中東は宗教の国だね。人々は宗教の中で生きている。女性はみなスカーフで頭を覆い町を歩く。一日に五回、メッカに向かって礼拝する。頭を地につけてとても真摯に祈る。僕たち日本人には、これは奇妙な時間の無駄ぐらいにしか見えない。よくても、あら、この国
今は山梨で不動産業、宿泊業、飲食業、香港でIT企業を経営してます。新しいライフスタイルを模索する日々の記録。経営の思い、気づき、学び、悩み。一緒にワクワクするプロジェクトを進める仲間を増やしたいです。
「ブログリーダー」を活用して、ひとくんさんをフォローしませんか?
中東は宗教の国だね。人々は宗教の中で生きている。女性はみなスカーフで頭を覆い町を歩く。一日に五回、メッカに向かって礼拝する。頭を地につけてとても真摯に祈る。僕たち日本人には、これは奇妙な時間の無駄ぐらいにしか見えない。よくても、あら、この国
目が覚めても、僕はベットから起きることができなかった。布団にくるまって震えていた。怖い夢だった。とても怖い夢だった。東大を自分の身勝手な都合で離れた僕には、もはや、東大にいる資格は存在しなかった。僕にはもう一度入学試験が課された。もう一度あ
君はここにいたんだね。ニモ!!!エジプトの紅海は、信じられないほど美しい。とくにヌエイバは最高だ。エジプトが雨が降らなくて川がないから濁った土砂が海に入り込まないためだとか、紅海が閉じられていて波が穏やかだとか、そういう理屈的なことはおいと
6月15日。僕の誕生日。僕は自分の年とかにあまり頓着ないから、実際誕生日も大した意味はもたない。それでも、そんな僕でも毎年この日には忘れられない思い出がつけたされてきた。さすがに今年は、一人だから、どうしようもないな。だけど、ボツワナなんて
このブログをなぜ書いてきたのか。これは僕が考えたことの、僕自身への備忘録であり、誰か読んで共感してくれたいいなー、というくらいの理由でネット上に晒している。会社員時代にやってきたこと、会社を辞めた時のこと、会社を辞めた後に参加した事業のこと
広い世界で、テントに寝て、火を熾して、肉を食って。日の出とともに起きて、日が沈むと眠る。朝起きて、さあ何しようって考える。別になにもしなくても満たされる。夜、ふと目を覚まして、テントの外に出た。空には、まんまるい月が不似合いにそこにあって、
めんどくさい。人間と関わるのはもううんざりだ。もうインドには耐えられない。べちゃべちゃまとわりついてくるようなインド人にも、時に50度に達するような猛暑にも嫌気がさして僕は逃げ出した。もう人間はいらない。だったらとことん大自然にいこう。目指
インドに来て、一ヶ月経ち、自分が大切なものを失くしていることに気づいた。インドのどこの駅にもある大げさな機械の上に乗った時に気づいた。その機械は、人が一人乗れるようになっていて、目の高さの位置にわけのわからない内部構造が豪華な電飾で照らされ
手前がビル。奥がババ。僕の”所有物”の中で、最も大切なものは何かと聞かれたら、それはやっぱり「金」だ。僕のもっているわずかばかりの「金」だ。僕には、睡眠欲と排泄欲に次ぐ強烈な欲求として、なんというか、行動欲というようなものがある。いろんなと
僕は動物が好きで、地図をみるとまず始めに動物園を探してしまうような人なので、インドはそういうことではとても楽しい。いろんな動物が街に一緒に暮らしている。公園にいけば必ずと言っていいほど、たくさんのリスがピョンピョン飛び跳ねている。逃げていく
僕は何故かムキになって、話しかけてくる奴の言われるがままに流され最後にそいつが手のひらを返してくると激しく口論をする、ということを繰り返していた。今思えば、僕はまだ信じたかったのだと思う。その中に、一人でも僕を金としてじゃなく、人として見て
都会に暮らしていると、急に田舎暮らしとかに憧れたりする人がいる。キャンプブームとかも似たもんだと思っている。都会には自然があんまり無いから、ちょっとワイルドなところで、自然に触れて、不便を感じて、原始っぽい生活をする。それはそれで自分を見つ
