chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
あちらはいかがですか、たかちゃん? https://blog.goo.ne.jp/rb2121gtr

夫を亡くして7年のあらら還暦。 時々どうにもならなくなり、旅して立て直しをしています。 ワンコを連れての旅や日常、たかちゃんが亡くなってからの回想を記して、あちらに行くときのおみやげに。

あさり
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/09/15

arrow_drop_down
  • ブログ中断します。老後の不安に対処する方法の一つ、介護保険

    今回も長々としたものになりますが、最後まで読んでいただけたらうれしいです。今回でブログを一旦中断させていただきます。短い間ですが(1ヶ月と20日間)、、こちらに載せていただき、夫との死別後のどうしようもない気持ちを吐かせていただき、ありがとうございました。心配いただいた方にもフォローしてただいた方にも読んでいただいた方皆様に感謝しております。初めてのブログで、文章が稚拙であったり、誤字脱字が頻繁で読みづらかったと思います。それと、ありのままを吐かせていただいたので気分を害する内容、不快にさせてしまったこともあったと思います。それでも書いていて、まだまだ死別を自分なりに消化できてない自分を知り、未だに感情の起伏に悩み、そんな日々であることを改めて知りました。私は、現在ワンコと一緒ですが、一人暮らしです。前職のス...ブログ中断します。老後の不安に対処する方法の一つ、介護保険

  • 回想:死別者との出会い②死別10年後の再婚

    (今から4年4ヶ月前)釧路を旅していた帰りのパーキングでワンコを休憩させていた。そこに私と同じ地域のナンバープレートの車が隣に停まった。私は関東にいた時のナンバーのまま。ワンコをパーキングで散歩させていると、さっきの同じ地域ナンバープレートの男性の運転手が話しかけてきた。男性「どちらから?」私「前は○○市に住んでいましたけど、今は札幌に住んでいます。」その男性と助手席の女性は、たかちゃんとずっと住んでいた町の隣町に住んでいた。女性「私たち新婚旅行で来ています。」それから、話し好きのご夫婦は話し始めた。女性は65才で、10年前に夫を亡くされ、家に引きこもり、しなびれていた、とそのだんなさんが言う。それで、食事を作ったり、外に連れ出して助けてあげたと自信あふれて話された。そのだんなさんは、結婚4度目。その奥さん...回想:死別者との出会い②死別10年後の再婚

  • 回想:死別者との出会い①家庭内別居の死別者の言葉

    (今から3年半前)北海道に移住してから仕事が休みになるとワンコを連れて旅していた。オホーツク海の網走近くに能取岬(のとろみさき)がある。なにもないが急に海に向かって開けていく様は心が解放される。いつものようにワンコとボーッとしていたらこんなところなのに、観光バスが2台やってきた。皆、中年から高齢者が多く一人で来ている人ばかり。旅行会社でひとり旅のツアーがあるがそれらしい。ワンコを連れていると、話しかけてくる人が多い。この時も、バスから降りてくる人たちにひとり旅とあって声をかけられた。その中の一人に、私より一回りは上の女性がいた。一人者の匂いがするのか、一緒に岬を散策していると、女性「あなたは一人で旅してるの?」私「ええ、」女性「私は一人になったのよ。夫が死んでしまってね」私はびっくりした。夫が亡くなってからと...回想:死別者との出会い①家庭内別居の死別者の言葉

  • 死別4年過ぎからの私ルール

    たかちゃんが亡くなって、4年が過ぎた頃だろうか。この頃は、札幌にも慣れ、仕事にも慣れていた。仕事で知り会った、私より一つ上のKちゃんと仕事終わりに時々食事をしたり、お茶したりと札幌を案内してもらったり。何度か仕事を変えたが、順調に生活していた。なのに、悲しみは一向に無くならなかった。と言うより、札幌に行ってから、じっくり悲しみと向き合った。仕事で仲良くなったKちゃんにさびしくないのかと聞かれて、そりゃー、さびしいよ、、くらいの話はしていたけど、深い悲しみを話すことはなかった。Kちゃんは離婚歴があり、子供も成人して働いていて一人暮らしであった。Kちゃんは、一度でいいから幸せな結婚生活をしたいと婚カツをしていた。「あさりさんも一緒に婚カツしようよ。」何度か誘われたが、その度に断った。でも、どことなくKちゃんは私と...死別4年過ぎからの私ルール

  • 新しくなったスマホ

    やっとスマホを変えた。使った容量が、いっぱいいっぱいで作動するのがやっとの状態だった。今度のは、今までの3倍の容量4時間もかかってしまった。移行するのに、IDだの、パスワードだの一度家に帰って、それが書いてある物を取りに行った。くれぐれも同じような人は、下準備を。びっくりしたのは、スマホサイズのものが、二重になって本を開くように2倍の大きさになる。画面が大きくなり老眼の私にはいいなと思うが値段も大きい、25万円。それと反対に、折り畳みで二分の一に小さくなるのも、、日々進歩してるのね。無難な7万円台くらいのを分割払いにした。帰りは真っ暗になってしまい、ママちゃりを走らせながら晩秋のこの季節にやられてしまった。帰り道で「なんで一人でこんなことをしてるんだろう」「この先も一人で、、、」と思ってしまったら、気持...新しくなったスマホ

  • スマホを変えなくては、、

    スマホの調子が悪い。iPhoneにすればと何度か言われたけれど一から覚える自信がない。私のはアンドロイド。2年前に、スマホが熱くなりバッテリーが膨らんで誤作動で勝手に電話をかけていてずいぶん迷惑をかけた。一番最後に電話をかけた人に勝手に電話をかけていたスマホ。あなたは私の手の離れたところで勝手気ままに何をしてるんですか、、まるでスマホが生きてるみたいで困った。深夜にもかけてしまうので、まるでわたしが嫌がらせをしているみたいで丁寧に謝罪した。3日前からまた熱くなり今度はブログの入力ができなかったり消えたりした。最近、ブログのフォローを増やしたことが原因かと全部フォロー解除してそれは無くなった。多分、古型で容量が小さいのだと思う。また恐ろしいことが起こるかもしれない。スマホが勝手に電話を、、こんなことが起きたら大...スマホを変えなくては、、

  • 犬のシェルポ君、私の同志

    犬のシェルポ君はたかちゃんが、病気になり入院する9ヶ月前に来た。生まれて3ヶ月の子犬だった。今は12月で10才になる。人間でいうなら50代から60代、、昨日の山登りで何人かの人に、「今、何歳?」と聞かれて、知らない人が撫で撫でしてくれた。シェルポ君が1才2ヶ月の時にたかちゃんは入院した。シェルポ君のご主人様はたかちゃんだった。私は、多分シェルポ君の召し使いだったようだ。シェルポ君はたかちゃんを尊敬していた。たかちゃんが帰ってくると、30分は一緒に遊ぶ。ボールやぬいぐるみの奪い合いをするがたかちゃんは決して手加減はせずシェルポ君は負けばかり。犬なりに、勝てないたかちゃんをすごいと思っていただろう。私は、勝たせてあげるから順位としては私は、下だったのだろう。たかちゃんがガン末期で家にいると、たかちゃんはシェルポ君...犬のシェルポ君、私の同志

