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2021/04/19

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  • 第二回目の抗がん剤投与が始まった

    大雨の予報だったが降った様子はなかった。というのも8時から14時までずっと病院の外来処置室で点滴を受けていたからである。同室にはベッドが10台くらいあって、今日は私を含めて4人が点滴治療中だった1人は私同様元気そうだが、あと2人は家での生活も厳しいらしい一人は時間的に39度台の高熱が出ては引くとかで、そのほか食欲だとか体調だとか良くなく、常に体がこわい(たいへん)と言っていた。もう一人は食道がんらしく、胃ろうで直接栄養を管で送っている水もなかなか喉を通らなくてたいへんだという何より体力が無くて、ほとんど寝ているから尚更筋肉が落ちていくらしい病室でもトイレに行くとき、突然崩れ落ちて一時騒然としたが落ち着いた今日の患者は全員抗がん剤点滴である、しかし治療のスパーんは皆子となっているらしい。さて私はと言うと、事...第二回目の抗がん剤投与が始まった

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (155) 長尾家 68

    人馬共に充分休養した新発田、斉藤、小越の府中勢は安田城を発進して次なる敵地、菅名(すがな)の砦に向かったここを守備する大将は蔵王堂民部少輔、彼の父は三条の長尾平六郎俊景に味方して、平六郎の黄泉への先駆けとして猛威を振るって討死した蔵王堂式部少輔息子の民部少輔が父の後を継いで城将となっている民部少輔もまた父に似て勇気凛々の大将であれば、敵を見ること塵芥のほどに思えば少しも怖れず迎え撃つしかし、城兵は安田、村松の落城を逃げ込んできた敗残兵から聞いていて力を落していた。兵も僅かであり、頼みにしている三条の金津、黒田は一向に救援に来る気配なく「黒田、金津は我らを捨て殺しにするつもりと見える」などと語り合い「これでは我らもまた全滅の憂き目を見ること疑いなし、ここは降参するのが得策であろう」と大将の居ぬところで衆議一...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(155)長尾家68

  • ピーマン

    畑を始めて2年目、昨日初めて作ったピーマンが三個収穫できたピーマンの不思議な感触と光沢が好きだ、これがナスならとても食えたものでない、へんに潰れていてそのくせ肉感があって、切って見れば果肉があるわけでなく空洞の中は種しかない。食べてみてもシャキシャキしているだけで、甘くも苦くも無く匂いは嫌いじゃない、ただただ新鮮で緑の光沢が好きで、包丁で細切りにするときの感触が好きでそれとシメジと溶き卵をオリーブオイル少し引いて軽く炒めて、韓国粉唐辛子で辛み、塩コショウで味付けして御飯のお供にする韓国粉唐辛子は自家製で10数年前に韓国人にもらったもの、今もなお重宝している冷凍庫にしまっているが、凍らないのですぐ使える、水分0%のさらさらだからだ、腐ることもない、カレーが甘口の時に、これを少し入れるだけでピリ辛で味が締まる...ピーマン

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (154) 長尾家 67

    新発田勢は安田の城を囲むと、休む間もなく攻めかかる城の大将、篠塚宗左衛門は精鋭を城外に繰り出して新発田勢に突きかかり四方八方で打ちかかれば、新発田勢は叶わず後退する、さらに篠塚勢が新発田勢を追うところに、小越平左衛門勢が攻めかかれば、今度は篠塚勢が新手に敵い難く城内に逃げ戻る「それいまぞ付け入れ」と下知して追いかけるが、城方は城門を固く閉ざして雨あられの如く鉄砲を打ちかけたので、城門に押し掛けた小越の騎兵たちまち二十騎、打倒される篠塚勢の守り固いことを知り、寄せ手は急な攻め方をあきらめて遠巻きにしながら、各陣を固めることとした村松の要害を攻め落とし大将を討ち取ったことで安田が孤城であること、敵は必死で無理攻すれば味方の損害が増すこと、それゆえに遠巻きにして敵の兵糧尽きて弱るのを待つ考えである。しかし数日た...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(154)長尾家67

  • 季節と暦が一致しない

    この頃、自分の中で暦と季節が一致しなくなってきた梅雨の季節が頭にあって、梅雨と言えば6月末のイメージが焼き付いているだからジトジト雨で蒸し暑い季節は夏の前と思ってしまう私の中で夏のイメージは青い海、高い入道雲、暑い日差し、夏祭りと花火、麦わら帽子、かねタライで冷やしたスイカ、アイスドリアン、盆の墓参りと提灯暦を見れば間もなく8月、今が夏でなければいつ夏なんだ?梅雨は明けたのか?近くの県まで明けたと聞いたがだから私の頭の中の季節感がくるってしまう、まして日曜日しかないカレンダーで生活しているから尚更だ。7月が悪い、大雨が降ったりでカラッとしないから夏らしくないたぶん連日猛暑の今が夏真っ盛りなんだろうけど、なんかせわしなくて夏の気がしないきっとこれも時代なんだな、何事においても季節感が無くなっているそんなわけ...季節と暦が一致しない

  • 大相撲名古屋場所 千秋楽 今からテレビを見ます

    幕下から序の口まではすでに13日目に優勝が決まっていた、後は十両と幕内が千秋楽まで優勝がもつれている十両では白熊とウクライナの獅司が3敗で並び、伯桜鵬が4敗で続いているそして千秋楽は獅司と伯桜鵬が直接対決、この3人は全員私の推しなので全員に優勝させたいがそうはいかない気持ち的にはウクライナ人の獅司を優勝させてウクライナに明るいニュースを届けたい伯桜鵬はすでに幕内上位の力を持っている、獅司と白熊は今場所大いに力をつけ相撲の型も決まったてきた、これからが期待できる、白熊が優勝すれば新入幕の可能性も出てきた幕内優勝は照ノ富士が勝つか隆の勝が負ければ10回目の優勝決定隆の勝が大の里に勝ち、照ノ富士が琴櫻に負ければ優勝決定戦にななる照ノ富士は不思議な横綱だ今場所を含めて2年間12場所で15日間戦ったのは3場所だけそ...大相撲名古屋場所千秋楽今からテレビを見ます

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (153) 長尾家 66

    長尾晴景が生害したあと越後の大半が治まったが、未だ下越後中心に黒田和泉守、金津伊豆守らの逆徒は健在で、城塞に籠り近隣の郷を襲っては資財を奪い、百姓を害していたので、府内や栃尾にはそんな嘆き訴える訴状が多く届いた。景虎は、それに応えて野守主馬、村山与七郎に兵を与えて村松の城の抑えに派遣したが、城兵は強く逆に府内勢が敗北することが多かった野守、村山は府内にしきりに援兵を願った。そこで下越後の有力者である新発田尾張守、斉藤八郎、小越平左衛門を村松に援軍として送った斉藤八郎には安田の城の抑えとして置き、小越平左衛門先陣に村松の城を攻めさせた城方の野本大膳、福富三平、野本一学は精兵の射手にさんざんに射らせれば、寄せ手は射すくめられて早くも引くところ、小越平左衛門はこれを見て大いに憤り、「恐れることこそ卑怯なり」と自...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(153)長尾家66

  • 嫌いだった病院が好きになって来た

    去る7月2日、6月25日のMRIでの肝臓などへの転移検査結果と9日からの抗がん剤点滴の入院の説明を担当医に聞きに行った転移は認められなかったので結果は「ステージ3に限り無く近い2」と言うことで、抗がん剤投与は患者の自由意志と言われたが、何もしないで万が一があれば嫌なので承諾したもっとも抗がん剤投与で転移が100%ないかと言えば、そうでないこともあると医師は言ったあれこれと副反応の危険性を説明したが一度決めたら副反応がゼロでも100でも同じことだと承諾のサインをした、転移の可能性は少なくなるが副反応の危険性は大いにあるのだ、ある意味、コロナワクチンの接種に似ていると思ったその時に、気になっていた足の炎症と虫歯の進行の二つを抗がん剤治療と並行して行う方法を相談したなにしろ副反応がどうでるか未知なので、判断がつ...嫌いだった病院が好きになって来た