インドは、すべてがありのままの姿でそこにあるようだ。日本では覆いがかけられ、知らないふりをしていればそれでやり過ごすことのできた数々の極端な物事が、インドでは露骨に僕を悩ませる。すべてきれいごとで済む日本が恋しくなる。なにも見たくもないこと
1個目は、自分で作って、自分に発注するのが一番早いし実績になる。ということで、シンプルに自分で民泊を作ることを決めた。民泊を作ることで一石が5鳥になるような物件を探せればなお良い。1。その案件が第一号案件として実績になる。2。その案件で、お
今回の静岡進出には明確な目的がある。静岡県に、おそうじぽんのサービス拠点を立ち上げること。つまり、静岡県で、民泊管理業を始めること。どうすれば、ゼロイチで事業を始められるか。仮に僕が何も持たない人間だったとして、おそうじぽんの看板をもらって
日本からずっと離れたこんな場所にいるのに、いつも見る夢の中で、僕がいるのは日本だった。日本にいて、昔僕の居場所だったところにいて、いつも周りにいたみんなが当然のようにそこにいて、真剣に笑ったり、悩んだり、怒ったりしている。そこにいる僕はとて
先日、1泊2日の合宿を計画した。めちゃめちゃ毎日忙しいなか、一人で全てのスケジュールを立てなければならない。ちゃんと計画して、みんなが満足するものができるのか、不安だった。なので、1ヶ月くらい、空いた時間はずっと研修のことを考えていた。僕が
昔からの友達で、事業家仲間でもある友人から、セミナーをお奨めされた。めちゃくちゃ良いから是非受けた方がいい。俺は、たくさんセミナー受けてきたけど、これだけは違った。このセミナーのおかげで、俺はめちゃめちゃ売り上げが上がった。こういうの誘うと
僕はラサに思いのほか長くいてしまった。すぐ出発するつもりだったのだ。ネパールのビザがとれたら。しかし、明日出発する、明日出発すると毎日言っておきながら、中国ビザの期限ギリギリまでこの場所から抜け出せなかった。それほどまでにラサは魅力的な場所
普通、起業って、起業アイデアがあってやるものだったり、仲間がいてやるものだったり、するもんだと思っていたのだが、、、最近は、起業をしたい、という気持ち先行の人が増えている。そして、企業側もそういう人を支援するようなところがあるらしい。起業前
北京に着いたのは朝6時だった。北京、、、、大国の首都に着いたのだ。北京はばかでかかった。計算外の巨大な街だ。道路がとにかく広い。端と端にゴールを置けば、立派にベッカムがプレイできるだろう。碁盤の目に道が張り巡らされた計画的な都市だ。しかし、
サラリーマンのダメなところは、自分の時間の切り売りをしているところ。どんなに高級取りでもそれは変わらない。時間の切り売りをしていている人は、売れる時間がなくなったらそこで終わり。僕はかつて大企業に勤めて、海外駐在してたから、日本人では給料が
つい先日知り合った起業家仲間が、投資詐欺に遭ったと教えてくれた。それで、奥さん大激怒の家庭崩壊危機に陥った、と。その話を聞いて、僕はその人のことを強い人だな、と思った。まず、投資詐欺に遭ったら恥ずかしい。金銭的なダメージも大きいけど、騙され
地道に一歩一歩足を前に進めていたら、頂上に着いた。ここで一泊しよう。泰山山頂から眺める御来光がここまで登ってきた目的なのだ。頂上はさすがに寒い。滝は凍っていたし雪も残っている。僕はジャケットのジッパーを上まで締め、フードをかぶった 。宿をと
中央集権ではない、管理者のいない組織。DAO。Decentralized Autonomous Organization(分散型自律組織)DAO以前に、民主主義。みんなの意見を掬い上げて多数決で決める制度。これが正しい。と、皆信じて疑わない
僕はかつて、電力業界で働いていた。商社だけど、電力の部門にいて、しかも自分のことを電力技術者と定義づけして働いていた。どんどんニッチな世界に足を踏み入れつつ、このスキルも経験も潰しが効かんなーと、頭の片隅に思っていた。多分、商社の人はみんな
