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マリの朗読と作詞作曲 https://blog.goo.ne.jp/uu55

65歳からシンガーソングライター。様々な人生の様々なシーンを切り取っての曲作り。CDアルバム収録曲と、古典・小説・詩の朗読を投稿。

マリ
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2021/08/28

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  • 余命宣告⑤から⑫

     その⑤病室の歌 昼も夜も、病棟のナースステーションは休むことがありません  下記は1週間ほど入院していた時の歌です。 電子音飛び交う詰所の騒ぎ遠く我が余命の灯静かに揺れぬ    入院した病院や緩和ケアなどで私に関わってくれた医療関係者は、皆さん若く優秀な女性が多く、施術でも本当によくやっていただきました。 考えてみれば、出産以外に入院の経験がなくて「白い巨塔(何それ?!ふっるー❗️)」のイメージ止まりの私には、それはそれは新鮮でした!笑  医師シルエット どんな現場でも、若く優秀なひとがバリバリ働くのを目の当たりにするのは心はずむことです。私は人生の最後にいいものを見ることができたと思います。  その6夢 こんな夢を見た。 私が立っていたのは広大な火山の山麓だった。殺風景な一面の砂地には草木一本見当たら...余命宣告⑤から⑫

  • 余命宣告③家族ふたたび

    余命宣告③家族再び 私はもともとがサバッと割り切った性格なので、自分の死が近づいても湿っぽいことには全くなっていません。その点、家族も同様なのがとてもラッキー。  わたしが癌だとわかった時、家族の一人がすぐに救いの手を差し伸べてくれ、生活、医療、介護など面倒な手続きや実務を一手に引き受けてくれました。さらに家族のグループLINEも構築してくれました。そのほかのメンバーもやれることをやってくれました。  なんというか、ながらく離れて暮らして来た家族が、「プロジェクト・マリの死」を滞りなく遂行しようとして結束してる感が半端ない。 わたしがそこにある種の絆を感じてしまうのはやはり特殊なケースではありますね、、、笑 私の最後で最愛の家族に幸あれ! 余命宣告④に続く 朗読はこちら↓童話・飴だま(新美南吉)小説・おい...余命宣告③家族ふたたび

  • 余命宣告②房総の山寺

    余命宣告②房総の山寺 わたしはもうすぐ72歳になります。これまでもう充分に生きて来ました。自ら死のうと思ったことはないけれど、人生百年?うわ、それは勘弁して、というのが正直なところです。  十年くらい前、房総の山寺に自分用の樹木葬用地を買いました。 海に囲まれた千葉県にすんでいても、海は潮風がべたついていやだから土に戻りたいの。 樹々や草を渡る風の音や小鳥の声が好きで、飽きることがありません。春には命が芽生え、夏は雲の峰が湧き、秋は木の実や紅葉が照り映え、冬は寒さに身を固くし、春にまた命の季節が巡って来る。そしてそうこうするうちに私は完全に土に戻っている。 冷たい墓石の下よりもずっといいと思ってのことです。 余命宣告③に続く  エッセイもどうぞ↓エッセイ・うどんやエッセイ・井上ひさし氏の講演エッセイ・メダ...余命宣告②房総の山寺

  • 余命宣告①あれは四月

    余命宣告その① 今回からしばらくは、私に出された余命宣告とそれに関するあれこれについて、重くならないように10数回に分けて書いていくつもりです。  そういう話題はどうもね、、、、という方はスルーして下さい。    今年の4月なかば、医師から「大腸S状結腸癌ステージ4で、リンパ節に転移しているために手術は出来ません」と告げられました。それを聞いたわたしの第一声は「このままにしておくとどうなりますか」でした。前から癌にかかったら(ことに末期だったら)手術や治療をするつもりは全くなかったのです。  医師は驚いた顔をして、取りうる措置や経過について詳しく説明をしてくれました。抗がん剤を使えば副作用に耐えながら数年を生き、抗がん剤を使わなければ緩和ケアをうけながら余命半年ほど。わたしは後者を選択しました。そして即座...余命宣告①あれは四月

  • ぎっくり背中でもうちょっとお休み

    ぎっくり背中のため、もうちょっとおやすみします。ぎっくり背中でもうちょっとお休み

  • 天使の歌声バスの中(エッセイ)

    天使の歌声バスの中 私が大学生になった年のことだ。荻窪駅からバスに乗った。夕方前だったので席には空きがあり、立っている人はほとんどいなかった。バスが動き出した。と、いくらもしないうちに、バスの中にそれはそれは美しい歌声が流れ出した。  ♪ポッカレモンの好きなママ自慢じゃないけどきれいだよママと一緒にポッカレモン♪ 歌詞はうろ覚えだが、当時テレビでしょっちゅう流れていたCMソングだ。その歌声はよく通る美しい声で、音程もリズムも完璧で聞く人をはっとさせる、それはそれは魅力的な一節であった。そして驚いたことに、その天使のような歌声の主は、ねんねこ半纏の中にいた。(ねんねこ半纏とは)佐藤いぬこ様のブログより著者の許可を得て転載年はせいぜい3、4歳であろう。女の子の声だったが、顔は見えない。ねんねこ半纏を着たズボン...天使の歌声バスの中(エッセイ)

  • ふりだしにもどる(自作曲)

     おもしろラップ「ふりだしにもどる」 あなたから始まりめぐりめぐりめぐってやがてもどるかもしれません。 思い切りナンセンスなラップです。次々と変わる人と物をお楽しみください。。 アレンジと歌を録りなおしてパワーアップしました!(イラストはフリー素材を借用) ↓大きな音が出ます↓ ↓  ↓ ふりだしにもどる(自作曲) ふりだしにもどる詞曲MARI めぐりめぐりめぐるめぐりめぐりめぐる「人と物物と人人と人物と物」めぐりめぐりめぐりふりだしにもどる ナオミがネットで買ったケチャップを届けた宅配ドライバーが車につるしてるお守りを出した神社の巫女さん達のハカマを仕立てたお針子さんが昨日なくしたスマホを拾って警察に届けたミュージシャンにバンドを組もうと声かけたのはなんとナオミなんです マサオが通ってる小学校で給食を調...ふりだしにもどる(自作曲)

  • 朗読・注文の多い料理店(宮沢賢治)

    注文の多い料理店 童話「注文の多い料理店」は宮沢賢治の傑作で、私の大好きな作品。 金持で傲慢な二人の都会者が、鉄砲打ちにやって来た山奥でもう少しで魔物に食べられそうになるお話。  マウンティングしあう二人の会話とか、レストランの扉に書かれた内容がだんだんにヘンテコに怪しげになってついにはとうとう・・・というスリルとユーモアが絶妙。 注文の多い料理店題  題名の「注文の多い」というのからして二つの意味をもった洒落たオチのようで、とても楽しい。 賢治の人を見る目は鋭い。他の作品の中でも、さり気なく発した一言でその人柄がわかってしまうような場面が時折出現する。そんな上でのユーモアである。  この作品、発表当初は全く認められなかった・・・ああ、当時の文壇関係者の低劣さよ。幾重にも悲しく情けない。天才の運命、と軽く...朗読・注文の多い料理店(宮沢賢治)

  • 第五夜(夏目漱石)朗読MARI

    第五夜夏目漱石「夢十夜」より 第五夜(夏目漱石)朗読MARI ↓夏目漱石の他の作品はこちら草枕蛇第五夜(夏目漱石)朗読MARI

  • 蛇(夏目漱石)朗読MARI

    蛇(夏目漱石)朗読 子供時代に叔父さんと遭遇したちょっと不思議な話。 [永日小品]より 蛇(夏目漱石)朗読MARI ・蛇(夏目漱石)朗読MARI

  • 秋田街道(宮沢賢治)朗読

    秋田街道宮沢賢治 どういう成り行きからか、知り合いたちと夜中に盛岡から雫石まで歩き出し、朝になって帰るだけの話。 そのとりとめない展開には賢治の孤独と寂しさが明滅する。 秋田街道 ↓宮沢賢治のほかの作品はこちらざしき童子のはなし雨にも負けず・秋田街道(宮沢賢治)朗読

  • たけのこ(新美南吉)

    たけのこ(新美南吉) たけのこ(新美南吉)童話 ↓新美南吉のほかの作品はこちら飴だまゲタニバケル ・たけのこ(新美南吉)

  • どんぐり(岡本綺堂)

     どんぐり(岡本綺堂)江戸時代からの旗本屋敷の黒板塀。塀の中には樫の木の大木が並びその枝を横町に張り出していた。横町は子供たちの格好の遊び場であった。 「綺堂むかし語り」より どんぐり(岡本綺堂)。岡本綺堂についてはこちらどんぐり(岡本綺堂)

  • うぐいす(薄田泣菫)

    うぐいす他2篇薄田泣菫 薄田泣菫についてはこちらで ・うぐいす(薄田泣菫)

  • 寿限無(思いっきり早く)

     寿限無落語のテンポで超スピードバージョン(編集一切なし) 寿限無(思いっきり早く) 寿限無 寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助 滑舌の鍛錬に、脳の活性化に、皆さま、どうぞお試しあれ ・・寿限無(思いっきり早く)

  • 花様年華(香港映画)

     花様年華 ウォン.カーウァイ監督の2000年制作の香港映画。1962年の香港が舞台で、ストーリーはいたってシンプル。同じ家に間借りすることになった既婚の男女が、惹かれあいながらも結局は(おそらく)プラトニックのまま別れる話である。こう書くとベタ過ぎて身も蓋もないけれど、あと一歩を踏み出さない、踏み出せない、二人の心の機微が丁寧に描かれている。  人口密度が高い香港の住宅事情は、当時もすさまじかった。二人はそれぞれの配偶者とともに間借りするのだが、本来は1世帯向けの住居に4世帯が住んでいる感じで、プライバシーを保つのは難しい。 住居でも仕事場でも窓から外が見えるシーンは一切なく、建物を出て路地に立っても、見えるのは路面と壁だけ。雨が降れば濡れるので、それが屋外である唯一の証である。二人の関係の濃さと閉塞感...花様年華(香港映画)