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (152) 長尾家 65

    長尾晴景の愛妾藤紫は、佞臣徳山右衛門尉、朝倉備中、原掃部ら十五人で城を逃れ出たが一晩中山中をさまよい逃げて、朝になるまで何も食わずにいたので空腹に耐えかねていたところ、山間地の集落を見つけて食べ物を乞う。されども百姓の中に徳山と原を見知っていたものが居て、たちまち大勢の百姓が竹槍、鎌を携えて取り囲んだ。「汝らは日頃より、我らを大将の下知と偽って百姓を苦しめたことを忘れたかそこの女こそ愛妾藤紫であろう、この毒婦めは己の慰みに百姓の夫婦を害した恨み、この場で晴らしてやる、今こそ思い知るが良い」たちまち百姓らは、それぞれの得物で落ち武者らを打ち据えれば、たちまち六、七人を打ち殺した徳山と原は藤紫を連れて、這う這うの体で裏山を上って逃げたが百姓たちは追い上げて追いつき、ついに三人を打ち殺して年月の恨みを晴らしたと...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(152)長尾家65

  • 炎天下の鳥

    暑いのなんの、昼時だし鳥さんも木陰でお休みと思ったが、野鳥観察センターへ足を延ばして行った。倒れそうなくらい道路からの照り返しあり、「やめとこうか」とくじけそうになるが、それほどの距離でもないし案の定、鴨が一羽泳いでいる、いつものサギが一羽だけぼ~っと立っているそれしかいない丸い目、黄色い瞳は「タチウオ」にそっくり駐車場に戻ったら、なにかスズメ大の変な鳥がうろついていたのでパチリなんだこれ?始めて見た図鑑を見たら顔の黒い模様や大きさ、くちばしが夏の渡りの「さんしょうくい」に似ているが?う~~んSwanne江利チエミ炎天下の鳥

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (151) 長尾家 64

    城門の閂を破れ諸将はこれに続いて一同に攻め寄せれば、城兵は攻め立てられてもはや防ぐ術もないここにおいて松本隼人、殿原豊後守、下司越前守らは相次いで討死となったそのほかの兵は二の丸に逃げ込んだので、景虎勢も二の丸を襲う、それを防ごうと立ち止まり奮戦した大河原監物も討ち死にとなった監物が持ちこたえていた間に城兵は二の丸の城戸をしめて大木、大石を攻め手に投げて戦ったが、勢いは今や景虎勢に在り城戸をたちまち壊して攻め詰めた長尾晴景は二の丸、三の丸と破られ「もはやこれまで」と自害しようと思ったところに、景虎の使者、神余越前守がやって来て言うには「景虎は晴景殿を恨み、府内を横領しよとする心など全く持っていない、それは君が心悪しき讒者の言を信じて、某を恨んだだけのことである某に何の罪があったでしょうか、君は酒色にふけり...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(151)長尾家64

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (150) 長尾家 63

    山村右京が敵陣へ挑みかかると、新発田尾張守も「つづけ」とばかりに長尾武蔵勢に攻め入る、そして武蔵勢五百騎を挟み撃ちにすれば、武蔵勢は東に西に討ちかかり戦ううち三百騎が討死となった、そして長尾武蔵守もついに山村右京に討たれて討死となる。この時、府中勢の刈羽、泉澤、唐崎、庄瀬、大崎、大河、上田、丸田、志賀などの諸軍は景虎方の直江、竹俣、杉原、永井、柿崎らの軍勢と各方面で戦っていたが、武蔵守討死と聞き、急に戦意を失い切り崩されて敗走した中でも泉澤河内守、唐崎左馬介、庄瀬新蔵、大崎筑前守、大河駿河守はもとより晴景の暗弱を疎んでいたので、たちまち冑を脱いで景虎に降参した。長尾晴景はついにここも支えきれず、這う這うの体で府内の城に逃げ帰ったそして総曲輪の四方の門を固めようとしたが、すでに降参、逃走した諸隊が多く兵が足...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(150)長尾家63

  • 土用丑の日、うなぎの日

    昨日の記事です毎食毎食、野菜を食べ続けている玉ねぎ、人参、大根、白菜、キャベツ、キューリ、ナス、椎茸、これらを一度に入れて軟らかく煮てコンソメスープで食べているお陰で胃腸に負担がかからず、手術後でまだ大腸に不安を持っている私の役に立っている野菜だけでは健康には良いが、スタミナやパワー面では不足気味だから、この頃は牛肉、豚肉のしゃぶしゃぶ用や、ヨーグルト、牛乳、蜂蜜なども食べる病院食はさすがにもう卒業してよいだろう、それでもラーメン、トンカツ、天ぷら、パスタ、ステーキ、コンニャクなど腹にもたれるものや、キムチなど辛みのもの、生野菜は未だに食べない、アルコール類や本格コーヒー、紅茶も呑まない。今日は丑の日でビタミン豊富なうなぎを毎年食べていたが、今年の私は脂があるうなぎを食べてよいやら悪いやら迷っていたが、さ...土用丑の日、うなぎの日

  • 大谷2安打3打点 大の里は横綱照ノ富士を破る

    大谷がタイムリー安打、タイムリー二塁打で3打点、チームの5連勝の演出をした他は3三振で、いかにも大谷らしい。ドジャースは今季最多勝ち越し20になった。大相撲名古屋場所11日目は、10連勝で独走の横綱照ノ富士に、5勝5敗と期待外れの大の里が挑戦、がっぷりから大の里が引き落としで照ノ富士に土をつけたこれで照ノ富士には連勝、土俵に向かって数十枚の座布団が舞い飛んだ波乱となった。2敗で追っていた大関琴櫻は、大関復帰に後がない霧島にあっけなく破れて3敗相変わらず照ノ富士とは2差のまま。残るはあと4日、照ノ富士は自力で3勝すれば文句なしの優勝、霧島は4連勝すれば大関に復帰できる、貴景勝は4連勝すれば大関を維持できる大の里も4連勝で二桁になり来場所の大関とりに希望がつながる3人の中で、4連勝で望みをつなげる力士が出るだ...大谷2安打3打点大の里は横綱照ノ富士を破る

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (149) 長尾家 62

    勇み立つ味方の先陣の先を見ると、天衝の指物は長尾武蔵守であった武蔵守は武功秀でたる歴戦の勇士、景虎はこれを見定めると先陣の諸将に遣いを出して「あの旗印は長尾武蔵である、勝ちに誇って無謀の合戦をするべからず、守りを固めよ」と戒めた味方の先陣はこれを聞いて歩みを止め、守りを固めたのち山村、新発田、大熊の先鋒が長尾武蔵の陣に攻め寄せた。武蔵守は馬印を押し立てて五百騎あまりを左右に従えて大熊勢の中に突入左右に奮戦して切り開けば、大熊勢は勢いに押されてたちまち後退した脇備えの山村若狭守は三百騎を従え真っ先に進み、武蔵守の横合いより攻め寄せる、武蔵守勢もこれに応じて勇気を奮えば互いに油断なき激戦となる中でも魚住十郎左衛門と名乗り近寄る敵を十ニ、三騎薙ぎ倒す山村勢の中からも石島隼人が大太刀を振るって魚住に斬り寄せる石島...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(149)長尾家62