列車は朝早くに駅に着いた。バックを預けて、いざ中国一の聖山へ。海抜ほぼ0mの岱廟から徒歩でゆっくり登っていった。延々と続く全7412段の階段と、9kmの道のりをゆっくり登っていった。泰山山頂へ向かう長く急な階段を、重い荷物を木の棒の両端につ
県から支援金をいただいて、株式会社スマナビを立ち上げた。支援事業期間中は、事務局やメンターとのやりとりくらいしか関係者との連絡はなく、基本的には自分で起業準備を進めていくことが求められた。しかし、支援金を受けている人は全部で10チームほどい
無錫を出発する日が来た。時間が経つのはどうしてこんなに早いんだろう。彼らは、僕と一緒にいる時、決してお金をうけとろうとしなかった。遊ぶときはことごとくおごってくれた。それだけは申し訳なさが残った。そしてまた、僕が彼らにとってお客さんであった
前職を辞めて3年くらいが経った。当時、僕が何を考えて動いていたかというと、会社を辞めて自分でやろう、ということだけだった。会社員の生活はとても楽しく、充実していたけど、思い通りに突き抜けられないもどかしさがあった。やりたいことを、やりたいよ
無錫は予定外の町だ。この町に立ち寄るつもりはなかったし、なにより存在すら知らない町だった。僕がこの町を訪ねることになったのは、友達が待っていたからだ。フェーフェンとツァイドゥン。彼らにもう一度会うためだ。無錫は、上海から特急列車に乗って約4
ここ最近しばらくホテル暮らしをしている。全く問題ないので、これなら続けられる気がしてきた。これからはホテル暮らしを積極的に生活に取り入れていこうと思う。ホテル暮らしのメリット1。どこでも暮らせる当たり前だけど、ホテルはどこにでもあるので、住
ヨギさんに出会ったのは上海郊外の周荘という水郷の町だった。その日、僕は周荘の1日観光ツアーに参加していた。ガイドのまくしたてる中国語は当然のことながら全く理解できず、かといって見慣れてしまった中国古居群の風景にも飽きてしまって、僕はすっかり
帰国してから3年近く。率先して、現場最前線に立っていた。そのスタンスを今後は少し変えようと思う。今までは、働き方の見本というか、仕事に取り組む姿勢を見せる必要があった。仕事とはどういう姿勢で取り組むべきものなのかを、知らない人ばかりだったか
>1の続き僕とワンサくんは南京路のベンチに腰掛けて煙草を吸いながら話をした。中国には上海を除いてナイトライフを楽しめるような街はなく、ワンサくんは上海が大好きらしい。上海の女は300元。南京路の周りの女の子が接客しているようなBARは
事業期間が12月31日に終了した。実績報告は終了日から10日以内に郵送で提出する必要がある。200ページに及ぶ資料をまとめて提出して、ひと息つけたので、この3ヶ月でやったことを振り返ってみたい。そもそも支援が得られることが決まったのは8月1
どんどん成果を出す人がいる一方で、いつまで経っても、うだつの上がらない人がいる。前者はどんどん結果を出して進んでいく。後者はいつまで経っても大して変わらない。この言い方は語弊があるかもしれない。前者は、これだ、と言える明確な結果を残す。後者
上海は中国ではない。この街は1850年頃、外国に開港を迫られ、なかば植民地という形で発展してきた。さまざまな国の建築様式で造られた建物が渾然一体となって形成された大都市だ。ヨーロッパと東京をぐちゃっとぶつけてどんっと置いた感じ。僕はそんな第
宿泊業界は革命が起きていて、宿に行けば誰か人が待っているのが当たり前だったけど、今では人件費を極力減らすことが勝負の鍵になっている。別にホテルの受付カウンターに人など必要ない。人を減らせば収益性を高めることができる。だから、従来の有人型宿泊
起業支援金のメンタリングを受けていて、色々、会社を経営していく上での実務的なことを処理していく必要性を指摘された。どこから手をつけていいか、しぶしぶってたら、そんな起業家を支援する団体があるということで紹介された。それが「よろず支援拠点」名