十九歳の頃、龍の夢を見たことがある。庭に檜が植えてあったのだが、それが突然龍に変わり家の中に飛込んできた。ぼくは家の中に横たわる龍のうろこの何枚かをはぎ取って、食べたのだった。龍の夢を見るとすごくいいことがあると言われているが、それから数年間はあまりいいことがなかった。とはいえ龍を見たから、きっといいことがあるという夢は見ることが出来たのだった。龍の夢
「ぼくはウツなんですよ」と、自慢げに言う男がいる。病院からもらった薬を飲んで治療しているらしい。おそらく精神安定剤の類だろうが、かつて薬に頼りすぎて、精神が不安定になった女性をぼくは知っている。突然家の中で花火をしようとしたり、突然警察に電話をかけて「今から死ぬ」と自殺予告をしたり、とにかく薬を飲むとわけがわからなるのだ。生活の歪みが積もり積もってかかってしまった心の病だ。歪みを元に戻すことをせず、安易に薬なんかで治そうとするからそうなるのだ。「わけのわからない薬なんか頼らずに、例えば般若心経や延命十句観音経といった短いお経を、ひたすら唱えたほうがはるかに効果がある」と、ぼくは彼に助言した。ぼく自身そうすることで、救われたことがあるからだ。それで集中力が養えたらしめたもので、心がウロウロしなくなる。心がウ...助言
中一の頃、教師間のぼくの称号は、『問題児』だった。そのきっかけとなったのは、クラス内で暴れていた級友を止めようとしたことにあった。担任の女教師はなぜかことのいきさつも調べずに、それをけんかと見なし、勝手にぼくをその首謀者に仕立てあげた。あまりの馬鹿馬鹿しさにぼくは呆れてしまい、何も弁解しないでおいたのだが、それがまずかった。担任はさらに調子に乗って、ぼくを『問題児』扱いするようになったのだ。ノートに落書きすると『問題児』。他の先生に叩かれると『問題児』。美術の作品を出し忘れると『問題児』。体育の授業を見学すると『問題児』。流行りの言葉を使うと『問題児』。一人で繁華街行きのバスに乗っているところを見られて『問題児』(町の柔道場に通っていた)。『問題児』、『問題児』、『問題児』・・。いったいどれだけ『問題児』...『問題児』
昼間、車を走らせている時だった。太陽をキラリと反射させた飛行物体が、こちらをめがけて飛んできた。ぼくは思わずブレーキを踏んだ。よく見ると、その飛行物体は、今年初めて見るトンボだった。シオカラなどの普通サイズのトンボではなくて、オニヤンマやギンヤンマといった、まさに飛行物体と呼べるような存在感のある大きなトンボだった。さて、ブレーキを踏んで減速したものの、元々車はスピードを出してなかったので、トンボは車に激突せずにうまく車をよけていったと思われる。いくら昆虫とはいえ、車に当たれば、「コツッ」程度の音はするだろう。だが、その音は聞こえなかった。ところでそのトンボ、えらくきつそうに飛んでいるように見えたけど、きっとこの暑さと湿気で、体の切れが悪かったのだろう。もしかしたら、汗が目に入ってしまい、車が見えなかった...ご安全に
この団地の先に海があります。まあ海と言っても港湾ですし、対岸は老舗の化学工場だから、誰一人泳ぐ人などおりません。昔より綺麗になっているので泳げないことはないのですが、泳ぎたいとは思わないのです。勿論落ちたら泳ぐでしょうがそこに落ちる馬鹿はいません。ごく一握りの人を除いてはね。どんな人が落ちるかというと、俗にドジとか言われる人です。そのごく一握りの人をぼくは知っていますよ。はい私です。海はヌルッとしてました
高校二年の頃、休み時間中に担任の先生から「しんた、ちょっと来てくれ」と進路指導室に呼ばれたことがある。高校二年時の担任は、いろいろないきさつがあり、ぼくを嫌っていた。当然ぼくも彼を嫌っていたのだが、その絡みで何か文句を言われるのではないかと思い、憂鬱な気分で進路指導室に入った。「何ですか?」とぼくが不愛想に言うと、彼は「まあ、そこに座れ」と言う。そして彼は急に笑顔になり、「お願いがあるんやけど」と言った。「えっ?」「今度、選挙があるやろ」「ええ」「親御さんに社会党に入れるように頼んでくれんかのう」『何で生徒にそういうことを頼んでくるんだ。頼むのなら、直接本人に言えよ』と思いながら、ぼくは、「はあ」と生返事をしておいた。担任はその返事を聞いて、さらにぼくを嫌ったようだった。もちろん、ぼくは『親御さん』には何...選挙と担任の話
先日、期日前投票に行ってきたのだが、そこに行くと、毎回毎回同じ質問をされて、うんざりしてしまう。「投票日には行けないのですか?」「はい」(何でいちいちそんなことを聞くかなあ。その日は都合が悪いから、今日来ているんでしょうが)「その日は仕事なんですか?」「そうです」(私はね、仕事柄日曜日が休めない人間でしてね。でもそんなことはどうでもいいことでしょう、現に投票に来ているんだからね)50歳を過ぎてから、選挙には毎回参加している。それは少しでもいい世の中、例えば期日前に投票しにきても、毎回毎回その理由を聞かれるようなことのない、そんな世の中になってもらいたいからだ。しかし、期日前に投票しに来た人を捕まえて、選挙の日に投票に行けない理由を聞く暇があったら、選挙後に投票しなかった人の所に行って、投票しなかった理由を...期日前投票
かつて日教組出身のおっさんと組んで、派遣の仕事をしたことがある。何の教科の先生だったかは知らないが、そのおっさんの言うことはいちいち理が通って立派だった。ところが一緒に仕事をしていくうちに、おっさんが立派なのは口だけで、仕事をしない人間だということがわかった。やたら休憩を取るし、定時より早く帰るし、しょっちゅうズル休みするし、あげくに職場の女の子に手を出す始末だ。見かねた上司が注意をしたが、「はいはい」と言いながらも、まったく聞く耳を持たなかった。結局おっさんは、契約が切れるまでその会社に居座っていた。約切れの何日か前、「あ、まだ有給休暇が残っていた。じゃ明日から来なくていいな。あんたもちゃんと有給休暇を取りなさいよ」と言って、それ以来姿を見せなくなった。さて、おっさん。その仕事の絡みで、ちゃっかりとコネ...怠け者列伝
ぼくが鬼太郎を知ったのは小学4年生の頃、そうテレビマンガ『ゲゲゲの鬼太郎』が始まった時だ。当時のぼくは少年サンデーばかり読んでいて、少年マガジンにどんなマンガが載っているのかをまったく知らなかった。それゆえに鬼太郎は、テレビで見たのが初めてということになる。ぼくの周りも圧倒的にサンデーファンが多かったので、鬼太郎に関しては、巨人の星などと同じくテレビから入っていった人間がほとんどだった。とはいえ、ぼくは鬼太郎のことを、まったく知らないわけではなかった。大正生まれの伯父が、「戦前、紙芝居で『ハカバキタロー』というのがあったけど、あれは面白かったぞ」と言っているのを聞き、キタローなるものに興味をそそられ、それが潜在意識にインプットされていたのだ。そのせいか、テレビで『ゲゲゲの鬼太郎』が始まった時は敏感に反応し...鬼太郎の思い出
猫は本能で生きている動物だから自分の行動に理屈をつけることをしない。行動に理屈をつけることをしないからのんびりと人生を考えることもない。人生を考えることがないということは裏返せばそんな暇はないということになる。つまり猫はその時その時の行動に人生のすべてを賭けているわけでだから今日はこのくらいにしておこうなどと言って手抜きをすることもなければやろうかな、どうしようかななどという優柔不断な行動をとることもない。猫はすべてに真剣勝負なわけだから「猫は本能で生きている動物だから自分の行動に理屈をつけることをしない・・」などと勝手に猫の人生を考えているような暇な人間を相手にする暇を持ち合わせてはいない。猫にふられる理由
