趣味の、自己満ブログです。 不公平と矛盾する世の中は、 小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく…
人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない… 小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく。
これは私が、まだ小学生だった頃の話です。 父の仕事の都合で、私達家族は新しい土地 へ引越しをすることになりました。 正直私は友達と離れるのが嫌で嫌でたまら なかったのですが、当時5歳の弟にとっては 幼稚園の友達と別れるということはそれは もう大ショックだったようで、...
なぜ世の中には、男と女がいるのだろうか。 「生物がオスとメスにわかれている理由は、 異業種交流会にたとえるとわかりやすい。 業種ごとに違う色のリボンをつけていたほうが、 交流が効率的に進むのと同じだ」だという…。 「なぜ、男と女がいるの?」 と子供に聞かれたらどう答...
このお地蔵さんには不思議な力があり、 おできや、やけどをした人がお参りに行くと、 お地蔵さんは自分の体の同じところに、 やけどやおできをあらわして治してくれる というのです。 ある日の事、顔の左のほっぺたがスイカの様に はれあがった大工さんが、お地蔵さんの話を 聞いてや...
祖母光子の経営していた小料理屋がいよいよ ダメになり、長く住んでいた新橋の店を売ること になりました。 東京で3人で暮らすとお金がかかるからと、 母教子は東京に残って昼夜働き、私と祖母は、 かつて私が住んでいた茨城県牛久町に 引っ越すことになりました。 そう。私の...
歌詞に「新宿駅裏」とあることから、 ここで居酒屋を営んでいた女性が 店仕舞いすることになり、 その最後の一夜を歌った作品です。 しょんべん横丁は、青梅街道から新宿駅北端に 至る線路際の商店街。 30×100メートルほどの狭い空間に、小さい店が びっしり建ち並んでいま...
化粧品やサプリメントに含まれる「アンチエイジング物質」 は、その多くが植物由来だ。 なぜ植物はそうした成分を持っているのか。 「それは自ら動くことのできない植物ならではの 生存戦略だ」という。 老化を防ぎ、美容を維持する「アンチエイジング物質」 老化を防ぎ、若返りを...
愛憎 それから五年の月日が経った。 呉王僚は、隣国の楚に侵攻する計画を着々 とたてている。 伍子胥は畑を耕しながら市井に潜伏し、 復讐の時機をうかがっている。 子仲は名を専諸と変え、公子光のもと、 指令を待ち続けていた。 楚では嬴喜の産んだ太子が軫と名付けられ、 六歳...
私は高校卒業後、進学の為に地元を離れて 都心へと移り住みました。 当然ながら住んでいる周辺に知り合いがおらず、 それでも慣れてきてからは学校の友達とよく遊ぶ ようになっていきました。 進学してから半年ほど経った頃でしょうか。 私と同じく進学で都心へ移り住んだ...
たとえ同い年でも、10歳年上でも、それまで普通に 暮らしていた伴侶がなんの予告もなしに大病を 患うのは、信じられないし、信じたくないはずだ。 しかし振り返ってみると、前兆めいたものは たしかにあった。 ノートパソコンが重くて耐えられなかった 異変の第1段階は、息...
その近くの二俣(ふたまた)という村に、与三次(よさじ) という若者と母親が住んでいました。 ある日の事、この与三次の家に、やさしい働き者の 嫁さんが来ました。 嫁さんは蓮如上人の教えをうけて、毎日、吉崎御坊 (よしざきごぼう)へお参りに通っていました。 そのうち与三...
「元看護師殺人事件」の結末 実は、日本ではコロナ禍がはじまって以降、 老老介護に関する殺人事件が増えていると 言われている。 「責任感が強い人ほど追いつめられる」という。 その家は二世帯住宅になっていた。1階には 70代の両親が暮らしており、2階には長男家族 が住ん...
