相変わらず「鳥オンチ」の私写真を撮って図鑑を見たら「コガモ」のようだ始めて見た鳥TheAnimals-BringItOnHomeToMe(clip,1965)♫♥オシドリの仲間コガモのペアかな?
歳をとろうがとるまいが 何があってもなくても人生愉快なり 楽しんで生きよう
秀吉の死は秘中の秘として秘匿された、だが秀吉が死んでも朝鮮の戦は続いたままだ、それも明国と朝鮮の連合軍は水陸併せて20万ほどに対して、朝鮮に残った日本軍は加藤清正、小西行長、島津義弘の三軍団と小部隊総勢3万5000ほどだ海上も封鎖されて撤退もままならない。石田三成は、秀吉の死後すぐに五大老、五奉行を集めて善後策を練ったまだ朝鮮が不穏な今、決して朝鮮、明に知られてはならない徳永寿昌らが渡海して、朝鮮に残る大名にのみこれを報せ、家臣にも気づかれぬよう、「和平交渉が整って戦が終了に近いから」という理由で、暫時粛々と帰国するように話した。それで島津、加藤、小西、黒田、有馬の部隊が最後まで残ったが、そこに敵が攻め寄せてきた9月20日には加藤清正の蔚山城、10月早々には島津の泗川城、小西の順天城が攻められた蔚山には加...空想歴史ドラマ貧乏太閤記169朝鮮からの撤退
大相撲の番付が発表されましたね今回も照ノ富士が「横綱大関」と言う兼業、でしかもたぶん休場でしょう一人大関の貴景勝が「西大関」というのも滅多に見られない現象ですねでまたこの人が15日間「この一番にて本日のうちどめ~~」なんでしょう。13勝以上で優勝、14勝以上で準優勝以上なら横綱昇進間違いなし、(私見)ですけど。問題は13勝で準優勝、12勝以下で優勝の場合、協会はどんな判断を下すでしょうか、横綱が欲しくて仕方ないですからね、しかも日本人。大関不足に悩んでいるのに、十両3枚目までに元大関二人、関脇一人と豪華です、朝の山、先場所は上位に二桁勝が多かったため幕内復帰はなりませんでしたね今場所も好成績で優勝して一気に幕内上位を狙ってほしいです。5年ぶりJ1復帰した新潟アルビ、強さは本物か?開幕戦は昨年5位のC大阪に...大相撲三月場所は見どころあり&J1アルビレックス新潟
秀吉の死は直ちに肥前名護屋城にも伝えられたすでに戻っていた渡海軍のうち、五大老の宇喜多秀家が石田三成、浅野長政ら奉行衆、小早川秀秋ら諸大名を集めて、朝鮮に残っている軍の撤収方法を相談した一方、京に詰めていた徳川家康は、ただちに軍勢を率いて大坂に向かい、大坂城の秀頼の警護と称して家康は城内にとどまった前田利家は既に秀吉に依頼されて詰めていたが、そこに家康も来たので今後の国内の安定、朝鮮、明国に対する備えや対処方法を語り合った。その頃、北政所は秀吉が眠る伏見城で、危急を聞いてやってくる在地武将に何かと返礼の言葉をかけていた。そのでも福島正則と加藤清正はわが子同様である、しかし清正は今も朝鮮で戦を続けているので、正則は(さぞかし、かかさまは落胆されているだろう、わしが行って虎(清正)の分も孝行せにゃなるまい)と...空想歴史ドラマ貧乏太閤記168北政所ねねの述懐
ついに「貧乏太閤記」を書き終えた、掲載もあと三話で終わる。これを書き始めたおかげで、約6か月退屈せずに済んだそして勢いに乗って次の長期ミッションに挑戦するまた自分の根気が試される以前書いたけれど、今度は自分の人生の総括、1964年(昭和39年)8月25日から始まる日記の中身の整理だ、これをまとめれば日記帳の断捨離ができる58年間の自分を振り返る、何が出てくるかわからないびっくり箱だ今読みかえしても、わからない人物も登場してくる、記憶とは曖昧なものだエクセルを使って、その日の内容を簡潔に、出てきた人物名、気持ちを1~2行に集約して書いていく、1ページ1ケ月だから12x58=870ページか一日2か月分書いても休みなしで435日、1年半500日以上はかかりそうだな一番楽しみなのは家族以外でもっとも多く登場する人...次のミッション
そんな秀吉も昏睡状態になることが多くなってきて、8月にはもはや意識がもうろうとした状態が続くので、面会も断り、政所と前田利家の妻「まつ」それに京極殿の三人が交代でつきそうだけであった。ときどき、医師全宗が様子を見にやってくるくらいである、昏睡はしているがすぐに命がどうこうと言うほどではないだが日増しに衰弱していくのがわかる、もう食べ物らしい食べ物も、それが水のような粥であっても自力では食べることが出来ない完全な老衰状態になっているのだ、苦しむこと、痛みを訴えることもなく、ただただ寝ているだけなのだそんなとき、今まで音沙汰がなかった淀殿が突然伏見にやって来た、供として大野治長がついている、籠を守る衛士たちは別の広間で待っている治長は廊下に座って、警護の体制になった、秀吉の寝間を淀が開くと、そこには京極殿がつ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記167豊臣秀吉の死
この侵略戦争はまだまだ終わりそうもないそれは両国ともに決定的な最終打撃を与えることが不可能だからだ80年前の日米戦争の時は、アメリカ軍が制空権、制海権を圧倒し、日本の60以上の都市を爆撃で焼き尽くし、原爆を2発落して広島、長崎で一瞬にして10万人の市民を殺した。さらに3発目を落すスタンスを見せたから、もはや国民総玉砕の道しか選べない日本は降伏した。今、ロシアがウクライナに決定的な敗北を与える方法は、こうした原爆以上の核兵器攻撃しかない、通常兵器戦では西側陣営が応援しているウクライナに勝てない。ただし西側陣営の支援が終わればウクライナは敗北する。ロシアが核兵器を使えばそれは世界大戦の引き金を引くことでもあるそれは人類滅亡の引き金でもある、だからロシアも簡単には核を使えない一方、ウクライナも国内のロシア兵とし...ウクライナ侵略戦争一年
徳川家康の嫡男となった秀忠は数えで19歳になった家康は55歳だから、36歳の子だ順番で言えば三男だが、嫡男信康は遥か昔に切腹を申し付けて殺した次男の秀康は、なぜか家康が馴染まず、秀吉の人質として大坂に送ったが、秀吉夫婦は養子の一人に加えて可愛がってくれた今は結城家へ養子に入って、結城秀康と名乗っている秀忠は大坂城の主となった淀殿の末妹「江」を娶っているが、結婚生活を経験している6歳年上の妻には子ども扱いされて頭が上がらないもともと温厚な青年で、果たして戦国の世にあって荒々しい三河武士団を統率できるか疑問とされているしかし家康は55歳とはいえ、健康そのもので病気一つせず、気色の充実したること天下無双の大名であるから、まだまだ秀忠は学ぶ余裕がある家康も、秀忠を学ばせるため本多正信に指導させることが多くなったそ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記166徳川父子
*この記事は24日に書いたもの昨日やってしまいたいことがあったが、昨日は天皇誕生日、明日は土曜だから役所などが休み、今日がめっぽう忙しくなってしまった。やるべき仕事は、すぐにやってしまう方なので、今日はたまった仕事を散歩がてら一度にやった。余計な話だが2月22日は父の命日、23日は天皇誕生日、24日は母の誕生日まずは市役所へ行って、市民課、福祉課をまわって用事を済ませそれから銀行へ行って公共料金分を下ろして、その足で「町の電気屋さん」で支払い、1月末の寒波で洗濯機が故障して修理してもらったのだった。それからKs電気でプリンターインクを買ってその足でガス水道局へ行って、ガス水道代を支払った、電気もガス水道もたしかに去年より上がっている午後からは市役所で住民税の申告をしてきた。毎年パソコンで確定申告書を作って...歩いた歩いた・・・なのに
しかし、そんなことを言った翌月六月になると秀吉は、食あたりしたかのような激しい嘔吐と下痢が続き、すっかりやせ衰えてしまった今までは三日もあれば全快したのに、ずっと寝たきりになった、諸大名が次々に見舞いに訪れたが誰もが「もしや・・・」と思うのであった。ここで秀吉が死んでしまえばこの国はどうなるのか、朝鮮はどうなるのか、豊臣家は?誰もが混乱した。秀吉も(まさか・・・もしや・・・)と思うようになったそうなれば一番に気になるのが秀頼のことであった、まだ五歳の子供である政治どころか、大名を制するなど淀がついていてもできるわけがない秀吉は石田三成を呼んだ、何といっても豊臣家のことを第一に思っている男はこの三成であると秀吉は思っている「三成よ、儂にもしものことがあれば秀頼を託せるのは、そなたしかいないさりとて、そなたは...空想歴史ドラマ貧乏太閤記165秀吉病に伏す
海が好きだけど川の流れを見るのも好きだきっちりと整備された都会の大河もいいけれど真っ白な雪原の中に一筋の流れを見るのも良い信州飯山から飯綱、豊野、信濃町、川の流れに沿って走ってみたカラフルな屋根なのか?それとも雪止めの段差が作り出した芸術?この鉄路は飯山線長野から飯山に向かう鉄路廃校なのだろうか?レトロで重厚な立派な庁舎に出会った初めて通ってみた道で廃校にしてはきれいだ小学校みたいだが、収まるだけの生徒は居るのだろうか?いらない心配!雪国へ川を見に行く山間部を行く千曲川
