後悔は気付き、気付きは教訓、教訓は学び、学びは成長。 後悔も気付きも傷付きも、すべては自分という人間を築かせてくれるゲームである。 日常の発見や思想の記録。 主に研鑽と啓発を目的とした自己対話ブログです。
風来坊さんが持つカメラのレンズが瞬くと、 ふとした一日のささやかな時間がどれだけ美しいのかに気付かされます。 一瞬の「衝動」や「感情」がそのまま切り抜かれたような世界。 本当に素敵です。 きっと今在るこの瞬間も、【伊達】じゃないんですよね。 風来坊 さん / 写真家 https://twitter.com/fuuraibou_16?s=21
「待つのが祭り」という諺がありますが、 準備期間というのは心を肥沃にしてくれて、 作業時間というのは感情を潤沢にしてくれる。 これは【モノづくり】に一貫して言える事ですが、文字書きもその一つなんです。 【楽】が出来ない事程、 自分に「楽しさ」を教えてあげられる時間はありません。
週末の夜は必ずと言って良い程ソファでうたた寝してしまうんですよ。しかも2時間(最早仮眠レベル)いや飽くまで週末だけですけどね平日はしませんけどね。更に言うならお酒だって週末限定ですけどね平日は飲みませんけどね。夏になったらキリンシティ行きたいなぁ。フローズンビールが飲みたい。
新たな発見は本物の想いをぶつけるからこそ、交錯する事が出来るからこそ、そして何より互いが【本気】だからこそ、見付けられるんじゃないですか
多分自分は、常に【逆行】していたいのだと思う。向こうから来る誰かと肩がぶつかる様な考え方をしていたい。だから自分の考えや選ぶ物が波及して次第に慢性化して行くと、途端に「それ」を放棄したくなる。共感して下さる事を心底喜びながら、その場を保ち続ける事を酷く退屈に思えてしまうんです。
日頃【自己】を統制出来てしまう人程、「甘え方」なんて分からないものです。【自己管理】が出来てしまう人程、誰かを求めずには居られなくなってしまった自分に戸惑ってしまうものなんです。自己を「完結」出来ない自分に、自分自身が一番困惑してしまうものなんです。もしかしたらそれは、自分が必要とせずには居られない誰かに対して【負い目】を感じてしまうからかも知れません。「申し訳ない」と、【頼る】という行為に対して【引け目】を感じずには居られないからかも分かりません。でもだからこそ、今のあなたはその人を頼る必要があるんです。今自分が感じる負い目や引け目をその人がその人自身に課した時、あなたの持つ「その人に頼った…
【Flavor Of Life】の歌詞の意味をようやく「理解」出来たんです
「ありがとう」という言葉は時折、 そのまま胸のしこりになる。 素直に適合出来なくなる。 「ありがとう」と言われる度、 【これ以上埋めようの無い距離】を感じてしまう。 私がやりたくてやっている。 私が話したくて話していて、 私が会いたくて会っている。 私は、『私が好き』でやっている。 「ありがとう」は時に、言葉の完結であり言葉のゴールだ。 だからその一言さえもボーダーラインになってしまう。 この距離は「ありがとう」の範疇を越えられない。 「ありがとう」に切なくなってしまえる相手なんて、 一生の内にあと何人逢う事が出来るのだろう。
今を任せる事が出来るのは、【今】の自分しか居ないじゃないですか
今の感情を心底味わってやれるのは、今正にこの瞬間を担う自分だけ。それが例えどんな感情だとしても、今在る自分はいつまでも続くものでは無い。いずれ会えなくなるのなら、今くらい【自分】に徹してやれ。明日の自分は明日の自分が担ってくれる。今居る自分は、【今居る自分】を知ってやれ。
どうすれば父は、私達に【心】を残さず身勝手に終わる事が出来るのだろう
賃貸契約書類の記入をしていた最中の事、思い掛けず【現実】に直面した。ついこの間還暦を迎えたばかりだった筈の父は、いつの間にか72歳になっていた。あぁそうか。父が還暦だったのは私が21の時だ。もうそんなに経ってしまっていたのかと。親に失礼だと重々承知した上で、無性に泣きたくなった。今生きて居てくれる人にこんな事考えるべきでは無いかも知れない。今在ってくれる命の終わりを思ってしまうのは、生者に対する冒涜なのかも分からない。それでも「間に合わせたい」と思わずには居られない。生きて居てくれる【今】じゃなきゃ、きっとこんな事考えられない。だからごめん、父さん。父が今思い残しているものって何だろう。父が私…
「もう二度とありませんように」とは祈れない。だから、あの日の出来事が生かされる【平和】であります様に。戦後に公布された『日本国憲法第9条』阪神淡路大震災の教訓を元に施行された『耐震改修促進法』悲しみが【平和】を動かし続けて来た様に、【人を守れる力】として、そこに在り続けますように。
精神面に於いても活社会の話でも、「止まり続ける」のは随分と恐ろしいものです。世情も心情も時代に則した価値観も、流転し展開し応変し、常に微細な変則の中で保たれるのが心身の【衛生】であり【安寧】です。かめへ溜めた水にボウフラが湧くのと同じ様に、「現状維持」は「退化」と同義。
これから5年後10年後の「その人」の中には間違いなく、 5年前10年前の言葉がある。
誹謗中傷を擁護する気はありませんが、言動には必ず表層するまでの【下積み期間】というものがある。その一言として口から転がり出るまでの工程があり経緯があり、それらの言動を取る事で満たされも凌がれもする【心】に育てられて来た歴史があって前述がある。その人がその人になったのは、その人だけの力ではない。だったらこの先の「その人」をつくるのもまた、その人だけの【意思】ではない。これから5年後10年後の「その人」の中には間違いなく、5年前10年前の言葉がある。接触がある。5年前10年前、その人の傍に居た「私達」という社会が在る。その人が「その人」を決めるのは一寸のズレも無くその人の意思だ。だけどその人に【思…
だって自分から見えるものは全て、【自分自身】を映し出す鏡なんですもの
「発見する」とは目の前で起こった現象や光景、はたまた自分の中の感情の起伏等といった、自分の中の【リアクション】を知る、延いては自分の「考え」や「感想」を認知するという事で、総じて【自分を知る】という事に通ずるのだと思うんですよね。
その日の生活の中で、【「良かったな」と感じた出来事を手帳に書き残す】という習慣付けを先月から行っているのですが、毎回手帳を開くと、まだ中身が少ないながらに昨日まで納めた「喜び」やら「発見」やら「高揚」やらが、紙面上に敷き詰まった文字からウワッと吹きこぼれて来る様になったんですよ。一日の内の「嬉しかった事」や「心が温かくなった事」だけを漉し出しているので、日を追う毎に純度が増して行くというか言葉が結束力を持つというか、視覚的な【馬力】があるんです。それこそ、暫く眺めて居られるくらいには。出来事の大小に制限は設けていないので、ふとした感情の機微や些細な変化でも「良いな」と感じたらその場でメモに起こ…
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