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ふうちゃんのお城ブログ https://blog.goo.ne.jp/fuhchan2399

お城巡りについての記録 日本100名城、続日本百名城、その他のお城。城郭検定等について掲載しています。

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2021/12/09

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  • 第78回ふうちゃんのお城ブログー浜松城を訪ねてー

    2019年12月25日。ふうちゃんは今まで見たことのない美しいお城を見ました。それは、浜松城の天守です。三方原に向かう路線バスの中からです。写真はありません。ふうちゃんの心の中に刻まれたママなのです。白内障の手術直後に初めて見たお城だったのです。今回、久しぶりに浜松城に行きました。可愛らしい天守をしっかりカメラに収めました。お城に行く前にはままつフラワーパークで行われている浜名湖花博2024に行きました。そこで、感動したのがこれです。遠くから見ると出世大名家康君が見えます。このような三角形の土地に花を植えていくのです。近くから見るとこんな感じにか見えません。遠くから角度を付けてみると初めのように家康君に見えます。花をどのように植えるのかデザイン(設計)しているのです。今の浜松城に行く前、曳馬(引馬)に行き...第78回ふうちゃんのお城ブログー浜松城を訪ねてー

  • ふうちゃんのお城ブログ更新・本作成についてのお知らせ

    江戸城天守台子供たちと小田原城を訪問して以来しばらく更新していません。先日、久しぶりに川越城に行きました。川越御殿です。現存する4つの御殿の内の一つです。次の計画を立てるための準備のためです。乞うご期待です。また、現在、今までのブロクをまとめて、本を作ろうとしています。城郭ウオッチングを通して学んだ事城郭検定を通して知識を得たことなどを中心にまとめようとしています。ふうちゃんのお城ブログ更新・本作成についてのお知らせ

  • 第77回 ふうちゃんのお城ブログ 小学生とその保護者を小田原城へ

    わたしが小学校の教員をしていた時の教え子が学習塾(幼児教室)を経営しています。4月に学習塾のアトラクションとして、お城の話を小学校の低・中学年にして欲しいとの依頼を受けました。今年の4月に現存12天守の話をパワーポイントを使ってしました。参加者から、実際にお城に見学に行きたいという要望がありました。小学生の低・中学年が初めてお城を見に行く。やはり、初心者には、天守(天守閣)があるお城らしいお城がいい。東京近郊で天守のあるお城。どこにあると思いますか。ありました。ありました。小田原城です。 ということで、12月17日(日)小田原城に行きまたした。 これはその報告です。 参加者は1年生から4年生までの小学生11名と保護者12名、そして、教え子とわたしです。小田原駅に現地集合。小学校の低・中学年が対象ですから、...第77回ふうちゃんのお城ブログ小学生とその保護者を小田原城へ

  • 第76回ふうちゃんのお城ブログ またまた江戸城!ちょっとオタクな江戸城巡り。

    大田区退職校長会歴史散歩部会より「10月20日(金)に江戸城めぐりを半日で実施したいから計画作成と当日の案内をして欲しい」という依頼がありました。ところが、金曜日は江戸城東御苑は休日なのです。大手門、平川門、本丸跡、天守台、百人番所、中之門、富士見櫓など定番の見学場所に行けないことを意味します。わたしが行きたいと思って、まだ行っていないところそれは、道三濠跡です。豊臣秀吉の命令で徳川家康が天正18(1590)年江戸にやってきて、初めて手掛けたのが道三壕の開削です。物資を輸送するための水路を作ったのです。和田蔵門の中には倉庫があったのです。 以下インターネットに載っている説明と地図です。道三堀天正18年(1590)に徳川家康の命により、江戸城へ江戸城建設の物資・生活用品を運ぶ船入堀として、江戸城の和田蔵門橋...第76回ふうちゃんのお城ブログまたまた江戸城!ちょっとオタクな江戸城巡り。

  • 第75回 ふうちゃんのお城ブログ またまた江戸城へ

    9月9日(重陽の節句)は、わたしの75歳の誕生日でした。後期高齢者になりました。これからも、城郭ウオッチング(城廻り)を友に、過ごしていきたいと思います。丁度タイミングがよいことに伊東潤読書会で江戸城に行くオフ会がありました。一列左からサイガさん伊東潤(黒シャツ)先生三列目2人目伊東冨士雄(白髪、リユック)午前中は地域運営学校の会議(現在の公の仕事)があったので午後からの参加となりました。講師のサイガさんの案内で新しいことを学びました。この土塁、どこにあると思いますか。わたしはこれを見たとき、先日訪れた前橋城の土塁を思い出しました。清水門から清水濠の向こうに高石垣が見えますが、石垣の向こう側にこの土塁があるのです。土塁を挟んであるのが機動隊の宿舎(代官町住宅)です。この住宅を挟んで皇宮警察と第一機動隊があ...第75回ふうちゃんのお城ブログまたまた江戸城へ

  • 第74回ふうちゃんのお城ブログ 宇都宮城

    宇都宮は餃子で有名です。新幹線を降りて、お城側の駅前の店に入りました。餃子ライスで腹ごしらえをしました。焼き餃子の焼き具合は見事でした。食後タクシーで宇都宮城址公園に向かいました。歴史の舞台として宇都宮城が登場することがあるのです。関東7名城の一つにもなっています。宇都宮城址公園の入口、おほり橋で下車します。宇都宮城址公園の掲示板の説明には、このように書いてあります。「ここは、近世宇都宮城の本丸のあったところです。宇都宮城址公園は、歴史資料や発掘調査結果に基づいて本丸の一部を復元、中心地市街の拠点づくり、防災の拠点づくりを3つの柱として整備したもので、復元した土塁、堀、櫓、土塀は江戸時代中期の姿を現代によみがえらせたものです。宇都宮城のはじまりは、平安時代の後期に築かれた館だと言われています。中世には宇都...第74回ふうちゃんのお城ブログ宇都宮城

  • 第73回ふうちゃんのお城ブログ 高崎城と前橋(厩橋まやばし)城

    朝ドラでは植物学者牧野富太郎をモデルとした槙野万太郎の生涯を取り上げています。玉川大学の研究室でご一緒したH先生が植物観察する様子を思い浮かべると、植物音痴のわたしにも、万太郎の植物観察の様子が実感を伴って伝わってくるように思われるから不思議です。 さて、ここからがお城の話です。城郭検定で「土居(土塁)上の樹木を一本ずつ調査し、その高さと樹種を描いた絵図が残っている城はどこか」という出題がありました。答えは高崎城です。この城郭検定の問題を通して、この絵図のことを知りました。城びと(日本城郭協会のhp)で調べてみました。【理文先生のお城がっこう】城歩き編第34回城内の樹木の役割1(shirobito.jp)加藤理文さんが次のようなことを書いていました。 高崎城(群馬県高崎市)では、文化14年(1817)に作...第73回ふうちゃんのお城ブログ高崎城と前橋(厩橋まやばし)城

  • 第72回ふうちゃんのお城ブログ 佐竹城と水戸城

    今、秋田県知事の佐竹氏のルーツを探ると茨木県常陸太田市になります。佐竹氏は、ここから水戸へ出て、江戸時代まで続きましたが、関ヶ原の合戦で日より見な態度が徳川家康の怒りを買い、秋田に移封されてしまい、現在に至っているということになる。佐竹は石田三成と仲が良く、秋田の久保田城には三成から送られた手水鉢あるくらいです。佐竹城は関東7名城の一つに挙げられています。関東7名城とは、水戸城、厩橋(前橋城)、宇都宮城、忍城、唐沢山城、金山城、箕輪城、佐竹城のことでです。水戸城の復元された大手門と二の丸隅櫓を見るために水戸を訪れたついでに佐竹(舞鶴)城まで、足を伸ばしてみました。ここは太田小学校の敷地内です。この一帯の山が太田城であったところであったとみてよさそうです。付近にある佐竹氏の氏神若宮八幡宮とそこから見える景色...第72回ふうちゃんのお城ブログ佐竹城と水戸城

