chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
しろげしんた
フォロー
住所
八幡西区
出身
八幡西区
ブログ村参加

2021/10/07

arrow_drop_down
  • 助言

    「ぼくはウツなんですよ」と、自慢げに言う男がいる。病院からもらった薬を飲んで治療しているらしい。おそらく精神安定剤の類だろうが、かつて薬に頼りすぎて、精神が不安定になった女性をぼくは知っている。突然家の中で花火をしようとしたり、突然警察に電話をかけて「今から死ぬ」と自殺予告をしたり、とにかく薬を飲むとわけがわからなるのだ。生活の歪みが積もり積もってかかってしまった心の病だ。歪みを元に戻すことをせず、安易に薬なんかで治そうとするからそうなるのだ。「わけのわからない薬なんか頼らずに、例えば般若心経や延命十句観音経といった短いお経を、ひたすら唱えたほうがはるかに効果がある」と、ぼくは彼に助言した。ぼく自身そうすることで、救われたことがあるからだ。それで集中力が養えたらしめたもので、心がウロウロしなくなる。心がウ...助言

  • 『問題児』

    中一の頃、教師間のぼくの称号は、『問題児』だった。そのきっかけとなったのは、クラス内で暴れていた級友を止めようとしたことにあった。担任の女教師はなぜかことのいきさつも調べずに、それをけんかと見なし、勝手にぼくをその首謀者に仕立てあげた。あまりの馬鹿馬鹿しさにぼくは呆れてしまい、何も弁解しないでおいたのだが、それがまずかった。担任はさらに調子に乗って、ぼくを『問題児』扱いするようになったのだ。ノートに落書きすると『問題児』。他の先生に叩かれると『問題児』。美術の作品を出し忘れると『問題児』。体育の授業を見学すると『問題児』。流行りの言葉を使うと『問題児』。一人で繁華街行きのバスに乗っているところを見られて『問題児』(町の柔道場に通っていた)。『問題児』、『問題児』、『問題児』・・。いったいどれだけ『問題児』...『問題児』

  • ご安全に

    昼間、車を走らせている時だった。太陽をキラリと反射させた飛行物体が、こちらをめがけて飛んできた。ぼくは思わずブレーキを踏んだ。よく見ると、その飛行物体は、今年初めて見るトンボだった。シオカラなどの普通サイズのトンボではなくて、オニヤンマやギンヤンマといった、まさに飛行物体と呼べるような存在感のある大きなトンボだった。さて、ブレーキを踏んで減速したものの、元々車はスピードを出してなかったので、トンボは車に激突せずにうまく車をよけていったと思われる。いくら昆虫とはいえ、車に当たれば、「コツッ」程度の音はするだろう。だが、その音は聞こえなかった。ところでそのトンボ、えらくきつそうに飛んでいるように見えたけど、きっとこの暑さと湿気で、体の切れが悪かったのだろう。もしかしたら、汗が目に入ってしまい、車が見えなかった...ご安全に

  • 海はヌルッとしてました

    この団地の先に海があります。まあ海と言っても港湾ですし、対岸は老舗の化学工場だから、誰一人泳ぐ人などおりません。昔より綺麗になっているので泳げないことはないのですが、泳ぎたいとは思わないのです。勿論落ちたら泳ぐでしょうがそこに落ちる馬鹿はいません。ごく一握りの人を除いてはね。どんな人が落ちるかというと、俗にドジとか言われる人です。そのごく一握りの人をぼくは知っていますよ。はい私です。海はヌルッとしてました

  • 選挙と担任の話

    高校二年の頃、休み時間中に担任の先生から「しんた、ちょっと来てくれ」と進路指導室に呼ばれたことがある。高校二年時の担任は、いろいろないきさつがあり、ぼくを嫌っていた。当然ぼくも彼を嫌っていたのだが、その絡みで何か文句を言われるのではないかと思い、憂鬱な気分で進路指導室に入った。「何ですか?」とぼくが不愛想に言うと、彼は「まあ、そこに座れ」と言う。そして彼は急に笑顔になり、「お願いがあるんやけど」と言った。「えっ?」「今度、選挙があるやろ」「ええ」「親御さんに社会党に入れるように頼んでくれんかのう」『何で生徒にそういうことを頼んでくるんだ。頼むのなら、直接本人に言えよ』と思いながら、ぼくは、「はあ」と生返事をしておいた。担任はその返事を聞いて、さらにぼくを嫌ったようだった。もちろん、ぼくは『親御さん』には何...選挙と担任の話

