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2021/04/19

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  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 169 朝鮮からの撤退

    秀吉の死は秘中の秘として秘匿された、だが秀吉が死んでも朝鮮の戦は続いたままだ、それも明国と朝鮮の連合軍は水陸併せて20万ほどに対して、朝鮮に残った日本軍は加藤清正、小西行長、島津義弘の三軍団と小部隊総勢3万5000ほどだ海上も封鎖されて撤退もままならない。石田三成は、秀吉の死後すぐに五大老、五奉行を集めて善後策を練ったまだ朝鮮が不穏な今、決して朝鮮、明に知られてはならない徳永寿昌らが渡海して、朝鮮に残る大名にのみこれを報せ、家臣にも気づかれぬよう、「和平交渉が整って戦が終了に近いから」という理由で、暫時粛々と帰国するように話した。それで島津、加藤、小西、黒田、有馬の部隊が最後まで残ったが、そこに敵が攻め寄せてきた9月20日には加藤清正の蔚山城、10月早々には島津の泗川城、小西の順天城が攻められた蔚山には加...空想歴史ドラマ貧乏太閤記169朝鮮からの撤退

  • 大相撲三月場所は見どころあり & J1アルビレックス新潟

    大相撲の番付が発表されましたね今回も照ノ富士が「横綱大関」と言う兼業、でしかもたぶん休場でしょう一人大関の貴景勝が「西大関」というのも滅多に見られない現象ですねでまたこの人が15日間「この一番にて本日のうちどめ~~」なんでしょう。13勝以上で優勝、14勝以上で準優勝以上なら横綱昇進間違いなし、(私見)ですけど。問題は13勝で準優勝、12勝以下で優勝の場合、協会はどんな判断を下すでしょうか、横綱が欲しくて仕方ないですからね、しかも日本人。大関不足に悩んでいるのに、十両3枚目までに元大関二人、関脇一人と豪華です、朝の山、先場所は上位に二桁勝が多かったため幕内復帰はなりませんでしたね今場所も好成績で優勝して一気に幕内上位を狙ってほしいです。5年ぶりJ1復帰した新潟アルビ、強さは本物か?開幕戦は昨年5位のC大阪に...大相撲三月場所は見どころあり&J1アルビレックス新潟

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 168 北政所ねねの述懐

    秀吉の死は直ちに肥前名護屋城にも伝えられたすでに戻っていた渡海軍のうち、五大老の宇喜多秀家が石田三成、浅野長政ら奉行衆、小早川秀秋ら諸大名を集めて、朝鮮に残っている軍の撤収方法を相談した一方、京に詰めていた徳川家康は、ただちに軍勢を率いて大坂に向かい、大坂城の秀頼の警護と称して家康は城内にとどまった前田利家は既に秀吉に依頼されて詰めていたが、そこに家康も来たので今後の国内の安定、朝鮮、明国に対する備えや対処方法を語り合った。その頃、北政所は秀吉が眠る伏見城で、危急を聞いてやってくる在地武将に何かと返礼の言葉をかけていた。そのでも福島正則と加藤清正はわが子同様である、しかし清正は今も朝鮮で戦を続けているので、正則は(さぞかし、かかさまは落胆されているだろう、わしが行って虎(清正)の分も孝行せにゃなるまい)と...空想歴史ドラマ貧乏太閤記168北政所ねねの述懐

  • 次のミッション

    ついに「貧乏太閤記」を書き終えた、掲載もあと三話で終わる。これを書き始めたおかげで、約6か月退屈せずに済んだそして勢いに乗って次の長期ミッションに挑戦するまた自分の根気が試される以前書いたけれど、今度は自分の人生の総括、1964年(昭和39年)8月25日から始まる日記の中身の整理だ、これをまとめれば日記帳の断捨離ができる58年間の自分を振り返る、何が出てくるかわからないびっくり箱だ今読みかえしても、わからない人物も登場してくる、記憶とは曖昧なものだエクセルを使って、その日の内容を簡潔に、出てきた人物名、気持ちを1~2行に集約して書いていく、1ページ1ケ月だから12x58=870ページか一日2か月分書いても休みなしで435日、1年半500日以上はかかりそうだな一番楽しみなのは家族以外でもっとも多く登場する人...次のミッション

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 167 豊臣秀吉の死

    そんな秀吉も昏睡状態になることが多くなってきて、8月にはもはや意識がもうろうとした状態が続くので、面会も断り、政所と前田利家の妻「まつ」それに京極殿の三人が交代でつきそうだけであった。ときどき、医師全宗が様子を見にやってくるくらいである、昏睡はしているがすぐに命がどうこうと言うほどではないだが日増しに衰弱していくのがわかる、もう食べ物らしい食べ物も、それが水のような粥であっても自力では食べることが出来ない完全な老衰状態になっているのだ、苦しむこと、痛みを訴えることもなく、ただただ寝ているだけなのだそんなとき、今まで音沙汰がなかった淀殿が突然伏見にやって来た、供として大野治長がついている、籠を守る衛士たちは別の広間で待っている治長は廊下に座って、警護の体制になった、秀吉の寝間を淀が開くと、そこには京極殿がつ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記167豊臣秀吉の死

  • ウクライナ侵略戦争一年

    この侵略戦争はまだまだ終わりそうもないそれは両国ともに決定的な最終打撃を与えることが不可能だからだ80年前の日米戦争の時は、アメリカ軍が制空権、制海権を圧倒し、日本の60以上の都市を爆撃で焼き尽くし、原爆を2発落して広島、長崎で一瞬にして10万人の市民を殺した。さらに3発目を落すスタンスを見せたから、もはや国民総玉砕の道しか選べない日本は降伏した。今、ロシアがウクライナに決定的な敗北を与える方法は、こうした原爆以上の核兵器攻撃しかない、通常兵器戦では西側陣営が応援しているウクライナに勝てない。ただし西側陣営の支援が終わればウクライナは敗北する。ロシアが核兵器を使えばそれは世界大戦の引き金を引くことでもあるそれは人類滅亡の引き金でもある、だからロシアも簡単には核を使えない一方、ウクライナも国内のロシア兵とし...ウクライナ侵略戦争一年

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 166 徳川父子

    徳川家康の嫡男となった秀忠は数えで19歳になった家康は55歳だから、36歳の子だ順番で言えば三男だが、嫡男信康は遥か昔に切腹を申し付けて殺した次男の秀康は、なぜか家康が馴染まず、秀吉の人質として大坂に送ったが、秀吉夫婦は養子の一人に加えて可愛がってくれた今は結城家へ養子に入って、結城秀康と名乗っている秀忠は大坂城の主となった淀殿の末妹「江」を娶っているが、結婚生活を経験している6歳年上の妻には子ども扱いされて頭が上がらないもともと温厚な青年で、果たして戦国の世にあって荒々しい三河武士団を統率できるか疑問とされているしかし家康は55歳とはいえ、健康そのもので病気一つせず、気色の充実したること天下無双の大名であるから、まだまだ秀忠は学ぶ余裕がある家康も、秀忠を学ばせるため本多正信に指導させることが多くなったそ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記166徳川父子