  • 第71回ふうちゃんのお城ブログ 足利氏館・鑁阿寺(ばんなじ)足利学校

    4年ぶりの都小社OB会の研修旅行で足利氏館と足利学校にいきました。日本百名城の足利氏館を訪れるのは久しぶりです。掘と土塁に囲まれた方形の中世の武家館を味わうことができます。甲府市にある武田氏館の武田神社山口市の大内氏館米沢市の米沢城・上杉神社も同様な掘と土塁に囲まれた武家館です。掘と土塁と腰巻き石垣になっています。ここ足利氏館は鑁阿(ばんな)寺というお寺になっています。2013(平成25年)本堂が国宝になりました。屋根に唐破風があります。柱状の軒を支える組み物に特徴があるそうです。次は、お城ではありませんが足利学校です。日本で最も古い学校と言われています。前回足利氏館を訪ねたときには、時間の都合もありましたが足利学校は訪ねませでした。隣にある足利学校も中世の館のように掘と土塁で囲まれていることを今回改めて...第71回ふうちゃんのお城ブログ足利氏館・鑁阿寺(ばんなじ)足利学校

  • 第70回 ふうちゃんお城ブログ 茅ヶ崎城と小机城

    今回のお城めぐり初めて乗る電車で始まります。日吉、新横浜間を走る東急新横浜線です。わたしは、大岡山(奥沢・田園調布経由)から新横浜まで相鉄線西谷行きの電車に乗りました。小机城は今回が4回目、本ブログでも第2回第2回ふうちゃんのお城ブログ我が家から近い城(小机城)-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)第25回第25回ふうちゃんのお城ブログ城めぐり再開(小机城へ)-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)第62回第62回ふうちゃんのブログ滝山城-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)と3回にわたって取り上げています。今回は西曲輪(地図では本丸)と東曲輪(地図では二の丸)の間にあって土塁のように見えていた帯曲輪を取り上げます。帯曲輪です。矢倉(櫓)があったのですね。小机城の中では最も高いところ...第70回ふうちゃんお城ブログ茅ヶ崎城と小机城

  • 第69回ふうちゃんのお城ブログ 町田市小野路城をゆく

    東京都町田市の郊外小野路(おのじ)には里山風景が広がっています。今、人びとがここで生活を営んでいる風景があります。この近くに幕末に活躍した新撰組の近藤勇と土方歳三が剣道の稽古をするために小野路の小島家(現在は小島資料館)に通った道があります。関屋の切通です。調布(近藤)と日野(土方)から小野路に向かったのです。 目指す小島家(小島資料館) 小野路宿小野路の歴史について、小野路宿里山交流館で資料をもらいました。 小野路の歴史「小野路」の地名の由来については諸説あります。『大日本地名辞典』によると、平安時代の牧場地帯「小野牧」(現在の八王子から日野市・府中市・稲城市・多摩市・町田市北部)を含む地域)への入口、『武蔵名勝図』によれば、武蔵七等の一つ横山党の祖である小野氏との関係によるものと考えられ『鶴川村史』で...第69回ふうちゃんのお城ブログ町田市小野路城をゆく

  • 第68回ふうちゃんお城ブログ 江戸無血開城と洗足池

     今から155年前の4月11日は江戸城が無血開城された日です。ウクライナとロシアの戦争をみるにつけ無血開城がいかに意義あることであったかがわかります。今、こうしている間にも有能な人材の命が失われているからです。 お花見の名所として知られる大田区南千束の洗足池(東急池上線洗足池下車徒歩0分)には、江戸無血開城の立役者勝海舟夫妻の墓があります。海舟が建てた無血開城のもう一人の立役者西郷隆盛の留魂洞と留魂詩碑もあります。海舟は西南戦争で被った西郷の不名誉の回復に貢献しています。そして、洗足池には、大田区立勝海舟記念館あります。勝海舟の記念館は日本ではここだけだそうです。なぜ、大田区の洗足池に勝海舟記念館があるのでしょうか。 それは、開城の前々日と前日に江戸無血開城の細部の打ち合わせに、官軍と池上本門寺で会うため...第68回ふうちゃんお城ブログ江戸無血開城と洗足池

  • 第67回ふうちゃんのお城ブログ 阿波踊りと徳島城

    わたしが昨年9月お城の授業を行った東京都杉並区の小学校で昨年12月に阿波おどりの講習会(授業)が行われました。講師は高円寺阿波おどりシルバー連の方です。わたしも参加しました。実は阿波おどりについて、学生時代の思い出があります。当時、わたしは、カニ族をしていました。カニ族とは横長のリュックを背負い、国鉄の均一周遊券(指定地域の急行、特急の自由席が期間内は何回でも乗れた)を片手にユースホステルなど安い宿を泊まり歩く旅行者をそう呼びました。蟹の横歩きのスタイルに似ていたからでしょう。わたしも、北海道、東北を巡り、このときは四国に行きました。徳島県の日和佐ユースに泊まったときミーティング⦅ユースホステルのペアレント(主催者)を中心に宿泊者が夕食後に集う会合⦆で阿波おどりを踊りました。ペアレントの森さんが阿波おどり...第67回ふうちゃんのお城ブログ阿波踊りと徳島城

  • 第66回ふうちゃんのお城ブログ 町田市の町内会での講演

    19日(日)東京都町田市の町内会で講演をさせていただきました。演題は「小学生にもわかるお城の話」でした。主催者から所感をLINEでお寄せいただきました。 『「小学生にもわかるお城の話」「お城の話で交流会」を、地元ゆかりの伊東冨士雄先生をお招きして開催しました。(*かつてわたしは町田市教育委員会と玉川大学に勤務したことがあります)先生から「現存12天守」の授業を受け、参加者全員が「お城」にまつわる様々な思いを語り合い、笑顔で楽しい時を過ごしました。「日本には約3万の城があるといわれている」「国宝の天守は5城ある」「天守や櫓だけがお城ではない」等々、会場からは「へー、そうなんだ!」との声が聞こえました。現存12天守は天災や戦災に耐えて「400年間生き延びた」ものであり、「城」は殿様だけを守るものでなく領民を守...第66回ふうちゃんのお城ブログ町田市の町内会での講演

  • 第65回ふうちゃんのお城ブログ ーふうちゃんのファミリーヒストリー(江戸城の石垣)

    東京都大田区本羽田に羽田山長照寺という日蓮宗のお寺があります。創建は1550から98年といわれている古刹です。ふうちゃんの菩提寺です。このお寺の墓地の3分の1が「伊東」家なのです。羽田空港のある大田区羽田には「伊東」という姓が多いのです。友人が校長をしていた大田区羽田小学校(ふうちゃんの両親の母校)では伊東姓の子どもはファーストネームで呼ばれています。 一般に、「お名前は」と聞かれて「いとう」と答えると「伊藤」と理解されることが多いです。わざわざ「東」の「いとう」ですと言わないと「伊東」と理解してもらえません。 このお寺を訪問し住職さんから羽田の伊東のルーツ「ふうちゃんのルーツ」についての話を聞きました。 住職さんの話を聞く前の羽田の「伊東」についてのふうちゃんの理解は以下の通りです。半島半島にある伊東の...第65回ふうちゃんのお城ブログーふうちゃんのファミリーヒストリー(江戸城の石垣)

  • ふうちゃんのお城ブログ号外

    ふうちゃんのお城ブログ「第64回小学生と江戸城訪問」が1000リアクションを達成しました。皆様のご支援のお陰です。本当にありがとうございます。今まで、本ブログで思いつくまま、お城について綴ってきました。子供たちにお城の楽しさを語ることをライフワークしていきたいわたしにとって、そのことを内容とした回で、今までで最も多いリアクションを頂けたことは存外の喜びです。これからもよろしくお願い致します。https://blog.goo.ne.jp/fuhchan2399/e/7cb180d8edf61d6c47d14e7107855988ふうちゃんのお城ブログ号外