  • 竹(若い頃の自作詩)

     以下に掲載する「竹」は、わたしが18歳か19歳の時に書いた詩。学生時代に書いたものは社会人になるときすべて破棄したのだが、頭の中にはしっかり残っていたので再び文字にしてみた。   竹MARI わたしには、人ヲ殺シタ覚エはないが、人ヲ殺シタ恐レはある。どうにかそれを紛らわせたく、近所の老婆の家の窓辺に立った。彼女は魔法使いだった。わたしの訴えを聞いて、白い布に呪文をいくつか書いてくれた。わたしは一瞬、心の隅でその魔力を疑った。目と目が合った。わたしは目を伏せた。彼女は黙って裏山に入ると、鉈で太い竹を一本、バサリと切った。切り口は冷たく天を突いた。わたしは家に帰った。 夜、風が吹いた。風は竹の切り口に当たり、鋭く唸った。それを聞いていると、忘れていたあの恐れが鮮やかによみがえってきた。耳をふさいでいたが耐え...竹(若い頃の自作詩)

  • 朗読・狸と与太郎(夢野久作)

     狸と与太郎(夢野久作) 与太郎とは落語などで皆さんご存じのキャラ。彼が森で狸と遭遇すると・・・。 朗読・狸と与太郎(夢野久作) ・朗読・狸と与太郎(夢野久作)

  • 「悟浄歎異(中島敦)」より

     「悟浄歎異(中島敦)」より終結部 三蔵法師について天竺を目指す沙悟浄の手記 冒頭の「孫行者(そんぎょうじゃ)」とは孫悟空のこと。沙悟浄は三蔵法師のことを「師父(しふ)」と尊敬する。   俺(沙悟浄)が思うに孫悟空は行動的大天才であり、猪八戒は享楽的リアリストである。それに引き換え俺は、頭で考えるばかりで行動に移せない。自分は常に調節者、忠告者、観測者に過ぎないのか。悟空からまだ何も学べていない。「悟浄歎異(中島敦)」より 夜、星を見上げて野宿しながら、悟浄は悟空、八戒、師父三蔵法師についてあれこれと思いを巡らす。特に三蔵法師についての深く美しい洞察が、胸をほのかに温かくする。   中島敦(1909年~1942年)は東京生まれの小説家。漢学の家系に生まれ、東京帝国大学国文科卒業。持病の喘息により、才能を惜...「悟浄歎異(中島敦)」より

  • 蠅(横光利一)

    動画を公開していなかったので公開して再投稿します。  蠅横光利一 宿場の饅頭屋のそばにとまっている一台の乗り合いトテ馬車。乗客が次々と集まっているのに、なぜかなかなか出ようとしない。 ずいぶんと経ってからやっと動き出したその馬車には、猫背の馭者と六人の乗客、そして一匹の眼の大きな蠅が乗っていた。  夏の炎天下、様々な人生を背負った人々を乗せ馬車は畑や森を次々と抜けていく。かの眼の大きな蠅は車体の屋根の上にその身を休ませ、馬車と共に揺れて行く。そして馬車の行く手には運命の道が待っていた・・・    高校の国語の教科書で初めてこの小説に出会い、深く印象に残った。同じ作者の他の作品も読んでみたが、残念ながらあまりピンとこなかった記憶がある。蠅(横光利一)  横光利一(1898年~1947年)福島出身の小説家。菊...蠅(横光利一)

  • 新曲発表!

     新曲発表!新曲のタイトルは「記録と祈り2020」です。  コロナが日常化してしまったこの頃そもそもの発端、いえそれ以前の生活が記憶の彼方になっているような気さえします。曲のタイトルからわかるようにコロナ禍をどうしても記憶しておきたく書いた1曲です。歌詞には、「コロナ」「感染」「ワクチン」などの言葉は一切入っていません。  書き上げたのは2021年で、アレンジやオケもとうにできているのですが、主に私の体調のために未だ歌が録音できてません。いつになるかわからないので、とりあえず歌詞だけ発表します。  「記録と祈り2020」詞曲MARI1.なくしてしまったのありふれた日常こんな日が来ると思わずに久ぶりのルージュ唇にぬる朝端末に映るための化粧てなれたルーティン吹き飛んで出かけてもこもっても同じ地獄「握手とハグが...新曲発表!

  • うどんや

     うどんや 駅ビルを堂々と従える現在の荻窪駅からは、50数年前を思い浮かべるのはとても難しい。当時、駅の西口にあったのは、西友ストアのこじんまりしたビルだけであった。地階は食品売り場だったが、ある時、一角にうどん屋ができた。調理場を囲むカウンターに丸椅子を10個ほど置いただけのもので、間仕切りものれんも見当たらない。それだけなら珍しくもなんともないのだが,めっぽう旨いとなると話は別である。母は買い物帰りに、高校生だった私は学校帰りに、週1,2回はその窮屈なカウンター席に座った。 湯気を背に采配を振るうのは、40がらみのひっつめ髪のおかみである。銀色に鈍く光る寸胴鍋の周りには、真っ白な上っ張りの若い衆が三人。いづれも、てきぱきとわき目もふらずに手を動かす。狭いが清潔な調理場には、一糸乱れぬ手際の良さがあった...うどんや

  • 落葉松(北原白秋)

     落葉松(北原白秋) 皆さま、ご無沙汰しております。この一か月半、病気で入退院後に自宅療養となり、ブログをお休みしていました。未だ療養中です。長いお休みにもかかわらず、当ブログに来て下さる方々がいらして、(最近知ったのですが)とてもとてもうれしく心強かったです。 これからは体調と相談しながらの投稿なので間隔は不定期になります。朗読したい作品はまだまだたくさんあるので、無理のない範囲で頑張ります。 ほかの方のブログを訪問することはしばらくは難しいと思いますが、どうかご了承くださいませ。  さて、ブログ復帰第一弾は北原白秋の詩「落葉松」です。 浅間山麓の落葉松林の道を人生の旅になぞらえたこの詩には、「からまつ」という言葉がたくさん出てきます。「からまつ」という言葉を口の中で軽く転がしてみるとこの詩の魅力が浮かび上が...落葉松(北原白秋)

  • 父の故郷訪問記(7)最終回

     父の故郷訪問記(7)最終回50年前の思い出 シリーズものなのでまだの方は順に読んでね →父の故郷訪問記(1)→父の故郷訪問記(2)→父の故郷訪問記(3)→父の故郷訪問記(4)→父の故郷訪問記(5)→父の故郷訪問記(6)  おばあちゃん=父の19歳上の実姉寅四郎さん=おばあちゃんの四男 寅四郎家の黒電話の横に、町内の電話帳が置いてあった。見ると、名前と電話番号に並んで屋号の欄があった。屋号1ページに何軒も屋号が載っている。都会っ娘のわたしには珍しかった。思わずメモってしまうくらいに珍しかった。なかでも忘れられないのが、奉天屋満州ランプ屋三郎海軍 戦争中に住んでいた土地や生業が屋号になっていた。  そのほかにもどっこん水、初めて見たハマナス、かつて菩提寺に寄進した大灯篭、地獄に続く釜、胎内くぐり・・・、いろいろな...父の故郷訪問記(7)最終回

  • 父の故郷訪問記(6)

     父の故郷訪問記(6)50年前の思い出 シリーズものなのでまだの方は順に読んでね →父の故郷訪問記(1)→父の故郷訪問記(2)→父の故郷訪問記(3)→父の故郷訪問記(4)→父の故郷訪問記(5)   おばあちゃん=父の19歳上の実姉寅四郎さん=おばあちゃんの四男  寅四郎さんと父と三人で、近所の浜辺に出てみた。海沿いに暫く歩いて行くと河口にぶつかった。それはさほど大きくない川だった。指呼の間、とでもいうのか、両岸でしっかりと大声を出せば話ができそうなくらいの川幅で、護岸工事のない自然の姿のまま日本海へ注いでいる。そしてその水は水晶のように澄んで煌めいている。おばあちゃんによれば、あの川を昔はたくさんの鮭が「ごんごんごんごん上ってきた」という。「ごんごんごんごん」・・・わぉ、ぴったりな表現!   おばあちゃんと家の...父の故郷訪問記(6)

  • 父の故郷訪問記(5)

     父の故郷訪問記(5)50年前の思い出 シリーズものなのでまだの方は順に読んでね→父の故郷訪問記(1)→父の故郷訪問記(2)→父の故郷訪問記(3)→父の故郷訪問記(4) おばあちゃん=父の19歳上の実姉 おばあちゃんの嫁ぎ先の先祖の墓に案内された。師走の空は気持ちよく晴れ渡り、まだ雪もなく、古刹の墓地の一角は樹々の蔭に冷え冷えとしていた。その先祖の墓石というのは、長年の風雪で角が丸くなり苔むしていて、刻まれた文字は読み取りにくい。その前に立ち、ご先祖さんについてなにか話を聞かされたと思うが、内容はほとんど覚えていない。 父とおばあちゃんの会話を聞くともなく聞きながら、隣に建つこれまた古い墓石を何気なく見ていたら、「悲悩比丘尼」という5文字が目に飛びこんできた。いくつもの刻まれた戒名の中にさり気なく混じっている。...父の故郷訪問記(5)

  • 父の故郷訪問記(4)

     父の故郷訪問記(4)50年前の思い出 シリーズものなのでまだの方は順に読んでね →父の故郷訪問記(1)→父の故郷訪問記(2)→父の故郷訪問記(3) おばあちゃん=父の19歳上の実姉 おばあちゃんはお嫁入りの時、白無垢で家を出て婚家で赤い着物に着替えた。実家を出るときには一度死ぬという意味での白装束であり、到着した婚家では生まれ変わるという意味での赤い着物だという。   大正時代中頃の栄えていた旧家同士の婚姻である。しかも、長女が本家の長男に嫁ぐのである。あの広い座敷に大勢のお客を迎えての婚礼の宴は、どんなに盛大であったことか。おばあちゃん自身は、それについて何も語らなかったけれど。    父が新潟でもらった金梨地の漆器黒漆に金粉が散らされている美しい器。菓子鉢だろうか。 一辺が18㎝くらいで底が狭くなっている...父の故郷訪問記(4)

