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  • 羨ましさについて

    先日、即興で歌を披露するネット動画を見てつい配信者の能力を羨んでしまいました。自分よりも優れた人はいくらでもいます。その存在を私が知らなければその人は私にとっていないも同然ですが、テレビやSNSを見ていると嫌でもそういう方々が目に入ってしまい羨むことが多いのです。今回はその意味を考えたいと思います。 以下の考察は、アメリカ人学者レスター・エンブリーの著作「反省分析」と「環境 テクノロジー...

  • https://thinking.fc2.net/blog-entry-9.html

    擬人像の現象学 PDF...

  • モデル

    寓意画のみならず広く絵画について言えることだが、人物画を鑑賞するときそのモデルを務めた実在の人物に気づくことがある。図の絵画を例とすると、真実の擬人像はベールをはぎ取られ時間を意味する翼を生やした人物の方を振り返る瞬間を捉えている、が、おそらくモデルになった女性は室内でこのポーズをしばらくの間とり続けていただろう。この絵との出会いの最中、擬人像とモデル双方の他我を体験しうる。いづれの体験も絵画的...

  • 作者の意図

       これまで触れてこなかったが、擬人像との出会いに観察されうる要素であり重要なものとして作者の意図があげられる。引用したテキストと絵にはそれぞれ作者がいた。作者は意味を媒体によって伝えようと試みたはずである。擬人像を体験するとき、像を知覚したり概念を思考するのみならず、他我すなわち作者の創作活動をも体験する。私はテキストや絵を目にすることで作者の意識をも体験するわけだ。作者の意図はときに...

  • 追憶、想像、学習

    擬人像との出会いについて何点かつけ加えておきたい。第一に、最下層の体験は知覚だけでなく、想起でもありうる。これまで感覚的知覚が絵画的体験の基層を成すケースを記述してきたが、擬人像を想起しても擬人像体験は成り立つ。私は今ここでかつて見た擬人像を、たとえば『アペレスの誹謗』に描かれた擬人像達を思い出し、表現されている概念を思考できる。 第二に、知覚や想起のみならず擬人像は想像によってもアクセス可...

  • 構造

    いまや資料を一目見てそれが真実の擬人像だとわかるが、まず気づくのは意味と人物との区別である。かりにある擬人像と出会ったとして、描写された人物に気づくだけで、それが理念的対象の媒体だと気づかない、ということはあり得ることである。その後、解説を読んではじめてその人物に込められた理念的対象に気づく、ということもありうることである。この事例から、概念の媒体である人間や神々と、それらに運ばれる概念とは区別...

  • 出会い

    取り組まれるのは擬人像との出会いについての現象学的分析である。分析手法は主にレスター・エンブリー著和田渡、李晟台訳 『使える現象学』(Lester Embree, Reflective Analysis, A First Introduction into Phenomenological Investigation, Morelia Editorial, 2003)に依拠している。 はじめにことわっておくと、図像との出会いに含まれる措定性の要素は考察から除外する。すなわち、信じること、評価すること、意...

  • 擬人像の現象学

    概要 視覚的擬人像は日本人にも馴染みのある表現と言ってよいだろう。ニューヨークの自由の女神像や剣と秤を持つ女神像などは有名である。文芸、絵画、映像作品から他の事例を見つけ出すのは難しいことではない。擬人像との出会いは珍しいものではなく日常的なものである。この出会いはどのような構造なのだろうか?意識の観察記述によって答えようと思う。 擬人像との出会い 擬人像とは何か?図像学者ルーロフ・ファン・...

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