  • 歩いた歩いた・・・なのに

    *この記事は24日に書いたもの昨日やってしまいたいことがあったが、昨日は天皇誕生日、明日は土曜だから役所などが休み、今日がめっぽう忙しくなってしまった。やるべき仕事は、すぐにやってしまう方なので、今日はたまった仕事を散歩がてら一度にやった。余計な話だが2月22日は父の命日、23日は天皇誕生日、24日は母の誕生日まずは市役所へ行って、市民課、福祉課をまわって用事を済ませそれから銀行へ行って公共料金分を下ろして、その足で「町の電気屋さん」で支払い、1月末の寒波で洗濯機が故障して修理してもらったのだった。それからKs電気でプリンターインクを買ってその足でガス水道局へ行って、ガス水道代を支払った、電気もガス水道もたしかに去年より上がっている午後からは市役所で住民税の申告をしてきた。毎年パソコンで確定申告書を作って...歩いた歩いた・・・なのに

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 165 秀吉 病に伏す

    しかし、そんなことを言った翌月六月になると秀吉は、食あたりしたかのような激しい嘔吐と下痢が続き、すっかりやせ衰えてしまった今までは三日もあれば全快したのに、ずっと寝たきりになった、諸大名が次々に見舞いに訪れたが誰もが「もしや・・・」と思うのであった。ここで秀吉が死んでしまえばこの国はどうなるのか、朝鮮はどうなるのか、豊臣家は?誰もが混乱した。秀吉も(まさか・・・もしや・・・)と思うようになったそうなれば一番に気になるのが秀頼のことであった、まだ五歳の子供である政治どころか、大名を制するなど淀がついていてもできるわけがない秀吉は石田三成を呼んだ、何といっても豊臣家のことを第一に思っている男はこの三成であると秀吉は思っている「三成よ、儂にもしものことがあれば秀頼を託せるのは、そなたしかいないさりとて、そなたは...空想歴史ドラマ貧乏太閤記165秀吉病に伏す

  • 雪国へ川を見に行く 山間部を行く千曲川

    海が好きだけど川の流れを見るのも好きだきっちりと整備された都会の大河もいいけれど真っ白な雪原の中に一筋の流れを見るのも良い信州飯山から飯綱、豊野、信濃町、川の流れに沿って走ってみたカラフルな屋根なのか?それとも雪止めの段差が作り出した芸術?この鉄路は飯山線長野から飯山に向かう鉄路廃校なのだろうか?レトロで重厚な立派な庁舎に出会った初めて通ってみた道で廃校にしてはきれいだ小学校みたいだが、収まるだけの生徒は居るのだろうか?いらない心配!雪国へ川を見に行く山間部を行く千曲川

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 164 秀吉の果てなき夢

    「ルソンへ使いを出せ、スペインの提督に、『スペイン王は余に臣従せよ』と言う書状を届けるのだ」それは高圧的な内容であった、「スペインが日本との交易を望むなら、まずは余に対して臣従を誓え、そうすれば交易を許す、だがキリシタンの布教と、パードレの来日は許さないもし臣従しないなら、明を従属させ、朝鮮を従えた日本は大軍を持って高山国(台湾)を占領し、そこからルソンに攻め寄せるであろう」そのように脅した、ルソン(フィリピン)を占領しているスペイン人は驚き、恐れた、いかにスペインが欧州最強であっても、ルソンに駐屯する僅かな軍隊では、とても戦続きで猛り狂っている日本の武士10万の敵ではない仕方なく、ルソンの提督は秀吉のご機嫌取りに使者を送って時間稼ぎをした。豊臣家の前途はどうなるのか、それは秀吉の周りに仕える武士たちが一...空想歴史ドラマ貧乏太閤記164秀吉の果てなき夢

  • 今年の冬を振り返る

    散歩していても、すっかり春めいている今年は一時「10年に一度の・・・」が発令されたが、結局15cmほどの積雪で終わった。この冬は、降っても間もなく消えるので、「根雪」と言うものがなかっただから今年は、ある程度記録的な少雪の冬だったということになるそんな中でも、山間部では24時間以上の雪の中の立ち往生というのが今年も起きたから、また豪雪地域では2m、3mの積雪もあったので、全体的に見れば平年通りの冬ともいえる。逆に言えば、海岸部が全体的に小雪傾向とはいえ、わが地域100kmほどの範囲だけ、雪国の中で特に「雪が降らない地域」であったことは間違いない。40km先の地域は、どんどん積もっているのに、こちらは晴れと言うことも何度かあった昨日も、今日も良い天気だ、明日は崩れるらしい、でも吹雪とかはもうないだろう、気づ...今年の冬を振り返る

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 163 醍醐の花見

    時間を春先に戻す、朝鮮の戦もひと段落ついて三月、秀吉は京都醍醐寺裏手の山に於いて、お花見を行った、後に「醍醐の花見」と呼ばれる催しである。招かれたのは、ほとんど女性ばかりであったという、いかにも秀吉らしいが、関白秀次の正室、側室を家柄もなにも関係なく全て打ち首にしたという秀吉に対して、諸大名や武将らの奥方たちは緊張したであろう。身分高い女性らは輿に乗って醍醐寺にやってきたが、その順も決められており、これが秀吉の室の序列でもあった。一番が正室北政所、二番が淀殿、三番が京極殿、四番が織田信長の娘と言われた三の丸殿、五番目が前田利家の娘、加賀殿、その次が前田利家の奥方で加賀殿の母である「まつ」と続いた。前田家と豊臣家の間柄は、利家、秀吉がまだ中堅武士である頃からの付き合いで、最初は秀吉が利家の足軽だったのだから...空想歴史ドラマ貧乏太閤記163醍醐の花見

  • 父の法要

    父が亡くなって今日が5年目、お寺さんに読経してもらって、今帰られたところ読経のあと、こたつに入って1時間ほど、ゆっくり世間話をしていきました私より20歳くらいは若いでしょうか、それだけ私が歳を取ったということです今は真宗大谷派の寺院ですが、我が家は一代ごとに寺が変わる渡り鳥一家転勤族でもないのに、そういった運命の一族なんでしょう祖父祖母は墓も遺骨もなく、浅草の時宗(じしゅう)の寺で葬儀を行いました祖祖父、祖祖母は茨城の真宗大谷派、その前は代々、栃木県の臨済宗寺院に墓があります。私の代でようやく、この地で父からバトンタッチで2代目です。息子もこの地で3代目になるでしょう、世間で言う「安住の地」というものですかねまだこの先、わかりませんが、この土地の自然は好きです、ただどんどん不便になって行く医療問題や娯楽施...父の法要