  • 筑波山(つくばさん)、登ってきました。

    朝、5時半に出発して、茨城県の筑波山の麓のつつじヶ丘に到着。7時45分登山開始。筑波山は女体山と男体山からなる、百名山の一つ877m女体山と男体山の麓に各々ケーブルカーが行き来していてすぐに行かれる山。頂上まで1時間20分の予定だけど、体力ない私は、多分2時間、かかるかな、、子供たちが、小学校の時に、遠足で登っている山。石がゴロゴロして、膝にきそうなところです。所々、神社が祭られていて山の神様がいるのでしょうか、、最後の頂上は、ケーブカーの方もいて大混雑。遠く南西に富士山が見えました。帰りはシェルポ君が足を切ってしまったのでケーブルカーでたった6分で降りてきました。東には霞ヶ浦が、見えました。雲が切れたら、遠くに太平洋も見えるかもしれません。今日は土曜日とあって、家族連れがいっぱいですが、私には、今...筑波山(つくばさん)、登ってきました。

  • 北海道でのことが書けない

    北海道に行ってからのことが書けない。書いてもアップさせ続けるのに抵抗を感じる。ずっとどうしてなのか考えてみた。一番悲しかった時を過ごしたからなのか、、甥っ子はいたが(一緒には住んでいない)、一番強く、死別に向き合っていたことを書くのが嫌なのか。たかちゃんの死から7年経つけれどまだまだ気持ちを消化することができないようだ。たかちゃんが亡くなってすぐに友人からの連絡で友人の癌治療に寄り添い、友人の死母の施設通い、母の死、息子と共に仕事をこなし、娘の結婚と出産、目まぐるしい一年半だった。その後、北海道に移住。北海道に行く前も十分、たかちゃんとの死別に向き合ったつもりだったが、本当に向き合ったのは北海道に行ってからかもしれない。覚えているのは、たかちゃんが亡くなって3年が過ぎる頃、たかちゃんが亡くなってすぐの頃と3年...北海道でのことが書けない

  • 心療内科の経過と選択

    初めての受診から2週間後の2回目の受診日。先生「いかがですか?」私「ほぼ1日中、眠くて何もできません。」先生「薬が効いてくるまで、1ヶ月は必要な期間なので、あと2週間続けてみてください。」先生「睡眠がとれる薬を変えますね。また、2週間後来て下さい。」前回、薬の効用について説明があった。風邪薬のようにすぐに効くものでなく、最低3週間から1ヶ月経過して、効果を診るという、忍耐がいる治療なのである。しかしである、眠くて眠くて仕方ない。食事と、必要最低限の家事と犬の散歩、買い物以外は横になってるか、寝ているかのどちらか、、眠剤を飲むのをやめよう、勝手に眠剤はやめて、治療薬だけを飲んでいた。しかし、これでも眠くて仕方ない。日にちが経てば、からだが薬に慣れるとも先生は言っていたけど、、ほぼ1ヶ月寝て暮らしていたと言っても...心療内科の経過と選択

  • 心療内科の受診

    以前、知り合いから、今の住まいから近い心療内科を聞いていた。電話をすると3ヶ月待ちの予約だった。受診すると、初診の人には1時間の枠が取ってあり、丁寧に今までのことや症状を聞いてくれた。すべて肯定的に聞いてくれた。もしかして、泣いてしまうかもと思っていたが私は、まるで仕事の時のように淡々と話していた。たかちゃんが亡くなって5年以上の月日が経っていたからかもしれない。女性の先生で「今まで長いこと、鬱だったのね、それとパニック障害もあるわね」「薬を1年続けることになるけるど、良くなりますからね。」鬱症状があるのは自覚していたが、配偶者を亡くすという、ストレスで一番のものなのだから当たり前のことと捉えていた。鬱症状と鬱病、同じには捉えてはいなかった。初めて鬱病ということを受け入れた。鬱病よりも、パニック障害で出か...心療内科の受診

  • 心療内科 受診のきっかけ

    関東に戻ってきてから最後のハードな仕事を辞めて、車の運転をしている時、パニックになってしまった。渋滞や高速道路のトンネル、とくに湾岸のお台場の海底トンネルでの渋滞時に動悸がして一人で運転をしているのに「車をおいて車外にでたい、どうしよう、、」もともと閉所恐怖症があったのと、息子が癌治療で6ヶ月の入院をしているとき電車のなかで「空気が少ない、酸素不足?息が苦しい」今でも満員電車は苦手でコロナの前に乗ったとき、あー、もうダメ、限界、降りよう、、人が一杯で降りれない、どうしよう、、「吐きそうなので降ろしてください」と言ったら、さっーと私の降りる道が空いた。パニック障害。何度もネットで検索した。それと一緒に、夜、眠れなくなってしまった。仕事をしていた時は、グッスリ眠れていたのに、、一ヶ月に2度ほど、一睡もできない日が...心療内科受診のきっかけ

  • 一人暮らしの怖さ

    昨日は、朝、目が覚めてからも前日までの旅で疲れていた。朝食をとって洗濯をしてお昼はリンゴと柿を食べて、また寝てしまった。かなりグッスリと寝ていたようで、目を覚まして時計を見ると、5時15分。「ブログのアップをしなくちゃ、あれれ、どうして17時30分なの?6時00にしなくちゃ」ここのところブログアップを6時ぴったりにしていたので「私のブログの時間がおかしくなってる、、」思い込みとは怖い。すっかり、朝と思っていたのでそのままブログを6時にアップしてしまった。自分は朝の6時だと思っていたけれど、夕方の6時だった。気づいたのは、その一時間後。ちょっとしたパニックになっていた。落ち着いてから「あーあ、これだから一人暮らしはなぁ、、」誰もいないから、こんなバカなことをしても気づかれないけど、娘や息子がいたら、「もう、ボケ...一人暮らしの怖さ

  • フラッシュバックはいらない

    たかちゃんが亡くなってから数年フラッシュバックしていた。たかちゃんの顔、一緒だった光景、しぐさ、、今は、滅多にない、いや、無い。いつから無くなったのだろう。これがあって、苦しかった時期があった。たかちゃんのことを考えてもない、思い出してもないのに、急に頭に浮かぶ、蘇る、たかちゃんの映像。一緒に歩いた道でのしぐさだったり、車で迎えに来たたかちゃんに手を振った時のたかちゃんの顔だったり、最期の亡くなった時のたかちゃんの顔や葬儀で安置された棺の中のたかちゃんは、よくフラッシュバックした。それがある度に、苦しかった。ボーっと、掃除機をかけているとき、買い物をしてるとき、歩いている時、何気ない時に、やってきた。そんな時、道を歩きながら、涙が浮かんだならまだいい、ボロボロと涙が溢れて、どうしようもなく、下を向いて歩いてい...フラッシュバックはいらない

