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デジタル社会の展望 https://researchnetwork.jp/

デジタル社会に向けてメンバーとの議論を通じ知りえたこと、内外の識者から学んだことなど、様々な観点から問題提起します。よりよい社会に向けた議論のたたき台になればと考えています。

Kazuo Adachi
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2021/05/18

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  • Issues of medical treatment in Japan

    The characteristics of medical care in Japan are not only the universal health insurance system, but also the free acces

  • コロナ後の経済環境について

    先週はインディペンデント・ワーカーの雇用について書く予定だったが、コロナにおける経済対策について所感を述べることにした。 そのように思ったのは、今朝のNHKニュースが取り上げていたコロナ禍の経済対策で国が行ったゼロゼロ融資の結果、今年の倒産件数は過去20年で最も低い水準(3,083件)に止まった反面、その借入残高は30兆円にのぼるっているという記事についてFaceBookに投稿したところ、中小企業金融円滑化法など倒産回避政策の結果、技術革新やダイナミックな産業再編等の経済活動の停滞を招いたのでは?といったコメントを頂いたからである。私自身全く考えが及ばなかった貴重なコメントをお寄せいただいた方にはこの場をお借りして深く感謝したい。 無利子無担保のいわゆるゼロゼロ融資は、報道によれば観光業や飲食業のなかには「気付けば借金2億円」という企業も少なくないようだ。コロナ感染の波の完全な収束が見通せないなかで、今後10年間で返済できる見通しは立っていないのが現実だろう。ゼロゼロ融資を受けた企業の大半は通常の融資も受けているだろうし、月々の利払いも迫られているだろう。客足が100%戻る見通しは見えず、観光需要の2割を占める外国人観光客は当面期待できないなかで、当然のことながら新たな融資も必要になるだろうが、多額の債務を抱える企業への追加融資には、よほどの好条件が就かない限り金融機関も二の足を踏まざるを得ないだろう。 こう考えると、政府が経済対策の柱として行ったゼロゼロ融資は、かつてのサブプライムローンのように見えてしまう。経済秩序を逸脱した融資は麻薬のような作用しか生じさせず、後遺症に長く苦しむことから、いかなる緊急時においても行うべきではない。ゼロゼロ融資は半ば給付に近くいざとなれば政府が代返するはずだと思う方もおられるかもしれないが、決定的に異なるのは金融機関が介在していることである。言い換えれば、無利子無担保の不良債権を金融機関が抱え込むことになり、この処理には多大な労力を要することだろう。政府が給付ではなくあえて融資にした理由については、今後国会などでしっかりと説明してもらいたいものだ。 さて、前置きが長くなってしまったが、技術革新や産業再編などわが国経済のダイナニズムを取り戻す上で考えるべき課題について考察していきたい。 以前のブログで、「組織は共通の目的を持った協働の意志によって成

  • インディペンデント・ワーカーの重要性

    オケージョナル・ワーカーの増加 今日、インディペンデント・ワーカー(組織に属さない独立した労働者)が新しい働き方として注目され、その数が急速に伸びつつある。米国でインディペンデント・ワーカーを支援するMBO Partnersの年次レポートによると、2021年時点で5,110万人にのぼると言われており、米国内での年次推移も2015年を境に急速に伸びていると報告されている。 とりわけ“Occasional(労働時間を設定しないフリーランサー)”が2020年の1,580万人から2021年に2,390万人と51%も急増していることは特筆すべきだろう。なぜなら、一定の勤務時間のなかで働くという従来の労働観から、自らの能力や経験が生かせる仕事をこなして結果を出すという業績中心の労働観に大きく転換しつつあることを示しているからである。言うまでもなく、労働も需要(雇用者)と供給(求職者)の市場によって成り立っているため、オケージョナル・ワーカー(フリーランサー)へのニーズが労使ともに高まっていることが背景にあると考えられる。 労働観が変化した背景 こうした労働観が変化しつつある背景について、私なりに考察したい。 組織が一定の業績を上げることは、古今東西あらゆる組織にとっての究極的な目的であることには変わりがない。その意味から、時間給などに盛られる勤務時間(拘束時間)をベースにした賃金制度は、雇用者が働いた時間を一律に計測することで賃金を公平に支払う上での一手段であったと考えられる。時間給という手段に基づく業績(目的)達成には、決められた時間内でどれだけの生産性が挙げられるかが問われ、そのためには雇用者にモチベーション向上を求めることはもちろんのこと、仕事をいかに効率的に割り振るかといったマネジメント技法が強く求められる。 こうした管理技法は、産業革命以降長く続いた大量生産体制のような大量の業務をこなすには極めて有効な手段でもあった。その象徴がヘンリー・フォードが自社の自動車工場で行った生産手法や経営思想である“フォーディズム“で、大量生産時代の成功モデルは“科学的管理法”と呼ばれ20世紀半ば頃から全世界に普及し、現代組織論のバイブルにもなった。“かんばん方式”として有名なトヨタ自動車の生産方式(トヨティズム)もこうした考え方を基本としている。つまり、生産工程を細分化し、それぞれの組み