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 162 讒言の波紋

    「殿下、朝鮮より使者が参りました」秀吉は朝鮮から戻って来た福原、熊谷の二人の軍目付に会った、そして戦の概要を聞いた「まことに危うい戦でありました、あと2日救援が遅れれば、加藤殿は敵に降参したでありましょう」「ばかな!あの剛直な虎之助は死んでも降参などするわけがない」「それが、そうでもありませぬ、後詰がつく前から夜に紛れて数名、十数名と敵陣に投降した者がおります、寒さとひもじさに負けた者たちと聞いております」「それは由々しき問題じゃ、後日虎之助を詰問しよう」「それから、こちらの書状でありますが、諸将が戦のあとで合議して決めた取り決めでございます」「なんじゃ」「此度の戦で、城普請も間に合わず、救援も遅かったので蔚山、梁山、順天の各城を破壊して、防御地域を縮小するという案でございます」「なに、、これは皆の総意な...空想歴史ドラマ貧乏太閤記162讒言の波紋

  • 友を選ばば・・・

    1年前の現役時代と今では、人付き合いが変化した当然ながら商売繋がりの付き合いは皆無になったし、銀行系のもろもろの親睦会、そこから派生した勉強会兼親睦会もなくなった。「商売の切れ目が縁の切れ目」同時に、必要以上の交際が多かったのも事実で、今は寂しさよりも時間や人に縛られない自由を満喫できるようになってきた。去年は時間をどう過ごせばよいかわからず、戸惑いの連続だった今は、時間の過ごし方もだんだんパターン化してきたし、これからのやりたいことも少しずつ見えてきた。人付き合いも少数精鋭が良いことに気づいた、付き合う回数が多ければ、付き合う人数が多ければ」は商売向きだった。今はどれだけの付き合いが必要なのか、家族親戚は別にしてみると飲みたいとき付き合ってくれる仲間旅行を楽しむ仲間趣味を共有できる仲間食事とドライブに付...友を選ばば・・・

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 161 勝利と不安と

    「日本軍が海上から上陸を開始した」と伝令が麻貴将軍に伝えた「しまった、敵が出そろう前に一気に城を攻め落とすぞ」数万の軍勢は城に向かって攻め込んだ、味方が上陸したことを聞いた城兵は勇気百倍になって、今まで以上の戦いをして、敵を二の丸前に釘付けにした。城の南の山に、日本軍の旗が雲霞の如く見えてきた、これを見た朝鮮、明軍は浮足立った、数ではこの救援軍を含めた日本軍の3倍近くも多い、けれども既にこの凍える野外で二週間近く戦を続けた朝鮮・明軍は戦死、戦傷者も多く、さらに過酷な天候の中で疲労と寒さに体力が限界に近づいている一方、日本軍の新手1万数千は、元気いっぱいの上に、並々ならぬ闘志をたたえて蔚山城の味方を助けるという使命感に燃えている勢いが違うのだ、それが一斉に山を下って、包囲している連合軍の中に突っ込んだその勢...空想歴史ドラマ貧乏太閤記161勝利と不安と

  • 久しぶりの海鮮丼 作ってみた

    この頃の生活パターンの一つに、おかず作りと、買い出しが加わって来たようやく一年たって、料理人魂が蘇って来た、いろんな調味料や添加物を揃えて、肉、魚、卵まど使い分けている、なんか急に生魚が食べたくなった海鮮丼も巷では普通に2000円、ちょっと豪華になると2500円、3000円が当たり前になった。自分自身、何十年も海鮮丼や、刺身を販売してきたから、そこらの店で食べるのはちょっと抵抗があるスーパーで、新鮮な素材を見極めて7種類くらい買ってきて「マイ海鮮丼」久しぶりに作った、包丁だけはプロ仕様で何種類もあるだが、原価仕入れが無くなった今は、今の我が家には贅沢品だスーパーでは、マグロなどじっくり品定めしている客はあまりいないが、同じ買うなら筋が無く、色がよく、水気の無いのを選ばなくてはじっくり比べて見ている「変な客...久しぶりの海鮮丼作ってみた

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 160 日本軍後退

    陸上部隊は有利のまま水原の目と鼻の先まで、攻め寄せていたが全州で秀吉からの使者である奉行を交えて軍議を開いた。奉行が命令書を読み上げた、「前線にある部隊は、別紙の配置書のとおり任地に向かうこと。任地では在地の賊の集団(義兵組織)が組織されぬよう、在民に褒美を取らせて、山に隠れている両班、役人、軍人の情報を得よ、それらをことごとく切り捨てること、それらの家族も家来もことごとく殺すこと。一般の朝鮮農民や市民は労働力として大事に扱い、危害を加えるわが兵士がいたら捕えて、厳しく罰すること在地農民は収穫に励むよう申し渡し、日本国内同様に年貢を収めさせること」などという内容であった。日本軍は大名ごとに割り当てられた任地を目指して南下していった、その任地は全て、全羅道であった。秀吉は、文禄の進軍で多くの兵が、病と寒さと...空想歴史ドラマ貧乏太閤記160日本軍後退

  • 新潟アルビレックス 5年ぶりのトップリーグは出足上々

    新潟アルビが予想以上の試合を展開した開始直後から、J1常連のような落ち着いたパス回し、そのあとはスピードに乗った走りから、J2優勝時の早いワンタッチパスで大阪陣内に切り込む大阪は新潟を舐めていたのか動きが鈍い、何度も新潟に攻め込まれて戸惑うそして22分、FW谷口がMF伊藤からのパスを豪快にシュートして先制点を決めたWカップで日本がスペイン、ドイツから得点した記憶がよみがえったしかし敵もさるもの、26分には同点に追いつき、前半1-1で折り返す後半は実力を出してきた大阪に押され気味になるがこらえるしかし後半の先制点は終盤に大阪が・・・ついに逆転される残り時間は10分台、しかも押され気味「もうだめだ、追加点を取られるシーンは見たくない」テレビを消そうとリモコンをもったが「まてまて、ラジオがわりにつけておくか」す...新潟アルビレックス5年ぶりのトップリーグは出足上々

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 159 激戦!

