老人ホームに入った母のなまの発信です。介護付きホームの入居者の声を聞きたいと思っても中々聞けませんでした。これはすでに亡くなった母が残した記録をアップしたものです。
母が存命中は発言の内容をアップする作業はできませんでした。母が残した手紙や発言を、娘の私が代わって記載します。記事は順次アップしていきます。イラストは友人が描いてくれました。 母が閉塞の集団生活の中でうつ状態になってからは、私が見た様子を書いています。
上野千鶴子さんの在宅ひとり死の講演を聞いた。なるほど、ここまで制度を整えてくれた女性群に頭が下がる。何冊か読んでいた樋口恵子さん と youtubeで身近にな…
私は葬式坊主が嫌いで、自分の遺言書に「葬式無用、坊主呼ぶな」と書いていた。いくつかの葬儀屋主催の葬式に出ると、契約した坊さんがうやうやしくも登場して、面識のな…
母が亡くなったのは2017年93歳だった。その半年前に特養に移った。特養のお医者さんは、今まで自立ホームで見ていただいた同じ方で、病院勤めの外科医だったが老齢…
私は母を自宅に引き取らなかったことに最後まで自責の念があった。後悔とは違う申し訳なさだった。当時は朝から夜中まで自分の会社の仕事があって、母が来ても一緒にいら…
私も精神科へ母が弱ってきてから私は月に1-2回、さらに弱ってから毎週行った。片道電車で5時間。土曜日に行って月曜日の朝出て帰ることが多かった。元気なころは母は…
うつの病院めぐりと 薬どの時点から病気になったとは言えないが、母が「窓から飛び降りたら死ねるかな」と言っているうちはまだ元気。これはほかの入居者も日常的に口に…
母の記録をもとに本人に代わって記載いたしました。ここからは活動的だった母が段々に消沈してうつになってから後の、私から見た様子を描いています。母の言葉の記録と違…
長電話が毎日くる毎日毎日電話は20-30分は続いた。私はもともと親に申し訳ない思いがあったので何度でも話を聞いた。それは悲痛な訴えに聞こえた。母は話すことが好…
毎日死にたい死にたいよく母は早く死にたい、死にたいといった。自分を見てという訴えだった。訪問したときも毎回、電話のときも、診察のときもいつも訴えた。そうだろう…
ボケを認識するのは哀しいボケたらー認知症になったら楽じゃないかといわれることがあるが、深い認知症になってしまえば別だろうが、決してそんなことはない。母をみてい…
特養へ移る自力でトイレに行くまでに回復しつつあったが、この状態では自立の階では面倒見切れないということで特養に移るように言われた。私としては「えー!特養へ行け…
骨折して入院手術母は転んで大腿骨骨折となり手術となってしまった。入院したベッドで自分はどこにいるか分からないときが多かった。大病院は手術後からリハビリの担当者…
母の記録をもとに本人に代わって記載いたしました。活動的だった母が段々に消沈してうつになってから後は私の目から見た様子を描いています。 ├ 私がホームに入ろうと…
母の記録をもとに本人に代わって記載いたしました。活動的だった母が段々に消沈してうつになってから後は私の目から見た様子を描いています。 ├ 私がホームに入ろうと…
「ブログリーダー」を活用して、りんご母さんをフォローしませんか?