  • 南会津まで、たかちゃんと行ったところをたどる

    2021,10,15一昨日のドックラン付きキャンプサイトに泊まり、帰ろうかと思っていたら、友人よりラインが入り、朝、冷えているなら朝温泉ということで甲子温泉(こうしおんせん)旅館大黒屋を教えてもらった。ナビ設定で那須岳の脇道で、一山二山越えると国道289号線に出た。これをまっすぐ南会津のほうへ向かい、左に数百メートル下ったところに甲子温泉がある。車のナビをよく見てなかったのか通りすぎて道の駅しもごうまで行ってしまった。案内を見ると大内宿(おおうちじゅく)が、ここから22㎞。行くしかない。ここは、たかちゃんと15年前頃行ったところ。また行こうねと言っていた、、その手前の塔のへつりにも寄りまた大内宿を目指して国の文化財になっているが、ここは普通に所有者が生活して、お店を出している。15年前より、特色のあるおみせ...南会津まで、たかちゃんと行ったところをたどる

  • 山のついでに

    ずっと来てみたかったプライベートドックランつきキャンプ場、ここからみた朝の風景山に行くのに天気予報を見ながら、ここの空きを見ていて、ネット予約。ここにはドックラン併設のシャワーと炊事ばとトイレがあり、みんな新しくて清潔。ドックラン内にクルマを停めてスーバーで買ってきたお惣菜で食事。食事はショボいです。お隣は本格的に焚き火をしてバーベキューだけど、、ここに来る前に、シャワーはいやなので、温泉に1300年以上前からある源泉かけ流しの乳白色の湯500円でも、シャンプーもボディーソープもなくて、シャンプーは持っていったけど、、隣のお姉さまに「初めて来たので、石鹸を持ってなくて、もらえますか?」快くいただけて、良かった。図々しいおばばならではのことです。古いけれど、露天もあり、お湯は最高に良かった。隠れた人気なのか...山のついでに

  • 那須岳、雲海

    昨日の夜10時に家を出て、那須に向かった。道路は大型搬送車ばかり。那須の道の駅に着いて車の中で、寝袋にワンコと一緒にくるまって、朝の5時半に目を覚ます。睡眠時間4時間。朝食と言っても、コンビニおにぎりとゆで卵に、のむヨーグルト。ワンコを散歩させて、身支度して那須岳に向かう。途中に恋人の聖地という、見晴らし台に行くと「おおー、スバラシイ雲海」これから登る那須岳も天気に恵まれて良かった。昨日の夕方の天気予報をみて出発を決めた。セブンイレブンでお弁当を買ってリュックに。ワンコとの山登りは、基本ロープウェイで、ある程度まで行き、後は頂上まで歩く。頂上まで一時間ほど。那須岳は那須連山の呼称で、本当は茶臼岳(ちゃうすだけ)のことを言うそうだ。晴れわたった景色に、心和む、ひととき。今年の紅葉はいまいちらしい。駐車...那須岳、雲海

  • また夢に来てね、たかちゃん

    ついさっき、たかちゃんの夢をみた。早朝5時前。私とたかちゃんと息子で、団体旅行で電車に乗っている。もうすぐ私の生まれ故郷の海が見える。海が見えると一斉に駅で降りて、大きなホテルに向かうのだが、(実際にはない)たかちゃんと息子は団体から離れて、海の側の原っぱにそれて、なんだか遊んでいる。後でついてくる様子。私は、団体の列の最後部について、後ろを振り返りながらまだ来ない、全くしょうがないなと思っている。もうすぐ左右の道に別れる交差点だから前の人に「後で行きますね」と話して、大きな声で「おとうさーん」「おとうさーん」と2回呼んだ。(息子がいるときはお父さんと呼んでいた)おとうさんと呼べるのっていいなとかみしめて思っていたところ、息子とたかちゃんが現れて、ホテルの途中のトイレに別れて入ったところで目覚めた。夢か、、た...また夢に来てね、たかちゃん

  • 札幌移住から今までの人間関係

    札幌に行って、友人を作ろうとか、知人をたくさん作ろうという気は、なかった。仕事で知り合った人で、気の合った人だけは、未だに連絡がある。札幌に行ってからの関東での人間関係は、相手から連絡がない限り、連絡はしなかった。これによって、冷たいとかどうしてなの?とかあったようだ。毎日のように仕事のことで携帯に連絡をしてくる息子から、言われた。「(人間関係を)何でも切るんだな。」息子は、私が付き合ってきた仕事関係や何十年来の知人、友人から、それらしいことを言われたようだ。息子も私に切られたと思っていたのだろう。批判的な口調だった。以前、交友があって連絡をしてくる人には、それには応じたが、何となく元気?と聞かれても、さも元気そうに演じなければならないような要求に面倒がっていた。関東に戻ってからは、以前、交友のあった人から...札幌移住から今までの人間関係

  • 回想:札幌での初めての仕事 1

    (札幌の円山からの続き)今から5年前、たかちゃんが亡くなって1年8ヶ月目札幌に移住前に、電話で問い合わせていた仕事、市の老人福祉センターは無くなった。引っ越しが済み、札幌市内の買い物や名所や山を歩いているうちにギリギリ生活できて、あとは好きなように山に行ったり旅をしよう。なぜか、たかちゃんが亡くなってから自分が長生きするとは、とても思えず死ぬ前に、したいことをしようと思うようになっていた。札幌に来る前に、健康診断で胆嚢に小さな腫瘍、1センチになったら胆嚢を取らなければならないと言われていた。腫瘍は0.6センチだった。甲状腺にも5センチになる良性腫瘍があり悪性になってないか経過をみたほうがいいと言われていた。治療は何もなかった。週4日のデイサービスの看護師としての仕事の求人があり、見学に行った。場所は北海道大...回想:札幌での初めての仕事1

  • 真鶴に行ってくるね

    2021,10,9ちょっと真鶴(まなづる)まで行ってくるねとたかちゃんの写真に声をかけて。これについて、違和感を感じる人がいると思う。たかちゃんが亡くなる前の私は、そうだった。父が亡くなってからの母は、私と一緒に実家に帰ると「お父ちゃん、ただいま。帰ってきたよ。」と、まるで父がいるみたいに話をしていた。それに、私は違和感を感じていた。でも、今の私は、あの時の母と同じ。これはどう説明していいか、わからない。真鶴は伊豆半島にあり、たかちゃんと釣りをしたり、海の幸を食べたり、時間があるとよく来ていたところ。たかちゃんが車イスのときも来た。たかちゃんが亡くなってから、伊豆には来ていたけど、ずっとスルーしていた。5時15分出発。首都高速の用賀を6時には通過したいなと思いながら。スカイツリーの上半分は、霧がかかって、見...真鶴に行ってくるね