「ルソンへ使いを出せ、スペインの提督に、『スペイン王は余に臣従せよ』と言う書状を届けるのだ」それは高圧的な内容であった、「スペインが日本との交易を望むなら、まずは余に対して臣従を誓え、そうすれば交易を許す、だがキリシタンの布教と、パードレの来日は許さないもし臣従しないなら、明を従属させ、朝鮮を従えた日本は大軍を持って高山国(台湾)を占領し、そこからルソンに攻め寄せるであろう」そのように脅した、ルソン(フィリピン)を占領しているスペイン人は驚き、恐れた、いかにスペインが欧州最強であっても、ルソンに駐屯する僅かな軍隊では、とても戦続きで猛り狂っている日本の武士10万の敵ではない仕方なく、ルソンの提督は秀吉のご機嫌取りに使者を送って時間稼ぎをした。豊臣家の前途はどうなるのか、それは秀吉の周りに仕える武士たちが一...空想歴史ドラマ貧乏太閤記164秀吉の果てなき夢
散歩していても、すっかり春めいている今年は一時「10年に一度の・・・」が発令されたが、結局15cmほどの積雪で終わった。この冬は、降っても間もなく消えるので、「根雪」と言うものがなかっただから今年は、ある程度記録的な少雪の冬だったということになるそんな中でも、山間部では24時間以上の雪の中の立ち往生というのが今年も起きたから、また豪雪地域では2m、3mの積雪もあったので、全体的に見れば平年通りの冬ともいえる。逆に言えば、海岸部が全体的に小雪傾向とはいえ、わが地域100kmほどの範囲だけ、雪国の中で特に「雪が降らない地域」であったことは間違いない。40km先の地域は、どんどん積もっているのに、こちらは晴れと言うことも何度かあった昨日も、今日も良い天気だ、明日は崩れるらしい、でも吹雪とかはもうないだろう、気づ...今年の冬を振り返る
時間を春先に戻す、朝鮮の戦もひと段落ついて三月、秀吉は京都醍醐寺裏手の山に於いて、お花見を行った、後に「醍醐の花見」と呼ばれる催しである。招かれたのは、ほとんど女性ばかりであったという、いかにも秀吉らしいが、関白秀次の正室、側室を家柄もなにも関係なく全て打ち首にしたという秀吉に対して、諸大名や武将らの奥方たちは緊張したであろう。身分高い女性らは輿に乗って醍醐寺にやってきたが、その順も決められており、これが秀吉の室の序列でもあった。一番が正室北政所、二番が淀殿、三番が京極殿、四番が織田信長の娘と言われた三の丸殿、五番目が前田利家の娘、加賀殿、その次が前田利家の奥方で加賀殿の母である「まつ」と続いた。前田家と豊臣家の間柄は、利家、秀吉がまだ中堅武士である頃からの付き合いで、最初は秀吉が利家の足軽だったのだから...空想歴史ドラマ貧乏太閤記163醍醐の花見
父が亡くなって今日が5年目、お寺さんに読経してもらって、今帰られたところ読経のあと、こたつに入って1時間ほど、ゆっくり世間話をしていきました私より20歳くらいは若いでしょうか、それだけ私が歳を取ったということです今は真宗大谷派の寺院ですが、我が家は一代ごとに寺が変わる渡り鳥一家転勤族でもないのに、そういった運命の一族なんでしょう祖父祖母は墓も遺骨もなく、浅草の時宗(じしゅう)の寺で葬儀を行いました祖祖父、祖祖母は茨城の真宗大谷派、その前は代々、栃木県の臨済宗寺院に墓があります。私の代でようやく、この地で父からバトンタッチで2代目です。息子もこの地で3代目になるでしょう、世間で言う「安住の地」というものですかねまだこの先、わかりませんが、この土地の自然は好きです、ただどんどん不便になって行く医療問題や娯楽施...父の法要
「殿下、朝鮮より使者が参りました」秀吉は朝鮮から戻って来た福原、熊谷の二人の軍目付に会った、そして戦の概要を聞いた「まことに危うい戦でありました、あと2日救援が遅れれば、加藤殿は敵に降参したでありましょう」「ばかな!あの剛直な虎之助は死んでも降参などするわけがない」「それが、そうでもありませぬ、後詰がつく前から夜に紛れて数名、十数名と敵陣に投降した者がおります、寒さとひもじさに負けた者たちと聞いております」「それは由々しき問題じゃ、後日虎之助を詰問しよう」「それから、こちらの書状でありますが、諸将が戦のあとで合議して決めた取り決めでございます」「なんじゃ」「此度の戦で、城普請も間に合わず、救援も遅かったので蔚山、梁山、順天の各城を破壊して、防御地域を縮小するという案でございます」「なに、、これは皆の総意な...空想歴史ドラマ貧乏太閤記162讒言の波紋
1年前の現役時代と今では、人付き合いが変化した当然ながら商売繋がりの付き合いは皆無になったし、銀行系のもろもろの親睦会、そこから派生した勉強会兼親睦会もなくなった。「商売の切れ目が縁の切れ目」同時に、必要以上の交際が多かったのも事実で、今は寂しさよりも時間や人に縛られない自由を満喫できるようになってきた。去年は時間をどう過ごせばよいかわからず、戸惑いの連続だった今は、時間の過ごし方もだんだんパターン化してきたし、これからのやりたいことも少しずつ見えてきた。人付き合いも少数精鋭が良いことに気づいた、付き合う回数が多ければ、付き合う人数が多ければ」は商売向きだった。今はどれだけの付き合いが必要なのか、家族親戚は別にしてみると飲みたいとき付き合ってくれる仲間旅行を楽しむ仲間趣味を共有できる仲間食事とドライブに付...友を選ばば・・・
「日本軍が海上から上陸を開始した」と伝令が麻貴将軍に伝えた「しまった、敵が出そろう前に一気に城を攻め落とすぞ」数万の軍勢は城に向かって攻め込んだ、味方が上陸したことを聞いた城兵は勇気百倍になって、今まで以上の戦いをして、敵を二の丸前に釘付けにした。城の南の山に、日本軍の旗が雲霞の如く見えてきた、これを見た朝鮮、明軍は浮足立った、数ではこの救援軍を含めた日本軍の3倍近くも多い、けれども既にこの凍える野外で二週間近く戦を続けた朝鮮・明軍は戦死、戦傷者も多く、さらに過酷な天候の中で疲労と寒さに体力が限界に近づいている一方、日本軍の新手1万数千は、元気いっぱいの上に、並々ならぬ闘志をたたえて蔚山城の味方を助けるという使命感に燃えている勢いが違うのだ、それが一斉に山を下って、包囲している連合軍の中に突っ込んだその勢...空想歴史ドラマ貧乏太閤記161勝利と不安と
この頃の生活パターンの一つに、おかず作りと、買い出しが加わって来たようやく一年たって、料理人魂が蘇って来た、いろんな調味料や添加物を揃えて、肉、魚、卵まど使い分けている、なんか急に生魚が食べたくなった海鮮丼も巷では普通に2000円、ちょっと豪華になると2500円、3000円が当たり前になった。自分自身、何十年も海鮮丼や、刺身を販売してきたから、そこらの店で食べるのはちょっと抵抗があるスーパーで、新鮮な素材を見極めて7種類くらい買ってきて「マイ海鮮丼」久しぶりに作った、包丁だけはプロ仕様で何種類もあるだが、原価仕入れが無くなった今は、今の我が家には贅沢品だスーパーでは、マグロなどじっくり品定めしている客はあまりいないが、同じ買うなら筋が無く、色がよく、水気の無いのを選ばなくてはじっくり比べて見ている「変な客...久しぶりの海鮮丼作ってみた
陸上部隊は有利のまま水原の目と鼻の先まで、攻め寄せていたが全州で秀吉からの使者である奉行を交えて軍議を開いた。奉行が命令書を読み上げた、「前線にある部隊は、別紙の配置書のとおり任地に向かうこと。任地では在地の賊の集団(義兵組織)が組織されぬよう、在民に褒美を取らせて、山に隠れている両班、役人、軍人の情報を得よ、それらをことごとく切り捨てること、それらの家族も家来もことごとく殺すこと。一般の朝鮮農民や市民は労働力として大事に扱い、危害を加えるわが兵士がいたら捕えて、厳しく罰すること在地農民は収穫に励むよう申し渡し、日本国内同様に年貢を収めさせること」などという内容であった。日本軍は大名ごとに割り当てられた任地を目指して南下していった、その任地は全て、全羅道であった。秀吉は、文禄の進軍で多くの兵が、病と寒さと...空想歴史ドラマ貧乏太閤記160日本軍後退
新潟アルビが予想以上の試合を展開した開始直後から、J1常連のような落ち着いたパス回し、そのあとはスピードに乗った走りから、J2優勝時の早いワンタッチパスで大阪陣内に切り込む大阪は新潟を舐めていたのか動きが鈍い、何度も新潟に攻め込まれて戸惑うそして22分、FW谷口がMF伊藤からのパスを豪快にシュートして先制点を決めたWカップで日本がスペイン、ドイツから得点した記憶がよみがえったしかし敵もさるもの、26分には同点に追いつき、前半1-1で折り返す後半は実力を出してきた大阪に押され気味になるがこらえるしかし後半の先制点は終盤に大阪が・・・ついに逆転される残り時間は10分台、しかも押され気味「もうだめだ、追加点を取られるシーンは見たくない」テレビを消そうとリモコンをもったが「まてまて、ラジオがわりにつけておくか」す...新潟アルビレックス5年ぶりのトップリーグは出足上々
捕虜も数百に達したが、それらの多くは市民の男女であった、兵士で生き残った者はほとんどなかった。戦のあとの処理が行われた、日本軍の武士は国内では敵の首を取って、それを大将に見聞してもらう。名のある兜首を取った者は勇士として大いに称賛され、出世も叶う、ところが朝鮮では取った首を秀吉に見せるために少なくとも10日間の日数がかかり、その間に腐ってしまうし、塩漬けにしても数人ならともかく、数千の首を塩漬けで送るのは不可能だそこで鼻を削いで討ち取った敵数の証として、部隊別に名護屋へ送ったこの日、送った鼻は5000を越えたという、その中には一般市民を殺害して、敵兵の数合わせにしたものも多くあったと言われる。捕虜の多くは女で、男たちはほぼ全員が殺された、捕虜は名護屋に船で送られた。文禄の戦では、朝鮮全土を制圧したのち、明...空想歴史ドラマ貧乏太閤記159激戦!
