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リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー https://gnekoneko.hatenablog.com/

科学技術は新型コロナ・ワクチンに見られるように社会を劇的に変える力を持っている.しかしこの力は大きなリスクをももたらしている.科学技術のリスクに対して社会は,市民はどのように対し,コントロールすればよいのか,教育はどうあるべきかを論じる.

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2021/07/11

  • プリコラージュの知を育むー課題特性

    ではこのようなつなぎ合わせる知.プリコラージュの知をどうすれば育んでいくことができるのだろうか。前提を確認しておこう。プリコラージュの知はこれまで多くのリテラシー論が依拠してきたミニマム・エッセンシャルズ(最低限の教養)とは異なる。ミニマム・エッセンシャルズは市民が共通に所持すべき知識・スキルを同定し、リスト化したものであらわされる。しかしプリコラージュの知は課題ごとに知識をはりあわせ、かき集めるものなので、ミニマム・エッセンシャルズのようにあらかじめ知識のリストを用意しておくわけではない。「知」と表現はしたものの、そこに何か実体的な知識領域が存在するわけではない。課題に取り組む実践の中でその…

  • プリコラージュの知

    プリコラージュ(フランス語)とは「寄せ集めてつくる」という意味であり,「器用仕事」とも訳される.たとえば服のデザインの分野では,ありあわせの布を組み合わせて新しいデザインや服を作りだす仕事をさして使われる.レヴィー・ストロースは,人類学の調査の中で,「未開人」と見なされてきた先住民が、西洋の知識体系とは異なるが,独自の論理で世界を秩序付ける思考様式を持つことを発見し,これを「具体の科学」と呼び,プリコラージュになぞらえて説明した(1). プリコラージュは近代科学の考え方とは対照的な思考である.近代科学は対象となる現象を世界から切りだす.たとえば生物学は世界の中から生物を抜き出す.あるいは栄養学…

  • 判断を統合する―善き生のための思慮深さ 序説

    日本の科学技術社会論を主導し,その基礎を作りあげた村上陽一郎は「科学者とは何か」(1)の中で「缶ミルクの教訓」と題してアメリカの食品会社の発展途上国支援の失敗を述べている.その会社は善意のキャンペーンとして,飢餓に悩むアフリカの家庭に自社の粉ミルクを配る支援を行った.飢餓で母乳の出ない母親への粉ミルク配布は子どもの栄養状態の改善に役立つという意図の下でこの事業は進められたが,現実には悲惨な結果を招いてしまった.現地では哺乳瓶を洗浄する清潔な水が使えず,哺乳瓶内で細菌が繁殖して,感染症で死亡する赤ちゃんが激増したのである.村上はこの事態を「缶ミルクによってアフリカの飢餓を救えると思いこんだアメリ…

  • 統計的議論についての着目点

    先に疫学を市民教育の場で扱う際には「統計的手法(ある程度は必要)は最小限度にとどめ,意思決定の教訓となるような事例(公害病等疫学が意思決定の根拠として利用された事例)における疫学の利用を,必要に応じて法的・制度的・倫理的な側面にも触れながら学習するケースメソッドの手法をとるのが良い」と述べた。これは具体的には市民のリテラシーとしては、統計的手法の細部ではなく、あるケース(たとえば有害物質による疾患の広がり)をめぐる議論について、どこに着目して吟味すればいいかということが重要となるということである。 ではそれらの議論の統計に関連した部分についてはどこに注目すればよいだろうか。2006年のPISA…

  • 「分析による麻痺」を避ける 及び 疫学は個人ではなく集団を考える時に意味を持つ

    1 「分析による麻痺」を避ける 一般に科学においても法律においても統計学で言う第一種の過誤(因果関係がないのに因果関係があることにしてしまう,犯人でないのに有罪にしてしまう)よりも第二種の過誤(因果関係があるのに因果関係がないことにしてしまう,犯人であるのに無罪にしてしまう)が犯されすいように見える,つまり慎重な判断が好まれる.データがそろってから,証拠がそろってから因果関係を推定する論文や答申が作成される,あるいは起訴が行われるのである.藤垣は水俣病をこの第二種の過誤がおこった例として説明している(1).行政,特に規制行政にも似たような傾向が見られる.豊島の産業廃棄物不法投棄や熱海市伊豆山の…

  • 疫学の考え方

    1850年ごろのロンドンではコレラがしばしば流行し、多くの死者が出ていた。当時はコレラが細菌で引き起こされるということは知られておらず、瘴気(悪い空気)が原因であると考えられていた。ジョン・スノーは当時ロンドンに在住していた医師であるが、飲み水が原因ではないかという疑いを持っていた。折からスノーは1854年のソーホー地区におけるコレラ大流行に遭遇し、住民への聞き取り調査によって特定の井戸(ブロード・ストリートの井戸)の水を飲んだ住民に限定してコレラが発生していることを突き止めた。そして井戸を管理していた教区当局を説得してコレラの発生を収束させることに成功した。スノーはその後も研究を続け,同じ地…