  • 期日前投票

    先日、期日前投票に行ってきたのだが、そこに行くと、毎回毎回同じ質問をされて、うんざりしてしまう。「投票日には行けないのですか?」「はい」(何でいちいちそんなことを聞くかなあ。その日は都合が悪いから、今日来ているんでしょうが)「その日は仕事なんですか?」「そうです」(私はね、仕事柄日曜日が休めない人間でしてね。でもそんなことはどうでもいいことでしょう、現に投票に来ているんだからね)50歳を過ぎてから、選挙には毎回参加している。それは少しでもいい世の中、例えば期日前に投票しにきても、毎回毎回その理由を聞かれるようなことのない、そんな世の中になってもらいたいからだ。しかし、期日前に投票しに来た人を捕まえて、選挙の日に投票に行けない理由を聞く暇があったら、選挙後に投票しなかった人の所に行って、投票しなかった理由を...期日前投票

  • 怠け者列伝

    かつて日教組出身のおっさんと組んで、派遣の仕事をしたことがある。何の教科の先生だったかは知らないが、そのおっさんの言うことはいちいち理が通って立派だった。ところが一緒に仕事をしていくうちに、おっさんが立派なのは口だけで、仕事をしない人間だということがわかった。やたら休憩を取るし、定時より早く帰るし、しょっちゅうズル休みするし、あげくに職場の女の子に手を出す始末だ。見かねた上司が注意をしたが、「はいはい」と言いながらも、まったく聞く耳を持たなかった。結局おっさんは、契約が切れるまでその会社に居座っていた。約切れの何日か前、「あ、まだ有給休暇が残っていた。じゃ明日から来なくていいな。あんたもちゃんと有給休暇を取りなさいよ」と言って、それ以来姿を見せなくなった。さて、おっさん。その仕事の絡みで、ちゃっかりとコネ...怠け者列伝

  • 鬼太郎の思い出

    ぼくが鬼太郎を知ったのは小学4年生の頃、そうテレビマンガ『ゲゲゲの鬼太郎』が始まった時だ。当時のぼくは少年サンデーばかり読んでいて、少年マガジンにどんなマンガが載っているのかをまったく知らなかった。それゆえに鬼太郎は、テレビで見たのが初めてということになる。ぼくの周りも圧倒的にサンデーファンが多かったので、鬼太郎に関しては、巨人の星などと同じくテレビから入っていった人間がほとんどだった。とはいえ、ぼくは鬼太郎のことを、まったく知らないわけではなかった。大正生まれの伯父が、「戦前、紙芝居で『ハカバキタロー』というのがあったけど、あれは面白かったぞ」と言っているのを聞き、キタローなるものに興味をそそられ、それが潜在意識にインプットされていたのだ。そのせいか、テレビで『ゲゲゲの鬼太郎』が始まった時は敏感に反応し...鬼太郎の思い出

  • 猫にふられる理由

    猫は本能で生きている動物だから自分の行動に理屈をつけることをしない。行動に理屈をつけることをしないからのんびりと人生を考えることもない。人生を考えることがないということは裏返せばそんな暇はないということになる。つまり猫はその時その時の行動に人生のすべてを賭けているわけでだから今日はこのくらいにしておこうなどと言って手抜きをすることもなければやろうかな、どうしようかななどという優柔不断な行動をとることもない。猫はすべてに真剣勝負なわけだから「猫は本能で生きている動物だから自分の行動に理屈をつけることをしない・・」などと勝手に猫の人生を考えているような暇な人間を相手にする暇を持ち合わせてはいない。猫にふられる理由

  • もう一つのサイダー

    小学生の頃、ぼくの周りでは、サイダーといえば三ツ矢サイダーという認識だった。近くにスーパーマーケットなどなく、駄菓子屋がすべてだった時代、その他のサイダーなんて見たこともなかったし、その存在すら知らなかった。後年、サイダー分類されていると知ったキリンレモンは、レモンが入っているからという理由で、ぼくたちの間ではサイダー認定をしていなかった。だから今でも、ぼくの中ではキリンレモンはサイダーではないのだ。小学四年のある日、ある番組が始まってから、レモンの入ってない、サイダーらしきものがこの世にあるのを知ることになった。もちろん古くからある飲み物なので、他の地方や地区には流通していたかもしれない。だが、ぼくたちの住む世界には、その飲み物は存在しなかった。その番組とは、アニメ(当時はまだアニメとは言わずテレビ漫画...もう一つのサイダー