小学生の頃、ぼくの周りでは、サイダーといえば三ツ矢サイダーという認識だった。近くにスーパーマーケットなどなく、駄菓子屋がすべてだった時代、その他のサイダーなんて見たこともなかったし、その存在すら知らなかった。後年、サイダー分類されていると知ったキリンレモンは、レモンが入っているからという理由で、ぼくたちの間ではサイダー認定をしていなかった。だから今でも、ぼくの中ではキリンレモンはサイダーではないのだ。小学四年のある日、ある番組が始まってから、レモンの入ってない、サイダーらしきものがこの世にあるのを知ることになった。もちろん古くからある飲み物なので、他の地方や地区には流通していたかもしれない。だが、ぼくたちの住む世界には、その飲み物は存在しなかった。その番組とは、アニメ(当時はまだアニメとは言わずテレビ漫画...もう一つのサイダー
五十歳になって変ったことはトイレで手を洗わないという地球の環境に優しい生活から、トイレの後に手を洗うという環境破壊の生活になったこと。ぼくの中で大きな変化だった。環境破壊は今なお続いていて後ろめたい気持ちで一杯です。六十歳になって変ったことはハンカチを持込まないというばい菌のない清潔な生活から、ハンカチを持込んでばい菌が繁殖し汚染生活になったこと。ズボンの中は濡れハンカチで繁殖したばい菌がいっぱいだ。ポケットに手を突っ込めない。環境破壊
チャンポン好きのぼくは、いつもおいしいチャンポンを探している。グルメな知人から「どこどこがおいしいかったぞ」と聞けば、必ずそこに行ってみる。その知人の情報は確かで、ほとんどハズレたことがない。しかし、ぼくが情報を仕入れるのは、何もそのグルメな知人からだけではない。とにかくぼくはチャンポンに関しては貪欲だから、食に関してのセンスを持ち合わせていない嫁さんが、仕入れてくるようなテキトーな情報でも、とりあえずは調べてみる。そして、まあまあ以上の評判ならば足を運んでいる。ということで昨日、食に関してのセンスを持ち合わせていない嫁さんの、情報を元にチャンポンを食べに行った。もちろんテキトーな情報だから、下調べをちゃんとやった。ところが、嫁さんの持ってくる情報はやはりテキトーで、その店の名前が見当たらないのだ。しかし...おいしいチャンポン
休日になるといつも眠気が襲ってくる。何をやっていても、ついつい居眠りしてしまうんだ。きっと休みで気が張ってないから、どうしてもそうなってしまうのだろう。いや、待てよ、それはちょっと違うかもしれない。なぜなら気が張っているはずの仕事中でも、眠気はしょっちゅう襲ってくる。ということは、気が張っていてもいなくても、いつも眠たいということだ。もしかしたら人間というものは、本来眠たい動物なのかもしれないな。若い頃、何かの本で読んだのだが、元々人類の祖先は本能に逆らわず、眠って何ぼの生活スタイルで健康的な人生を全うしていた。ところがある時期から、起きてて何ぼの生活スタイルに変化し、それこそが進化と考え、自由に眠ることを拒むようになったのだという。つまり人類は、文明が発展するにつれて本能を悪と捉えるようになり、不健康な...寝言
ぼくの家のそばに、そこそこ幅のある川が流れている。今でこそ魚が跳びはね、それを鷺がジッと狙っているような、自然を象徴する川になっているが、かつては魚も住まないような、それはそれは汚い川だった。ま、そのことはさておいて―。二十年ほど前まで、その川に沿ってもうひとつ、狭い川が流れていた。汚い川に輪をかけたようなドブ川で、何とも形容しづらい臭いを放ち、黒いヘドロの上に奇妙な色の液体が泡立ちながら浮かんでいた。それを初めて見た時、ぼくは吐き気を催したほどで、さすが死の海と呼ばれていた洞海湾に注ぐ川だ、と思ったものだ。ところが海と違ってその川は死んではいなかった。実はそこにはちゃんと生物が生息していたのだ。その生物は夏になると一斉に「ゲーコ、ゲーコ」と鳴き出した。そう、カエルである。生息する場所が場所だけに、案外奇...ゲーコ
夕方になると、どこからともなく火薬の臭いがしてくる。実際のところ何の臭いかわからないが、昔遊んだ2B弾だとか、ロケット花火の臭いによく似ている。とはいえこの辺に花火を作る工場はないし、炭鉱がない今は火薬を扱うような現場もない。そういえば近くに弾薬庫のようなものがあったらしいのだが、それも何十年も前の話だという。とにかく、最近は火薬のことを聞いたことはない。ということでそれは火薬の臭いではなく、火薬の臭いに似た何かということになるのだろうが、いったい何の臭いだろう。火薬という危険物よりも、正体不明の臭いのほうが、却って気味悪く、怖いです。火薬の臭い
この時期に幽霊が出てきた。頬にホクロの二つ並んだ、青黒い顔の女幽霊で、彼女がトイレとか部屋の中とかを、浮かぬ顔して往き来している。そこでぼくは除霊しようと思い、伝家の宝刀である般若心経を唱えた。ところが、肉体のぼくは寝ているので、口が機能しないのか、はっきりとした言葉になって出てこない。「マーカハンニャーハーラー」が「ファーファーファーファー」となってしまう。それが実にもどかしく、つい意地になって何度も何度もやってみる。しかし相変わらず言葉にならず、女幽霊はいつまで経っても消えようとしない。幽霊の横には嫁さんがいるのだが、きっと彼女には見えてないのだろう、『何やってんだ?』みたいな顔をして、ジーッとこちらを見ている。その時だった。誰かがぼくの後ろから肩をポンポンと叩くのだ。『誰だろう』と思い振り向くと、『...梅雨怪談
今日は仕事を三十分早く終え、急いで家に帰ってきたのだが、野暮用で時間を費やしてしまい、結局風呂に入る時間はいつもと同じで、まったく新鮮味のない夜を迎えている。しかし考えてみれば、たかだか三十分早く帰ったくらいで、どんなすばらしい世界が待っているというのだ。所詮はいつもの生活の上に、ちょっと時間が乗っかっただけの話で、別にその時間に特別な楽しみが用意されているわけではないのだ。今夜みたいに、時間にふられて損した気分になるくらいなら、ありもしない「特別な時間」なんか期待せずに、その生活の中に楽しみを見いだすほうがよっぽどいいわい。早帰り
夜中に目が覚めると、なぜか眠れなくなる。別に仕事のことを考えているわけでもなく、頭に嫌な奴のことを描いているわけでもなく、神経質になっているわけでもない。眠たくないのではない、気持ちは眠たいのだ。きっと体や心のどこかに、睡眠を妨害する奴が潜んでいて、しきりにちょっかいかけているんだろう。以前はそれを七人の小人がやってるんだと思っていた。ところが七人の小人の姿を想像すると、逆に落ち着いて眠れていた。ということは彼らがやっているのではないのだろう。人の睡眠を妨害するような奴だから、七人の小人みたいにかわいくはなく、おそらく悪魔顔なんかしてるはずだ。こうなりゃとことん闘ってやるぞ。「出でよ、デーモン・・」ああ、今夜も眠れない。夜中に目が覚めると
自分の人生の中で培われた考えがそっくりそのまま書かれている、そんな本に出会うことがたまにある。そういう時、「ああ、これを書いた人も、同じ生き方をしてきたんだな」と、まるで生涯の友にでも会ったような、大きな喜びを得るものだ。そういう本は、自分を変えてやろうと意気込んで読む、生き方だの思想だの哲学だのといった小難しいものには少ない。どちらかというとトイレなどで読み流すような、小説やマンガなんかに多いのだ。所詮は臭い考えということなのか?それとも臭さに意味があるということなのか?臭さ
幼い頃から、遠い灯りを見ると、何か惹かれるものがあった。心がウキウキしてきて、夢や希望がふくらんでくるんだ。ところが昼間そこに行ってみると、別に大したところではなく、パチンコ屋のネオンだったり、カラオケ店の看板だったりする。そういえば人生のイベントだって、同じようなものだ。そこにたどり着くまでは、遠い灯りを見るように心を弾ませているのだが、着いてしまうと何のことはなく、そこには日常生活が待っているだけだ。たとえば修学旅行がそうだった。行くまでは何かと心がウキウキして、期待に胸をふくらませたが、ふたを開けてみると何と言うことはない。最初のうちこそ気も浮かれているが、そこにいるのはいつもの友だちや先生なので、そのうち浮いた気分も吹き飛んでしまった。「つまりは場所を変えた学校生活じゃないか。そんな中でいったい何...遠い灯り
