中東は宗教の国だね。人々は宗教の中で生きている。女性はみなスカーフで頭を覆い町を歩く。一日に五回、メッカに向かって礼拝する。頭を地につけてとても真摯に祈る。僕たち日本人には、これは奇妙な時間の無駄ぐらいにしか見えない。よくても、あら、この国
今は山梨で不動産業、宿泊業、飲食業、香港でIT企業を経営してます。新しいライフスタイルを模索する日々の記録。経営の思い、気づき、学び、悩み。一緒にワクワクするプロジェクトを進める仲間を増やしたいです。
2007年7月30日 中東 シリア オウム真理教がんばれちゃちゃちゃ
中東は宗教の国だね。人々は宗教の中で生きている。女性はみなスカーフで頭を覆い町を歩く。一日に五回、メッカに向かって礼拝する。頭を地につけてとても真摯に祈る。僕たち日本人には、これは奇妙な時間の無駄ぐらいにしか見えない。よくても、あら、この国
2007年7月22日 中東 ヨルダンより 死海はしょっぺーそして僕はしょんべんくっせー
目が覚めても、僕はベットから起きることができなかった。布団にくるまって震えていた。怖い夢だった。とても怖い夢だった。東大を自分の身勝手な都合で離れた僕には、もはや、東大にいる資格は存在しなかった。僕にはもう一度入学試験が課された。もう一度あ
2007年7月22日 中東 エジプト さぁいよいよ僕の旅は16号すら吸収し、セル完全体のさらに高みへ
君はここにいたんだね。ニモ!!!エジプトの紅海は、信じられないほど美しい。とくにヌエイバは最高だ。エジプトが雨が降らなくて川がないから濁った土砂が海に入り込まないためだとか、紅海が閉じられていて波が穏やかだとか、そういう理屈的なことはおいと
2007年7月1日 アフリカ大陸 ボツワナ 誕生日の日の日記。
6月15日。僕の誕生日。僕は自分の年とかにあまり頓着ないから、実際誕生日も大した意味はもたない。それでも、そんな僕でも毎年この日には忘れられない思い出がつけたされてきた。さすがに今年は、一人だから、どうしようもないな。だけど、ボツワナなんて
このブログをなぜ書いてきたのか。これは僕が考えたことの、僕自身への備忘録であり、誰か読んで共感してくれたいいなー、というくらいの理由でネット上に晒している。会社員時代にやってきたこと、会社を辞めた時のこと、会社を辞めた後に参加した事業のこと
広い世界で、テントに寝て、火を熾して、肉を食って。日の出とともに起きて、日が沈むと眠る。朝起きて、さあ何しようって考える。別になにもしなくても満たされる。夜、ふと目を覚まして、テントの外に出た。空には、まんまるい月が不似合いにそこにあって、
めんどくさい。人間と関わるのはもううんざりだ。もうインドには耐えられない。べちゃべちゃまとわりついてくるようなインド人にも、時に50度に達するような猛暑にも嫌気がさして僕は逃げ出した。もう人間はいらない。だったらとことん大自然にいこう。目指
2007年5月17日 インド ゴアより 大切なものを失いました。
インドに来て、一ヶ月経ち、自分が大切なものを失くしていることに気づいた。インドのどこの駅にもある大げさな機械の上に乗った時に気づいた。その機械は、人が一人乗れるようになっていて、目の高さの位置にわけのわからない内部構造が豪華な電飾で照らされ
2007年5月12日 インド カジュラホーより お金と友情と信頼と
手前がビル。奥がババ。僕の”所有物”の中で、最も大切なものは何かと聞かれたら、それはやっぱり「金」だ。僕のもっているわずかばかりの「金」だ。僕には、睡眠欲と排泄欲に次ぐ強烈な欲求として、なんというか、行動欲というようなものがある。いろんなと
僕は動物が好きで、地図をみるとまず始めに動物園を探してしまうような人なので、インドはそういうことではとても楽しい。いろんな動物が街に一緒に暮らしている。公園にいけば必ずと言っていいほど、たくさんのリスがピョンピョン飛び跳ねている。逃げていく
2007年5月3日 インド バラナシより ポールは害虫です。
僕は何故かムキになって、話しかけてくる奴の言われるがままに流され最後にそいつが手のひらを返してくると激しく口論をする、ということを繰り返していた。今思えば、僕はまだ信じたかったのだと思う。その中に、一人でも僕を金としてじゃなく、人として見て
田舎暮らしとか、そういうヌルいことがやりたい訳じゃないんだよな
都会に暮らしていると、急に田舎暮らしとかに憧れたりする人がいる。キャンプブームとかも似たもんだと思っている。都会には自然があんまり無いから、ちょっとワイルドなところで、自然に触れて、不便を感じて、原始っぽい生活をする。それはそれで自分を見つ
インドは、すべてがありのままの姿でそこにあるようだ。日本では覆いがかけられ、知らないふりをしていればそれでやり過ごすことのできた数々の極端な物事が、インドでは露骨に僕を悩ませる。すべてきれいごとで済む日本が恋しくなる。なにも見たくもないこと
1個目は、自分で作って、自分に発注するのが一番早いし実績になる。ということで、シンプルに自分で民泊を作ることを決めた。民泊を作ることで一石が5鳥になるような物件を探せればなお良い。1。その案件が第一号案件として実績になる。2。その案件で、お
