中学生で子供がうつ病を発症しました。 母親から見た記録です。 子供は現在はまあまあ回復して普通の生活を送っています。投薬治療と精神療法は続けています。
退院の日は会社を一日休んだ。 朝から何をやっても上の空になってしまって、やりかけた家事を途中で放り出した。ずっとソワソワしてしまっていて病院にも早めに着いてしまった。そこでいつもの窓のない細長い部屋に通されて長く待った。 […]
病院に戻ったら今までいた個室に戻るのではなく、大部屋に移ることになっていたのに、今の今まで忘れていたのだそうだった。 個室にこだわっていないのならそれでもいいね。良くなってきたってことだよね。 私はそんな返事をしたのだと […]
外泊はすぐ許可が出た。咲はこの週末に帰ってくることになった。そうすると合格者登校日までの一週間近く家にいることになる。今までになく長い外泊なのだが、どうやら退院に向けて元の環境に少しづつ慣らしていく意味らしかった。 週末 […]
夜に咲からいつも通り電話がかかってきた。いつも通りの定時連絡みたいになっていた。 「今日は学校に行ってきて私が卒業生みたいな体で卒業証書を受け取ってきたよ」と報告すると、全く関心がなさそうな「ふーん」という返事が返ってき […]
笑いが口元に残っているのを感じながら、ついでに部活の関係でつながっていた保護者のアカウントを全部友達から削除した。これからは無関係なのだからどう思われてもいい。連絡が取れなくても困らない。今までだって咲が入院したことは知 […]
留め金がやっと外れて、ネックレスは一本のパールの紐みたいになった。それを片手にぶらさげて居間に戻ると、LINE電話が鳴っていた。着信はついさっき「卒業式第二部」で会ったあやか母からだった。 出てみるとあやか母は友好的な口 […]
先生は咲の荷物の箱を渡した後に「中学から高校に連絡する書類があるんです。病気のことを知らせた方がいいですか?知らせないでおくこともできます」と聞いてきた。 そんな書類があったとは知らなかったが、「入院や自殺未遂のことも含 […]
「卒業式第二部」が終わると、校長室にいた大勢の先生方はまたぞろぞろと教務室に戻っていった。校長室には私とあやか親子、それぞれの担任の先生、他に校長先生と教頭先生が残った。 すぐにあやかの担任の先生が「(あやかが学校に置い […]
卒業証書を受け取るのに指定された時間は、同じ日の本番の卒業式が終わった3時間後だった。その日は先生方も礼服で学校に来ているはずだから、私が一人普段着で行ったら卒業証書を受け取るときに気まずいだろう。そんな理由で私もスーツ […]
先生の希望は卒業式に出席してほしいということだった、私も出席の方がいいと思っていた。 でもそのまま「欠席させます」と押し切った。あの子は今まで周りに気を使ってばかりで自分の気持ちを大切にしてこなかったのだと思う。だから本 […]
この日の夜は咲の合格を家族で祝った。病気になってしまったのによく頑張った!と、本人不在でも盛り上がった。 夜にいつものように本人が病院からから電話をかけてきたので、夫も実樹も(実樹は春休みなので家に帰る時間が早くなってい […]
読み間違えたんじゃないかと掲示板をそのままずっと見続けていると、咲が「他の人も待ってるから場所を空けようよ」と言った。私は我に返って掲示板の横の人が少ない場所に二人で移動した。すぐ近くに目を真っ赤にして泣いている子がいた […]
二日目の受験が終わって、校舎からぞろぞろと受験生たちが出てきた。しばらく待っていると咲も出てきた。 私を見つけてこちらに歩いてくると、真っ先に 「あんまりできなかった」と笑いながら言った。 また笑い顔を見ることができた… […]
入院中に外出して受けた受験の直前模試の結果は悪かった。以前の咲なら絶対とらない点数だった。本当に病気なんだとしみじみ実感が深まった。 本人が結果を見たがったので週に1回の面会の時に持って行った。 本人の受けた模試なのだか […]
