chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
デジタル社会の展望 https://researchnetwork.jp/

デジタル社会に向けてメンバーとの議論を通じ知りえたこと、内外の識者から学んだことなど、様々な観点から問題提起します。よりよい社会に向けた議論のたたき台になればと考えています。

Kazuo Adachi
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/05/18

arrow_drop_down
  • 日本人の思考回路

    今回から日々折々で感じた雑感を日記風に書かせて頂くことにします。 先ほどまでミュンヘンの知り合いとSkypeで話をした。こちらは早朝だが、あちらは夕食後のリラックスタイムのため、少々酒も入っていたようで思わぬ長話しになってしまった。 彼の話では、現地の雑誌に「2020大会に東京を選んだIOCは実に幸運な選択をした」といった記事を著名な教授が寄稿したという。要は、渡航制限でインバウンド需要が見込めない上、国民もテレビでしか接することのできない大会を受け入れた日本は、尊敬には値するが不気味さすら感じさせる国だといった論評だったのようだ。不気味な例として武士のハラキリ(切腹)を挙げており、対面を守るためには自らの死さえ厭わない文化が今なお色濃く残っているようだとも指摘していたそうな。彼は、その教授の指摘のように、パンデミックの最中にオリパラという大規模大会を許容した日本は、多くの欧州人にとって珍奇に映っており、我々だったら自国にとって何の見返りもないからと確実に尻込みをしただろうと言っていた。 この話を聞いて、外国人の目に映る日本について大いに考えさせられた。こう言われると、次回開催国のパリが「ありがとう日本」と横断幕を掲げたのも複雑な思いを感じてしまう。誰にどう思われるかを気にしても仕方のないことで、まして今更オリパラ開催を批判する意図は毛頭ないが、国内にいては気づかない自分の姿を外国人という鏡を通して見ることで、いろいろ気づかされることも多い。 特に、切腹まで例に出していたことは実に衝撃的だった。私が思うに、切腹の習慣は内と外を明瞭に分けたがる日本人の思考形態がもたらした仇(あだ)花(ばな)のように感じている。単に家の周囲を高い塀で囲うといった表面的なことだけでなく、内面(うちづら)と外面そとづら)、弊社と他社、仲間とよそ者などなど、内と外を分ける言葉は実に多彩である。本音と建て前などもその系列に属する表現かもしれない。内なる内面を律することで外なるものへの対面を守るという思考形態は、日本人のある種の美徳といえるのかも知れない。自分に厳しく他者に優しい人は、多くの場合尊敬の対象になる。 話は異なるが、以前のブログでも紹介した10年以上前にデンマークの個人情報保護委員会で言われた「日本人は自分の生命よりもプライバシーを大事にするのか?」という言葉が蘇る。既往症や投薬履歴など自分の健康に

  • デジタル時代の共同体社会

    地域循環型社会 今週は、前回のブログで述べたグリーンニューディールを、共同体(コモンズ)の視点から考えてみたいと思います。共同体のあり方が、「限りなき成長という従来の資本主義の考え方から脱し“健康・幸福・環境”という人間と自然にフォーカスする」というグリーンニューディールを決定づけると考えたからです。 もちろん一言で“共同体”といっても様々な性格があり、その示す範囲(スケール)も大きく異なります。性格では、地縁・血縁などをベースにしたゲマインシャフト型の共同体もあれば、利害を共有する狙いで結ばれたゲゼルシャフト型共同体もあります。規模も、趣味や共通の趣向で結びついたサークルに近いものから、欧州連合(EU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)のような国家間連合に至るまで様々な共同体が存在します。 では、最適かつ持続可能な人間と生活環境を実現することを目的とするグリーンニューディールにおける共同体は、どれほどの性格と規模感として考えたら良いのでしょうか? 曖昧な定義を避けるために、ここでは一つの仮説を設けたいと思います。その仮説とは『生産・分配・支出という経済循環が成り立つ経済圏』としました。もちろん、この仮説はグリーンニューディールのすべてが満たせる普遍的なものとは考えておらず、共同体で暮らす人々の生活欲求を満たす尺度の一つとして想定したにすぎませんが、実は、この経済循環による経済圏の考え方は、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部による『地域経済分析システム(RESAS)』から着想を得たものです。 RESASは、県や基礎自治体における地域内経済循環の状況を数値化し、ボトルネックや課題などを分析・検証するためにつくられた仕組みです。すなわち、地域内企業の経済活動を通じて“生産”された付加価値が、労働者や企業の所得として“分配”され、さらに消費や投資として“支出”され、再び地域内企業に還流するといった過程で、どの程度地域経済で循環しているかを数値で表現し、課題の所在などを分析するための参考データです。地域経済循環率が100%であれば経済的に拮抗した地域であり、割合が高いほど地域の『稼ぐ力』が高く、低いほど地域外に資金が流出していることを示しています。 このような地域内で経済を循環させることで経済の底上げを図ろうとする考え方は、発展が運命づけられた今日の資本主義の抱える矛盾へ