今回の静岡進出には明確な目的がある。静岡県に、おそうじぽんのサービス拠点を立ち上げること。つまり、静岡県で、民泊管理業を始めること。どうすれば、ゼロイチで事業を始められるか。仮に僕が何も持たない人間だったとして、おそうじぽんの看板をもらって
2007年4月22日 ネパール ルンビニーより ブッダ誕生の土地
日本からずっと離れたこんな場所にいるのに、いつも見る夢の中で、僕がいるのは日本だった。日本にいて、昔僕の居場所だったところにいて、いつも周りにいたみんなが当然のようにそこにいて、真剣に笑ったり、悩んだり、怒ったりしている。そこにいる僕はとて
先日、1泊2日の合宿を計画した。めちゃめちゃ毎日忙しいなか、一人で全てのスケジュールを立てなければならない。ちゃんと計画して、みんなが満足するものができるのか、不安だった。なので、1ヶ月くらい、空いた時間はずっと研修のことを考えていた。僕が
昔からの友達で、事業家仲間でもある友人から、セミナーをお奨めされた。めちゃくちゃ良いから是非受けた方がいい。俺は、たくさんセミナー受けてきたけど、これだけは違った。このセミナーのおかげで、俺はめちゃめちゃ売り上げが上がった。こういうの誘うと
僕はラサに思いのほか長くいてしまった。すぐ出発するつもりだったのだ。ネパールのビザがとれたら。しかし、明日出発する、明日出発すると毎日言っておきながら、中国ビザの期限ギリギリまでこの場所から抜け出せなかった。それほどまでにラサは魅力的な場所
普通、起業って、起業アイデアがあってやるものだったり、仲間がいてやるものだったり、するもんだと思っていたのだが、、、最近は、起業をしたい、という気持ち先行の人が増えている。そして、企業側もそういう人を支援するようなところがあるらしい。起業前
2007年4月6日 中国 西安より 僕の恋愛についての話 2
>1のつづき近くのレストランに入って僕はミルクティーを、彼女はコーヒーを注文した。僕のミルクティーはとても甘く、ぬるかった。お互いにお互いを忘れないように、ということで昨日約束していたものを交換した。何もあげるものをもっていなかった僕が渡し
2007年4月6日 中国 西安より 僕の恋愛についての話 1
6時に起きた。ちゃんと起きることができた。彼女を大学の寮へ送らなければ、、彼女はホテルに残るように言ってくれたが、僕も帰ることにした。帰るとき、バスルームのシャンプーやボディソープを大量にポケットに詰め込んだ。もうカッコつける必要はなくなっ
最近よく聞かれるようになってきて、多分、これからもっと聞かれるようになる。精力的に活動しているからこそ、みな不思議に思う。「お前は、結局何を目指して生きているのか?」僕は敢えてあまりちゃんと答えない。答えない方が、奥深そうに見えるから。しか
僕は今悩んでいる。西安のベッドの上でめちゃめちゃ悩んでいる。僕が男ならばデイブたちとの約束を守るべきだ。もう、それはずいぶん前に決められたことなのだから。彼らと山に行くべきだ。しかし、しかしだ。僕の心は動いてしまった。もうすっかり動いてしま
立ち上げた「おそうじぽん」事業は軌道に乗った。新規案件の問い合わせはひっきりなしに来る。なので、やるべきことは、案件数の増加に伴って、清掃クルーや社員を増強していくこと。スタッフを増やせば増やすほど、チームは強化されていく。今の悩みは、清掃
ある社員に投資について教えてほしいと何度も頼まれている。正直、気乗りがしなかった。僕自身が全く投資に興味がないから。それにまだ20代で、大して資金もない若手が投資を始めても意味ないと思うから。でも、やっぱり必要かもな、と思い直して、受けるこ
2007年3月29日 中国 バスの中より 自由への門を野原で開く
その日、僕は寝台バスに乗っていた。寝台バス。日本ではなかなか聞かない言葉だ。国土がそれほど広くなく、鉄道の発達している日本では必要のないものだからだろう。ここは中国、国土は陸地の15分の1、人口は世界の5分の1と言われている大国だ。日に何本
今日は空がどんよりしていた。万里の長城を早く拝みたかったけど、なるべく天気のいい日がいい。僕の気持ちもどんよりして、ホテルでぐだぐだ。なかなか動く気になれない。仕方ない。予定変更で紫禁城でも見てくるか。チケット売り場に行く。そこで見覚えのあ
また最近仕事の仕方が変わってきた。3月あたりからコロナが終焉し、一気に世界が変わったので、待ってましたとばかりに、事業拡大を加速させている。お客さんの数も爆増しているので、営業しなくても向こうから来てくれる状況。社員も一気に増やした。ひと月
子供の頃、僕のおじいちゃんが自慢げに言っていた。「髪の毛の健康のために、俺は頭を石鹸で洗っている。」と。「そうすれば、強い髪の毛ができるのだ。」と。おじいちゃんは、つるっ禿げだった。子供ながらに思った。おじいちゃんは禿げてるから、その言葉は
北京に着いたのは朝6時だった。北京、、、、大国の首都に着いたのだ。北京はばかでかかった。計算外の巨大な街だ。道路がとにかく広い。端と端にゴールを置けば、立派にベッカムがプレイできるだろう。碁盤の目に道が張り巡らされた計画的な都市だ。しかし、
サラリーマンのダメなところは、自分の時間の切り売りをしているところ。どんなに高級取りでもそれは変わらない。時間の切り売りをしていている人は、売れる時間がなくなったらそこで終わり。僕はかつて大企業に勤めて、海外駐在してたから、日本人では給料が