    捕虜も数百に達したが、それらの多くは市民の男女であった、兵士で生き残った者はほとんどなかった。戦のあとの処理が行われた、日本軍の武士は国内では敵の首を取って、それを大将に見聞してもらう。名のある兜首を取った者は勇士として大いに称賛され、出世も叶う、ところが朝鮮では取った首を秀吉に見せるために少なくとも10日間の日数がかかり、その間に腐ってしまうし、塩漬けにしても数人ならともかく、数千の首を塩漬けで送るのは不可能だそこで鼻を削いで討ち取った敵数の証として、部隊別に名護屋へ送ったこの日、送った鼻は5000を越えたという、その中には一般市民を殺害して、敵兵の数合わせにしたものも多くあったと言われる。捕虜の多くは女で、男たちはほぼ全員が殺された、捕虜は名護屋に船で送られた。文禄の戦では、朝鮮全土を制圧したのち、明...空想歴史ドラマ貧乏太閤記159激戦!

  • 戦争は消耗と経済再生

    戦争は人類最悪の悲惨なエゴ反面、最大最悪の消費消耗を伴う、最大最悪の経済活動一機100億円の戦闘機が、高価な燃料を燃やしながら一基5000万円のミサイルで、一両6億円の戦車を破壊する。破壊された戦車には、親が20数年間で数千万円をかけて育てた息子たち3人が乗り、体は粉々になって焼けこげる軍需工場は徹夜で飛行機、戦車、軍艦、ミサイル、砲弾、機銃に弾丸、部品を増産する、苦しい戦争でがっぽり儲かるところもあるのは驚きだやはり、プラスマイナスゼロの法則は、ここでも働いている。私の祖父は戦時下の東京で軍需工場へ勤労奉仕に行って、弾丸を運ぶ箱作りや、曲がった釘を伸ばす仕事をしていたという父はNECや沖電気の下請け工場で飛行機などに使う、電気部品を製造していた国家に駆り出された工員は、お国の勝利の為に相場以下の低賃金で...戦争は消耗と経済再生

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 158 慶長の役はじまる

    それから半月ほどで慶長2年(1597)になった続々と諸将は釜山周辺の城に、それぞれ向かった加藤清正は西生浦城に入ったが、秀吉からは「戦を急いではならぬ、戦の前に明との交渉を続けよ、朝鮮の王子を約束通り日本に送り、朝鮮が従属するならばそれ以上を求めるものではない、そのように交渉せよ」と命じた。秀吉は未だ、明国との交渉をあきらめていなかった、ようやくここに来て、朝鮮での戦争よりも、秀頼を次期関白としての足固めをしようと考え出したのだが、朝鮮出兵をしなければ明や朝鮮に足元を見られて、場合によっては今度は対馬を占領されて、九州に攻め込まれる恐れさえ出てくるここは名誉ある撤退をしなければならなかった、「おまえたちが秀吉に従ったから兵を引いてやる」という形で終わりたかった、そのためにも朝鮮王子が日本へ人質として来る必...空想歴史ドラマ貧乏太閤記158慶長の役はじまる

  • 山が見たくて走ってみた

    昨日は朝から晴れて、全国でも放射冷却でマイナス地点が多かった我が町では10時ころには4度まで上昇、天気につられて富山県魚津市の山間部へ山を見に出かけて、でも奥は積雪で交通止めとのこと行けるところまで行って見る。この先はすれ違い出来ない雪道、ここで戻ることに家々の一階部分を見ると、このあたりが例年は豪雪地帯なのがわかる今年は、やはり雪が少ないのだろう。富山の山間部に来るたびに思うのは「佐々成政」が、どんなルートで徳川家康の居る浜松まで行ったのか?ということだ通説では、現地の猟師だかの案内で、サラさ峠から針ノ木峠を越えていったという、だが大名が冬に2500mを超える山をこえていけるものなのか?佐々成政は今の富山城にいたらしいが、豊臣秀吉傘下に入った越後の上杉勢は魚津城あたりか、宮崎城あたりまで勢力を戻していた...山が見たくて走ってみた

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 157

    堺を発つとき、見送りに来た僧侶に明の使者は「あいすまぬ、もう一通挨拶状があったので、これを後ほど太閤殿下に渡していただきたい・・・単なる外交辞令であるから急がずともよろしい」と手渡した。「間違いなく、受け取りました、では皆さま道中お気をつけて」僧侶たちは笑顔で使節団を送りだした。秀吉に、この文書が届いたのは翌日の夕方であった、京、大坂と目まぐるしく動き回る秀吉の所在がなかなか掴めなかったのだ。全て漢語で書いてあるから、秀吉は読めない、そこで西笑承兌を読んで訳文させて聞いた。西笑は、読み進むうちに顔が青ざめていった「殿下!これは由々しき事態でございますぞ」「何事じゃ、手が震えておるが」「明の万歴帝は、我が国に降伏などしておりません」「なに!何じゃと」「降伏どころか、殿下が明国に降伏したと書いてあります」「ば...空想歴史ドラマ貧乏太閤記157

  • 冬の散歩道

    昨夕から雪が舞い始めて、今日はほとんど一日雪が舞っていたすなわち舞っていただけで、降り積もるとは違う今は午後6時前だが積雪量は5cmにもなっていない予報は一日雪だったが、お昼前ごろには明るくなったので2日ぶりにカメラを持って散歩に出た昨日までなかった雪が、また地面に薄い膜を張った今年初、「ぎゅっぎゅっ」踏みしめるたびに音を楽しめる雪が降った急に暗くなってアラレが降って来た消雪パイプ稼働冬の散歩道

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 156 交渉再開

    ついに六月には明の使者は釜山を発ち、対馬に上陸した、ここで朝鮮の使者を待った、直に朝鮮から正使、副使も対馬に到着した。七月初旬についに明と朝鮮の使者は名護屋に着いた、ここからは船に乗って瀬戸内海を堺の湊まで登っていくのだ、秀吉は京都伏見城で待っているとのことだ。今の秀吉の慰めになるのは、当然だが秀頼であるこんなにも幼い小さな人間、この小さな人形のような人間が自分の意思で動いて居るのが不思議に思えてくる。その小さな人間が、ニコニコ笑いながら自分に向かって両手を広げて歩いてくる、「ああ・・・あぶないこれ転ぶぞ、ゆっくり歩け」ハラハラし通しだ、ハラハラしてもこの幸福感はたまらないこれが幼子から、罪のない女たちを何十人も一度に殺害命令を出した男だとは思えない、人間とはなんと身勝手な生き物なのか。だが、この幸せな時...空想歴史小説貧乏太閤記156交渉再開