  • 第64回ふうちゃんのお城ブログ 小学生と江戸城訪問

    あけましておめでとうございます。今年、初の投稿です。江戸城から始めます。(昨年終わりも江戸城でしたが) 江戸城大手門近く内堀・桔梗掘りからのオススメのアングルです。左から富士見櫓、桔梗門、巽櫓です。みな、現存の建物です。さて、先日、こんな手紙を小学校5年生からもらいました。「先生のおかげで江戸城の知らなかった知ることができて、とてもうれしかったです。特におどろいたのは江戸城の天守です。第二次世界大戦で焼けてしまったのではなく、明暦の大火でやけおちてしまったのですね。そして、天守を作り直さなかった理由がとてもいい理由で感動しました。」 昨年12月に、知人の小学校の先生の依頼を受けて小学校5年生とその保護者を江戸城を案内したのです。 また、別の子どもの手紙にも「江戸城のぼくがまったく知らなかったことや面白いこ...第64回ふうちゃんのお城ブログ小学生と江戸城訪問

  • 第63回 ふうちゃんのお城ブログ 皇居(江戸城)乾通り一般公開

    11月30日皇居乾通り一般公開に行きました。ふうちゃんのお目当てはやはりこれです。富士見櫓です。正面から富士見櫓を見ることができます。こちらから見ると加藤清正がつくったといわれる高石垣の上に乗っています。いつも東御苑から見ている北面はこれです。高い石垣の上に乗っているようにはみえません。北面には破風がありません。南面には、唐破風、千鳥破風があります。この富士見櫓の姿を見るには、今回のような特別公開、皇居一般参観(事前申し込み、当日受付整理券をもらう)に参加する必要があります。でも、今回の一般公開の本来のねらいは秋の風景、紅葉を愛でることにあるのでしょう。ご心配なく富士見櫓には紅葉がよく似合うのです。しかし、今回、乾通りを通っているふうちゃんが気付いたのは石垣の見事さです。大坂城に負けていません。城壁に二ヶ...第63回ふうちゃんのお城ブログ皇居(江戸城)乾通り一般公開

  • 第62回ふうちゃんのブログ 滝山城

    伊東潤の読書会のメンバーと10月1日に東京都八王子市にある滝山城に行きました。滝山城は続百名城です。八王子市には4つある東京の百・続百名城のうちの2つがあります。現在の滝山城は、北条氏照(小田原北条氏3代氏康の次男)が築いたと言われています。ここは滝山城の大手門への入口です。竹藪が両側にある坂道(天野坂)を上っていきます。その坂道がカーブしています。ここまで上ったとときどこか、ここと似た城に最近登ったことがあると感じました。両側に竹藪と曲がった坂道。おそらく、この坂道に違いない。そうです。小机城(横浜市港北区)です。北条氏が築城した城には共通点があるのでしょうか。(カメラに適当な写真がなかったので小机城まで写真を撮りに行ってきました。) さて、わたしは、滝山城は今回で3回目ですが、ぜひ、確認したいことがあ...第62回ふうちゃんのブログ滝山城

  • 弟61回 ふうちゃんのおしろぶろぐ

     https://blog.goo.ne.jp/kamii05/e/de59ffdc20bd26e7addf21f9b5019144弟61回ふうちゃんのおしろぶろぐ

  • 第60回 都内の城跡(志村城、高島秋帆砲台跡)

    東京都板橋区の志村にこんな空堀があるなんて驚きです。志村城です。管理状態も極めていいです。 熊野神社の西側(左手裏側)にこの空堀があるのです。解説はここにあります。.室町時代からのお城の歴史がつづられていますわたしが昨年12月に横浜で開かれたお城expoで求めた「東京の城めぐり」を参考に板橋区北区(城北地区)に詳しい大学時代の友人Oさんに案内してもらいました。わたしは大田区(城南地区)の出身なので、城北のことは殆ど知りません。この本を見ると百名城(江戸城・八王子城)・続日本100名城(滝山城・品川台場)以外に多くの城が東京にあることがわかります。この熊野神社があるところは二の丸で本丸は志村小学校があります。左奥のコンクリートの建物が志村小学校です。東京の小学校がお城の本丸にあるなんて驚きです。わたしが務め...第60回都内の城跡(志村城、高島秋帆砲台跡)

  • 第59回ふうちゃんのお城ブログ 現存12天守訪問記2

    現存12天守の続きです。 ⑦備中松山城天守です。現存12天守で山城なのは備中松山城だけです。松本城が平城で、その他10天守は平山城です。岩村城、高取城と備中松山城で日本三大山城と言われています。標高430mの臥牛山山頂付近に建っています。岩盤を利用して、その上に石垣を造りその上に天守を建てています。天守の1回に囲炉裏があることでも知られています。 最近の話題は何といっても、猫城主さんじゅうろうの存在です。飼い主がいる飼い猫でしたが、家出をしてお城に来ていまいました。一度飼い主の元に戻したのですが、再び家出をしてお城に来ていまいました。高梁市では、飼い主の了解を得て、お城で世話をすることになりました。タクシーの運転手さんの話では、さんじゅうろうに会うことをだけを目的に山道を歩いてお城にやってくる人が増えてい...第59回ふうちゃんのお城ブログ現存12天守訪問記2

  • 第58回ふうちゃんのお城ブログ ふうちゃんのお城検定入門(ふうちゃん小学生に授業)

    2022.9.16に都内の小学校で念願かなってお城の授業をしました。対象は4.5.6年生の希望者82名です。タイトルはふうちゃんのお城検定入門です。このようなパワポ資料で、プロローグを行います。お城大好きなあなたお城にきょうみのあるあなたこれからお城知りたいあなた大歓迎です。ここから本題に入ります。事前に提示した問題1,問題2の答え合わせをしていきます。4年生、5年生がいるので江戸時代について簡単に説明します。令和、平成、昭和、大正、明治、その前が江戸時代、今から4百年以上前という程度ですが。その時代を通して、残っているのが12天守(天守閣)お城の中心になる建物。これから12の天守の写真を一つずつ提示していきます。 ここから写真を提示しながらお城について話をすることがポイントになります。直木賞作家の今村翔...第58回ふうちゃんのお城ブログふうちゃんのお城検定入門(ふうちゃん小学生に授業)

  • 第47回ふうちゃんのお城ブログ 現存12天守 訪問記1

    現存12三階櫓について2回に渡って触れました。現存の天守についても2回に渡って触れてみようと思います。訪問して感じたこと、城郭検定で学んだ事などについて述べていきます。 ①1弘前城天守です。最初に建てた天守が落雷で炎上し、200年間天守のない時代ががありました。正保城絵図には、天守が失われていたために「てん守ノあと」との注記があります。現在の天守は1810年に建てられたものです。石垣の修理をするために曳家工法を使って70メートルずらしたところに現在建っている。工事終了後は元の位置に戻される予定です。この石垣工事に10年を要しています。名古屋城は天守を木造に建て替えると言っていますが、その土台となる石垣の修理をしてからということになると10年では済まないと思うのはわたしだけでしょうか。 ②松本城天守黒漆喰下...第47回ふうちゃんのお城ブログ現存12天守訪問記1