翌週に相葉さんから電話がかかってきた。 受験の前日は自宅に前泊して当日直接受験高校に行くようにしたらどうか?という提案だった。 前泊できるなんて思ってもいなかったし、思いつかなかったので相葉さんにすごく感謝した。 (「相 […]
食事のあとは咲を病院に送って私たちは家に帰った。名残惜しかったが、本人はあっさりとドアの内側に消えていった。外出時に渡された外出許可証はケースごと病棟のドアを開けてくれた看護師さんらしき人に渡した。 買った漫画は私がその […]
アッと言う間に時間が流れて、病院に戻る時間が近づいてきた。 病院へ向かう車の中で私は買っておいた漫画を渡した。その漫画は「ニーチェ先生」というギャグ漫画で、4コマ漫画だから気楽に読めるし頭も使わないと思って選んだものだっ […]
4人掛けのテーブル席について、咲は流れてくるお寿司(当時はコロナウイルスが蔓延してなかった)を嬉しそうに選び、にこにこしながら味わうようにゆっくりと食べていた。 「病院の食事はおいしいんだよ、少し甘いの」「おやつも毎日で […]
模試の会場に着くと、筆記用具が入った手提げとレジ袋入りのサンドイッチとオレンジジュースのお昼ご飯を持って咲は会場に入っていった。お箸を使わないで食べられるものを選んだ理由は何となくわかる。時間をかけて一人でお昼ご飯を食べ […]
直前模試の日の朝、病院に咲を迎えに行った。いつもの部屋に通されて待っていると、相葉さんと咲が一緒に部屋に入ってきた。 相葉さんは夜の八時までに戻ってくること、そして遅くなる場合は必ず病棟に連絡するようにと私たちに言った。 […]
桜井先生が応答した。折り返し電話を待っていたのだろうか。 思った通り今日の様子を聞かれたのでざっとを話した。 先生は「トークエコノミーって何なんですかね……」とどうも納得できないモヤモヤがにじみ出た感想を言った。(「ン」 […]
「洗剤も無香料のものがいいんですか?」聞いてみると「なるべくなら……」という返事だった。無香料でないと持ち込めないとは言わなかった。無香料のボトル入りの洗剤を買おう、探しても見つからないときには香料入りのを買おう。今まで […]
成人病棟で書いた入院診療計画書には入院の期間は2カ月と書いてあったがそれは予想される最大値だそうだった。実際にはもっと入院期間が短くなる場合もあるものらしかった。 心配していた受験については 「受験に関する外出や外泊は全 […]
二宮医師との面談の日はあっという間にやってきた。その日は入院病棟に直接行くように言われていたので外来には寄らなかった。 数日前に咲から電話が来た時に「CDプレーヤーが使えるようになったからヘッドフォンと英語リスニンCDと […]
出願の書類を書いて中学校に提出したあと、数日してから病院から電話があった。咲の担当の看護師の相葉さんからだった。この人とは直接会ったことはまだなかった。 今後の見通しや状態の説明をするのと、病棟を移ったので書き直してほし […]
荷物は看護師さんが持った。窓のない細長い部屋を出て咲は「じゃあまたね」と言って振り返らずに二枚目のドアの内側に戻って行ってしまった。 咲が行ってしまった後、私は咲の荷物を持っている看護師さんに「二宮医師に今回の入院につい […]
面会の終わりに、切り出せずにいた受験の話をした。両親と本人が直接会える貴重なチャンスだったので、受験の話は最初からするつもりだった。 「今年も(嵐山に落ちた場合のすべり止めに考えていた公立高校が)二次募集あるらしいよ」 […]
そんな特異な環境にいるだけで保護者の私もメンバーの咲も大きなストレスを感じていた。 練習試合になるとレギュラーの子たちの保護者はビデオカメラと三脚を持ってきて試合をすべて録画する。その録画は家で繰り返し見て批評したり研究 […]
我が子が精神病院に入院してしまっても時間は関係なく流れていった。入院してから数日で予定通り思春期病棟のベッドに空きが出た。思春期病棟の咲の担当になった相葉さんという看護師さんから電話があって、病棟を移ったことを知った。そ […]