  • <新連載>デジタル時代の組織とは?

    組織とは? 18世紀の産業革命以降、人格を持たない“組織”という存在が社会に大きな役割を果たしてきた。組織の存在価値が高まったことで、人間という自然人と同等の権利・義務を与える必要性から“法人”という言葉も生まれた。 産業革命から260年余り経た今日、組織は人間の進化の数千倍ものスピードで巨大化し、いまや組織に従属することで自らの地位や立場を証明するまでに至っている。言うなれば、人間がモノを効率的に生産し流通・販売するための道具であったはずの組織がいつの間にか自己増殖を始め、組織の最大の目的である存続(Going Concern)を果たすために、そこに属する人間までも支配するに至ったと言えるのではないだろうか。 組織に属する人間は、多くの場面で組織論理に忠実に動こうとするが、より俯瞰的に観れば、それはあたかも熱心な信者のように、自分の価値観を組織に委ねることで得られる地位や立場に執着しているようにも映ってしまう。日頃は善良で親切な人でも、一旦組織に入ると人が変わったように非情で傲慢な態度で相手に接することは往々にしてある。虫も殺せない気弱な人でも、軍隊という組織に入れば大量殺戮すら辞さない人間に変貌することだってある。自らを魅力や能力に欠けた人間と劣等心を抱えた人でも、組織というパワー アシスト スーツを身にまとい一定の地位や立場が得られると、人が変わったように自信満々のナルシストに変わり、立場の弱い人に居丈高に振る舞うこともある。 逆に、自己と組織の狭間で生じる相克によるストレスが高じ、うつ症状、さらには自殺にまで追い込まれる人もいる。そこまで追い詰められる前にさっさと組織を抜ければ良いのにと客観的な観察者は思うが、一旦組織を抜ければ社会との接点が断たれるような恐怖もあり、容易に組織を離れることができない。 このような例は枚挙に暇がないが、これらはみな組織に従属して生きる人間模様を象徴しているように思えてならない。シンギュラリティが現実化しAIによる人間支配は心配しても、すでに組織という非人格的存在に支配されていることに思いを馳せる人は少ないだろう。こう考えると、組織という存在は260年もの間に人間の潜在意識のなかに潜り込み、現代人の価値観のなかに血肉化されたと言っても良いかもしれない。 <集団で活動する人間には組織の存在はごく自然な本能である>と考える人もおられるだろう。