  • 第56回 ふうちゃんのお城ブログ 番外編 教材ウオッチング 嬬恋村愛妻の丘

    今回はお城ではなく群馬県嬬恋村愛妻の丘です。嬬恋村の「嬬恋」は日本武尊が東征の鳥居峠(長野県上田市と群馬県嬬恋村の県境)に立ち海神の怒りを鎮めるため海に身を投じた愛妻の弟橘媛を「吾嬬者耶」(あづまはや)「わがつまよ」と追慕した古事に因んでいます。 キャベツ畑に囲まれた愛妻の丘の展望台に夫が立ち妻に愛の言葉を叫ぶという行事が9月初旬に行われています。展望台は常設されていますのでいつでも叫ぶことができます。後ろの台が愛を叫ぶ展望台左の石の台がキャベチューする2人の位置を示す足形のある台です。展望台の近くに愛妻家テルミ原則の掲示があります。なかなか含蓄のある内容です。日常的に実践したいものです。ここに来るといつもそう思いますが。日常化は????としておきます。 さて、ここから教材ウオッチングです。この写真から嬬...第56回ふうちゃんのお城ブログ番外編教材ウオッチング嬬恋村愛妻の丘

  • 第55回ふうちゃんのお城ブログ 松代城(海津城)と川中島古戦場跡

    5月10日川中島古戦場跡(八幡原)と松代城(海津城)を訪ねました。松代城の本丸天守台の手前に海津城の石碑があります。松代城の歴史年表松代城は川中島の合戦のとき武田信玄・香坂弾正虎綱によって前線基地・策源地策源地海津城という名称で築城されたことが分かります。 川中島の合戦と言えばこの場面でしょう。第4次合戦の時謙信と信玄が直接対決しました。謙信が信玄に襲いかかり、信玄が軍配で防いだという場面です。謙信は三太刀したのですが、信玄の軍配には7太刀の跡があったというのです。また、こんな話があることもわかりました。執念の石という石があります。こんな話、現地を訪れなければわからないことでした。もうひとつ、おまけ。首塚です。「敵に塩を送る」として有名な話です。そのきっかけが、香坂弾正が敵味方の区別無く6000名の戦死者...第55回ふうちゃんのお城ブログ松代城(海津城)と川中島古戦場跡

  • 第54回ふうちゃんのお城ブログ千代ヶ岡陣屋跡

    お城訪問の話ではありませんが作家伊東潤との出会いについて書きます。6月20日(月)伊東潤「維新と戦った男大鳥圭介」を早朝の布団の中で読んでいました。P301からp302に差しかかったところで背筋がゾクゾクっとしました。わたしの歳になるとこんなことは、めったにありません。 松前城で榎本武揚が大鳥圭介にある男を紹介する場面です。 フロックコートの上に長マンテルをは羽織ったその男は、高い頬骨を誇るかのように海を見つめていた。それは獲物を探す鷹のようでもありまた、諦念の境地に達した高層のようでもある。「大鳥さんは、中島さんと初めてでしたか」「ああ初めてだ」「それは失礼しました」榎本が男を紹介すると、男は愛想笑い一つ浮かべず、ぶっきらぼうに名乗った。「元浦賀奉行所与力、中島三郎助。以後お見知りおきを」実は,わたしは...第54回ふうちゃんのお城ブログ千代ヶ岡陣屋跡

  • 第53回ふうちゃんのお城ブログ 高遠城

    5月6日(金)高遠城址公園で目にした光景です。地域の方が桜祭りの片付けをしていました。殆ど訪れている人はいませんでした。4月中に行われていた桜祭りの喧噪が嘘のような静けさでした。桜祭り開催中には町の随所に臨時の駐車場を設け多くの人を裁いていたことが交通規制図・駐車場案内図を見るとわかります。 でも、殆ど人のいないこの時が城郭ウオッチングには絶好の環境です。 ここでは、この城にある事物から2人の人物について触れて見ます。まず、仁科五郎信盛です。武田信玄の五男、勝頼の弟です。信盛を祀ったのが新城(信盛)神社です。高遠城本丸にあります。信盛は天正10年、信長の嫡男信忠率いる五万の兵と三千の兵で向かい撃ちましたが多勢に無勢、城は陥落し、自害したと伝えられています。織田軍が信濃侵入に際して武田軍が見せた唯一の徹底抗...第53回ふうちゃんのお城ブログ高遠城

  • 第52回 ふうちゃんのお城ブログ 鉢形城

    鉢形城に4月26日に行きました。伊東潤は「城を攻める城を守る」の中で鉢形城について「戦国の黎明から終焉まで、戦火の絶えることのなかった激戦地の一つ」と述べています。かかわった武将を思いつくままに挙げてみます。長尾景春(鉢形城の築城者小説「叛鬼」の主人公)上杉顕定(山内上杉氏)上杉定正(扇谷上杉氏)太田道灌(扇谷上杉氏・江戸城の築城者)伊勢盛時(北条早雲・小田原北条氏の始祖)武田信玄上杉謙信北条氏邦(小田原北条氏)前田利家上杉景勝真田昌幸本多忠勝(徳川家康家臣)など 武田信玄や上杉謙信をはじめ有名な戦国武将が続々と登場しています。 鉢形城は関越自動車道花園インターから約6kmの所にあります。わたしは東京の自宅から関越自動車道と上信越自動車道を使い軽井沢へよく行きます。城の勉強を始めて上記の事実を知って以来花園イン...第52回ふうちゃんのお城ブログ鉢形城

  • 第20回城郭検定ー傾向と対策ーその2(第23回ふうちゃんのお城ブログ)改訂版

    6月12日(日)の第20回の城郭検定を目指して、準備を進めている方が多いと思います。今回は1級、準1級、2級、3級が実施されます。前回、第22回ふうちゃんのお城ブログで触れたことに付け加えて第19回日本城郭検定ー傾向と対策ー(第22回ふうちゃんのお城ブログ)-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)以下のこともお伝えした方がよいと思い、書き始めました。準1級・1級受験準備ののために3部作をパソコンで作成しました。(勿論2級、3級受験でも役立ちます。)1過去問分析お城、2過去問分析お城重要語句3城郭検定で出題された数字 1過去問分析お城お城についての問題の要旨と回答を各城毎に整理しました。初めは、以下のように、書き留めておきたいお城を順に番号を振り、問題の要旨と回答を書いていきました。これが、1級試験合格時に...第20回城郭検定ー傾向と対策ーその2(第23回ふうちゃんのお城ブログ)改訂版

  • 第49回ふうちゃんのお城ブログ 江戸城と青梅街道

    本ブログの前回第48回で、杉並区立三谷小学校3年間の校長在任中に太田道灌と三谷小学校の位置との歴史的意味に気付くことが出来ず、今、後悔していることにふれました。https://blog.goo.ne.jp/fuhchan2399/e/e0c1f6b893a100eb621846f1ee68abd0同じようなことが平成14年(2002)4月から平成18(2006)年3月まで校長をしていた杉並第十小学校でもあったのです。杉並第十小学校の最寄り駅、地下鉄丸ノ内線東高円寺駅上に青梅街道があります。青梅街道の由来を書いた杉並区教育委員会作成の案内板が道路近くにあります。案内板は青梅街道の由来を紹介しています。徳川家康が江戸城(天守)修築の城壁用に武州多摩群の上成木村、北小曽根村(現青梅市)産出の石灰を運ぶ道を大久保長安に...第49回ふうちゃんのお城ブログ江戸城と青梅街道

  • 第51回ふうちゃんのお城ブログ 伊豆の地 韮山城と蛭ヶ小島

    鎌倉殿の13人に登場した頼朝の配流の地と言われる蛭ヶ小島に行きました。頼朝と政子の銅像がありました。茶店のご主人から、下のような地図を頂きました。韮山城への道を尋ねたときに渡されたものです。目指す韮山城は徒歩圏内です。この地図を見て、この地の歴史の奥深さに感動しました。わたしの教材ウオッチングの視点を活用しますと平安時代後期の平治の乱から幕末のお台場建設まで、社会科の教材となりうる可能性のある歴史的事物・事象(歴史的事実)がこの地図の中に凝縮しているからです。蛭ヶ小島(平安後期・平治の乱)政子産湯の井戸(平安後期)韮山城(室町時代)堀越公方(室町時代)願成就院(鎌倉時代)反射炉(江戸時代幕末)江川邸(江戸時代)平安時代後期から江戸時代幕末後期までよくこの伊豆の国市の一(いち)地域に揃ったものです。 そこで、この...第51回ふうちゃんのお城ブログ伊豆の地韮山城と蛭ヶ小島