  • 札幌の円山

    (北海道への道のりの続き)今から5年半前、たかちゃんが亡くなって1年7ヶ月目北海道での移住は、札幌にした。理由は、働くために職場の選択が多いこと。甥っ子が札幌にある大学に通っていたこと。雪の生活に便利なのではということ。初めに出かけたのは円山(街の名前、まるやま)。円山は札幌では、人気の住宅地でもある。素敵なショッピングやカフェ、レストランがありすぐそばに公園、神宮や円山や動物園と、自然溢れていた。その円山には山があり、標高は225mと低い山なのだが、街の名前と同じ円山(まるやま)頂上から札幌市街を一望できる、手軽な山登りである。登りに1時間弱、降りるのに40分、幼稚園の遠足の子供達がいたこともある。そこに生息している植物は見たことのない大きな葉をもつもの、木々は白樺が多く、本州とは違う。針葉樹が少なく、(...札幌の円山

  • たかちゃんが亡くなってからの不思議なこと

    たかちゃんが亡くなってから、不思議な出来事があった。1つは、たかちゃんが亡くなって一週間過ぎのこと、葬儀も済み、普通の日常がまた始まった頃。近くのマンションの人で、自宅の前の70台置ける月極め駐車場に車を停めていた、私と同年代の女性が、声をかけてきた。女性「だんなさん、歩けるようになってよかったですね。」私「、、、」私「夫は一週間前に亡くなったんですけど、、」女性「、、、」少しの間があってから女性「昨日、だんなさんが駐車場に歩いてきたから挨拶したのに、、、」顔を少し傾け、女性は怪訝な顔つきで、昨日を思い出していた様子だった。うちでも、ここの駐車を3台分借りていたので、その女性とはよく会って挨拶をしていた。お隣のおばあちゃんと一緒に、その女性とは何度か話をしていた。たかちゃんが車イスであったのも知っているし、た...たかちゃんが亡くなってからの不思議なこと

  • 北海道への道のり

    (北海道移住への準備からの続き)今から5年半前、たかちゃんが亡くなって1年7ヶ月目。北海道への出発の見送りを断っていたが、ママ友夫婦が、5時前から待っていたのには、びっくりした。手紙と贈り物をいただき、「帰ってきたら、ずっと年取ってもお茶のみをしよう」と書かれていた。たかちゃんのお墓に寄り、「北海道に行ってくるね、毎月の墓参りはできないけど、たかちゃんも一緒に来てよ。」次は母と父、ご先祖様の墓参りをした。それから実家近くの、幼いときからお世話になった親戚宅に連絡もせず寄った。私の父方のばあちゃんの弟のお嫁さんで、年は90を過ぎている。たまたま、施設から自宅に帰ってきていて、会えた。認知症もなく、懐かしい話をして、「北海道に住むから、当分会えないからきたよ」と。小さい頃、母がいないときは、このおばちゃんのと...北海道への道のり

  • 配偶者死別後の私と子どもたちの温度差

    たかちゃんが亡くなってからの家族ってなんだろう?こんなこと、たかちゃんが病気で入院していた時も、癌末期で家にいた時も、なにも考えることはなかった。たかちゃんが居れば、普通の家族そう思っていられた。それが、たかちゃんが亡くなって、、うちの場合は、子ども達は仕事をして、それぞれ、自分の人生を歩んでいた時期。仕事が一緒の息子がいなければ、もう手の離れたこどもたちを見守るだけだったと思う。40代で夫を亡くされた女性、その当時、そのお子さんたちは高校生二人。その女性に「子供達が大きくなって、もう働くような年になった子どもを持って夫を亡くすほうが、私よりもかわいそうだ。」そう、言われた。初めはその意味がわからなかったが、だんだん実感している。子どもが成長過程にあれば、きっと一緒に到達地点に向かって、同じ時間を共有して同...配偶者死別後の私と子どもたちの温度差

  • 北海道移住への準備

    (息子5、息子との決裂からの続き)今から5年半前の回想たかちゃんも母も亡くなってしまった。今は私とワンコだけあるのは自由のみこれで息子が成長するのか、会社をつぶすのか、息子次第そうだ、北海道に行こう。まず、生活の基盤を作らないといけない。今まで、たかちゃんとの仕事以外は、看護師でたまに働いていた。ずいぶん前であった。私は、社会福祉協議会での、自立支援のデイサービスがとても好きだった。今さら医療はできない。期間限定で、近くのデイサービスで働こう。すぐに見つかり、1日4時間だけ家の仕事をしながら3ヶ月限定で働くことになった。次に、私の仕事の引き継ぎを。この日から、ノート2冊に詳細をまとめた。一年間の流れ、歳暮、中元、年賀状のリスト、経理の仕事としての厚生年金、雇用保険、社会保険料、所得税の算出方法、社員への給料明...北海道移住への準備

  • 息子 5 (息子との決裂)

    (息子4の続き)、、今から5年半前のこと「私は、もう、降りよう。」息子の仕事から消えよう。ある程度の構想が決まった日に、息子に「お母さんは、仕事をやめるよ。お母さんの給料は、他に代わる人を雇うか、自分でやるのかはわからないけど、考えてやっていって。」息子は「俺のせいで辞めるのか?それともお母さんが好き勝手したいから辞めるのか?」と聞いてきた。答えはどちらもなのだが、もう口論をしたくないから、私「残りの人生、好きに生きたい。」もう、こんなことはどうでもいいと思っていた。結局、息子には見積り、出来高、請求の仕事をシフトダウンしていても、お金をまわすことはしてない。お金にどれだけ執着するかが、仕事の原動力だが、全体を把握せず、俺には関係ないと言ってるようでは、この先、何も変わらない。いい潮時なのかもしれない。たか...息子5(息子との決裂)

  • 息子 4

    (息子3からの続き)そのうち、何度か息子と口論になった時、息子「お母さんなんか居なくても、仕事はやっていけるんだよ。」その言葉は、さすがにショックだった。私「居なくてもいいのね。」息子「ああ。」たかちゃんは、亡くなる前に言っていた、「家と貯金はお母さん(私)に。仕事は◯◯(息子)に。」たかちゃんは、遺言書を残していた。たかちゃんと私は、二人三脚で仕事をしてきた。お金ない、学歴ない、家ない、親なしのないない尽くしのたかちゃんは、仕事を独立するときのお金を銀行で借りることもできず、仕方なくサラ金のようなところで借りていた。若かった私は、延々続く返済がまだ終わらないと、毎月返済していた。独立して1年半は利益も上がらず、6ヶ月の息子を預けて、私は看護師をしていた。サラ金のようなところで借りていたのを知ったのは、返済が...息子4

