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北穂高岳で味わう至福のひと時 https://www.shifukunohitotoki.net/

北アルプスの北穂高岳が好きで登山記録を柱に、外国・国内旅行、反戦・平和への思いなどを備忘録として書いています。

北アルプス
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田原市
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2021/06/30

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  • 茶臼岳(那須連山)~⑤むかしは「硫黄鉱山」だった

    人気のあるこの山が硫黄を採取するための鉱山だったことをにおわす案内標識。 朝日岳山頂から見た茶臼岳 (2021年9月17日撮影) 目次 硫黄鉱山の「遺構」をさがす 江戸時代から採鉱していた 明治時代に主導したのは「那須硫黄鉱山株式会社」 採掘場所は西側の斜面 「無間地獄(むげんじごく)」と呼ばれる噴気孔 硫黄を採り出す方法 山から運び出す方法 トロッコを使った ふもとの「精錬所」まではロープウェイが活躍 温泉地の「那須湯本」まで運んでいた 今の登山道はトロッコ道だった 茶臼岳西面の登山道 【硫黄鉱山跡】という案内標識 朽ちた木材・・・ 【峰の茶屋】は作業員休憩所 いまは避難小屋に 当時の【精錬…

  • 茶臼岳(那須連山)~④「隠居倉」からの眺めが素晴らしい

    三斗小屋温泉の山小屋に向かう女性の歩荷(ぼっか)さん (2021年9月17日 峰の茶屋跡で撮影) 目次 隠居倉(いんきょぐら)というピーク 朝日岳というピーク 峰の茶屋跡 隠居倉(いんきょぐら)というピーク 三斗小屋温泉の源泉をみたあとは、下界に戻ります。 隠居倉(標高1819㍍)を越えて朝日岳(標高1896㍍)のピークに立ち、 「峰の茶屋跡」を通って「県営峠の茶屋駐車場」に至るというルートでした。 上の地形図の真ん中に「噴気孔」のマークがあります。それが三斗小屋温泉の源泉。ここから東(地形図の右方向)に進みました。 しばらくは背丈の低いクマザサの中を、ゆったりしたペースで登ります。こんなとこ…

  • 茶臼岳(那須連山)~③三斗小屋温泉の源泉をのぞいた

    水蒸気や硫化水素を噴き上げる三斗小屋温泉の源泉地(2021年9月17日撮影) 目次 「煙草屋旅館」の裏手から行く 三斗小屋温泉神社本殿 三斗小屋温泉の源泉 大黒屋の源泉は、煙草屋旅館とは別の場所 「煙草屋旅館」の裏手から行く 秘湯・三斗小屋温泉の大黒屋をチェックアウトした9月17日、朝日岳に立ち寄ってから下山しました。 その前に、温泉の源泉をのぞきました。 スタート地点は、三斗小屋温泉にある、もう1つの旅館、「煙草屋旅館」の裏手です。 三斗小屋温泉神社本殿 煙草屋旅館の裏から登山道に取りつき、古い石段を登っていくと、 こけむした❝石の塊❞が目に飛び込んできました。 夜も昼も明かりをともす常夜灯…

  • 茶臼岳(那須連山)~②秘湯・三斗小屋温泉の大黒屋に泊まった

    大黒屋のヒノキ風呂。 目次 150年前の木造の建物 お風呂 部屋 食事 夜はランプ 電話と飲み水 朝ごはん ヘリポート 秘湯(ひとう)――そう呼ばれる交通の便の悪い山奥にある温泉宿は、数多くあります。が、山道を2時間以上も歩かないと着くことができないような宿に行く人はいるんでしょうか。 いやいや、いるんです。物好きな登山者は多いんです。私もその1人です。 2021年9月16日(木曜日)に一泊して、ゆったり湯につかってきました。 その秘湯は、三斗小屋温泉(さんとごやおんせん)です。 那須連山・朝日岳(標高1896㍍)の西側の山腹、標高1460㍍の樹林帯に温泉宿はあります。栃木県那須塩原市の飛び地…

  • 茶臼岳(那須連山)~①「初心者向き」だが、雨とガスで道迷い

    エゾリンドウ(2021年9月16日、茶臼岳の那須ロープウェイ山頂駅近くで撮影) 目次 牛ヶ首でルートを見失う 無間地獄 茶臼岳の山頂へ 峰の茶屋跡 牛ヶ首でルートを見失う 茶臼岳(標高1915㍍)は、那須連山という福島県から栃木県にかけて連なる峰々の主峰。いまもたくさんの噴気孔から火山ガスを噴出している活火山です。「那須岳」と呼ぶ人もいます。 ロープウェイで ❝4分間の空中散歩❞をするだけで8合目まで行けるので、 初心者向きとされている人気の山です。 その茶臼岳に、2021年シルバーウィークが始まる前の9月16日(木曜日)に登って、もっと奥にある秘湯・三斗小屋温泉に泊まったのですが、茶臼岳の山…

  • 戦争と平和~太平洋戦争末期の2つの「隠された地震」を掘ってみた、が・・・(下)

    内務省警保局検閲課長名で全国警察の検閲責任者に情報統制を指示していたことを示す極秘文書(国立公文書館所蔵) 今から70年以上も前ですが、日本はアメリカなどを相手に太平洋戦争(1941年~1945年)を起こしていました。その最中に発生した東南海地震と三河(みかわ)地震という2つの地震で、3000人以上が家屋倒壊や津波で亡くなりましたが、政府や軍による検閲で、新聞やラジオ(当時はテレビ・インターネットはありません)は情報統制されました。 被害の実態が「数字」で整理されたのは、ビックリすることに地震発生から30年以上も経った1970年代でした。 目次 地元紙・中日新聞はきちんと報道したか? 被害を報…

  • 戦争と平和~太平洋戦争末期の2つの「隠された地震」を掘ってみた、が・・・(上)

    戦時中に情報統制されていたことが分かる内務省新聞検閲係の「勤務日誌」(国立公文書館で保管) 目次 隠されたのは「東南海地震」と「三河地震」 母の故郷は渥美半島の先端 学徒勤労動員で豊川海軍工廠の寄宿舎暮らし 家の母屋は倒壊 医王寺の本堂も壊れる 豊川海軍工廠が空襲で破壊され、多数の死者 渥美半島の被災の様子は「数字」だけ 政府の中央防災会議がまとめた震災報告書 「町史」にも写真はなくて被害は見えない ≪下≫ 地元紙・中日新聞はきちんと報道したか? 被害を報道していない ネックになった政府と軍による「検閲」 政府が情報統制していた証拠 中日新聞社の社史にみる見解 隠された地震から学びとるもの 隠…

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