  • 韓国の”現金領収書”に学べること

    前のブログでも紹介したが、韓国では所得税を納めている勤労所得者とその家族は、総給与額の20%を超過する現金使用額の20%が、500万ウォンを限度として年末調整時に所得控除の対象となる『現金領収書』という税制度がある。この制度を導入した目的は店舗等における売上実態の確実な把握にあり、韓国の税収増に大きく貢献したと言われている。 仮に、わが国で同様の制度を適用した場合、どれほどの控除額になるのかを試算してみた。 2019年度家計調査年報によれば世帯平均消費額は389万円で、このうち住居費・光熱費・医療費・教育費・交通費などを除く物販などの一般消費額はおよそ236万円になるようだ。 これに対し、世帯平均年収は約552万円で、年収の20%といえば110万円になる。つまり、これを超える一般消費額は126万円となり、控除額はこの20%つまり一世帯当たり25万円が控除される計算になる。韓国では500万ウォン(約50万円)を上限としているが、上限まで控除される世帯は少ないだろう。 わが国の世帯数はおよそ4900万世帯のため、全世帯で約12兆円の税額控除となるようだ。 さて、12兆円の控除(歳入減)に見合うだけの収税効果が期待できるかが問われることになるが、3つの観点から検討してみる価値はありそうに思える。 1)法人税捕捉の確実性向上 いましきりと問題となっているネット販売に伴う所得把握には極めて効果的ではないだろうか。GAFAに限らず、電子商取引市場は年々拡大の一途をたどっている。とりわけ、コロナによる外出自粛の影響もあって、ネット取引への依存度はかなり増加している。トーゴーサン(給与所得者:10割、自営業者5割、農林水産業者3割の所得捕捉率)などと言われているが、電子商取引市場も含めた所得の確実な捕捉手段の確立は、税収増だけに留まらず納税の公平感の醸成にも大きく寄与すると考えられる。 2)消費意欲の向上に寄与 消費が控除に反映されれば、消費意欲の向上に大きく寄与すると考えられる。仮に控除額の上限を韓国と同等の50万円とすれば、上記試算では25万円だった控除額を限度額まで使うとすれば、さらに同額(126万円相当)までの消費が可能ということになる(もちろん可処分所得の多寡にもよるが)。消費が増えるということは、消費税による歳入(現行では20.3兆円)も増加することになる。つま

  • 日本人の思考回路

    今回から日々折々で感じた雑感を日記風に書かせて頂くことにします。 先ほどまでミュンヘンの知り合いとSkypeで話をした。こちらは早朝だが、あちらは夕食後のリラックスタイムのため、少々酒も入っていたようで思わぬ長話しになってしまった。 彼の話では、現地の雑誌に「2020大会に東京を選んだIOCは実に幸運な選択をした」といった記事を著名な教授が寄稿したという。要は、渡航制限でインバウンド需要が見込めない上、国民もテレビでしか接することのできない大会を受け入れた日本は、尊敬には値するが不気味さすら感じさせる国だといった論評だったのようだ。不気味な例として武士のハラキリ(切腹)を挙げており、対面を守るためには自らの死さえ厭わない文化が今なお色濃く残っているようだとも指摘していたそうな。彼は、その教授の指摘のように、パンデミックの最中にオリパラという大規模大会を許容した日本は、多くの欧州人にとって珍奇に映っており、我々だったら自国にとって何の見返りもないからと確実に尻込みをしただろうと言っていた。 この話を聞いて、外国人の目に映る日本について大いに考えさせられた。こう言われると、次回開催国のパリが「ありがとう日本」と横断幕を掲げたのも複雑な思いを感じてしまう。誰にどう思われるかを気にしても仕方のないことで、まして今更オリパラ開催を批判する意図は毛頭ないが、国内にいては気づかない自分の姿を外国人という鏡を通して見ることで、いろいろ気づかされることも多い。 特に、切腹まで例に出していたことは実に衝撃的だった。私が思うに、切腹の習慣は内と外を明瞭に分けたがる日本人の思考形態がもたらした仇(あだ)花(ばな)のように感じている。単に家の周囲を高い塀で囲うといった表面的なことだけでなく、内面(うちづら)と外面そとづら)、弊社と他社、仲間とよそ者などなど、内と外を分ける言葉は実に多彩である。本音と建て前などもその系列に属する表現かもしれない。内なる内面を律することで外なるものへの対面を守るという思考形態は、日本人のある種の美徳といえるのかも知れない。自分に厳しく他者に優しい人は、多くの場合尊敬の対象になる。 話は異なるが、以前のブログでも紹介した10年以上前にデンマークの個人情報保護委員会で言われた「日本人は自分の生命よりもプライバシーを大事にするのか?」という言葉が蘇る。既往症や投薬履歴など自分の健康に