  • 孫の面倒をみる

    久しぶりに娘の家に。コロナで、会うのを避けていたから。娘には3人の子供がいる。6才、5才、2才。共稼ぎで、今日は運動会。見に行けるのは二人だけだから、3番目の、孫をみてくれる?ということで。7時に来てというから、5時に家を出た。娘の家まで78㎞。娘が「来ちゃったの?携帯に電話したし、ラインもしたのに、、」3番目の孫が、ヘルバンギーナで発熱して、私にうつるといけないと電話したらしいが、、もうここまで来たなら、うつるのも仕方ないかと、、今日のために、わたしの故郷の郷土料理のカツオの揚げひたしと浅漬けを作っていった。カツオの揚げ浸しは、カツオを揚げて生姜醤油に浸したもの。保存食で、母が旅行に行くとき、よく作っていた。最近、スーパーで三陸の脂がのった刺身用のカツオの半身がでているから、昨日の夜に作ったもの。友人が今、...孫の面倒をみる

  • 息子 3

    (息子2からの続き)会社の決算があり、それについての息子との話し合いをしようとした。「それはお母さんの仕事で俺は関係ないでしょ。」息子に、決算を把握しないといけない必要性を話しても、関係ないとばかりで、、会社の旅行としてお金の請求や接待飲食費のお金など、だんだんひどくなっていった。娘が結婚して不在になると、それはエスカレートするばかりでなく、私は、息子と顔を会わせるのを避けるようになっていった。たかちゃんのいない不安と息子との噛み合わない仕事が、私をだんだん追い詰めていった。娘が里帰り出産で、家に戻ってきた。無事出産して、女の子が産まれた。これとばかりに、友人たちや親戚が訪れ、久々に再会して、皆たかちゃんを偲んだり、赤ちゃんを抱っこしていた。息子は、用事があるとか、仕事でと、その場には居なかった。私を避けていた...息子3

  • 息子 2

    (息子1からの続き)たかちゃんの歯肉の腫瘍は、しばらくそのままの状態であったが、症状である痛みや口が開かないということは徐々に消えていった。息子が飲食の仕事を辞めて、たかちゃんと一緒に働くことについて、たかちゃんは喜んでいたが、私は、今までの息子の行動ややり取りで、とても不安だった。息子は、飲食店の料理ではなく、経営をしたかったことを聞いていた。たかちゃんは、うちの仕事で稼いで、それをすればいいと安易なことを言っていた。たかだか数人の会社で、息子が来たことをよく思っていなかった人もいる。この3年後にたかちゃんは、関節リウマチ、5年後に難病、癌末期となった。その度に息子は、たかちゃんに代わって仕事をしていた。たかちゃんが難病で入院すると、ほぼ決まっていた大手の自動車工場2社の仕事は、無くなっていた。息子では、ま...息子2

  • 息子 1

    娘が結婚して家を出ていくと息子が「◯◯(娘の名前)がいなくなって、俺はどうすればいいんだよ。」私は、たかちゃんが亡くなってから息子の気持ちを真剣に考えたことはなかったように思う。息子は、4年位、家出をしていた時期があった。息子は家族に内緒で専門学校をやめた。「俺は料理をしたいんだ、今の学校はいやなんだ。」この時、息子は医療系の専門学校に行っていた。私とたかちゃんは、その学校で人の細胞、とりわけガン細胞の細胞検査士の資格をとることになるかと思っていた。息子は14才の時、悪性縦隔胚細胞腫瘍という癌になっていた。肺や食道、気管があるところにできた癌で、抗がん剤治療をして小さくしてから手術をして、その後も抗がん剤治療、6ヶ月の入院だった。主治医からは、入院したばかりの時、命の保証はないと言われた。癌は1.5キロ程の巨...息子1

  • 谷川岳 ロープウェイで上がって

    2021,9,283時半に目が覚めたというより、もう眠れない。天気予報を見ると、30日から天気は下り坂。山に行こうか、、水上ICで降りて、谷川岳ロープウェイへ。ロープウェイで天神平へ、(天神平からリフトもあり)緊急事態宣言解除まで数日あるのに、申し訳ありません。今日もワンコと一緒に。ワンコがロープウェイに乗れることは、ずっと前に調査済み。クレートに入れることを条件に乗れる。ワンコ料金も支払う。ロープウェイは空いていたし、コロナで窓は開いている。紅葉はまだまだ、標高が高くなると所々色づいているが、10月が本格的かと。天神平から谷川岳へ向かって、出発。気温17度。道はぬかるんでいた。時々木道が整備されていたが、それでも道は平坦ではなく、転ばないように滑らないように、、平日の火曜日。夫婦連れよりも、女性一人や男性一人...谷川岳ロープウェイで上がって

  • 娘の結婚 2

    (娘の結婚1からの続き)N君から結婚式の前に、「お母さんと一緒に同居をしたい」と言われた。私は、まだそんな年じゃないからと断った。と言うよりも、たかちゃんと描いていた生活を早々に切り替えることなんかできなかったし、N君の通勤距離が1時間半以上というのもかわいそうに思った。N君は、高校の時、お兄さんとお父さんを亡くしていた。N君はお兄さんと妹さんとの三人きょうだいだったが、N君のお兄さんは、N君が高校の時、交通事故で亡くなっていた。家族皆が悲しんだが、とりわけお父さんは悲しんでだんだん元気がなくなり、家で自ら命を断ってしまったと聞いた。無口なN君は、「高校の時は、自分は暗黒時代でしたから」と、何かの機会に話していた。口数の少ないN君は、この時ばかりは感情をあらわにして早口に話した。N君のお母さんは、息子を亡くして...娘の結婚2

  • 娘の結婚 1

    たかちゃんが、緩和病棟のある病院から自宅に戻って、自宅療養をしていた頃、娘から電話で、「お母さん、今から帰るけど、◯◯さん(お付き合いをしている人)を連れて帰るね。」ええっー、今何時よー、夜の10時過ぎだよー娘とN君は、酔っぱらって一緒に帰って来た。酔っぱらっていたのはN君で、娘はいくら飲んでも酔うことを知らない。家に上がるなり、娘が、「N君、今日うちに泊まるって、全然歩けないんだものー」2階の空いている部屋に布団を敷いて、N君は挨拶もそこそこで寝てしまった。翌日、N君は日曜日ということもあり、朝風呂に入って、うちで朝食を食べていった。初対面が酔っぱらっている時で、一緒に朝食というのは何を話してよいものか、N君は困ったような顔をしていた。娘の話だと、N君は無口だけど、娘の話をよく聞いてくれるらしい。でも、N...娘の結婚1