戦争は人類最悪の悲惨なエゴ反面、最大最悪の消費消耗を伴う、最大最悪の経済活動一機100億円の戦闘機が、高価な燃料を燃やしながら一基5000万円のミサイルで、一両6億円の戦車を破壊する。破壊された戦車には、親が20数年間で数千万円をかけて育てた息子たち3人が乗り、体は粉々になって焼けこげる軍需工場は徹夜で飛行機、戦車、軍艦、ミサイル、砲弾、機銃に弾丸、部品を増産する、苦しい戦争でがっぽり儲かるところもあるのは驚きだやはり、プラスマイナスゼロの法則は、ここでも働いている。私の祖父は戦時下の東京で軍需工場へ勤労奉仕に行って、弾丸を運ぶ箱作りや、曲がった釘を伸ばす仕事をしていたという父はNECや沖電気の下請け工場で飛行機などに使う、電気部品を製造していた国家に駆り出された工員は、お国の勝利の為に相場以下の低賃金で...戦争は消耗と経済再生
それから半月ほどで慶長2年(1597)になった続々と諸将は釜山周辺の城に、それぞれ向かった加藤清正は西生浦城に入ったが、秀吉からは「戦を急いではならぬ、戦の前に明との交渉を続けよ、朝鮮の王子を約束通り日本に送り、朝鮮が従属するならばそれ以上を求めるものではない、そのように交渉せよ」と命じた。秀吉は未だ、明国との交渉をあきらめていなかった、ようやくここに来て、朝鮮での戦争よりも、秀頼を次期関白としての足固めをしようと考え出したのだが、朝鮮出兵をしなければ明や朝鮮に足元を見られて、場合によっては今度は対馬を占領されて、九州に攻め込まれる恐れさえ出てくるここは名誉ある撤退をしなければならなかった、「おまえたちが秀吉に従ったから兵を引いてやる」という形で終わりたかった、そのためにも朝鮮王子が日本へ人質として来る必...空想歴史ドラマ貧乏太閤記158慶長の役はじまる
昨日は朝から晴れて、全国でも放射冷却でマイナス地点が多かった我が町では10時ころには4度まで上昇、天気につられて富山県魚津市の山間部へ山を見に出かけて、でも奥は積雪で交通止めとのこと行けるところまで行って見る。この先はすれ違い出来ない雪道、ここで戻ることに家々の一階部分を見ると、このあたりが例年は豪雪地帯なのがわかる今年は、やはり雪が少ないのだろう。富山の山間部に来るたびに思うのは「佐々成政」が、どんなルートで徳川家康の居る浜松まで行ったのか?ということだ通説では、現地の猟師だかの案内で、サラさ峠から針ノ木峠を越えていったという、だが大名が冬に2500mを超える山をこえていけるものなのか?佐々成政は今の富山城にいたらしいが、豊臣秀吉傘下に入った越後の上杉勢は魚津城あたりか、宮崎城あたりまで勢力を戻していた...山が見たくて走ってみた
堺を発つとき、見送りに来た僧侶に明の使者は「あいすまぬ、もう一通挨拶状があったので、これを後ほど太閤殿下に渡していただきたい・・・単なる外交辞令であるから急がずともよろしい」と手渡した。「間違いなく、受け取りました、では皆さま道中お気をつけて」僧侶たちは笑顔で使節団を送りだした。秀吉に、この文書が届いたのは翌日の夕方であった、京、大坂と目まぐるしく動き回る秀吉の所在がなかなか掴めなかったのだ。全て漢語で書いてあるから、秀吉は読めない、そこで西笑承兌を読んで訳文させて聞いた。西笑は、読み進むうちに顔が青ざめていった「殿下!これは由々しき事態でございますぞ」「何事じゃ、手が震えておるが」「明の万歴帝は、我が国に降伏などしておりません」「なに!何じゃと」「降伏どころか、殿下が明国に降伏したと書いてあります」「ば...空想歴史ドラマ貧乏太閤記157
昨夕から雪が舞い始めて、今日はほとんど一日雪が舞っていたすなわち舞っていただけで、降り積もるとは違う今は午後6時前だが積雪量は5cmにもなっていない予報は一日雪だったが、お昼前ごろには明るくなったので2日ぶりにカメラを持って散歩に出た昨日までなかった雪が、また地面に薄い膜を張った今年初、「ぎゅっぎゅっ」踏みしめるたびに音を楽しめる雪が降った急に暗くなってアラレが降って来た消雪パイプ稼働冬の散歩道
ついに六月には明の使者は釜山を発ち、対馬に上陸した、ここで朝鮮の使者を待った、直に朝鮮から正使、副使も対馬に到着した。七月初旬についに明と朝鮮の使者は名護屋に着いた、ここからは船に乗って瀬戸内海を堺の湊まで登っていくのだ、秀吉は京都伏見城で待っているとのことだ。今の秀吉の慰めになるのは、当然だが秀頼であるこんなにも幼い小さな人間、この小さな人形のような人間が自分の意思で動いて居るのが不思議に思えてくる。その小さな人間が、ニコニコ笑いながら自分に向かって両手を広げて歩いてくる、「ああ・・・あぶないこれ転ぶぞ、ゆっくり歩け」ハラハラし通しだ、ハラハラしてもこの幸福感はたまらないこれが幼子から、罪のない女たちを何十人も一度に殺害命令を出した男だとは思えない、人間とはなんと身勝手な生き物なのか。だが、この幸せな時...空想歴史小説貧乏太閤記156交渉再開
ちょっと意外なニュースを聞いた最近の女子は「義理チョコ」を配らない人の方が過半数だそうだその代わり、自分のご褒美とかでちょっと高級なチョコを自分用に買うのだと、聞いていたがそれも、あまりないらしい、だからバレンタインチョコの売り上げ数量は減っているというだけど売上金額は増えている?なぜ?義理チョコが減ったかわりに、高級な「本命チョコ」が売り上げを伸ばしているらしいバレンタインにこだわらずチョコ全体で言うと販路が広がって伸びているそうだ現役の時は女子社員や友達から10ケくらいは毎年「義理チョコ」を貰ったが、商売人はしっかり「ホワイトディ」も広めて二重取りそれを思えば、家族からしか来ない今は、ホワイトディのお返し分で、自分チョコを買えば、けっこうランクの良いチョコが食べられるのでは?と・・思ったが、「同じ買う...バレンタインチョコ
豊臣秀吉と言う、たった一人の最高権力者の命令で、ここで死んでいく女たち刑場に集まって来た見物人たちも、子供の姿を見て涙した誰からともなく、刑の執行に対して怒りの声、助命の声が聞こえてきた40名近い人たちの刑の執行は1時間余りかけて行われ,最後に首を斬られたのは哀れにも最上義光の娘、15歳の駒姫であった哀れと思い直した秀吉からの、駒姫の刑執行停止の使者が刑場に着いたのは、全員の遺体が折り重なった大きな穴が、砂と土に埋もれた後であった。同じ頃、秀吉は大坂城で、間もなく三歳を迎える秀頼と戯れていたのだった。その姿は孫を可愛がる好々爺そのもので、自分の命令で、秀頼と同い年の子まで殺された三条河原の惨状が行われていることなど、気にもかけていないようであった。縁側には、淀殿もいて「あれ!危ない、あれ!立ち上がりなさい...空想歴史ドラマ貧乏太閤記155崩れ行く豊臣家
毎朝起床時の室温を記録している冬景色の半月前は2度くらいだったが、この1週間は7度から始まって今朝は12度、日ごとに上昇している曇っていても、小雨でも散歩していると寒くなくなった、そんなある日の散歩道雪が無い散歩道
この行為は、さすがに徳川家康のように何事にも動じない者であっても眉をひそめる惨い出来事であった。秀吉の家臣たちにも動揺が走った、かって信長が比叡山を焼き討ちして僧侶から女、子供まで殺しまくったときと同じ動揺だった。特に秀次の側室は諸大名に縁がある者が多く、当然ながらその大名や縁者は命乞いに秀吉の高官を頼った、しかし秀吉の心は明らかに鬼になっていたいったいなぜ、このようなかよわい女、子供まで全て斬首と言う惨いことをしたのか、本人さえわからなくなっている世間では、「秀次が生きていれば、秀頼の天下は奪われるから根こそぎ殺したのだ」とか「右大臣の娘、正室一の台が、秀吉を狗畜生と罵ったからだ」「秀次と一度でも体を併せた女たちを、秀次同様に汚らわしいと思ったからだ」あるいは「秀次に側室を勧めた大名たちに恐怖心を与える...空想歴史ドラマ貧乏太閤記154老女の死にざま
一か月ほど、友達とかに会っていないのでテレビとPCが友達になっている近頃は天気もよろしく、雪も道路から消えて歩きやすくなっているから、ほぼ毎日7000~9000歩くらい歩いている歩いていても棒に当たっても、人に会わない、知らぬ人とは多少はすれ違うが去年の夏、海岸の遊歩道で出会った、おばああさんの気持ちもわかる気がするおばあさんといっても85歳くらいだから、大歳寄りではないが「一人暮らしで、人と話すことが無くて寂しくて、海岸に来れば誰かに会うだろうと思って、ここに立っていたの、少しお話してもいいですか」と話しかけられて、15分くらい話し相手になったのだ。でも私自身も初対面の相手だったけど、なんかほのぼのとした気持ちで、話をしていたのです」それは過去のことで、私も誰かと話したくなったので、一昨日はちょっと用と...ちょいと人恋しい
若き頃、快活な青年武将、羽柴秀吉に憧れて武家社会に身を投じた秀次であった、秀吉の後援で順風満帆な人生を送ったが、秀吉の最期の攪乱の犠牲になったとしか言いようがない。誰から見ても、秀次が謀反を起こそうとしていたなどとは言いがかり以外の何物でもない石田三成さえ、秀吉にいわれるがままに書いた糾弾書を読みながら、秀次に同情を禁じえなかった。三成さえ、秀次の無実を知っていただが、誰一人として秀吉に意見できるものはいなかった、言えばたちまち一味と言われて大名であっても命を落としたであろう。それでも秀次の家老の多くは、秀次の無実を堂々と訴えた羽田正親4万8千石、明石則実2万2千石、白江成定6万石、木村重玆、18万石、栗野秀用13万石、服部一忠3万5千石、渡瀬重彬、本多正氏などである多くは秀吉に仕えて、秀吉から万石大名に...空想歴史ドラマ貧乏太閤記153犠牲者たち
