島津家は九州の覇業、対秀吉戦、朝鮮の役、そして内乱が続き国力が疲弊する。兄義久の後を継いだ島津義弘は、そんな中で秀吉亡き後の行く末を定める必要があった。
ミステリーを始めとして、私の趣味で勝手にジャンルをくくって作品20を選びました。書評のブログがたくさんあるので、私独自の感想を書くことを目標にしています。当面は毎週月曜・水曜・金曜と定期刊行(?)を目指します。
時事問題(じじもんだい)とは、近年に起きた政治、経済、国際、社会一般における事象の総称である。新聞、雑誌、テレビ等で取り上げられるトピックスを差す場合に使われる。
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島津家は九州の覇業、対秀吉戦、朝鮮の役、そして内乱が続き国力が疲弊する。兄義久の後を継いだ島津義弘は、そんな中で秀吉亡き後の行く末を定める必要があった。
元就の後を継いだ毛利輝元は、関ヶ原で西軍の旗頭でありながら家康にも誼を通じて戦いに敗れ、大減封を命じられる。輝元の本当の戦いは、ここから始まった。
秀吉が薨去すると、天下の趨勢は徳川家康に移るが、石田三成はその流れを食い止めようとする。家康は天下人になるために知恵を絞るが、最後は決断に迫られる。
今川家から祖父、父と誅殺された井伊直政。幼い時から苦労を重ね、徳川家康の家来になる常に自分を厳しく律し戦場で働き、若くして四天王の一人と認められた。
三河を統一した家康。三方ヶ原の戦で敗れるも、大久保忠世と忠佐の兄弟は徳川の意地を見せた。そんな大久保家だが、家康の天下になると、冬の時代が訪れる。
今川家の人質となった松平元康を、祖父の代から支える大久保忠俊。戦の達人として長らく戦場で活躍したが、一向一揆の決着を機に、総帥の座を甥の忠世に託す。
最近トキメキを感じなくなった私ですが、ミニチュアは大好き。先日「ミニチュアアートフェスみやぎ」に行ってきて、久しぶりに楽しめました。
お大は家康を産む時、四天王に守られる夢を見る。家臣からは家康を守る、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政という「四天王」が現われ、覇業を支えていく。
吐月峰で拾われた広親は、今川家臣の娘、瀬名姫に仕える。瀬名は三河の人質だった松平元康に嫁ぐことになり平和に暮していた。ところが桶狭間で様相は一変する。
このブログも、昨日で3周年を迎えました。当初はPVが全く伸びず展望も見えないときもありましたが、皆さまと交流することで、ここまで続けることができました。
秀吉に出生は不明ですがが、ここではハンパ者から始まったとしています。朝鮮出兵から中国支配と構想はあったようですが、それが維持できたのか疑問が残ります。
秀吉の母のいとこの子に生れた加藤清正は、文武に活躍する。関ヶ原の戦いの後は徳川家と豊臣家の間に立って汗を流すが、家康と秀頼の対面後に発病し生涯を閉じる。
石田三成は武勇は恵まれないが、才覚で主君の秀吉から認められる。秀吉は天下人となると抑えが効かなくなるが、それでも三成は己を捨てて豊臣を支えようとする。
大谷吉継は敵方に捉えられて土牢に入れられた影響で、顔や身体が崩れ始め、人生を悲観する。しかし秀吉や黒田官兵衛の支えもあり、誠実に秀吉に仕え認められる。
算用者として能力を発揮した長束正家は豊臣家に召喚されると兵站を担当し、太閤検地で「天下を計る」。しかし朝鮮出兵では秀吉の無理難題を遂行することができない。
堺の商人の小西陸左は、秀吉に入れ込んで商売を広げ、見所のある甥の弥九郎(行長)を養子とした。弥九郎は秀吉が中国攻めに欠かせない宇喜多直家の元に潜り込む。
甲賀出身の全宗は、世に出たい欲求を捨てがたく、抜け忍をして医師になる。木下秀吉の知遇を得て、医術を含めた広範な知識で、天下人の参謀として権勢をふるう。
傾奇者として名を馳せる前田慶次は、前田利家にも、豊臣秀吉にも「傾奇く」ことを止めない。そんな慶次は上杉家老の直江兼続に惚れ込んで、戦場に立つことになる。
上杉謙信の甥の景勝に仕えた樋口(直江)兼続。謙信が急死した後の後継争いで活躍し、家老として上杉家を支える。秀吉にも信頼され、家康の監視役を担う。