  • 人間中心の社会に向けて

    「欲望の資本主義」からの示唆 これまで、『幸福な社会とは?』について模索してきましたが、今回はこれまで3回の投稿のまとめも含め、今日の資本主義社会の観点から考察したいと思います。 2018年1月にBS1で放送された『欲望の資本主義』というドキュメンタリーをご覧になられた方は多いと思います。私も、冒頭で語られたヨーゼフ・シュンペーターの「資本主義はその成功ゆえに自壊する」というナレーションに思わず引き込まれ、メモを取りつつ集中して視聴しました。シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』を、学生時代以来久々に書棚から取り出して『第2部 資本主義は生き延びうるか』の部分を読み返しました。残念なことに番組のビデオは消去されていたためメモしか残っておらず、放送から3年を経たので少々記憶が薄れていますが、当時のわずかなメモを頼りに内容を振り返りたいと思います。 「資本主義は創造と破壊を繰り返すことで発展する。それゆえ、一度成功を収めたとしても、さらに新たな価値を次々と創出しながら成功を続けるしかない。飽くなき創造と破壊こそが資本主義のエンジンである。だから、人々は常に創造に駆り立てられるしかない」とのナレーションが番組の冒頭でありました。ちょうどトマ・ピゲティの『21世紀の資本』を読んだばかりのころで、「r>g」すなわち、資本収益率(r)は経済成長率(g)より常に大きいという法則に衝撃を受けた頃だったため、この指摘はかなり印象深く心に響きました。「世界全体で上位8人の富豪の資産が、下位50%(約35億人分)の資産と同水準だった」といったオックスファム調査の結果も紹介していますが、これもピゲティの主張と一致しています。 また、「レーガン大統領やサッチャー首相によって行われた新自由主義[efn_note]市場にすべてのコントロール権を委ねた自由主義型資本主義の新たな考え方[/efn_note]は、マネーパワーを解き放した資本主義上の革命であった」とのダニエル・コーエン[efn_note]フランスの経済学者[/efn_note]の発言も紹介していました。つまり、市場にすべてのコントロールを委ねたことでマネーパワーが万能の力を発揮できる環境が整い、“金融資本主義”への途を開いたということだと思います。 モノ(生産)が中心で経済が動いていたかつての工業生産主体の時代では、企業が労働者を守ることが存続上の

  • 財政の透明化とは?