  • 科学的成果物の前提となる変数の同定と当該変数をめぐる議論の理解

    「科学技術へのクライアントシップ」の節で「前提による議論の拘束」について述べた が、以下ではこれを「批判的に考える」という文脈の中において,変数という形で具体化してみたい。 小学校理科の伝統的教材として振り子がある.振り子の周期を決める条件を探求する教 材である.振り子の長さ,振れ幅(角度),振り子のおもりの重さをいろいろ変化させて,この3つの条件(以下変数と呼ぶ)のどれが周期を決めているのかをさぐっていくわけだが,その際の定番の実験方法は,この3つの変数のうち、どれか2つ、たとえばおもりの重さと振れ幅を固定して、振り子の長さという一つの変数のみを変化させ、その変数の影響を検出する方法である。…

  • 批判的に考えるー科学の方法論

    本節では市民の意思決定の質を高めるために必要な要素として科学の方法論があることを述べる.とはいっても,私は,これまでの科学教育で扱われてきたような科学者の科学的探究をモデルとした方法論が必要だと考えているわけではない.科学的研究をモデルとした方法論である仮説設定,研究計画の作成,実験,考察といった流れの体験は理科のリテラシーとして重要なものだが,トランスサイエンス問題を考える場合には,科学的探究を実践することそのものよりも,当該のトランスサイエンス問題を論じる際に参照される科学的成果物(典型的には論文だが,有害物質の規制基準や環境アセスメントなど科学が主要なプレーヤーとしてかかわるもの一般をさ…

  • 問いの宛先

    自然科学は自然現象をモデル化する営みである。モデルを洗練させることによって科学の予測力と現実世界への応用可能性は拡大していく。典型的な例はニュートン力学からアインシュタインの相対論への発展である.水星の近日点移動などニュートン力学では理解できなかった現象を相対論で理解できるようになり,また相対論により人工衛星と地上の時刻合わせを行うことによってGPSが可能になっている. 多様な要素が複雑にかかわり,システムのふるまいが予測しにくい気象システムや海洋生態系についても,現実世界での観測量とコンピューター上のモデルによるシミュレーションを突き合わせることによって、より予測力の高いモデルを作成し,天気…

  • メタ的なフレーミング

    「科学の社会化」の章でスチュワート・リチャーズの「科学・哲学・社会」の中の「巨大増殖炉計画はプルトニウムの頻繁な輸送を必要とするが、それは偶発的事故とテロリストの攻撃という当然の危険を伴うのである。そのために列車と原子炉用地の警戒のために大部隊の憲兵が必要になるであろう。これは原子力と個人的自由との非両立性という恐れをやがて起こすであろう」(1)という記述を紹介し、「プルトニウムという物質の持つ性質、それを利用する核燃料サイクルという科学技術体系そのものが権力の再配分の原因となる。集権化をもたらすのである」と述べた。 高速増殖炉というトランスサイエンス問題について意思決定する際には,高速増殖炉…

  • 不適切な前提を置いている立論に対しては、それについて批判的に検討しておくか、または排除する

    フレーミングは「価値観の選択の問題」とすぐ上で述べたが,明らかに不適切な前提をもとにした立論の場合、それを教育の場に持ち込むと事実認識を誤らせかねない。現実世界から事実を切り取ってくるフレーミングは価値観によって異なってくるので、価値観と事実を明確に切り分けることは難しいが、だれの目から見ても不適切と思われる前提はありうる.もちろん虚偽の場合は論外だが,多くの場合,先行研究から都合のよい部分だけを切り取って,それを前提として立論されることが多い.たとえば原発について経済学者の池田信夫は「原発事故で過去50年に出た死者はチェルノブイリ事故の60人だけだが、WHOによれば、世界で毎年700万人が大…

  • できるだけ多様なフレーミングを教室に持ちこむ

    ある特定のトランスサイエンス問題は様々な価値観の下で切り取りうる(フレーミング)のであって,その問題の専門家だからといってそのフレーミングが「正しいフレーミング」であるとは必ずしも言えない.すぐ上でも述べたようにどのフレーミングを選択するかは個々の市民が決めるべきことである.しかし決めるためにはその問題についてどのようなフレーミングがありうるかを知らないと決めようがない.たとえば原発(原発の話ばかりで恐縮だが,トランスサイエンス問題の典型例なので少ししつこいがまた例として挙げさせていただく)について考えてみよう.発電手法には多数の評価軸がある。環境影響であり、安全性であり、コストであり、安定的…