  • 環境破壊

    五十歳になって変ったことはトイレで手を洗わないという地球の環境に優しい生活から、トイレの後に手を洗うという環境破壊の生活になったこと。ぼくの中で大きな変化だった。環境破壊は今なお続いていて後ろめたい気持ちで一杯です。六十歳になって変ったことはハンカチを持込まないというばい菌のない清潔な生活から、ハンカチを持込んでばい菌が繁殖し汚染生活になったこと。ズボンの中は濡れハンカチで繁殖したばい菌がいっぱいだ。ポケットに手を突っ込めない。環境破壊

  • おいしいチャンポン

    チャンポン好きのぼくは、いつもおいしいチャンポンを探している。グルメな知人から「どこどこがおいしいかったぞ」と聞けば、必ずそこに行ってみる。その知人の情報は確かで、ほとんどハズレたことがない。しかし、ぼくが情報を仕入れるのは、何もそのグルメな知人からだけではない。とにかくぼくはチャンポンに関しては貪欲だから、食に関してのセンスを持ち合わせていない嫁さんが、仕入れてくるようなテキトーな情報でも、とりあえずは調べてみる。そして、まあまあ以上の評判ならば足を運んでいる。ということで昨日、食に関してのセンスを持ち合わせていない嫁さんの、情報を元にチャンポンを食べに行った。もちろんテキトーな情報だから、下調べをちゃんとやった。ところが、嫁さんの持ってくる情報はやはりテキトーで、その店の名前が見当たらないのだ。しかし...おいしいチャンポン

  • 寝言

    休日になるといつも眠気が襲ってくる。何をやっていても、ついつい居眠りしてしまうんだ。きっと休みで気が張ってないから、どうしてもそうなってしまうのだろう。いや、待てよ、それはちょっと違うかもしれない。なぜなら気が張っているはずの仕事中でも、眠気はしょっちゅう襲ってくる。ということは、気が張っていてもいなくても、いつも眠たいということだ。もしかしたら人間というものは、本来眠たい動物なのかもしれないな。若い頃、何かの本で読んだのだが、元々人類の祖先は本能に逆らわず、眠って何ぼの生活スタイルで健康的な人生を全うしていた。ところがある時期から、起きてて何ぼの生活スタイルに変化し、それこそが進化と考え、自由に眠ることを拒むようになったのだという。つまり人類は、文明が発展するにつれて本能を悪と捉えるようになり、不健康な...寝言

  • ゲーコ

    ぼくの家のそばに、そこそこ幅のある川が流れている。今でこそ魚が跳びはね、それを鷺がジッと狙っているような、自然を象徴する川になっているが、かつては魚も住まないような、それはそれは汚い川だった。ま、そのことはさておいて―。二十年ほど前まで、その川に沿ってもうひとつ、狭い川が流れていた。汚い川に輪をかけたようなドブ川で、何とも形容しづらい臭いを放ち、黒いヘドロの上に奇妙な色の液体が泡立ちながら浮かんでいた。それを初めて見た時、ぼくは吐き気を催したほどで、さすが死の海と呼ばれていた洞海湾に注ぐ川だ、と思ったものだ。ところが海と違ってその川は死んではいなかった。実はそこにはちゃんと生物が生息していたのだ。その生物は夏になると一斉に「ゲーコ、ゲーコ」と鳴き出した。そう、カエルである。生息する場所が場所だけに、案外奇...ゲーコ

  • 火薬の臭い

    夕方になると、どこからともなく火薬の臭いがしてくる。実際のところ何の臭いかわからないが、昔遊んだ2B弾だとか、ロケット花火の臭いによく似ている。とはいえこの辺に花火を作る工場はないし、炭鉱がない今は火薬を扱うような現場もない。そういえば近くに弾薬庫のようなものがあったらしいのだが、それも何十年も前の話だという。とにかく、最近は火薬のことを聞いたことはない。ということでそれは火薬の臭いではなく、火薬の臭いに似た何かということになるのだろうが、いったい何の臭いだろう。火薬という危険物よりも、正体不明の臭いのほうが、却って気味悪く、怖いです。火薬の臭い

