新しい年も半月が過ぎ、もうじき大寒、一番寒さの厳しい時期に突入です。不躾ですが皆様のかかとはいかがお過ごしでしょうか?私は長年悩みのタネだった分厚いかかとを卒業して今年もひび割れなく過ごしております。時間もお金も掛けないかかとケア、ご紹介します。
新しい年も半月が過ぎ、もうじき大寒、一番寒さの厳しい時期に突入です。不躾ですが皆様のかかとはいかがお過ごしでしょうか?私は長年悩みのタネだった分厚いかかとを卒業して今年もひび割れなく過ごしております。時間もお金も掛けないかかとケア、ご紹介します。
今年もあと僅かになり21世紀の四分の一が終わろうとしています。25年前には想像もできなかった今を感謝しつつ、次の25年先まで元気に生きていられるように今この瞬間を大切にしていこうと思います。皆さまがお健やかに良いお年をお迎えくださいますようお祈りいたします
最後にエントリーした面接会が終わりました。 エリアで一次、通れば営業所で二次面接です。 一次面接の最後に、営業
今は絶賛求職中ですが、私の日々は幸せに過ぎていきます。滞っているように見えることも「うまく行くようになっている」とのんびり構えて暮らしています。かつて修行僧と言われた頃には気付かなかった人生のカラクリは意外なほどシンプルなものでした。
仕事を辞めて自由気ままな人生の夏休みも終わりが近づいてきました。目を逸らしていた再就職の活動をそろそろ真剣に始めなければなりません。重い腰を上げて応募してみるものの現実は‥久しぶりに緊張したりナーバスになったり心が揺れ動きます。
離婚は人生最大の節目でした。が、私にとって〝別居〟が人生を180度変えたターニングポイントになります。その別居を決意する少し前に前兆と言える出来事があって、その受け止め方次第でその後の人生が違ったと思っています。
今や世界中で人気の日本のゲーム。ゲーム機に触ったこともなかった私がなぜか「やってみようかな」という気分になりました。折よく帰省していた子ども達に教えてもらいながら、かの有名な〝あつ森〟をはじめて約1カ月。今では日課になっています。
毎日家で過ごしていると、気になるのが運動不足。通勤時の約6,000歩が無くなって、アプリの歩数は激減です。YouTube動画を見ながらストレッチなどやったり踏み台昇降をしてみたり。でもなかなか続きません。そんなとき娘がジムに通い始めたことを知りました。
役所で手続した数日後、失業保険のPDFが届きました。今度はハローワークです。いままで転職するときはインターバルが無かったのでハローワークへ行くのは30年ぶりです。その時は娘を授かってお腹が目立ってきた頃に退職したので自己都合でした。会社都合は初めての経験です。
今年の夏、最後の遠出は娘と息子と3人旅。 離婚して4カ月のアラカン母、結婚より自由を愛すアラサー姉、社会人が板
酸素が薄くなる高い山に初めて登りました。中央アルプス、木曽駒ケ岳です。ここはロープウェイがかなり上まで運んでくれて初級者にも登れるルートがあるのです。とはいえ初級者未満の私にはハードな行程。時間をかけて登った先に思いがけない出会いがありました。
有休消化が終わって、いよいよフリーになりました。これからは国民健康保険に加入しなければなりません。失業手当をいただく手続きも必要です。こういうことは早めが大切と学んだばかり。会社からPDFが送られた翌日にはコンビニ経由で役所に向かいました。
仕事に行かなくなって数週間、有休消化のありがたい日々です。一人暮らしで何もストレスが無いはずなのに眠りが浅いまま回復しません。寝つきの悪い日もあって、何が原因なのかなと思っていました。どうやら枕が合わなくなってきたようです。
会社が業務を縮小することになりました。もうこの仕事は無くなってしまいます。70歳まで働きたかったのに。先のことが分からないまま、私の契約更新の時期が迫ってきます。でも昨年末から続いた手続き上のトラブルで私は会社に対して複雑な感情を抱いていました。それは何の特別感もなく粛々と始まりました。 ある日、会社が「業務を縮小する」と短く発表したのです。 正