  • 簡単便利で複雑面倒な時代

    キャッシュレス時代だという都会の駅の改札口は、出入りの人々がせわしくスマホタッチで立ち止まることなく行く、田舎ではそのような改札機械はなく、駅員が一人一人の紙の切符を確認して判を押すそもそも人口10万人以下の市町村の駅の大部分は無人駅で、切符すら売っていない、ワンマン電車の中で整理券を取って、降りる時に運転手が現金を受け取る仕組み、逆に機械化した都会人は支払方法に面食らうだろう。田舎は未だ現金主義なのだ但し、コンビニチェーンやスーパーなどはキャッシュレ決済がどんどん進んでいる、少なくともクレカ以上が普及しつつある私も春までは100%現金払いだった、4年前まではゴルフ場や紳士服の店などではクレカで払っていたが、小売店では現金だったそれが悪評のマイナンバーの2万円分ポイントに目がくらみ(仕組みを知って結局12...簡単便利で複雑面倒な時代

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (148) 長尾家 61

    そのころ長尾景虎は米山峠の頂、米山寺に追い上がりここで陣を張った縁側を巡り、金津新兵衛を呼んで其の手を取り「汝も覚えて居ろう、我七歳の時、父に憎まれ、兄晴景に陥れられ府内を追われ、汝の背におぶさり、この堂にたどり着いたとき、この恨みをいつか晴らそうと、ここを陣所にして敵を討たんと言ったが、果たして今日それが実現した」と言えば新兵衛も涙をハラハラと流し、「誠に思い出しました、幼き時より戦略戦術を考え賜うこと只の人ではあるまいと思っておりましたが、今日こうして見事に思いを遂げられ、某も今日まで生き延びてこれを見ることが出来たのは限り無き喜びでございます」と喜んだ。新兵衛は傍らで二人の様子を唖然として見ている宇佐美と本庄に向かい11年前の主従の誓いを話して聞かせれば、二人共舌を巻いて驚く宇佐美は景虎の本陣から戻...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(148)長尾家61

  • 30年前に準備した老後対策1

    老後の楽しみに40代からテレビ番組をDVDに録って溜め置いたその枚数は700枚くらいになる、三倍だと6時間だから全部見るなら4500時間くらいか、一日3時間見て1500日かかるから毎日三時間でも4年か!78歳、メジャーリーグ、相撲、連ドラも見るから考えただけで無理なのがわかる老後の楽しみにと録ったが、今がその時になった、要するに無職になって時間を持て余すときが私の老後だ。録画したDVDの70%は韓ドラだ、40代、50代は韓ドラにどっぷりで、NHKの韓国語講座やテキストCDで韓国語を勉強して、新潟、富山、小松から何度も韓国に飛んだ時期もあった。キム・ハヌルチェ・ジウイ・ヨンエパク・ウネイ・ビョンホンソン.スンフォンなどのファンになり、最後はソン・イェジンにハマった。春先に朝鮮戦争が舞台の「ロードナンバーワン...30年前に準備した老後対策1

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (147) 長尾家 60

    松本大隅が弾に当たって討死すると、これに代わって色部修理の八百騎が取って返し突き立てれば、これに対して景虎の旗本、鬼小島、荒川、城、甘粕、萬願寺、奈弥、槍先を揃えて無二無三に突き立てる。色部勢からも玉置備中、水谷郷左衛門、藤三左衛門、富永式部らの勇姿、ここを守らんと火水になって戦うされど景虎勢の勢いはとどまること知らず、血の浪を飛ばして突きかかれば、色部勢もこらえきれず、富永、藤が討死、玉置、水谷は叶わじと馬を返して逃げるところに、長井上総介が六尺あまりの槍を引っ提げて声をかけて水谷郷左衛門に突きかかる。これに郷左衛門も答えて馬を返して、ただ一突きにしてくれると槍を合わせる互いに雷の閃くほどに槍を打ちあえば、長井の槍が松の木に突き刺さり、抜くことならず槍を捨て「いざ組み合わん」と言えば、水谷も剛の者なれば...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(147)長尾家60

  • 35度越えの猛暑になったぞ

    ここ数日は激しい雷雨から一晩中土砂降りにして夏祭りをおじゃんに下かと思えば、今日はかんかん日照りの暑さで33度を超えた、さすがに今日は早くから除湿モードで昼間は昼寝かDVD映画の鑑賞、そして野球に相撲で一日終わりかな昼食後、庭を見たらカランコエの花壇はカラカラに乾いている、畑を見れば巨大キューリが見える今日の富山市は最高温度38度になるらしい、すでに35度くらい行っているのだろう、とにかく暑すぎる畑に入れば巨大キューリが3本あった、2日間の大雨でホオッテおいたら一気に大きくなった、30cmくらいあるナスは一部ひび割れ、一個だけ収穫した、今年は全体的に低調だ、私がほぼ一か月畑をかまえなくなったことも原因だスイカの失敗にはがっかりしている。入院前は枝分けもうまくやったし、今年はスカッと整理したのに入院して予定...35度越えの猛暑になったぞ

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (146) 長尾家 59

    景虎の栃尾勢は、柿崎を目指して米山峠の麓に差しかかった府内勢を勢いのまま追っていたが、景虎は突如として進軍を止めよと下知したそして「少しばかりくたびれた、ここで一休みいたすゆえ汝らも息を休めよ」と言い、近くの小屋に入り寝てしまった。これを聞いて宇佐美駿河守がやって来て、小屋に入り景虎を起こそうとするが、冑を枕に高いびきのまま、少しも起きる気配がないこれには宇佐美もあきれ果て、外にいる本庄と顔を見合わせ「今この時こそ、逃げる晴景勢を米山にて追いつき討ち滅ぼすべき機会であるのに、ここで時を無為に過ごすとはいかなる思案であろうか」と互いに苛立つ「この絶好の機会を逃せば晴景らは府内の城に入る、そうなれば数が少ない我らは、守り固い府内城を落すことは不可能となろう、それどころか晴景が下越後の者どもに我らを挟み撃ちする...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(146)長尾家59

  • 病気の便り

    同年代の福井の知人から4年ぶりに手紙が届いた。越後、北陸路を歩き続けた商売人である、知的でエレガントな人物、達筆で味わいある筆字は「もらってうれしい年賀状」でも紹介した。内容は廃業の知らせだった、コロナで往来と商売がママならなくなり休業していたが、その間に腎不全や脳梗塞などいくつかの数値が悪化していることがわかり、精密検査で脳動脈瘤も発見されたとのこと。ようやく商売再開という気運になった頃、長距離運転が不可能になり、さらに悪化した動脈瘤の手術、それで廃業を決めたという年齢も70代、きっぱりとあきらめたらしい。毎年楽しみにしていた年賀状が4年間途絶えていたのは、このような事情だったらしいこうして内情の知らせが届いたことで彼の義理固さが再び蘇った私も70代半ばで大腸がんが発見された、これまで何一つ不自由がない...病気の便り

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (145) 長尾家 58

    大雨は連日降り続き、三日の間互いに軍を留め置いたが、雨が少し止んだのを見て栃尾勢は下浜に押し寄せた。大将景虎は、杉原常陸介、須田大炊(おおい)、千坂対馬、北条丹後守を左右に並べ鬨を挙げて鉄砲を激しく撃ちかけたその煙りの下より、城織部、吉江織部、鬼小島弥太郎、甘粕次郎吉、奈弥辰蔵等が真っ先に進んで突入すれば、晴景勢も槍先を揃えてこれを迎え打った。互いにしのぎを削り、互角に戦うところ、本庄美作守、柴田因幡守、柿崎和泉守は山手を回り、府内勢の左備えに突如攻めかかる。泉澤河内守、唐崎佐馬介はここを取られてなるものかと勇を振るいこれに立ち向かう新発田尾張守、大熊備前守、斉藤下野守は、府内方の大崎筑前守、大河駿河守の備えに討ってかかる。本庄弥太郎、新津彦ニ郎、五百川縫殿介、丸田左京勢は、松本大隅、上田修理の陣に攻め寄...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(145)長尾家58