  • 梅雨怪談

    この時期に幽霊が出てきた。頬にホクロの二つ並んだ、青黒い顔の女幽霊で、彼女がトイレとか部屋の中とかを、浮かぬ顔して往き来している。そこでぼくは除霊しようと思い、伝家の宝刀である般若心経を唱えた。ところが、肉体のぼくは寝ているので、口が機能しないのか、はっきりとした言葉になって出てこない。「マーカハンニャーハーラー」が「ファーファーファーファー」となってしまう。それが実にもどかしく、つい意地になって何度も何度もやってみる。しかし相変わらず言葉にならず、女幽霊はいつまで経っても消えようとしない。幽霊の横には嫁さんがいるのだが、きっと彼女には見えてないのだろう、『何やってんだ?』みたいな顔をして、ジーッとこちらを見ている。その時だった。誰かがぼくの後ろから肩をポンポンと叩くのだ。『誰だろう』と思い振り向くと、『...梅雨怪談

  • 早帰り

    今日は仕事を三十分早く終え、急いで家に帰ってきたのだが、野暮用で時間を費やしてしまい、結局風呂に入る時間はいつもと同じで、まったく新鮮味のない夜を迎えている。しかし考えてみれば、たかだか三十分早く帰ったくらいで、どんなすばらしい世界が待っているというのだ。所詮はいつもの生活の上に、ちょっと時間が乗っかっただけの話で、別にその時間に特別な楽しみが用意されているわけではないのだ。今夜みたいに、時間にふられて損した気分になるくらいなら、ありもしない「特別な時間」なんか期待せずに、その生活の中に楽しみを見いだすほうがよっぽどいいわい。早帰り

  • 夜中に目が覚めると

    夜中に目が覚めると、なぜか眠れなくなる。別に仕事のことを考えているわけでもなく、頭に嫌な奴のことを描いているわけでもなく、神経質になっているわけでもない。眠たくないのではない、気持ちは眠たいのだ。きっと体や心のどこかに、睡眠を妨害する奴が潜んでいて、しきりにちょっかいかけているんだろう。以前はそれを七人の小人がやってるんだと思っていた。ところが七人の小人の姿を想像すると、逆に落ち着いて眠れていた。ということは彼らがやっているのではないのだろう。人の睡眠を妨害するような奴だから、七人の小人みたいにかわいくはなく、おそらく悪魔顔なんかしてるはずだ。こうなりゃとことん闘ってやるぞ。「出でよ、デーモン・・」ああ、今夜も眠れない。夜中に目が覚めると

  • 臭さ

    自分の人生の中で培われた考えがそっくりそのまま書かれている、そんな本に出会うことがたまにある。そういう時、「ああ、これを書いた人も、同じ生き方をしてきたんだな」と、まるで生涯の友にでも会ったような、大きな喜びを得るものだ。そういう本は、自分を変えてやろうと意気込んで読む、生き方だの思想だの哲学だのといった小難しいものには少ない。どちらかというとトイレなどで読み流すような、小説やマンガなんかに多いのだ。所詮は臭い考えということなのか?それとも臭さに意味があるということなのか?臭さ

  • 遠い灯り

    幼い頃から、遠い灯りを見ると、何か惹かれるものがあった。心がウキウキしてきて、夢や希望がふくらんでくるんだ。ところが昼間そこに行ってみると、別に大したところではなく、パチンコ屋のネオンだったり、カラオケ店の看板だったりする。そういえば人生のイベントだって、同じようなものだ。そこにたどり着くまでは、遠い灯りを見るように心を弾ませているのだが、着いてしまうと何のことはなく、そこには日常生活が待っているだけだ。たとえば修学旅行がそうだった。行くまでは何かと心がウキウキして、期待に胸をふくらませたが、ふたを開けてみると何と言うことはない。最初のうちこそ気も浮かれているが、そこにいるのはいつもの友だちや先生なので、そのうち浮いた気分も吹き飛んでしまった。「つまりは場所を変えた学校生活じゃないか。そんな中でいったい何...遠い灯り

  • 古い歌

    1,ラジオから古い歌が流れていた。例えば50年以上前の歌謡曲だとか、その頃流行ったGSの歌だとかだ。番組を制作しているプロデューサーは、きっとぼくと同じ世代の人なのだろう。その時代に生きていた人にしか、出来ないような選曲になっているからだ。ところでそういう歌を聴いていて、気づいたことがある。それは歌詞がおかしいということだ。メロとサビの歌詞の内容が違うものだったり、誰も知らないのに伝説だったり、うぶな女性が一人で飲み歩いていたり、とにかく現実味を感じないものが多くある。さらに思うことがある。それは、安易に人が死んでいるということだ。死んだ人のほとんどが恋人、それも女性で、病死したり、冬山で遭難したり、神隠しにあったり、湖に身を投げしたりして、その生涯を終えている。あの当時、それほど恋人と死別することが多か...古い歌