つい先日知り合った起業家仲間が、投資詐欺に遭ったと教えてくれた。それで、奥さん大激怒の家庭崩壊危機に陥った、と。その話を聞いて、僕はその人のことを強い人だな、と思った。まず、投資詐欺に遭ったら恥ずかしい。金銭的なダメージも大きいけど、騙され
地道に一歩一歩足を前に進めていたら、頂上に着いた。ここで一泊しよう。泰山山頂から眺める御来光がここまで登ってきた目的なのだ。頂上はさすがに寒い。滝は凍っていたし雪も残っている。僕はジャケットのジッパーを上まで締め、フードをかぶった 。宿をと
中央集権ではない、管理者のいない組織。DAO。Decentralized Autonomous Organization(分散型自律組織)DAO以前に、民主主義。みんなの意見を掬い上げて多数決で決める制度。これが正しい。と、皆信じて疑わない
僕はかつて、電力業界で働いていた。商社だけど、電力の部門にいて、しかも自分のことを電力技術者と定義づけして働いていた。どんどんニッチな世界に足を踏み入れつつ、このスキルも経験も潰しが効かんなーと、頭の片隅に思っていた。多分、商社の人はみんな
列車は朝早くに駅に着いた。バックを預けて、いざ中国一の聖山へ。海抜ほぼ0mの岱廟から徒歩でゆっくり登っていった。延々と続く全7412段の階段と、9kmの道のりをゆっくり登っていった。泰山山頂へ向かう長く急な階段を、重い荷物を木の棒の両端につ
県から支援金をいただいて、株式会社スマナビを立ち上げた。支援事業期間中は、事務局やメンターとのやりとりくらいしか関係者との連絡はなく、基本的には自分で起業準備を進めていくことが求められた。しかし、支援金を受けている人は全部で10チームほどい
無錫を出発する日が来た。時間が経つのはどうしてこんなに早いんだろう。彼らは、僕と一緒にいる時、決してお金をうけとろうとしなかった。遊ぶときはことごとくおごってくれた。それだけは申し訳なさが残った。そしてまた、僕が彼らにとってお客さんであった
前職を辞めて3年くらいが経った。当時、僕が何を考えて動いていたかというと、会社を辞めて自分でやろう、ということだけだった。会社員の生活はとても楽しく、充実していたけど、思い通りに突き抜けられないもどかしさがあった。やりたいことを、やりたいよ
無錫は予定外の町だ。この町に立ち寄るつもりはなかったし、なにより存在すら知らない町だった。僕がこの町を訪ねることになったのは、友達が待っていたからだ。フェーフェンとツァイドゥン。彼らにもう一度会うためだ。無錫は、上海から特急列車に乗って約4
ここ最近しばらくホテル暮らしをしている。全く問題ないので、これなら続けられる気がしてきた。これからはホテル暮らしを積極的に生活に取り入れていこうと思う。ホテル暮らしのメリット1。どこでも暮らせる当たり前だけど、ホテルはどこにでもあるので、住
2007年3月12日 中国 上海より Wandering Dog
ヨギさんに出会ったのは上海郊外の周荘という水郷の町だった。その日、僕は周荘の1日観光ツアーに参加していた。ガイドのまくしたてる中国語は当然のことながら全く理解できず、かといって見慣れてしまった中国古居群の風景にも飽きてしまって、僕はすっかり
帰国してから3年近く。率先して、現場最前線に立っていた。そのスタンスを今後は少し変えようと思う。今までは、働き方の見本というか、仕事に取り組む姿勢を見せる必要があった。仕事とはどういう姿勢で取り組むべきものなのかを、知らない人ばかりだったか
>1の続き僕とワンサくんは南京路のベンチに腰掛けて煙草を吸いながら話をした。中国には上海を除いてナイトライフを楽しめるような街はなく、ワンサくんは上海が大好きらしい。上海の女は300元。南京路の周りの女の子が接客しているようなBARは
事業期間が12月31日に終了した。実績報告は終了日から10日以内に郵送で提出する必要がある。200ページに及ぶ資料をまとめて提出して、ひと息つけたので、この3ヶ月でやったことを振り返ってみたい。そもそも支援が得られることが決まったのは8月1
どんどん成果を出す人がいる一方で、いつまで経っても、うだつの上がらない人がいる。前者はどんどん結果を出して進んでいく。後者はいつまで経っても大して変わらない。この言い方は語弊があるかもしれない。前者は、これだ、と言える明確な結果を残す。後者
上海は中国ではない。この街は1850年頃、外国に開港を迫られ、なかば植民地という形で発展してきた。さまざまな国の建築様式で造られた建物が渾然一体となって形成された大都市だ。ヨーロッパと東京をぐちゃっとぶつけてどんっと置いた感じ。僕はそんな第
宿泊業界は革命が起きていて、宿に行けば誰か人が待っているのが当たり前だったけど、今では人件費を極力減らすことが勝負の鍵になっている。別にホテルの受付カウンターに人など必要ない。人を減らせば収益性を高めることができる。だから、従来の有人型宿泊
起業支援金のメンタリングを受けていて、色々、会社を経営していく上での実務的なことを処理していく必要性を指摘された。どこから手をつけていいか、しぶしぶってたら、そんな起業家を支援する団体があるということで紹介された。それが「よろず支援拠点」名