  • 第50回 ふうちゃんのお城ブログ 興国寺城

    祝50回本ブログは発行50回を迎えました。 後北条氏5代を築き上げた伊勢新九郎盛時(北条早雲)が初めて城主となった興国寺城(静岡県沼津市根小屋)ついてのお話から始まることをうれしく思います。興国寺城(静岡県沼津市根小屋)の満開の桜がわたしを迎えてくれました。お花見をしている人もいました。伊勢新九郎盛時(北条早雲)は、今川氏の内訌を治め、そのにより功により富士下方(しもかた)十二郷を拝領し、本拠を興国寺城に定めました。現在のこのお城の素晴らしさは土塁の高さと大堀切の深さにあると思います。 土塁 本丸から大堀切を見下ろす 大堀切(少し降りてみた)諏訪原城の三日月堀も深いですがここ興国寺城もすごいです。 家来の命をを救った1万石城主天野康景お城は実際に現地に足を運ぶことで知ることがあります。この案内板には天野康景につ...第50回ふうちゃんのお城ブログ興国寺城

  • 第48回 ふうちゃんのお城ブログ太田道灌と三谷小学校周辺・石神井城

    コロナで外出ができなかった2020年夏読書三昧の日々を過ごしていました。伊東潤の「叛鬼」を読みました。室町時代中期1477年関東平野を2分する長尾景春の乱が起きます。叛旗に長尾景春側の豊島泰経(石神井城)泰明(練馬城)兄弟と太田道灌(江戸城)の戦いの場面が描かれています。①「4月13日、道灌が豊島泰明の籠もる練馬城(西武園遊園地あったところ)に迫った。しかし、城の守りが堅いことを知った道灌は、練馬城下を焼き払っただけで反転する。この知らせを受けた泰明の兄泰経は石神井城から出撃、弟の泰明も練馬城を出て、道灌の追撃に移った。豊島兄弟が妙正寺川河畔に達したときである。葦原の間から突如として現れた伏兵が豊島勢を襲った。慌てた豊島勢はいったん兵を引こうとしたが、周辺は沼沢地で進退がままならない。四周から猛烈な矢箭(やせん...第48回ふうちゃんのお城ブログ太田道灌と三谷小学校周辺・石神井城

  • 第11回(修正・再掲版)ふうちゃんのお城ブログ 久しぶりにお城へ。龍岡城(長野県佐久市)

    昨年投稿したものに田口小学校の教育実践を加えて再掲します。昨年2021年5月に軽井沢から久しぶりにお城に行きました。函館の五稜郭は、星形のお城として有名です。本ブログでもすでに紹介しています。第38回ふうちゃんのお城ブログ五稜郭ー見隠塁・刎出し-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)もう一つ星形のお城が、国内にあるのを知っていますか?長野県佐久市にある龍岡城です。軽井沢から車で1時間程度です。蘭学やフランス語を学び、特に火砲・築城技術を熱心学んだ、大給(おぎゅう)松平氏最後の藩主松平乗謨(のりかた)によって慶応3年4月に、西面・南西面の石垣を除き完成しました。家臣にも積極的に洋学の勉強を奨励した。明治になってと名乗り、佐賀県出身の佐野常民とともに博愛社を創設し、日本赤十字社の礎を築いています。 このお城に...第11回(修正・再掲版)ふうちゃんのお城ブログ久しぶりにお城へ。龍岡城(長野県佐久市)

  • 第47回ふうちゃんのお城ブログ 城好きNO.1決定戦体験記

    2021.12.19横浜で開催されたお城EXPO2021に行きました。そこで行われた第2回城好きNO.1決定戦に参加してきました。 この間、本ブログで、出典に触れず、○「二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓などが現存してるのはどの城か」○「写真の築城者の像はどの城にあるか」などの問いを契機に記事を書いてきました。城郭検定と触れてある物以外は、この「城好きNO.1決定戦」で出題された問題からでした。この決定戦は、資格を認定するのではなく、順位を競うものです。結果はhpで以下のようにランキングが発表されます。個人には結果通知が届きます。わたしは、62点で、49人中、16位であることが2つの資料からわかります。城郭検定では、個人の順位、得点と合否が知らされますが、試験の全体像は知らされません。1位の人が何点を取ったはわかりませ...第47回ふうちゃんのお城ブログ城好きNO.1決定戦体験記

  • 第46回ふうちゃんのお城ブログ 現存の三階櫓

    江戸時代から残る現存の三階櫓12あります。前回(第45回)では明石城の巽櫓、坤櫓弘前城二の丸辰巳櫓、未申櫓、丑寅櫓について触れました。第45回ふうちゃんのお城ブログ明石城と弘前城の三階櫓-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)今回は残りの7つの御三階櫓をわたしが撮影した写真で紹介します。江戸城富士見櫓です。わたしが最も好きなお城です。この写真をわたしのZOOMのバックにしています。ZOOM会議で自己紹介をするき冒頭で「この写真のお城はどこの都道府県にあると思いますか」と、尋ねます。東京都千代田区にありますと答えると驚かれる方が多いのです。明暦の大火で江戸城の天守が焼失して以来天守の代わりを果たしました。戊辰戦争で上野で彰義隊が立て籠もって戦っているのを官軍の指揮者大村益次郎見ていたそうです。富士見櫓という...第46回ふうちゃんのお城ブログ現存の三階櫓

  • 第45回ふうちゃんのお城ブログ 明石城と弘前城の三階櫓

    おぼろげな記憶を修正する最近、お城についてのおぼろげな記憶の修正を迫られる場面に出会いました。「二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓などが現存しているのはどのお城でしょう。」という問題と出会いました。選択肢は明石城、高知城、弘前城、熊本城です。 考えるポイントは、二の丸というお城の場所が示されていること辰巳(たつみ)と未申(ひつじさる)という方角が示されていること現存の櫓であることです。方角を図に示すとこの写真のようになります。答えはたつみ(東南の方角)ひつじさる(西南の方角)の方角にある櫓とうことになります。 わたしは、「たつみ」と「ひつじさる」を短絡的にとらえ、明石城を思い浮かべました。明石城巽櫓明石城坤櫓を知っていたからです。百名城巡りを始めたばかりの2016年8月に訪れたので印象が深く、心に残っていたのでしょう。...第45回ふうちゃんのお城ブログ明石城と弘前城の三階櫓

  • 第44回ふうちゃんのお城ブログ 写真との新たな出会い 松江城、福知山城

    前回、名古屋城表二の門と盛岡城烏帽子岩の写真との新たな出会いについて述べました。ところが、驚いたことに、まだ、写真との新たな出会いがあったのです。お城には、そのお城で最も有名な城主の銅像があることが多いです。。この類似の写真を見せられて、写真の築城者の像は浜松城、松江城、白石城、今治城のうちどの城かを問われました。浜松城の青年時代の徳川家康今治城の藤堂高虎の銅像は知っていましたが、これは知りませんでした。答えを知った後、また、デジタルカメラのSDからこの城の写真を探しました。「あった」「驚いた!」SDに治めれれている写真ファイルで2018.11.19付けで、一番初めにこの写真が出てきました。松江城の堀尾吉晴公です。一番初めに出てきたと言うことは、松江城で一番初めに撮った写真ということになります。しかし、忘れてい...第44回ふうちゃんのお城ブログ写真との新たな出会い松江城、福知山城