  • デジタル時代の共同体社会

    地域循環型社会 今週は、前回のブログで述べたグリーンニューディールを、共同体(コモンズ)の視点から考えてみたいと思います。共同体のあり方が、「限りなき成長という従来の資本主義の考え方から脱し“健康・幸福・環境”という人間と自然にフォーカスする」というグリーンニューディールを決定づけると考えたからです。 もちろん一言で“共同体”といっても様々な性格があり、その示す範囲(スケール)も大きく異なります。性格では、地縁・血縁などをベースにしたゲマインシャフト型の共同体もあれば、利害を共有する狙いで結ばれたゲゼルシャフト型共同体もあります。規模も、趣味や共通の趣向で結びついたサークルに近いものから、欧州連合(EU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)のような国家間連合に至るまで様々な共同体が存在します。 では、最適かつ持続可能な人間と生活環境を実現することを目的とするグリーンニューディールにおける共同体は、どれほどの性格と規模感として考えたら良いのでしょうか? 曖昧な定義を避けるために、ここでは一つの仮説を設けたいと思います。その仮説とは『生産・分配・支出という経済循環が成り立つ経済圏』としました。もちろん、この仮説はグリーンニューディールのすべてが満たせる普遍的なものとは考えておらず、共同体で暮らす人々の生活欲求を満たす尺度の一つとして想定したにすぎませんが、実は、この経済循環による経済圏の考え方は、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部による『地域経済分析システム(RESAS)』から着想を得たものです。 RESASは、県や基礎自治体における地域内経済循環の状況を数値化し、ボトルネックや課題などを分析・検証するためにつくられた仕組みです。すなわち、地域内企業の経済活動を通じて“生産”された付加価値が、労働者や企業の所得として“分配”され、さらに消費や投資として“支出”され、再び地域内企業に還流するといった過程で、どの程度地域経済で循環しているかを数値で表現し、課題の所在などを分析するための参考データです。地域経済循環率が100%であれば経済的に拮抗した地域であり、割合が高いほど地域の『稼ぐ力』が高く、低いほど地域外に資金が流出していることを示しています。 このような地域内で経済を循環させることで経済の底上げを図ろうとする考え方は、発展が運命づけられた今日の資本主義の抱える矛盾へ

  • 人間中心の社会に向けて

    「欲望の資本主義」からの示唆 これまで、『幸福な社会とは?』について模索してきましたが、今回はこれまで3回の投稿のまとめも含め、今日の資本主義社会の観点から考察したいと思います。 2018年1月にBS1で放送された『欲望の資本主義』というドキュメンタリーをご覧になられた方は多いと思います。私も、冒頭で語られたヨーゼフ・シュンペーターの「資本主義はその成功ゆえに自壊する」というナレーションに思わず引き込まれ、メモを取りつつ集中して視聴しました。シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』を、学生時代以来久々に書棚から取り出して『第2部 資本主義は生き延びうるか』の部分を読み返しました。残念なことに番組のビデオは消去されていたためメモしか残っておらず、放送から3年を経たので少々記憶が薄れていますが、当時のわずかなメモを頼りに内容を振り返りたいと思います。 「資本主義は創造と破壊を繰り返すことで発展する。それゆえ、一度成功を収めたとしても、さらに新たな価値を次々と創出しながら成功を続けるしかない。飽くなき創造と破壊こそが資本主義のエンジンである。だから、人々は常に創造に駆り立てられるしかない」とのナレーションが番組の冒頭でありました。ちょうどトマ・ピゲティの『21世紀の資本』を読んだばかりのころで、「r>g」すなわち、資本収益率(r)は経済成長率(g)より常に大きいという法則に衝撃を受けた頃だったため、この指摘はかなり印象深く心に響きました。「世界全体で上位8人の富豪の資産が、下位50%(約35億人分)の資産と同水準だった」といったオックスファム調査の結果も紹介していますが、これもピゲティの主張と一致しています。 また、「レーガン大統領やサッチャー首相によって行われた新自由主義[efn_note]市場にすべてのコントロール権を委ねた自由主義型資本主義の新たな考え方[/efn_note]は、マネーパワーを解き放した資本主義上の革命であった」とのダニエル・コーエン[efn_note]フランスの経済学者[/efn_note]の発言も紹介していました。つまり、市場にすべてのコントロールを委ねたことでマネーパワーが万能の力を発揮できる環境が整い、“金融資本主義”への途を開いたということだと思います。 モノ(生産)が中心で経済が動いていたかつての工業生産主体の時代では、企業が労働者を守ることが存続上の

  • 財政の透明化とは?