  • バレンタインチョコ

    ちょっと意外なニュースを聞いた最近の女子は「義理チョコ」を配らない人の方が過半数だそうだその代わり、自分のご褒美とかでちょっと高級なチョコを自分用に買うのだと、聞いていたがそれも、あまりないらしい、だからバレンタインチョコの売り上げ数量は減っているというだけど売上金額は増えている?なぜ?義理チョコが減ったかわりに、高級な「本命チョコ」が売り上げを伸ばしているらしいバレンタインにこだわらずチョコ全体で言うと販路が広がって伸びているそうだ現役の時は女子社員や友達から10ケくらいは毎年「義理チョコ」を貰ったが、商売人はしっかり「ホワイトディ」も広めて二重取りそれを思えば、家族からしか来ない今は、ホワイトディのお返し分で、自分チョコを買えば、けっこうランクの良いチョコが食べられるのでは?と・・思ったが、「同じ買う...バレンタインチョコ

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 155 崩れ行く豊臣家

    豊臣秀吉と言う、たった一人の最高権力者の命令で、ここで死んでいく女たち刑場に集まって来た見物人たちも、子供の姿を見て涙した誰からともなく、刑の執行に対して怒りの声、助命の声が聞こえてきた40名近い人たちの刑の執行は1時間余りかけて行われ,最後に首を斬られたのは哀れにも最上義光の娘、15歳の駒姫であった哀れと思い直した秀吉からの、駒姫の刑執行停止の使者が刑場に着いたのは、全員の遺体が折り重なった大きな穴が、砂と土に埋もれた後であった。同じ頃、秀吉は大坂城で、間もなく三歳を迎える秀頼と戯れていたのだった。その姿は孫を可愛がる好々爺そのもので、自分の命令で、秀頼と同い年の子まで殺された三条河原の惨状が行われていることなど、気にもかけていないようであった。縁側には、淀殿もいて「あれ!危ない、あれ!立ち上がりなさい...空想歴史ドラマ貧乏太閤記155崩れ行く豊臣家

  • 雪が無い散歩道

    毎朝起床時の室温を記録している冬景色の半月前は2度くらいだったが、この1週間は7度から始まって今朝は12度、日ごとに上昇している曇っていても、小雨でも散歩していると寒くなくなった、そんなある日の散歩道雪が無い散歩道

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 154 老女の死にざま

    この行為は、さすがに徳川家康のように何事にも動じない者であっても眉をひそめる惨い出来事であった。秀吉の家臣たちにも動揺が走った、かって信長が比叡山を焼き討ちして僧侶から女、子供まで殺しまくったときと同じ動揺だった。特に秀次の側室は諸大名に縁がある者が多く、当然ながらその大名や縁者は命乞いに秀吉の高官を頼った、しかし秀吉の心は明らかに鬼になっていたいったいなぜ、このようなかよわい女、子供まで全て斬首と言う惨いことをしたのか、本人さえわからなくなっている世間では、「秀次が生きていれば、秀頼の天下は奪われるから根こそぎ殺したのだ」とか「右大臣の娘、正室一の台が、秀吉を狗畜生と罵ったからだ」「秀次と一度でも体を併せた女たちを、秀次同様に汚らわしいと思ったからだ」あるいは「秀次に側室を勧めた大名たちに恐怖心を与える...空想歴史ドラマ貧乏太閤記154老女の死にざま

  • ちょいと人恋しい

    一か月ほど、友達とかに会っていないのでテレビとPCが友達になっている近頃は天気もよろしく、雪も道路から消えて歩きやすくなっているから、ほぼ毎日7000~9000歩くらい歩いている歩いていても棒に当たっても、人に会わない、知らぬ人とは多少はすれ違うが去年の夏、海岸の遊歩道で出会った、おばああさんの気持ちもわかる気がするおばあさんといっても85歳くらいだから、大歳寄りではないが「一人暮らしで、人と話すことが無くて寂しくて、海岸に来れば誰かに会うだろうと思って、ここに立っていたの、少しお話してもいいですか」と話しかけられて、15分くらい話し相手になったのだ。でも私自身も初対面の相手だったけど、なんかほのぼのとした気持ちで、話をしていたのです」それは過去のことで、私も誰かと話したくなったので、一昨日はちょっと用と...ちょいと人恋しい

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 153 犠牲者たち

    若き頃、快活な青年武将、羽柴秀吉に憧れて武家社会に身を投じた秀次であった、秀吉の後援で順風満帆な人生を送ったが、秀吉の最期の攪乱の犠牲になったとしか言いようがない。誰から見ても、秀次が謀反を起こそうとしていたなどとは言いがかり以外の何物でもない石田三成さえ、秀吉にいわれるがままに書いた糾弾書を読みながら、秀次に同情を禁じえなかった。三成さえ、秀次の無実を知っていただが、誰一人として秀吉に意見できるものはいなかった、言えばたちまち一味と言われて大名であっても命を落としたであろう。それでも秀次の家老の多くは、秀次の無実を堂々と訴えた羽田正親4万8千石、明石則実2万2千石、白江成定6万石、木村重玆、18万石、栗野秀用13万石、服部一忠3万5千石、渡瀬重彬、本多正氏などである多くは秀吉に仕えて、秀吉から万石大名に...空想歴史ドラマ貧乏太閤記153犠牲者たち

  • 今日でgooブログ開設3000日

    gooブログの前に、別のブログを10年以上かなやっていた、それは「yottinblog」と言うもので、それを今も使っている。そのブログが突然「やめます」となって、gooブログへの移転を勧められて、ここに来たのだった。3000日というと、他のサイトからも含めて1日平均150人くらいが訪れてくれたことになる。まだまだ小さい数字だが、私にしてみれば大きい、ありがたいことです。コメントのやり取りをしてくださるフォロワーさんもいるし、ささやかでもつながっている感があるのは、ありがたい。何よりも、簡単には行くことが出来ない他県の方と縁あって、その地域の情報や考え方、趣味、生き様を見せていただくのは楽しみである。gooブログのブロガー数は260万くらいらしい、そのうちの大部分は更新をしていないか、すでに辞めた人であろう...今日でgooブログ開設3000日

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 152 関白秀次切腹

    そんなことを考えると秀吉は動けない、動くとすれば不満分子の頭(かしら)を素早く打ち砕くしかない、自分が後継ぎとして関白にまで持ち上げた、甥の豊臣秀次が、その「かしら」だから悩み抜いている、だがわが子、秀頼は可愛いし、生母淀殿も愛おしいその淀が、秀次を異常なまでに恐れている、それは秀頼を守り、秀頼に秀吉の後を継がせたいと思うからだだが分が悪い、秀頼派は前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元あたりは堅いだろう、これに石田三成、増田、大谷、大野など近江派の秀頼の旗本大名も当然味方だ。だが秀次派は3万石前後の付け家老だけでも10名近い、更に尾張、美濃の諸大名、利休高弟で秀次と近しい茶大名、さらにキリシタン大名も味方するだろう、それよりも徳川家康の動向が気になる、また北政所も何かと秀次を心配しているようだ「なんとか円く収め...空想歴史ドラマ貧乏太閤記152関白秀次切腹