  • そのフレーミング(問いの枠組み)は適切か-前提を問いなおす知性

    写真は文字通り真を映す。目の前の光景をそのまま切り取る。しかし写真は光景全体を写し取るわけではない。光景の切り取り方(フレーミング)は写真家の意図に依存する。これは写真に限られたことではない。人間は神のようにある事物についてそのすべてを一挙に認識できるわけではなく、事物の提供する無限の情報を何らかのフレームによって切り取り、人間の処理できる情報に縮約して認識する。もちろん科学による認識についても同じことが言える。フレームの構築や選択(フレーミング)に際しては、何を重要と考え、何を重要と考えないかという認識論的な価値観によるフレーミングが行われる。高校の物理で扱う自由落下運動や放物運動の分析にお…

  • 政治と科学 不適切な一体化は起こっていないか

    政治と科学 不適切な一体化は起こっていないか イギリスのビジネス・イノベーション・技能省は2010年に「政府への科学的助言に関する原則」を公表しており,その中で科学的助言を行う科学者と政府の関係を次のように述べている。「助言者は、広範な要因にもとづいて決定を下すという政府の民主主義的任務を尊重し、科学は政府が政策策定の際に考慮すべき根拠の一部に過ぎないことを認識しなくてはならない」という助言者の義務と「政府は、特にその政策決定が科学的助言と相反する場合には、その決定の理由について公式に説明し、その科学的根拠を正確に示さなくてはならない」という政府の義務である(1)。政策決定に際しては科学的助言…

  • 科学への留保付きの信頼

    前章の「科学技術へのクライアントシップ」で科学論の専門家が「科学はいろいろな限界はありながらも、我々が持っている情報生産システムとしては最良のものである」と述べていたことを記した.科学は間違うこともあり,加速膨張が発見された後の宇宙論のように研究者に共有される自然像が突如として変化することもある.科学は絶えず書き換えられており,科学は変わっていく.しかし,では科学が信頼できないかというとそうではない.これも前章の「多様性・累積的進歩・真理への漸近性」で述べたように「実験や観測に立脚した相互批判という妥当性の判定手段があるため、それによって検証された学説が生き残っていく。技術の場合は事故が「検証…

  • トランスサイエンス問題に対する市民の意思決定の質を高めるーはじめに

    前章でトランスサイエンス問題について「市民は問題を自分(たち)自身の問題として引き受け、自分(たち)のことは自分(たち)で決めるべきであり、決定について自分(たち)でその責任を引き受けることができるという覚悟と自己信頼を持つことが必要である」と述べた.これはトランスサイエンス問題への社会の対応は専門家や行政(政治)の決定に委ねるのではなく,個々の市民の意思決定の集積として行われること,したがって市民のための教育基盤を増強し,市民の意思決定の質を高める努力が絶えず行われなければならないことを前提としている.ここではそのために必要な教育の諸要素について考えていきたい.

  • 言説の進化史

    再三述べているように学校の科学教育の基本は「確立された科学」を教えることにある。典型的なのは実験場面である。実験の結果、どのような現象が起こるかを教師は知っており、児童生徒も大体わかっている。予想された結果が出ない、たとえばばねの伸びが力に比例しなかったり、染色した細胞の中に棒状の染色体が観察できなければ実験は「失敗」である。因果は明快で、予想される実験結果にならないような影響を与える要素は極力排除される。このこと自体は学習者に混乱を与えないような配慮であり、合理的なものであるが、トランスサイエンス問題に当てはめることができないことは明らかであろう。トランスサイエンス問題の場合はそもそも学校理…

  • トランスサイエンス問題から基礎へと降りていく学び

    川勝博は「旧来は科学の体系的学習は、学問の体系に従って基礎を学ぶことが多い。これは学問の構造上、今でも大切である。」と基礎から積み上げていく学習の必要性を認めたうえで、「基本は基礎から応用へと学ぶ。しかし応用から基礎に遡る逆過程の学習も併用する。現実の問題や生活や政策的な議論から入って、その謎を深めながら基礎まで遡る。」(1)と基礎へ降りていく学びの併用、「双方向の学習」を主張しているが、私も同様に考えている。理科教育で扱われてきた伝統的な内容(たとえば振り子、てこ、ばね、金属の性質、呼吸、岩石と鉱物等々)については、その内容の持つ社会的意義(学校教育で取り上げる価値)を問い直していく必要はあ…

  • 科学技術へのクライアントシップ

    私は「自然と共同体に開かれた学び」(2015年)という本の中で次のように述べたことがある。「安部首相は2014年9月22日のコロンビア大学での演説で,原発の再稼働について「100%の安全が確保されない限り行わない」(165)と述べている。安部首相自身が原発の安全性について専門的判断を行えるわけではないので、これも首相自身が何度も述べているように、原子力規制委員会に「100%安全かそうでないか」の判断をゆだねているわけだが(もちろん100%安全という答えしか期待していない)、ここには科学者・技術者がこの問いに答えることができるという前提がある。ゴジラやモスラの例とはずいぶん違うように見えるかもし…