gooブログの前に、別のブログを10年以上かなやっていた、それは「yottinblog」と言うもので、それを今も使っている。そのブログが突然「やめます」となって、gooブログへの移転を勧められて、ここに来たのだった。3000日というと、他のサイトからも含めて1日平均150人くらいが訪れてくれたことになる。まだまだ小さい数字だが、私にしてみれば大きい、ありがたいことです。コメントのやり取りをしてくださるフォロワーさんもいるし、ささやかでもつながっている感があるのは、ありがたい。何よりも、簡単には行くことが出来ない他県の方と縁あって、その地域の情報や考え方、趣味、生き様を見せていただくのは楽しみである。gooブログのブロガー数は260万くらいらしい、そのうちの大部分は更新をしていないか、すでに辞めた人であろう...今日でgooブログ開設3000日
そんなことを考えると秀吉は動けない、動くとすれば不満分子の頭(かしら)を素早く打ち砕くしかない、自分が後継ぎとして関白にまで持ち上げた、甥の豊臣秀次が、その「かしら」だから悩み抜いている、だがわが子、秀頼は可愛いし、生母淀殿も愛おしいその淀が、秀次を異常なまでに恐れている、それは秀頼を守り、秀頼に秀吉の後を継がせたいと思うからだだが分が悪い、秀頼派は前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元あたりは堅いだろう、これに石田三成、増田、大谷、大野など近江派の秀頼の旗本大名も当然味方だ。だが秀次派は3万石前後の付け家老だけでも10名近い、更に尾張、美濃の諸大名、利休高弟で秀次と近しい茶大名、さらにキリシタン大名も味方するだろう、それよりも徳川家康の動向が気になる、また北政所も何かと秀次を心配しているようだ「なんとか円く収め...空想歴史ドラマ貧乏太閤記152関白秀次切腹
久しぶりに朝から本格的な雨、あたたかそうな雨市街地は、ほとんど雪は見当たらないが、丘陵あたりの雪はこれで一気に融けるだろう。間もなく太陽が顔を出して、午後からは晴れるようだ東京都の北西部や埼玉県、特に秩父から山梨県、そして箱根は昨日は、かなり雪が降ったようで交通パニックが起きている様子がテレビ中継されていた人口集中の都会は自然災害に弱い、過去の大地震がそれを証明している災害による大火災、あるいは空爆による火災で東京は過去二回も10数万人が犠牲になっているそれでも人は都会に集まる、これからも田舎で育った子供たちが、高校を卒業すると都会に集まる。田中角栄元総理のビデオを見ていた、「みなさん!東京だ、大阪だと言いますが、みんな(渡海周辺の各県)から出て行った人たちなんですよ、そうじゃありませんか、・・・・・田舎...思い付いたまま、とりとめもなく
時を同じくして北陸では前田利家も客将の高山右近と、秀吉の危うさを語り合っている。前田又左衛門利家、官位は家康と同じ従二位権大納言で90万石の大身若き頃は織田信長に仕え槍一筋の荒武者で「槍の又左」と呼ばれたまだこの先どうなるかも本人さえわかっていなかった藤吉郎を、信長に引き合わせたのは利家であった。藤吉郎(秀吉)17歳、利家16歳の時であったその前田利家も今は57歳になり頭も眉毛もひげも白くなった、体も次第に衰え始めたが眼光は鋭く、気迫は衰えていない利家はこの時、久しぶりに領地である加賀尾山城(金沢)に戻ってきている秀吉にキリシタン追放に逆らって信心を捨てず、6万石の大名の地位を捨てた真のキリシタン、高山右近は秀吉の逆鱗に触れ浪人となったが、実直な利家は純粋な右近に惚れ込んで召し抱えた。秀吉も、他の大名であ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記151秀吉を悩ますもの
さて昨日の続きの「昨日のこと」だけど、北信越の天気を見たら、新潟県以外は皆、晴れマークだったので長野県へ1か月ぶりに行くことにした小谷村は(例のバックカントリー遭難事故の村)一か月前に比べると、本当に冬の真っただ中の感じで、雪も細かなのが降っていたところが、白馬村に入ったら、なんと晴!どこが境目?っていうくらい鮮やかに切り替わった、しかし八方尾根も白馬三山も唐松も雲の中いつもは写真とりとり、のんびり行くのだが、今日は(9日)安曇野の「白鳥湖」を見に行くので先を急ぐ松川道の駅で、トイレ休憩をして、そこで地元唯一の漬物屋さんの「柴漬けたくあん」を買った、残り二本しかなかった。ついでに「いぶり風のたくあん」も買ったが、なぜか宮崎県産だった。前日にもたくあんが食べたくて、「業務スーパー」で、おいしそうな一本漬けが...ざんね~~んちゅうか腹立たしい
*ついに、この日で150日目になりました、まずい文章ながらよく毎日続くものだと、我ながら驚いています、まあ、閑人と言うことの証明でもありますが。家康は一人ずつ個別に茶室に招き入れて茶をふるまった秀吉と正反対の家康は茶室も狭く、うっすら自然光が入るが、昼間でも顔も良く見えない薄暗さである静けさ・・・客はここにいると世間のうるささから解放され、自分の真の姿をじっくりと見つめることが出来るような気がしてくる。「朝鮮では、たいそうなご苦労をなされたのう」「われらが勤めでありますれば、特別なことではありませぬ」福島正則はそう言った、秀吉の子飼いで親戚だ、そう言う返事は家康には予測できていた、だが正則と竹馬の友である加藤清正の話に及ぶと「虎(加藤)は我らのような南に居た者と違い、雪に覆われ凍える北方の大地にて山脈を越...空想歴史ドラマ貧乏太閤記150諸将の本音
二月に入って、ずっと穏やかさて、今日はどこへ行こうか春かな?
「どうじゃ、秀次に近しい者どもはわかったか」「かなり調べはつきましたぞ」徳川家康と本多正信である、二人は今は大坂屋敷にいる「関白殿下の家老は、にわか作りが多いゆえ、案外大きな穴があいております」「そうであろうのお、主が関白になったおかげで5000石の小身が一気に5万石じゃから舞い上げっておろう」「関白殿下だけでなく、家老にも諸大名から賄賂が届いているそうでございます」「そこよ」二人の会話にしては珍しく熱が入っている「しかし正氏(まさうじ)は、よおやっておる」「親譲りでござる、隠密にこれほど向いていたとは」正氏=本多正氏は、本多正信の甥である、3年前までは家康の馬廻りとして働いていたが、突然あいそうを尽かして出奔したのだその後、秀次の重臣、羽田正親と懇意になり秀次の家臣になっていることがわかった、家康も成敗...空想歴史ドラマ貧乏太閤記149どうするか家康
仕事をやめて、突然「毎日が日曜日」になってしまった昨年一年最初の半年は残務処理が山積みで、何が何だかわからぬまま走り回っていたが秋が近づくと、そんな仕事も落ち着いてしばらくは趣味など楽しんだところが今年になって私の生活は完全にワンパターンになってしまった朝は起きるまで寝て、起きればブログと朝食作り、散歩して終わればテレビを見ながら昼寝、それから遅い昼食作りそれから夕食まで家の中で時間を潰し、夜はドラマを見て、皆さんのブログをチェックして、飲んで寝る。これはいったいどうしたことだ!でもこれは雪が降る寒い冬だからだ、3月になればきっと動き出すだろうそれまでは近くの赤ちょうちんで、女将相手に軽飲みでもしようかな。今日は曇り、雨・・・わずかに残った軒下の雪も融けるだろう。春を待つ
秀次は、このごろになって政所が母のように思える、関白と言ってもまだ26歳の若者である、秀長が死んでからは頼れる人間がいなくなり寂しかったが、北政所が頼りになる人だと今になって知ったのだ。政所の人脈もなかなかのもので、育てた子飼いの大名はもちろん、親戚になる木下、浅井、三好、それに前田家はもちろん、徳川家康も親しい家康の次男、結城秀康なども一時秀吉が養子にしたから母のように慕っている、自然そんな人々とも秀次は言葉を交わすことがある。だが、秀吉の密命を受けた石田三成は、こうした交流を逐一、秀吉に報告している。それでも秀吉は特に取り上げず、秀次を伏見城に呼んだ「世間では、おまえと儂の関係をとやかく言う者がおる」とズバっと切り出して、「だが儂は、そんなことは信じぬ、おまえと儂の関係が盤石なことを知らしめねばならぬ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記148淀殿と大野治長
まだ2月が始まって間もないと言うのに、日ごとに気温が上がっていくこの数日は初春のような穏やかな日差しが差して、外を歩いていても汗ばむこの土地に生まれたオールドエィジは、「これで終わらんだろう」というが本当の大雪を知らない、平成生まれの感覚では、もう春なんだろう我が町にも白鳥が訪れていると知ったのは、同級生のライン町から離れた農村地帯の田んぼに、一家族らしい白鳥がここ数年訪れているようだ。せっかくの来訪、自然の風景の一つとして、そっとしておきたいそっとしておきたいと言えば、岡山の駅伝女子中学生、ドルーリーさんの周辺が騒がしい私も見ていたが、都道府県対抗駅伝で3km、中学生区間で驚異の18人(17人?)抜きで驚かせたが、その容姿が更に驚かせたスター性あると書いたが、やはりマスコミが食いついていたそれから行われ...静かに見守って
話は少し前後する。池田輝政は、柴田勝家との賤ケ岳の戦で秀吉に味方して討ち死にした勇将、中川瀬兵衛清秀の娘を正室にしていたが、長男が産まれた後、病気がちになり実家に帰ったので独り身であった、それに気づいた秀吉は後妻を世話しようと考えた北政所ねねに相談すると、「それなら亡くなった(小吉)秀勝の室だった、江姫はいかがですか」と言った「なるほど、どちらも伴侶を失って寂しい思いをしておる、それは良い考えじゃ」と言って、さっそく輝政に話すと「それはありがたきお話でありますが、実は徳川家康様から、亡くなった北条氏直室でありました徳川様のご息女を娶る話が進んでいるのです」と言う返事が返って来た、秀吉は少しがっくりしたが「それは良い話である、そのときには儂からも祝いの品をやるとしよう」とその場を締めた。だがそれから間もなく...空想歴史ドラマ貧乏太閤記147「江姫」徳川家に再嫁