  • 3時半に目が覚めて

    3時半に目が覚めて眠れなくなった、室温は29度で寝苦しいというわけではないが扇風機では役に立たない「もあ~」としたフェーン現象気味。不快感在り、エアコンを除湿モードにして扇風機を止める。扇風機は寝る時につける、「おやすみモード」にする3/7モードで始まり、寝ているうちに2/7から1/7に弱まっていき、1~2時間後には自動で止まる人間は寝てしまえば、よほどの暑さ、寒さでなければ、それが気にならず眠れるらしい、寝付くまでが勝負なのだ。たまに「早すぎる朝」に目が開いて眠れなくなることがある眠れないときはパッと起きる、無理に寝ようとしても眠れないのはわかっている眠気が出るまで起きてパソコンをする音楽を聴いたり、ゲームをしたりとかはしない、完全に目が覚めてしまうからまだ寝たいという気持ちはあるのだ、だからブログで主...3時半に目が覚めて

  • 大相撲のケガが多くなった&勝手に力士ランキング

    大相撲名古屋場所も既に序盤の5日間が終わったまたしても復活した(ような)照ノ富士がただ一人全勝で突っ走り、横綱の貫録を見せている。土俵入りの表情もまるで仁王さんか毘沙門天のような迫力を感じる、また体も張りがあって不調な時のプヨプヨした皺が全く見えないこれを見ても体調は最高に近いと見える。大関はじめ三役陣が全て3勝2敗以下なのだから、照ノ富士以外はドングリの背比べなのは今場所も変わらない数場所、群を抜いているかに見えた大の里は3敗、琴櫻も2敗で序盤は期待を裏切ったスタートだだがまだ10日あるから二桁には乗れるかもしれない、けれども横綱、大関、関脇の対戦がまだない時点でこれだから、また病み上がりの照ノ富士に優勝をさらわれてしまうのか照ノ富士の相撲が良すぎる、一気に前に出てあっという間に押し出してしまう、膝も腰...大相撲のケガが多くなった&勝手に力士ランキング

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (144) 長尾家 57

    この時、府内の大将晴景は二万騎を率いて米山を打ち越えて柿崎の下浜に陣を取り、諸将と軍議しているところに、敗残の兵が続々と落ち延びて来たのを見て持っていた茶碗を思わず落してしまった。それを見た諸将は大いに呆れて、「大将が臆したのでは、この戦の先行きも見えたも同然だ」と顔を見合わせた。その時、長尾越前守房景が進み出て、「明日は某が戦を交えて敵の鋭気をくじいて見せようぞ」とこともなげに言った晴景も諸将も、房景の日頃の勇猛さを知っているので、一時は静まりかえった陣の内も、再び英気が満ち満ちて来た。長尾越前守は七千騎を率いて、先陣は金子与十郎、二陣に栗崎肥前守として夜明けに出陣したところに、栃尾勢の先陣、宇佐美駿河守、北条丹後守、直江神五郎の勢と鉢合わせとなった。金子勢はいち早く敵を見つけて、矢種を惜しまず散々に放...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(144)長尾家57

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (143) 長尾家 56

    かくして越後国は三分して諸将は思い思いにいずれかに加担した府中の晴景の基には二万余騎が集まり、勢いのまま栃尾に攻め入ることが決した天文十六年、晴景も出陣、その二日前には先陣の上田修理、泉澤河内守、松本大隅守、大崎筑前守六千余騎が出陣した。下越後に至り、しばし馬を休めたが、本隊が来る前に城を乗っ取ろうと考え、ひしひしと城に迫った。その勢いははなはだ鋭く「えいえい」と声を上げて押し寄せれば、城方も鉄砲を雨の如く放って防ぐ。しかし寄せ手は意気盛んで、矢玉をものともせず勇み立ち攻め立てた景虎は櫓に合って敵勢を見るに「この敵は今夜のうちに引き上げること必定である、逃げ道を討てば勝利は必定なり、おのおの兵糧を用意せよ」と下知したこれを危ぶんだ宇佐美は「今日攻め寄せたばかりの敵が何故今日の内に引き上げようか、ましてや鋭...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(143)長尾家56

  • 一寸先は闇

    好調朝乃山が3連勝で迎えた4日目、相手は同期一山本一山本の鋭く激しい寄りに、土俵際左足でこらえた朝乃山だったが、一瞬左足が膝に向かってめり込むようにして崩れ落ちた倒れたまま立ち上がれない、ようやく土俵外に出て助けを借りて車いすで退出介護所から病院へ救急で運ばれたらしいあの様子では明日は休場となりそうだ。今場所は体も大きく、ツヤもハリもあって三連勝、三役復帰の期待も大きかっただけに私はがっくりした。一寸先は闇、数十秒先まで勝ち越しが見えていたのに、僅かな時間で状況は正反対になった、最悪数場所の休場も考えられる右足が悪かったというが、今回は左足で、本人の言では同じ症状だが、右足の時より深刻に感じたという下手すれば、また十両、幕下まで下がるかもしれない。近年、有望力士が発展途上で相次いで大けがをして休場する、そ...一寸先は闇

  • トランプ氏危機一髪!

    かっての盟友、安倍元総理は暗殺され、今度はトランプ元大統領が僅か数センチのズレで暗殺を免れた犯人は安倍を殺した日本人犯人同様に大罪を犯すようには見えない大人しそうな静かな青年に見える耳を後方から貫通したのだから、数センチの差で命が助かった、ほとんど奇跡と言える、犯人は20歳と言うが、130mの距離からまっすぐに耳を貫いたトランプが僅かに横を向かなければ命中していた可能性が高いトランプはケガで済んだが、この場にいた男性一人が銃弾によって亡くなった犯人もその場で射殺された、銃社会アメリカらしい結末であった日本では梅川の銀行立てこもり事件などの他、あまり現場射殺は例を見ない国民の銃所持擁護派のトップであるトランプが銃で襲われたのは皮肉だが、この程度で銃所持規制に転換するトランプではないだろう。もしトランプが再起...トランプ氏危機一髪!

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (142) 長尾家 55

    *yottin私感現在の越後(新潟県の県庁は新潟市にあるが、中世の越後国府(県庁)は上越市直江津地区にあった。越後長尾家の祖は、上州(群馬)長尾家で関東管領上杉氏の有力な忠臣の一族で、その一派が越後上田(南魚沼郡)に移り住み、越後国主上杉氏に従い分家筋が国府に同行したのであろう、ずっと国府長尾家は上杉氏に忠勤して守護代を勤めたが、為景の時、反乱を起こして上杉氏を下剋上で討ち、越後をわがものとした。後に為景の四男の上杉謙信が国府の隣の春日山に城を構える。さて、このような事情で越後国内は三分し、黒田勢を含めると四分の様相を呈した。国府の晴景の元には一族長尾家を中心に、栃尾の景虎には中越後の有力豪族が中心に集まり、屋形上杉定実も景虎を支持するこのような国を二分する大騒動に発展してしまい、戸惑ったのは景虎であった...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(142)長尾家55

  • 眠るということ

    抗がん剤治療第一期7/14一週間が過ぎて、テキストに書かれている多くの副反応は全て見られない腕の痛み、指先のピリピリ、ふくらはのつっぱり、多少の不快感、すべて無くなった。夜中のトイレも3/14から5/14までが7時間で8~10回もあったのが、夕べは2回に減った食欲も旺盛、気力もまずまず、外出を控えて買い物にも行かなくなったので気分的には少し刺激がない。それでも夕方の散歩は雨でなければ必ず行っているから気分転換はできている体調的な変化はある、それはS字結腸を20数センチ切ったせいで、腸が短くなったことが実感できるようになった。たしかに短さを感じる、それは不快感ではなく、むしろ良い感触なのである手術前は胃や腹部が時々痛んでいて胃腸薬が欠かせなかったが、今はそんな症状も無くなった。あと一週間、ゼローダを飲めば一...眠るということ