  • 父の故郷訪問記(3)

     父の故郷訪問記(3)50年前の思い出 シリーズものなのでまだの方は順に読んでね→父の故郷訪問記(1)→父の故郷訪問記(2)  おばあちゃん=父の19歳上の姉 おばあちゃんはわたしを、近所に住む同年配の茶のみ友達の家に連れて行った。お友達というのは、ちょっと目の鋭い、年の割に上背のある女性だった。彼女はおばあちゃんとわたしとの血縁関係を聞かされると、即座にこう言った。「ああ、モンジさんの曾孫(ひまご)かぇ」モンジさんというのは、どうもわたしの父方のひいお爺さんであるようだが、無論、初耳だった。ふぅむなるほど、この辺りでは他家の血縁関係にもよく通じている、と。 わたしたちはお宅におじゃまして、こじんまりした炬燵に三人で入った。友達同士が世間話をしている間、わたしはそばで蜜柑を食べたり猫をかまったりしていたが、土地...父の故郷訪問記(3)

  • 父の故郷訪問記(2)

     父の故郷訪問記(2)50年前の思い出父の故郷訪問記(1)から読んでね 父と私の乗った列車が到着した駅に、トラちゃんこと虎四郎さんが迎えに来てくれた。名前の通りに伯母の四男で、年齢は父といくつも違いなかった。父と寅四郎さんは顔を合わせるやいなや「やあやあ、ひさしぶり」と大声であいさつを交わし始めた。父は地声が大きいが、寅四郎さんもそれに負けてない。20歳の私はちょっと恥ずかしかった。  おばあちゃん(伯母)の一家は米作り農家であった。古い大きな日本家屋に住んでいた。部屋の襖を次々に開けていくとぶっ通しで何十畳もの広さの座敷になり、座敷ぼっこが出没しそうなお家。昔は村の庄屋を務めていたのでお殿様を泊めたこともあったという。  家族がお正月用に庭から松の枝を切ってきた。それを見たおばあちゃんは,「昔は家には立派な赤...父の故郷訪問記(2)

  • 父の故郷訪問記(1)

     父の故郷訪問記(1) わたしの父は、新潟県の海に近い町の生まれであった。父に連れられて初めてその町を訪れたのは、半世紀も昔の二十歳のころ。12月下旬にしては珍しく雪のまだない年だった。  父の生家は地元の旧家で田畑や山林を所有して裕福だったが、他人の借金の保証人になったがためにすべての財産を失ったという。以後、「絶対、他人の借金の保証人になるな」が一家の座右の銘となる。  父は9人兄弟の末っ子だったので、父が生まれたときには、19歳年上の長姉はすでに嫁いでいた。父が子供のころに一家は没落し、知り合いのいる神戸に引っ越して赤貧洗うがごとしの生活をおくった。父の両親は、その後いくらもしないうちに相次いで亡くなった。父は年の離れた兄の援助で神戸の商業高校を卒業した。  50年前の新潟訪問時に当然ながら父の生家はすで...父の故郷訪問記(1)

  • バレエを習っていた頃

     私は写真に撮られるのが苦手である。大人になってから自然な表情の写真がほとんどない。だから、子供時代はごく自然に写っているのが不思議でならない。 そんな私の4歳~6歳ころのバレエの写真。これが笑っちゃう写真で、膝から下が、いや足の付け根から下が、どうしたらあんな風にふつう曲がらない方向に湾曲するのかわからない。(今ではとても無理。)バレエスタジオにカメラマンが来て撮ってくれた。先頭で胸を張ってるのが私。おそらくカメラマンや先生から言われた通りに一生懸命ポーズをとったのだろう。     ↓  ↓   ↓       ↓  ↓   ↓  ↓  ↓    ↓      次は発表会の舞台写真。お母さんウサギを囲んでいる子ウサギとちびっこい小鳥たち。曲の終わりの決めポーズ、かな。   私の役柄は小鳥の一羽。お母さんウサギ...バレエを習っていた頃

  • 薄田泣菫(猿の喰逃げ、春、狐の嫁入)

     薄田泣菫の楽しい詩を3篇。1.猿の喰逃げ2.春3.狐の嫁入 薄田泣菫の詩(猿の喰逃げ、春、狐の嫁入) 薄薄田泣菫(1877年~1945年)は岡山県倉敷市生まれの詩人、随筆家。・薄田泣菫(猿の喰逃げ、春、狐の嫁入)

  • 心太・天狗(岡本綺堂)

     1.心太岡本綺堂川越の喜多院に桜を観る。ひとえはもう盛りを過ぎた。紫衣の僧は落花の雪を袖に払いつつ行く・・・(後略)  掛茶屋で心太をすする作者。当たりは一面の花吹雪・・・   2.天狗亥子(いのこ)の祭りは広島などで11月に行われる祭り。これが書かれた明治の終わりごろは、子供が天狗に扮したようである。 心太・天狗(岡本綺堂)  岡本綺堂(1872年~1939年)は東京生まれの新歌舞伎の劇作家、小説家。修善寺物語、番町皿屋敷、半七捕物帳などが代表作。・心太・天狗(岡本綺堂)

  • 形(菊池寛)

    形(菊池寛) 侍大将の中村新兵衛は、武勇で知られた士であった。 長さが三間もある大槍を持ち、猩々緋(しょうじょうひ)の服折(はおり)と唐冠(とうかん)の兜とを身に着け、戦場では『槍中村』として向かうところ敵なしであった。 そんな新兵衛はある日、初陣に臨む主君の子から、服折と兜を貸してくれと頼まれ・・・ 形(菊池寛) 猩々緋=鮮やかな深紅色服折=鎧の上に着る陣羽織唐冠=唐の冠を模した兜縅(おどし)の裏をかいて=鎧の胴の裏まで突き通って  菊池寛(1888年~1948年)は、香川県松山市生まれの小説家、劇作家、出版社の経営者。文芸家協会を設立し、芥川賞、直木賞の設立者でもある。著作は「父帰る」「恩讐の彼方に」「真珠夫人」など多数。・形(菊池寛)

  • お金とピストル

     お金とピストル夢野久作(1889年~1936年)といえば、「ドグラ・マグラ」(私は未読)などを書いた作家であり、怪奇、幻想という言葉が浮かぶが、いくつものペンネームを持ち、こんな可笑しい童話も書いている。 お金とピストル ・お金とピストル

  • 金の輪(小川未明)

     金の輪(小川未明) 小川未明(1882年~1961年)は新潟県高田の生まれの小説家、児童文学者。雑誌「赤い鳥」「おとぎの世界」に多くの童話を発表。代表作は「赤い蝋燭と人魚」「野薔薇」など。・金の輪(小川未明)

  • おにぎりの味 (中谷宇吉郎)

     明治33年生まれの著者が昭和31年に書いた子供時代の思い出。 おにぎりの味)(中谷宇吉郎) そういえば、わたしの小学校入学前後までは、母がガスコンロの上に釜を載せてご飯を炊いていた。炊けるにつれ、分厚い木の蓋の縁からは白いあぶくがブクブクとわき出し、それがカサカサと乾いた膜になるころにご飯が炊き上がった。  中谷宇吉郎{1900年~1962年}は石川県加賀市生まれの物理学者、随筆家。東京大学理学部卒業後、理化学研究所で寺田寅彦に師事。北海道大学理学部教授となり、雪氷研究で優れた業績を残した。また、科学などについての随筆もたくさん著している。   著作権の豆知識著作権で保護されている作品の朗読をネットにアップするのは、違法になる。日本における著作権の保護期間は、2018年12月30日までは著者の没後50年であっ...おにぎりの味(中谷宇吉郎)

  • 鹿(三好達治)

     鹿三好達治作 夕暮れの峠道を、鹿が狩の獲物となって猟師に担がれてくる。                                              誰かと一緒にいて不意に、とても淋しくなるときが・・・。  鹿(三好達治) 三好達治(1900年~1964年)は大阪市出身の詩人、翻訳家、文芸評論家。「測量船」「駱駝のこぶにまたがって」などの詩集を発表。  雪三好達治太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。  「鹿」も「雪」も詩集「測量船」に収録。 ・鹿(三好達治)

  • ハッピー・バレンタイン 詞曲MARI

     バレンタイン・デイが近いので、それにちなんだ曲をひとつ。 ある男子中学生の身に起きたバレンタイン・デイの悲劇を、楽しく軽やかなラテンのリズムで歌います。 歌詞は、もろ実話なんですよ。今を去るン十年前、その事件で心に深い傷を負った彼は、その後、人の心の痛みを表現する職業につきました。すなわち、ミュージシャンになったのです。そして今日に至ってます。                      ハッピー・バレンタイン作詞作曲MARI   誰が始めたバレンタイン・デイよくまあ飽きずに毎年毎年だけどOK義理チョコOKギリギリOKぶっちぎり! 中学2年2月の放課後あの子が言った裏庭に来てね動悸をおさえ平気な顔して向かう足取りかくしても軽やかまぶしい笑みで立ってたあの子リボンの包みオレに押し付けお願いこれを田中君に渡してお願...ハッピー・バレンタイン詞曲MARI

  • ゲタニ バケル (新美南吉)

     村の外の小川のほとり、榛の木の下で子狸が下駄に化けると・・・。 のどかな時代ののどかなお話。 ゲタニバケル新美南吉) 新美南吉(1913~1943年)は愛知県半田市出身の児童文学作家。「ごん狐」「手袋を買いに」「おじいさんのランプ」などの著作がある。・ゲタニバケル(新美南吉)

