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三重の法務労務コンサルタント https://nakanishiy21.hatenablog.com/

・機械部品メーカーに約35年間勤務し、主に総務・経理・人事・法務業務に従事。 ・所有資格 行政書士 社会保険労務士 ファイナンシャルプランナー(国内資格、国際資格)など

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2021/05/05

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  • 男女共同参画社会について

    女性の社会進出を推し進めるために、1999年(平成11年)に「男女共同参画社会基本法」が制定・施行されました。 この法律で、男女共同参画社会とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」と定義されています。また、この法律は男女共同参画社会を実現するために、次のような理念を掲げています。 ・男女の人権の尊重 男女の個人としての尊厳を重んじ、男女の差別をなくし、男性も女性も1人の人間として能力を発揮できる機会を確保する。 ・…

  • 高杉晋作・坂本龍馬とその妻たち

    高杉晋作は1839年8月に、長州藩士、高杉小忠太(200石の上級武士)の長男として生まれています。 1852年に藩校の明倫館に入学し、柳生新陰流の剣術も学び免許を皆伝されています。 1857年に幼いころからの知り合いだった久坂玄瑞の勧めで吉田松陰が主宰していた松下村塾に入り、久坂玄瑞と共に松下村塾の四天王と呼ばれた俊才でした。 1858年に藩命で江戸へ遊学し、昌平坂学問所などで学びますが、1859年に師匠の松陰が安政の大獄で伝馬町の牢に投獄されたため、獄中の師の世話をするのですが、藩命で長州へ帰る途中、松陰は処刑されます。 晋作は30歳までは結婚しないと宣言していたそうですが、1860年11月…

  • 織田信長

    NHKの大河ドラマなどはたまにしか見ないのですが、何年か前に途中から時々見た時に、信長のそばで正室のようにふるまっている女性がいて最後に本能寺の変で信長とともに薙刀をもって戦っていたので、この女性は誰のことかと思って見ていたら、ほとんどありえない濃姫だという設定だったことを知って少し驚きました。 織田信長の場合は、他のほとんどのドラマでも相当史実とは違うように脚色されているように思います。 信長と濃姫の結婚は典型的な政略結婚で、1548年に斎藤道三と織田信秀が講和を結ぶことになり、翌1549年に14歳だった道三の娘帰蝶(濃姫)が15歳だった信秀の子信長のもとに嫁いだといわれています。信長と濃姫…

  • ヘンリー8世と6人の王妃

    以前、図書室で読んだ雑誌に、英語を上達するには学校での英語の学習のように知らない単語を辞書を引いて日本語に訳すのではなく、英語を多読して英語を英語のまま理解する方が良いと書かれていたのをみて、その教え通りにほぼ1年間1日2時間ほど辞書を引かずに、特に内容のわからない本や面白くない本は無理に読まずに、面白そうな英語の短編小説などを読んでみました。 実際に1年間英語の本を読んでみて感じたのですが、辞書を引くと本を読むのに時間がかかることや、辞書を引くために何度も読むのを中断すると面白くなくなってしまうことや、英語を英語のまま理解せず日本語に訳して理解しようとすると原文の意味が少し変わってしまうこと…

  • 私の親父

    私の親父は、大正2年に、香川県西部の三豊郡常磐町(現在は観音寺市)という所の小作農家の家に生まれています。 親父は6人いた兄弟姉妹のうち3番目で、兄と姉と、3人の妹がいました。 親父の若い時代の話は、親父自身や親戚の叔父さん・叔母さんやおばあさんなどに聞いたことですのでどれだけ本当かは分からないのですが、次のような内容でした。 親父の小学校時代は、小作農兼馬引き(今のトラックの運転手のようなもの)をしていた厳しい父親と、病弱な優しい母親と、いつも母親を苛めていたらしい姑がいて、学校の成績は良かったのですが悪ガキだったようで、よく学校からの帰り道に別の村の子とけんかの約束をして、翌日の朝3時に起…

  • 日本人の宗教観

    私の小・中学校時代の頃の話ですが、我が家は祖母と両親と兄弟4人の7人家族の家庭でした。 当時、我が家には近所の家と同じように大きな仏壇と神棚があり、かまど(炊事場)にも小さな神棚があったのですが、毎晩ご飯が炊けるとまず我々が夕食を食べる前に、祖母がそこに新しいご飯とお茶をあげて、ろうそくに火をつけて神様や仏様やご先祖様にお参りをしていました。 私の祖母は心の優しい人だったようで、仏教の影響もあったのか動物は可哀想だから殺して食べてはいけないと思っていたようで、魚は食べても肉は絶対に食べなかったようでした。 祖母はよくお墓にも線香と花を持ってお参りに行っていましたので、かなり熱心な仏教徒で、同時…

  • 親鸞と蓮如

    浄土真宗の宗祖といわれる親鸞は、平家の全盛時代であった1173年に京都の日野の里で、日野家という貴族の家に生まれました。 親鸞が8歳の時に以仁王の令旨を受けて源氏が全国で挙兵し、戦乱に巻き込まれて都は飢饉に襲われています。 このような乱世の中で、親鸞は9歳の時に出家して比叡山にのぼり僧侶となっています。 親鸞は29歳の時、20年におよぶ修行生活をしても叡山では悟りに至る道を見出すことができなかったことから、山を降りて京都の六角堂に百日の参籠をしました。そして、95日目の夜、夢で救世観音のお告げを受けたといわれています。 「行者、宿報にて説い女犯すとも、我、玉女の身となりて犯せられん、一生の間能…

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