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (141) 長尾家 54

    原三郎が不義密通で、新発田掃部介によって成敗されたことは、たちまち越後の大将、長尾弾正左衛門晴景の耳に入った。晴景は「不義密通は奥を守る衛士の油断から起こることである、その是非はともあれ、我寵臣を害したことは許されぬ、早々に掃部介を呼び寄せて刑に処すべき」と軍議の名目で府中に呼び出すことを企てた。しかし心ある家士が密かに、このことを新発田城の掃部介に伝えた掃部介は、これを聞いて大いに憤り、「たわけたことを申す、あのような暗愚の大将に誰がみすみす討たれようか」と散々に悪口を言い、その後、掃部介を誘い出すためにやって来た使の耳と鼻を削いで、晴景の元に追い返した。そして、そのまま栃尾の景虎に属したこれを聞いた、新発田城主、新発田尾張守も新山砦に晴景の命で出向いていたが、これまた一族郎党を率いて栃尾城に入城した。...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(141)長尾家54

  • 初の試練か大の里

    連続優勝で来場所の大関昇進を期待された大の里が、初日御嶽海に一方的に押し出され、二日目は若元春に押されてきわどい負けで連敗だ。誰もが思わなかった平幕から喫した連敗スタート。これで早くも優勝は黄信号が灯ったか?まだ13日残っているから早計だが、照ノ富士が思いのほか動きがよく力強くて連勝スタートこれは大の里にとって相当なプレッシャーとなる。初日は気負いとプレッシャーがあったのだろう、御嶽海に対して動きは固く、脇を締められたらまわしが取れず、肩の上から手を伸ばして体が伸びたところを一気に持って行かれた。今日は若元春を土俵際まで押し込んだが、俵で止められてまわしをとられ、慌てて叩いたところを付け込まれて自滅二日とも勝負を焦って背が伸びた雑な相撲、これでは幕内上位、三役には勝てない、先場所までは押し込んで、そんきょ...初の試練か大の里

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (140) 長尾家 53

    原三郎、衣服を正して廊下を行き、お時の座敷に着いて見れば、大床には唐の蒔絵の二幅一対を掛け、金紫銅の花入れに露もこぼれるばかりの白菊を生け花にして青磁の硯屏、珊瑚の筆架、金砂子に花鳥を色よく描きたる屏風を立てまわし空焼の匂い余る計なるは張文潜の仙窟に入った心地がするお時の方を見れば、年のころはまだ三十前、眉目の美しさ小袖、打ちかけなよやかに衣通姫の再来かと心は浮かれ、袖の移り香身に染みて、忍び忍びの日々を重ねた。新発田の家士らは府内殿の寵臣と聞き、禍を恐れて皆、見て見ぬふりにて耳を塞ぎ、目を閉じていた。されど新発田尾張守の舎弟、掃部介(かもんのすけ)は新発田の城でこの噂をほのかに聞き、府内屋敷の家士を呼んで詰問するが事実は明らかにならなかった。ついに掃部介は府内に至って真実を明らかにしようと新発田屋敷へ行...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(140)長尾家53

  • 鬱病の境目

    抗がん剤治療一回目6/14点滴の副反応は、腕の痛みと手の指先が水に触れると電気が走るピリピリ感が主なものだったが、ここにきて腕はかすかになり、指先のピリピリは水に濡らしていても無くなった。以上は素人なりに考えてみて点滴薬の副反応だったと思う、点滴は三週間に一回だから日ごとに副反応はひどくなければ日ごとに薄まるのだろう。あとは毎日、朝夕5錠ずつ飲むゼローダの副反応、それらしい反応は3日目からのふくらはぎの張りだった、家の中で足を引きずって歩いたが、散歩などに出ると普通に歩けるのだった、それも今日は完全に回復して普通になった。良いことばかりみたいだが、部屋でテレビなど見てじっとしているとやはり「だるさ」を感じる。一番の問題は、夜中に約50分ごとにトイレに起きる頻尿状態最初は寝不足はないと言っていたが、昼間、い...鬱病の境目

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (139) 長尾家 52

    これは小者などを使わせたため気を害されたと思い、今一度今度は侍女を彼の若者の若党に遣わせ、丁寧に聞けば「このお方は館のお部屋様(藤紫)の弟君、原三郎様であると申し捨てて去って行った。これより、お時の方の胸の中は三郎の面影が全てを占めて心苦しき日々を過ごす三郎君と言えば名高き御名、越後守護代長尾晴景が寵愛する稀なる御人、いかなる伝手もなく季節は春から夏へと移るここに小督(こごう)という目の不自由な女芸人がある琴、早歌を歌い諸家へ立ち入って芸を披露するが、この日は新発田家に招かれて、内室お時の前で琴を弾き、扇の舞を披露してみせたそのとき、総金に柳を描いた扇を見ると、何やらの詩歌が書かれてあるあきらかに一首書かれた扇に、ただならぬものを感じて「それを見せて見よ」と言うと、小督は慌てて扇を懐に隠そうとしたのを、無...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(139)長尾家52

  • 思えば遠くへ来たもんだ

    抗がん剤一回目5/14点滴の影響は少しずつ薄まって来た、指先が水にぬれても大丈夫になって来ただが冷水はどうか?試す必要なし。ふくらはぎの張りもずいぶん無くなった夜中のトイレは相変わらず同じで7時間に10回くらい起きる、だが寝不足感は無い。食欲は相変わらず大丈夫である。この身は変わらず故郷にあるけれど、時空は遥か遠くに来てしまった74年の年月は長くもあり、短くもある様々、多くの人との接点が流れていき、縁あったのか無かったのか別れがたい人も男女問わずあったけれど、今もこの地にある者は一人もいない今親しく交わっている人たちは家族親戚を除けば、みな40を過ぎてから知り合い、友となった人たちだいったい若い時の親友とか想い人とかは、どこに行ってしまったのだろうあの時の離れがたい切なさは何だったんだろう私と同じように、...思えば遠くへ来たもんだ

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (138) 長尾家 51

    晴景は都から藤紫と言う女を呼び寄せて寵愛したこの藤紫は天性の艶色あり、たおやかに、媚技、顔美しく、たちまち晴景は虜となり、他の側妾には目もくれずただただ藤紫に溺れて言うがままに任せていた。この藤紫は性質は奸悪で妬み心あり、この女によって害されるものが多かった晴景が藤紫と共に遊行のとき道の端で平伏する者の中に、耐え切れず頭を上げた者あり、それを見た藤紫によって口にも出せぬ、残虐でおぞましい罰を与えられて殺され辱められた女は十指に足りず、諸臣これを見て眉を潜めるが、晴景は短慮故、諌して手討ちになった臣も多くいまや誰も諌めるものなし。それがために晴景に仕える奸臣、徳山右衛門尉、棚倉備中守などが晴景の悪行を助け権力を振るうので、忠臣の者たちは一様に、長尾の滅亡も近いと嘆かぬ者は無し。原三郎は藤紫の弟で、都より姉と...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(138)長尾家51

  • 寝ている暇がない

    抗がん剤一回目4/14昨日は22時30分に寝て、それからは1時間弱ごとにトイレに起きた真夜中3時半までで6回で寝ている暇がないそれでもすぐ寝付くのでなんとか・・・ちょっと問題かと思ったが、気が付いた「抗がん剤も抗生物質なんだろう」と抗生物質服用の場合は、水をたくさん飲んでどんどん体外に排出しろと」昔、抗生物質を飲んだ時に医師に言われたのを思い出した。今夜は自分の意志ではなくて、私の体内の仲間が私が寝ている間にせっせと働いてくれているのだと思った・・・感謝なり。肝臓くん、腎臓くん、赤血球、白血球、みんな戦っているわが同士だ!ありがたい、この体、この命を保つために。そうそう昨夜は風呂に入る前の体重は退院後最高の64.2㎏まで戻った、2日で2㎏以上増えたから、これも薬害なのかとも思ったが、思うところあって夜中の...寝ている暇がない