1,ラジオから古い歌が流れていた。例えば50年以上前の歌謡曲だとか、その頃流行ったGSの歌だとかだ。番組を制作しているプロデューサーは、きっとぼくと同じ世代の人なのだろう。その時代に生きていた人にしか、出来ないような選曲になっているからだ。ところでそういう歌を聴いていて、気づいたことがある。それは歌詞がおかしいということだ。メロとサビの歌詞の内容が違うものだったり、誰も知らないのに伝説だったり、うぶな女性が一人で飲み歩いていたり、とにかく現実味を感じないものが多くある。さらに思うことがある。それは、安易に人が死んでいるということだ。死んだ人のほとんどが恋人、それも女性で、病死したり、冬山で遭難したり、神隠しにあったり、湖に身を投げしたりして、その生涯を終えている。あの当時、それほど恋人と死別することが多か...古い歌
映画「お嫁においで」の頃の内藤洋子ドラマ「これが青春だ」の頃の岡田可愛ドラマ「キイハンター」の頃の野際陽子ドラマ「柔道一直線」の頃の吉沢京子ドラマ「おくさまは18歳」の頃の岡崎友紀ドラマ「姿三四郎」の頃の新藤恵美ドラマ「おひかえあそばせ」の頃の鳥居恵子ドラマ「おれは男だ!」の頃の小川ひろみ中山律子、須田開代子、並木恵美子よりも野村美枝子ドラマ「コートにかける青春」の頃の森川千恵子ドラマ「光る海」の頃の中野良子ドラマ「雑居時代」の頃の浅野真弓同じく「雑居時代」の頃の竹下景子ドラマ「水もれ甲介」の頃の村地弘美「欽ドン」の頃の香坂みゆきドラマ「花吹雪はしご一家」の頃の相本久美子ドラマ「前略おふくろ様」の頃の坂口良子キャンディーズの藤村美樹ドラマ「俺たちの朝」の頃の長谷直美ドラマ「気まぐれ本格派」の頃の水沢アキド...かつて好きだった有名人
ここまでの人生、ぼくは惜しみもなく支出ばかりに重点を置いてきた。おかげで収支のバランスは崩れたままだ。しかも支出は増え続けていく一方で、返済のめどさえ立っていない。だけどぼくは諦めているわけではない。どちらか一方に重点が置かれたまま物事が進むはずがないのを、ぼくは知っているからだ。自然はいつも中庸であろうとする。ということは、自然はこのバランスを修復すべく収入攻勢をやってくれるはずなのだ。それがいつになるのかはわからないが、ぼくはワクワクしながら待っている。バランス
一番目の夏が来て人は、来年からネクタイをしなければならないというルールを作った。二番目の夏が来て人は、ネクタイをすることになった。三番目の夏が来て人は、ネクタイをすると体感温度が上がることがわかった。四番目の夏が来て人は、体感温度と地球温暖化の因果関係がわかった。五番目の夏が来て人は、「もうネクタイをやめよう」と言いだした。六番目の夏が来て人は、ネクタイを外そうとしたが出来なかった。七番目の夏が来て人は、なぜネクタイが外せないのかを考えた。八番目の夏が来て人は、ネクタイを外すためのルールがないからだとわかった。九番目の夏が来て人は、来年から夏はネクタイを外してもよいというルールを作った。十番目の夏が来て人は、ようやくネクタイを外すことができた。十番目の夏
たとえば深夜、街が寝静まっている時に一匹の猫の子が鳴いたとしましょう。これが妙に心に響くのです。昼間、喧噪の中で重大な事件があったとしても、人にはその声の方が一日の印象として残るものなのです。仕事でも同じことでしてね、会議が行き詰まって誰も発言が出なくなった時に、意見を吐く人がいたとしましょう。そういう意見は大体が下らん意見だったり、誰かの意見の受け売りだったりするわけですが、人々の印象にはその人の意見が残るのです。いや、その人が残るのです。結局そういう人が勝ち組なっていくんですね。組織は目立って何ぼのもんだから、例えその人が馬鹿であっても、印象に残ったその人は、いい方向に向かっていくものなのです。同じく目立って何ぼでやってきた上司から、「おっ、おれの若い頃に似ている」と思ってかわいがられる。そしてその上...印象
「生きていることの意味」、そんなことを考えるのはおそらく人間だけで、他の生物はそんなことを考えることはないだろう。なぜなら他の生物は人間のように暇じゃなく、生きることに精一杯だからだ。たとえばさっきからぼくの周りをしつこく飛んでいるハエが、「おれは何のために生きているんだ?」などと考えながら飛んでいたら、いとも簡単に叩き殺されてしまうだろう。つまりハエは生きることに一生懸命で、「おれは何のために生きているんだ?」なんて暇なことを考えて生きていないから、今のように子孫繁栄しているわけだ。「子孫繁栄」、ああそうだ、子孫繁栄だ。われわれはそのために生まれてきたんだ。つまり生きている意味というのもそこにあるわけだ。種の保存、結局はそこに行き着くんだな。ということはだ、「われわれ生物というのは、ラブストーリーを完成...まさにドラマだ
観光地のお土産屋さんなどでよくタヌキのアクセサリーを見かけるが、何が楽しいのか、その股間には決まって紐付き金玉が付いている。それを見ていつも思い出すのが、1970年頃に流行した、紐付き金玉をそのまま大きくしたようなアメリカンクラッカーという玩具だ。遊び方はいたってシンプルで、玉と玉を繋いでいる紐の真ん中を指で持ち、それを振って玉と玉を当て、「カチカチ」と音を鳴らすだけのものだった。それと前後して流行ったのがラブ・アンド・ピースのグッズだった。黄色地に二つの点と曲線だけという、シンプルな顔のニコちゃんマークが付いていた。しかしそんなシンプルなものが、どうしてあの時期に流行ったのだろう。1970年といえば、ビートルズが解散した年だけど、それと何か関係あるのだろうか。そういえば最後のシングル『LetItBe』は...シンプル
知人の家に、リックという名のオスのミニチュアダックスがいる。かなり前から飼っていて、人間の歳にするともう七十歳を超えているという。なるほど目は白内障になっていて、歩きもヨタヨタしている。ところがそのリック君、そんな体になってはいてもあちらの方は元気な様子で、何かにつかまっては必死に腰を振っている。それが原因なのだろうか、ヘルニアにもなっているという。そういえばこのリック君、ずっとお座敷で飼ってきたせいで、メスとの接触がまったくなく、この歳まで童貞で通してきたらしい。そのせいかもしれないが、お気に入りの対象がちょっとずれている。申し訳ないけどリック君、ぼくの脚はメスではないんだよ。頑張るリック君
小学三年生の頃、ひょんなことから130文字以上ある『じゅげむ』を一日で覚えた。当時はその程度の文字数なら、何の苦もなく覚えられたのだ。徐々にきつくなったのは中高生の頃で、歴史の年号や数学の公式などに、いつも手こずっていたものだ。社会に出てからさらに酷くなった。深酒やたばこやストレスが老化を早め、次第に脳が暗記を拒むようになったのだ。おかげで延命十句観音経(42文字)程度の言葉でさえ、覚えるのに数日かかってしまった。次に覚えようとした般若心経(262文字)は一週間以上かかり、ついでに覚えようとした観音経(2062文字)に至っては数行覚えるのが精一杯で結局は断念してしまった。以来暗記物はまったくだめだ。そのせいで結婚式のスピーチなんかは、いつも即興でやっている。最初は緊張があるものの、次第に言葉に酔ってきて、...じゅげむじゅげむ
車を運転していて怖いのは、夜の歩行者の飛び出しだ。子供や年寄りが飛び出すのではない。ウォーキングに励む中年男女が飛出すのだ。自分のペースを乱されるのが嫌なのか、信号のあるところでも、青になるのを待とうとせずに、好き勝手に道路を渡っている。これなら違反にならないと、横断歩道の手前を歩く御仁もいる。いくら歩行者が悪くても、はねたら運転者の責任だ。彼らはその辺も計算に入れて歩いているのだろう。運動だけが健康の条件ではない。安全も立派な健康の条件なのだ。もっと自分の身の安全を考えろよ。『赤は止まれ、青は進め』、そんな簡単なルールが守れないのなら、ウォーキングなんかやめてしまって、一生高血圧と太り気味を悩んでろ!「ブーブーブー」クラクション