  • 思い付いたまま、とりとめもなく

    久しぶりに朝から本格的な雨、あたたかそうな雨市街地は、ほとんど雪は見当たらないが、丘陵あたりの雪はこれで一気に融けるだろう。間もなく太陽が顔を出して、午後からは晴れるようだ東京都の北西部や埼玉県、特に秩父から山梨県、そして箱根は昨日は、かなり雪が降ったようで交通パニックが起きている様子がテレビ中継されていた人口集中の都会は自然災害に弱い、過去の大地震がそれを証明している災害による大火災、あるいは空爆による火災で東京は過去二回も10数万人が犠牲になっているそれでも人は都会に集まる、これからも田舎で育った子供たちが、高校を卒業すると都会に集まる。田中角栄元総理のビデオを見ていた、「みなさん!東京だ、大阪だと言いますが、みんな(渡海周辺の各県)から出て行った人たちなんですよ、そうじゃありませんか、・・・・・田舎...思い付いたまま、とりとめもなく

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 151 秀吉を悩ますもの

    時を同じくして北陸では前田利家も客将の高山右近と、秀吉の危うさを語り合っている。前田又左衛門利家、官位は家康と同じ従二位権大納言で90万石の大身若き頃は織田信長に仕え槍一筋の荒武者で「槍の又左」と呼ばれたまだこの先どうなるかも本人さえわかっていなかった藤吉郎を、信長に引き合わせたのは利家であった。藤吉郎(秀吉)17歳、利家16歳の時であったその前田利家も今は57歳になり頭も眉毛もひげも白くなった、体も次第に衰え始めたが眼光は鋭く、気迫は衰えていない利家はこの時、久しぶりに領地である加賀尾山城(金沢)に戻ってきている秀吉にキリシタン追放に逆らって信心を捨てず、6万石の大名の地位を捨てた真のキリシタン、高山右近は秀吉の逆鱗に触れ浪人となったが、実直な利家は純粋な右近に惚れ込んで召し抱えた。秀吉も、他の大名であ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記151秀吉を悩ますもの

  • ざんね~~ん ちゅうか腹立たしい

    さて昨日の続きの「昨日のこと」だけど、北信越の天気を見たら、新潟県以外は皆、晴れマークだったので長野県へ1か月ぶりに行くことにした小谷村は(例のバックカントリー遭難事故の村)一か月前に比べると、本当に冬の真っただ中の感じで、雪も細かなのが降っていたところが、白馬村に入ったら、なんと晴!どこが境目?っていうくらい鮮やかに切り替わった、しかし八方尾根も白馬三山も唐松も雲の中いつもは写真とりとり、のんびり行くのだが、今日は(9日)安曇野の「白鳥湖」を見に行くので先を急ぐ松川道の駅で、トイレ休憩をして、そこで地元唯一の漬物屋さんの「柴漬けたくあん」を買った、残り二本しかなかった。ついでに「いぶり風のたくあん」も買ったが、なぜか宮崎県産だった。前日にもたくあんが食べたくて、「業務スーパー」で、おいしそうな一本漬けが...ざんね~~んちゅうか腹立たしい

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 150 諸将の本音

    *ついに、この日で150日目になりました、まずい文章ながらよく毎日続くものだと、我ながら驚いています、まあ、閑人と言うことの証明でもありますが。家康は一人ずつ個別に茶室に招き入れて茶をふるまった秀吉と正反対の家康は茶室も狭く、うっすら自然光が入るが、昼間でも顔も良く見えない薄暗さである静けさ・・・客はここにいると世間のうるささから解放され、自分の真の姿をじっくりと見つめることが出来るような気がしてくる。「朝鮮では、たいそうなご苦労をなされたのう」「われらが勤めでありますれば、特別なことではありませぬ」福島正則はそう言った、秀吉の子飼いで親戚だ、そう言う返事は家康には予測できていた、だが正則と竹馬の友である加藤清正の話に及ぶと「虎(加藤)は我らのような南に居た者と違い、雪に覆われ凍える北方の大地にて山脈を越...空想歴史ドラマ貧乏太閤記150諸将の本音

  • 春かな?

    二月に入って、ずっと穏やかさて、今日はどこへ行こうか春かな?

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 149 どうするか家康

    「どうじゃ、秀次に近しい者どもはわかったか」「かなり調べはつきましたぞ」徳川家康と本多正信である、二人は今は大坂屋敷にいる「関白殿下の家老は、にわか作りが多いゆえ、案外大きな穴があいております」「そうであろうのお、主が関白になったおかげで5000石の小身が一気に5万石じゃから舞い上げっておろう」「関白殿下だけでなく、家老にも諸大名から賄賂が届いているそうでございます」「そこよ」二人の会話にしては珍しく熱が入っている「しかし正氏(まさうじ)は、よおやっておる」「親譲りでござる、隠密にこれほど向いていたとは」正氏=本多正氏は、本多正信の甥である、3年前までは家康の馬廻りとして働いていたが、突然あいそうを尽かして出奔したのだその後、秀次の重臣、羽田正親と懇意になり秀次の家臣になっていることがわかった、家康も成敗...空想歴史ドラマ貧乏太閤記149どうするか家康

  • 春を待つ

    仕事をやめて、突然「毎日が日曜日」になってしまった昨年一年最初の半年は残務処理が山積みで、何が何だかわからぬまま走り回っていたが秋が近づくと、そんな仕事も落ち着いてしばらくは趣味など楽しんだところが今年になって私の生活は完全にワンパターンになってしまった朝は起きるまで寝て、起きればブログと朝食作り、散歩して終わればテレビを見ながら昼寝、それから遅い昼食作りそれから夕食まで家の中で時間を潰し、夜はドラマを見て、皆さんのブログをチェックして、飲んで寝る。これはいったいどうしたことだ!でもこれは雪が降る寒い冬だからだ、3月になればきっと動き出すだろうそれまでは近くの赤ちょうちんで、女将相手に軽飲みでもしようかな。今日は曇り、雨・・・わずかに残った軒下の雪も融けるだろう。春を待つ

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 148 淀殿と大野治長

    秀次は、このごろになって政所が母のように思える、関白と言ってもまだ26歳の若者である、秀長が死んでからは頼れる人間がいなくなり寂しかったが、北政所が頼りになる人だと今になって知ったのだ。政所の人脈もなかなかのもので、育てた子飼いの大名はもちろん、親戚になる木下、浅井、三好、それに前田家はもちろん、徳川家康も親しい家康の次男、結城秀康なども一時秀吉が養子にしたから母のように慕っている、自然そんな人々とも秀次は言葉を交わすことがある。だが、秀吉の密命を受けた石田三成は、こうした交流を逐一、秀吉に報告している。それでも秀吉は特に取り上げず、秀次を伏見城に呼んだ「世間では、おまえと儂の関係をとやかく言う者がおる」とズバっと切り出して、「だが儂は、そんなことは信じぬ、おまえと儂の関係が盤石なことを知らしめねばならぬ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記148淀殿と大野治長