今までほとんど見なかった連ドラ、見始めると面白いどれも4話くらいまで終わって、内容と面白度も見えてきたので、そろそろ評価できそう私の面白ランキング1,◎100万回言えばよかった幽霊になった男と幽霊が見える刑事井上真央佐藤健松山ケンイチシムウンギョン*現実度ほぼゼロ「ゴーストニューヨークの幻」のテレビ版みたいなドラマ、口笛が聞こえるはどうかな?幽霊さんの死体が見つかって、展開がどうなっていく井上真央がとってもいい。2、◎罠の戦争大臣秘書の大臣と政界への復讐劇井川遥草彅剛本田博太郎片平なぎさ高橋克典・現実度20%復讐劇は韓国ドラマが得意いたぶられた善人が悪に復讐するパターンは、日本人も韓国人も好きみたい昔のスーパーアイドルグループのベーシスト岸部一徳がいい味出てます。2,◎大病院占拠謎の鬼面集団が大病院占拠で...連ドラ1か月
昨年の春のことだが秀次は北政所を誘って、吉野の早咲きの桜を見物に行ったそこで「政所様、近頃私の噂をお聞きでしょうか」と政所に問うた「正直に申すと、そなたの悪い噂を誰彼となく聞きます、でもたまにしか会うことはなかったけれど、その噂の大半が興味本位のでまかせであることは、私にはわかります」「そう言っていただくと少しは安心できます、太閤殿下がどう思っているかと考えるだけで不安になるのです」「殿下の目が淀殿と拾いに心を奪われるのは仕方ないとして、そなたはこれまで殿下の為に多くの戦に出かけ、関白まで譲られたのです豊臣家の数少ない大名の筆頭であるそなたを攻めるのは筋違いですでも殿下は、そなたを頼りに思うと先日も私に申しましたなにより名代として名護屋で総大将を命じられたでしょう、いかに殿下がそなたを頼りにしているかわか...空想歴史ドラマ貧乏太閤記146池田輝政の妹若御台
今年に入ってアンケートが2つ送られてきた一つは市の福祉課から、もう一つは国の経産省から市は「高齢者の健康調査」、国は「家計調査」だった市の調査は10分で書き上げた、おもに日々の健康自主管理の調査であるこれを書きながら自分の傾向がわかって面白かった健康状態は極めて良く、健康管理も在職中よりはるかにデリケートに対処している地域活動には積極的でなく、というより地域のグループ活動はしたくない人で、だけど相談されたら相談に乗るタイプ、決して孤独に生きたいタイプではない友達が多いので、友達との活動や遊びには積極的に参加する自由欄があったので、市への要望をけっこういっぱい書いた国の方はPCか何かで抽出されたとのことで1年間にわたって毎月一回、支出を報告するのだ、一年やり遂げると5000円支払うそうだ食費は対象になってい...アンケートと確定申告
12月になった。明の僻地、遼東にいた明軍の多くが日本軍に倣い、北京への引き上げを命じられた、同時に、そこで足止めされていた日本の講和使節、内藤如安ら一行にも紫禁城で皇帝が目通りすると伝えられただが日本では、内藤が行ったきり戻ってこず、明からも何も連絡が来ないので「これは殺されたか!」と勘繰り、秀吉はいよいよ第二次の出兵も思うようになっていた。そして年は開けて文禄6年(1595)になった秀吉はついに我慢の限界に来た、三成を呼ぶと「いよいよ朝鮮出兵じゃ、陣立てを話すから準備をいたせ」1番隊小西、鍋島ら九州大名2番隊加藤、島津ら九州大名3番隊黒田ら、北九州大名4番隊宇喜多、蜂須賀ら中国、四国勢5番隊毛利、小早川ら北九州、中国後方支援および船手総勢16万総大将は豊臣秀次として名護屋に陣する、徳川秀忠、前田利長らが...空想歴史ドラマ貧乏太閤記145和親条約締結の動き再開
まるまる1年仕事をしなくなって、ようやく失業実態を受け入れることが出来るようになった。あいかわらず夢の中では仕事に追われ、ボランティア活動をしたりしているが「10年に一度の豪雪」も積雪20cmほどで終わり、ここ10日間は晴れもしないが穏やかで、車道は雪が消え、住宅街や空き地には雪が残っている景色昨日も雨が降りそうで降らない空の下を、散歩がてら買い物に行ってきた海鮮丼ネタを買いに行ったのだが、「恵方巻ネタセット(ぶり、マグロ、サーモン」ちょうど3人前セットがあったので、急遽恵方巻造りに変更したチラシやTVCMで、一本1000数百円販売並みの恵方巻を500円の材料費でできた年金家族はできるだけ自作で倹約するしかない、もっとも作る方は本職で、一昨年までは販売者だったのだから苦にもならない・・・というか作っている...やっぱり恵方巻になった
関白豊臣秀次の不幸は、天下人秀吉の甥に生まれたことだ何事もなければ尾張で平凡な百姓として、近在の百姓娘と結婚して、子をもうけて平凡な生涯を終えただろう。人には人生の中で一度は、越えなければならない大きな山に出くわすことがある。仕事での決断、大失敗、転職、事業の失敗、大病、大事故に遭って体の一部が欠損したり、子供の登校拒否、障害を持った子の誕生、配偶者の死、熟年離婚、何かの理由で莫大な債務を負うとか、全財産を失うとか、数え上げれば切りがないそれは貴賎を問わず、老若を問わず訪れるこれを乗り切れるか、乗り切れないかは本人の強さ、弱さによる不幸は時に幸福の糧になることもある、秀吉のように負の境遇から始まったことが、彼を強い人間に押し上げて、天下一の男にまで上り詰めた、徳川家康もしかり。だが秀次には、そんな才能はな...空想歴史ドラマ貧乏太閤記144忍び寄る影
ネットを見たら「恵方巻」は1989年にコンビニチェーンが広島県で販売したのが始まり、と書いてあった。ヒット商品なんてのは、ほんの些細なことから始まることも多いんだなと思った日本人の「乗っちゃえ」精神なのか、遠くはクリスマス、それからバレンタイン&ホワイトディ、近年のハロウィンにしても私の青春期頃には無かったものばかりだ。商売人の商魂たくましさと、それに乗っかって楽しめる日本人なのだ。私も2年前まで頼まれた人にだけ恵方巻を作って販売していたが、せいぜい20本くらいだった、海苔1枚半使った、スペシャル海鮮超太巻きも作ったが、800円で販売したが、テレビを見てたら2000円以上していたので驚いた。今日は自宅用に巻こうかなと思って聞いてみたら、「海鮮丼の方が良い」との声意味合いが違うと思いながらも、「そっちの方が...恵方巻
同じころ奥州に帰った伊達政宗もまた、軍師参謀の片倉小十郎景綱と語っていた。景綱は政宗より10歳年上で36歳、政宗の父輝宗の小姓から政宗の側近になり、その才覚を表し奥州の刈り取りに疾走した勇猛な武将であり、知恵袋であった武田信玄に板垣信方、山本勘助、今川義元に太原雪斎、上杉景勝には直江兼続があり、秀吉には竹中半兵衛、黒田官兵衛、豊臣秀長毛利輝元には小早川隆景と大きくなった大名には立派な軍師がついているその点では独断専行の独裁者、織田信長は己の才覚だけを頼り、知恵袋を置かなかったから、最期に失敗してしまった。秀吉などはもってこいの軍師だっただろうが、信長はそれを許さず、単なる軍団長の扱いしかなかったのだ。奥州伊達家は藤原氏で、祖先が源頼朝に従って奥州に攻め込み、そこで伊達の領土をいただいたところから始まるとい...空想歴史ドラマ貧乏太閤記143奥州の独眼竜伊達政宗
高速道路の無料化実施が2065年から引き揚げられて、2115年までに延ばされたこれが実施されるかどうか、先延ばしを決定した人たちも確かめるすべはないのではないか。2115年と言えば、運よく私が生きていれば165歳である、まあ2065年でも115歳だから同じようなものだ。もっとも運転免許だって、あと10年持っているかどうかだから関係ないけど本当は今頃はスイスイ無料で高速を走っていたわけだが、以前にも先送りされたということになる、結局「言って見たけどや~めた」と言うわけだ言い訳は、どうにもなる、あのトンネル天井壁崩落の悲劇を言われたら、無料化より有料で安全な高速道を選ばざるを得ない、最初からできないことは口にしなけりゃよかったのに、結局年金同様に先を見通すのが甘すぎたということだ、必要なものは必要だから仕方な...がんばれニッポン!2115年
空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 142 揺れる秀吉 家康の腹の内
文禄3年(1594)が明けた朝鮮の状況が秀吉に聞こえてきた、朝鮮に在陣する兵数は5万で主に全羅道、釜山を中心にして慶尚道に十幾つかの日本式の城を築き、九州と四国、中国の大名に守備させているそれらの城は、また戦となれば日本からの増援部隊を直接城下に送り込めるよう、津々浦々に面して築城したのである。そして、秀長亡き後、一門衆として位置付けた毛利一族に、釜山一帯の要を任せてあるすでに大将格の毛利輝元、小早川隆景は帰国したが、毛利秀元、吉川広家、小早川隆景の養子だった毛利秀包らが守将となって残っている。去年の10月にはようやく宣祖が漢城に戻って来た、そして日本が奪った南部を奪還したいと思ったが、明からは「ようやく得た平和を乱してはならぬ、正式に倭国が我が国の属国になるまでまて」と釘を刺されている、朝鮮単独で、日本...空想歴史ドラマ貧乏太閤記142揺れる秀吉家康の腹の内
寒いのに何かウィスキーをロックで飲みたくなって、ロックアイスと一緒に買ってきた銘柄は「ジョニ赤」、値段も980円とお安い、「ジョニ黒」も2000円ほどで売っていたが、久し振りの舌慣らしには赤でちょうど良いこれを飲むのは30年ぶりくらいかな、まさか980円とは思いもよらなかった田舎でこれだから、都会なら600円くらいで手に入るのでは?30代半ばころ、初めて国外旅行で台湾へ行ったが、あの頃は国内では赤5000円だか7000円だかで、黒1万円などと言っていた。それが免税店で2500円で一人5本買えると言うので、酒嫌いの友達にも頼んで10本買ってきた思い出がある。日本酒の越乃寒梅、雪中梅などもこちらは希少価値で1万円という値がついていたが、それも今は普通に買える、もっとレアな日本湯も増えてきたし、どれが一番とかな...酒の話
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相変わらず「鳥オンチ」の私写真を撮って図鑑を見たら「コガモ」のようだ始めて見た鳥TheAnimals-BringItOnHomeToMe(clip,1965)♫♥オシドリの仲間コガモのペアかな?
