chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
matsu
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/07/05

arrow_drop_down
  • 小原地区の城郭 三河 東海古城研究会の見学会で訪れました

    小原の城郭は愛知県豊田市小原町にあります。今回は東海古城研究会の日帰りバス見学会で訪れました。見学先は市場城→市場古城→大平本城→大平姫城でした。午前中はあいにくの雨でしたが、午後は雨も上がり時折日が差す好天となり「終わりよければ全てよし」の見学会でした。小原地区には13の城址があるとされます。戦国時代以前には各谷間に関東から来た支配者が割拠したとされます。戦国期には足助鈴木氏の一員(鱸氏とも)が市場古城を足掛かりにして、小原地区全体を市場城を中心にして支配したとされます。後に小原鈴木氏は家康の関東移封に従わず、改易となり没落したと伝わります。市場城当日はベテラン会員さんが作成した資料が準備され、詳しい現地解説が行われました。午前中は雨でしたが、参加者の皆さんは熱心に説明に耳を傾け、遺構を見学しました。市...小原地区の城郭三河東海古城研究会の見学会で訪れました

  • 足助城 三河 その2 整備された城跡公園の興味深い城郭遺構を堪能する

    足助城は愛知県豊田市足助(あすけ)町にあります。城址が真弓山にあることから、真弓山城とも呼ばれ足助七城の一つとして、足助鈴木氏が築いたとされます。現在、中心部は城跡公園となっていますが、公園化に先立って発掘調査が行われ、多数の建物跡などが検出され、それに基づいたいくつかの建物などが復元・整備されています。その1では城跡公園外の興味深い城郭遺構を見学しましたが今回は整備された公園内を見学します。公園内には要所要所に案内パネルが設けられていますので、興味深い城郭遺構を堪能できます。足助城足助氏の飯盛山城と鈴木氏の足助城は築城年代が異なる古く鎌倉期に足助を領したのは足助氏、戦国時代に領したのは鈴木氏だった考えられ、足助氏が飯盛山城を築き鈴木氏が足助城を築いたとされます。いろいろな条件が重なって、飯盛山城の復原は...足助城三河その2整備された城跡公園の興味深い城郭遺構を堪能する

  • 足助城 三河 その1 整備された城跡公園の外側にある城郭遺構を見学する

    足助城は愛知県豊田市足助(あすけ)町にあります。城址が真弓山にあることから、真弓山城とも呼ばれ足助七城の一つとして、足助鈴木氏が築いたとされます。現在、中心部は城跡公園となっていますが、公園化に先立って発掘調査が行われ、多数の建物跡などが検出され、それに基づいた建物が復元・整備されています。中心部から幾本も延びる尾根は削平され曲輪が設けられ、城域は広く城跡公園外にも城郭遺構が残されています。公園化の整備に伴って公園内の見学は有料化され、公園の周囲にフェンスが設けられました。今回は城跡公園外の興味深い城郭遺構を見学したいと思います。今回の資料は(1)「足助の中世城館」足助町教育委員会2001(2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994(3)「城跡公園足助城」パンフレットなどです。足助城主要な...足助城三河その1整備された城跡公園の外側にある城郭遺構を見学する

  • 東禅寺城 伊勢 150m超の断崖絶壁を利用した城郭は隣接する巨刹 東禅寺との関連があったか

    東禅寺城は三重県いなべ市藤原町東禅寺字神垣内にあります。築城の時期は明らかではないようですが城主は片山平三、斎藤助六が伝わります。片山氏は南北朝の頃、上木村を中心に付近十ヶ村を領したとされ、斎藤氏は東禅寺の坊官を務め東禅寺から石川城に移ったとされます。※石川城は東禅寺の北東800m付近の藤原町石川にありましたが、セメント工場の建設によって消滅しました。今回の参考資料は(1)「再発見北伊勢国の城」伊藤徳也著2008(2)「三重の中世城館」三重県教育委員会1976(3)Webサイトいなべ市地理情報「いなっぷる」などです。東禅寺城東禅寺は戦火で焼かれ焼亡したが東禅寺城に隣接した遺跡が確認されている東禅寺は地名として残るほどの巨刹寺院で、東禅寺城が東禅寺に隣接して築かれたといったほうが良いかもしれません。東禅寺城...東禅寺城伊勢150m超の断崖絶壁を利用した城郭は隣接する巨刹東禅寺との関連があったか

  • 櫟野大原城 近江 その2 興味深い多数の遺構が完存する甲賀大原氏の城郭 見どころてんこ盛りでワクワクの見学

    櫟野(いちの)大原城は滋賀県甲賀市甲賀町櫟野(いちの)にあります。見どころの多い櫟野大原城はその1で城域東側部分を見学しましたが、その2では西側部分を見学したいと思います。今回の参考資料も(1)「甲賀市史第七巻甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010(2)現地案内板・大原自治振興会などです。※大原氏の大原城は→こちら櫟野大原城周辺地図はその1をご覧ください※その1は→こちら櫟野大原城U字型の珍しい堀切Eその役割は?東上から櫟野大原城で目を引く遺構の一つがⅣ郭のU字型の珍しい堀切でした。尾根を断ち切るように掘られてはいますが、その役割は何だったのか、資料(1)でもⅣ郭への雨水の流れ込み防止か?ヒョットすると城郭遺構ではないのかもしれないとも記されていました。U字型の雨水対策の堀切は初めて見ましたが、山城では...櫟野大原城近江その2興味深い多数の遺構が完存する甲賀大原氏の城郭見どころてんこ盛りでワクワクの見学

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、matsuさんをフォローしませんか?

ハンドル名
matsuさん
ブログタイトル
城と歴史歩きを楽しむ
フォロー
城と歴史歩きを楽しむ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用