《 年金分割 》うっかりして申請に時間がかかってしまいました
熟年離婚で大切な年金分割。その手続きはパッとできるものではありませんでした。私の地域の年金事務所は予約制で驚きの1カ月待ち。戸籍謄本を取り寄せるにも日にちが掛かったりして。申請期限はゆとりがありそうでも、不測の事態はいろいろあります‥
還暦を過ぎて自分の体力にこんなに希望が持てるとは!かつて捻挫をバンテリン1本使い切って治した経験から、バンテリン信者の私。筋肉痛になる前に筋肉にアプローチするという目からウロコのアミノバイタルに出会い驚きの成果を実感しました。
要介護4の母に会いに初めて特別養護老人施設へ。母を目の前にしたとき自分が少し身構えていることに気づきます。もう私を見ても娘だと認識できない事は解っていました。それよりも衝撃を受けたのは、母に対して取った自分自身の言動でした。
6年前一人暮らしが限界になった母を施設に送り届けて以来一度も会いに行きませんでした。コロナの影響は確かにありましたがそれだけではありません。その間に母だけでなく私自身も大きく変わったようです。面会自由の知らせを受けて6年ぶりに会いに行くことにしました。
いま振り返ってもぞっとします。 危ないところでした。 今年の春、初めて高尾山に登りました。 「夏になった
裁判所に離婚を認められてから早1カ月余り。 財産分与金の支払期限が迫ってきたころ、私の口座に振込が確認できまし
離婚届を提出しました~大切な身分証明、それを凌駕する裁判所の権威
H弁護士から和解調書が郵送されました。 中身は3通で、①原本 ②謄本(離婚届と共に提出)③抄本(年金分割の手続
和解の目処がついて、にわかに離婚が近づいて来ました。 正式に成立するまで約1週間。 いよいよ『 離婚届 』じゃ
《離婚裁判》裁判官から和解勧告〜相手方が呑んだ真の理由が見えた
私の尋問が終わった後、原告側控室でH弁護士から提案がありました。 今後の方針についてです。 H弁護士 選択肢は
素人が法廷で法律のプロと対峙する‥ 有名なカップヌードルのCMが思い浮かびます。 サバイバルを賭けて全力で戦い
被告側の弁護人はH弁護士より若く見え、被告人とのやり取りが少しぎこちない印象です。 心配していた威圧感は感じま
H弁護士と尋問の練習をしてから、録音を何度も聞いたり頭の中でエア裁判をくり返して本番を迎えました。 当日、娘と
《離婚裁判》本番が迫ってきた~尋問前に私がしたこと、感じた不安
被告側は誰も出頭せず、H弁護士から私への尋問だけのはずでした。 その後、中立の立場である裁判官から2~3質問を
昨年の冬ごろから、相手方の担当弁護士は本人と連絡が取れない状態になっていました。 そのために裁判の進捗が滞るな
YouTubeをなんとなく見ていた休日の午後。 誰かの声がスッと耳に入ってきました。 「怒りは悲しみが姿を変え
離婚について書いていて改めて感じました。 30年か‥長いな〜と。 30歳から60歳までといえば人生の醍醐味を一
調停が決裂し、約1年前に始まった裁判。 別居期間を含めて30年の婚姻関係を解消するため、私が原告として相手方を
今年初めての投稿が、なんとも情けないタイトルになりました。 元はといえば昨年夏、職場の管理者トップ3が、相次い
2024年もそろそろ終わりが近づいてきました。慌ただしいこの時期にほっとひと息、来たる2025年を思い描いてみ
H弁護士から思わぬ報告が入りました。 相手方代理人(担当弁護士)が相手方本人と連絡を取れなくなっているというの
一人暮らしを始めて丁度半年です。 改めて見回すと、慎ましくも幸せな日々が送れるのもこの住まいのおかげとつくづく
華麗な経歴はかえって邪魔⁈ リタイアで肩書きをなくした人あるある