日本の赤ちゃんのおしりはオムツでパンパンにガードされている。それが当たり前だと思っていたが、こと中国においてその常識は通用しない。全く逆だ。赤ちゃんの服のお股には丸い穴が開いている。人間において一番大切な部分が丸見えだ。なぜそのような構造に
他県のことは知らんけど、山梨は起業家への支援が手厚い。これは山梨のリスペクトすべき点であるのだけど、あんまりそういうことを知ってる人は少ないように思う。日本にはまだまだ起業家が少ない。新しい事業を興そうというチャレンジ精神に溢れた人材を、み
山梨ニュービジネス評議会という経済団体がある。何百人という会員がいて、それなりの規模の会社が名前を連ねており、経営者が人脈作りに活用しているそう。ニューとは言っているけど、かつてニューだっただけで、今はそれなりに年をとった人たちが集まってい
僕は乗り物が好きだ。常に何かをしていないと落ち着かない僕は、たとえぼーっとしていても、寝ていても、少なくとも乗っている間は「ある場所からある場所まで移動する」という行為をすることのできる乗り物の中が一番落ち着く。その中でこそ、僕は何もしなく
Mt.Fujiイノベーションキャンプで、センター長賞をもらって、山形県に行った。山形県には、山形大学があり、そこには、アントレプレナーシップ開発センターという組織がある。NEC出身の小野寺先生が率いている組織で、起業家育成的な活動をやってい
香港から2時間ほど電車に乗ると広州だ。寝ていたら着いた。乗り物に乗るととりあえず寝る、という癖が僕の体には染み付いている。悪い癖。一生に一度しか見ることができないかもしれない車窓からの風景を見逃してしまう。少し後悔しながら電車を降りた。中国
香港に着いてまず焦った。宿の探し方がわからないし、どこに行けばいいのかすらもわからない。もう少し英語が通じるものだと思っていた。こんな大都市で、おろおろ困り果てている自分に笑ってしまう。しかし、15キロもある荷物をしょったまま宿を探して歩き
日本企業の中では結構高給な会社を辞めて、地元に帰ってきて、傍目にくすぶった生活をしていると、割とよく言われる。「そんな良い会社を辞めて勿体無いねー!」それを何十回と言われようと、辞めて勿体なかったなー、と思ったことは、ただの一度もない。忘れ
Mt.Fuji イノベーションキャンプ2022に参加した感想
飛び込みで参加したイノベーションキャンプ。参加者たちはイノキャンと呼んでいるので僕もそう呼ぶ。中身はどういうものかというと、メンターに自発的に相談しながら、3日間ひたすらずっとビジネスプランをブラシュアップして、自分のプレゼンを発表する。以
いろんな友人が、僕のために送別会を開いてくれた。いろんなものをもらった。ありがとう。気円斬ひとくんに生まれてよかったなと本気で思ってしまった一ヶ月だった。いままでの人生の大切な人たちにここ数週間でたくさん会うことができたから、今死んでもダイ
今、新しい会社を興そうとして準備をしているわけですが、起業する費用が安くなる。ということを聞き、早速、受けることにした。「特定創業支援事業」結論として、個人が初めて起業をするなら、受けない理由はないと感じた。これは商工会議所で受けることので
山梨県が主催しているビジコン。それが、Mt. Fuji イノベーションキャンプ。略して、イノキャン。過去に何回か続いているらしい。僕は、やまなし地域課題解決型支援金をもらえることになったわけだけど、その支援金の中で、参加することが推奨されて
このブログは、アオハル時代の今読み返せば全くもって恥ずかしい記録今や、エロ広告に埋もれてしまったので、たまにここに転記する。当時のブログには写真がない。インターネットが写真を載せられるほど速くなかったから当時は無理だった。写真とブログを併せ
やまなし地域課題解決型起業支援金募集ページやまなし地域課題解決型起業支援金に選ばれると、200万円の支援金を得られるだけでなく、実施期間に亘って伴走支援メンタリングというサポートを得ることもできる。こちらのメンタリングについては、正直あまり
事務局から連絡があった。上位の採択者が辞退した時は、採択をする意向があるか?予算の関係上、採択されても最大100万円までしか出ないが、それでも良いか?落選してるなら、検討の余地なし。100万円でも機会をもらえるならお願いしたい、と伝えた。翌
1次審査を通過して、2次審査へ。審査は7月27日 リモート会議の形式で行われた。・事業計画等のプレゼンテーション:7分 ・審査員からの質疑応答:10分プレゼン資料は審査の数日前から少しずつ準備をした。事業計画自体は既に作っていたし、例
今は、起業ブームと言って良いと思う。たくさんの人が起業を志しているし、ベンチャーキャピタルや投資家はもちろん、企業や地方自治体なんかが、起業家支援をたくさん行なっている。金額の規模はまだまだ小さいかもしれないけど、新しいものを生み出そうとい
農地付き古民家を買った。我々は農業従事者ではないので、農地はそのままでは買えない。なので、農地転用をする必要がある。農地転用を司法書士に頼むとそれなりの費用がかかる。およそ20万円くらいだったと思う。この農地転用に必要な書類作業は僕なら10