  • 飴だま(新美南吉)

     思いがけない結末。ちょっと楽しい一篇。 飴だま(新美南吉) 新美南吉(1913~1943年)は愛知県半田市出身の児童文学作家。「ごん狐」「手袋を買いに」「おじいさんのランプ」などの著作がある。・飴だま(新美南吉)

  • 沼(芥川龍之介)

     沼(芥川龍之介作) 文中の「InvitationauVoyage(旅への誘い)」はフランスの音楽家アンリ・デュパルク作曲の歌曲。   芥川龍之介(1892~1927年)は東京生まれの小説家。「鼻」「羅生門」「ある阿呆の一生」など多くのすぐれた作品を発表したが、強度の神経衰弱のために自殺した。・沼(芥川龍之介)

  • 待つ(太宰治)

      太宰治の短編小説「待つ」は、「省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。」という一節で始まる。省線とは、省線電車のこと。 わたしは小学校に上がる前、親に連れられて荻窪駅でこの省線に乗り降りした記憶がある。チョコレート色の鈍重な感じのする車両であった。太宰は20代の終わり頃、荻窪に住んでいた。彼の死の二年後に荻窪で生まれたわたしは、案外、彼がなじんだのと同じような風景を見ていたのかもしれない。わたしが小さい頃の荻窪駅は、古い木造の建物だった。改札係は木製の低い柵に囲まれた中に立ち、切符切りバサミをカチカチと鳴らしていた。 荻窪駅前から続いている薄暗く狭い通路の両側には市場があった。漬物や鮮魚などの猥雑なにおいに満ちており、夕方になると買い物かごを下げた主婦でごった返していた。今の大きな駅ビルなど...待つ(太宰治)

  • ふりだしにもどる 詞曲MARI

     CDアルバムのリリース(2019年12月)の5か月後、ちょうど新型コロナのために初めて外出自粛になった頃の作品。徹底してナンセンスな歌を作りたかったのです。  ふりだしにもどる詞曲MARI ふりだしにもどる詞曲MARI ※めぐりめぐりめぐるめぐりめぐりめぐる「人と物物と人人と人物と物」めぐりめぐりめぐり振出しに戻るナオミがネットで買ったケチャップを届けた宅配ドライバーが車につるしてるお守りを出した神社の巫女さんたちのハカマを仕立てたお針子さんが昨日なくしたスマホを拾って警察に届けたミュージシャンにバンドを組もうよと声かけたのはなんとヒロミなんです マサオが通ってる小学校で給食を調理してる人が猫にあげるはずのカツオブシでオデンをこしらえたばあちゃんの←リューマチを治した女医さんの庭に来る植木屋さんが大切に育てた...ふりだしにもどる詞曲MARI

  • 見知らぬ犬(萩原朔太郎)

      見知らぬ犬(萩原朔太郎) 見知らぬ犬(萩原朔太郎)この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具の犬のかげだ。 ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、わたしのゆく道路の方角では、長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、道ばたの陰気な空地では、ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。 ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、さうして背後のさびしい往来では、犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。 ああ、どこまでも、どこまでも、この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、きたならしい地べたを這ひまはつて、わたしの背後で後足をひきずつてゐる病気の犬だ、とほく、ながく、かなしげにおびえながら、さびしい空...見知らぬ犬(萩原朔太郎)

  • 絵はがき(堀辰雄)

     これまでわたしは「堀辰雄とは結核療養中に小説を書いた人」くらいにしか知らなかった。代表作を読んだこともない。だからこの「絵はがき」が初めて読む堀作品である。爽やかな詩のようなこの小品は、1930年夏の高原の避暑地からの楽しい便り。わたしはとても心惹かれる。 絵はがき(堀辰雄) 堀辰雄(1904~1953年)は東京生まれ、東大国文科卒の小説家。肺結核にかかり、たびたび軽井沢で療養する。代表作は「聖家族」「風立ちぬ」「かげろふの日記」など・絵はがき(堀辰雄)

  • 雨にも負けず(宮沢賢治)

      「雨にも負けず」の原文は手帳にカタカナでメモ書きしてあったもので、賢治の死後に発見された。ここでは、読みやすいようにひらがなで表記した。「ヒドリ」は「日照り」とした。 雨にも負けず(宮沢賢治) 雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち欲はなく決して瞋らずいつも静かに笑っている1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし分かりそして忘れず野原の松の林の蔭の小さな萱ぶきの小屋にいて東に病気の子供あれば行って看病してやり西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い 日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず苦に...雨にも負けず(宮沢賢治)

  • ざしき童子のはなし(宮沢賢治)

      ざしき童子(ぼっこ)のはなし ざしき童子のはなし  宮沢賢治(1896年~1933年)は岩手県花巻市生まれの詩人、童話作家、農村指導者、宗教者。「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「春と修羅」など多数の著作があるが、生前はほとんど無名であった。   ・ざしき童子のはなし(宮沢賢治)

  • 遠野物語拾遺

    明治維新の混乱の中、駕籠に乗ったお姫さまの一行が遠野郷の村に迷い込んできた。はたち前くらいのそれは美しいお姫様だったという・・・  遠野物語拾遺 お姫様の一行に関わった村人は、「あれはどこのお城の姫君であったろうと、常に追懐(ついかい)したという。」  柳田国男(1875年~1962年)は日本の民俗学の創始者。「遠野物語」は、1910年(明治43年)に柳田が発表した岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを集めた説話集。 ・遠野物語拾遺

  • 連絡先

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  • 歌舞伎のセリフ,三人吉三

     「こいつぁ春から縁起がいいわえ」で有名な、歌舞伎のセリフ 歌舞伎のセリフ,三人吉三  お嬢𠮷三のセリフ月もおぼろに白魚の篝もかすむ春の空冷てえ風もほろ酔いに心持よくうかうかと浮かれガラスのただ一羽ねぐらへ帰る川端で竿のしずくか濡れ手で粟思いがけなく手にいる百両本に今夜は節分か西の海より川の中落ちた夜鷹は厄落とし豆だくさんに一文の銭と違って金包みこいつぁ春から縁起がいいわえ  河竹黙阿弥が書いた歌舞伎の脚本「三人吉三廓初買」(さんにんきちさくるわのはつかい)の大川端庚申塚の場でのお嬢吉三のセリフ。  吉三という同じ名前を持つ三人の白浪(盗賊)が繰り広げる名刀・庚申丸と百両をめぐる因果の物語。三人吉三とはすなわちお嬢吉三、お坊吉三、和尚吉三。  「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」というセリフは、実は「女を川に蹴落と...歌舞伎のセリフ,三人吉三

  • アツモリのこと(エッセイ)

     若い人に「アツモリってなあに」と尋ねれば、「《あつまれどうぶつの森》でしょ」とゲームの名前を答えるに違いない。が、実は別の意味もある。一つは平敦盛( たいらのあつもり)であり、(「平家物語・敦盛最期」は→こちら)もう一つは、これから書くアツモリである。  私が子供のころ、こんな会話が両親の間で交わされた。まず、会社から帰った父が言った。「そういえばこのあいだ蕎麦屋でシゲモリをくれと言ったら、わけわからん顔をされた。こいつ蕎麦屋のくせにシゲモリを知らんのかと思ったら、もしかしてアツモリですか、と言われて自分の間違いに気がついた。いやぁ参った参った。」それを聞いた母は「平家でモリが付けばどれも大して変わりないと思ってるんでしょ、まったく。重盛(シゲモリ)と敦盛(アツモリ)、漢字で覚えてないからおかしなことになるの...アツモリのこと(エッセイ)

  • 新年のご挨拶と抱負

       あけましておめでとうございます。 ブログを立ち上げてから4か月あまり、思っていた以上にたくさんの方々からご訪問をいただきました。本当にありがとうございます。 自作曲の紹介もありますが、自分が大好きな文学作品を読むことで、それを聞いてくださる方々と楽しさを共有出来たらいいな、というのがこのブログの始まりでした。これからもそのコンセプトです。  ・教科書で読んだ懐かしい古典なら→こちら(平家物語)→こちら(枕の草紙)→こちら(方丈記)→こちら(奥の細道) ・軽い読み物はエッセイで→こちら(メダカを拾った話) ・CDアルバム収録おもしろ系の曲なら→こちら(ハッピー・バレンタイン)・CDアルバム収録AIに侵略されそうな曲なら→こちら(ボクとキミの間)   朗読作品はすべて古今の名作ですが、著作権で保護されている作...新年のご挨拶と抱負

  • おいてけ堀(田中貢太郎)

      暮れもだいぶ押し詰まってきましたが、ここらで息抜きにちょっと面白い怪談はいかがでしょう。 本所の七不思議の一つ「おいてけ堀」の話。その池で魚を釣って帰ろうとすると、「おいてけ、おいてけ」という声が・・・ https://youtu.be/07y6yvDJP6E  田中貢太郎(1880年~1941年)は高知生まれの小説家、随筆家。   おいてけ堀(田中貢太郎)

  • 「アドリアーノの窓」に作詞

     時限掲載 「アドリアーノの窓」はジブリアニメ「紅の豚」の中の曲。10年くらい前に私が勝手に詞をつけた。 「紅の豚」や作詞の経緯はこちら→「紅の豚」と作詞作曲事始め 作詞に使った楽譜はドレミ出版の「ピアノソロ紅の豚イメージアルバム久石譲作曲、青山しおり編著1992年」  演奏や歌をアップすることはなく、歌詞だけの掲載です。「紅の豚」の曲への作詞もこれが最後です。   「アドリアーノの窓」は、聞いていると目の前に青い大空が広がってくるようなそれはそれは美しい曲。ホテルアドリアーノの女主人はアドリア海のマドンナ、マダム・ジーナ。 楽譜はピアノ向きのアレンジなので、音域が2オクターブだったり、歌には向かないメロディーラインも一部あったりする。そのため、歌詞をつけても歌として成り立つかどうかビミョーだが、若い頃の感動の...「アドリアーノの窓」に作詞