  • かつて好きだった有名人

    映画「お嫁においで」の頃の内藤洋子ドラマ「これが青春だ」の頃の岡田可愛ドラマ「キイハンター」の頃の野際陽子ドラマ「柔道一直線」の頃の吉沢京子ドラマ「おくさまは18歳」の頃の岡崎友紀ドラマ「姿三四郎」の頃の新藤恵美ドラマ「おひかえあそばせ」の頃の鳥居恵子ドラマ「おれは男だ!」の頃の小川ひろみ中山律子、須田開代子、並木恵美子よりも野村美枝子ドラマ「コートにかける青春」の頃の森川千恵子ドラマ「光る海」の頃の中野良子ドラマ「雑居時代」の頃の浅野真弓同じく「雑居時代」の頃の竹下景子ドラマ「水もれ甲介」の頃の村地弘美「欽ドン」の頃の香坂みゆきドラマ「花吹雪はしご一家」の頃の相本久美子ドラマ「前略おふくろ様」の頃の坂口良子キャンディーズの藤村美樹ドラマ「俺たちの朝」の頃の長谷直美ドラマ「気まぐれ本格派」の頃の水沢アキド...かつて好きだった有名人

  • バランス

    ここまでの人生、ぼくは惜しみもなく支出ばかりに重点を置いてきた。おかげで収支のバランスは崩れたままだ。しかも支出は増え続けていく一方で、返済のめどさえ立っていない。だけどぼくは諦めているわけではない。どちらか一方に重点が置かれたまま物事が進むはずがないのを、ぼくは知っているからだ。自然はいつも中庸であろうとする。ということは、自然はこのバランスを修復すべく収入攻勢をやってくれるはずなのだ。それがいつになるのかはわからないが、ぼくはワクワクしながら待っている。バランス

  • 十番目の夏

    一番目の夏が来て人は、来年からネクタイをしなければならないというルールを作った。二番目の夏が来て人は、ネクタイをすることになった。三番目の夏が来て人は、ネクタイをすると体感温度が上がることがわかった。四番目の夏が来て人は、体感温度と地球温暖化の因果関係がわかった。五番目の夏が来て人は、「もうネクタイをやめよう」と言いだした。六番目の夏が来て人は、ネクタイを外そうとしたが出来なかった。七番目の夏が来て人は、なぜネクタイが外せないのかを考えた。八番目の夏が来て人は、ネクタイを外すためのルールがないからだとわかった。九番目の夏が来て人は、来年から夏はネクタイを外してもよいというルールを作った。十番目の夏が来て人は、ようやくネクタイを外すことができた。十番目の夏

  • 印象

    たとえば深夜、街が寝静まっている時に一匹の猫の子が鳴いたとしましょう。これが妙に心に響くのです。昼間、喧噪の中で重大な事件があったとしても、人にはその声の方が一日の印象として残るものなのです。仕事でも同じことでしてね、会議が行き詰まって誰も発言が出なくなった時に、意見を吐く人がいたとしましょう。そういう意見は大体が下らん意見だったり、誰かの意見の受け売りだったりするわけですが、人々の印象にはその人の意見が残るのです。いや、その人が残るのです。結局そういう人が勝ち組なっていくんですね。組織は目立って何ぼのもんだから、例えその人が馬鹿であっても、印象に残ったその人は、いい方向に向かっていくものなのです。同じく目立って何ぼでやってきた上司から、「おっ、おれの若い頃に似ている」と思ってかわいがられる。そしてその上...印象

  • まさにドラマだ

    「生きていることの意味」、そんなことを考えるのはおそらく人間だけで、他の生物はそんなことを考えることはないだろう。なぜなら他の生物は人間のように暇じゃなく、生きることに精一杯だからだ。たとえばさっきからぼくの周りをしつこく飛んでいるハエが、「おれは何のために生きているんだ?」などと考えながら飛んでいたら、いとも簡単に叩き殺されてしまうだろう。つまりハエは生きることに一生懸命で、「おれは何のために生きているんだ?」なんて暇なことを考えて生きていないから、今のように子孫繁栄しているわけだ。「子孫繁栄」、ああそうだ、子孫繁栄だ。われわれはそのために生まれてきたんだ。つまり生きている意味というのもそこにあるわけだ。種の保存、結局はそこに行き着くんだな。ということはだ、「われわれ生物というのは、ラブストーリーを完成...まさにドラマだ