  • 実家の墓参りと海

    2021,9,25たかちゃんの墓参りは、彼岸入りの20日に行った。磯原海岸に来て、あと数十キロで私の生まれ故郷。花園渓谷に行ってから、実家の墓参りをしよう。私の旅は、いつも思い立って行き当たりばったり。実家の墓参りは、いつも父と母の命日だけ。きっと、ブログを書いたから、母を思い出して行こうと思った。花園渓谷は、免許を取ったばかりだから、もう40年も昔に訪ねたところ。もう少し行くと、花園神社がある。でも、神社には興味がないのでスルー。ここの神社の駐車場から滝を目指してワンコと散策をしようと来た。登山口から40分で滝に着く予定。花園神社の由来が薬師教から来ていることが書かれているが、、宗教には、興味がないので、またスルー一組、家族で来られたグループの後を、ワンコと歩いた。ワンコと私は、山が好きだが、わたしもワンコも...実家の墓参りと海

  • 海を見に行きたくなった 茨城磯原海岸

    2021,9,24今日の関東は、昨日の残暑に引き続き暑い。急に海に行きたくなった。私の田舎は太平洋に面したところ。白い砂浜が続く海岸に、よく行ったものだ。初日の出を見に行ったり、海水浴をしたり、高校の時は友達と海でボーっとしていたり、、夕方、茨城の磯原海岸に着いた。夕日に反射してだんだん色づいた。ここは私の田舎の海ではないが、炭酸泉の湯に入って、今夜はグッスリ眠れるかな、そう思って車を走らた。ワンコと一緒に。残念なことに、湯に入っているときオレンジ色の月が海の水平線辺りから上がってきて、暗い海面に月の光、月の道と呼ばれるものが見えたが、それを撮ることはできなかった。もう、中秋の満月は欠け始めていた。炭酸泉の湯は、間口が7、8メートル、高さが3メートルの開口部が全開されて、海と一体化している感覚で湯に浸かり、海風...海を見に行きたくなった茨城磯原海岸

  • 母の交通事故 3

    (母の交通事故2からの続き)母は、姉のリハビリ病院併設老人施設に入ってから、「家に帰りたい」と何度も訴えていた。しかし、家がどこなのかわからなくなっていた。自分の実家の地名を言ったり、結婚当初の地名を言ったりと明らかに認知症になってしまった。これには、事故で頭を強く打ったことが関係していた。私とたかちゃんは、たかちゃんがリハビリ病院から退院して少し落ち着いた頃、車イスを車に積んで、母の施設に面会に行った。母はたかちゃんに会うと、「◯◯さん(夫の名前)とは違う。」と、たかちゃんを怪しげな人を見るような目つきだった。私が、(難病の免疫抑制剤とステロイドで)薬のせいで顔がちょっと変わっただけだよと説明するが、母はずっと疑いの眼差しだった。まるで知らない人に会って困ったような顔だった。たかちゃんも気にしていたから、とて...母の交通事故3

  • 母の交通事故 2

    (母の交通事故1からの続き)翌日の民放新聞には、78才の高齢者、車両衝突事故という見出しで、母が悪いような印象の書き方であった。兄の話では、事故現場を約1日通行止めにしての現場検証の結果、母の過失ではなく相手側の全面的な過失になると警察から聞いた。相手は40代女性で、携帯電話のメールかなにかをしながらの運転の可能性が疑われたがこの女性も頭を打ったということで病院に運ばれた。その女性は、1週間で退院して、事故については記憶がないとの一点張りということだった。その後、現場検証で過失割合が100%この女性の過失となったが、これを聞いたのはずいぶん後のことだった。過失割合が決定する前に、母の車の自賠責保険から、この女性は550万円を請求し支払われていた。助手席に乗っていた母の友人には、同居していた娘さんから家の改装費に...母の交通事故2

  • 母の交通事故 1

    私の母は、父を亡くしてから5年目、今から8年前にたかちゃんがリハビリ病院に移り、2ヶ月が経ったら頃、交通事故にあった。母は一人暮らしをして、田舎では車がないと不便であり、運転の大好きな母は毎日運転していた。交通事故の1ヶ月前に、母は姉夫婦に連れられてたかちゃんのリハビリ病院にお見舞いに来てくれた。たかちゃんは、難病の免疫抑制剤とステロイドを服用をしていたため、別人のように顔が変わりつつある頃だった。姉から「お母ちゃんが事故ったの、運転しているときに対向車とぶつかって、頭を打って腕と手首の骨を折っている。」私は、ちょうどたかちゃんのリハビリ病院にいた時で、たかちゃんにそれを伝えて、車で180キロの道のりを急いだ。なんでそんなことになったのよ、死んじゃったらどうしよう、、運転しながらこみ上げてくる想いをこらえながら...母の交通事故1

  • しづちゃん、母校の大学病院へ来る

    しづちゃんが母校の大学病院での治療をしたいからと、私は、同窓会名簿を頼りに同級生に電話をかけた。同級生にのツテで、消化器科の外来日が決まり、9月の末頃同級生4人で羽田に迎えに行った。しづちゃんは、外見からはとても癌患者には見えず、空港出口を歩いて手を振って出てきた。この4人としづちゃんとで母校の大学病院の消化器科に行き、しづちゃんの診察を待合室で待っていた。しづちゃんは、それから数回、山形と東京を往復した。その度に同級生のだれかが付き添っていた。しづちゃんの夫であるご主人の影が伺えないことを心配して、みんなで「おうちは大丈夫なの?」しづちゃん「息子(14才)がいるから、夫は来れないの。」2回目の外来で、抗がん剤を始めた時、しづちゃんの身体には、足のむくみが出始めていた。しづちゃん「なんだか足が浮腫んで、ちょっと...しづちゃん、母校の大学病院へ来る

  • しづちゃんからの頼み事

    たかちゃんの葬儀から一週間位した夜に、学生時代のいつも隣の席にいた、しづちゃんから電話があった。しづちゃんは故郷の山形に戻り、小学校の養護教諭(保健の先生)をしていた。毎年、年賀状のやりとりをしていて、この電話の8年前の同窓会の前日に会ったきりだった。懐かしさと今の近況を伝えると、しづちゃんはたかちゃんの死にびっくりしていたが、、それから、しづちゃん「お願いがあるんだけど」と話し始めた。しづちゃんのその年の年賀状には、「乳癌の初期で手術しました。」そう書いてあったのを思い出していた。しづちゃん「乳癌の転移かもしれないけど、肝臓に癌が見つかって山形で治療したけど、もう治療の方法がないと言われたんだ。(母校の)◯◯大学病院で診てもらいたいけど、あさり、ツテはないかな。」私は、一瞬言葉を失って、、黙ってしまった。しづ...しづちゃんからの頼み事