かつては静かで平和だった私の職場。 2年前にたった一人全く協調性のない人が入ってきたことでこんな結果を招くなん
別居して丸2年。離婚係争中に相手方が重い病気になったことについて
世の中、激増中と言われる熟年離婚。 20年以上連れ添った夫婦の崩壊はその原因を聞かなくても大体察しが付く昨今で
ご存じの通り卒婚とは『夫婦がお互いの自由を認め合い干渉しないで婚姻関係を継続する』こと。 離婚とは別物です。
お祭りの喧騒の中、マンションの自室で1人過ごす週末。非日常の時間が今の日常を浮き彫りにしたように感じました。別居して2年弱、当たり前になりつつある現在の毎日は、かつての私には思い描くことも無かった日々です。
神アプリ★リスニング力が爆上がり!60歳が1年間やり続けた結果
英会話を身につけたいというより「楽しそうだな~」で始めた英会話アプリの“Duolingo”。すき間時間にチョコチョコとゲーム感覚で1年間続けてみたら、60歳の自分でもリスニング力がアップしました。効果が出ると欲も出る。勉強を続けるモチベになります。
離婚の原因は複数あるけれど、訴訟となれば証拠が命。冷徹な裁判では金銭トラブルに焦点を絞って争うことにしたのですが‥。相手方の認識を指摘できる有効な証拠を手に入れるべく、国会図書館の力を借りることになりました。
「自分が求めている生き方はこれではない」信じていた何かが突然崩壊したあの日。本当の自分として生きようと決心したことで180度人生が変わりました。同志となった子ども達も成長し、私も子ども達もそれぞれの人生にいよいよ漕ぎ出すことになりました。
突然、書くことができなくなって1カ月余りが過ぎました。 病気とか何か確たる理由があったわけではありません。 このブログを書き始めたのは2021年7月。 その半年前、26年間の結婚生活が、私と配偶者にとっては意味のないものだったと気づきました。
人生で2回目のバレエ鑑賞。ずっと楽しみにしていました。午後からの公演だったので午前中から出かけてゆっくり食事をして楽しい一日となりました。美しいものに触れるとこんなにもこころが癒されるのですね。芸術は本当に素晴らしい‥偉大です。
被災するという事が〝万が一〟ではない日本。私の住む東京も大地震がすぐそこに迫っているのかも。今年は意識的に防災の備えをしていこうと思います。まず自宅を整えて、外出先で被災しても帰ってこられれば大丈夫というのが目標です。
職場の同僚Sさんの金運やいかに。大切なお札を貼る日が間違っていたなんてことがあったら大変です。きっと私の聞き間違いでしょう。いつもシフトの都合で土曜日にしか会わないので今度会うときまで気になります‥
立春ですね。とはいえ、まだ春は遠い印象です。それでも季節は巡ってくるように、事が成るまでの期間にこそ変化が内在されていると改めて感じます。変わるタイミングは突然やってくるように見えて実は満を持して現れるのかもしれません。
繁忙期に向けて毎週のように新人さんが入ってきます。私たちレギュラーメンバーは手分けしてトレーナーを引き受けるのですが‥。世の中いろいろな方がいらっしゃるというか、私の常識は誰かの非常識って、こういうことでしょうか?
酒粕が体に良いらしいという事はなんとなく聞いていたけれど、そのまま食べたり飲んだりしたことはありませんでした。日本酒が好きな方ならきっとハマる⁈お酒は日本酒が好きだけど2合も飲めない私でも毎日楽しみにしている酒粕レシピです
2022年10月に私が家を出る形で始まった別居生活。相手方が協議に応じないため、翌月離婚調停を裁判所に申し立てたものの昨年の9月相手方は離婚を拒絶し調停は不成立となりました。その直後から訴訟の準備を始め、今月やっと裁判が始まりました
会社の同僚とリンゴ酢の話をしたすぐ後に、たまたま居酒屋で自家製の果物酢を飲んで覚醒。「自分に合うかも」そう感じて毎朝ハチミツリンゴ酢を飲むようになりました。美味しいし〝お目ざ〟にピッタリです。2カ月後、自分の顔に変化が!