石原裕次郎は、昭和53年(1978)に舌下潰瘍の 手術をして以降、次々と疾患が発見され、 入退院を繰り返しました。 昭和61年(1986)5月、高熱のため慶應義塾大学 病院に入院、 7月に退院してから、翌年4月までハワイで 療養しました。 この療養中に制作さ...
「あたしは笑って死ぬ。そうするんだって決めているんだ」 医師が患者さんに治療を勧めるときの定番フレーズが 「治療しないとたいへんなことになります」です。 私はいろいろな意味で、このフレーズが腑に落ちません。 まず、「たいへんなこと」とは、つまり「死ぬこと」もしくは ...
モテる男の代名詞 そんな伊集院の『週刊文春』の連載「悩むが花」を 私は愛読している。 人生相談風エッセイだが、たとえば最新の1月14日号では、 58歳の中小企業の社長が「経験豊富な」伊集院に 若い女性の口説き方を尋ねる。 それに対して伊集院は冗談まじりに答え...
夏の昼さがりの事、和尚さんは弟子の小坊主を連れて 病人の家から帰る途中でした。 「和尚さま、今日もお暑い事で」 「まったくじゃ。しかも蒸し暑くて、汗が乾かん」 二人は汗をふきながら歩いていましたが、 突然、ポツリポツリと雨が降り始めて、 みるみるうちに水おけをひっくり返...
むかしむかし、あるところに、一人の犬飼いがいました。 犬飼いとは、狩りで使う猟犬を育てる仕事です。 ある日の事、犬飼いがお気に入りの犬を連れて 池のそばを通ると、犬が急に吠え出したのです。 「こら、いったいどうした? ・・・あっ!」 見ると、美しい娘が池で水浴びをしてい...
「元看護師殺人事件」の結末 実は、日本ではコロナ禍がはじまって以降、 老老介護に関する殺人事件が増えていると 言われている。 これまで私はこうした老老介護が引き起こした 事件をいくつも取材してきた。その中で感じるのは、 「責任感が強い人ほど追いつめられる」ということ...
昭和44年(1969)9月25日に発売されて大ヒットした 『新宿の女』に続く2枚目のシングル。 昭和45年(1970)2月5日にRCAのレーベルで 日本ビクターから発売。 すぐにヒットし、オリコンチャート1位を獲得、売り上げは 公称110万枚を記録しました。 同年7...
個性をすりつぶし、わからない状態で混ざり合うのではなく、 食感、色、味わいなど、それぞれの個性を生かしつつ、 混ざり合うことが真の共生社会につながるという。 全盲の金メダリスト 河合純一氏の言葉です。 河合氏は生まれつき左目の視力がなく、15歳で 全盲になりました。...
愛憎 亡命者の子孫という彼の立場が、流れに沿って生きる道 を選択させたのである。 「これよりこの専諸を公子様の臣下として扱って いただきたい。彼は、…きっと公子様のお役に立つ ことになりましょう」 伍子胥は、公子光にそのように子仲を紹介した。 それを受けた公子は、無言...
これは今から10年以上前、まだ私が中学生だった 頃の話です。 あと数日で夏休みが終わるというある日、 弟と私は母の運転する車で近所の市民プールへ 連れて行ってもらいました。 はっきりと覚えてはいませんが、残り少ない夏休みを 満喫するため、弟と2人で母にせがん...
「女心を知り尽くしていらっしゃるんですね」 のっけから檀はからかい口調だった。 「女性と話すときに全然緊張とかなさらないでしょう…」 思いもよらぬジャブを食らって、「女姉妹の真ん中 で育ちましたから」と返すのが精一杯。 “辛口評論家”とか呼ばれて恐がる人が多いのに、...
むかしむかし、きっちょむさんと言う、とんちの 上手な人がいました。 ある日の事、きっちょむさんは町のとうふ屋に行って、 とうふを一丁買いました。 その帰り道、たくさんのドジョウをつかまえた若者たちが ドジョウをなべに入れて、これからドジョウ汁を作ろう としているとこ...
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