  • シンプル

    観光地のお土産屋さんなどでよくタヌキのアクセサリーを見かけるが、何が楽しいのか、その股間には決まって紐付き金玉が付いている。それを見ていつも思い出すのが、1970年頃に流行した、紐付き金玉をそのまま大きくしたようなアメリカンクラッカーという玩具だ。遊び方はいたってシンプルで、玉と玉を繋いでいる紐の真ん中を指で持ち、それを振って玉と玉を当て、「カチカチ」と音を鳴らすだけのものだった。それと前後して流行ったのがラブ・アンド・ピースのグッズだった。黄色地に二つの点と曲線だけという、シンプルな顔のニコちゃんマークが付いていた。しかしそんなシンプルなものが、どうしてあの時期に流行ったのだろう。1970年といえば、ビートルズが解散した年だけど、それと何か関係あるのだろうか。そういえば最後のシングル『LetItBe』は...シンプル

  • 頑張るリック君

    知人の家に、リックという名のオスのミニチュアダックスがいる。かなり前から飼っていて、人間の歳にするともう七十歳を超えているという。なるほど目は白内障になっていて、歩きもヨタヨタしている。ところがそのリック君、そんな体になってはいてもあちらの方は元気な様子で、何かにつかまっては必死に腰を振っている。それが原因なのだろうか、ヘルニアにもなっているという。そういえばこのリック君、ずっとお座敷で飼ってきたせいで、メスとの接触がまったくなく、この歳まで童貞で通してきたらしい。そのせいかもしれないが、お気に入りの対象がちょっとずれている。申し訳ないけどリック君、ぼくの脚はメスではないんだよ。頑張るリック君

  • じゅげむじゅげむ

    小学三年生の頃、ひょんなことから130文字以上ある『じゅげむ』を一日で覚えた。当時はその程度の文字数なら、何の苦もなく覚えられたのだ。徐々にきつくなったのは中高生の頃で、歴史の年号や数学の公式などに、いつも手こずっていたものだ。社会に出てからさらに酷くなった。深酒やたばこやストレスが老化を早め、次第に脳が暗記を拒むようになったのだ。おかげで延命十句観音経(42文字)程度の言葉でさえ、覚えるのに数日かかってしまった。次に覚えようとした般若心経(262文字)は一週間以上かかり、ついでに覚えようとした観音経(2062文字)に至っては数行覚えるのが精一杯で結局は断念してしまった。以来暗記物はまったくだめだ。そのせいで結婚式のスピーチなんかは、いつも即興でやっている。最初は緊張があるものの、次第に言葉に酔ってきて、...じゅげむじゅげむ

  • クラクション

    車を運転していて怖いのは、夜の歩行者の飛び出しだ。子供や年寄りが飛び出すのではない。ウォーキングに励む中年男女が飛出すのだ。自分のペースを乱されるのが嫌なのか、信号のあるところでも、青になるのを待とうとせずに、好き勝手に道路を渡っている。これなら違反にならないと、横断歩道の手前を歩く御仁もいる。いくら歩行者が悪くても、はねたら運転者の責任だ。彼らはその辺も計算に入れて歩いているのだろう。運動だけが健康の条件ではない。安全も立派な健康の条件なのだ。もっと自分の身の安全を考えろよ。『赤は止まれ、青は進め』、そんな簡単なルールが守れないのなら、ウォーキングなんかやめてしまって、一生高血圧と太り気味を悩んでろ!「ブーブーブー」クラクション

  • 問題は夜が明けてから

    朝7時になると、いつも家の前にある公園近くの家から、ヒップホップが聞こえてくる。数年前から始まったことで、最初はさほど感じなかったのだが、日が経つにつれて音がだんだん大きくなってきて、うるさく感じるようになった。近くにヒップホップをかけるような店はないから、それを鳴らしているのはその辺に住む住民なのだろう。もしかしたらその人は、ドラゴン桜のようにエクササイズをやりながらそれを聴き、英語の勉強をしているのかもしれない。しかし、朝の忙しい時間に大音響でこれをやられると、イラッとする。昨日ここに夜中に聞こえてくる声のことを書いたが、それよりも夜が明けてから聞こえるその音の方が、ぼくの中では耳障りになっている。問題は夜が明けてから