大学を2年ダブって6年間通っている息子。今年は何が何でも卒業してもらわなければいけません。昨年は卒論が提出できず、学費を用意する余裕のない私に代わって姉の援助でもう1年大学に残ることになったのに。その卒論提出期限は目前に迫っていました
新しい年になり、立て続けに起こる出来事。 まだその渦中でご苦労されている方々、その方々を救おうと尽力されている方々も数多くいらっしゃる中で、平穏なお正月を迎えられたことがどれほど幸せな事か身に沁みています。
今年の年越しは家族3人でまったり過ごして、元旦に初詣に出かけて‥と思い描いていたけれど、クリスマス明けから一気に風向きが変わってしまいました。アレもコレも予想外なことだらけ。新しい年がよい年となりますよう願いを込めつつカウントダウンです
年の瀬に風邪を引いてしまった私。体が弱っているところに息子から思いもよらないことを打ち明けられて呆然。卒論の仕上げに入る時期だというのに、まだ思うように進んでいないというのです。いままで信頼して口を出さないようにしていたのに!
今年も子ども達と3人でクリスマスを過ごしました。昨年初めてこの家で迎えたクリスマスとも違う、落ち着いた時間です。この家に住んで1年以上たちすっかりここでの生活が私のスタンダードになっていることに改めて気づきました。
春の繁忙期に向けてたくさんの新人さんが入ってきました。閑散期の今のうちに、仕事に慣れていただいて繁忙期に備えるのです。私達オバズもOJTでお手伝いです。そんな中、レギュラーの私達メンバーに思いもよらない情報が駆け巡っていきました。
私のお気にだった電気ポット。新しい生活を支えてくれていたのに、みるみる調子が悪くなってきました。少し前に洗濯機を修理してもらったけれど、電気ポットは保証期間が過ぎています。このまま使い続けてもお正月を乗り切るのはちょっと無理かも。
身近に自分と同じく熟年離婚を目指している知人がいます。でもその向き合い方、捉え方は人それぞれなようです。弁護士さんのタイプも違うのかも夫婦の数だけ事情は異なるとはいえ、長年築いてきた家庭を捨てる事に違いはありません。
身近に自分と同じく熟年離婚を目指している知人がいます。でもその向き合い方、捉え方は人それぞれなようです。弁護士さんのタイプも違うのかも夫婦の数だけ事情は異なるとはいえ、長年築いてきた家庭を捨てる事に違いはありません。
気楽な生活を始めて1年余り。以前の自分がどうだったのか‥意識して思い返さないといけない程、遠いものになっている今。生活だけでなく、生き方、考え方、行動も大きく変わったことを、思いがけなく知らされることがあります。
今年の夏、父方の親戚と久しぶりに再会しました。20年ぶりに会ういとこ達は皆それなりに年輪を重ねています。懐かしい呼び名は長い年月を軽々と押し流してくれました。80代の叔父達が切に願うのは、私達いとこ同士の交流です。
4年余り会っていない母親。特別養護老人施設でお世話になっています。コロナが落ち着いて面会が解禁されても、会いに行こうとは思えませんでした。それがつい最近何故だか気になるようになって‥。私自身の心境の変化でしょうか。
昨年、実家の小さな事務所をお貸しすることになり数カ月かけてリフォーム。人にお貸しできるような状態にしました。たった一つ水道の工事を除いては。その後とんと連絡もありません。今年のふるさと納税の返礼品も来ないし。どうなってるのかな?