力を落した上州勢はいったん本領へと引き上げた。信形は討ち取った首帳を晴信に差し出すと、晴信は信形に恩賞を与えた。三月二十三日、甲府に於いて村上との戦で手柄を立てた諸将に恩賞を授けた。一番に山本勘助、三百貫を加増して都合八百貫とされた。討死した甘利備前の嫡子玉千代十五歳を召し出し、備前守の忠義を賞して玉千代の元服をこの場でただちに申し付け、左衛門尉の位階を与えられた。さらに烏帽子を賜り、晴信の御諱(いみな=名前)を下されて晴吉とされた甘利左衛門尉晴吉、甘利家の家督相続を認められた。次に、横田彦十郎を召され、討死となった忠臣横田備中守の家督相続を認めたさらに百五十貫の加増を下された。そして続けて言うに「汝十六歳より五度の合戦に出て、その都度手柄を立てて来た、実父原美濃守から勇を受け継ぎ、養父横田備中守から武略...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家80
栄光の未来を夢見ていたが、現実は貧する高齢者とは・・・令和に入って貧人と富人の二極化が凡人でもわかるようになってきた今週の「光る君へ」では、そこらを皮肉ったのかどうか?京で疫病が蔓延する道長は兄、当時の内閣総理大臣、関白藤原道隆に庶民救済を求めるが、「貴族には被害がない、賤しき者共など。ほおっておけばそのうち収まるだろう」と相手にしない。道隆の娘を中宮としている一条天皇も「民の生活をかえりみず、(戦や大工事に湯水のごとく人と財をつぎ込んだため)隋の楊帝は悲惨な最期を迎えたと道長同様に民を心配しているが、それさえも無視、都は死人で溢れる。またまた脱線!74年の人生で「持つ苦しさ」と「何もない気楽さ」の両方を体験してみて「持たない気楽さ」が数百倍良かったと思うこの頃漁師の手伝いをするようになって新鮮な魚に不自...自給自足生活も楽しからずや&近所付き合い
甲州の御館武田晴信の合戦、当家の危急存亡の戦であったが、山本晴幸(勘助)の陣立ての妙に依って、敗戦を転じて勝利に導いた。されども侍大将の討死もあり、諸方に配置した軍勢をしばし召し返した。伊奈、木曽、小笠原は幸いに後詰を出さず、左馬之助信繁も塩尻より帰城したその頃、上野国には上杉大夫憲昌(諸書では憲政)という人あり関東八ヶ国の管領として代々武威を示していた。しかし憲昌の代になると武威は次第に影を潜め、近年は北條相模守氏康は管領の指図を無視し、かえって管領の地に戦を仕掛けて侵略していく始末であった。いかにして北條を討伐するかと頭を悩ませていたところに、信州上田の村上義清から使者が着いた。使者が申すには「上野、信濃は国境を接している隣国であります、されど上野国の碓氷峠より西は武田晴信の領地となっておりますこのま...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家79
今日も頼まれて4時起きで港へ行って来た夕飯前に一か月ぶりに家でロック一杯飲んだら、どっと疲労感が出て来たお風呂に入って、今日は寝ます。「おやすみなさい」カルメン・マキ:1969:山羊にひかれてちょっと疲れたかな
晴信の旗本、新手の勢で村上の横合いからどっと「横槍」を入れると、思いもつかぬ方からの攻撃に村上本隊は総崩れとなった。いかに大軍であっても、横槍には大敗を喫するものなり。「今ぞ、追いかけよ、首はとるな追い打ちして捨てておけよ」晴信の下知で兵は奮い立たたされども武田の兵は少なく、乱れた村上勢であるがそれに気づかず潮が引くように我先に逃げていく討たれた者は少ないが、深田に追い込まれて身動きできぬ者、谷間に落下して命絶えるもの、あるいは馬が倒れ味方の馬に踏み殺される者我さきに逃げ戻る山本勘助はそのまま、戸石城に向かって進めば、城方と交戦していた加藤駿河守、芦田、川上、勝沼らこれに力を得て、城外の城方を攻め立てるたまらず城方はまたも城内に閉じこもった。味方衆は「逃げる村上を追い打ちせよ」「城を攻め落とせ」と勢いに乗...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家78
どうにも黄砂で、白内障の気分何もかもが霞んで見える来年は満開の時にまだ咲いてた若さみなぎる桜です田舎の景色にホッとする葉桜散歩道まだ見どころあり桜と水の風景ピーターとゴードンPeter&Gordon/アイ・ゴー・トゥ・ピーセスIGoToPieces(1964年)名残の桜
今日も忙しくてアップが遅れました朝5時からはドジャース戦、終わって9時半から支援センターの会議に出席友だちからの相談に乗ったり、畑の苺苗をかまったり、それから魚を届けたりしてもうこの時間です、一日は短い。晴信は左右をキッと見渡し、「ここに至ってもはや予が旗本を率いて村上勢に攻め込み義清との一戦を試みて、味方が総崩れとなれば討死も仕方あるまい」と言うと床几を離れて馬に乗ろうとした。そこに山本勘助が御前にまかり出て言上「いかにわが君、村上の大軍の前に甘利、横田も討ち死になされましたが、これも今この時までの事これほどに崩れた味方ではあっても唯一勝利する方法があります」それを聞いて晴信は「いかに諸葛孔明であっても、このような状況の中で勝利するなどの方法は思いつくまい、ここに居たまま討死するよりは、村上の本陣に切り...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家77
前半は8勝3敗後半は4勝7敗あきらかに調子が下降気味だベッツ一人が気を吐いて打撃では総合的にリーグトップを走っている大谷も前半は移籍後ホームランが出なくて焦っただろうが、第一号が出て一安心4号まで来た、しかし後半になって日本人ホームラン記録で松井の175本に並んでから、またホームラン欠乏症が始まった。もっともホームランがないだけでヒットは順調に稼いで、打率も.360をキープしている。このベッツと大谷の.350コンビの活躍があって、昨日まで開幕21試合連続の初回、ベッツ、大谷、フリーマンのMVPトリオの1~3番打線が三者凡退にならない記録が続いていた。それが今日、ついに途切れた。前半調子よかったフリーマンが、後半調子が上がった大谷と入れ替わりで調子を落としているついに.260あたりまで落ちてきた、きょうもま...ドジャース22試合終わって感想
甘利備前守討死、これにより味方は崩れ去るかと思った時横田備中、小山田備中が敵の五頭の軍勢の中に駆け込み火花を散らすされども味方は入れ替わる兵なく、敵は十倍の大軍勢が入れ代わり立ち代わりで攻め寄せるついに横田備中守も鎧の隙間を突かれた槍傷三か所、鉄砲丸二か所に受けて乱戦の中に討死小山田備中は大小三か所の傷を負いながらも、なおも奮戦するこのとき戸石城中では守備兵が遠眼に見れば「スワ味方の後詰の大軍がやってきたぞ、我らも城内より打って出て晴信本陣へ突きかからん」と勢い立ち城門を開き二千三百騎いっせいに弾丸の如く走り出た。戸石城を取り囲んでいた武田方の先鋒の信州勢。栗原左衛門尉、芦田、川上、勝沼入道の中に突きいれば、信濃勢は後方での戦に気を奪われていたところに前からの城中の兵突きかかり、一度に崩れてしまった。我先...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家76
昨日は東飯綱高原へ行って、のんびり数時間を過ごした晴予報だったが、黄砂もあって一日中、青空は出てこなかった1000mの高原は肌寒かったが、カメラを持って歩いたところがメモリーカードが挿入されていなくて、使えないというおそ松それでスマホでの粗い写真しかない誰もいない林の中を一人で歩いたので、熊とかが薄気味悪かったが、林の魅力が勝った、川の流れなんかもあって気持ちよいトレッキングコースになっていて道も案内板も整備されているから、どってことは無いんだけど、ビビリなんだよな。歩いていると、鳥が近い、幾種類か見られた最近は特に鳥の写真を撮りたいと願っているので、鳥に敏感になった今日もヒヨドリに会った、ウグイスも鳴いているあああカメラ・・・残念ビージーズ/ホリデイTheBeeGees/Holiday(1967年)初春の高原林の中を歩いてみた
このような危機に会っても晴信は少しも動揺せず、また左右の旗本もこの主にして、この将あり少しも騒がず毅然として敵の攻撃に備えている。村上方は先陣を五隊に分けて、楽岩寺右馬助、井上九郎光興、須田大炊(おおい)綿内左内左衛門、牧島玄蕃允、その後ろは村上の本陣である。先陣が遮二無二に攻め込んで、晴信本陣が崩れたら村上義清本隊が一気に攻め込んで晴信を討つと言う、思い切った布陣である。先陣は早くも鯨波(とき)の声を上げて攻めかかる、まずは甘利備前隊、鉄砲を撃ちかけるが村上方は盾を並べてじわりじわりと攻め寄せてくる村上先陣の五頭に加え、足軽大将小島五郎左衛門の隊も押し出しついには六頭揃えて攻め寄せる寄せる村上勢は晴信の首取らねば更科に戻ること無し、守る武田勢もここで敗れれば甲州に戻ること無しと互いに思えば、互いに引かず...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家75
天文十五年となり、晴信は二十六歳になった前年に諏訪頼茂が滅び、信州降参の大将、芦田下野守、相木市郎兵衛、依路、平沢らは武田方となり、この上は村上義清を攻め滅ぼすべしと策略を巡らせた。信州小県郡(ちいさがた)戸石と云うところがあるこの城は村上義清と小笠原長持の相持ちの城で、村上より薬師寺右近の舎弟、同弥次右衛門が千三百を率い、小笠原からは長澤右兵衛大夫を大将に千人、両家合わせて二千三百が籠っている。これらは時々、武田方の海野へ兵を出して放火などを繰り返していたから、三月上旬に戸石を落すべく軍議を重ねた。村上、小笠原とは別に伊那谷には伊奈衆が割拠していて、村上、小笠原に同心して武田と敵対しているから、いつ彼らが後詰となって横槍を入れてくるかわからないその為、左馬之助信繁を大将にして、穴山伊豆守、小山田左兵衛尉...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家74
この3日間は、いろいろ続いてとうとう昨夜はブログを書く時間が無くなってしまった。15日は夜中に虫歯が痛んで、朝一に歯医者へ行って治療してもらい、16日は花見で、つー君と二人で幹事になって、買い出しやらシート、クーラーボックスの調達、そんなで10時から17時まで、お花見で一日が終わった家に帰ったら「手伝ってほしい」と船長から電話が来て、17日は早朝4時起きで港へ行った午後2時までびっしり仕事をして、家に帰って風呂を沸かして隅々まで洗って、お出かけの支度18時からは、先日の祭りでの手作り品販売の打ち上げを中華料理店で行った始めてゆく店だったが、中華のコースは本格的な品が次々に出て、どれも素晴らしく美味しかった花粉症や歯のこともあって、写真を一枚も撮らなかったのは不覚だったしかし、久しぶりのアルコールだったが(...忙しさMAX
諏訪頼茂は、晴信の心籠った対応に喜び、これで小笠原、村上が攻め込んできても武田の強い絆が救ってくれることを確信した。晴信は密かに仲間頭荻原弥右衛門を呼び「汝、頼茂の傍に寄って隙を見て刺し殺すべし」荻原は次の間に去って、それから短刀を懐に隠して料理、菓子を持って給仕の体で頼茂に近づいたそして頼茂が横を向いた刹那、懐の短刀で「えい!」と胸に一刺しすると、頼茂は匕首を抜いて荻原に切りつけたが、荻原はそれを奪って額から真向に切りつけたので頼茂はたちまち息絶えた。騒がしさに気づいた諏訪頼高と従士十余人は匕首を抜き、荻原を討たんと切りかかった。されどもここは甲府の館、多勢に無勢で武田の士に取り囲まれて、次々と討ち死にした、頼高一人が傷を負いながらも抜け出て、諏訪の供の者たち三百の中に逃れて、諏訪を目指して落ちのびた。...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家73
今日は同級生とのお花見、14名ほどいるベストメンバーも何やらかにやらあって、結局、男4人、女2人の6人参加だった。この頃はメンバーも自分か連れ合いのいずれかが不調で欠席することが多くなった参加した6名だって、夫婦で健康なのは2人だけで、あとは何かとあって、それでも参加してくれて感謝、感謝!。もうお互い先が見えてきて「この次ね」なんて言葉がいつむなしくなるかわからない。出来るときにしておくのが、後々の悔いが残らない唯一の方法。さて二年前に初めてメンバーの花見をして、今回が二回目一回目は16日で、ほとんど花が散った後だったが、今日は花びらの舞はじめ、枝にはまだまだ花がついていてよい風景だった。ここは標高100mの広い運動公園で、桜並木もあちこちに全体で100m以上は広がっている今日初めて「メジロ」を見た、見た...お花見間に合った
月日は早く、すでに天文十四年となった正月の年始賀儀において、左右に居並ぶ重臣らを前に晴信は「予は既に信州四家の輩と戦を続けてきたが、一度として敗れることなく来たのは、これ全て汝らの軍忠のおかげである中にも諏訪頼茂はわが伯母婿であるが、父信虎の頃より不仲となり幾度も戦火を交えて来た、予の代になって頼茂が心を入れ替えて我らに従えば、村上、小笠原、木曽を滅ぼすことは容易となるであろう故に諏訪へ使僧を使わせて和睦しようと思うが、どうであろうか」と言ったすると山本勘助が進み出て「この義は甚だ道理に叶っております、隣国の戦に手間取る間に、誰ぞが帝都に旗を入れたなら後悔しても後の祭りとなりましょう」と言えば、一座の皆がこれに賛同した晴信は早速、恵林寺の惟高、法成寺の策玄、栄昌院の大益和尚を召されて和議の事を話すと「かか...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家72
昨日は夜更かしをして寝たのは23時半違和感を感じて目が覚める、時間は深夜1時だった、寝てさほど過ぎていない奥歯が不快感、痛くはないが2日前から同様な兆候はあったうがいをして寝たが、2時半にまた目が覚めた、それから痛みが始まって、最初は「ず~~~ん」だったが、そのうちに「ズキンズキン」に変わって、もう寝られない「こりゃ虫歯だ」何十年ぶりの虫歯の痛み、もう寝られない昔なら一家に一箱、富山の薬売りの配置薬が置かれてあったが、今はドラッグストア乱立で家にはおいてない。歯が痛めば「ケロリン」粉を歯や歯茎に塗って応急痛み止めしたものだった。ともあれ今の我が家には、そんなのが無い、まだ真夜中で朝まで寝ないで我慢か・・・「!」口内炎の塗り薬があった、効くか効かぬかわからないが歯茎に塗って見たそしてアイスノンをタオルで巻い...思いがけない出来事先生がびっくり!