本当はいつ入院してもおかしくなかったんだ。大野医師はそう言っていた。 入院前提で転院したけれど、転院先の二宮医師はなぜか今までは入院させないで通院で様子を見ようと判断していた。ちょうどボーダーライン上の状態だったのだろう […]
先生は「自分も確認してみます」と返事してきた。先生の口ぶりから学校側も私を介さないで病院と連絡を取っているようだった。 「今どう思っていますか?」先生は次にそう聞いてきた。まるで私の気持ちを聞いてきているような言い方だっ […]
看護師さんに「週末に面会に来ます」と言って閉鎖病棟から出ようとすると「すぐに思春期病棟の方に移れると思います、週末までこの病棟にいるかどうかわからないのですが、移ったら連絡がありますから。」という内容を言われた。 たぶん […]
入院となったらもちろん学校には行けない。学校を休むのにこれ以上ない正当な理由だと本人は考えているだろう。前回の診察の後にもそんなことを言っていた。 ともかくこれで「どうしても学校にいかなきゃ」という焦りはなくなるだろう。 […]
昔の映画みたいにコンクリートの壁で鉄格子がはまった窓と茶色くなって擦り切れたぺったんこに凹んだ畳の、牢獄のような部屋を想像してしまっていたが、全くそんなことはなかった。(記憶が映画で見た留置所とごっちゃになってるかもしれ […]
担当の看護師さんに入院期間二カ月について本当なのかを聞いてみても「主治医の判断です」としか言われなかった。 思春期病棟のベッドが空いてそこに移って落ち着いたら二宮医師に話を聞けるかもしれない。そう思って私はそれ以上は聞か […]
頭が働きだしてから私はだんだんと辛くなってきていた。主のいない部屋で入院に必要なものを準備していると、その状況から辛い気持ちがますます膨らんできていた。 「最後のとどめ」みたいに登場した、咲の隠していた紐を見つめていたら […]
窓がない部屋のくたびれ気味のソファーに腰かけてまたぼーっとしていると、少しして別の看護師(?)が部屋に入ってきた。 ※病棟の中で働いている方々は全員看護師さんだと最初は思っていましたが作業療法士さんや(公認?臨床?認定? […]
今日は児童病棟(18歳まで)のベッドは空いていないが数日で退院する予定の子がいる。だから成人病棟にまず入院して、児童病棟のベッドが空いたらそこに移ってもらうと医師は言ったと思う。(記憶がはっきりしない) 入院と聞いた後か […]
先生が冗談ばかり言っていて笑っちゃった、帰ってから咲はそう言った。何を話していたのかまでは私からは聞かなかった。言わないならそれでいい。「先生の冗談」が何なのかはどうでも良かったがわざとそうしたのだろう。とにかく笑えるよ […]
第一志望の高校に合格するためには勉強しなければいけない。でも勉強したくても頭も体も思うように動かないし辛い。そんな自分を許せないから自傷をしてしまうのではないだろうか。どうやったら自分を許せて自傷を止めさせられるんだろう […]
そんなことを考えていると医師は「アカシジアが出ているので薬を変えます。」と言葉をつなげた。風邪の患者に咳止めや解熱剤を処方する時のように自然な調子だった。 自傷をやめられず希死念慮も続いている状態でまた抗うつ薬を変える。 […]
新学期になった。1月の半ばに学校の個別懇談で志望校を最終的に決めることになっていた。思春期外来の予約の日と学校の個別懇談の日は一日違いだった。さらさらと砂時計の砂のように時間が流れて、いやでも現実が動いていく。 受験が近 […]
志望校をどうするかの話し合いを正月休み中にするべきだったが咲がほとんど眠って過ごしていてなかなかチャンスがなかった。 ……それは言い訳。私は志望校の話し合いをすることが怖かった。これからどうなっていくのかがわからなくて、 […]
年内の最後の一人図書館登校日に咲が 「先生がこっそりお菓子をくれたよ」と少し笑って言った。 子供が笑った。そんなことが嬉しかった。今日みたいに笑ってくれたら私は何でも耐える。だからもっと笑ってほしいと思った。 咲が部活を […]