    税の透明性 エマニュエル・サエズ教授・ガブリエル・ズックマン教授による共著『つくられた格差(2020年9月・光文社刊)』の冒頭で、興味深いエピソードを紹介しています。それは2016年9月26日のヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏の最初の大統領候補テレビ討論会でのエピソードです。 万全に理論武装して臨んだクリントン氏は途中まで着々と得点を稼いでいたが、次の話題で突然潮目が変わったと言います。その部分を引用します。 トランプは、1970年代初頭にまでさかのぼる伝統を無視し、納税申告書の公開を拒否していた。(中略)クリントンは、不動産開発事業で巨万の富を築いたトランプがこれまでにどれほど納税を回避してきたかを明らかにしようとして、こう述べた。「カジノのライセンスを申請した時に提出した納税申告書しか公開されていませんが、それを見る限り、彼は連邦税を一銭も払っていません」。するとトランプは、誇らしげにそれを認め、「それは私が賢いからだ」と返した。これにはクリントンも二の句が継げなかった。 何やらブラックユーモアのようなエピソードですが、大多数の国民にとって税金は負役以外の何物でもないという認識がもたれていることを如実に物語っていると思います。 財務省は、税金には次の三つの役割があると言っています。 公的サービスの財源を調達する役割累進構造等を通じ所得や資産の再分配を果たす役割経済安定化機能:好況期には総需要を抑制し、不況期には総需要を刺激することで景気変動を小さくし経済を安定化する役割 近年勃興しているMMT理論では、①の財源調達機能には否定的で、むしろ「発行する自国通貨に対して絶対的な価値を付与すること」といった考え方をとるようですが、いずれにせよ税制は社会の公平性・公正性を維持するうえでの重要な基盤であることは否定の余地はありません。 さて、前述のトランプ氏の暴論ともとれる発言が、なぜ大統領を選ぶ重要な討論会の潮目を変えるほどのインパクトを持ったのか?多くの方は疑問に思われると思います。どうもその背景には、彼が敬愛してやまないロナルド・レーガン元大統領の考え方が根底にあったようです。 <小さな政府による強いアメリカ>を前面に打ち出したレーガン政権は、極端な累進税性は経済活動の根本を毀損するという考えから新自由主義経済に大きくシフトさせたのですが、こ

  • 公正な社会とは?

    “社会の公正性”が持つ意味 前回のブログ『幸福な社会を考える』で引用した、国連による『World Happiness Report 2020』では、国家の幸福度を示す6つの指標の一つに『社会の公正性(Perceptions of corruption)』が挙げられていました。繰り返しになりますが、“社会の公正性”は政府の透明性を表す指標で、政府や企業における汚職実態が指標になっています。この指標でも、わが国は上位10カ国はもちろんのこと、31位にランキングされているシンガポールなどの国に大きく水をあけられた結果となっています。 つまり、公的機関が保有するあらゆる情報の公開を原則とする民主主義の先進国のなかではかなり劣ったランクに位置づけられており、少なくとも政治・ガバナンスの面では他のG7諸国と対等に肩を並べられる存在ではないという評価です。GDP世界第三位という経済力にモノを言わせて先進国の仲間入りは果たせたものの、政治や社会への信用力は極めて低いという指摘がこのレポートから透けて見えます。頼みの経済力も人口の急激な減少など負の要因によりV字回復への期待が薄まっており、今の状況のままでは後進国と目されるのも時間の問題だといった厳しい見方まであるようです。 国家が公正なガバナンスの下で運営されていることは国の信用力の指標にもなり、外交上の地位や海外企業などとの協業や投資が得られるだけでなく、国民のモラルやモチベーションを維持する上でも重要な要因にもなります。その顕著な例が、今日のコロナによるパンデミックにおける国民の受け止め方ではないでしょうか。 政府による再三の呼びかけにもかかわらず人流の減少が見込めないまま第5波に突入し、7月29日にはついに一万人を超えました。感染力が高いデルタ株の蔓延に加え、夏休みやオリンピックなどの諸条件が重なったことも災いしたと考えられますが、最大の要因は総理の発信力の欠如にあると考えています。それは、感染症対策分科会の尾身茂会長の「危機感が(国民と)共有されていないこと」という発言に凝縮されていると思います。先日の7月30日に発出された6都府県を対象にした緊急事態宣言での菅総理の会見を見て、あまりの発信力の弱さに暗澹たる気分を味わった方も多いのではないでしょうか。これは私個人の感想ですが、危機感が共有されない要因は、発信力などというスキル上の