その後、源五郎は信州のゆかりある寺院に住んで、雑役をして暮らしていたが、(このまま仏門修業をして僧侶となれば、父の菩提を弔いながら一生を過ごすのも孝道である)と考えてみたが「一子出家すれば、九族天に生ず」(子が一人僧となれば、その一族は皆、極楽に生まれ変わることができる)ということであるから出家するのも良いが「待てよ!」天地には自然の陰陽在り、東あれば西、北あれば南、父あれば子、君あれば臣、夫あれば婦あり、これみな一対ずつであり一つとして欠けたるものはない人においては男女を一対として、天地がある限り人が産まれ、「三歳具足せり」(出家者が守るべき戒律)とも言う出家の道は、「男女の交合を第一の煩悩として、自分の心をまずは清らかにして仏の心に至る修業に励むべし」などと言うが、それは凡夫の世から見れば陰陽雌雄の一...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家71
家族の誕生日で久しぶりに包丁を握った海鮮を食べるのもずいぶん久しぶり、この周りはずっと野菜と豚肉の生活魚をスーパーで買うのも何かねーとはいうが漁場が点在するわが町では、スーパーと言えども侮るなかれバイヤー次第で魚屋並みの新鮮魚はある、優秀な鮮魚バイヤーとも付き合いがあったから「あのスーパーは大丈夫」なのも知っている。あとは鮮度確認だけ、照明に騙されないためには「魚の黒目が輝いているか」「魚の表面が乾いていないか」「腹が黄ばんでいないか、痩せていないか」が基準になる。買ってきた食材地元の真鯛以下下ごしらえ終了後写真地物ヤリイカ地物あじ地物あまえび(これは水揚げ2日位たっているでも甘みは2日目が一番)小さく安いのを買って、身は指で簡単に押し出せる大きいのは高い小は、これで350円アジ、マグロ鯛は湯ぶりして皮つ...久しぶりの手作り海鮮丼
ほとんど野菜ばかり食っているような生活だから、月に2回は「プチ贅沢の日」プチと言うからには、予算は一人1000円、それで1500~2500円くらいの外食並みのものを食べる。それには自作に限る。今日のメニューは握りずし家庭用とはいえ、ネタは新鮮で旨いものが食べたいだからネタ探しにスーパー三店を回って買い集めた1.本マグロの赤身2,地場産「どろえび」3,佐渡産サクラマス4,地場産きじはた5,アクセントに柔らかなゆでだこ以上さすが、本まぐろはねっとりと味が濃くて旨い柵どりは厚めで色が濃い赤身であること、ドリップがゼロであること。泥海老は、かなりローカルな海老で昔は下品な海老とされていたが、最近は甘えびより旨いことが知れ渡って、値も上がって来た、それでもまだまだマイナーだから、私のような人間にはありがたい。キジハ...今夜はプチ贅沢
シャイなのに人と違うことをして目立ちたい子だった昔よく言った「疳の虫」が強い子で、透視の占い師に見てもらうと指の爪から白い糸状の物が出たと言う、それが疳の虫終戦から7~8年、家に風呂があるのは金持ちだけで、家に水道など無く共同井戸を使っていた庶民は銭湯に通った私も父に肩車されて両親と一緒に銭湯へ、手には1円札を握らせてもらっていた一円札の人物が銭湯(風呂屋と言っていたが)の番台のおばあさんに似ていて、同じ人だと思っていた。私はまだ2~3歳だったが問題児であったらしい銭湯の女風呂の脱衣所に赤ん坊がいるとたちまち嚙みついたと言う、それが2~3度続いて、それで母の肩身がいっぺんで狭くなって、それからは父が男湯に連れていくことになった。足で挟んでいないとすぐにどこかへ行くので父は私を挟み込んだまま、私と自分の頭を...少年時代
2月までは、たしか「やることが無い」「毎日ヒマ」「なんのために生きているのか?」みたいなことばかり言ってた。ところが今は時間が足りない程やることがいっぱいになっている。何といっても、僅かな畑をやるようになったことが一番だが、そのほかにも1.エンジェルスの試合は全部見る、マラソン、駅伝、大相撲も見逃せない2.60年間の日記をPCファイルに書き写す一日一行作業を始めた3.AI相手の将棋を始めた、1勝するたびにレベルを上げていくのだが、最期はレベル100、今はようやくレベル23と戦っている、しかしレベル1つ上げるために毎回5~10敗する、23でこの様だから50に到達するだけでもいつになるやら、いまでさえ通算22勝50敗くらいだ。4.毎週木曜日は一日外出ディ5.食事作りも楽しくなってきた6.雨が降らない日は1時間...忙しい忙しい!
昨日今日と晴れて気分もハレバレ夕方散歩に出たら、すぐにネコちゃんを発見した深い用水を挟んで向こう側にいた、逃げないうちにとカメラを急いで構えたがにげるどころかカメラ目線でじっと見ているたぶん飼い猫なんだろう間もなく陽が落ちる、しかし6時半近くまで明るいツー君の畑に寄ってみた、さすがだねネギかな?これはニンニクでしょう途中の坂道にツツジが咲いていた、我が家のはまだ蕾だここには赤と白が咲いていたシャガだっけ?寒くも暑くもない、ちょうどよい夕暮れだった。夕暮れ散歩
エンゼルスは酷い投手陣で8点取ってもらっても勝てない、大谷の時は2点しか取れないのに・・・藤波もまたしてもKO!ノーコンではどうしようもない、このままじゃ一年持たずに帰国かな?ニンニクが思いのほか太く、すっくと育っている、私が作っているのはこれだけだ、それも間違いで「種ニンニク」を買ってしまったからで、本当はこんな面倒なことはする気が無かった。そのニンニクも育っているが「さび病」に葉がかかってしまった対処法を調べたら「アミスター」という薬品を使うらしい買いに行ったら4000円もする、にんにくは10数本しかない、薬品買うお金で「ホワイト六片」のニンニクを10数個買えるだから辞めた、病気の葉を切って捨てているがニンニク自体はどんどん伸びている、私の野菜作りはこんなものだ。そもそも72年の人生で野菜を作ってみた...やる気がないのに畑づくり
昨日のスズキで夕食の一品を作ってみたスパイスで味付け、唐揚げにしてタルタルソースを作ってシメジバター、ジャガイモ茹でて、こごめの天ぷら付け合わせ新キャベツ千切りやはりメイン素材のスズキが新鮮でおいしい赤身も欲しかったがシンプルにhahaha皿の向き反対だったやっちまった!4月になって、また新たな領域に足を踏み込もうかと考え始めている一つは市民図書館の利用、いままで忙しさに紛れて利用したことが無かった小中と学校図書館の常連だったが・・・もう一つは、周辺の町のイベント情報に目を向ける都会と違い田舎ではなかなかチャンスが無いからこまめな情報ゲットはたいせつだ今の自分に慣れてしまう?出来るかな?おれに新しい自分を見つけたい、できるうちに可能性はゼロじゃない。春は一年のスタート
友達の「マスヤン」は自分所有の船(ボート?)大きさは知らないが・・・で海釣りが趣味。腕もなかなかでクロダイ、真鯛、アジ、太刀魚、スズキの結構大物を釣る昨日もかなり釣ったようで一番のスズキは7.3㎏あったそうだ。2匹いただいた、家に持ってきて調理した、そして友達の「ツー君」宅にも切り身と刺身を持って行った。奥さんと「どんな料理にしようかね」などとしばし料理談義「バター焼き」「ソティ」「ムニエル」「味噌漬け」話すほどに早く食べたくなる。ツー君にも今年初物の大粒の「こごめ(こごみ)」をもらって、昨日は天ぷらで食べたが、ただ茹でたより粘りが出て美味しかった。これもツー君から食べ方の宿題が出ているから、なにか工夫してみよう。スズキは、昼にまず「さしみ」でいただいた、昨日とれたので、今日はちょうど身がしまり、甘みも出...新鮮なスズキで何を作ろうか
今日は3週間ぶりに新湊の「海王丸パーク」へ行ってきた学校の休みも終わって、人もまばらだが、時々観光バスとかが入ってきて少し賑わう今日の富山県は26度~28度で一気に7月の暑さになったが、浜風が強めに吹いて体感的にはちょうどよかった今は家にいるが、冷房を入れてないからフェーン現象で気持ちが悪い明日は今日の半分近い15度前後と言うから、体きついだろうな秋の連ドラが終わり、いよいよ春のドラマが始まった、ちょっと本数が多すぎて、間引かないと寝る時間が無くなりそうだ秋は最後まで見たのは8本だったさて今春のラインアップは如何に?〇①風間公親教場O木村拓哉赤楚衛二新米刑事と厳しい教導が事件解明に向かう△②合理的にあり得ない天海祐希松下洸平仲村トオル丸山智巳探偵上水流涼子と相棒の貴山のコンビが事件解決していく◎③わたしの...春の連ドラスタート
今日のエンジェルスは久々に投打かみ合った気持ちよい試合で連勝しましたこれで一つの勝ち越し、相手は強豪ヤンキース、しかも敵地での勝利昨年MVPのジャッジはチャンスで何度も凡退、三振と振るわず大谷くんはヤンキースタジアムで通算5号となるツーランホームランを第一打席で放ちました、今シーズン第4号初盗塁も決めて勝利に大貢献です。私が応援しているハーゲット投手も打者6人を手玉にとって中盤を締めてくれた、オ’ホッピーは打撃が少しスランプかな?若いから勢いで振り回している感じ、守備はまあまあやってるから・・・昨夜の西武対ソフトバンクは、何年振りかで西武主催で東京ドーム超満員の中で西武が外崎の2ホーマー、山川のホームランなどで完勝したが試合終了後に、郷ひろみのスペシャルショーまでおまけ付きで、観衆も大喜び、なかなか粋なこ...昼食メニュー
「へへへおいちゃんおばちゃんいま帰ったぜ」「おやまあ驚いた!寅!おまえ生きてたのかい?」「おいちゃん!やっと帰って来たのに、それはないだろう・・」「まあいいや中にへえって茶でも飲もうや」「さくらは元気かい?」「ああ残念だねえさくらは東北へ桜見物に行ったばかりだよ」「そうかいそりゃあ残念だった会いたかったのによお」「寅たしか最後に出て行ったのは去年の暮れだったから・・・」「そうさなあ110日ぶりってとこだな」「3か月以上どこに行ってたんだ?今度はゆっくりできるんだろ?さくらが戻るまでここにいなよ」「おいちゃんありがとうよせっかくだけどよ、そこが渡世人のつらいところよ、すぐに次の土地へ行かなきゃならねぇのよ」「そういわずに今日だけでも泊まって行けよ」「お言葉は、ありがたいけど、そうもしてられないのさ、ゆるして...帰って来た寅ネコただいま参上!