  • 第43回ふうちゃんのお城ブログ 写真との再開・名古屋城表二の門と盛岡城烏帽子岩

    お城の写真との新たな出会い城郭検定1級で昭和20年(1945)5月14日の名古屋空襲で焼失を免れた門が問われました。これについては、全く知識がありませんでした。選択肢は、1東二の門2表二の門3東一の門4表一の門です。あの空襲を生き抜いて今、その門が存在すること自体感動ものです。発表された解答(正解)を見て、早速ネット調べてみると、確かにその門は現存しています。写真も出ています。でも、何だか初めて見るような気がしません。ひょっとしたら、当日写した写真ファイル(SD)中にあるかもしれません。 わたしは、お城に行ったとき基本的に一眼レフのデジタルカメラを使っています。そして、facebookやブログに必要な写真だけをSDからコピーしてiphoneに保存しています。このとき意図的に写したかったのは本丸御殿と西北隅櫓です...第43回ふうちゃんのお城ブログ写真との再開・名古屋城表二の門と盛岡城烏帽子岩

  • 第5回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログ 太閤さんの大坂で、庶民の支持を得る苦労(大坂城西の丸乾櫓)

    2019年11月25日続百名城を山口県の高嶺城・大内氏館で終了し新たな展開のスタートに選んだのは大阪でした。当時の写真をファイルから取り出してみるとコロナ禍以前の元気な大阪がありました。道頓堀でたこ焼きを法善寺横町で夫婦善哉を食べました。このとき、今日の日本の状況を想像できませんでした。本当に幸せな時でした。なぜ、大阪を選んだのか?大坂城西の丸乾櫓を意図的に見てみたかったからです。城郭検定の勉強を通して知りました。元和6年(1620年)に建てられた大坂城で現存する最も古い櫓のひとつです。大手口から京橋口と大阪城の2つの入り口を望むことができ、南の上町筋方面、西の高麗橋、東北の京街道を望むことができます。城の外側監視できる最適な移置にあったのです。外からも非常に目立ち、江戸時代、大阪市中に向かう人は、高麗橋を渡っ...第5回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログ太閤さんの大坂で、庶民の支持を得る苦労(大坂城西の丸乾櫓)

  • 第42回 ふうちゃんのお城ブログ 諏訪原城

    諏訪原城(静岡県島田市)を訪ねるのは2018.10以来2回目です。初めて訪ねたとき、二の丸北馬出に薬医門が復元されていました。曲輪の中に薬医門だけが立っていました。昨年6月に城郭検定を受けたとき次のような問題に出会いました。写真のような枠組みだけの塀が再建された城はどれかという問題です。(この写真は2021.12.22伊東撮影トリミングあり)諏訪原城が正解だったのですが、わたしが見た諏訪原城は、前掲の薬医門だったので、諏訪原城を答えることは出来ませんでした。その枠組みが見たくて今回の訪問になりました。遠くからみるとこんな感じです。工事中のために、二の丸北馬出に入ることは出来ませんでした。では、なぜ、このような枠組みだけの塀ができたのでしょうか。調べてみました。城郭検定協会のHP城びとで加藤雅文さんが次のような解...第42回ふうちゃんのお城ブログ諏訪原城

  • 第41回 ふうちゃんのお城ブログ 駿府城

    昨年の12月に駿府城に行きました。家康が見ていたと思われる富士山が、天守台発掘現場から見えました。駿府城は天守台の発掘を行ってします。その規模は、先日訪れた江戸城の天守台より、はるかに大きいそうです。 江戸城天守台 各天守台と駿府城の大きさ比較です。駿府城の天守台の大きさができる実感できるます。 家康が隠居をしてから天下普請で造られた慶長期の天守台です。 それ以前の天正期の天守の石垣も発見されました。 天正期の石垣からは300枚にも及ぶ金箔瓦が発見されました。 本丸に立つ家康像 家康は駿府城の落成祝いに駆けつけた江戸増上寺の観智国史の「どうして駿府に城を築いたのですか」という問いに以下のように答えています。①子どもの頃ここに生活していて思い出の地である。②冬暖かい。③米がおいしい。④駿河は国堅固の地である。⑤諸...第41回ふうちゃんのお城ブログ駿府城

  • 第8回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログ ふうちゃんを城道(しろみち)へ誘ってくれた恩人杉渕尚さんを悼む

     ありがたいことに本ブログを読んでくださる方が増えてきました。前回は、今現在432のリアクションをいただきました。わたし(ふうちゃん)とお城とのお付き合いの原点を知って頂くために加筆・修正し再掲させて頂きます。突然の訃報Lineは2021年(令和3年)4月3日突然舞い込みました。早朝、杉渕尚さんが亡くなったというのです。杉渕さんは、わたしの城仲間の一人です。そのとき、急にフラッシュバックしたシーンがあります。それは、2015.10.30広島県にある福山城です。石段が向かってV字のように掛かっている合坂(あいざか)を前にして「どちらが上り、どちらが下り」と質問しました。「答えは左側通行なのですが、武士は刀を左側に挿しています。通行しやすいのは刀が外側にある方ですよね。」 合坂(これは福山城ではありません)この場面...第8回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログふうちゃんを城道(しろみち)へ誘ってくれた恩人杉渕尚さんを悼む

  • 第3回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログ スタンプ集めにこだわった遠くのお城(北海道根室チャシ)

    今から50年前の学生時代から冬の北海道へのあこがれをもっています。大学4年の2月に均一周遊券を使って北海道一周旅行の計画を立てユースホステルの予約も済ませ、出発するだけになっていました。しかし、就職関係の連絡が来ないので、中止せざるを得なくなりました。それ以来冬の北海道への憧れがあり、何回も冬の北海道に行っています。3年前(2019年)の1月に、大人の休日きっぷを利用して釧路へ。釧路から花咲線を利用して根室を向かいました。エゾシカに衝突しないように、警笛を鳴らしながら走っていることがとても印象的でした。さて、ここからは、日本百名城めぐりです。日本100名城の公式ガイドブック(日本城郭協会監修)の一番最初に紹介されているのが、根室半島チャシ跡群です。この公式ガイドブックを通してその「チャシ」なるもの存在をわたしは...第3回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログスタンプ集めにこだわった遠くのお城(北海道根室チャシ)

  • 第9回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログ 子どもたちと何回も行ったことのある松本城

    江戸時代またはそれ以前に造られて、今存在している現存天守は 12あります。弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、丸亀城、高知城、宇和島城、松山城です。この中でどれが一番好きかと問われたら松本城と答えます。それは、以下のようなことのためかもしれません。小学校の教員をしていたとき、夏休みの林間学校で、6年生の子どもたちと中房温泉(https://nakabusa.com/)に宿泊し、燕(つばくろ)岳(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95%E5%B2%B3)に登山をしていました。松本駅から中房温泉までの行程で、必ず松本城を見学していました。担任として、引率教員として、実地踏査要員として、合計10以上行ったことがあります。 こんな多くの回数行った城...第9回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログ子どもたちと何回も行ったことのある松本城

  • 第40回 ふうちゃんのお城ブログ 続々小諸城

    今年初めての城廻は軽井沢から最も近い城小諸城です。本ブログでは、小諸城を2回取り上げています。第6回ふうちゃんのお城ブログ学生時代から何度も訪れた城(小諸城)-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)第7回ふうちゃんのお城ブログ続小諸城(少しつれづれなるままに)-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)今回で3回目となります。懐古園の額のあるお馴染みの三の門です。明和2年(1742)に再建された現存の櫓門です。2020.7の大雨で三の門の石垣と塀の一部が崩壊したので、災害復旧工事がおこなわれています。 年末に行われたお城に関するイベントあるで次のことが問われました。小諸城の現存の門は次の組合わせのどれでしょう。1大手門と二の門2大手門と三の門3二の門と三の門4一の門と二の丸西門答えをお知らせする前にわた...第40回ふうちゃんのお城ブログ続々小諸城