朝7時になると、いつも家の前にある公園近くの家から、ヒップホップが聞こえてくる。数年前から始まったことで、最初はさほど感じなかったのだが、日が経つにつれて音がだんだん大きくなってきて、うるさく感じるようになった。近くにヒップホップをかけるような店はないから、それを鳴らしているのはその辺に住む住民なのだろう。もしかしたらその人は、ドラゴン桜のようにエクササイズをやりながらそれを聴き、英語の勉強をしているのかもしれない。しかし、朝の忙しい時間に大音響でこれをやられると、イラッとする。昨日ここに夜中に聞こえてくる声のことを書いたが、それよりも夜が明けてから聞こえるその音の方が、ぼくの中では耳障りになっている。問題は夜が明けてから
夜中になると、いつも家の前の公園から二、三人の子どもたちの遊ぶ甲高い声が聞こえてくる。最初は子どもだなんて思わずに、女子中学生がたむろして、騒いでいるのかと思っていた。ところがそれはどうも違うようだ。「あははは-、きゃっきゃっ」中学生にしては声が若いし、思春期特有の臭みがない。時折「オレ」などという男の子の言葉遣いも混じっている。ということは声の持ち主は、おそらくは幼稚園児か小学校低学年の声だ。そんな幼児が、そんな夜中に、いったい何をやっているのだ。いったい親は何をしているのだ。しかし待てよ、問題はそこにあるのではない。ここに引っ越してきて十数年経つけれど、「あははは-、きゃっきゃっ」その声は引っ越してきた当初から今までずっと聞こえていて、なぜか同じ子どもの声なのだ。果たしておよそ二十年前の幼児が、二十年...問題はそこなのだ
好きな言葉の一つに「流れ」がある。昔ある問題を抱えていたことがあって、何をやってもなかなか解決しようとしない。そういう時に読んだ本が、老子であったり禅書であったりしたのだが、こうなりゃどうにでもなれという気持ちで、そこに書いてあった「流れ」というものに任せ、慌てず、力まず、来るもの拒まずでやってみた。するとどうだろう。あれだけ悩んだ問題が、するするとうまく解決できたのだ。それこそ流れがよくなったのだろう。以来この言葉が好きになったというわけだ。会社を辞めた時も、再就職先を決めた時も、すべて流れに従った。もちろん流れの中の出来事だから、退職したことによる落ち込みもなかったし、再就職のストレスもほとんど感じなかった。最近は最近でこの「流れ」に任せていると、結構いいことがあったりするようになった。要は慌てず、力...流れ
知り合いに26歳の女の子がいるのだが、その子から同い年の彼氏のことで相談を受けた。彼女は結婚の目標年齢を27歳に決めていて、それが原因で彼氏ともめているという。彼氏は30歳前後に結婚を見据えているようで、その三年の溝が埋まらないらしい。それを聞いて、昔見たドラマを思い出した。そのドラマの主人公が結婚目標年齢としていたのが、彼女と同じく27歳だったのだ。ドラマの中で主人公は「27歳を過ぎると値崩れが始まる」と言っていた。主人公は目標通り27歳で、もう一つの目標であった大金持ちとの結婚にこぎつける。ところが結婚式当日にある事件が起こり、その結婚が自分の心に反したものだったことを主人公は悟ることになる。結局その結婚は破談になった。28歳の誕生日に主人公は、結婚してない自分を顧みて、「わたし何やってたんだろう」と...やまとなでしこ
自分の心をどこまでも掘り下げていけば、別の人間にたどり着くのではないかと、常々ぼくは思っている。時々、現実とはまったく違った環境の中で、生活している夢を見る。なぜかその内容がえらく現実味を帯びていて、そこでの生活が自然に感じるのだ。その中に登場する人物も、現実では知らない人ばかりだが、夢の中ではえらく親しく懐かしい。そういうことを、ぼくは夢の中だけで体験しているのではない。ちょっと瞑想している時にだって体験している。ふと気づけばそこの人たちと、親しげに会話し盛り上がっているのだ。夢と瞑想、そのどちらの場合も、現実に戻った後には、すっかり内容を忘れている。だけど、そこで生活し、そこで会話したという現実味を帯びた感覚だけはしっかりと憶えている。これはいったい何なのだろうか。話は飛ぶが、地球空洞説というのがある...もう一人の自分
前の会社にいた頃、昼食後いつもぼくは自分の車の中で寝ていたのだが、そこで時々不思議なことが起きていた。何者かが車内で横になっているぼくのお腹の上に乗り、ドンドン飛び跳ねるのだ。『誰だ!?』と目を開けても誰もいない。おかしいなと思いながら目をつぶると、しばらくしてからまた飛び跳ねる。おかげでゆっくり昼寝が出来なかった。ところで、その会社はいつも水に祟られていた。プロの水道屋さんが水道管を破ってしまって、社内の床が水浸しになったとか、専門業者が来て消火栓を点検していると、なぜかホースが外れて天井から水が降ってきたとか、とにかく普通では考えられない水の事故がしょっ中起きていたのだ。昔からその地に住んでいる人に聞いてみると、そこは元々池があって、その会社が建つ時にすべて埋めてしまったということだ。池にしろ川にしろ...河童
何が楽しいというのではなく楽しくない場面がなぜか少ない。だから長丁場でも堪えられるのだ。不思議なことにそれをやっていると何度もいい運に巡り会う。どんな修羅場でも不思議と救いの主が現れる。仮にそれを辞めたとしても回り回ってまた同じことをやるだろう。そういう時なぜか力が増しているものだ。同じことをやると言ってもそれは決して逃げ場などではない。本能がそれを好んでいるのだ。だからいい自分をイメージできるしだから他人にもやさしくなれる。つまりはそれがいい運を運んでくるのだ。不器用などという言葉で片付けてはならない。それしか出来ないからやっているのではない。それが天職だからやっているのだ。それは天職なんですよ
ウェブ日記を始めたのは、二十世紀最後の年だった。その前の年にパソコンを手に入れ、ホームページという存在を知り、とりあえずそれまでノートなどに書きためていたものを打ち込んで、小出しにサーバーに上げていた。内容は多岐にわたっていたが、基本は思い出話や体験談だった。今そういうものを読み返してみると、その頃思い出となっていた多くのことが、今では思い出になってないことに気づく。つまり忘れているわけだ。思考の忘却ならわからないでもないが、体験の忘却だからしゃれにならない。二十年でこの有様か・・。あと十年経ったら、どれだけのことを忘れているのだろう。あと十年経ったら
もう十数年前になるが、ブルー・ノートが博多にあった頃に、ジャニス・イアンのライブを見に行ったことがある。ドラマ『グッドバイママ』や『岸辺のアルバム』の主題歌がえらく気に入り、それから彼女の歌を聴くようになった。現在主だったアルバムはすべて持っている。さてそのライブ、彼女を見てその歌が聴けるだけで充分だったのだが、よくよく考えてみたら、そこは狭い会場だ。あのジャニス・イアンが、ぼくから10メートルも離れてない場所にいて、同じ空気を吸っているのだ。そのことに気づいた時に、ぼくは一気に感動してしまい、止めどなく涙が流れたものだった。それより以前にボブ・ディランのコンサートに行ったことがある。ミュージシャンというよりも、詩人として好きな方で、昔から本物を見れば確実に泣くと思うほど深く傾倒していたのだが、厚生年金会館(当...ジャニス・イアンのライブ