  • たかちゃんの葬儀

    たかちゃんの葬儀は、たかちゃんの遺言通りにはならず、それは仕方ないことだった。ひっそりと身内だけでとたかちゃんは話していた。葬儀にたかちゃんの結婚前の親族は一人もいなかった。両親に1才半の時に捨てられ、父親の弟である叔父さん夫婦の家で、おばあさんに育てられた。たかちゃんの親は父親の酒癖の悪さで離婚して、両親ともに育てることを放棄したと聞いていた。叔父さん夫婦には娘がいたが、たかちゃんはかなり差別され育ち、たかちゃんは邪魔者扱いだったとも聞いていた。私たちが結婚してから、叔父さん夫婦に恩を返せと言われ、たかちゃんはお金を送っていた。叔父さん夫婦の娘には、面倒をみろとも言われたが、叔母さんが嫌いだったたかちゃんはそれを断っていた。たかちゃんが25才のとき、おばあさんは亡くなり、叔父さん夫婦ももう亡くなっていた。その...たかちゃんの葬儀

  • たかちゃんの最期 3

    たかちゃんが逝ってしまってから、ダイニングテーブルに座りうなだれていた。息子が、時間外の在宅の医師が来るまで時間があるなら、朝御飯つくるよとキッチンに立った。卵焼きを作るにおいがして、出来上がると息子、「食べないとしょうがないだろ、これから大変なんだから」私は、「いらない、食べたくない」息子、「食べろよ」このやり取りが何回か続き、息子は声を荒立たせるので、仕方なく。よそったご飯、昨日の味噌汁の残りと漬け物、卵焼きが出されていた。卵焼きを口にすると全く味がなく私、「おいしくない」その後すぐに、息子は流しにフライパンを力任せにガシャン。びっくりした娘は、「お兄ちゃん、やめてよ。」私は、言わなきゃよかったと思ったが、時すでに遅し。たかちゃんが逝ってしまったのと、息子のイラつく態度に、ただただうなだれるだけで、たかちゃ...たかちゃんの最期3

  • 草津へ、軽井沢白糸の滝、八ッ場ダム

    2021,9,13~道の駅六合(くに)から草津に向かう292号線を北上する途中の峠からの景色。別名志賀、浅間さわやか街道というが、ここの草津までのくねくね道は、ちっともさわやかではなく、途中、対向車が来たらどうしようかなと思ってしまうところ。何度も軽くクラクションを鳴らして、来てるよ、来てるよと知らせた。ここまで来ると、気温が16度、とっても快適。途中の川原で草津を抜け、軽井沢の白糸の滝へ。途中の浅間山は霧と雨で全く視界ゼロ。白糸の滝はなんとか曇りで、今回もお天気には恵まれず、、ここから八ッ場ダムの道の駅巡りをして帰ろう。八ッ場ダム(やんばダム)道の駅あがつま峡へここのドックランで一休み。自分へのお土産は、浅間酒造のお酒の秘幻。当分、これで楽しめる。一番の美味しいものは、道路脇で野菜や果物を売ってるところで、と...草津へ、軽井沢白糸の滝、八ッ場ダム

  • たかちゃんの最期の日 2

    7年前の9月11日朝6時に、たかちゃんは逝ってしまった。ワンコは片時も離れず、たかちゃんのベットの足元にいた。ワンコもたかちゃんの様子が変わってしまったのを気づき、意識のないたかちゃんの手足を舐めていた。亡くなる前日の朝まで、たかちゃんはどうにか意識があったが、午後には意識がなくなり、ずっと横になったままだった。2、3日前から食べるものもプリンや梨を少し、尿パックの量も少なくなっていた。亡くなる2日前に会いたい人に会った翌日から、ずっと眠るばかりとなっていた。9月11日の朝3時頃から呼吸が乱れ、肩で息をするようになった。痰(たん)がからむのか、苦しそうで、これを取り除いたら楽になるかと、訪問看護ステーションに電話をして吸引器をお願いしようか迷っていた。死を迎える小冊には、痰がからんでも、その時はもう苦しさは感じ...たかちゃんの最期の日2

  • 難病、中咽頭癌の死5

    難病、中咽頭癌の死4からの続き大学病院の耳鼻科から、抗がん剤を飲むことをやめる意志を伝えると、緩和病棟のある病院を紹介された。ここでは、痛みを取り除き、積極的な治療はない病院である。痛み止めや大学病院でもらっていた難病の薬をもらい、必要な時には入院するところ、だいたいは最期を看とる場所として使われるようである。たかちゃんは、痛み止めをコントロールする場所として2週間ほど使った。首の骨に転移した癌が、右腕を上げる神経をダメにして、そこに弱い放射線をあてることで癌の進行を阻止させる。だがその後に、痛みが起こり、麻薬である痛み止めの量を決めるため、緩和病棟に入院した。ここの病棟の医師がまたおかしな医師であった。たかちゃんは、車イスで病室の外に一人で行っていたのだが、麻薬の痛み止めで時々意識がはっきりしないときがあった...難病、中咽頭癌の死5

  • 難病、中咽頭癌の死4

    難病、中咽頭癌の死3からの続きリハビリ病院に着いてから、すぐにリハビリ計画が立てられ、これから長くて5ヶ月はここでリハビリとなる。5ヶ月が過ぎた頃には、両杖をついてサポート付きで歩くことができるようになっていた。でも、4ヶ月を過ぎた頃から、リハビリペースが落ち、たかちゃんは精神的にしずむことが多くなった。からだが思うように動かすことがつらいようであった。大学病院の難病科では、この病気のせいであるとの話だった。リハビリ病院での入院は5ヶ月のところを、家のお風呂やトイレのリフォームで、1ヶ月延びだ6ヶ月の入院となった。こんな大変な時でも、夕食後のリハビリ仲間とお茶をする友人6人もできていた。誰でもすぐにとけ込むことができる、たかちゃんならではのことでした。その方たちとは、今も私に電話がかかってくる間柄である。9月に...難病、中咽頭癌の死4

  • 難病、中咽頭癌の死3

    たかちゃんの病気、難病、中咽頭癌の死2からの続き主治医は何度も手術で取り除いた腫瘍を検査するが、何度も癌ではないと、自分の判断は間違っていないことを常に主張していた。患者は、医者の言うことを聞くのが当たり前だというオーラを出していた。そうこうしているうちに足はピクリとも動かなくなった。変に微熱が続き、ここの大学病院の難病専門科のドクターに依頼して、初めて肥厚性硬膜炎という難病にたどりついた。この病気は、見つかってから300症例もない珍しいもの。すぐに大量のステロイド療法が始まり、何とか足先の感覚が戻ってきた。そうしているうちに、たかちゃんには喉の異変があり、以前のたかちゃんの声ではなくなっていたので、耳鼻咽喉科でみてもらうが、副作用の強いステロイドのせいであるということになった。この時、もっといろいろな検査をし...難病、中咽頭癌の死3