  • 「ダボハゼ」に作詞

     時限掲載 「ダボハゼ」はジブリアニメ「紅の豚」の中の曲で、30年前にわたしが勝手に作詞した。  作詞した経緯を書いた記事「紅の豚と作詞作曲事始め」は→こちら 作詞に使った楽譜はドレミ出版の「ピアノソロ紅の豚イメージアルバム久石譲作曲、青山しおり編曲1992年」 演奏や歌をアップすることはありません。歌詞のみの掲載です。   空賊とは空の盗賊のこと。飛行艇に乗ってアドリア海を行く船を襲い、金品を奪っていく。賞金稼ぎのポルコ・ロッソは天敵。ダボハゼとは、空賊たちを指している。                                                       「ダボハゼ」の曲は、空賊マンマユート団が出現するとバックに流れるコミカルな曲。   ダボハゼ詞MARIオレたちは空賊だ空の盗賊さ海と...「ダボハゼ」に作詞

  • 「マルコとジーナのテーマ」作詞

     時限掲載 「マルコとジーナのテーマ」はジブリアニメ「紅の豚」の中のロマンティックな曲で、30年前に私が勝手に詞をつけた。 作詞の経緯はこちら→「紅の豚」と作詞作曲事始め 作詞に使った楽譜はドレミ出版の「ピアノソロ紅の豚イメージアルバム久石譲作曲、青山しおり編曲1992年」   空飛ぶ豚ポルコ・ロッソはアドリア海きっての飛行艇乗りであり、ホテルアドリアーノのマダム・ジーナは飛行艇乗りたちのマドンナ。そして二人は幼馴染みでもある。青春時代はもはや過ぎ去り、戦争や動乱のなかを、距離を置きながらも共に生きてきた二人。   マルコとジーナのテーマ詞MARI白いレースのカーテン窓辺にはオリーブ木漏れ日の午後大空と海原を飛び続ける果てに待つものはなあにいつの日かあなたもここに立ち遠い日の歌をそっと口ずさむでしょう聞く人もな...「マルコとジーナのテーマ」作詞

  • 「ピッコロ社」に作詞

      時限掲載 「ピッコロ社」は「紅の豚」の中の曲で、30年前にわたしが勝手に作詞したもの。 「紅の豚と作詞作曲事始め」の記事は→こちら   作詞に使った楽譜はドレミ出版の「ピアノソロ紅の豚イメージアルバム久石譲作曲、青山しおり編曲1992年」 演奏や歌をアップすることはありません。歌詞のみ掲載です。   「ピッコロ社」と発音してみると、舌の上で音が軽く転がるような感じがしませんか。曲のAの部分は明るく軽快な長調でBの部分はハバネラ風の短調になるのがステキ。Aのアウフタクト部分は、すべて歌詞なし。   ピッコロ社詞MARIA.ピッコロ社の工場は町はずれ運河沿い仕事に明け暮れる社長(おやじ)はメカ一筋空を行く赤い飛行艇(ふね)古い馴染みの男いつまでも自由に飛べる日を夢見て工場に飛行艇(ふね)を託す B.過ぎる時代戻...「ピッコロ社」に作詞

  • 「紅の豚」と作詞作曲事始め

      「紅の豚」は、数あるジブリアニメの中でもちょっと毛色の変わった作品だと思う。主人公が少年少女や若者でなく中年の男女である点が、他のアニメと大きく異なっているのだ。  空飛ぶ豚、ポルコ・ロッソは、中年男のカッコよさとダメさ加減を一身に体現している。作品の中で飛行艇乗りの男は戦争ごっこが大好きで、生き方の美学にこだわるロマンチストで、女への純粋な情熱はあっても臆病で、そのくせ「女を桟橋の金具くらいにしか思って」ないという、どーしよーもないやつで、それでもそれだからこそ愛すべき存在に描かれている。一方、女は現実にしっかりと根を下ろし、男とは違う行動力と度量の大きさで人生を生きているようだ。久石譲の音楽も素晴らしく、映画館で封切られたとき、          子供に見せに行ったつもりがこちらがすっかり引き込まれた。...「紅の豚」と作詞作曲事始め

  • 色鉛筆画とデッサン2点

     1996年、ン十年ぶりに「絵を描きたい」発作がおこり、色鉛筆画を何枚か描いたことがあった。記事はこちら→色鉛筆画2点 その時の色鉛筆画をもう一枚、↓   それから18年後の2014年のある日、今度は突然にデッサンしたくなった。手元にあったBの鉛筆で文具など身近なものを書いてみたらとても楽しかった。↓    で、思い切って通信のデッサン教育サイトに入会した。本格的に美術の基礎を教えてくれるサイトで教材もかなり専門的だった。テキストを勉強してから課題の写真を見てデッサンし、それを撮影して提出するとネットで公開批評が受けられる。それなりのお金を払った。鉛筆、消しゴムはちゃんとしたものを買い、スケッチブックは100均で済ませた。その時提出したハンマーのデッサン↓  基礎からしっかり学ぼうという姿勢は我ながら見上げたも...色鉛筆画とデッサン2点

  • 徒然草・神無月のころ

      徒然草・神無月のころ~(大意)10月ごろ、栗栖野の先の山里にひっそりと住む人の庵を訪ねたことがある。そこで、苔の細道も静かな庵のたたずまいもなんと風情のあることかと感じ入った。が、庵から離れた庭に蜜柑の実がいっぱいなっている木があり、取られないようにと厳重に囲われているのを見て、せっかくの興もいささか冷めてしまった。こんな木、なければよかったのに。  徒然草・神無月のころ  (原文)徒然草(第11段)神無月のころ~神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かな...徒然草・神無月のころ

  • 徒然草・堀池の僧正

      徒然草・堀池の僧正(大意)良覚という名の偉いお坊さん(僧正)は、とても怒りっぽい人だった。住んでいる僧房の傍に榎の大木があったので、人は彼を「榎木の僧正」と呼ぶようになった。けしからんと思ってその木を伐り倒させると切り株が残り、今度は「切杭の僧正」と言われることに。ますます腹を立てて切り株を掘って捨てさせると、その跡が大きな穴になったのでとうとう「堀池の僧正」と呼ばれるようになった。   最初の「榎木の僧正」って、そんなにひどいあだ名なのかなぁ・・・.僧正はいい年した大人なんだから、からかい半分のネーミングにいちいちオーバーリアクションせずともよいものを。無論、読むにはその方が面白いけれど。  徒然草・堀池の僧正  著者の吉田兼好(兼好法師)は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人、歌人、随筆家。「徒然草...徒然草・堀池の僧正

  • 平家物語・敦盛最期

       小学唱歌「青葉の笛」の一番は、この「敦盛最期」を歌にしたものである。 ♪青葉の笛作詞大和田建樹一谷の軍(いくさ)破れ討たれし平家の公達(きんだち)あわれ暁寒き須磨の嵐に聞こえしはこれか青葉の笛    平家物語・敦盛最期一谷のいくさに敗れた平家は海へと敗走する。源氏軍の熊谷次郎直実(くまがえのじろうなおざね)は、波打ち際で、豪華な装束の敵武者を組み伏せる。そして首を切ろうとしてよく見ると、わが子と同じ年頃の美しい若者であった。助けたくとも源氏軍がそばまで迫っており、直実は、覚悟を決めている若武者の首を泣く泣く切り落とす。  後にわかったのは、討たれた若者は平経盛の子息の敦盛(あつもり)、弱冠十七歳。錦の袋に入れた笛を腰に差していた。それを見て、暁に敵陣から聞こえたのはこの笛の音だったと直実は知る。小枝(さえ...平家物語・敦盛最期

  • 銀河はハーモニー 詞曲MARI

      銀河はハーモニー詞曲MARI 歌詞の「25年生まれ」とは昭和25年生まれ、私自身のこと。日没は近いけれど、残りの人生肩の力を抜いて歩いて行きたい。  銀河はハーモニー詞曲MARI気づけば空は暮れて夜が近づいてくるそろそろ支度しようか25年生まれカバンも何もいらない二度と戻らない旅すべてを手放しながら身軽になる旅歳の順番でお先に行くけど長く離れても僕はきみが分かるよ再会のハグをしたら星空がステージ一緒にまた歌おう銀河はハーモニー 重ねた歳の数も今では気にならないそろそろ支度しようか25年生まれお金も何もいらない二度と帰らない旅すべてに別れを告げて自由になる旅虹の橋を越えお先に行くけど長く離れても僕はきみが分かるよ再会のハグをしたら星がミラーボール一緒にまた踊ろう銀河はハーモニー 歳の順番でお先に行くけど長く離...銀河はハーモニー詞曲MARI

  • 涼州詞(王翰)

      涼州詞王翰(書き下し文)葡萄の美酒夜光の杯飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す酔うて沙場に臥すとも君笑うことなかれ古来征戦幾人か回る 涼州詞(王翰) (意訳)葡萄酒が注がれたガラスの盃は別れの盃。飲み干そうとすれば、琵琶が馬上でかき鳴らされる。酔いつぶれて砂の上に伏したとしてもどうか笑うてくれるな。昔から、辺境の地に遠征して帰ってきた者がどれだけいるというのだ。(自分も生きて帰ってこられるかわからない) 涼州とは、シルクロードに沿った現在の甘粛省武威県あたりの古名であり、北方民族との前線地であった。涼州詞は、辺境地帯の風物や出征兵士の情に題材をとった辺塞詩というジャンルに含まれる。                出征する者の悲壮な気持ちを詠じた詩と読み取れるが、別の見方もある。 「涼州詞」という題の詩は、王翰以外...涼州詞(王翰)

  • ラスト・ムービースター(映画)