間もなく冬休みに入った。日中一人になる日は、9時から11時までを学校の図書室で過ごすことになった。図書室には桜井先生も付き添うということだった。おそらく桜井先生には相当な負担をかけていたのだと思うが、正直言って「たった2 […]
それ以上の内容を詰めることはなかった。冬休みに登校する話は今日はここまでらしかった。 あの子はどう思うんだろう。部活で学校に来ている下級生たちに姿を見られるのを嫌がるだろうな。考えていると 「一つ聞いていいですか?」保健 […]
約束の時間に学校に行くとまた校長室に案内された。3度目の校長室だった。そこにいた先生方も前回と同じだった。保健師の松本さんも来ていた。まるで映画の再上映みたいに思えた。 私は重い雰囲気の中で先生方に促されて病院での診察の […]
自分の子供と並んでいる看護師さんに会釈すると会釈を返してきた。それからその看護師さんは「お大事にね」と笑顔で言って来た廊下を戻っていった。もうお昼をだいぶ過ぎていた。薬を薬局に受け取りに行ってからどこかでお昼ご飯を調達しよう。学校は朝校門を
渡されたチラシを読みながら私はロビーで子供が戻ってくるのを待った。ロビーは空いていて普通の病院と同じような作りだったが狭いし雰囲気が違った。入口に警備員さんがいるのもあるかもしれないけれど、総合病院や医院の待合室はもっとざわざわと話し声や人
治療の説明のところは全く覚えていないが医師はその後薬の効き目はどうかと聞いてきたと思う。(この辺も記憶が曖昧です、順番はこの通りではなかったかもしれないです)前の病院で処方されていたのはサインバルタ(抗うつ薬)ロラゼパム(抗不安薬)という2
その高校の名前は二宮医師も知っていた。医師は地元の出身なのかもしれなかった。「そこを受けるとすると大変かもしれないね。主治医のお勧めとしては高校のランクを落として負担を減らすほうがいいね」二宮医師は咲にそう言った。「落ちるかもしれないけれど
初診だと診察自体で一時間かそれ以上かかる。前の二つの病院ではそうだった。咲が問診票を書いている間に私は周囲をキョロキョロと見渡していた。A病院は精神科だけの病院なので建物の中に入るときだけイヤだったけれど、入ってしまえば知り合いには会わない
でも「受かる見込みはあまりないと思うよ」なんてとても本人には言えなかった。今のままでも厳しいのに、この入院でますます第一志望の高校に受かる道は閉ざされてしまうだろう。咲が入院している間に他の受験生たちは着々と実力をつけていく…。そのことを本
私はまだ本物のEMDR治療を受けさせたかった。でもこれから転院するA病院ではEMDR治療はできなさそうだった。ネットで公開されているEMDR治療者リストにA病院の関係者は誰も記載されていなかった。どうしてもEMDR治療を受けさせようと思った
今度どうするかをはっきりさせず私は「ありがとうございます」とだけ言った。医師は私の曖昧さを気に留めない様子で咲に「しゃっくりの薬出そうか?」と言った。咲はその言葉に被せる様に「いらないです」と答えた。この受診で不快な思いをしたのは明白だった
5時過ぎにN医院に戻った。待合室の人数は10人くらいになっていた。患者さんが診察室に入ってから出てくるまでの時間が一人一人長い。そこから一時間以上は待ってやっと名前を呼ばれた。診察室には私も一緒に入った。N医師は一見優しそうな印象の50代半
土曜日の朝、朝食後にベッドに戻ろうとする咲に「新しい治療を受けられるかもしれないからこれから着替えて出かけるよ」と声をかけた。このとき初めてEMDRのことを話した。咲はどこでどんな治療を受ける見込みかを聞くと、のろのろとおとなしく出かける準
EMDR眼球運動による脱感作と再処理法は、うつ病について詳しくなったという謎の自負がある私でも知らない言葉だった。調べてみるとトラウマや辛い体験に対して行われる心理療法だった。咲のうつ病がトラウマに起因しているとすれば効果があるかもしれない