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (137) 長尾家 50

    長尾晴景に朝廷の綸旨たまわるの間にも、景虎を総大将として、宇佐美駿河守、本庄美作守の両将は金津伊豆守、山下又左衛門と戦い中条越前守、加地安芸守、色部修理亮、新発田尾張守、竹俣、五十公野、鮎川摂津守、大川駿河守、本庄弥三郎、黒川備前守、新津、桃井など屋形勢は世良田九左衛門、野本大膳、篠塚宗右衛門、森岡十左衛門、八条左衛門大夫、五十嵐小文四、そのほか西古志郡の黒田勢が籠る河西城、黒滝城、新山砦、村松城、安田砦、菅名城、新潟城にて合戦する。黒田和泉守は上田の城へ押し寄せ長尾越前守と戦いの真っ最中である。天文十五年足利義輝公、正五位下左馬頭に任ぜられるによって慶びとして、長尾弾正左衛門晴景より御太刀一腰、駿馬一疋、青銅三千疋を献上する。御使に神余小次郎がこれに勤めた。足利家より御内書を晴景に賜る。ところが晴景は長...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(137)長尾家50

  • 健康診断の事

    抗がん剤投与一回目3/14今日が三日目、吐き気予防のアプレピタントカプセル今日でお終い抗がん剤ゼローダ朝夕各5錠今日の体具合両足ふくらはぎがパンパンで歩くのがロボットのよう、階段を下りるのに注意して下りた。あと点滴した左手は相変わらずピリピリ感ある、昨日と同じように左腕の背の部分の血管が当たるとピリピリする右手や肘から方は大丈夫あとは両手の指先、水道水に当てるとじきにピリピリしてきて通電状態、湯は大丈夫だから手洗いや洗い物は湯でやる喉は冷たい水を飲むと違和感がある、食べるのやみそ汁などは問題なし、冷たいのが喉にピリピリ来る。いまのところそのくらいかな、朝畑で少し作業したらふくらはぎの張りが無くなったので、ふくらはぎ対策として散歩をしてきた2500歩、散歩と軽い運動は推奨されている、軽い運動はこれからDIY...健康診断の事

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (136) 長尾家 49

    柿崎和泉守は家士に策を与えて、幕の後ろに隠して照田将監に使いを出し「今夜軍議をいたしたく、ご足労願いたい、日頃の疲れを吹き飛ばすために軍議の後一献用意したので、そのつもりでお出かけいただきたい」将監は柿崎が一物腹に持っているなど露知らず、出かけて来た和泉守は監物を奥座に招き入れ、盃酒を出し良い酒、良い宴を催した将監は性質疑い深い者であるから、和泉守は自分の刀を遠くに置いて安心させた時と共に酒は体を巡り、すっかり監物は酔ってしまったその時、用事があるかのように和泉守の小姓、橋本義弥が柿崎の背に回り、後ろから刀を蹴飛ばしてしまった体で「申し訳ありませぬ、失礼いたしました」とうやうやしく刀を和泉守の左に差し出した瞬間和泉守は将監に飛びかかりむんずと取っ組み合う、将監もまた怪力なれば簡単には組み伏せられず上になり...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(136)長尾家49

  • 一泊入院、今日退院

    11時に退院して帰って来た朝は8時前に朝食を食べて、薬を飲んだがいろいろあって整理しないと忘れる最初飲んだのはアプレピタントカプセルというおまじないみたいな名前、これは化学療法の副作用の吐き気を止める薬だという毎日午前中一回飲むが、明日飲めば終わりだ、次は食後の薬でファモチジソという胃酸などの分泌を抑えて炎症を改善する次が抗がん剤のゼローダ、これだけ5粒飲む、朝夕1回ずつ飲む水だけで結構お腹がいっぱいになってしまうトイレに行ったら、そこで昔の板前仲間にバッタリ会った、「どうした」「検査入院です」彼も同級生である、今は何をしているか知らない。8時45分から次回の第二回目の点滴の説明をうけに、外来治療室へ行って来た。外は相変わらず30人ほどの人が血液検査で待っている外来治療も人も6人ほど入って来た、ちょっとし...一泊入院、今日退院

  • 世代交代が進む大相撲が面白い

    先場所は前半最後の場所で、入門してわずか七場所で三役(小結)に上がった大の里が優勝、そして今場所は関脇だアマチュア横綱、学生横綱のタイトルを取って幕下10枚目格付け出しからスタート、国家公務員で言えば優等生の「キャリア」だデビュー場所は、その前に幕下15枚目格付け出しで全勝優勝して一場所で十両になった伯桜鵬に続くかと思われたが6勝1敗で一場所通過とはならなかった。しかし翌場所で十両入りを決めると十両で12勝、12勝と二場所で幕内に上がったその後も11勝、11勝で二場所で小結に、そして先場所12勝で幕内初優勝、関脇が決まったもし今場所13勝以上で優勝か準優勝すれば大関昇進の可能性も出てくる、関取と呼ばれる地位になって5場所連続二桁58勝32敗はドジャースより凄い、さすがは角界の大谷だ。まさにエリートキャリア...世代交代が進む大相撲が面白い

  • 実録 抗がん剤治療

    がん手術を体験したが抗がん剤治療もまた別の症状で大変だった。最初は点滴で始まったが今までの栄養補給の点滴とは全く違う何が違うって心構えが違う色々な副作用が現実的にあることは経験者の言葉で知っているとにかく気を使う、普通の点滴では最初の入院の時には3回ほど針刺しのミスで筋肉注射になってしまったがあれも結構痛いんだが、こっちは針のミスがなくても周囲がチクチクしてくるそれは腕の下半分どこでもつっつくだけでちりちりする手のひらや指先はチリチリしないんだが腕の部分が今も痛い点滴は最初副作用の軽減のための点滴を2回で1時間ぐらいして昼食後、本番の抗がん剤点滴が始まったこれが約2時間それが終わると生理食塩水で血管を洗い流す作業10分ぐらいこれの時に一番腕がパンパンになった、今も針が腕に刺さっている感覚が抜けず、ありもし...実録抗がん剤治療

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (135) 長尾家 48

    さて、栃尾の戦で大敗を喫して味方の多くが討ち死にした金津伊豆守は僅か三千あまりの敵に翻弄されたことを悔しく思い、再び兵を整えて栃尾に攻め寄せる算段をした。三条から兵を出してもらい、再び大軍となって栃尾に攻め寄せたされども日々合戦をしても、長尾景虎は若年ながら天性の英傑であり、都度敗北を喫するのであった。金津勢に加わった柿崎和泉守は、もとは府内の長尾晴景に属していたが、照田常陸介が味方に引き入る為、好色家の柿崎に美女を与えて味方の陣営に引き込んだことは以前の章で明らかになっている。栃尾にかまけているが、いよいよ府内からも大軍が発向して三条征伐に向かう噂が聞こえて来たので、照田親子はこれに備えて砦を築き、ここに籠るは剛勇の柿崎のほかあるまいと、常陸介の弟、照田将監と共に砦に入れた。新津彦次郎という郷士が居る、...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(135)長尾家48

  • いろいろ心配していただいています

    昨日から雨が夜半過ぎに「ジャブジャブ」と降って、ようやく梅雨かと思えば日中には「かっ」と焼けるような日差し、とても散歩どころはなく、畑も15分もいれば汗ダクダク今日は日中にも激しく降って来た、と思えばしばし止み、その間に明日の入院に備えてホームセンターへ買い物たった一晩の入院でも、それなりに荷物になる、カバンはやめてレジ袋の大きいのに入れて持って行こうか・・・いやいやみすぼらしいかもしれないカバンは大げさすぎるし、う~んつまらないことで悩んでいる。昼過ぎに電話が来た、私のスマホが鳴るのは珍しいことで、2~3日に一回くらいのもの、同級生のT子さんからだった「明日だね、スポンジケーキ焼いたけど食べる?」「うん」「じゃあ、これから届けるわ」「は~い待ってるよ」10分くらい待ってたらやって来た「しばらく顔を見られ...いろいろ心配していただいています