      ラスト・ムービースター(2017年、アダム・リフキン監督作品)  若い頃にハリウッドで一世を風靡した映画俳優ヴィック・エドワーズは、年取った今、ひっそりと一人で暮らしている。話術の巧みさは相変わらずでも、顔のシワや杖をついて歩く姿は見るからに老いぼれだ。が、好みの女性に反応するのをまだ忘れてはいないチョイ悪ジジイであり、ユーモアのセンスも健在。ある日、招待された有名映画祭に行ってみると、実際は紛らわしい名前のショボい手作り映画祭だった。主催の若者たちに大いに腹を立て、反発するヴィックだが・・・   主役ヴィックのキャラクターや経歴は、主演のバート・レイノルズのほぼ等身大らしい。過去の並外れた栄光、結婚と離婚の繰り返し、困窮や仕事の浮き沈み・・・。 高齢のレイノルズにとって数十年ぶりの映画主演は、心身への大変...ラスト・ムービースター(映画)

  • 春望

     「春望」は、杜甫44歳、安禄山の乱で賊軍に捕まって軟禁された時の作(五言律詩)。  春望 春望杜甫(書き下し文)国破れて山河在り城春にして草木深し時に感じては花にも涙を濺ぎ別れを恨んでは鳥にも心を驚かす烽火三月に連なり家書万金に抵たる白頭掻けば更に短く渾べて簪に勝へざらんと欲す (意訳)戦火で長安の都は瓦解したが、山河の自然は今までと変わらず、季節もまた巡ってくる。だが美しい花、楽し気な鳥のさえずりも、今では悲しみの種でしかない。戦乱は3か月にもおよんでいて、離れ離れになった家族からの手紙はなかなか届かない。老いと労苦で白髪は短く薄くなり、(役職を表す)冠をとめるための簪(ピン)を刺すことができなくなってしまった。  春望杜甫(原文、白文)国破山河在城春草木深感時花濺涙恨別鳥驚心烽火連三月家書抵万金白頭掻更短...春望

  • 弁天娘女男白浪

     河竹黙阿弥作の歌舞伎「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」浜松屋見世先の場。  「白浪五人男」の中でも、弁天小僧菊之助が主役の場面は人気が高く、「弁天娘女男白浪」という題名で、独立した芝居として上演される。  呉服屋の浜松屋の店先にやって来た振り袖姿の美しい娘と供侍。二人は店に難癖をつけて金をゆすり取ろうとするが、別の侍の一言で、事は露見する。美しい娘は実は男で、盗人の弁天小僧菊之助だった。 正体がばれると、振袖を脱いでどっかり胡坐、キセル片手に緋襦袢を片肌脱ぎ、刺青見せてのタンカがそりゃもう痛快。娘と供侍は白浪五人男のうちの二人であり、別の侍に化けた日本駄右衛門と三人で、さらなる大仕事のために仕組んだ芝居だった。 弁天娘 弁天小僧菊之助のセリフ知らざあ言って聞かせやしょう浜の真砂と五右衛門が歌に...弁天娘女男白浪

  • 草枕(夏目漱石)

      夏目漱石の「草枕」の冒頭は有名でよく暗唱などもされるが、どうせなら「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。」までが読まれることを願う。そうしないと、一番大切な部分が欠けてしまうかと。 草枕(夏目漱石) 草枕(夏目漱石作)山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。...草枕(夏目漱石)

  • 野ざらし紀行・富士川

      急流で有名な富士川のほとり。旅の途中の芭蕉は、3歳くらいの捨て子が泣いているのに出会い、食べ物を与えて去る。詠んだ句は猿を聞く人捨て子に秋の風いかに 「いかにぞや、汝、父に悪(にく)まれたるか、母にうとまれたるか。父は汝を悪むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ、唯これ天にして、汝が性のつたなきを泣け。」 野ざらし紀行・富士川 何があったのだ。おまえは父に憎まれたのか、母に疎まれたのか。いや、父はおまえを憎んでいるのではない、母はおまえを疎んでいるのではない。これは天の定めであり、自分の生まれつきの悪さを泣くしかない。(誰にもどうしようもないのだ)野ざらし紀行・富士川

  • ハーレーをかくしてある 詞曲MARI

      部屋にはどこにも窓がない、ドアの鍵は外からかかってる。閉じられたこの空間に棲みついてどれくらいが経っただろう。それでも、自分にはハーレーが1台ある。いつかそれに乗ってドアをぶち破ってやる・・・ ハーレーをかくしてある詞曲MARI  ハーレーをかくしてある詞曲MARIおれが今住んでる部屋窓がどこにもない開けられない鉄のドア鍵が外からかかってる白衣のイカれたお医者金髪イカす看護婦巡回診察監禁こんな毎日マイルーム月も星もない夜血も涙もない夜始まる始まる孤独な孤独な監獄監獄ロックンロール おれの秘密おしえよう実はかくしてある革ジャンとバイクブーツそれとハーレーが一台今日こそ真夜中の鐘鳴りだすのを聞いたなら輝くマシンにまたがりドアをぶち破り出ていく 月も星もない夜血も涙もない夜始まる始まる孤独な孤独な脱獄脱獄ロックン...ハーレーをかくしてある詞曲MARI

  • ぼろぼろな駝鳥(高村光太郎)

     昔の動物園は動物にとって残酷で劣悪な場所だった。最近の動物園の展示スペースは広さも環境もよく整えられて、動物たちのストレスも少なそうだ。見ていてつらくない。  「ぼろぼろな駝鳥」は、昭和初期に書かれた詩である。光太郎が何を思って書いたかは知らない。が、そこにあるのは、思うように羽ばたけない焦りと苦しみであり、自分を含めた全状況への怒りと絶望ではなかったのか。 ぼろぼろな駝鳥(高村光太郎)  ぼろぼろな駝鳥高村光太郎何が面白くて駝鳥を飼うのだ。動物園の四坪半のぬかるみの中では、脚が大股過ぎるぢゃないか。頸があんまり長過ぎるぢゃないか。雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。腹がへるから堅パンも喰ふだらうが、駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢゃないか。身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。瑠璃色の風が今にも...ぼろぼろな駝鳥(高村光太郎)

  • お富と与三郎(源氏店の場)

     歌舞伎「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の源氏店(げんじだな)の場。春日八郎の大ヒット曲「お富さん」は、この話を歌にしたもの。わたしはまだ幼かったが、この曲をラジオで聞いた覚えがかすかにある。  まずは曲の歌詞から。♪お富さん作詞山崎正粋な黒塀見越しの松に仇な姿の洗い髪死んだはずだよお富さん生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さんエッサオー源治店(げんやだな) 過ぎた昔を恨むじゃないが風もしみるよ傷の痕久しぶりだなお富さん今じゃ異名(よびな)も切られの与三よこれで一分(いちぶ)じゃお富さんエッサオーすまされめえ(以下略)   そして、舞台「源氏店の場」かつては大店の若旦那で今ではヤクザ者の「切られの与三」。仲間の安(やす)に連れられてある家に、金をせびりに上がり込む。そこのご新造と安とのやり...お富と与三郎(源氏店の場)

  • 白浪五人男・日本駄右衛門

      河竹黙阿弥(1816~1893)作の歌舞伎世話物、「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」の稲瀬川勢揃いの場。白浪五人男の親玉、日本駄右衛門のセリフ。 白浪五人男 「問われて名乗るもおこがましいが生まれは遠州浜松在14の時に親に別れ身の生業も白浪の沖を越えたる夜働き盗みはすれど非道はせず~中略~60余州に隠れもねえ賊徒の張本日本駄右衛門」  桜満開の土手をバックに、五人組の盗賊が横一列に並んで順に名乗りを上げる場面で、錦絵のように美しい。  白浪とは盗人のこと。五人の白浪男は、日本駄右衛門を頭に弁天小僧菊之助、南郷力丸、忠信利平、赤星十三。白浪五人男・日本駄右衛門

  • 色鉛筆画2点

     20年以上前に、わたしが色鉛筆で描いた絵2点。(絵も撮影も今一、今二、なれど思い切ってアップします) 絵の日付を見ると、人生での長く苦しい一時期の終わり頃になる。    中学校の授業以来、絵を描いた記憶はほとんどない。96年2月、車で30分近くかけてジョイフル本田まで行った。その生花売り場でこの花を見て、衝動的に花と色鉛筆とスケッチブックを買ったのだ。帰宅してこの絵を描いていた時、風邪気味で喉が猛烈に痛かったことや、白いフリースのタートルネックを着ていたことを覚えている。絵を描きたいと思うことはたまにあっても、いつも発作的で長続きしない。あのときの小さな分厚いスケッチブックはほとんど白紙のまま残っていた。持って生まれたこの性格、良く作用すれば潔い、根に持たない、固執しない。でも、たいがいはあきっぽい、持続性が...色鉛筆画2点

  • な~んちゃって講談・扇の的

      平家物語の「扇の的」は、色彩豊かな絵面やドラマチックな展開で、読む人聴く人をワクワクさせる。 華麗な装束の騎馬武者が居並ぶ浜辺、青い海原に白い波がしら、旗指物をひるがえす平家の小舟の群れ。鏑矢の唸りは大気を切り裂き、扇の赤と金とが夕日に映え、風や波しぶきまで感じられるようなこの血沸き肉躍るお話を、「フツーに朗読」してもなんか面白さがよく伝わらない気がする。 幸いというか、わたしは未だかつてアナウンサーでも声優でも俳優でもない、ましてや朗読のプロでもない。そして、自分のブログだから好き勝手ができる。で、「ねえねえ、こんなに面白いのよ」とばかり好き勝手に語ったな~んちゃって講談「扇の的」です。(扇子で見台をパパンパンとやりたかったけれど音録りがむずかしくて断念。)思いが伝わるかどうか・・・まあ、どうか一席おつき...な~んちゃって講談・扇の的