  • 第13回ふうちゃんのお城ブログ 伊達政宗公像にまつわる話(仙台城)

    わたしが愛読する内田康夫の推理小説の中で特に好きな作品の中に「杜の都殺人事件」があります。いわゆる浅見光彦シリーズではありません。主人公は美人カメラマンの池野真理。仙台城、伊達政宗公の騎馬像前で、観光客相手に、注文写真を撮って売っています。わたしが、政宗公像の前を訪れた時、店を広げ写真を扱っている女性がいました。写真を注文し、「小説のモデルはあなたですか」と尋ねたら、しばらく、無言で、写真の注文は受け付けず、わたしのカメラで写真をとってくれたのです。もちろん、無料です。それが、この写真です。 仙台城の本丸跡に立つ、伊達政宗公騎馬像(銅像)は観光スポットです。この騎馬像が初代ではないことをご存じでしょうか。 実は銅像としては二代目なのです。(石像の政宗像を入れると三代目、今大崎市岩出山城跡)昭和39年に設置されま...第13回ふうちゃんのお城ブログ伊達政宗公像にまつわる話(仙台城)

  • 第39回 ふうちゃんのお城ブログ 新春特集号ー江戸城の櫓ー

    あけましておめでとうございます。今年も日本百名城、続日本百名城をめぐっている方々城郭検定を目指している方々その他様々なお城を巡りをしている方々に情報を提供していきます。よろしくお願いします。さて、クイズです。わたしのパソコンの待ち受け画面にはお城があります。ZOOMの背景画面にも同じお城が出来てきます。このお城はどこの都道府県にあるでしょうか。  ヒント青森県愛知県福井県東京都正解は東京都です。これを聞いて意外に思われる方がいるのではないでしょうか。東京にお城なんてあるのかとお思いの方がいるかもしれません。このお城は東京都千代田区皇居(江戸城)の中にあります。江戸城富士見櫓です。明暦の大火(1657年)で江戸城の天守とともに焼失。万治2(1659)年富士見櫓は再建され、代用天守として使われてきました。 「今一番...第39回ふうちゃんのお城ブログ新春特集号ー江戸城の櫓ー

  • 第38回ふうちゃんのお城ブログ 五稜郭ー見隠塁・刎出し

    五稜郭タワーからの五稜郭です。2006年(平成18年)4月1日に新しい五稜郭タワーが完成したそうです。五稜郭タワーに上ることによって城の全体像を目にすることができます。大山古墳にもこのようなタワーがあれば全体像を見ることができるとおもってしまいます。五稜郭は五角形の星の形をした西洋式の城です。長野県佐久市には、同様な龍岡城があります。稜堡と呼ばれる星形の突角が、五角形状に突出しています。五稜郭タワーの掲示に上のような地図がありました。わたしが今回五稜郭でぜひ見たかったのは、見隠塁と呼ばれる土塁です。城郭検定の勉強の過程で知ったのですが、虎口から城の中の様子が見えないようにする土塁を設ける。一文字土居とか蔀(しとみ)とか呼ばれ五稜郭では見隠塁とよばれています。確かブラタモリでも取り上げられたことがあります。現存で...第38回ふうちゃんのお城ブログ五稜郭ー見隠塁・刎出し

  • 第37回ふうちゃんのお城ブログ 松前城2

    松前城には2回行ったことがあります。1回は函館空港からレンタカーでもう1回は木古内から路線バスで。今回は、函館からレンタカーを運転していきました。今回も木古内からの路線バスを考えたのですが、ロスタイムが多いのと戊辰戦争の舞台を思い描きたいということで急遽レンタカーにしました。戊辰戦争の舞台となったコースを通って運転したくなりました。それそれの場所でいちいち下車したわけではありませんが、箱館、七重浜、有川、富川、矢不来、茂辺地、当別、泉沢、木古内、知内、福島、松前と戦地と言われるところやその近くを通っていきました。木古内、知内、福島ではタイムを取りました。余談になりますが、前回、戊辰戦争を意識しなかったときは、新幹線停車駅(当時まだ駅の工事中)としての木古内観光地として北島三郎出身地としての知内横綱千代の山、千代...第37回ふうちゃんのお城ブログ松前城2

  • 第36回 ふうちゃんのお城ブログ 白老陣屋

    城郭検定の問題は城を見るための視点を提供してくれます。1855年(安政元年)開国を選択した幕府は、翌年奥州四藩に蝦夷地分担警備を命じた。各藩は蝦夷地に陣屋を建設したが、この時仙台藩が築いたのはどの陣屋か。第17回の1級での出題です。答えは白老陣屋です。室蘭には南部藩、増毛には秋田藩、浜益には庄内藩の陣屋がありました。白老は函館から特急で2時間40分かかります。アイヌ施設ウポポイのあるところとして最近では知られています。第18回では問題が少し進化しました。今まではどこの藩が何陣屋を築いたかを問うていたのですが、その守備範囲が問われました。安政2年(1855)年、幕府から白老~襟裳岬を経て国後・択捉等を含め蝦夷地の太平洋沿岸一帯の広大な地域の警備を命じられたのは、どの藩か。白老から襟裳岬を経て国後・択捉等を含め蝦夷...第36回ふうちゃんのお城ブログ白老陣屋

  • 第35回 ふうちゃんのお城ブログ 初めての箱館(函館)城の旅

    函館は今まで何回も行きましたが,今回は初めて訪れた所について述べてみます。土方歳三最後の地、四稜郭、北海道東照宮、函館市立博物館です。まず、土方歳三の最期の地です。函館駅の近く若松町福祉総合センター内にあります。函館駅から徒歩15分のところです。ここで銃撃戦が展開され土方が倒れたとは、今の町の様子からは信じられません。函館市街地が戦場だったことを改めて認識しました。学生時代青函連絡船で初めて着いた函館駅。ここから石川啄木の銅像がある大森浜まで徒歩で往復したのが函館での第一歩でした。それから何回も函館を訪れましたが、本当にここに来たのは初めてです。ここから四稜郭へタクシーで向かいますが、運転手さんに何回も「五稜郭ではないんですよね」と確認されました。城の勉強するまでその存在を知らなかった四稜郭です。四稜郭の解説で...第35回ふうちゃんのお城ブログ初めての箱館(函館)城の旅

  • 第34回ふうちゃんのお城ブログ 千葉県唯一の日本百名城・佐倉城へ

    佐倉城に行きました。千葉県で唯一の日本百名城です。京成佐倉駅から徒歩20分です。佐倉城と言うより「国立歴史民俗博物館」と言った方が分かりやすいしれません。佐倉城の椎木曲輪に「国立歴史民俗博物館」があるのですが。京成佐倉駅前の観光案内所でパンフレットを入手する。この城の特徴は、石垣のない土塁の城です。なんと言ってもこの城の他の城にないよさは、角馬出空濠だと思います。馬出は、城門の前にあり、固く守りながら、出撃に適した出入り口です。人馬の出入りを敵に知られないように土手があります。写真をご覧ください。この角馬出はコの字になっていています。長辺は121m(原寸通り復元)あります。短辺40m(原寸通り)濠の深さは3m(原寸5.6m)こんな大きな角馬出と濠をみたことありません。諏訪原城で大きな丸馬出と三日月濠を見たことは...第34回ふうちゃんのお城ブログ千葉県唯一の日本百名城・佐倉城へ

  • 第19回城郭検定 直後のレポート (ふうちゃんのお城ブログ 通算 33 回)