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (134) 長尾家 47

    晴景の回分が越後国内に漏れなくまわされると、諸将はこぞって長尾家に属して味方となった。一方、黒田、金津の逆徒もこれに味方して戦ってきた将兵はもちろん、中郡、下郡にもまだ味方する郷士多く、さらに越前からも譜代の臣が馳せ参じたので、両者の勢いはほぼ越後国二分の様相となり、互いに勢い盛んである。黒田、金津の軍勢は三万にもなり、三条の城を根城と定め照田常陸介が籠る黒田和泉守は世良田九左衛門、篠塚伊賀守、同宗左衛門、八条左衛門大夫など八千騎にて長尾越前守房時が籠る上田(六日町)の城に押し寄せた。金津伊豆守は山下又左衛門、風間河内守、森備前守、柿崎和泉守、並びに俊景の残党を率いて一万の大軍で栃尾に攻めかかった鬨の声を上げて鉄砲を打ちかけた。城方も狭間を開き強弓の精兵居並んで射る中でも戸倉与八は手練れなれば、やにわに十...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(134)長尾家47

  • いよいよ抗がん剤治療が始まる

    腸閉塞があったためにガンの検査が手術後になるという手順逆みたいなことになってしまったが、緊急だったゆえに仕方のないことそれでも二度の検査も結果は無事でホッとしたが、転移がないにしろ、あったにしろ抗がん剤治療はした方が良いという雰囲気で、することとなった。治療ではなく、予防と言うことで短期間で終了するのは幸いであるいよいよ明後日の朝、病院に入院して点滴から始める、夕方は薬を飲み一晩泊まって様子を見るようだ三度の食事が出るというから、少し楽しみなのだが、最初の入院は点滴だけで2週間近く空腹の後だったからうまく感じたのかもしれない今回は家で毎日うまい物を食べているから、どう感じるだろうか?もっとも抗がん剤の副作用の一つに食欲がなくなるというのがあるから、果たしてどうか。副作用の説明を聞いたが、いろいろあるので嫌...いよいよ抗がん剤治療が始まる

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (133) 長尾家 46

    その年の四月二十日京都より勸修寺大納言尚顕入道が越後府中の城に下着(げちゃく)した屋形を始め、長尾一族の人々、謹んで勅諚を承る大納言殿の仰せけるは「越後国兵乱、年を経て止まず、これに寄りて主上親ら宸筆を染められ、心経一軸を書写まします。これ越国静謐御祈請の為なり、早く神社に収め奉るべき勅諚なり」大納言の御言葉をうけ賜わり、屋形上杉兵庫頭定実、長尾弾正左衛門晴景を始め、一門の人々には古志駿河守、上田越前守、館四郎兵衛、上田修理進、刈羽相模守、栃尾佐渡守、高梨播磨守、飯野右馬丞以下、長尾の一族宣明命を拝し、朝恩をうけ承わり、近々逆乱を鎮め宸襟を安んじたまわらんと勅答奉り、新殿にて勸修寺殿を饗応した。長尾晴景は自ら国境まで護送し、別に神余越前守を以て京に上らせ、恩を謝し奉り、種々の捧げものを奉る勅筆の心経は府中...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(133)長尾家46

  • 二つの異なった生活

    昨日の暑さのせいか21時半に寝てしまった今朝は相変わらず5時に目が覚めた、珍しく夜中も一度目が覚めたきりでハッピーなラッキーな夢を見ていた。退院してから一日の過ごし方が真逆になった入院中は「何もすることがない(できない)時間をいかに退屈せずにいるか」ばかり考えて体を動かすことに専念した有料テレビは目の前にあるが、ドジャース戦と「光る君へ」、「虎に翼」しか見なかった退屈しのぎはブログを書くこと、ノートに小説を書くこと、友達とのラインのやり取り、廊下での散歩、そして三度の食事が待ち遠しかったパソコンがない環境でスマホが大活躍したベッド上にはスマホの充電コード、髭剃りの充電コード、看護師呼び出しボタンのコード、点滴の管が絡み合ってベッドサイドの手すりに縛り付けてあった基本的に21時に消灯、朝6時起床だがそれは個...二つの異なった生活

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (132) 長尾家 45

    晴景、景虎はこの一戦に勝利し合戦の次第、戦いでの家臣らの軍忠を書き記し、長尾俊景の首に添えて府中の屋形、上杉兵庫頭定実に奉じれば兵庫頭大いにこれを喜び、軍忠の銘々に感状を贈った。一戦を終えて晴景は兵をまとめて府中へ帰還する様子なので、景虎はこれを咎めて言うには「大将俊景を討ったと言え、未だ三条には照田、黒田、金津らがいる今勢い落ちているこの時に、一気に攻め寄せて討とうではありませんか」これに対して晴景はまともに相手にもせず「俊景討死して、誰が照田らを助けるものか、このまま放っておいても日ごとにその力は衰える、その後討てば安かるべし今彼らを討つならば『窮鼠猫を噛む』の例もある」と言って、振り返ることもなく府中に発った。敵の大将、長尾平六郎俊景の首を討ち取った奈弥辰蔵とはいかなる者か彼は、元は越後国岩船郡西奈...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(132)長尾家45

  • 暑い一日だった

    昨日は、抗がん剤投与前の最期のドライブに行って来た多分これで遠方へのドライブは10月までだめだろう、そんな昨日はとても暑い日で、クーラーをかけて走っても、フロントガラスから熱気がじりじり入ってくる三つあるサングラスの中でも、一番濃いオレンジチョコ色のをかけて目を保護して走る。途中で蒲鉾と甘口醤油を買った、ドライブの楽しみの一つは地場物を買うことである、蒲鉾にしてもその土地土地で味も製法も食感も異なるから面白い。こんな身だから暑さは大敵、たっぷり水分補給しながら走る静岡では39.2度という高温が出て、富山も32度、風も南気で生暖かい。ただ海王丸パークは結構良い風が吹いていて、日陰に居ればかなり過ごしやすい本を持って行って読んでいれば車の中にいるよりずっと良い帰りにニトリに寄って、夏用のベッドの敷パッドと薄が...暑い一日だった

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (131) 長尾家 44

    蔵王堂式部は遠巻きの敵に向かい「蔵王堂式部最後の働きぞ、我と思わんものは此の首取って高名を挙げよ」大音声で言うと同時に馬首巡らせ、取り巻く敵の中に走り入った。あっという間に敵七騎を馬もろとも薙ぎ倒し、敵は蔵王堂一人に薙ぎたてられて後ずさりする中から土岐四郎五郎が大身の槍をしごいて式部めがけて突きかかる式部はこれを軽くあしらい、大太刀で槍を跳ね上げると同時に四郎五郎の胸板をただ一刀で切り割った四郎五郎たまらず馬から落ちて絶命する、すぐに新手が式部に挑んできた黒股金左衛門、砂を蹴立てて式部の馬足を狙って切りかかるを、式部は眼を怒らせて「小賢しき小冠者の振る舞いや」と馬を躍らせて近づくと同時に黒股の鎧の上帯をつかみ目より上に差し上げる金左衛門の弟、黒股雲平が兄を救わんと主従八騎で懸かってくるのを式部は「カラカラ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(131)長尾家44

  • 四十六日ぶりに湯船で温まった

    5月17日に風呂に入った後、すぐに病院へ行き、そのまま入院になって以来46日目、ようやく家で湯船につかった。手術までは多くの管につながれていて、看護師さんに体をふいてもらっていた手術の前日、ようやく風呂でシャワーすることになったが、入院して10日目の事だった。やっと頭を洗えてさっぱりした。手術から退院までの8日間でシャワーが2回、自宅に帰ってからは毎日シャワーで済ませていた。退院の日から先生は家で風呂に入っていいが、温泉や大衆風呂は感染の恐れあるからダメと言われた。でも家でも、7月2日までずっとシャワーで済ませた、腹の傷を見るとちょっと入る気にならなかった。それほどひどい傷跡ではないが、自分では初めて見る自分の傷、どうしても湯船に入る気がしなかった。7月2日、検査結果を聞いて、ここで初めて吹っ切れた、そし...四十六日ぶりに湯船で温まった