元気なのに声がガラガラで話しづらいな~というこの頃。ふとデジャヴを感じて思い出しました!そう、風邪の症状に始まってのどの不調だけがいつまでも残る‥これは今年の春ごろから、私の職場で複数の人に全く同じ症状が現れていたのです
数日前から出ていた風邪の症状。 初日は鼻風邪のようだったので、鼻水・鼻づまりの薬を飲みました。 風邪薬っていろ
離婚訴訟の手続きや相手方の弁護士さんからのメールに影響されて、何かと考え込みがちだった11月。息子の行く先や実家のことなど未解決の事案も相まって気持ちが少し弱っていました。そんなとき風邪を拾ってしまって体調は下降するばかり。
今の私にとって一番気がかりな、息子のこれから。ゼミ選びを失敗して担当教授と折り合いが悪く、昨年卒業することができませんでした。普通ならば、今年卒業できるはずと信じています。ただ昨年の記憶が生々しく、時期が近づくにつれ不安ばかりが増してしまいます。
離婚訴訟の準備が進むにつれ相手方にまつわることで煩わされる日が続いていました。気分を変えたくて今週も出かけることに。行先も時間の過ごし方も好きなように決めて、帰る時間も帰ってからも自由って本当に有難い。最高です。
相手方の弁護士から送られたというメールの内容を見て、思考回路もからだ中の血流も一瞬の間止まってしまったかに見えました。言っている言葉はありきたりでも、家族だったころの在り方を認識していれば絶対に出てこない言葉のセレクトでした。
いま自分のフィールドに相手方は存在しないという事実。これが如何に自分を幸せにしているか。今回つくづく再認識しました。絶対に私のフィールドに相手方を入れるわけにはいかないし、私も相手方のフィールドに二度と足を踏み入れたくない。
私の職場で夏ごろに表面化した問題。その後は何事もなかったかのような日常が続いているように見えました。でも私たちモブの知らないところで物事は着々と進められていたようです。次の一手はどう出るのか、どうなるのか。
偶然見かけた光景は、遠い記憶をぼんやりと映しだしました。若さがラッピングした本質の形は年月とともに原型を現わして、修正も加筆もされないまま放置されてきました。変わり果てた今の姿は、かつての在りようなど何の意味もなさないと物語っています。
お天気は良いぞ。週末から寒くなるぞ。せっかく暖かいのに外出しなくていいのか⁈と自分に聞いてみたら、「かっぱ橋なら行こうかな」という気持ちになりました。1年間探してるペッパーミル。遠くないしぶらぶら歩くにはちょうどいいかも。
昔のことを一旦思い出すと、芋づる式に思い出されるのはどうしてでしょうか。大抵はすっかり忘れていたような思い出したくない事ばかり。あわてて記憶のかなたに追いやるのですがその残像と気持ちのざわつきは少しの間尾を引くのです。
なぜ離婚したいのか、私の訴えを記した文章は火サスのように生々しいものでした。裁判所に提出する書類と聞けば、シロウトが読んでも意味不明な専門用語で埋め尽くされたお堅いものというイメージ。それが案外違ったんですね。
熟年離婚する場合、年金分割をすると年金額にかなりの差が出ることが分かりました。年金分割って知っているという方多いのでしょうか?私は恥ずかしながら当事者になるまであまり知りませんでした。請求する期限もあるそうです。
訴訟に必要な〝年金分割のための情報通知書〟が届いたのはいいけれど
離婚訴訟に必要な書類の準備をしています。戸籍謄本の取得は本籍地に郵送で依頼するため1週間以上必要です。”年金分割のための情報通知書”は申請書に必要事項を記入して戸籍謄本と身分証をもって申請すると1カ月後くらいに漸く手にすることが出来ます
同じ状況下にあっても感じ方が様々なように、その反応も人それぞれ違ってきます。それは性格によるものとも言えますが、人生において何が重要かというような、生き方の違いともいえる根本的な話なのかもしれません。