  • 幸福な社会とは何か?

    今回は、<幸福な社会とは何か?>という少々哲学的なテーマについて考えてみたいと思います。“デジタル社会の展望”という極めてファッショナブルなテーマを扱う当ブログで“幸福とは?”といった根源的なテーマを選んだ理由は、これからの社会というものの目的をしっかり見据えておく必要があると考えたからです。言い換えれば、“デジタル社会”自体が、これから築かれる社会のための手段に他ならないと思うのです。その意味では、真っ先に取り上げるべきテーマだったのかもしれません。 今回は、その初回として“幸福度とは?”について考えてみたいと思います。 幸福度を測る指標とは? 私が学生時代を過ごした1970年代は高度成長期の真っただ中にあり、経済的な成長こそが幸福をもたらす唯一無二の指標だとされていました。 その一方で、高度成長がもたらした様々なひずみも社会問題として取り上げられつつあった時代でした。四大公害病[efn_note]熊本水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病・四日市ぜんそく[/efn_note]に代表される公害問題が全国に波及し、東京などの大都市の空はスモッグで灰色に覆われ、河川の多くは魚も住めず黒く濁って悪臭を放っていました。 それでも経済の成長神話は決して揺らぐことはなく、『モーレツ』という流行語が象徴するように、経済発展=所得の拡大こそが唯一の幸福につながる途といった共通の価値観で当時のわが国の社会は構成されていたのです。 もちろんこうした時代でも、“経済成長+所得拡大=幸福の実現“という考え方に異を唱える学者もいました。法政大学の力石定一教授などはその代表格で、当時の経済指標であったGNP(Gross National Products)に対し、彼はNNW(Net National Welfare)を指標にすべきと主張しましたが、産官学全てから一顧だにされなかったばかりか、社会問題化していた学生運動の首謀者とまで非難された[efn_note]力石教授は東京大学在学中の1948年に全学連(全日本学生自治会総連合)を組織したことから、こうした解釈が生まれたと言われている[/efn_note]ことを覚えています。東大の同期生で共に学生運動に身を挺した渡邊恒雄氏が率いる読売系のマスコミが「力石教授は今の近代社会を土とはだしの原始時代に戻そうとしている」などといった極端なキャンペーンを行っていた記憶も