何事も、早く動いた人が最もリスクが高く、最も利益を得る可能性がある。ファーストペンギンになれ。ということはビジネス界では良く言われる。一匹目が海に飛び込むと、後のペンギンは続々と後から続く。一匹目が飛び込むまでみんな随分と長い間ためらう。一
自分の母親を見ていると、夜中に家計簿をノートにつけている。紙の家計簿など時代遅れ。まず、振り返ってみるのが難しいし、集計とか、好きに数字をこねくり回して分析もできない。なんで、電子化しないのか。母親に聞いた。家計簿をつけること自体が好きだか
ぼっとん便所をやっと水洗便所に変えたけど臭すぎてやばい – 浄化槽設置
ぼっとん便所って田舎でも結構レアな存在になってきてる。河口湖エリアでは、溜まった汚物をバキュームで吸い出してくれる業者が、僕らが知る限り1社しか残っていない。その1社は引っ張りだこで結構忙しいので、呼んでもすぐ来てくれるとは限らないし、段々
レストランで下っ端として働いて、シェフから毎日ボロクソに批判されながら、身を粉にして働いていると、やっぱり心が荒んだ。人間はとても脆い。どんな屈強な漢であっても、人の心はとても脆い。確かにシェフと僕との間には大きな差がある 。厨房での経験は
このブログのテーマでもある、自由に生きよう。これは僕の仕事の軸でも人生の軸でもある。自由とは何か?僕にとって「自由」という言葉の定義は、ある日、180° 変わった。自由とは何物にも縛られず、責任や義務を持たず、思いのまま行きたいところに行き
なんだかんだ言って、やっぱCASH稼がないと始まらない。事業の正当性の証明は、いかにCASHを稼げるかだよね。もらうCASH と、そのCASHを得るために必要な消費の差分が利益。情報商材系とか、詐欺で利益を得ている人たちもいて、一概に稼ぐC
会社を辞める理由の第一は、報酬とか、仕事のキツさとか、やりがいとかじゃなく、人間関係の問題が一番っていう調査結果がある。上司とウマが合わなくて辞める。同僚との関係がこじれて辞める。仕事も恋愛も、自分にとって負のオーラを出してくる人と付き合う
生まれた時、僕は何も持っていなかった。そこから少しずつモノが増えていった。小学校の頃は漫画。中学校の時はゲーム。高校の時は服。大学生になった時にはモノで溢れかえっていた。何をそんなに持っていたのか今では思い出せない。僕は、今の会社の社長と2
前職で働いていた頃、尊敬し、畏怖していた偉い方がいた。その方は、僕が新入社員の頃はまだ部長で、部門長から役員までどんどん出世していった凄い人だった。とにかく高圧的で、プレッシャーをかける仕事スタイルだったので、部下はみんな緊張しながら仕事を
もう山梨県に移り住んで2年経つので、来たばっかりなので知りませーん、は通用しなくなった。海外駐在員だったら、早ければ2年で帰国辞令が出てしまうこともある。つまり2年はそれくらいまとまった期間であり、2年もいるのなら、その土地を大体楽しみきっ
①柔軟性 及び ②チャレンジ精神主体的に挑戦してさまざまな価値観を吸収できる力は御社にとって新しい考え方を提供し、思考の幅を増やしていくことができると思います。新たな市場やビジネスを開拓したり、既存のビジネスをさらに発展さ褪せていく原動力と
社員のみんなと目標について話し合う機会があった。幹部の一人が言った。「僕の目標は年収1000万円です。」そっか。じゃあ、次。隣に座っていた幹部が言った。「目標は年収1000万だね。」。。。モヤモヤ。そっか、そーだよな。僕はその時の自分の感情
我々の所有する貸別荘の中でも、一番の施設。ステラハウス べが。入り口はデッキになっているのだけど、屋根が短くてなんとなく物足りない感じの玄関だった。なので、オーニングテントを特注で付けてみた。横幅7.5m。伸ばすと3mくらい出てくる、らしい
貸別荘の中はできるだけスッキリさせて、お客様が利用できるスペー スを広く確保したい。そういう考えに立つと、押入れや物置は極力減らす間取りを考えることになる。これはトレードオフ。貸別荘に保管しておくべきだけど、通常、お客様にはアクセスしてほし
プレミアム食事券が地味に再開した。今回は2月1日から、今のところ6月30日まで。やまなしプレミアム食事券公式ホームページ8000円払えば10000円分使える。結構お得なクーポン。クーポンを買うとついつい外食が増えてしまう。僕らの店、MONO
駅近の施設には公共交通機関を利用して訪れるゲストが多くなる傾向にある。そうしたゲストには当然、車がないので、河口湖での観光は基本的に、徒歩か、バスか、、自転車になる。自転車は僕は結構好きだ。その良さがわかっている旅行者には外国人が多いと思う
マーメイドは駅から結構離れたところにあるので、車やバイクで来るお客様が多い。でも、中にはバスで来てくれるお客様もいる。河口湖から15分おきにバスは出ていて、すぐ近くにバスの停留所がある。また、最近は大石地域にも本数は少ないけど東京から高速バ
IoTが流行ってるけど、実際にどの機器を使えばいいの?家電なんかはどんどん無駄に進化してて、IoTが標準装備されるようになってきてる。一方で、単純にデータを収集したい、という目的だと調べてみても選択肢がそんなに多くない。じゃあ自前で作る?