眠っている間は完全に忘れているのに、目が覚めて、布団の上で今日の予定などを考えていると、なぜか昨日あった嫌なことが蘇ってしまう。嫌なことなんだから見過ごしてしまえばいいのに、思考の回路は必ずその部分にも光を当てる。まあ、それはそれで呆けてない証なのだから良しとしよう。要はそこにとどまらずに次の項目に進めばいいのだ。ところが思考回路はその部分ばかり照らしている。仕方がないのでつきあっていると、それが元で、もっと過去にあった嫌なことまでが蘇ってしまい、嫌なこと、嫌なことが心の中を覆ってしまう。そういう心の状態を払拭しようとすると、くだらない心の葛藤が始まってしまい、さらに嫌なことが巨大化してしまう。一日の疲れはそこから始まっているのだ。一日の疲れ
ぼくら家族が住むこの家にはもう一つの家族が住んでいる。彼らは老若や男女の区別なく酷く好戦的で無慈悲で野蛮でぼくらの姿を見つけるや否やきゃーきゃーと奇声を上げてはきもの片手に襲ってきたり猛毒の霧をふりかけてきたり時に凍死させようと試みたりこちらの息の根を止めるまでその手をゆるめず攻めてくる。例えその場で取り逃がしても通り道に罠を仕掛けてみたり毒煙を撒いて住めなくしたり手を替え品を替え攻めてくる。世間に迷惑がかからぬように人目を避けながら生きている大人しいぼくらを滅ぼそうとしつこくしつこく攻めてくる。ぼくら家族が住むこの家には酷く好戦的で無慈悲で野蛮なもう一つの家族が住んでいる。もう一つの家族
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十九歳の頃、龍の夢を見たことがある。庭に檜が植えてあったのだが、それが突然龍に変わり家の中に飛込んできた。ぼくは家の中に横たわる龍のうろこの何枚かをはぎ取って、食べたのだった。龍の夢を見るとすごくいいことがあると言われているが、それから数年間はあまりいいことがなかった。とはいえ龍を見たから、きっといいことがあるという夢は見ることが出来たのだった。龍の夢
昔は、高級車と言えば、乱暴でマナーの悪い人が乗る車だと思っていた。ウィンカーも出さずに割り込んだり、フラフラと蛇行して走ったり、車線を半端なくはみ出したり、もう、傍若無人の振る舞いなのだ。きっと性格的に難のある人か、社会的に難のある人が、運転しているのだろうと思っていた。ところが最近、それが間違いだったと気づいた。彼らは性格的に難があるのではない。どちらかというと、普通の人が多いということがわかったのだ。では、どこに難があるのかというと、運転能力にあるのだ。つまり、運転が下手くそだということだ。車をうまく操れないから、焦って無茶苦茶な運転になってしまう。それが傍若無人な振る舞いに見えるわけだ。ね、焦らないで、ゆっくり運転しましょうや。高級車に乗る人
「手当て」という言葉がある。もちろん治療の意味だ。以前読んだ何かの本に、「昔は病気を治療するのに、本当に手を当てていた」と書いてあった。ということは、昔は温熱療法をやっていたということである。癌治療の一つとして、温熱療法が行われていると聞いたことがあるが、昔の人は本能的に、温熱療法が有効なことを知っていたのだろう。それを知って以来、ぼくは腹が痛くなったりすると、すぐに「手当て」をするようになった。なるほど、不思議と痛みは和らぐものだ。そのうち、痛かったことまで忘れてしまっているから、きっとそれで完治したのだろう。ところで、ぼくはこの「手当て」を始めてから、あることに気がついた。手で押さえた部分、つまり痛いところが、なぜか冷たくなっているのだ。そういえば、腰に痛みを感じた時、そこを触ってみると冷たくなってい...冷え
どうせまた捨ててしまうんだろうなんて思いながら本を買うだけど少しは楽しくなるかもなんて考えながら本を買うこの一冊が人生を好転させるかもなんて夢を見ながら本を買うしかしいつも何も残らないんだよなんてグチを垂れながら本を買う本を買う
小学生の頃まで、ジャガイモが大嫌いだった。月に一度、給食でポテト状のジャガイモが出ていた。塩と若干の青海苔を混ぜた程度のものだったのだが、それがジャガイモと合わなかったのか、変な味付けになっていた。一度それを口にしたぼくは、あまりのまずさに二度とそれを食べようとは思わなかった。そんなことがあり、ジャガイモ自体が嫌いになった。それまでカレーは中に入っている野菜も残さずに全部平らげていたのに、それ以来ジャガイモだけは残すようになった。ジャガイモ嫌いはその後ずっと続いた。ところが、ある時からその嗜好が変わる。それは、東京に出てからのことだった。友人たちと居酒屋に行った時、誰かがジャガバターを注文した。最初は『ゲッ、ジャガイモか』と思って無視していたが、友人があまりにおいしそうな顔をして食べているのを見て、「それ...好きな食べ物
おそらく生まれてから物心つくまではただ自分という存在を覚えているだけで特に時間を意識したことはなかった。時間を意識しだしたのは小学校入学からでそこから中学校を卒業するまでの時間が今までで一番長かったような気がする。その後の十年間は実に衝撃的な出来事が次から次に起きていた。かなり時間を意識したものだが、その記憶は残っていない。それからの十年は時間との闘いだった。時間を意識しすぎて吐き気がしたほどだ。ここで時間の意識が極まった。そして五十歳になる日まで、ダラダラと心のこもらない出来事が目の前を駆け抜けた。時間はいつも居眠りに当てていた。あれから十数年が経っている。時間の中で生活しながらも、なぜか時間に縛られず、逆に支配出来ている。そういう歳になったのだ。時間を意識する
そろそろ床屋に行かなければならない。鏡を見ると、もう髪が伸びているのだ。「さて、この間床屋に行ったのはいつだったろうか」と二ヶ月ほど前の床屋の記憶をたどってみるが、なかなかその記憶が蘇らない。それもそのはずで、前回床屋に行ってからまだ一ヶ月も経ってないのだ。だから二ヶ月前の床屋行きが、記憶の果てに追いやられてしまっているわけだ。しかし最近は髪の毛がすぐに伸びてしまう。しかも速く伸びるようになってからの髪の毛は、なかなか整わない。すぐにばらけてしまうのだ。さらにちょっとしたことで、癖が付くようになっている。今朝のことだが、目覚めてみると、前髪に変なウェーブがかかっていた。それがなかなか取れなくて、整髪にかなりの時間を要してしまった。朝方暑くて寝苦しかったために何度も寝返りを打ったのだが、きっとその時に枕に押...もう髪が伸びてきた
【神様の夢】昨夜、夢に神様が出てきた。ぼくはいろいろと現状を訴えたあげく、「この状況から脱出させてください」と願った。それを聞いた神様は、「では願いを叶えてあげるから、どうなりたいのか漢字二文字で書きなさい」と言う。さて何と書こうか。漢字三文字なら思い浮かぶのだが、二文字だとなかなか出てこない。散々迷ったあげく書いた漢字二文字は、なぜか『和狸』だった。一体ぼくは何を考えているのだろう。とっさに目標が出てこないなんて、どうも具体性が足りてないようだ。【負けず嫌い】きみから女を引くと、ただの負けず嫌いになる。それだけを見ると、男は皆引いてしまうだろう。ところがきみはそこの所を十分に自覚している。きみが心をくすぐるのは、その負けず嫌いが女を演じているところにある。だからそこの部分を所々隠しながらそこに女をかけて...オムニバス
1976年、中原中也の詩『湖上』を、歌にしようと思い作った曲です。気に入ったものが出来たのですが、ぼくの歌唱力だと到底歌いこなせない。ということで、ずっとお蔵入りになっていました。表に出したのは2000年で、ホームページのBGMとして使ったのです。当時はMIDIでやっていました。ところが、MIDIだとデバイスによって音が変わることがわかったのです。そこで自分が一番気に言っている音を使い、MP3に書き換えたのですが、今度は重すぎて、うまくいかない。せっかく作ったものなので、このままだともったいないと思い、スマホの着信音で使うことにしました。そこでまた問題が起きた。この曲、曲調が大人しすぎて、電話が鳴っても気がつかないのです。ということで、再びお蔵入りになりました。『湖上』、この曲はそんな曰く付きの曲でありま...湖上