この日は仕事に集中できないままだった。このままでは第一志望の高校には落ちる。私は通学圏内で二次募集をしそうな公立高校と遠方の私立高校について調べることにした。病気になる前は第一志望の高校にすんなり入ると思っていた。私立との併願はするけれど併
電話を切って私は仕事に戻った。全く仕事に集中できなかった。大野医師や桜井先生のことが頭に浮かんだ。あの人たちも自分の仕事に対して責任を持って取り組んでいる。咲に対しては通常以上の重たい責務を持つことになってしまって、きっと私の想像以上に大変
月曜の夜の校長室での情報共有は特に問題なく終わった。数日後に転院先が決まったと連絡があった。返事が保留だった病院が受け入れてくれるそうだ。紹介状をまず大野医師の病院に取りに言ったうえで、それを持って直接転院先の窓口に行ってほしいということだ
翌日の土曜日には実樹は部活に一日行っていた。入院の話をするのにはちょうど良かった。私たち両親と咲だけの方が話やすい。私と夫は昼ごはんのあとで部屋に戻ろうとする咲に話がある、と声をかけた。実は前の診察で「病気は深刻だから入院しなければいけない
帰り道に咲は私が医師とどんな話をしたかを聞いてきた。自分のいないところで話をされるのをやはり嫌がる。入院の話はまだ本人に言っていなかったので病気の回復の見込みを聞いて「なんとも言えない」という返事だったということにした。「咲は何を話したの?
「私は通常初診では薬は出しません。患者さんとの信頼関係を大切にしています。患者さんがいろいろなことを話してくれるようになって、環境や性格をわかってきてから薬を出しています。咲さんは症状が重かったので特別な例外としてすぐに薬を出しました。」後
普通の診察では症状をなるべく簡潔にまとめて話す方が医師も時間の節約になる、でもここでは自分の心情に関係なく積極的に洗いざらい症状を話すことが必要なのだな。身内が自殺していたら聞かれる前に話さなくてはいけないのか。黙っていたいのに傷をえぐって
再診の日が来た。私にとっては3度目の診察室だった。咲はそのことを知らないので「2度目だね、今度は途中で追い出されないといいね」とブツブツ言っていた。でも病院には嫌がらずに素直についてきた。死にたい気持ちが強い中にも治したい気持ちもあるのかも
その日の夜大野医師に言われたことを夫に伝えてまた話し合い「受験ができるのなら……」と渋々入院に同意することにした。でも咲が知らないまま入院の話を進めることはどうしてもできなかった。その面も私も夫も同意見だった。自分が逆の立場だったら両親を恨
この「自分が代わりたい」的考えは私の妹が自殺した当時も常に頭の中にあった。妹は性格もよく頭もよく私よりずっと優秀な子供だった。妹の方がみんなに好かれていた。両親にもかわいがられていた。だから私が妹の代わりに死ねばよかったとずっと思っていた。
翌日の午前中に大野医師が私に電話をかけてきた。「転院(ほぼ入院しなければならない前提)の話を進めたいのですが」大野医師は私の返答を待つために一度言葉を区切った。「昨日夫と話しあったのですが、入院はさせないでいこうと思います。」私が返答すると
この頃に自傷がはじまった。体を傷つけるのではなく、拳で自分のお腹や胸を強く叩いたり自分の両手で喉を絞めつけたりする自傷だった。拳で自分の体を叩くときには私もその場に遭遇したこともある。強い力でドスっと体にめり込むような音を立てて自分を殴りつ
娘が入院することだけでも嫌なのにさらに騙すようにして入院させるなんて考えられなかった。本人だって急に今日から入院だと言われて素直に受け入れることはないだろうし、反発するのにもエネルギーを使って疲れてしまう。それに医師や両親への怒りや不信感で
「よろしくお願いします」膝を突き合わせる様に椅子に腰かけて打ち合わせ?が始まった。大野医師が話し始めた。咲は希死念慮が強くまだ薬の効き目が出ないこともあり今のままでは自殺する危険がある。しかしこの病院はもともと軽い症状の患者の診察をしており