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (130) 長尾家 43

    長尾平六郎俊景の主だった一軍の大将、風間、五十嵐、八条、篠塚、蔵王堂、森岡の軍勢は、長尾晴景の大将、大熊、庄、只見、鳥倉、村山、上野、小島勢と激しく戦っていた。互いに一挙に勝負をつけんと討ち討たれ入り乱れての大勝負するところに、無双の景虎勢がなだれ込むと、これに勢いづいた晴景たちは勇気を得て危地を脱しようと逃げかける三条勢を追いうち、首を獲ること数知れず総大将、長尾平六郎俊景は乱軍の内にあっても縦横のきらいもなく薙ぎ倒し、切り払い、まさに無人の荒野を行く疾風の猛虎に等しく、触れる者はみな命を落とし、傷を負う者は数知れぬ晴景の先手は俊景の猛威を恐れ、さっと左右に道を開ける始末、そこに大熊備前守がこれに変わってどっと突きかかれば、俊景の近習たちは「この上は我らが御大将の御馬前にて討死いたすをご覧あれ」と大熊勢...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(130)長尾家43

  • そろそろ収穫も本格的な季節に

    去年の野菜日記を開いてみたら、去年は今頃はキュウリがとれてたいへんだった時期ですね、今年は落ち着いていてまだ15本ですスイカも心配していましたが、早いのが一個あっただけで後の成長はあまり今と変わりませんでも7月前半で8ケの小さな実が確認されていたから、やはり今年は遅い、今確認できたのは2ケだけですからね。去年は一番目の収穫は7月25日、残りは8月5日からお盆の間に収穫でした、今年は間に合うのか、収穫できるのか去年はメロンが早かったですね、今年はメロンはやめました、最初は甘かったけど後のは固くてうまくなかった。今年始めたのはスナップエンドウ、オクラ、Pマン、サツマイモ、苺でした苺は2苗で30ケくらいの収穫でした、エンドウは85枚位とれてもうおしまいですね。他は未だ成長中、初めてで収穫のイメージがぜんぜん湧き...そろそろ収穫も本格的な季節に

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (129) 長尾家 42

    これより先、長尾平六俊景は下知を飛ばし、先陣風間河内守、五十嵐小文四、八条左衛門大夫、五十余騎にて晴景の先手、大熊備前守、庄新左衛門の備えに喚きてかかり無二無三に攻めかかる。大熊勢も槍先揃えて応戦する、大熊の郎従三宅瀬兵衛、一番槍と名乗って突き出て進み来る敵を一槍のもとに突き殺すこれより両陣入り乱れ追いつ追われつ挑み戦う、大将平六郎二千騎を率いて先陣を助けて討って懸かる、その勢は激しく、大熊、庄の軍は防ぎかねて逃げ腰となるところへ、二陣の只見次郎左衛門、鳥倉内匠助、長与三、村山与七郎、上野源六、安田治部少輔は俊景勢の中に火花を散らして攻め入る俊景方も、二陣の篠塚宗左衛門、蔵王堂式部少輔、森岡十左衛門、風間、五十嵐、八条を助けて討ち入れば、晴景の陣からも山吉丹波守、同弥右衛門、平子孫太郎、斉藤八郎、安田治部...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(129)長尾家42

  • 内視鏡検査、MRI検査の結果が出た

    先月24日、25日の検査以来、胸の中に不安材料として残っていたはず内視鏡検査はその場で先生から、直腸から大腸全体について無罪放免の発表があって一安心したが、肺、心臓、小腸から肝臓などの内臓全般のMRIが心配だった。9日の午前、結果発表を聞きに病院へ行った、ともだちのつー君が心配してくれてラインをくれた散歩途中に神社へ寄って安全祈願のお参りをしてくれたそうだ、友とはありがたいものだ。埼玉の友達も大宮の氷川神社から時々エールを送ってくれるが、当の本人が先日、体調不良で入院したという、何事もなく一日で退院したというので安心した。結果を言えば、内臓全て何もなくセーフだった、表向き嬉しいという程度だが深層心理で言えばものすごいストレスから解放された気分なんだと思うたしかに何か軽い気持ちにはなった、先生に一つ聞いてみ...内視鏡検査、MRI検査の結果が出た

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (128) 長尾家 41

    攻め来る本庄勢は勇気凛々、一方の黒田勢の先手は体が凍えて動かず初めから勝負は決していたたちまち黒田勢は崩れ去り、本庄勢は大いに勇み、追い詰めては首を取り、なおも追い詰めれば黒田勢はたまらず川の中に引き返した百余人を討ち取られて逃げ帰った兵に、戸屋因幡は大いに怒り「汚き者共、逃げ帰る様は何ぞ、すぐに引き返して敵を討て」と下知すれども、崩れ発った兵は誰も是を聞かず我先に逃げ落ちる。松尾八郎兵衛は未だ川の中にあり、士卒に下知するが、これまた臆病風に吹かれて逃げ去る兵に包まれて共に退散するされども松尾は残兵百余を率いて再び川を渡り、戸屋因幡と槍を並べて本庄勢に討って懸かったこれを見た宇佐美勢は本庄勢を救わんと喚き叫んで打って懸かり、右に左に切りかかれば黒田の先陣はここに九十余人が討死する戸屋、松田の大将二人も僅か...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(128)長尾家41

  • 今年初のトマト収穫

    一坪畑は今は「スナップエンドウ」の真っ盛りで二苗しかないが、すでに100枚近く収穫した。ナスは「美男」と「千両」、トマトは「桃太郎」、キューリは「夏すずみ」を各一株ずつ植えた。こんな感じだから一日の収穫量も、こんなもの自家消費分だから毎日これくらいあれば充分で、スナップエンドウは多いから妹に分けたりしているトマトは今年は大きくできた、去年はなのも知らずに浅い畝でやったので、卵くらいの実しかつかなかった、味は良かったが今年は、その反省で深く根が張る様にやってみた、すでに10数個青い実がついていて、昨日はこれ一個が先駆けて赤くなって収穫息子がトマト好きで、半分そのまま食べさせて、残りはチーズグラタンに入れた(ブロックベーコン、ジャガイモ、トマト、ナス入り)野菜師匠のつーくん曰く、植え付け2か月で収穫と言うから...今年初のトマト収穫

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (127) 長尾家 40

    一方の三条長尾勢も栃尾に大勢の兵が集まるを知り、こちらから討って出んと、こちらも軍議を重ねる中郡の軍勢の多くが俊景に味方して三条に集まれば、大いに威をなし再び栃尾を攻め滅ぼさんと勢いづき一手は長尾平六俊景が七千騎を率い、八条左衛門、風間河内、五十嵐小文四、篠塚惣左衛門、蔵王堂式部が先陣となる。搦め手には黒田和泉守国忠を大将に、戸屋因幡、松尾八郎兵衛、佐貫十郎など六千余騎。迎え討つ栃尾勢は栃尾城大手口の大将は、長尾弾正左衛門晴景、大熊、庄の勢を率いてこれを守る。長尾喜平二景虎、この時十五歳は搦め手の大将を仕り、本庄、宇佐美の両将を先手に率いて城を守る。時に天文十三年正月二十三日、搦め手には黒田和泉守ら中郡の兵を率いて六千騎が向かった旗をなびかせ、鐘太鼓を鳴らし、蔵王堂の前より勇み進む大将黒田和泉守は兵を鼓舞...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(127)長尾家40

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