  • 国民に受け入れられるデジタル改革方針とは

    政府のデジタル改革基本方針で感じる違和感 先週のブログで、政府骨太方針で次の時代をリードする新たな成長の柱の一つに「官民挙げたデジタル化の加速」が挙げられていると書きましたが、このベースとなったのが2020年12月25日に閣議決定された『デジタル社会の実現に向けた改革の基本方針』です。 デジタル改革基本方針では、「デジタルの活用により、一人ひとりのニーズに合ったサービスを選ぶことができ、多様な幸せが実現できる社会」というビジョンが掲げられていますが、率直に言って私には食い足りなさを感じています。 第四次産業革命とも称されるデジタルによる社会の変化は、18世紀の産業革命における蒸気機関にも匹敵する大きな社会変動をもたらすもので、今後どのような社会像を構築していくかのビジョンが最も問われる課題だと思います。残念なことに、上記デジタル改革基本方針も、さらにこれに先立ち2020年3月31日に技術検討会議が決定した『デジタル・ガバメント実現のためのグランドデザイン』でも、この点における明確なビジョンの提示が欠落しているように思えてならないのです。 デジタル改革基本方針には『何のためのデジタル化か』と題する節があり、それを受けて「デジタル化は目的ではなく手段に過ぎない」と述べています。これは至極当たり前の指摘ですが、その後の記述は「デジタル化によって、多様な国民がニーズに合ったサービスを選択でき、国民一人ひとりの幸福に資する『誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化』を進めることとする」と書かれているのみで、羊頭狗肉の感を禁じ得ませんでした。つまり、冒頭で手段であると断っておきながら、その直後には手段であるはずのデジタル化を『誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化』という曖昧な表現で濁しているように読め、肩透かしを食った気分になります。これでは、何のためのデジタル化なのか?という重要な問いへの答えにはなっていないばかりか、文章自体が自己矛盾を生じているようにしか思えません。 その他、全般的に観念的な記述ばかりが目立ち、デジタルによって何を実現したいのか?どのような社会を築こうとしているのかが一向に見えてきません。「多様な国民がニーズに合ったサービスを選択でき」という表現も、国民の意思を尊重した表現というより、国民任せのような感じすら抱いてしまうのです。 この文書の肝は、やは

  • 安心・安全なネット利用環境に向けて

    増え続けるネット犯罪 まずは、先日私に届いたメールをご覧ください。 ともに銀行から発信のメールですが、『三井住友カード』と書かれたメールは巧妙なフィッシングメールです。ちなみに、メールの中身は次のように書かれています。 *** 三井住友カードをご利用のお客さま利用いただき、ありがとうございます。このたび、ご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、誠に勝手ながら、カードのご利用を一部制限させていただき、ご連絡させていただきました。つきましては、以下へアクセスの上、カードのご利用確認にご協力をお願い致します。 *** ここで不用意にURLをクリックして要求項目に入力をすると情報が盗られてしまうことになります。 こうしたメールの真偽を確認するには、メール差出人のアドレス(このメールの場合は“三井住友カード <srnbc-co-jp@ejafyajk.asia>”と書かれていました)を確認することが最も確かな方法ですが、少々面倒な上ネットの知識がないと難しくもあります(このメール発信元のドメインは“.asia”となっており、いかにも怪しげでしたが)。 一方、三菱UFJ信託銀行からのメールは一見して正しいメールと分かります。それは、電子署名とS/MIME(Secure/Multipurpose Internet Mail Extensions)が付与されていることから確認できます。ただ、こうした成りすましやフィッシングメールに対する安全性措置が、一般にあまり浸透していないことは事実です。また、証明書を取得するには費用が掛かるため、金融機関など一部機関を除き大半のメールには反映されていないことも事実です。 下のグラフは、警察庁が公表した『令和元年の犯罪情勢』からネット犯罪に係る検挙数の推移ですが、年々増加傾向にあることが見て取れます。ただし、この件数は刑事告発され検挙に至った数であり、未遂もしくは立件に至らないケースも含めると氷山の一角でしょう。それ以外に数字には表れないSNSなどによるいじめや炎上などを含めると、この数十倍は生じていることになります。 また、同資料には2019年9月に全国15歳以上の男女1万人を対象に行ったアンケート調査結果もまとめられています。それによると、過去1年間にサイバー犯罪の被