「よろしくお願いします」膝を突き合わせる様に椅子に腰かけて打ち合わせ?が始まった。大野医師が話し始めた。咲は希死念慮が強くまだ薬の効き目が出ないこともあり今のままでは自殺する危険がある。しかしこの病院はもともと軽い症状の患者の診察をしており
妹の自殺は現在でも私の行動にずっと影響していた。私が生きている限りそうだと思う。咲を一人にさせないために本当は私の母に来てもらって見守ってもらえたらよかったのだが、自分の子供(私の妹)の死を嘆き苦しみ悲しんできた両親には孫の自殺未遂のことは
その日の午後に保健師の松本さんから電話がかかってきた。大野医師と連絡を取って咲の事情を話したところ、学校の先生と私と市側の保健師とで集まって相談したいと言われたのだそうだ。日程は大野医師に明後日の朝9時と指定された。場所は前回行った診察室だ
学校側はこのあともうつ病になってしまった原因について追及することをずっと避けていた。話そうとすると今回みたいに話題を変えるか無反応になるかだった。 当時は自分の娘のことで精いっぱいだったからそのままになってしまったけれど、鴻上さんの言葉を借
松本さんは無理しないで下さいねとかなんとか労わりの言葉をかけてくれた後「私から大野医師(先生)に連絡をとってもいいでしょうか?」と聞いてきた。私は「わかりました」と答えた。医療関係者同士何か対策できるならしてほしかった。私が何をできるかを教
その日の夜に桜井先生から電話がかかってきた。思春期外来を受診することを連絡してあったので様子を聞く電話だった。その電話で先生にうつ病のことを伝えた。先生は驚いた様子だったがその話を詳しく伺いたいので明日学校に来てほしいと言われ、前回と同じ時
その病院は夜中に患者を診る体制はなかった。調べておけばよかった。副作用や常習性を考えると薬を飲ませることには抵抗があった。しかも精神病の薬を自分の子供が服用するなんていやだった。でも自分の気持ちは無視した。感情は無視して理屈で最良と思う道を
ここが咲が死にたいだけではなく実際に自殺未遂をしたことを言える最後のチャンスだった。咲もわたしも問診の時にはそのことを言えずにいた。医師の印象が悪かったことや、初対面の人に自殺未遂の話をすることへの抵抗感があったし、メインで話している咲が疲
今度こそ診察がはじまった。大野医師は午前のことを詫びてきたあと「お昼は何を食べたの?」と咲に笑顔で話しかけた。「ミニ天丼です」咲は答えた。「え?ミリ?」「ミリ何?」なぜ人が昼ごはんに何を食べたのかを聞いてくるんだろう。診察に関係あるんだろう
大野医師は40歳後半ぐらいの女性だった。艶のない髪とそっけないメタルフレームのメガネが優しくなさそうな印象を作っていた。「日渡咲さんですね」大野医師はモニタから目を離さないままで言った。そのままカチカチとキーボードを操作している。咲が「はい
12月のはじめ、ようやく思春期外来の受診の日が来た。朝の予約だったので会社は午前休みにしてもらって午後から出社することにしていた。咲も診察が終わり次第学校に行けるように制服姿だった。おとなしく一緒に来たけれど受診することに抵抗も期待もあった
そんな様子を見たときは私は咲のことが大切だ、かわいい、価値がある、すごい子だと繰り返し伝えてきた。夫もそうだったと思う。でもあの子の心には届いていないようだった。中学生にとっては家族のことはそんなに重要ではないのかもしれない。ずっと小さいこ
この日は顔合わせと情報共有で終わった。家に戻ると咲は険しい表情で待っていた。私が学校に行って話をしてきたことが相当嫌だったと言う。そして自分のいないところでどんな話をしたのか知りたがった。ではなぜ自分から先生に自殺未遂のことを話したの?と聞
それから私たちは今後どうするかについて話しあった。桜井先生がまとめ役で、松本さんが具体的な提案をし、私が家庭の状況を考えてできそうなことを答えるような感じだった。他の先生方はあまり話をしなかった。まとまったのは下記の内容だった。1.学校内で