レストランを心ゆくまで楽しんでもらう。その空間、時間の思い出を物として持って帰ってもらう。そしてレストランを家でも楽しんでもらう。ふと思い出したときにまたレストランにも訪れてもらう。何かそういったもの作れないかと考えたときに、作ったのがこの
会社の金を横領したり、人を騙したりした金で、豪華な生活を楽しんで捕まったというニュースが後を絶たない。大抵バレる理由は、給料に見合わない生活をしていたから周りにチクられて。浅はかだなと思う。僕は今までいろいろ経験をしてきた。遊びは僕にとって
リモートで運営している宿泊施設の状況をモニタリングしなければない場面が出てくる。もちろんプライベートのところに立ち入ることはできないけど、例えば、入退室チェックや、エアコン、照明、施設周辺の防犯カメラ、そして騒音。特に観光地で民泊をやってい
そろそろ会社も電話応対を組織的に行う必要が出てきた。・24時間お客様の電話に対応できること・複数のスタッフが持ち回りで対応できること・オフィスにいなくても電話応対できること・一つの電話着信に対して、複数スタッフへ同時着信可能であることこうし
スカイプはオワコンと言われている。かつてはスカイプが人と人をつなぐほぼ唯一で最高のツールだった。中東の砂漠。なんにもない砂漠の発電所の近く。仕事をするためだけに作られた無機質な街に住む人たちがいた。単身赴任で出稼ぎに来た労働者たちだった。僕
最近、起業やベンチャー投資が日本でも大層盛り上がってきていて喜ばしいと思っている。ベンチャー起業の資金調達プラットフォームとして、FUNDINNOというサービスが話題になっているので、どういった案件があるのか気になっていた。僕が不動産業をや
事前に申し込むことで5%のクーポンがもらえる。無尽でお助けキャンペーン。やまなしグリーン・ゾーン認証取得飲食店限定で利用できるこのサービス。マジで、1回も使ってもらえなかった。控えめに言ってこのキャンペーンは失敗だと思う。そもそも100億円
令和3年8月14日〜9月12日まで、時短要請が行われた。それに伴って協力金が支給された。すぐ申請したのに、最近になってようやく支払われた。支払いに半年かかる協力金って意味あるんだろうか。。。金が必要なところはとっくに潰れるし、必要ないところ
アマゾンからメールが来た。支払い方法に問題があり、更新しないといけないらしい。メールには更新先のリンクがあって、その先に行くといつものログイン画面が表示される。メールアドレスとログインパスワードを入力して、ログインする。ログインできない。.
楽天トラベルは、じゃらんに次ぐ、国内OTAの雄である。一番、ムカつくOTAはどこかと問われたら楽天トラベルである。楽天トラベルはやる気がない。楽天のサービス全般がそうみたいだけど、カスタマーサポートが充実していない。提供するサービスに必要な
インターンに一緒に参加した人たちの中で、一人だけ覚えている人がいる。ふっくらした猫みたいな女の子で、確か、少しだけ仲良くなって一緒に飲みに行ったりもした。就活生同士の出会いといったら青春っぽいけど、何せ僕はやる気が無さすぎる奴だったので、多
不謹慎だから誰も言わないし、忖度して口に出すなっていう話なんだろうけど、コロナって、少子高齢化問題を解決するための最高の手段だと、本気で誰も考えたりしないのだろうか?コロナなど全無視して、いつもと変わらない生活を送っていた方が、日本のため、
大学3年生の時、 僕はモルガン・スタンレー(現モルガン・スタンレーMUFJ証券)のインターンに参加した。
人と地球の共生を目指す大規模プロジェクトをマネージメントできる人になりたいです。僕は富士山の麓の街に生まれて育ちました。そこで幼少の頃から世界遺産になれない富士山の誤った開発のされ方に対し残念に思っていました。汚れた湖やゴミの多い山、大きな
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中東は宗教の国だね。人々は宗教の中で生きている。女性はみなスカーフで頭を覆い町を歩く。一日に五回、メッカに向かって礼拝する。頭を地につけてとても真摯に祈る。僕たち日本人には、これは奇妙な時間の無駄ぐらいにしか見えない。よくても、あら、この国
目が覚めても、僕はベットから起きることができなかった。布団にくるまって震えていた。怖い夢だった。とても怖い夢だった。東大を自分の身勝手な都合で離れた僕には、もはや、東大にいる資格は存在しなかった。僕にはもう一度入学試験が課された。もう一度あ
君はここにいたんだね。ニモ!!!エジプトの紅海は、信じられないほど美しい。とくにヌエイバは最高だ。エジプトが雨が降らなくて川がないから濁った土砂が海に入り込まないためだとか、紅海が閉じられていて波が穏やかだとか、そういう理屈的なことはおいと
6月15日。僕の誕生日。僕は自分の年とかにあまり頓着ないから、実際誕生日も大した意味はもたない。それでも、そんな僕でも毎年この日には忘れられない思い出がつけたされてきた。さすがに今年は、一人だから、どうしようもないな。だけど、ボツワナなんて