  • 社会保障を中心にOECD主要6カ国と比較する

    国民皆保険制度、生活困窮者への手厚い保護など、わが国の社会保障制度は世界的にも充実した制度と言われています。一方で、高齢化の進展や生産年齢人口の減少など、社会保障財源が今後ますます高騰しており、財政へのインパクトが日々高まっていると懸念もなされています。 そこで、今回はOECD主要6カ国が公表しているファクトデータに基づいて、社会保障に関連する様々な実態を客観的に比較したいと思います。対象とした6カ国は日本・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデンです。 税収構造 まず、財務省『国際比較』に基づいて、2018年時点の国税と地方税を合算した税収の税目別構成比について考察します。 このグラフから、わが国の税収構造は、個人所得税と消費税の割合が少ない反面、法人所得税の割合が大きいことが分かります。 また、同資料によると国税と地方税の割合(直間比率)にかなりの相違もあるようです。 上表ではスウェーデンが抜けていますが、スウェーデンの税収構造は下図のようにかなり複雑になっています。 すなわち、地方税率は固定ですが、国税は年収が約22万クローネに満たない世帯は免除され、それ以上の所得世帯は年収に応じた税率が定められています。消費税の税率は25%ですが、6%[efn_note]交通機関(バス、タクシー、電車、国内飛行機)、コンサート・サーカス・映画・劇場・バレエ・オペラ、図書館・博物館・動物園、スポーツイベント、書籍・新聞・雑誌、CD・カセットテープ・楽譜、地図が対象[/efn_note]と12% [efn_note]食料品・飲み物(アルコール度数の低いビール含む)、宿泊費、レストラン飲食・ケータリング、キャンプ施設利用が対象[/efn_note] の軽減税率が適用されています。 また、アメリカの直間比率はわが国以上に国税の割合が大きく、税収に占める個人所得税の割合も54.7%と極めて高い国ですが、所得水準に加え養育対象の子どもの数に応じた税額控除が行われています。 アメリカの税額控除と類似した仕組みは、イギリスの就労税額控除[efn_note]フルタイム就労への移行を促すために、カップルのうち1人が最低週30時間就労するか、1人の就労時間が最低週16時間で2人の就労時間が合計で最低週30時間となる場合には、控除額が追加

  • 好循環な経済社会に向けた課題

    Where does our public money go? 長期化するデフレからの脱却を目標に安倍前政権が掲げたアベノミクスですが、肝心の持続的な経済成長軌道には乗れていないようです。下の絵のように、“大胆な金融緩和”や“機動的な財政政策”が、“民間投資を喚起する成長戦略”に向けたジャンプ台だとすれば、大量に投入された公的資金は、経済の成長戦略にどのような効果をもたらしたのでしょうか? コロナ・パンデミックにさらされている今日で成長戦略などを考えるの時期尚早だと言われる方もおられると思いますが、コロナ後を見据えた社会のあり方への模索は、今だからこそ必要ではないかと思います。そこで今回のブログでは、公開されている各種経済指標をもとに、依然として成長軌道に乗ることができないわが国の経済環境について私なりの考察を試みたいと思います。 さて、全銀協は、『全国銀行 預金貸出金速報』を毎月公表しています。この資料から、2010年度から2020年度までの総預金と貸出金の年度ごとの実績をグラフにしてみました。 貸出金の対前年度伸び率(オレンジ色の折れ線グラフ)に注目すると、2010年度ではマイナス水準だった伸び率が、アベノミクスが開始された2012年度に至るまでが急拡大したことが見て取れますが、それ以降はほぼ一定の伸び率をキープしているようです。2020年度に再び急拡大したのは、コロナ禍による緊急融資制度による運転資金貸出しによるものが大きいように思われます。一方で、総預金の伸びはかなり順調に推移しています。 また、日本政策金融公庫が公表している『融資実績推移』では、年を追うごとに融資実績が下降傾向を示しています。 景気拡大局面にあったにも関わらず生活水準が伴わなかった理由は、総務省統計局の『国民経済計算』の数値にそのヒントがみられるように思います。下のグラフは、国内総生産(支出側)と民間最終消費支出に物価水準を含めたものですが、2013年下期を境に物価水準だけが上昇軌道にあることが見て取れます。 つまり、平均的な国民の多くは消費支出をなんとか抑えながら家計をやりくりしている生活実態が見えてきます。これが、戦後2番目の長期好景気と言われる経済状況下においても、生活実感としてそう感じられなかった理由の一つではないだろうかと思うのです。

  • パンデミックが社会にもたらしたもの

    コロナパンデミックを教訓に、医療体制を中心に今後のデジタル活用について考えた

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