太平洋戦争の勃発と同時に、フィリピンの米軍と戦闘開始(4)フィリピンの戦い
昭和16年(1941年)12月7日、午後9時35分、日本軍第一天候偵察隊が、そして午後11時30分、第二天候偵察隊がフィリピン上空を飛んだ。 翌昭和16年(1941年)12月8日0時15分、偵察を察知した米軍は、イバ、クラークに全機15分の待機を命じ、その後、日本の偵察機撃墜のため、戦闘機を発進させたのである。 米領フィリピン上空での航空戦の開始である。 ここフィリピンは、スペインの植民地だったものを、米西戦争によって明治32年(1899年)以降、アメリカの植民地になっていたのである。 ときあたかも、日中戦争の最中である。当時日本の植民地だった”台湾”にも近く、連合国軍の中国支援を遮断する意味…
真珠湾攻撃と同時刻に、イギリス軍機に航空第一撃(3)香港の戦い
真珠湾攻撃と同時刻、昭和16年(1941年)12月8日朝、第23飛行隊は、香港・九龍半島北東端に位置するイギリス軍の航空基地・啓徳飛行場のイギリス軍機に対して航空第一撃を加えたのである。 ことは、昭和12年(1937年)7月7日、日中全面戦争の原因となったされる盧溝橋事件にさかのぼるのである。満州国建国以来、日本の中国侵略を心由としない英米が、紹介石政権への支援を強化してしてゆくのである。そうした中で、香港経由の中国の輸入量が激増、海外補給総量の8割を占めるまでになってゆくのである。香港、広東が援蒋(蒋介石政権支援)補給路の重要な基地になったのである。 これに対し、日本軍は援蒋ー香港・広東ルー…
太平洋戦争の全戦場を巡るー(2)真珠湾奇襲攻撃 - 戦史ブログ「飢餓の戦場」
昭和16年(1941年)12月8日、このイギリス領マレー方面の作戦が、いわゆる太戦争戦争において、すべての作戦に先駆けて行われた南方作戦の一つであり、事実上この攻撃開始によって、太平洋戦争が始まるのである。8日午前2時30分第18師団侘美支隊(たくみしたい)がコタバルへの上陸を開始して火ぶたは切られ、太平洋戦争の第一歩はまさにこの地から始まったのである。 香港、シンガポール、マニラの重要な軍事拠点を壊滅させ、東アジアにおける英米勢力を一掃して、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスそしてマレーなどの重要な資源地帯を確保すること、これが南方作戦の目的なのである。そのために、日本陸軍は、先制急襲を方…
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