このブログをなぜ書いてきたのか。これは僕が考えたことの、僕自身への備忘録であり、誰か読んで共感してくれたいいなー、というくらいの理由でネット上に晒している。会社員時代にやってきたこと、会社を辞めた時のこと、会社を辞めた後に参加した事業のこと
広い世界で、テントに寝て、火を熾して、肉を食って。日の出とともに起きて、日が沈むと眠る。朝起きて、さあ何しようって考える。別になにもしなくても満たされる。夜、ふと目を覚まして、テントの外に出た。空には、まんまるい月が不似合いにそこにあって、
めんどくさい。人間と関わるのはもううんざりだ。もうインドには耐えられない。べちゃべちゃまとわりついてくるようなインド人にも、時に50度に達するような猛暑にも嫌気がさして僕は逃げ出した。もう人間はいらない。だったらとことん大自然にいこう。目指
インドに来て、一ヶ月経ち、自分が大切なものを失くしていることに気づいた。インドのどこの駅にもある大げさな機械の上に乗った時に気づいた。その機械は、人が一人乗れるようになっていて、目の高さの位置にわけのわからない内部構造が豪華な電飾で照らされ
手前がビル。奥がババ。僕の”所有物”の中で、最も大切なものは何かと聞かれたら、それはやっぱり「金」だ。僕のもっているわずかばかりの「金」だ。僕には、睡眠欲と排泄欲に次ぐ強烈な欲求として、なんというか、行動欲というようなものがある。いろんなと
僕は動物が好きで、地図をみるとまず始めに動物園を探してしまうような人なので、インドはそういうことではとても楽しい。いろんな動物が街に一緒に暮らしている。公園にいけば必ずと言っていいほど、たくさんのリスがピョンピョン飛び跳ねている。逃げていく
僕は何故かムキになって、話しかけてくる奴の言われるがままに流され最後にそいつが手のひらを返してくると激しく口論をする、ということを繰り返していた。今思えば、僕はまだ信じたかったのだと思う。その中に、一人でも僕を金としてじゃなく、人として見て
都会に暮らしていると、急に田舎暮らしとかに憧れたりする人がいる。キャンプブームとかも似たもんだと思っている。都会には自然があんまり無いから、ちょっとワイルドなところで、自然に触れて、不便を感じて、原始っぽい生活をする。それはそれで自分を見つ
インドは、すべてがありのままの姿でそこにあるようだ。日本では覆いがかけられ、知らないふりをしていればそれでやり過ごすことのできた数々の極端な物事が、インドでは露骨に僕を悩ませる。すべてきれいごとで済む日本が恋しくなる。なにも見たくもないこと
1個目は、自分で作って、自分に発注するのが一番早いし実績になる。ということで、シンプルに自分で民泊を作ることを決めた。民泊を作ることで一石が5鳥になるような物件を探せればなお良い。1。その案件が第一号案件として実績になる。2。その案件で、お
今回の静岡進出には明確な目的がある。静岡県に、おそうじぽんのサービス拠点を立ち上げること。つまり、静岡県で、民泊管理業を始めること。どうすれば、ゼロイチで事業を始められるか。仮に僕が何も持たない人間だったとして、おそうじぽんの看板をもらって
日本からずっと離れたこんな場所にいるのに、いつも見る夢の中で、僕がいるのは日本だった。日本にいて、昔僕の居場所だったところにいて、いつも周りにいたみんなが当然のようにそこにいて、真剣に笑ったり、悩んだり、怒ったりしている。そこにいる僕はとて
先日、1泊2日の合宿を計画した。めちゃめちゃ毎日忙しいなか、一人で全てのスケジュールを立てなければならない。ちゃんと計画して、みんなが満足するものができるのか、不安だった。なので、1ヶ月くらい、空いた時間はずっと研修のことを考えていた。僕が
昔からの友達で、事業家仲間でもある友人から、セミナーをお奨めされた。めちゃくちゃ良いから是非受けた方がいい。俺は、たくさんセミナー受けてきたけど、これだけは違った。このセミナーのおかげで、俺はめちゃめちゃ売り上げが上がった。こういうの誘うと
僕はラサに思いのほか長くいてしまった。すぐ出発するつもりだったのだ。ネパールのビザがとれたら。しかし、明日出発する、明日出発すると毎日言っておきながら、中国ビザの期限ギリギリまでこの場所から抜け出せなかった。それほどまでにラサは魅力的な場所
普通、起業って、起業アイデアがあってやるものだったり、仲間がいてやるものだったり、するもんだと思っていたのだが、、、最近は、起業をしたい、という気持ち先行の人が増えている。そして、企業側もそういう人を支援するようなところがあるらしい。起業前
子供の頃、僕のおじいちゃんが自慢げに言っていた。「髪の毛の健康のために、俺は頭を石鹸で洗っている。」と。「そうすれば、強い髪の毛ができるのだ。」と。おじいちゃんは、つるっ禿げだった。子供ながらに思った。おじいちゃんは禿げてるから、その言葉は
北京に着いたのは朝6時だった。北京、、、、大国の首都に着いたのだ。北京はばかでかかった。計算外の巨大な街だ。道路がとにかく広い。端と端にゴールを置けば、立派にベッカムがプレイできるだろう。碁盤の目に道が張り巡らされた計画的な都市だ。しかし、