小学生の頃ぼくは、年上の人であろうが、同級生や年下の者と話しゃべるように、誰彼かまわずしゃべることが出来た。例えば、近所のおっさんのみならず、見ず知らずのおっさんとかにも気軽に話しかけていた。中学生の頃もそれは同じで、会う人会う人に気軽に声をかけていた。街で外国人を見かけると、習い始めたばかりの英語を駆使して話しかけたりもした。また、そのへんの不良たちと話すことにも頓着はしなかった。ところが高校生になってから、それができなくなった。何となく、しゃべるのに違和感を感じるのだ。理由はわかっている。部活に入った時、先輩から嫌と言うほど、「先輩に会ったら必ず挨拶する」「先輩としゃべる時は敬語を使う」をたたき込まれたのだ。ぼくが、年上とうまく話が出来なくなったのは、それ以来である。まあ、挨拶はともかくも、ぼくは元々...習い性
20年前の話だ。当時ぼくは、ある商社のホームセンター部門に勤めていたのだが、そこにはキーコーナーがあった。ある日、売場に立っていると、キーコーナーのパートさんから、すぐに来てほしいという連絡が入った。「どうしたんだろう?」と思い、その売場に行ってみると、パートさんが困った顔をしてぼくのところに寄ってきた。「どうしたと?」「お客さんが、エンジンをかけようとしてキーを回した時に、キーが根元から折れたらしいんです」「えっ、折れた?」「はい」「で、エンジンはかかったと?」「いいえ。運転できないで困っているらしいんです」「そりゃそうやろね」ぼくは、車のことはまったくと言っていいほど疎いので、そういう場合どこに連絡していいのかもわからない。そこで、車に詳しい人に助けを求めた。ところが、その人も鍵のほうは知らないという...プロは凄い
街の食堂でラーメンを食っていると三人連れのおばさんが入ってきた。「えっ?!えっ?!えっ?!」におうんですよ。におうんですよ。くさいんですよ。くさいんですよ。何がって?決まってるじゃないですか香水ですよ、香水ですよ。きついヤツ。いるんですよ、いるんですよ。相変わらず。場違いなにおいを連れてくる気取りに気取ったおばさんたちがね。鼻から息が吸えないじゃないですか。味がわからなくなるじゃないですか。ラーメンがまずくなるじゃないですか。街の食堂で
一歩を踏み出そう出来なかったことを考えるから、今がとてもやりきれない。いつかやり直しがきくんだと、曖昧な日々を過ごしてきた。このままではだめだ。一歩を踏み出そう。そこからのことを考えないから、日々はいつもの繰り返し。まだ若いという勘違いは、そこから一歩を出てないから。このままではだめだ。一歩を踏み出そう。傷つけられるのが嫌だから、いつもいつも回り道ばかり。答はどこにも転がっているのに、そこから目をそらそうとする。このままではだめだ。一歩を踏み出そう。ジッとしていても始まらない。時間は限りあるものだから。勇気を振り絞って、今ここから一歩を踏み出そうよ。このままではだめだ。一歩を踏み出そう。閉ざされた扉もたたいていれば、いつかは開くだろうたったそれだけの繰り返しを、ぼくはいつもおこたってきた。このままではだめ...一歩を踏み出そう(再録=歌入りです)
昨日博多での仕事を終えた後、同伴していた嫁さんと、太宰府天満宮に行きました。立春過ぎたらすぐに行こうと思っていたのですが、なかなかその時間が取れなくて、昨日になってしまいました。天満宮は124年ぶりの改修ということで、現在本殿はこんな姿になっています。ちなみに昨年はこういう姿でした。↓さて、お参りを終えた後ですが、「裏庭を抜けてお石の茶屋に寄って妻がひとつぼくもひとつ親子丼を食べた」(さだまさしさんの『飛梅』ばりに書いてみました。)実は、お石茶屋にはあるんですよ、さださんのサインが。ということで、「太宰府は春いずれにしても春」でありました。太宰府は春
目が覚めた時、神様が「たまにはブログを休んでもいいんじゃないか?」と言ってきたのです。ということで、今日はお休みいたします。まあ、神様は嘘ですが、実はこれから博多に行かなければならないのです。遊びではありません。仕事です。ところで、このぼくの過疎ブログですが、最近、文章ものよりも弾き語りものの方が反応がいいということがわかりました。が、そんなに録音はしてないので、小出しにしていくことにします。それでは、また。宗像『鎮国寺』の桜です。『道の駅むなかた』のツバメです。おはようございます
『春一番』を作ってから二ヶ月後、ぼくは生まれて初めて恋愛詩を書いたのだが、ギクシャクして何かまとまりがなかった。この『暗闇の向こう』は恋愛詩第二弾ということになる。夜になると、二階にあるぼくの部屋から、いつも遠くにある街の灯りを眺めていた。その街には、当時ぼくが好きだった人が住んでいたのだ。暗闇の向こう暗闇の向こうに君がいる月も出てない夜だけど君がいるのがわかる暗闇の向こうに君がいる夜はすべてを隠し冷たい壁が君を包む暗闇の向こうに君がいるふと気づくと後ろにぼくがいる大きな影がぼくを惑わしたしかに今が夜だ暗闇の向こうに君がいる何も見えないけど誰かが呼んでいる暗闇の向こうに君がいる月も出てない夜だけど君がいるのがわかる暗闇の向こうに君がいる実はこの詩はまだ長かったのだが、いろんな矛盾が見えていた。何度も書き直...暗闇の向こう
【12】平成10年結婚。ぼくは実家を出て今のマンションに移る。そこに移ってから2年間ほど、頭痛に悩まされる。前の家で色々な気配に悩まされていたぼくは、てっきりその気配の主を新しい家に連れてきたのかと思っていた。しかしそれは違っていた。ある本に、『新築の家やマンションの多くは、ホルムアルデヒドを含んだ接着剤を使っている』と書いてあった。それが原因で、頭痛や目がチカチカすることがあるということだ。それがわかってからおよそ半年の間、わが家は休みの日には窓を全開するようになった。ホルムアルデヒド騒ぎが一段落した頃から、ぼくの体はまたしても宙に浮くようになった。その力はアップしていて、自由に動けるようになったのだ。最初は玄関まで歩いて行った。回を追うにつれて更に力が増しているように思い、ドアに手を差し込んでみた。や...気配5
三十代半ばのこと。元同僚から、「結婚するので、披露宴で歌を歌ってくれんか」という依頼がきた。仲のいい人だったので、心安く引き受けたが、なかなか歌う歌が決まらなかった。人の結婚式で歌ったことは何度もあったのだが、同じ歌を歌ったことはない。それが、その人に対する自分なりの誠意だったのだ。「仕方ない。新しい曲を作るか」ということで出来たのが、この曲だった。追いかけてまっすぐに歩いてきたけどいつもいつもぼくはつまずいているよ起き上がる時にはいつもいつも君のことを想っているよ過ぎ去った数々の罪が心奪う、そんな時にだっていつも心のどこかでぼくは君のことを想っているよ追いかけて君の想いを追いかけて君の言葉を追いかけて君の心を追いかけて君のすべてを明日からの暮らしの糧にぼくは君のことを想っていくよ君を想うぼくのためにいつ...追いかけて
『空を翔べ!』という詩を書いたのは、三十代後半だった。テレビで鳥の巣立ちのドキュメントをやっていたのだが、それを見ている時に、湧いてきた言葉を書きとめたものだ。曲は19歳の頃に作ったものを充てた。この歌、過去に何度かブログに上げたことがあるのだが、いつもすぐに消してしまう。今回上げることにしたのは、その時にこの歌を聴いたある方から、「あの歌を聴きたい。あれを聴くと元気が出るから上げてくれ」と頼まれ、それで上げることにしたのだ。空を翔べ!漠然と思い浮かべてた大切な一日が今日風に乗っておれのもとにやって来た空には大きな雲が雨はおれを叩きつける悪いことを考えている「出来るんだ。空を翔べ!」運命の一日だと誰かが言ったおれの人生は今日にかかっているんだ今までやってきたことはすべて正しいと信じるんだ決して逃げ出しては...空を翔べ!