  • 平家物語・扇の的

     扇の的(那須与一)源氏と平家の軍勢が陸と海とで対峙する夕暮れ時。平家側が「射れるものなら射てみよ」と設けた的は、海上の小舟に立つ竿の先の扇。それを受けて立つ射手は、源氏軍の若武者、下野の国の那須与一。 与一は目を閉じ、「南八幡大菩薩・・・」と心の中で武運の神に祈念すると、強弓に鏑矢を番い、ぎりぎりぎりっといっぱいに引き絞ってひょうど放つ!!鏑矢は波の上を鋭く唸って飛んで行き見事扇の要際を射る。扇は空へ舞い上がってから海へさっとばかりに落ちて行き、「白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり。陸には源氏、えびらをたたいてどよめきけり。」海上の平家軍、陸に並んだ源氏軍、いずれの側からもやんやの大喝采が起こったのであった。 平家物語・扇の的  動画を見るときは、画面中央でなくい...平家物語・扇の的

  • 平家物語・祇園精舎

     平家一門の栄枯盛衰を描いた軍記物語。琵琶法師によって語り(平曲)継がれ、のちに本にまとめられた。(近世は講談にもなっている。) 平曲は琵琶を弾きながら語るので、今の弾き語りライブと同じ感じで聴衆は聴いていたのではと考えると、なんだか身近に思えて楽しい。当初は語るために作られただけあって、言葉のリズムが心地良い。  平家物語・祇園精舎  平家物語・祇園精舎祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の世の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。平家物語・祇園精舎

  • 井上ひさし氏の講演(エッセイ)

     井上ひさし氏の講演(エッセイ) 1972年の第67回直木賞受賞作は井上ひさし氏の「手鎖心中」であった。すでに氏は、放送作家として「ひょっこりひょうたん島」の脚本で知られ、戯曲作家としても活動を始めていた。(その後の華々しい文筆活動についてはここでは省く。) その年、氏の母校である上智大学では、直木賞受賞井上ひさし氏来る!というイベントが文化祭の目玉の一つになった。会場である広い階段教室には、講演予定時刻のずっと前から学生たちが詰めかけていた。何冊か著作を読んでいたわたしも、期待に胸ふくらませて席に座っていた。だいぶ遅れて教室に入ってきた井上氏は、集まった学生たちを見て、一瞬たじろいだ。ウへッという声が聞こえてきそうな表情だった。後でわかったのだが、氏は、聴衆はごくごく少人数だろうと思っていたとのこと。学生が大...井上ひさし氏の講演(エッセイ)

  • 時の砂 詞曲MARI

    時の砂詞曲MARI  時の砂詞曲MARIあなたの吐息を聞いたほんの一瞬夢と現の狭間夜明けの薄明かり二人をへだてる遠い時を超えてボクの胸に届いた甘く密やかな嘆き時の砂に覆われた地を離れて忘れていた広い空へ一緒に飛び立とう街の灯を後にしてもう帰らない天使のように あなたの微笑みを見たほんの一瞬夢と現の狭間夜明けの薄明かり     思いを深く閉ざして彷徨うだけのボクの胸に届いたやさしく切ない便り時の砂に覆われた地を離れて忘れていた広い空の彼方へ髪を解き華奢な靴脱ぎ捨ててボクと二人だけで飛び立とう 時の砂に覆われた地を離れて忘れていた広い空の彼方へ髪を解き華奢な靴脱ぎ捨てボクと二人だけで飛び立とう時の砂詞曲MARI

  • 遠野物語・寒戸の婆

     遠野物語・寒戸の婆 遠野郷の山間の村で神隠しにあった娘の話。三十年後の風の吹きすさぶ日に突然帰ってきたかと思うと、すぐにまた出て行ったとか。    柳田国男(1875年~1962年)は日本の民俗学の創始者。「遠野物語」は、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを集めた説話集で、1910年(明治43年)に柳田によって発表された。遠野物語・寒戸の婆

  • 伊勢物語・狩の使い

     伊勢物語第六十九段狩の使 伊勢神宮に仕える斎宮と、職務で都からやって来た貴公子の禁断の恋、ただ一夜の逢瀬。次の夜、また二人だけで逢おうとしてももはや状況がそれを許さなかった。  伊勢物語・狩の使い   二人は歌のやり取りに思いの丈のすべてを込める。女「きみや来しわれや行きけむおぼおえず夢が現か寝てかさめてか」昨夜はあなたがいらっしゃったのでしょうか、私が訪ねたのでしょうか、夢うつつでした。 男「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとはこよひ定めよ」私の心も乱れて、きのうのことは夢のようにしか思えません。でも、夢なのか現実なのか、今宵逢って確かめましょう。   だが男はつきあいの酒宴につかまってしまい、身動きが取れない。明け方近く、さかづきを載せる皿に女が密かに書いて届けた歌は、上の句のみで、女「かちびとの渡れ...伊勢物語・狩の使い

  • 伊勢物語・あずさ弓

    伊勢物語第24段あずさ弓 昔、田舎に住む男が、宮仕えするため都へ出て行った。残された女は1年、2年と待ち続ける。そして3年も音信がないので耐え切れず他の男と結婚の約束をする。(当時の法律では、3年間相手が不在であれば、他の相手と再婚できた。) そして、まさに新枕を交わす日に、都に行った男が帰ってくる。 三年ぶりに再会した男と女は、「あずさ弓」の掛け言葉で歌のやり取りをする。女は、「あなたをずっと思っていた」という歌まで詠む。が、女が他の男と結婚するところだと知った男は、「その人を大切にね」と言って意外にあっさり去って行く。 だが女の思いはその男にあったので、追いかけるのだが追いつけず、泉のそばに倒れ、指の血で歌を書き残すと「そこにいたずらになりにけり」(そこで死んでしまった)  伊勢物語・あずさ弓  男は、三年...伊勢物語・あずさ弓

  • 伊勢物語・芥川

    伊勢物語第6段芥川 ずっと想いを寄せていた姫君を、男はあろうことか盗み出し、おぶって夜道を逃げていく。その背中で、初めて見る草の葉の夜露に「あれはなあに?」と無邪気に問う姫君。 ひどい雨と雷を避けるために逃げ込んだあばら家の蔵には、鬼が住んでいた・・・  伊勢物語。芥川  女を失って悲嘆のどん底に落ちた男が詠んだ歌「白玉か何ぞとひとの問いしとき露とこたえて消えなましものを」「あれは白玉?一体なあに?」と問われたときに、「露」とだけ答えて、わが身も露のように消えてしまえばよかった。伊勢物語・芥川

  • あたしアレルギー 詞曲MARI

     わたしは玉子が好き。特に玉子でとじた料理が好き。でも玉子に遅発性アレルギーがあり、一時,玉子を制限していました。好物を断つって、つらいですよね。 今では大きな問題はないし何より曲のネタにできたので、アレルギーにちょびっと感謝。 あたしアレルギー詞曲MARI  あたしアレルギー詞曲MARI あたしアレルギー卵がだめ検査してみてわかったのドクターが言うの半年ほど卵食べずに様子見ましょう 月見そば月見バーガーさよなら卵ぬきかつ丼こんにちは卵ぬきオムレツ切ないだし巻き卵卵ぬいたらただのダシこんなに好きだと気づかなかったあなたのいない寂しい食卓アレルギーだけど卵マイラブ愛に満ちてた暮らしもう一度 隠れ卵にも気を付けてケーキにプリンにアイスマヨネーズパンにラーメンハンバーグ天ぷらとフライは衣がダメ隠れアレルゲン忘れないで...あたしアレルギー詞曲MARI

  • 千曲川旅情の歌2(島崎藤村)

    千曲川旅情の歌2 千曲川旅情の歌2島崎藤村 昨日またかくてありけり今日もまたかくてありなむこの命なにを齷齪(あくせく)明日をのみ思ひわづらふ いくたびか栄枯の夢の消え残る谷に下りて河波のいざよふ見れば砂まじり水巻き帰る 嗚呼古城なにをか語り岸の波なにをか答ふ過し世を静かに思へ百年もきのふのごとし 千曲川柳霞みて春浅く水流れたりただひとり岩をめぐりてこの岸に愁を繋ぐ千曲川旅情の歌2(島崎藤村)

  • 千曲川旅情の歌1(島崎藤村)

     千曲川旅情の歌1  千曲川旅情の歌1島崎藤村 小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ緑なす繁縷は萌えず若草も籍くによしなししろがねの衾の岡辺日に溶けて淡雪流る あたたかき光はあれど野に満つる香りも知らず浅くのみ春は霞みて麦の色わづかに青し旅人の群はいくつか畠中の道を急ぎぬ 暮れ行けば浅間も見えず歌哀し佐久の草笛千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む千曲川旅情の歌1(島崎藤村)

  • チョコレートの心臓 詞曲MARI

     うんと若い女性アイドル向けの曲です。これを自分のライブで歌うときは、歌詞の内容とわたしの年齢との激し~いギャップを楽しんでいただいてます。(ああ、いつになったらまたライブできるのか・・・)  チョコレートの心臓  チョコレートの心臓詞曲MARI熱いまなざしにつかまって逃げることもできずにいるわ甘い言葉耳から心に深く落ちてくるけどそれだけじゃ足りない確かなものがほしい ねえあたしを愛しているのならハートをちょうだいあなたのハート今すぐほしいの心配しないで鍋は火にかけてあるまっ白な皿に盛り付けておいしくいただきます   ねえあたしを愛しているのならハートをちょうだいあなたのハート今すぐほしいの心臓なんてなくたって大丈夫胸にあいた穴には詰めてあげるチョコレートの心臓そしたらあなたの心はいつでもバレンタイン永遠(とわ...チョコレートの心臓詞曲MARI

  • 浅茅が宿(雨月物語)

     「浅茅が宿」は、江戸時代の歌人、国学者、読み本作家の上田秋成が書いた「雨月物語」の中の一篇。  勝四郎は戦火で荒れ果てた故郷に7年ぶりに帰ってくる。星明かりを頼りに我が家を見つけ、生きてはいないだろうと思った妻、宮木とも再会をはたす。が、一夜明けると・・・ 浅茅が宿  その須野紙はひどく古びており、文字は消えかかっていた。勝四郎を待ち焦がれて死んだ妻が残したいまわの際の歌・・・「さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か」 浅茅が宿(雨月物語)