  • たかちゃんの病気、難病、中咽頭癌の死2

    たかちゃんの難病は、肥厚性硬膜炎という、脊髄の硬膜というのが厚くなり神経を圧迫する病気。2013年の1月の中旬、背中が痛いというので近くの整形外科に受診。脊柱管狭窄症という脊髄が変形などで神経を圧迫しているのではと湿布をもらった。その年の1月末には歩くことが難しくなってきた。それなのに長野の出張があり、病院受診を勧めたのに仕事人間の夫は足を引きずり長野に。嫌な予感のなかひどくなり、長野にいる夫に今すぐ帰って来るように言い、出張の最終日に夜中に運転して帰ってきた。翌日には歩くことができなくなり、市内の社会福祉協議会で車イスを借りてきた。もともと大学病院のリウマチ科にかかっていたので、そこへ翌日に受診。主治医がいなかったので、他の先生にみてもらうと整形外科だねということでそこの大学の整形外科で診てもらう。高飛車な医...たかちゃんの病気、難病、中咽頭癌の死2

  • 四万湖、六合道の駅

    四万湖に行ってきた。緊急事態のコロナなのにね。群馬県の四万温泉へ行く途中にある。ずいぶん前から行ってみたかった。夫が亡くなってから、ワンコ🐶との旅が唯一の趣味。場所は群馬県吾妻郡中之条の奥にある。行ってみたらダムで中之条ダムなのに名前は四万湖。なぜか、湖の色がキレイなブルー、いやエメラルドブルーというものかな。ここではカヌーをしてる人、夫婦、家族で訪れる人、バイクで来る人。やっと行くことができて満足、満足。途中、見たことのないトカゲが3匹遭遇。さて、シェルポ君、次は道の駅を目指そうかね😊道の駅六合、これでくにと読むから、地名は難しい。山奥にあって、それなりに人がいた。お昼を食べたいけど、コロナでお店に入るのは抵抗あるし、ワンコ🐶は入れないし、気温が高いから車にお留...四万湖、六合道の駅

  • アメリカのテロで夫を亡くした人

    昨日のテレビで、アメリカでのテロで20年前の9月11日に夫を亡くした人が、追悼でアメリカに行き、家族が紹介されていた。当日、その方は36歳。夫がいたビルがテロで飛行機が突入して崩れた。夫の親指だけが見つかったとのこと。幼い二人な子どもとお腹に子どもがいた。そのお子さんたちが20年という歳月が過ぎ、母は強いと話されていた。その女性は56才となり、私たちは幸せにならなければならないと一人で3人の子どもを育てた。子どもと共に幸せだったと語っていた。そして、これからも幸せでなければならないと。夫に子どもたちの成長や喜びを共有したかったと。私も、夫を亡くして子どもたちの成長や結婚、孫を夫と共に見ていたかった。そんなことを涙とともに思ったけれど、叶わない夢でしかない、これからもずっと、、9月11日に夫は亡くなった。911は...アメリカのテロで夫を亡くした人

  • 2021/09/12 たかちゃんの好きな花

    7年前の9月の初めに、たかちゃんの好きなひまわりが咲きました。すっかり涼しくなってしまったので、ひまわりも元気がなく、、でも、たかちゃんに見せることができました。あれから7年、1年半は仕事に、その後の3年近くは北海道に住み、また戻って、たかちゃんの墓の近くに住んでいます。たかちゃんが神も仏もないと言って以来、私もそう思うのですが、二人で建てた墓には行きたくなります。2021/09/12たかちゃんの好きな花

  • たかちゃんの最期

    昨日はたかちゃんの7回目の命日でした。早いのか遅いのか、時間の感覚がわかりません。たかちゃんは55才になるとすぐに、肥厚性硬膜炎という脊髄の難病となり歩くことが出来なくなり、その9か月後に中咽頭癌という扁桃腺のところの癌が見つかり、検査すると全身に癌が転移している全身癌で余命宣告されました。最期の年の夏も暑く、たかちゃんが亡くなった9月は今年と似ている。雨が降り急に気温が下がった、そんな日に亡くなりました。亡くなる日の1週間前まで、車イスで一人でトイレに行っていたのに、ベッドから車イスへの移動が出来なくなりました。訪問看護の方にそれを伝えると、すぐに在宅医療の医師が来てくれて、留置尿パックがつけられ、ベッドに寝たきりになった。その1ヶ月前から食欲も落ちて、すでに食事とトイレと友人との電話以外は寝てばかりとなりま...たかちゃんの最期

  • 逃避の旅 青木ヶ原樹海

    2日前、家にいて違和感を感じてしまい、思い出の河口湖まで車を走らせてしまった。緊急事態宣言下のところに住んでいるにも関わらず、、だから人けを避けて青木ヶ原樹海の散策道をワンコ🐶と歩いてきました。富岳風穴の駐車場に車を置いて、50代後半の私と老犬とが樹海に入ろうと準備をしていたら、富士樹海のパトロール隊お二人(私より高齢者でボランティアっぽい方)から、どちらへと聞かれました。20分ほどで回れる散策道があると聞いたのでと答えると、お気をつけてと。入口にはカメラも設置されていました。青木ヶ原樹海と言えば、自殺の名所で有名であり、一人というのが怪しく思われるのか、、、おばば一人とワンコで自殺?このワンコは、夫が元気なときに家にやってきて、二人と一匹で旅をしようという未来のもと、、今は一人と一匹。もうすぐ...逃避の旅青木ヶ原樹海

  • たかちゃんの病気、難病、中咽頭癌の死1

    たかちゃんとの出会いは、私が19才の時。私が22才、たかちゃんが27才で親の反対を押しきり結婚しました。たかちゃんが55才の時、肥厚性硬膜炎という脊髄の硬膜が厚くなり身体が麻痺する難病になり、2ヶ月入院し治療するが歩くことができなくなりました。その後、6ヶ月リハビリ病院でリハビリをして自宅療養していましが、体調が悪化して、病院で検査すると中咽頭癌の末期で余命宣告。たかちゃんは治療すべてを拒否して自宅で死にたいと56才であちらに。亡くなって5、6年、いろいろなことがありましたが、最近やっと落ち着いた生活ができるようになりました。それでも時々は寂しさで落ち込みます。そんな時は、車でワンコを連れて現実逃避旅行が唯一の立て直しになるようです。そんな旅を交えてブログを綴っていこうと思います。たかちゃんの病気、難病、中咽頭癌の死1

  • はじめまして!あさりです

    はじめまして!あさりと申します。年は四捨五入60歳です。このブログは日記をメインに書きたいと思い始めました。夫があちらに行って7年が経ち、ワンコ一匹と共に、淡々と生きていこうと思えるようになりつつあります。この7年間、紆余曲折いろいろなことがありました。それを忘れずに書き留めて、たかちゃんの元へ行くときのおみやげにするつもりです。どうぞよろしくお願いします。はじめまして!あさりです

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、あさりさんをフォローしませんか?

ハンドル名
あさりさん
ブログタイトル
あちらはいかがですか、たかちゃん?
フォロー
あちらはいかがですか、たかちゃん?

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用