【9】昨日話したとおり、新しい団地に引っ越したばかりの頃は頻繁に金縛りに遭っていた。遭う前には決まって「パシッ」というラップ音が聞こえた。『あっ、来た』と思っていると、体が動かなくなるのだ。こういう状況が週2度ほどやってきた。しかし、体が慣れてきたのか、気配のほうが飽きたのか、時間が経つにつれて、その周期はどんどん長くなっていき、5年過ぎた頃にはほとんど遭うことがなくなった。【10】昭和の終わり頃にはほとんど金縛りに遭わなくなっていたのだが、平成に入ってから間もなく、再び金縛りに襲われるようになった。きっかけは知人からもらった犬の置物だった。その置物は金属製でズッシリと重く、高さは20センチほど、黒っぽい銀色をしていた。犬というよりも狼に近い容貌だった。それを家に持って帰っている途中に、階段を踏み外しそう...気配4
2004年4月25日の日記です。昨日、会社帰りに本屋に寄った。毎週購読している週刊誌を買い忘れていたので、買いに行ったのだ。週刊誌を買った後、時間が余ったため、しばらく本屋でブラブラしていた。最初は新刊などを見ていたのだが、特に面白い本は見つからなかった。そこで帰ろうとしたのだが、その時、一冊の本が目に飛び込んできた。『宿曜占星術』というタイトルだった。密教の占星術だということだ。この本によると、人間というのは27種類の星に分けられるらしく、その星は生年月日で決定されるという。ということで、その本では、その一つ一つの星の持つ意味を説明していた。そこで、ぼくは自分の星を探し、そのページをめくってみた。そこに書いてあったことは、ぼくは、かつては町内に必ず一人はいた、口やかましいおやじタイプの人間だということだ...宿曜占星術
ぼくの詩の出発というのは不埒なものだった。とにかくあの人に好かれたい一心から何か意思表示を、ということで取り組んだのがそれまで一度も書いたことのない詩だった。本屋で詩の本を立ち読みしては見よう見まね体裁整え書き綴り彼女に送ったのだった。だけどそれは恋愛詩などではなく今のように何となく人生を茶化したようなものだったが。ところがそれがよかったのか翌日彼女のぼくを見る目はそれまでとは変わっていた。だけどそれは恋愛の目とは違ったものだった。そのことをずっと後に知ることになる。とはいえ若かった当時のぼくにそんなことがわかるはずもなくただただその目が嬉しかった。それ以来、彼女の目の意味を勘違いしたぼくは、とにかく暇さえあれば詩を書いていた。あの頃も詩を書いていた
自他共に認める猫好きではある。だが、猫を飼うほどの甲斐性をぼくは持ち合わせてはいない。猫の方もそれを察しているのかぼくの猫可愛がりに対して曖昧にグルグル言うだけで心からの愛情表現をしてこない。ノラなんかは特に敏感で、きっと「こいつに媚びを売っても、何の得もない」とでも思っているのだろう。「チ、チ、チ」と呼んでも立ち止まろうともしない。今日なんかは偉そうに、「フー」などと威嚇してくるヤツもいた。まあ、眺めているだけでも充分に楽しめるヤツらではある。しかしせっかく、せっかく同じ場所にいるのだから少しは袖触れ合ったって少しは会話があったっていいじゃないか。ぼくはいつもヤツらにそのへんを察してもらいたいのだ。少しは心を開いてほしいのだ。まあ、今日のことは許してやろう。だけど次回だけは餌を持っていてもやらんからな...猫に好かれない日
あっ、また二本足が来た。今度は白い髪のおっさんだ。奴らはオレの姿を見るとなぜか襲いかかってくるんだ。若い女は「キャー、キャー」と甲高い声をあげて襲ってくるしバアさんは「チッチッチ」と舌を鳴らして襲ってくる。ガキまでもがオレを見ると大声を上げて襲いかかろうとする。一度ガキから尻尾をつかまれて往生したことがある。オレが何をしたというんだ。何もしてないじゃないか。オレはただこのベンチに座っているだけなんだ。そのことで二本足たちに迷惑をかけた覚えなんかない。久しぶりのポカポカ陽気なのに寝入りばなを襲ってくるのでゆっくり昼寝もできないじゃないか。ベンチネコ
昔、友人が野糞をたれた山裾に、野生の藤が咲いている。毎年見ている山なのに、藤を見るのは初めてだ。いや、もしかしたら、見ていたのかもしれない。藤棚の下だけに咲く花と、勝手に思い込んでいたせいで、気づかなかっただけなんだろう。しかし何と力強い花なんだ。その藤色が充分に存在を示し、他を完全に圧倒している。まさか友人の野糞が育てた…そんなわけないか。藤の花
毎年春になると、タケノコばかり食べている。買っているわけではない。いろいろな人がくれるのだ。まあ、嫌いな食べ物ではないし、体にもいいものだから、ビールやお酒のおつまみやご飯のおかずにしている。だけど、五月末までのおおよそ二ヶ月間、タケノコ攻勢に遭うもんで、四月の中旬を過ぎた頃からだんだん嫌気がさしてきて、五月に入ると、もう見るのも嫌になっている。これを調理するのはいつも母で、最初の頃こそおいしく仕上げてくれるが、だんだん手抜きをするようになり今ではアク抜きも充分にやってない。だから苦い。とにかく苦い。苦い、苦い、苦い!その苦さで残りのひと月を過ごすのだ。現在ぼくの家は、この苦味が初夏の味になっている。タケノコ
前年度まで火曜日だった病院の再診が、今年度から月曜日に変わった。配置転換に伴うローテーションの関係らしい。そこで先日、会社に「法定休日を火曜日から月曜日に変えてくれ」と頼んでみた。ところが、「変えられません」という返事。その結果、5分もかからない再診のために、一日休み(年休)を取らなくてはならなくなった。現在、わたくしは、その年の年休を全部消化してからしか、前の年の年休残を使えないというユニークなシステムを持ち、就業規則に書いてある始業時間(10時半開始)を、把握してない(10時開始だと言い張っている)優秀な担当者がいて、火曜日は何があろうと休ませる、という、大変愉快な会社に勤めているのであります。愉快な会社
八重桜(宗像市鎮国寺にて)初燕(道の駅むなかたにて)2023年4月11日八重桜と初燕
朝はけっこう余裕を持って家を出ているのだが嫁さんを送っていく都合や時には渋滞に巻き込まれることもあって定時ギリギリに会社に着くこともある。さて、そういう時の精神状態なのだがかつては軽いパニック状態になっていて例えば隣の車線の車が割り込んできたりするとついクラクションに手が行ってしまっていた。そんな状態が今の仕事を始めてからしばらくの間のぼくの姿だった。では今はどうなのかというとまったくイライラすることはなくなっている。出勤前、車のエンジンをかける時にまず「9時52分に会社に着きました」と自分に言い聞かせている。すると不思議なことにちゃんとその時間に会社に着くのだ。そう9時52分に会社に着くわけだから渋滞に遭うことだって、割り込みされることだってその時間に着くためのプログラムということになる。そう考えるから...9時52分に着く
2002年1月24日の日記です。福岡市まで寝過ごすということがあってから1週間ほどして、ぼくは、また乗り過ごしてしまった。まあ、その時は筑豊線だったから、隣の直方市までですんだのだが、後が大変だった。ぼくが酔っていたのと、タクシーの運転手の早とちりが災いして、全然別の場所に連れて行かれたのだ。「ヤハタのHに行ってくれ」と言って、ぼくはそのまま寝てしまった。何十分走ったのだろうか、運転手が「お客さん、着きましたよ。この辺でしょう?」と言った。しかし風景が違う。ぼくの住んでいるところは、ネオンや街灯などでかなり明るいのだが、着いた場所は明かりの少ない場所だった。「え?ここ違う」「ミヤタのHと言われたでしょ?」「ちゃんと、ヤハタと言いました」「たしかに、ミヤタと聞いたんですけど」どうやらぼくが連れて来られたのは...寝過ごした2