  • 静かに見守って

    まだ2月が始まって間もないと言うのに、日ごとに気温が上がっていくこの数日は初春のような穏やかな日差しが差して、外を歩いていても汗ばむこの土地に生まれたオールドエィジは、「これで終わらんだろう」というが本当の大雪を知らない、平成生まれの感覚では、もう春なんだろう我が町にも白鳥が訪れていると知ったのは、同級生のライン町から離れた農村地帯の田んぼに、一家族らしい白鳥がここ数年訪れているようだ。せっかくの来訪、自然の風景の一つとして、そっとしておきたいそっとしておきたいと言えば、岡山の駅伝女子中学生、ドルーリーさんの周辺が騒がしい私も見ていたが、都道府県対抗駅伝で3km、中学生区間で驚異の18人(17人?)抜きで驚かせたが、その容姿が更に驚かせたスター性あると書いたが、やはりマスコミが食いついていたそれから行われ...静かに見守って

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 147 「江姫」徳川家に再嫁

    話は少し前後する。池田輝政は、柴田勝家との賤ケ岳の戦で秀吉に味方して討ち死にした勇将、中川瀬兵衛清秀の娘を正室にしていたが、長男が産まれた後、病気がちになり実家に帰ったので独り身であった、それに気づいた秀吉は後妻を世話しようと考えた北政所ねねに相談すると、「それなら亡くなった(小吉)秀勝の室だった、江姫はいかがですか」と言った「なるほど、どちらも伴侶を失って寂しい思いをしておる、それは良い考えじゃ」と言って、さっそく輝政に話すと「それはありがたきお話でありますが、実は徳川家康様から、亡くなった北条氏直室でありました徳川様のご息女を娶る話が進んでいるのです」と言う返事が返って来た、秀吉は少しがっくりしたが「それは良い話である、そのときには儂からも祝いの品をやるとしよう」とその場を締めた。だがそれから間もなく...空想歴史ドラマ貧乏太閤記147「江姫」徳川家に再嫁

  • 連ドラ1か月

    今までほとんど見なかった連ドラ、見始めると面白いどれも4話くらいまで終わって、内容と面白度も見えてきたので、そろそろ評価できそう私の面白ランキング1,◎100万回言えばよかった幽霊になった男と幽霊が見える刑事井上真央佐藤健松山ケンイチシムウンギョン*現実度ほぼゼロ「ゴーストニューヨークの幻」のテレビ版みたいなドラマ、口笛が聞こえるはどうかな?幽霊さんの死体が見つかって、展開がどうなっていく井上真央がとってもいい。2、◎罠の戦争大臣秘書の大臣と政界への復讐劇井川遥草彅剛本田博太郎片平なぎさ高橋克典・現実度20%復讐劇は韓国ドラマが得意いたぶられた善人が悪に復讐するパターンは、日本人も韓国人も好きみたい昔のスーパーアイドルグループのベーシスト岸部一徳がいい味出てます。2,◎大病院占拠謎の鬼面集団が大病院占拠で...連ドラ1か月

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 146 池田輝政の妹 若御台

    昨年の春のことだが秀次は北政所を誘って、吉野の早咲きの桜を見物に行ったそこで「政所様、近頃私の噂をお聞きでしょうか」と政所に問うた「正直に申すと、そなたの悪い噂を誰彼となく聞きます、でもたまにしか会うことはなかったけれど、その噂の大半が興味本位のでまかせであることは、私にはわかります」「そう言っていただくと少しは安心できます、太閤殿下がどう思っているかと考えるだけで不安になるのです」「殿下の目が淀殿と拾いに心を奪われるのは仕方ないとして、そなたはこれまで殿下の為に多くの戦に出かけ、関白まで譲られたのです豊臣家の数少ない大名の筆頭であるそなたを攻めるのは筋違いですでも殿下は、そなたを頼りに思うと先日も私に申しましたなにより名代として名護屋で総大将を命じられたでしょう、いかに殿下がそなたを頼りにしているかわか...空想歴史ドラマ貧乏太閤記146池田輝政の妹若御台

  • アンケートと確定申告

    今年に入ってアンケートが2つ送られてきた一つは市の福祉課から、もう一つは国の経産省から市は「高齢者の健康調査」、国は「家計調査」だった市の調査は10分で書き上げた、おもに日々の健康自主管理の調査であるこれを書きながら自分の傾向がわかって面白かった健康状態は極めて良く、健康管理も在職中よりはるかにデリケートに対処している地域活動には積極的でなく、というより地域のグループ活動はしたくない人で、だけど相談されたら相談に乗るタイプ、決して孤独に生きたいタイプではない友達が多いので、友達との活動や遊びには積極的に参加する自由欄があったので、市への要望をけっこういっぱい書いた国の方はPCか何かで抽出されたとのことで1年間にわたって毎月一回、支出を報告するのだ、一年やり遂げると5000円支払うそうだ食費は対象になってい...アンケートと確定申告

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 145 和親条約締結の動き再開

    12月になった。明の僻地、遼東にいた明軍の多くが日本軍に倣い、北京への引き上げを命じられた、同時に、そこで足止めされていた日本の講和使節、内藤如安ら一行にも紫禁城で皇帝が目通りすると伝えられただが日本では、内藤が行ったきり戻ってこず、明からも何も連絡が来ないので「これは殺されたか!」と勘繰り、秀吉はいよいよ第二次の出兵も思うようになっていた。そして年は開けて文禄6年(1595)になった秀吉はついに我慢の限界に来た、三成を呼ぶと「いよいよ朝鮮出兵じゃ、陣立てを話すから準備をいたせ」1番隊小西、鍋島ら九州大名2番隊加藤、島津ら九州大名3番隊黒田ら、北九州大名4番隊宇喜多、蜂須賀ら中国、四国勢5番隊毛利、小早川ら北九州、中国後方支援および船手総勢16万総大将は豊臣秀次として名護屋に陣する、徳川秀忠、前田利長らが...空想歴史ドラマ貧乏太閤記145和親条約締結の動き再開