  • 問題はそこなのだ

    夜中になると、いつも家の前の公園から二、三人の子どもたちの遊ぶ甲高い声が聞こえてくる。最初は子どもだなんて思わずに、女子中学生がたむろして、騒いでいるのかと思っていた。ところがそれはどうも違うようだ。「あははは-、きゃっきゃっ」中学生にしては声が若いし、思春期特有の臭みがない。時折「オレ」などという男の子の言葉遣いも混じっている。ということは声の持ち主は、おそらくは幼稚園児か小学校低学年の声だ。そんな幼児が、そんな夜中に、いったい何をやっているのだ。いったい親は何をしているのだ。しかし待てよ、問題はそこにあるのではない。ここに引っ越してきて十数年経つけれど、「あははは-、きゃっきゃっ」その声は引っ越してきた当初から今までずっと聞こえていて、なぜか同じ子どもの声なのだ。果たしておよそ二十年前の幼児が、二十年...問題はそこなのだ

  • 流れ

    好きな言葉の一つに「流れ」がある。昔ある問題を抱えていたことがあって、何をやってもなかなか解決しようとしない。そういう時に読んだ本が、老子であったり禅書であったりしたのだが、こうなりゃどうにでもなれという気持ちで、そこに書いてあった「流れ」というものに任せ、慌てず、力まず、来るもの拒まずでやってみた。するとどうだろう。あれだけ悩んだ問題が、するするとうまく解決できたのだ。それこそ流れがよくなったのだろう。以来この言葉が好きになったというわけだ。会社を辞めた時も、再就職先を決めた時も、すべて流れに従った。もちろん流れの中の出来事だから、退職したことによる落ち込みもなかったし、再就職のストレスもほとんど感じなかった。最近は最近でこの「流れ」に任せていると、結構いいことがあったりするようになった。要は慌てず、力...流れ

  • やまとなでしこ

    知り合いに26歳の女の子がいるのだが、その子から同い年の彼氏のことで相談を受けた。彼女は結婚の目標年齢を27歳に決めていて、それが原因で彼氏ともめているという。彼氏は30歳前後に結婚を見据えているようで、その三年の溝が埋まらないらしい。それを聞いて、昔見たドラマを思い出した。そのドラマの主人公が結婚目標年齢としていたのが、彼女と同じく27歳だったのだ。ドラマの中で主人公は「27歳を過ぎると値崩れが始まる」と言っていた。主人公は目標通り27歳で、もう一つの目標であった大金持ちとの結婚にこぎつける。ところが結婚式当日にある事件が起こり、その結婚が自分の心に反したものだったことを主人公は悟ることになる。結局その結婚は破談になった。28歳の誕生日に主人公は、結婚してない自分を顧みて、「わたし何やってたんだろう」と...やまとなでしこ

  • もう一人の自分

    自分の心をどこまでも掘り下げていけば、別の人間にたどり着くのではないかと、常々ぼくは思っている。時々、現実とはまったく違った環境の中で、生活している夢を見る。なぜかその内容がえらく現実味を帯びていて、そこでの生活が自然に感じるのだ。その中に登場する人物も、現実では知らない人ばかりだが、夢の中ではえらく親しく懐かしい。そういうことを、ぼくは夢の中だけで体験しているのではない。ちょっと瞑想している時にだって体験している。ふと気づけばそこの人たちと、親しげに会話し盛り上がっているのだ。夢と瞑想、そのどちらの場合も、現実に戻った後には、すっかり内容を忘れている。だけど、そこで生活し、そこで会話したという現実味を帯びた感覚だけはしっかりと憶えている。これはいったい何なのだろうか。話は飛ぶが、地球空洞説というのがある...もう一人の自分

  • 河童

    前の会社にいた頃、昼食後いつもぼくは自分の車の中で寝ていたのだが、そこで時々不思議なことが起きていた。何者かが車内で横になっているぼくのお腹の上に乗り、ドンドン飛び跳ねるのだ。『誰だ!?』と目を開けても誰もいない。おかしいなと思いながら目をつぶると、しばらくしてからまた飛び跳ねる。おかげでゆっくり昼寝が出来なかった。ところで、その会社はいつも水に祟られていた。プロの水道屋さんが水道管を破ってしまって、社内の床が水浸しになったとか、専門業者が来て消火栓を点検していると、なぜかホースが外れて天井から水が降ってきたとか、とにかく普通では考えられない水の事故がしょっ中起きていたのだ。昔からその地に住んでいる人に聞いてみると、そこは元々池があって、その会社が建つ時にすべて埋めてしまったということだ。池にしろ川にしろ...河童