2002年1月24日の日記です。前の会社にいた頃に、電車で寝過ごして、とんでもないところに行ったことがある。その日、最終の『南福岡行』に乗って帰っていた。ぼくは電車に乗ると寝る癖があるのだが、その時もいつものように寝入ってしまい、いつものように黒崎駅のひとつ手前の八幡駅で目が覚めた。「お、八幡か。もう着くな」普段ならここで降りる準備をする。ところが、その日はなぜかもう一度目を閉じたのだ。これが命取りになった。次に目を開けた時、「あかま(赤間)」という声が聞こえた。赤間というのは、ぼくが降りる黒崎駅から数えて6つ目の駅で、車で行けば家から30分ほどかかる場所である。「お、いかん。寝過ごした」慌ててぼくは電車を降りた。そして「ここからタクシーで帰るか」と思いながら、改札口に向かって歩いていると、どうも駅の感じ...寝過ごした1
2002年4月8日の日記です。中学の頃、『技術』という科目があった。大工仕事をさせるものである。ぼくはこれが苦手だった。授業を受けるだけなら何とか我慢も出来たのだが、実技ともなるとまったくだめだった。その授業で作るものといえば、文鎮やブックエンドといった簡単なものが多かった。しかし、ぼくはこの簡単な作品を、まともに作って提出したことがない。まず、先生が提出期限を決める。週2時間ほどの授業だったから、だいたい1ヶ月が目安になる。授業の初めに、先生がその日の作業のポイントを説明していく。例えば、「今日はこの板を鋸で切り、かんな掛けまでやることにします。この作業のポイントは・・・」などとやるのである。こうやって、段階を一つ一つ追って、ひとつの物を完成させていくのだ。器用な人は、先生の説明に対しての飲み込みが早く...技術
2002年4月4日の日記です。3,高校生になると、再びクラス替えが関心事になってくる。クラス替えに直接関係あるのが、2年と3年の時だ。2年の新学期の頃は、1年の頃に同じクラスや同じ部活の人間以外はあまり知らない。そこで、クラス替えに新しい出会いを求めたのだ。このへんが、小中学校時代のクラス替えとはちょっと違うところだった。しかし、クラス替えに興味を示したのは、この2年の時だけだった。3年になると、クラスの連帯感よりも、より個人的な人間関係というものを大切にするようになっていたのだ。そのため、ぼくにとってはクラスというもの自体が意味を成さなくなっていた。それだけ付き合いが広くなっていたのである。4,社会に出てから、この傾向はさらに強くなる。ぼくは、会社の人間との付き合いよりも、会社の外の付き合いのほうを大切...新学期(後編)
2002年4月4日の日記です。1,小学生の頃、この時期の一番の関心事といえば、なんと言ってもクラス替えだった。ぼくたちの学校は、2年単位でクラス替えをやっていたので、その先2年間の運命が始業式に決まったのである。「こいつと一緒のクラスにクラスになりたい」と思う奴と一緒のクラスになれたら2年間は天国だし、「こいつとは、絶対一緒になりたくない」と思う奴と一緒のクラスになったら2年間は地獄になるのだ。幸いなことに、ぼくは「こいつとは、絶対一緒になりたくない」と思った奴とは、一緒のクラスになったことはない。おかげで、小学校の6年間は楽しい学校生活を送ることができた。2,中学時代は、クラス替えのことがあまり気にならなかった。それは、小学時代とメンバーがほとんど変わっていないからだった。同じ学校に6年間もいれば、一緒...新学期(前編)
ゆびの先がささくれているのです。気がつけばささくれているのです。放っておくと何かに引っかかってササクレがささくれていくのです。ササクレがささくれると痛みます。ヒリヒリヒリと訴えてくるのです。ササクレは小さなキズなんだけどヒリヒリヒリと訴えてくるのです。ときには血が出たりもするのです。ササクレにカサブタが出来るまで衣服がよごれることもあるのです。そんな血のよごれも厄介なのです。ゆびの先がささくれているのです。放っておくと何かに引っかかってササクレがささくれていくのです。ヒリヒリヒリと訴えてくるのです。ササクレ
上京してから二年目の夏に、ぼくは浅草橋で運送のバイトをやっていた。午後四時に秋葉原で友人と落ち合い、総武線レモン色の電車に駆け込んだ。二分ほど電車に揺られ駅から出ると、そこは人形玩具の店がある街であり、お相撲さんが生活している街であり、夕方どきのラジオが似合う街であり、なつかしさの漂っている街であった。いとしのエリーを初めて聴いたのも、フラッペということばを知ったのも、新しい友人との出会いがあったのも、人から裏切られる経験があったのも、東京というのは特別な街ではなくて普通の街だというのがわかったのも、この街に足繁く通ったおかげだった。バイトの終わる時間が遅かった為に、夏の暑い時期だったにもかかわらず、週に一度しか銭湯に行かれなかったという実に臭い思い出もあるのだが、あの頃がぼくの東京での生活の中で一番充実...1979年夏、浅草橋
1978年4月の上旬のことだった。キャンディーズの解散コンサートをテレビでしっかり目に焼付けてから桜前線を追うようにぼくは上京した。東京で新幹線から中央線に乗り換え降りた駅が当時国電の新宿駅だった。この街がぼくの東京デビューとなる。一度も来たことのない街だったのにまったく違和感を感じなかったのは東京での生活の中心がこの街になるという潜在的な予感があったのかも。『迷い道』や『悲しき願い』が流れ歌に乗りキャッチセールスが現れた。そのしつこいセールスたちをかわし地下道に降りてぼくは丸井に入った。地下の入口は女性の下着売場だった。ぼくは生まれて初めてボディスーツという水着みたいなものを目にした。ファッションにまったく疎いぼくは「東京の女性の間ではこんなものが流行っているのか」とその窮屈げな水着みたいなお召し物を眺...上京
1,この2月から、年金が満額振り込まれるようになった。40年間働いて、年金を支払ってきた結果が、「こんなもんか」程度の金額なのだ。今もらっている給料の方が、はるかに多い。これで当分、仕事をやめられなくなった。2,先月から残業がうるさくなった。こちらとは全く関係ない部門が赤字を出したせいで、とばっちりを受けた格好になっている。そこで本部にかけあった。「こっちは関係ないやん」「いや、全社的に決まったことなので」「オレ、あまり残業してないやろ」「それはわかってます・・・」「残業で荒稼ぎやっているヤツだけカットしろよ」「はあ・・・」今でさえ少ない収入なのに、これ以上減らされるときつい。「こんなもんか」程度の年金は、住宅ローンの返済や、母の介護などで出ていくし。さて、どうしよう?近況報告
2004年3月26日の日記です。1,「今年こそは」と思っていることが、ひとつある。それは旅行である。前々から行きたいとは思っていたのだが、暇と金がないためいつも諦めていた。しかし、今年は何とか金の工面が付きそうなので、ぜひ連休を取って行きたいと思っているのだ。で、どこに行きたいのかというと、それは東京である。当初は沖縄もその候補に入っていたのだが、時期的なものもあるし、たった一泊では、沖縄を満喫することが出来ない。ということで、行き先は東京と決めている。まあ、東京に行くとは言っても、ディズニーランドやお台場などに行くのではなく、浅草と神田神保町である。そこしか興味がないからだ。2,十数年前、横須賀の叔父が亡くなった。たまたまその日ぼくは休みだったので、すぐさま飛行機に乗り、横須賀に向かった。横須賀に着いて...旅行に行きたい
1,「見えるんですか?」スマホを触っていると、同世代と思しき方が近づいてきて、「えっ、見えるんですか?」とおっしゃる。『この人、何を言ってるんだろう?』と思っていると、「いや、メガネもかけずに、スマホを見ているもんだから、つい」どうやら、その方は、同世代のぼくが、老眼鏡を用いないで、スマホの細かい字を見ていることに違和感を感じたようだ。ぼくは近くにあるスマホは見えるのだが、歳をとってから、少し離れた所に書いてある文字が二つに見えるようになった。加齢による支障が出ているのは同じだ。2,「おぐしがきれいですね」先日、とある神社に行ったときに、見知らぬ老婆から、「あなた、おぐしがきれいですね」と言われた。「えっ、こんなに真っ白なのにですか?」「いやいや、その白がいいんですよ。大事にしなさいよ」よく、白髪がきれい...最近言われたこと