  • やっぱり恵方巻になった

    まるまる1年仕事をしなくなって、ようやく失業実態を受け入れることが出来るようになった。あいかわらず夢の中では仕事に追われ、ボランティア活動をしたりしているが「10年に一度の豪雪」も積雪20cmほどで終わり、ここ10日間は晴れもしないが穏やかで、車道は雪が消え、住宅街や空き地には雪が残っている景色昨日も雨が降りそうで降らない空の下を、散歩がてら買い物に行ってきた海鮮丼ネタを買いに行ったのだが、「恵方巻ネタセット(ぶり、マグロ、サーモン」ちょうど3人前セットがあったので、急遽恵方巻造りに変更したチラシやTVCMで、一本1000数百円販売並みの恵方巻を500円の材料費でできた年金家族はできるだけ自作で倹約するしかない、もっとも作る方は本職で、一昨年までは販売者だったのだから苦にもならない・・・というか作っている...やっぱり恵方巻になった

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 144 忍び寄る影

    関白豊臣秀次の不幸は、天下人秀吉の甥に生まれたことだ何事もなければ尾張で平凡な百姓として、近在の百姓娘と結婚して、子をもうけて平凡な生涯を終えただろう。人には人生の中で一度は、越えなければならない大きな山に出くわすことがある。仕事での決断、大失敗、転職、事業の失敗、大病、大事故に遭って体の一部が欠損したり、子供の登校拒否、障害を持った子の誕生、配偶者の死、熟年離婚、何かの理由で莫大な債務を負うとか、全財産を失うとか、数え上げれば切りがないそれは貴賎を問わず、老若を問わず訪れるこれを乗り切れるか、乗り切れないかは本人の強さ、弱さによる不幸は時に幸福の糧になることもある、秀吉のように負の境遇から始まったことが、彼を強い人間に押し上げて、天下一の男にまで上り詰めた、徳川家康もしかり。だが秀次には、そんな才能はな...空想歴史ドラマ貧乏太閤記144忍び寄る影

  • 恵方巻

    ネットを見たら「恵方巻」は1989年にコンビニチェーンが広島県で販売したのが始まり、と書いてあった。ヒット商品なんてのは、ほんの些細なことから始まることも多いんだなと思った日本人の「乗っちゃえ」精神なのか、遠くはクリスマス、それからバレンタイン&ホワイトディ、近年のハロウィンにしても私の青春期頃には無かったものばかりだ。商売人の商魂たくましさと、それに乗っかって楽しめる日本人なのだ。私も2年前まで頼まれた人にだけ恵方巻を作って販売していたが、せいぜい20本くらいだった、海苔1枚半使った、スペシャル海鮮超太巻きも作ったが、800円で販売したが、テレビを見てたら2000円以上していたので驚いた。今日は自宅用に巻こうかなと思って聞いてみたら、「海鮮丼の方が良い」との声意味合いが違うと思いながらも、「そっちの方が...恵方巻

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 143 奥州の独眼竜 伊達政宗

    同じころ奥州に帰った伊達政宗もまた、軍師参謀の片倉小十郎景綱と語っていた。景綱は政宗より10歳年上で36歳、政宗の父輝宗の小姓から政宗の側近になり、その才覚を表し奥州の刈り取りに疾走した勇猛な武将であり、知恵袋であった武田信玄に板垣信方、山本勘助、今川義元に太原雪斎、上杉景勝には直江兼続があり、秀吉には竹中半兵衛、黒田官兵衛、豊臣秀長毛利輝元には小早川隆景と大きくなった大名には立派な軍師がついているその点では独断専行の独裁者、織田信長は己の才覚だけを頼り、知恵袋を置かなかったから、最期に失敗してしまった。秀吉などはもってこいの軍師だっただろうが、信長はそれを許さず、単なる軍団長の扱いしかなかったのだ。奥州伊達家は藤原氏で、祖先が源頼朝に従って奥州に攻め込み、そこで伊達の領土をいただいたところから始まるとい...空想歴史ドラマ貧乏太閤記143奥州の独眼竜伊達政宗

  • がんばれニッポン! 2115年

    高速道路の無料化実施が2065年から引き揚げられて、2115年までに延ばされたこれが実施されるかどうか、先延ばしを決定した人たちも確かめるすべはないのではないか。2115年と言えば、運よく私が生きていれば165歳である、まあ2065年でも115歳だから同じようなものだ。もっとも運転免許だって、あと10年持っているかどうかだから関係ないけど本当は今頃はスイスイ無料で高速を走っていたわけだが、以前にも先送りされたということになる、結局「言って見たけどや~めた」と言うわけだ言い訳は、どうにもなる、あのトンネル天井壁崩落の悲劇を言われたら、無料化より有料で安全な高速道を選ばざるを得ない、最初からできないことは口にしなけりゃよかったのに、結局年金同様に先を見通すのが甘すぎたということだ、必要なものは必要だから仕方な...がんばれニッポン!2115年

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 142 揺れる秀吉 家康の腹の内

    文禄3年(1594)が明けた朝鮮の状況が秀吉に聞こえてきた、朝鮮に在陣する兵数は5万で主に全羅道、釜山を中心にして慶尚道に十幾つかの日本式の城を築き、九州と四国、中国の大名に守備させているそれらの城は、また戦となれば日本からの増援部隊を直接城下に送り込めるよう、津々浦々に面して築城したのである。そして、秀長亡き後、一門衆として位置付けた毛利一族に、釜山一帯の要を任せてあるすでに大将格の毛利輝元、小早川隆景は帰国したが、毛利秀元、吉川広家、小早川隆景の養子だった毛利秀包らが守将となって残っている。去年の10月にはようやく宣祖が漢城に戻って来た、そして日本が奪った南部を奪還したいと思ったが、明からは「ようやく得た平和を乱してはならぬ、正式に倭国が我が国の属国になるまでまて」と釘を刺されている、朝鮮単独で、日本...空想歴史ドラマ貧乏太閤記142揺れる秀吉家康の腹の内

  • 酒の話

    寒いのに何かウィスキーをロックで飲みたくなって、ロックアイスと一緒に買ってきた銘柄は「ジョニ赤」、値段も980円とお安い、「ジョニ黒」も2000円ほどで売っていたが、久し振りの舌慣らしには赤でちょうど良いこれを飲むのは30年ぶりくらいかな、まさか980円とは思いもよらなかった田舎でこれだから、都会なら600円くらいで手に入るのでは?30代半ばころ、初めて国外旅行で台湾へ行ったが、あの頃は国内では赤5000円だか7000円だかで、黒1万円などと言っていた。それが免税店で2500円で一人5本買えると言うので、酒嫌いの友達にも頼んで10本買ってきた思い出がある。日本酒の越乃寒梅、雪中梅などもこちらは希少価値で1万円という値がついていたが、それも今は普通に買える、もっとレアな日本湯も増えてきたし、どれが一番とかな...酒の話

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