  • それは天職なんですよ

    何が楽しいというのではなく楽しくない場面がなぜか少ない。だから長丁場でも堪えられるのだ。不思議なことにそれをやっていると何度もいい運に巡り会う。どんな修羅場でも不思議と救いの主が現れる。仮にそれを辞めたとしても回り回ってまた同じことをやるだろう。そういう時なぜか力が増しているものだ。同じことをやると言ってもそれは決して逃げ場などではない。本能がそれを好んでいるのだ。だからいい自分をイメージできるしだから他人にもやさしくなれる。つまりはそれがいい運を運んでくるのだ。不器用などという言葉で片付けてはならない。それしか出来ないからやっているのではない。それが天職だからやっているのだ。それは天職なんですよ

  • あと十年経ったら

    ウェブ日記を始めたのは、二十世紀最後の年だった。その前の年にパソコンを手に入れ、ホームページという存在を知り、とりあえずそれまでノートなどに書きためていたものを打ち込んで、小出しにサーバーに上げていた。内容は多岐にわたっていたが、基本は思い出話や体験談だった。今そういうものを読み返してみると、その頃思い出となっていた多くのことが、今では思い出になってないことに気づく。つまり忘れているわけだ。思考の忘却ならわからないでもないが、体験の忘却だからしゃれにならない。二十年でこの有様か・・。あと十年経ったら、どれだけのことを忘れているのだろう。あと十年経ったら

  • ジャニス・イアンのライブ

    もう十数年前になるが、ブルー・ノートが博多にあった頃に、ジャニス・イアンのライブを見に行ったことがある。ドラマ『グッドバイママ』や『岸辺のアルバム』の主題歌がえらく気に入り、それから彼女の歌を聴くようになった。現在主だったアルバムはすべて持っている。さてそのライブ、彼女を見てその歌が聴けるだけで充分だったのだが、よくよく考えてみたら、そこは狭い会場だ。あのジャニス・イアンが、ぼくから10メートルも離れてない場所にいて、同じ空気を吸っているのだ。そのことに気づいた時に、ぼくは一気に感動してしまい、止めどなく涙が流れたものだった。それより以前にボブ・ディランのコンサートに行ったことがある。ミュージシャンというよりも、詩人として好きな方で、昔から本物を見れば確実に泣くと思うほど深く傾倒していたのだが、厚生年金会館(当...ジャニス・イアンのライブ

  • 一日の疲れ

    眠っている間は完全に忘れているのに、目が覚めて、布団の上で今日の予定などを考えていると、なぜか昨日あった嫌なことが蘇ってしまう。嫌なことなんだから見過ごしてしまえばいいのに、思考の回路は必ずその部分にも光を当てる。まあ、それはそれで呆けてない証なのだから良しとしよう。要はそこにとどまらずに次の項目に進めばいいのだ。ところが思考回路はその部分ばかり照らしている。仕方がないのでつきあっていると、それが元で、もっと過去にあった嫌なことまでが蘇ってしまい、嫌なこと、嫌なことが心の中を覆ってしまう。そういう心の状態を払拭しようとすると、くだらない心の葛藤が始まってしまい、さらに嫌なことが巨大化してしまう。一日の疲れはそこから始まっているのだ。一日の疲れ

  • もう一つの家族

    ぼくら家族が住むこの家にはもう一つの家族が住んでいる。彼らは老若や男女の区別なく酷く好戦的で無慈悲で野蛮でぼくらの姿を見つけるや否やきゃーきゃーと奇声を上げてはきもの片手に襲ってきたり猛毒の霧をふりかけてきたり時に凍死させようと試みたりこちらの息の根を止めるまでその手をゆるめず攻めてくる。例えその場で取り逃がしても通り道に罠を仕掛けてみたり毒煙を撒いて住めなくしたり手を替え品を替え攻めてくる。世間に迷惑がかからぬように人目を避けながら生きている大人しいぼくらを滅ぼそうとしつこくしつこく攻めてくる。ぼくら家族が住むこの家には酷く好戦的で無慈悲で野蛮なもう一つの家族が住んでいる。もう一つの家族

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、しろげしんたさんをフォローしませんか?

ハンドル名
しろげしんたさん
ブログタイトル
吹く風ネット
フォロー
吹く風ネット

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用