南近江の勢力の蒲生氏郷は、織田信長を見込んで自ら人質となり臣従する。活躍を見込まれて信長の婿となるが本能寺で信長が亡くなると、秀吉の傘下に入ることになる。
東京帝大で学業が振るわい正力松太郎は、警視庁に入省して頭角を現わすも、虎ノ門事件で懲戒免官となる。その後読売新聞を買収して野望を果たそうとする。
五島慶太お金を貯めて東大に入学し農商務省に入省、その後鉄道院に移る。しかし官界での出世に見切りをつけて実業界に飛び込み、東急グループを拡大していく。
慶應義塾に入るも病気で卒業できなかった松永安左ェ衛は、傲岸不遜な性格から社会に出ても失敗ばかり。しかし玉石混淆の電力業界に入ると、その実力を発揮する。
鮎川義介は長州閥で東大卒ながら、身分を隠して職工として基礎技術を学ぶ。やがて実業家の道を歩むと、日産や日立などを傘下に収めたグループを築く。
三井銀行に就職した池田成彬は豊富な知識から、出世街道を歩み、三井財閥のリーダーとなる。その後日銀総裁や大蔵大臣も務めるが、軍部と対立することになる。
両替商の父を継いだ野村徳七は、強気の勝負勘と共に、情報収集を重視。また会社組織もいち早く近代化に努めて、野村財閥を築き上げるも、敗戦直前に財閥解体をおびえながら死去する。
三井銀行に就職した小林一三だが固い仕事が性に合わず会社を退職。鉄道会社の専務に就任すると、今までにないアイディアで鉄道会社を中心に地域を発展させるシナジー効果を生み出す。
学生時代に放蕩生活を送った大原孫一郎は、倉敷紡績を承継すると、利益は社員と会社に還元する方針で経営。また文化事業などにも惜しげもなくお金を出して、世界有数の会社に成長させた。
大工の息子に生まれた豊田佐吉は持ち前の器用さで発明家の道を志す。見学と研究に没頭し、織機機械を中心に数多くの特許を得ると、支援者や番頭にも恵まれて事業は拡大する。
富山の足軽出身の安田善次郎は、江戸で商売で身を立てる決意をする。両替商から独立した善次郎は、幕末の乱世で誰もが尻込みするリスクを負って勝ち続け、遂には安田財閥を築き上げる。
新潟県の質屋の息子に産まれた大倉喜八郎は、持ち前の才覚で幕末に武器商人として立身する。徒手空拳から始めて、持ち前のウィットと交渉術で新政府に食い込み、大倉財閥を築き上げる。
伊庭貞剛は、幕末に志士と交流した縁で新政府に出仕するも幻滅し、叔父の広瀬宰平が総理事を務める住友に入社する。強引なやり口を改め地域との対話に努めて、住友グループの礎を築く。
頭脳は明晰だが下級武士出身で鬱積していた岩崎弥太郎は、ひょんなことから認められて土佐藩で出世していく。維新後は独立して菱商会を設立し、商売で覇権を握ろうとする。
天領の庄屋の息子に産まれた渋沢栄一は、奇縁から一橋慶喜の知遇を得て持ち前の才覚から頭角を現わす。維新後は明治新政府に出仕するも下野し、民間から日本経済の基礎を築き上げる。
小栗上野介から知遇を得ていた金平糖売りの利八は、幕末の金銀の交換比率による改鋳を聞きつけて金を買い占めて巨額の富を得ることに成功した。そして三井両替店に入店する。
リーマンショックから世界規模での不況が進行、日本経済はそんな中東日本大震災を迎えた。アベノミクスによって大胆な経済再建策を打ち出すも、コロナにより経済構造に大きな断層が生じた。
戦争を切り抜けた藤田敏雄は、堅実な商売を続け、華やかなライバルとは違ってスーパーマーケットの事業を地道に拡大していく。そんな中部下の大木は本場でコンビニエンスストアに出会う。
日本最大の広告代理店「連広」城田毅は、野望を確固たるものにするため、強引なやり口でオリンピック、プロスポーツや博覧会、そして選挙など、様々な事業に介入して指揮を執る。
人口15万人の天草地方に85億円の天草空港をつくることに対し、無駄な公共事業として大バッシングを受けた。そんな中熊本県は自前で航空会社を立ち上げる無謀な決断を下す。
日本新報記者である南康祐は、誤報事件を引き起こし、社長室へと異動させられた。経営危機に陥った新聞社の中、南は新里社長のもとで反対が渦巻くAMC社との売却交渉を担当する。