    11月14日に第19回城郭検定は終了しました。検定を受けた方お疲れ様でした。解答が公開され、自己採点をした方も多いことと思います。(https://www.kentei-uketsuke.com/shiro/)当日、2級を受けた知人から問題を見せてもらいました。何と、何とわたしがこのブログで取り上げた石火打町ふるさと村(備中松山城)南蛮たたき塀(名護屋城西の丸北)おかこい山(中津城)第19回城郭検定直前対策ふうちゃんのお城ブログ臨時号-ふうちゃんのお城ブログ(goo.ne.jp)この3問とも第19回城郭検定2級で出題されていました。わたしは予想屋をしたつもりはありませんが、驚きです。もし、このブログを読んでから検定を受けた方がいらっしゃったら嬉しい限りです。わたしも、やる気になります。もっとも来年になって6月の...第19回城郭検定直後のレポート(ふうちゃんのお城ブログ通算33回)

  • 第32回ふうちゃんのお城ブログ・群馬県の日本百名城・箕輪城をゆく

    箕輪城(群馬県高崎市)に行きました。今回で3回目の訪問ですが、改めて堀の広さを歩いてみて実感しました。搦手口→二の丸→本丸→御前曲輪→堀へ下る→堀を歩き蔵屋敷で工事中の橋を見る→本丸に戻り橋の工事を見る→二の丸→土橋・大堀切・郭馬出西虎口門を眺める→郭馬出西→郭馬出西櫓門→搦手口と歩きました。午前曲輪から堀におります。この下を歩きます。こんな道を歩きます。人がいることで堀の広さと土塁の高さを感じる事が出来ます。堀を歩いて行くと御前曲輪と本丸の間に掛かる木橋の復元工事をしています。本丸に戻ります。本丸から見た工事中の木橋です。令和4年4月完成予定です。二の丸に戻り郭馬出方向を眺めます。土橋、大堀切、郭馬出、郭馬出西櫓門が見えます。土橋上から大堀切を見下ろします。郭馬出です。郭馬出の解説です。郭馬出西虎口門です。発...第32回ふうちゃんのお城ブログ・群馬県の日本百名城・箕輪城をゆく

  • 第31回ふうちゃんのお城ブログ 群馬県の日本百名城・金山城をゆく

    群馬県の日本百名城金山城を訪ねました。金山城案内図城廻を始めて頃、一度訪ねたことがあります。今回、関東の石垣の城としてのよさと関東平野の景色を堪能しました。太田道灌が「天下の名城」とここを訪ねて絶賛したといいます。『離合集散が激しい時代でありいつ何時、双方が敵対するとも限らない中道灌に敢えて手の内を見せ、「寄らば斬るぞ」という抑止力があったかもしれない』』という、伊東潤「歴史作家の城めぐり」の一節を思い浮かべながら、昨日の共は今日の敵の時代、相手に手の内を明かしたということは、ここを攻めても無駄だとという思いにさせたのではないか。と考えました。今私たちが見る石垣は、道灌が見た者とはちがうかもしれませんが、古い石垣が残っていました。それがこれです。解説もありました。(新田神社の裏にあります)では、いよいよわたしが...第31回ふうちゃんのお城ブログ群馬県の日本百名城・金山城をゆく

  • 第30回ふうちゃんのお城ブログ 小田原城再発見

    前回(29回)で小田原城の総構(惣構)についてふれました。今回は小田原城のお城の門についてです。その前にこれです。天守にある売店で購入しました。虎の印といわれるものです。2代目の北条氏綱から使われました。「祿壽應穩」(ろくじゅおうおん)とは「領民の祿(財産)と壽(生命)は應(まさ)に穩やかなるべし」領民の生命と財産は領主(北条氏)が守ることを意味しています。虎にはどのような意味があるのでしょう。現代では虎は百獣の王ライオンと並ぶ強い動物を表していると言えるでしょう。虎が北条氏で、強い北条氏が領民の生命と財産を守ることを表していると言えるしょう。 今回小田原城を訪問して見て新たな発見があったのは門についてです。いつも下の地図にある学橋を渡って2の丸、銅門、常磐木門、天守と行っていました。今回、正面入口は馬出門から...第30回ふうちゃんのお城ブログ小田原城再発見

  • 第10回ふうちゃんのお城ブログ 私見日本百名城(続を含む)めぐりの効用

    お馴染みの日本地図です。47都道府県が載っています。よくご覧ください。本ブログをご覧頂いている皆さんは、47都道府県をいくつ訪れたことがあるでしょうか。通過ではなく、一度でも足を踏み入れたことがある。途中下車で駅のホーム、空港の搭乗口、船の桟橋等に足を踏み入れたことがある場合は、訪れたことがあるとカウントしてよいことにします。わたしは、全て訪れたことがあります。両親を含め東京生まれ東京育ちのわたしですが、親と江ノ島(神奈川県)に海水浴に行ったり、林間学校で日光(栃木県)に行ったり都外に出ることはありました。都外に出たスタートがいつどこであったかは、はっきり記憶にありません。わたしが、意図的に意識して都外の道府県を回り始めたのは、大学3年の21歳のとき松島(宮城県)からでです。そのゴールは35歳山寺(山形県)でし...第10回ふうちゃんのお城ブログ私見日本百名城(続を含む)めぐりの効用

  • 第19回城郭検定 直前対策 ふうちゃんのお城ブログ臨時号

    第19回城郭検定(11月14日)が間近に迫ってきました。準備は着実に進んでいますか。受験票がもうお手元に届く頃ですね。今回受験される方に参考になればと思い、今、これを書いています。第18回城郭検定2級の問題(なごやちゃんねる–日本城郭検定の過去問分析に取り組んでいます!準1級・2級・3級に対応!みんなで日本城郭検定に合格するためのサイト!(nagoya-ch.com)に掲載)を解いてみました。(わたしは第18回で、2回目の1級を受験し、幸い合格しました)そのわたしが全く知らないこと(事実)が2級にも出題されています。わたしが2級を受けたのは第12回ですから、今から3年前です。この3年間で、受験者に求められる知識もバージョンアップされているのでしょう。 その一つ目が、石火矢町ふるさと村です。第2問「石火矢町ふるさ...第19回城郭検定直前対策ふうちゃんのお城ブログ臨時号

  • 第29回ふうちゃんのお城ブログ 小田原城惣構をゆく

    小田原駅の観光案内所で地図をもらいました。A小峯御鐘の台大堀切東堀を目指しました。タクシーに行き先「小峯御鐘の台大堀切」を告げると、「知らない」とのこと。早速、この地図を見せると、動き出しました。タクシーの運転手さんが現地の城を知らないことは城廻ではよく体験することです。こんな時に役立つのが地元の観光案内所の地図です。少し、不安を感じましたが、無事付近に到着することができました。惣構(総構)とは何か、この地図の初めに小田原城の総構(そうがまえ)は、小田原北条氏が豊臣秀吉との合戦に備え天正18年(1950)までに、小田原城とその城下を囲って築いた総距離9kmにも及ぶ大規模な堀と土塁による要塞の跡です。とあります。*要塞外敵等から戦略上重要な地点を守るために築かれた構築物。 この掲示板にはこのように書かれています。...第29回ふうちゃんのお城ブログ小田原城惣構をゆく

  • 第28回ふうちゃんのお城ブログ 横須賀城

    横須賀城横須賀城は、日本百名城でも続日本百名城でもありません。城郭検定ための過程で過程で知りました。その内容は次のようなものです。横須賀というと神奈川県の横須賀市(小泉純一郎さん・進次郎さんの出身地)を思い浮かべる人がほとんどだと思いいます。しかし、横須賀城は静岡県掛川市にあります。「高天神を制する者は遠州を制する」といわれるように、武田家と徳川家で高天神城をめぐって攻防戦が繰り返されていました。あの武田信玄でさえ高天神城を落とすことができなかったのです。武田家に奪われていた高天神城を取り戻すための中継地として天正6年(1578)徳川家康が大須賀康高に命じて横須賀城を築かせました。横須賀城縄張り図天守もあったようですが、この城の特徴は玉石で築かれた石垣です。近くの大井川や天竜川から玉石を運んできて積み上げたとい...第28回ふうちゃんのお城ブログ横須賀城

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