仕事を辞めて間もなく一年半になる、時間が出来たので散歩をするようになったが、それ以外は小さな畑を30分ほどいじるだけで、運動不足が顕著だ。それで考えたのは、今は営業していない会社の中の片づけ、雑誌類とか、過去の帳面だとか結構重いから、それを倉庫などに運ぶだけでもかなりの運動量になる、しかも2時間もやると歩数も6000歩くらいになって、一石二鳥の良い発汗運動になった。一仕事終えて、小さな花壇を見たら、なんと藤が満開ではないか毎年、ブドウのように垂れ下がっているのが5~6くらいあったが、今年は15房を下らない、しかも長く大きいのでなかなか見ごたえがある。荒れるに任せていたから、葉と蔓、それに混植の笹竹も絡んで、見た目はいまいちだったから、本腰を入れて、そちらの整理も始めた。いらない葉を積み、竹を切り、紫の房が...藤が満開
エンジェルスがレッドソックスに3連敗、序盤の2勝1敗ペースが崩れたトラウト、大谷のツイン主砲が音無し、とくに大谷でゲームセットというパターンが多くなっている、連続出塁も36でストップしたチャンスで打てない、WBC疲れが今になって出てきたのだろうか?明日は3勝目をかけてマウンド、無失点で3勝目を挙げてもらいたい。吉田にヒット打たれてもいいけど。京都が好きで、遠いけれど毎年1回は行っていたなぜ行くのかと言えば、町のたたずまいや、東京遷都以前1200年以上続いた日本の都だったこともあるまた仏像を見ることが好きでもある、だから奈良や鎌倉も好きなのだそれにもまして決定的なのは花を見ることだ、春の桜、秋の紅葉は京の魅力けれど春の京都は修学旅行や銀行の親睦旅行以外で行っていない、ほとんど秋、というか12月初旬、紅葉を見...4月の散歩道丘陵地帯を歩く③
丘陵地帯には畑が多くて、今の時期はあちこちで夏野菜つくりや春菜の収穫をする人たちが見られる。もともと農家が多い町だったが、ほとんどが農業を辞めて、兼業~老後の暇つぶし、楽しみ、健康維持という感じでやっている高齢者が多い。畑づくりをやっている人たちは皆、背筋も伸びて健康そのものだ、年齢より若く見える人が多い。いきなり目の前に鳥が止まったピンぼけ残念一気に20mほど登った、我らはこの下界の喧騒の中に住む林道の左右には、我らが入れぬ隠れ里のように彼らの作業場があるこういう風景に胸がわくわくする道路の左右は森で、こういう道を見ると入っていきたくなるだがクマやイノシシに会う確率もゼロではない子供の頃、駆け巡った山の中の道だが、今は怖いこの山の5キロ四方は自然の森が広がり、迷路のようになっていた少年期から青年期まで、...4月の散歩道丘陵地帯を歩く②
我が家は標高10mにも満たない平地にありますが、背後南に300mほど行くと一気に標高30m~50mの丘陵地になり、そこから2~3kmは緩い坂道が100~150mの台地に続いています。普段の散歩では30mくらいまで行って帰ってきますが、今日は標高100mほどの森と林の公園まで写真を撮りながら行きました人のいない夕方の公園をのんびりと歩いてきました、気温も風もまことにベストで一年の中でも一番好きな(私が生まれた)春です。1時間半かけて1万歩、7kmほどの散歩、難しいことは、なあ~んにも考えずただただ感動しながら歩いていました。いつも行く河川敷はとっくに葉桜になって寂しいですが、ここはまだ遅咲きの品種の桜が鮮やかに咲き誇っていました。4月の散歩道丘陵地帯を歩く①
黄砂も少し収まったかな?今日は車を洗おう今日はキャメラで撮って見ましたボタン大輪花びらが散るのも豪快です可憐な白誘うパープルこちらもパープル可憐なボケは鮮やか水仙と牡丹気分転換庭の花
私は基本夕方までテレビを見ることは、ほとんどありません但し、大谷君が出場するエンジェルス戦とマラソン、駅伝は必ず見ますそんなわけで8時過ぎ食堂へ降りてきたら、女房殿が「北海道へミサイルが落ちるってテレビで騒いでる」と言うので、さすがに驚いて、テレビをつけて見たら「建物の中か、地下へ逃げてください」とやってるなんか地震情報より緊迫感がない、ミサイルが落ちるのではない、ミサイルを北海道狙って撃ち込んだと言うことではないか。息子の誕生日に北朝鮮が手荒いプレゼントを贈ってくれた。これは戦争じゃないか、宣戦布告なしの不意打ちだ、いくら金正恩が向こう見ずでも日本に対して先制攻撃をするだろうか?「それはない」と思っただがそれが本当で、人的被害がない北海道の無人の荒野、離島、山の中にでも命中したなら政府は、どんな対応をし...朝からびっくりでしたね&季節の花
午前中は雨、午後から晴れたが午前中から、くしゃみ鼻水がとまらない昨日までも花粉の影響はあったが、時間的に限定されるだけだだったそれが今日は今この時間まで、ずっと一日中で屑箱も使用済みティッシュの山になっている。目も少しチクチク感があるし、これはちょっとひどすぎるそれでも晴れたのでマスクをして小一時間、散歩をしてきた、マスクのおかげか風が吹いていたおかげか、散歩中はさほどでもなかったが、終わりころにはやはりくしゃみ鼻水が発生した。まだ車を見ていないが、明日見ればたぶん、べったりと車全体にひっついているだろう明日も昼過ぎまで黄砂は降るらしい、早く過ぎてもらいたい。黄砂の影響
私にとっての音楽は、何のこだわりも執念もない楽に聴ける音楽である日記の断捨離の為、一日一行転記作業を続けていて、今は20歳の誕生日を迎えたここまで転記して気づいたことは、高校入学前に私の人生設計は決まっていたということである、父と同化して二人三脚で「無から有、有から安定」という二世代で安定した家庭を築く、そのような設計を高校時代から結婚までの間、語り合ったのだった、それは日記に記してあった。進む道が決まっていたということは、それだけに集中して努力すれば良いと言うことであり、それ以外はほとんど流して生きていけば良いと言うことにもなる学校の勉強、試験勉強、受験勉強も必要なことだけに集中すれば良かった高校のレベルもそれほど高いわけでもなく、勉強しなくても入れるレベルだったから受験日の前の日まで、ラジオのポップス...私と音楽最終回
創立7年でプロ野球選手を5人ほど輩出した(一軍実績を残したのは一人だけ)野球部をはじめ、スポーツ優先の硬派校だったから(私は硬派ではなかったが)校則で丸刈りだった、当時最先端のビートルズのマッシュルームカットを目指す我々は髪型でまず挫折感を味わったのだ、まさに「青春デケデケデン」の世界だった普通科高は長髪OK!だったから、そんな理由だけで普通高へ行けばよかったと思ったくらいだった。私の高校時代にはエレキバンド(エレキギターは最初電気ギターと言っていた)かフォークギターのどちらかをやる子が結構いた。学校へギターを持って行って昼休みに弾くと、男女何人か集まって一緒に歌ったエレキの校内演奏はもちろん、持ち込みも禁止という「ガチ頭」の校長だったが、まだ24歳くらいだった美人教師と正義感強い若手美術教師が運動してく...私と音楽3
菊地6失点、大谷3号、だがエンジェルス6ー0から6ー10に逆点された投手陣のふがいなさ最後は11対11で延長戦に、しかし結果は13対14でエンジェルスの負け、2死満塁で大谷に逆転サヨナラのチャンスが回ったが内野ゴロでゲームセット、菊池にも大谷にも悔しい試合になった見ている方も疲れた試合だった。年代は1961年ころ、小学校高学年になると少しはオマセになった年頃で、大人の真似をしたい。歌謡曲も橋幸夫が「潮来笠」で華々しくデビュー、同級生に歌がうまいTというのが居て、教室のだるまストーブを囲んで、この歌を同級生の前で歌って見せた。子供ながらちゃんとコピーしているので、みんな感心して聞いていたTはいつごろからか知らないが民謡歌手になると言って、その世界に飛び込んだらしい、再会したのは23歳ころだった、体を壊して田...私と音楽2