  • (2) 科学技術へのクライアントシップー科学知への節度ある信頼を育てる

    テレビのある番組で。主婦目線で意見することをアピールポイントにしている女性芸人が、新型コロナについてー専門家の話はわからない。行政や各個人がどうすれば新型コロナを防ぐことができるのか、短くわかりやすく教えてほしいーといらだちをあらわにしながら専門家を批判しているのを目にしたことがある。収束したかと思えばまた蔓延するといういたちごっこの状況の中でのことである。別の番組では、元政治家のタレントが―専門家によって言うことが違うのでは、誰の言うことを信じればいいのかわからない。誰かが責任を持って専門家の意見をとりまとめるべきだーと発言していた。 もっともな議論に聞こえるが、このような議論には大きな陥穽…

  • 言説の進化史

    学校の科学教育の基本は「確立された科学」を教えることにある。典型的なのは実験場面である。実験の結果、どのような現象が起こるかを教師は知っており、児童生徒も大体わかっている。予想された結果が出ない、たとえばばねの伸びが力に比例しなかったり、染色した細胞の中に棒状の染色体が観察できなければ実験は「失敗」である。因果は明快で、予想される実験結果にならないような影響を与える要素は極力排除される。このこと自体は学習者に混乱を与えないような配慮であり、合理的なものであるが、トランスサイエンス問題に当てはめることができないことは明らかであろう。トランスサイエンス問題の場合はそもそも学校理科で提示されるような…

  • 「我々は何を知らないのか」を知る

    学校の科学教育の基本は「確立された科学」を教えることにある。典型的なのは実験場面である。実験の結果、どのような現象が起こるかを教師は知っており、児童生徒も大体わかっている。予想された結果が出ない、たとえばばねの伸びが力に比例しなかったり、染色した細胞の中に棒状の染色体が観察できなければ実験は「失敗」である。因果は明快で、予想される実験結果にならないような影響を与える要素は極力排除される。このこと自体は学習者に混乱を与えないような配慮であり、合理的なものであるが、トランスサイエンス問題に当てはめることができないことは明らかであろう。トランスサイエンス問題の場合はそもそも学校理科で提示されるような…

  • 硬い」科学観・科学者観の変革-ゴジラとシンゴジラ

    ゴジラは日本の代表的なSF映画であり、世界的にもキングコングと並ぶ2大スターである。ゴジラは科学技術と社会の関係を考える上でも興味深い。ゴジラが登場した第1作では古生物学者の山根博士が権威者として登場し、政府の顧問としてゴジラについての議論をリードする。そして戦車も戦闘機も歯が立たないゴジラを芹沢博士が開発したオキシジェン・デストロイヤーが海中深く葬る。 ゴジラ第1作と対照的に、シンゴジラにおいて内閣の会議に召集された科学者たちは要領を得ない一般論を延々と述べるだけで総理に愛想をつかされる。不毛な会議で時間を費消している間にゴジラは進化していき、第4形態に進化したゴジラに対しては自衛隊の攻撃は…

  • 教科書はなぜ退屈か

    中学校や高校の理科の教科書を覚えておられるだろうか。理科の教科書を面白いと思った記憶のある方は少ないのではないだろうか。理科を長く教えてきた私もそうである。教科書の重要性を理解しているつもりではあるが、およそ読んでおもしろいものではない。 その理由はおそらく2つある。一つは教科書に書いてあることを知ることの意味がわからないことである。生物の教科書には細胞分裂の際の染色体のふるまいが事細かに記されている。それに目を輝かせる生徒もなくはないと思うが、「それが何?」と多くの生徒は思っているであろう。「学校の勉強とはそんなもんさ、いちいち意味なんか考えておられん」と割り切っている生徒もいるだろう。実は…

  • 「何のための科学技術なのか」という問い

    科学技術は何のためにあり、科学者・技術者のミッションは何だろうか? このことについては、科学技術が一つの独立した社会的営為として認識され、科学者・技術者という職業が成立して以来、無数の論考があり、無数の議論がある。ここではその内容自体には立ち入らない。しかし「科学はその応用にあたって、個人、社会、環境、人体の健康に有害となりうるもので、人類の存続さえ危うくする恐れがあること、そして科学の貢献は平和と発展、世界の安全という大義にとって不可欠なものであることを考慮し」、「科学研究の遂行と、その研究によって生じる知識の利用は、貧困の軽減などの人類の福祉を常に目的とし、人間の尊厳と諸権利、そして世界環…

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