化粧品が合わないと肌荒れになることありますよね。でも今回私が経験しているのは、口。唇だけがいきなり乾燥し始めて皮がむけ、炎症まで。昨日まで普通だったのに、いったいなぜ?心当たりを探っていたら「やっぱり」というような結論に
長年、晩酌どころか外食先でも運転のために飲むことを控えているうちにすっかりお酒に弱くなってしまいました。というと前は強かったみたいですが、すみません見栄を張りました。強くなくてもき嫌いがあるし、弱くても楽しむことはできるんですね。
支払いは現金かクレジットカードだったころが遠く感じます。私の住む地域はまだ現金払いも案外多いのですが、ネット決済も最早当たり前の時代になりました。それと同時にセキュリティ対策も日進月歩。いろいろ変わっていくのが当たり前なんですね。
「こうなりますように!」いままで何度も口にした願いのことば。でも考えてみればそう願ったことより、「大丈夫、行けると思う!」と強くこころに決めたことが叶ってきたような気がします。覚悟をもって事に当たるとき、人は最強になれるんじゃないかな。
購入して1年余りで修理となった洗濯機。内心「ちょっと早すぎない?」と不満に思っていたけれど、対応の良さにそんな気持ちは無くなりました。それよりも修理に来てくださった担当の方の様子に全く関係のない感慨を覚えたのでした。
長い結婚生活の中で、地味に感じ続けてきた私と相手方の感覚の違い。 モヤモヤとしたそれは、特段トラブルの原因にな
長い結婚生活を終わりにするために裁判に踏み切った私。でも別居生活を続けていれば確実にいつかは離婚できるのに、どうして今裁判しなきゃいけないの?という声がどこからか聞こえてきました。ごもっともです。なんですけど・・・
最後の調停で相手方の体調が悪くなったことを知り、暫らくナーバスになっていた私。漸く少しずつ元に戻ってきました。そんなときH弁護士から訴訟に必要な書類を知らせるメールが。コンビニでPDFを印刷したり年金事務所に出向いたり大忙しです
「別居をする」と決めた時から大きく舵を切った私の人生。もし、あそこで決心がつかなかったら?反対にもっと前に別居をしていたら?私には全然違う運命が待っていたかもしれない…。選んだ人生は間違いなく幸せで感謝しかありません
離婚調停は相手方が決断できず不成立。体調不良で離婚を決心できないと言われたことが、こころに重く残りました。今までの経緯を思えば私が負い目を感じる必要などなく、離婚の意思は微動だにしないのです。それでも後味の悪い気持ちが拭えないままでした。
別居後、離婚に向けての協議を拒絶され離婚調停を申立てて9カ月。春ごろ相手方に弁護士がついて、ようやく具体的な話し合いを進めていたのですが…。もう修復不可能な状況という現実を相手方は受け入れることが出来ないようです。
親しかったはずの人、お互いよく知っているはずの人でも時間と共に関係が変わっていく事がありますね。「前はこんなじゃなかったんだけどな」そんな違和感を感じながらも何年も関係が続いて、いつしか重荷になってしまうことも。
美容院で1年前の話になり、前の生活を思い出していました。すっかり今の生活に馴染んでいる私。前の生活がスタンダードだった以前の自分。不満はあったのに生き方を変えられるなんて思わなかったのは自分自身を考えていなかったから
乾燥機能が故障?電源プラグの抜き差しで元通りになるか確認するよう言われ戸惑う私。だまされたと思ってプラグを抜き、もう一度指してから試運転してみると確かに効果がありました。でも本当にこれで直ったのか?もう1つ不思議なことが未解決です。
私たちの職場で台風の目のようになっているZさん。今日はお休みでみんなホッとしたのも束の間、似たような人がすぐ近くにいたなんて。隣のチームにも台風の目があって、私たちのチームにゲリラ豪雨が降ってきたのでした
「去年の今ごろは別居の準備で忙しかったね」そんな話から、息子のボーがその頃のことを話し始めました。父親に対して何を思っていたのか、その時の自分はどうしたかったのか、そしてその後や今はどう感じているのか…