  • 菊花の約

     「菊花の約」は江戸時代の歌人、国学者、読み本作家である上田秋成が書いた「雨月物語」の中の一篇。  赤名宗右衛門は、旅先で自分を重病から救ってくれた丈部左門と義兄弟の契りを結ぶ。やがて、「見届けるべきことがあるので国へ帰るが、菊の節句には必ず戻る」と左門に約束をして旅立つ。が、行った先で幽閉されたために自刃し、霊となって約束を果たそうとする。そうとは知らぬ左門は約束の日に戸口に立ち、義兄の帰りを待ちわびていた。そこへ・・・ 菊花の約  昭和のある大作家(三島由紀夫だったか)が、「菊花の約」のこの部分を、名文であるとして人前で朗誦していたという話を聞いたことがある。本当に、名文だと思う。菊花の約

  • メダカを拾った話(エッセイ)

    かつて都内の住宅街の道端でメダカを一匹拾ったことがある。確か小学3年か4年の夏、今から60年も昔のことだ。  集中豪雨がやっと通り過ぎ、一人で帰る昼下がりの放課後、自宅近くの坂道をてくてくと下っていた。道の両脇のドブはいつもなら乾ききっているのに、そのときは明け方までの豪雨を集めて深くて速い澄んだ流れになっていた。わたしはもう嬉しくてたまらず、ワクワクしながら歩いていた。と、流れの中になにかオレンジ色の ・・・あ、メダカ!え、メダカ??!! 立ち止まってよく見ると、かすかにヒレを動かし、頭を川上に向けてじっと留まっている。やっぱりメダカ! 状況がわかるや、反射的に家に飛んで帰った。ランドセルを背負ったまま、池のそばに転がっていたヒシャクをひっつかんでドブにとって返した。メダカはまだ同じ場所にいる。ヒシャクを流れ...メダカを拾った話(エッセイ)

  • 娘よ 詞曲MARI

    私自身を含め、娘を置いて離婚した女の歌。 この曲をライブでやると女性にとても受けます。特に一部の中高年女性からは強い共感をいただきます。かたや、この曲を聞いた男性はなんか居心地が悪そうに・・・(笑) 娘よ詞曲MARI 娘よ詞曲MARIそれはねあなたという娘を授かったからそろそろ女同士の話ができるかな時代は少しづつでも変わって来てるからあなたにはきっと開けた未来があるはず Up’ddown Up’ddown人生はUp’ddown   Up’ddownUp’ddown人生優等生Up’ddownUp’ddown Up’ddown人生はUp’ddownUp’ddownUp’ddown大器晩成Up’ddownあなたを置いて家を出たのは十年以上前のあの夜あれからずーっと一人のまま今日まで生きてきましたもうすぐ二十歳の誕生日...娘よ詞曲MARI

  • セブンティセブン喜寿!

    私が子供の頃、「サンセット77」という米国製TVドラマが放映されていた。探偵ものである。初めてそのテーマ曲を聞いたとき、なんてかっこいい響きだろうと感激した。家庭では録音も録画もできない時代、聞けるのは放映時だけなので、その曜日と時刻はしっかり意識していた。 「セブンティセブン喜寿!」は、そのテーマ曲へのオマージュ。セブンティセブン喜寿!  セブンティセブン喜寿!詞曲MARIセブンティセブン来るわセブンティセブン喜寿がセブンティセブン「77歳」セブンティセブン「あっという間」人生の終盤戦人生の終盤戦 夜の電話ボックス十円玉探してダイヤルした若い日はるかな昔今では手ばなせないスマホ セブンティセブンなるわセブンティセブン誰もセブンティセブン「77歳」セブンティセブン「生きてりゃね」人生の終盤戦どんなふうに過ごしま...セブンティセブン喜寿!

  • ハリーの災難(ヒッチコック監督)

    サスペンスの巨匠ヒッチコック監督。サイコ、鳥、めまい、レベッカ、裏窓・・・、有名作品が数多くある中で、私が特に好きなのは、サスペンス風味のコメディ「ハリーの災難」。    紅葉が絵のように美しい村の森で、ある日、よそ者の死体が見つかる。諸々の事情により、数人の村人がこの死体を埋めたり掘り出したりと一日中、右往左往する。そういう展開にもかかわらず、スプラッタや陰惨な感じは皆無でなんだか落語っぽい。   主要登場人物のキャラがとにかく面白い。引退した独り者のデブッチョ船長。堅物の老嬢(差別のつもりは全くなく、時代的にぴったりな表現なので使った)。臨機応変、調子のよい貧乏絵描き。子持ちで、かなり天然な未亡人。唯一の敵役は、万屋の女主人の息子のちょっと鈍そうな保安官代理。   切羽詰まった者もそうでない者も、小気味いい...ハリーの災難(ヒッチコック監督)

  • ラップで白秋「紺屋のおろく」

    「紺屋のおろく」は、北原白秋が少年時代を過ごした柳川を書いた詩集「思ひ出」の一篇。合唱曲や長唄になっているようです。  はじめは普通に朗読するつもりでした。けれど、何度も口ずさんでいるうちに自然とラップになっていました。で、ラップで白秋「紺屋のおろく」  ラップで白秋「紺屋のおろく」 紺屋のおろく北原白秋にくいあん畜生は紺屋のおろく、猫を擁えて夕日の濱を知らぬ顔して、しゃなしゃなと。にくいあん畜生は筑前絞り、華奢な指先濃青(こあお)に染めて、金の指輪もちらちらと。 にくいあん畜生が薄情な眼つき、黒の前掛け、毛繻子か、セルか、博多帯締め、からころと。 にくいあん畜生と、擁えた猫と、赤い入り日にふとつまされて潟に陥って死ねばよい。ホンニ、ホンニ・・・   おろくは紺屋の娘ではなく紺屋の後妻なのです、おそらく。あるじ...ラップで白秋「紺屋のおろく」

  • たけくらべ(終) ・樋口一葉

    たけくらべ(終)・樋口一葉  恥ずかしさと意地から、惹かれあいながらも歩み寄れなかった美登利と信如。  信如は僧侶になるために学校を移り、美登利は女になって花魁への一歩を踏み出す。二人の道が再び交わることは、もうない。たけくらべ(終)・樋口一葉

  • たけくらべ(樋口一葉)

    たけくらべ たけくらべとは、背比べのこと。 妓楼もあれば寺院もある吉原界隈。そこで暮らす子供らは小さいうちから親の稼業を見て育つ。そして15歳になる前に、生まれ落ちた境遇によってその後の生き方が決まってしまう。  「たけくらべ」は、そんな現実に向かう直前の初々しく儚いきらめき。たけくらべ(樋口一葉)

  • キッチンの歌 詞曲MARI

    キッチンの歌詞曲MARI  親子そろって歌える曲をNHK「みんなのうた」のような曲を書いてみたかったのです。  キッチンの歌詞曲MARIカレーライスイスじゃないよ心こめて作りましたかおりたつ香辛料深皿で召し上がれとびきり辛くて汗かくルルル冷たいお水も忘れずルルルインドのおじさんこんにちは  茶碗むしは虫じゃないよ心こめて作りましたなめらかな舌ざわり熱いうち召し上がれミツバにかまぼこしいたけルルルそれからなにが入ってるルルル食べてみてのお楽しみ  鉄のフライパンパンじゃないようちのキッチン備え付けかたすぎて食べられないピカピカに磨きましょうときタマゴ流し具をのせルルルじょうずにオムレツ焼けたらルルルランチのしたくできあがりルーラーキッチンの歌詞曲MARI

  • 黒髪 詞曲MARI

    長唄の名曲「黒髪」は、三味線の爪弾きでつれない男を思って嫋々と歌うけれど、私の「黒髪」は、「この男、そろそろ捨てちまおうかな」という曲です。 黒髪詞曲MARI 黒髪詞曲MARI嵐が窓をたたくアンタを待ってる夜黒い髪をほどいて鏡に向かうどこまで信じられる虚しくコトバかわし虚しくカラダ重ね何を手に入れたいっそ捨ててしまおうかかんだ唇は血の味がする鏡の中のアタシ長い髪をかきあげ思いがけなく気づくヒトミの奥の闇 夜をイナヅマが裂くへやの明かりを落とし黒い髪をほどいて鏡に向かうなぜ自分をあざむく見ないふりでごまかす愛を掴むもりで何を手に入れたいっそ捨ててしまおうか氷とけ切ったぬるいグラス鏡の中のアタシ指に髪をからませ背筋のばし見つめるヒトミの奥の闇  雨も風もやまないアタシは今日もひとり黒い髪をほどいて鏡に向かう二人でい...黒髪詞曲MARI

  • おまつり(エッセイ)

    「おまつり」は、昭和30年代初頭、私が小学校低学年の頃の出来事。当時の祭礼の開催日は、曜日に関係なく「毎年〇月△日」と決まっていた。  おまつりマリ「はちまんさまにいこう!」の一声で、5,6人の小学生はバラバラッと駆け出した。行く先は荻窪八幡宮。昨日と一昨日が年に一度のお祭りで、それは大した賑わいだった。お神輿に綿アメ、射的、焼きイカ、余興の腹話術、漫才、奇術、どこを向いても人、人、人・・・。 息をはずませて八幡様に着いてみれば木立の下はしんと静まっており、境内にはわたしたちしかいなかった。「・・・やってないね、おまつり」誰かが、こそっと言ったので、みんなちょっと恥ずかしそうに小さく笑った。それでも、すぐに気を取りなおした。鬼ごっこ、かくれんぼ、大木の根っこの上から地面に落ちたら人喰い鮫のエサになる!きゃあきゃ...おまつり(エッセイ)

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