サラリーマンのダメなところは、自分の時間の切り売りをしているところ。どんなに高級取りでもそれは変わらない。時間の切り売りをしていている人は、売れる時間がなくなったらそこで終わり。僕はかつて大企業に勤めて、海外駐在してたから、日本人では給料が
つい先日知り合った起業家仲間が、投資詐欺に遭ったと教えてくれた。それで、奥さん大激怒の家庭崩壊危機に陥った、と。その話を聞いて、僕はその人のことを強い人だな、と思った。まず、投資詐欺に遭ったら恥ずかしい。金銭的なダメージも大きいけど、騙され
地道に一歩一歩足を前に進めていたら、頂上に着いた。ここで一泊しよう。泰山山頂から眺める御来光がここまで登ってきた目的なのだ。頂上はさすがに寒い。滝は凍っていたし雪も残っている。僕はジャケットのジッパーを上まで締め、フードをかぶった 。宿をと
中央集権ではない、管理者のいない組織。DAO。Decentralized Autonomous Organization(分散型自律組織)DAO以前に、民主主義。みんなの意見を掬い上げて多数決で決める制度。これが正しい。と、皆信じて疑わない
僕はかつて、電力業界で働いていた。商社だけど、電力の部門にいて、しかも自分のことを電力技術者と定義づけして働いていた。どんどんニッチな世界に足を踏み入れつつ、このスキルも経験も潰しが効かんなーと、頭の片隅に思っていた。多分、商社の人はみんな
列車は朝早くに駅に着いた。バックを預けて、いざ中国一の聖山へ。海抜ほぼ0mの岱廟から徒歩でゆっくり登っていった。延々と続く全7412段の階段と、9kmの道のりをゆっくり登っていった。泰山山頂へ向かう長く急な階段を、重い荷物を木の棒の両端につ
県から支援金をいただいて、株式会社スマナビを立ち上げた。支援事業期間中は、事務局やメンターとのやりとりくらいしか関係者との連絡はなく、基本的には自分で起業準備を進めていくことが求められた。しかし、支援金を受けている人は全部で10チームほどい
無錫を出発する日が来た。時間が経つのはどうしてこんなに早いんだろう。彼らは、僕と一緒にいる時、決してお金をうけとろうとしなかった。遊ぶときはことごとくおごってくれた。それだけは申し訳なさが残った。そしてまた、僕が彼らにとってお客さんであった
前職を辞めて3年くらいが経った。当時、僕が何を考えて動いていたかというと、会社を辞めて自分でやろう、ということだけだった。会社員の生活はとても楽しく、充実していたけど、思い通りに突き抜けられないもどかしさがあった。やりたいことを、やりたいよ
無錫は予定外の町だ。この町に立ち寄るつもりはなかったし、なにより存在すら知らない町だった。僕がこの町を訪ねることになったのは、友達が待っていたからだ。フェーフェンとツァイドゥン。彼らにもう一度会うためだ。無錫は、上海から特急列車に乗って約4
ここ最近しばらくホテル暮らしをしている。全く問題ないので、これなら続けられる気がしてきた。これからはホテル暮らしを積極的に生活に取り入れていこうと思う。ホテル暮らしのメリット1。どこでも暮らせる当たり前だけど、ホテルはどこにでもあるので、住
ヨギさんに出会ったのは上海郊外の周荘という水郷の町だった。その日、僕は周荘の1日観光ツアーに参加していた。ガイドのまくしたてる中国語は当然のことながら全く理解できず、かといって見慣れてしまった中国古居群の風景にも飽きてしまって、僕はすっかり
帰国してから3年近く。率先して、現場最前線に立っていた。そのスタンスを今後は少し変えようと思う。今までは、働き方の見本というか、仕事に取り組む姿勢を見せる必要があった。仕事とはどういう姿勢で取り組むべきものなのかを、知らない人ばかりだったか
>1の続き僕とワンサくんは南京路のベンチに腰掛けて煙草を吸いながら話をした。中国には上海を除いてナイトライフを楽しめるような街はなく、ワンサくんは上海が大好きらしい。上海の女は300元。南京路の周りの女の子が接客しているようなBARは
事業期間が12月31日に終了した。実績報告は終了日から10日以内に郵送で提出する必要がある。200ページに及ぶ資料をまとめて提出して、ひと息つけたので、この3ヶ月でやったことを振り返ってみたい。そもそも支援が得られることが決まったのは8月1
どんどん成果を出す人がいる一方で、いつまで経っても、うだつの上がらない人がいる。前者はどんどん結果を出して進んでいく。後者はいつまで経っても大して変わらない。この言い方は語弊があるかもしれない。前者は、これだ、と言える明確な結果を残す。後者
上海は中国ではない。この街は1850年頃、外国に開港を迫られ、なかば植民地という形で発展してきた。さまざまな国の建築様式で造られた建物が渾然一体となって形成された大都市だ。ヨーロッパと東京をぐちゃっとぶつけてどんっと置いた感じ。僕はそんな第
宿泊業界は革命が起きていて、宿に行けば誰か人が待っているのが当たり前だったけど、今では人件費を極力減らすことが勝負の鍵になっている。別にホテルの受付カウンターに人など必要ない。人を減らせば収益性を高めることができる。だから、従来の有人型宿泊