ドラム式洗濯機を使い始めて1年弱。少し前から乾燥が不十分で量によってはダメダメの日も。乾燥フィルターにゴミが溜まらないのも不気味です。もしかして、ゴミがパイプに詰まって分解修理とか?メーカーに問い合わせたのですが…
仕事に来ていく服、数少ない選択肢でも結構迷います。お天気やその日の気分、ヘビロテになってないか…やっと決めて出勤したら他の人とかぶっていた、なんて。迷ったときでもスパッと決められたときでも被るときは被るんですね。
私たちの職場で新たな面談が実施されました。 個々の仕事ぶりをデータ化して評価するというものです。緊張の中進められ、あのZさんの順番となりました。皆が15分くらいだったのに1時間以上も面談が続きました
久しぶりに娘と息子と3人で別居前の話になりました。1年前はまだ別居の準備をしていた頃です。心身ともに加速度的に劣化していく父親と対峙する過程で子ども達が悟ったこと。そして今になって意外なことが分かりました。
広島旅行の2日目です。宮島に移動して厳島神社を目指します。炎天下の中、今年一番の汗を感じながら海上に浮かぶ廻廊を渡り本殿に参拝。夕日に照らされる大鳥居、夜の海に浮かび上がる幻想的な本殿と時間を忘れる美しさです。そしてひと際心に沁みたこととは‥
新しい年も半月が過ぎ、もうじき大寒、一番寒さの厳しい時期に突入です。不躾ですが皆様のかかとはいかがお過ごしでしょうか?私は長年悩みのタネだった分厚いかかとを卒業して今年もひび割れなく過ごしております。時間もお金も掛けないかかとケア、ご紹介します。
今年もあと僅かになり21世紀の四分の一が終わろうとしています。25年前には想像もできなかった今を感謝しつつ、次の25年先まで元気に生きていられるように今この瞬間を大切にしていこうと思います。皆さまがお健やかに良いお年をお迎えくださいますようお祈りいたします
最後にエントリーした面接会が終わりました。 エリアで一次、通れば営業所で二次面接です。 一次面接の最後に、営業
今は絶賛求職中ですが、私の日々は幸せに過ぎていきます。滞っているように見えることも「うまく行くようになっている」とのんびり構えて暮らしています。かつて修行僧と言われた頃には気付かなかった人生のカラクリは意外なほどシンプルなものでした。
仕事を辞めて自由気ままな人生の夏休みも終わりが近づいてきました。目を逸らしていた再就職の活動をそろそろ真剣に始めなければなりません。重い腰を上げて応募してみるものの現実は‥久しぶりに緊張したりナーバスになったり心が揺れ動きます。
離婚は人生最大の節目でした。が、私にとって〝別居〟が人生を180度変えたターニングポイントになります。その別居を決意する少し前に前兆と言える出来事があって、その受け止め方次第でその後の人生が違ったと思っています。
今や世界中で人気の日本のゲーム。ゲーム機に触ったこともなかった私がなぜか「やってみようかな」という気分になりました。折よく帰省していた子ども達に教えてもらいながら、かの有名な〝あつ森〟をはじめて約1カ月。今では日課になっています。
毎日家で過ごしていると、気になるのが運動不足。通勤時の約6,000歩が無くなって、アプリの歩数は激減です。YouTube動画を見ながらストレッチなどやったり踏み台昇降をしてみたり。でもなかなか続きません。そんなとき娘がジムに通い始めたことを知りました。
役所で手続した数日後、失業保険のPDFが届きました。今度はハローワークです。いままで転職するときはインターバルが無かったのでハローワークへ行くのは30年ぶりです。その時は娘を授かってお腹が目立ってきた頃に退職したので自己都合でした。会社都合は初めての経験です。
今年の夏、最後の遠出は娘と息子と3人旅。 離婚して4カ月のアラカン母、結婚より自由を愛すアラサー姉、社会人が板