数日後に欠席した日の夜桜井先生から咲に電話がかかってきた。同じ部屋で私は咲の応対する声を聞いていたが、途中で「ちょっと離れてほしい」と言われて部屋を出た。しばらくの間咲が話す声が聞こえたが内容まではわからなかった。しかしこの時私は直感で自殺
11月に入ったある日に咲は私に背中が痛いから押してほしいといって体操着を入れるカバンを持ったまま私のそばに来た。カバンのファスナーが半分くらい空いていて、中に入っているタオルが見えた。薄手で両端に紐が結びつけてあるあのタオルだった。自殺用の
私が咲がうつ病ではないかと疑いだしたころ、咲が学校を休んだ日に桜井先生が家まで様子を見にくることが出てきた。家と学校が近いこともあるだろうし、咲がこれまで優等生だったのに、あの日から学校を時々休むようになり、宿題を一切しなくなっていたことか
思い返してみると不調は見え隠れしていた。でも私はそのサインに気が付かなかった。最悪の部活が終わったことでほっとしてしまっていた。部活を乗り切ったからもう大丈夫だと安心してしまい、目を離してしまっていた。部活を引退して受験勉強に本腰を入れなれ
咲がうつ病なのではないかと思うようになったのは10代のメンタルヘルス⑥自殺(作者 ジュディス・ピーコック)大月書店を読んだからだった。17ページにこういう一文がある。「自殺の危険性が高い10代はほとんどがうつ病です。」同じ本の18ページには
実樹に咲の自殺未遂のことを話したのは当日ではなくその翌日だった。学校帰りの実樹を車で迎えにいったときに車を駐車場に停車させて時間を取り、状況を詳しく伝えた。実樹も動揺していた。「昨日咲の部屋から大きな音がしたの。朝の7時前にお父さんとお母さ
この時の私の予約のとりかかたがまずかったために受診した際に医師から叱られた。私は予約を取るときに電話に出た人に「どうしました?」と聞かれて「子供が死にたいと……」としか言えなかったのだった。押しとどめていた苦しい感情が溢れてしまってそれ以上
翌朝は何事もなかったかのようにやってきた。昨日あれだけ大きな事件が起こったのに、また朝がくることが不思議に思えた。咲が眠っているのを確認すると私は部屋から出た。見かけだけはいつもと同じ朝を一通りこなし、咲は学校に行った。食事をあまり摂ってな
咲の姉の実樹が高校から帰ってくると私たちは一緒に食事をとった。少し気分が和らいだ。実樹と少し話し、最低限の家事を終わらせた後で、咲の部屋に私の寝るための布団を敷いていると咲がお風呂からあがって部屋に入ってきた。表情はうつむき加減で明るくなか
安易に死のうと思うのは人生経験が少ない中学生だからだ。今辛かったとしても中学校はあと数か月で卒業する。卒業までの我慢だ。そのあと高校に行ったらもうすっかり気分も変わって今の辛さを忘れていくだろう。そう言い聞かせれば気持ちが落ち着いてもとの咲
夫と咲が二人で話した後で,私達は今度は親子三人で一度長い間話し合った。咲の気持ちも聞いたし、咲は私たちの言うことを聞いて自殺しないと約束した。そして卒業まであと少しの間このまま今の中学校に通い続けることにした。もちろん辛かったら休むことにし
夫かが帰ってきた。仕事着のままだ。顔は少しこわばっているように見えた。「どうしようか…まず一人ずつ話そう。お前から話を聞こうか」夫は最初に私と話すと言った。私達は咲を部屋に残して居間に行った。私は夫に促されて今日あったことをなるべく時系列で
私が電話で咲の自殺未遂を伝えても夫の声はとても冷静にきこえた。夫は仕事中だったが帰ってくると言う。咲はまたソファーに腰かけていた。うつむいていて表情がよく見えなかった。私が話しかけると億劫そうに短い返事をする。まだ学校の制服姿のままだったの
私が電話で咲の自殺未遂を伝えても夫の声はとても冷静にきこえた。夫は仕事中だったが帰ってくると言う。咲はまたソファーに腰かけていた。うつむいていて表情がよく見えなかった。私が話しかけると億劫そうに短い返事をする。まだ学校の制服姿のままだったの
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