で向かい撃ちましたが多勢に無勢、城は陥落し、自害したと伝えられています。織田軍が信濃侵入に際して武田軍が見せた唯一の徹底抗...第53回ふうちゃんのお城ブログ高遠城

  • 第52回 ふうちゃんのお城ブログ 鉢形城

    鉢形城に4月26日に行きました。伊東潤は「城を攻める城を守る」の中で鉢形城について「戦国の黎明から終焉まで、戦火の絶えることのなかった激戦地の一つ」と述べています。かかわった武将を思いつくままに挙げてみます。長尾景春(鉢形城の築城者小説「叛鬼」の主人公)上杉顕定(山内上杉氏)上杉定正(扇谷上杉氏)太田道灌(扇谷上杉氏・江戸城の築城者)伊勢盛時(北条早雲・小田原北条氏の始祖)武田信玄上杉謙信北条氏邦(小田原北条氏)前田利家上杉景勝真田昌幸本多忠勝(徳川家康家臣)など 武田信玄や上杉謙信をはじめ有名な戦国武将が続々と登場しています。 鉢形城は関越自動車道花園インターから約6kmの所にあります。わたしは東京の自宅から関越自動車道と上信越自動車道を使い軽井沢へよく行きます。城の勉強を始めて上記の事実を知って以来花園イン...第52回ふうちゃんのお城ブログ鉢形城

  • 第20回城郭検定ー傾向と対策ーその2(第23回ふうちゃんのお城ブログ)改訂版

    6月12日(日)の第20回の城郭検定を目指して、準備を進めている方が多いと思います。今回は1級、準1級、2級、3級が実施されます。前回、第22回ふうちゃんのお城ブログで触れたことに付け加えて第19回日本城郭検定ー傾向と対策ー(第22回ふうちゃんのお城ブログ)-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)以下のこともお伝えした方がよいと思い、書き始めました。準1級・1級受験準備ののために3部作をパソコンで作成しました。(勿論2級、3級受験でも役立ちます。)1過去問分析お城、2過去問分析お城重要語句3城郭検定で出題された数字 1過去問分析お城お城についての問題の要旨と回答を各城毎に整理しました。初めは、以下のように、書き留めておきたいお城を順に番号を振り、問題の要旨と回答を書いていきました。これが、1級試験合格時に...第20回城郭検定ー傾向と対策ーその2(第23回ふうちゃんのお城ブログ)改訂版

  • 第49回ふうちゃんのお城ブログ 江戸城と青梅街道

    本ブログの前回第48回で、杉並区立三谷小学校3年間の校長在任中に太田道灌と三谷小学校の位置との歴史的意味に気付くことが出来ず、今、後悔していることにふれました。https://blog.goo.ne.jp/fuhchan2399/e/e0c1f6b893a100eb621846f1ee68abd0同じようなことが平成14年(2002)4月から平成18(2006)年3月まで校長をしていた杉並第十小学校でもあったのです。杉並第十小学校の最寄り駅、地下鉄丸ノ内線東高円寺駅上に青梅街道があります。青梅街道の由来を書いた杉並区教育委員会作成の案内板が道路近くにあります。案内板は青梅街道の由来を紹介しています。徳川家康が江戸城(天守)修築の城壁用に武州多摩群の上成木村、北小曽根村(現青梅市)産出の石灰を運ぶ道を大久保長安に...第49回ふうちゃんのお城ブログ江戸城と青梅街道

  • 第51回ふうちゃんのお城ブログ 伊豆の地 韮山城と蛭ヶ小島

    鎌倉殿の13人に登場した頼朝の配流の地と言われる蛭ヶ小島に行きました。頼朝と政子の銅像がありました。茶店のご主人から、下のような地図を頂きました。韮山城への道を尋ねたときに渡されたものです。目指す韮山城は徒歩圏内です。この地図を見て、この地の歴史の奥深さに感動しました。わたしの教材ウオッチングの視点を活用しますと平安時代後期の平治の乱から幕末のお台場建設まで、社会科の教材となりうる可能性のある歴史的事物・事象(歴史的事実)がこの地図の中に凝縮しているからです。蛭ヶ小島(平安後期・平治の乱)政子産湯の井戸(平安後期)韮山城(室町時代)堀越公方(室町時代)願成就院(鎌倉時代)反射炉(江戸時代幕末)江川邸(江戸時代)平安時代後期から江戸時代幕末後期までよくこの伊豆の国市の一(いち)地域に揃ったものです。 そこで、この...第51回ふうちゃんのお城ブログ伊豆の地韮山城と蛭ヶ小島

  • 第50回 ふうちゃんのお城ブログ 興国寺城

    祝50回本ブログは発行50回を迎えました。 後北条氏5代を築き上げた伊勢新九郎盛時(北条早雲)が初めて城主となった興国寺城(静岡県沼津市根小屋)ついてのお話から始まることをうれしく思います。興国寺城(静岡県沼津市根小屋)の満開の桜がわたしを迎えてくれました。お花見をしている人もいました。伊勢新九郎盛時(北条早雲)は、今川氏の内訌を治め、そのにより功により富士下方(しもかた)十二郷を拝領し、本拠を興国寺城に定めました。現在のこのお城の素晴らしさは土塁の高さと大堀切の深さにあると思います。 土塁 本丸から大堀切を見下ろす 大堀切(少し降りてみた)諏訪原城の三日月堀も深いですがここ興国寺城もすごいです。 家来の命をを救った1万石城主天野康景お城は実際に現地に足を運ぶことで知ることがあります。この案内板には天野康景につ...第50回ふうちゃんのお城ブログ興国寺城

ブログリーダー」を活用して、fuhchan2399さんをフォローしませんか?

ハンドル名
fuhchan2399さん
ブログタイトル
ふうちゃんのお城ブログ
フォロー
ふうちゃんのお城ブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用