酸素が薄くなる高い山に初めて登りました。中央アルプス、木曽駒ケ岳です。ここはロープウェイがかなり上まで運んでくれて初級者にも登れるルートがあるのです。とはいえ初級者未満の私にはハードな行程。時間をかけて登った先に思いがけない出会いがありました。
有休消化が終わって、いよいよフリーになりました。これからは国民健康保険に加入しなければなりません。失業手当をいただく手続きも必要です。こういうことは早めが大切と学んだばかり。会社からPDFが送られた翌日にはコンビニ経由で役所に向かいました。
仕事に行かなくなって数週間、有休消化のありがたい日々です。一人暮らしで何もストレスが無いはずなのに眠りが浅いまま回復しません。寝つきの悪い日もあって、何が原因なのかなと思っていました。どうやら枕が合わなくなってきたようです。
会社が業務を縮小することになりました。もうこの仕事は無くなってしまいます。70歳まで働きたかったのに。先のことが分からないまま、私の契約更新の時期が迫ってきます。でも昨年末から続いた手続き上のトラブルで私は会社に対して複雑な感情を抱いていました。それは何の特別感もなく粛々と始まりました。 ある日、会社が「業務を縮小する」と短く発表したのです。 正
熟年離婚で大切な年金分割。その手続きはパッとできるものではありませんでした。私の地域の年金事務所は予約制で驚きの1カ月待ち。戸籍謄本を取り寄せるにも日にちが掛かったりして。申請期限はゆとりがありそうでも、不測の事態はいろいろあります‥
還暦を過ぎて自分の体力にこんなに希望が持てるとは!かつて捻挫をバンテリン1本使い切って治した経験から、バンテリン信者の私。筋肉痛になる前に筋肉にアプローチするという目からウロコのアミノバイタルに出会い驚きの成果を実感しました。
要介護4の母に会いに初めて特別養護老人施設へ。母を目の前にしたとき自分が少し身構えていることに気づきます。もう私を見ても娘だと認識できない事は解っていました。それよりも衝撃を受けたのは、母に対して取った自分自身の言動でした。
6年前一人暮らしが限界になった母を施設に送り届けて以来一度も会いに行きませんでした。コロナの影響は確かにありましたがそれだけではありません。その間に母だけでなく私自身も大きく変わったようです。面会自由の知らせを受けて6年ぶりに会いに行くことにしました。
いま振り返ってもぞっとします。 危ないところでした。 今年の春、初めて高尾山に登りました。 「夏になった
裁判所に離婚を認められてから早1カ月余り。 財産分与金の支払期限が迫ってきたころ、私の口座に振込が確認できまし
離婚について書いていて改めて感じました。 30年か‥長いな〜と。 30歳から60歳までといえば人生の醍醐味を一
調停が決裂し、約1年前に始まった裁判。 別居期間を含めて30年の婚姻関係を解消するため、私が原告として相手方を
今年初めての投稿が、なんとも情けないタイトルになりました。 元はといえば昨年夏、職場の管理者トップ3が、相次い
2024年もそろそろ終わりが近づいてきました。慌ただしいこの時期にほっとひと息、来たる2025年を思い描いてみ
H弁護士から思わぬ報告が入りました。 相手方代理人(担当弁護士)が相手方本人と連絡を取れなくなっているというの
一人暮らしを始めて丁度半年です。 改めて見回すと、慎ましくも幸せな日々が送れるのもこの住まいのおかげとつくづく
かつては静かで平和だった私の職場。 2年前にたった一人全く協調性のない人が入ってきたことでこんな結果を招くなん
世の中、激増中と言われる熟年離婚。 20年以上連れ添った夫婦の崩壊はその原因を聞かなくても大体察しが付く昨今で
ご存じの通り卒婚とは『夫婦がお互いの自由を認め合い干渉しないで婚姻関係を継続する』こと。 離婚とは別物です。
お祭りの喧騒の中、マンションの自室で1人過ごす週末。非日常の時間が今の日常を浮き彫りにしたように感じました。別居して2年弱、当たり前になりつつある現在の毎日は、かつての私には思い描くことも無かった日々です。