    税の透明性 エマニュエル・サエズ教授・ガブリエル・ズックマン教授による共著『つくられた格差(2020年9月・光文社刊)』の冒頭で、興味深いエピソードを紹介しています。それは2016年9月26日のヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏の最初の大統領候補テレビ討論会でのエピソードです。 万全に理論武装して臨んだクリントン氏は途中まで着々と得点を稼いでいたが、次の話題で突然潮目が変わったと言います。その部分を引用します。 トランプは、1970年代初頭にまでさかのぼる伝統を無視し、納税申告書の公開を拒否していた。(中略)クリントンは、不動産開発事業で巨万の富を築いたトランプがこれまでにどれほど納税を回避してきたかを明らかにしようとして、こう述べた。「カジノのライセンスを申請した時に提出した納税申告書しか公開されていませんが、それを見る限り、彼は連邦税を一銭も払っていません」。するとトランプは、誇らしげにそれを認め、「それは私が賢いからだ」と返した。これにはクリントンも二の句が継げなかった。 何やらブラックユーモアのようなエピソードですが、大多数の国民にとって税金は負役以外の何物でもないという認識がもたれていることを如実に物語っていると思います。 財務省は、税金には次の三つの役割があると言っています。 公的サービスの財源を調達する役割累進構造等を通じ所得や資産の再分配を果たす役割経済安定化機能:好況期には総需要を抑制し、不況期には総需要を刺激することで景気変動を小さくし経済を安定化する役割 近年勃興しているMMT理論では、①の財源調達機能には否定的で、むしろ「発行する自国通貨に対して絶対的な価値を付与すること」といった考え方をとるようですが、いずれにせよ税制は社会の公平性・公正性を維持するうえでの重要な基盤であることは否定の余地はありません。 さて、前述のトランプ氏の暴論ともとれる発言が、なぜ大統領を選ぶ重要な討論会の潮目を変えるほどのインパクトを持ったのか?多くの方は疑問に思われると思います。どうもその背景には、彼が敬愛してやまないロナルド・レーガン元大統領の考え方が根底にあったようです。 <小さな政府による強いアメリカ>を前面に打ち出したレーガン政権は、極端な累進税性は経済活動の根本を毀損するという考えから新自由主義経済に大きくシフトさせたのですが、こ

  • 公正な社会とは?

    “社会の公正性”が持つ意味 前回のブログ『幸福な社会を考える』で引用した、国連による『World Happiness Report 2020』では、国家の幸福度を示す6つの指標の一つに『社会の公正性(Perceptions of corruption)』が挙げられていました。繰り返しになりますが、“社会の公正性”は政府の透明性を表す指標で、政府や企業における汚職実態が指標になっています。この指標でも、わが国は上位10カ国はもちろんのこと、31位にランキングされているシンガポールなどの国に大きく水をあけられた結果となっています。 つまり、公的機関が保有するあらゆる情報の公開を原則とする民主主義の先進国のなかではかなり劣ったランクに位置づけられており、少なくとも政治・ガバナンスの面では他のG7諸国と対等に肩を並べられる存在ではないという評価です。GDP世界第三位という経済力にモノを言わせて先進国の仲間入りは果たせたものの、政治や社会への信用力は極めて低いという指摘がこのレポートから透けて見えます。頼みの経済力も人口の急激な減少など負の要因によりV字回復への期待が薄まっており、今の状況のままでは後進国と目されるのも時間の問題だといった厳しい見方まであるようです。 国家が公正なガバナンスの下で運営されていることは国の信用力の指標にもなり、外交上の地位や海外企業などとの協業や投資が得られるだけでなく、国民のモラルやモチベーションを維持する上でも重要な要因にもなります。その顕著な例が、今日のコロナによるパンデミックにおける国民の受け止め方ではないでしょうか。 政府による再三の呼びかけにもかかわらず人流の減少が見込めないまま第5波に突入し、7月29日にはついに一万人を超えました。感染力が高いデルタ株の蔓延に加え、夏休みやオリンピックなどの諸条件が重なったことも災いしたと考えられますが、最大の要因は総理の発信力の欠如にあると考えています。それは、感染症対策分科会の尾身茂会長の「危機感が(国民と)共有されていないこと」という発言に凝縮されていると思います。先日の7月30日に発出された6都府県を対象にした緊急事態宣言での菅総理の会見を見て、あまりの発信力の弱さに暗澹たる気分を味わった方も多いのではないでしょうか。これは私個人の感想ですが、危機感が共有されない要因は、発信力などというスキル上の

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Kazuo Adachiさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Kazuo Adachiさん
ブログタイトル
デジタル社会の展望
フォロー
デジタル社会の展望

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用