ある本に載っている出雲地方のアラハバキ神
ある本に載っている出雲地方のアラハバキ神
関東から東北にかけてアラハバキと称する神社があります。アラハバキ神は謎の神と言われ、はっきりしたことはわかっていません。いままで、アラハバキ神の分析した書物をまとめてみました。
阿陀加夜努志多伎吉比売命(アダカヤヌシタキキヒメノミコト)は、下照姫命だとする説がありますが、だれが唱えたのでしょう。
鳥取県西部地方には、下照姫命が東に移動していき、東郷湖の畔の倭文神社で一生を終えたという伝承があります。
出雲大社の前は、平野ではなく、神門水海(かんどのみずうみ)が横たわっていた。
アジスキタカヒコネが登場する仁多郡三澤郷阿遅須伎高日子命(あじすきたかひこのみこと)の伝承地である仁多郡三澤郷、現在の仁多郡奥出雲町に訪ねました。まずは、その伝承が書かれた『出雲国風土記』(733年)...
『出雲国風土記』には、「大神」の称号をもつ神が4柱登場します。どんな神か、祭る神社はどこかをまとめました。
火明命を祖とする天孫族と出雲族は最初から親戚だったというのが今回のテーマである。国譲り神話が頭に染みついている人には、理解に苦しむ話だ。まず「ホアカリ」と聞いて、どんな神様か気がつく人はあまりいない。...
島根県西部の石見国の国府は、浜田市下府町辺りではなかったかと言われています。しかし、延喜式記載の邇摩郡の国分寺霹靂神社の存在から、国府は、元は大田市仁摩町辺りにあり、移転したという説があります。
実際には天若日子のモデルとなった神がいるんではないか?と考えました。天津彦根命が、そのモデルの一つであると考察しました。
石見国の西部の沿岸地方には、和珥氏系の神社が集まっています。
和珥氏とはどのような古代豪族なのか、宗像族との関係は?
平安時代初期に嵯峨天皇の命によって編纂された『新撰姓氏録』ですが、和珥(わに)族と思われる氏族を抜粋しました。 ※国立公文書館デジタルアーカイブ 『新撰姓氏録』より、編集作成しました。『新撰姓氏録』に...
『日本書紀』で、初めて相撲をとったとされる野見宿禰ですが、出雲国の出身と書かれています。野見宿禰の伝承地を訪ねてみました。
アジスキタカヒコネの神は、雷神とも、農耕神ともいわれます。その理由を考えていきます。
伊努神社 島根県出雲市美野町382 祭神 天甕津日女命天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)は、『出雲国風土記』においては、出雲の祖神ともいうべき八束水臣津野命の子である赤衾伊努意保須美比古佐倭気命...
美保神社の社殿は、「比翼大社造」と呼ばれる本殿が二つ仲良く並んだ美しい姿です。公式的には、事代主命と義理の母である三穂津姫命を祭っていると言われます。しかし、元々そうだったのでしょうか。美保神社の祭神...
上の写真は、島根県安来市に流れる飯梨川。大国魂神の概略大国魂神 (おおくにたまのかみ)は、奈良県天理市の大和(おおやまと)神社の祭神であり、「日本大国魂大神」「倭大国魂大神」(やまとおおくにたまのかみ...
ほとんど名前が忘れられていますが、日本の母神ともいうべき偉大な女神です。
出雲族とは、どういう種族なのでしょう。どこの地域に住んでいたのでしょう。
出雲国側の多根地名に関連している地域を書いてきましたが、今回は石見国の地方について考えてみたいと思います。石見国の多根石見国の多根地名ですが、いつから存在したのか定かではありません。『角川日本地名大辞...
島根県雲南市掛谷町多根の「多根」(たね)と、大田市三瓶町多根は、オオナムチとスクナヒコネのコンビの種が同じぐらいしにしか考えていませんでした。調べると、出雲市佐田町の北部(窪田地区)も含めて、「多根」...
現在の島根県雲南市掛谷町多根の「多根」(たね)は、古代地名であり、『出雲国風土記』(733年)に「多禰郷」として登場します。島根県には、もう一つ、石見の三瓶山の北麓にも「多根」という地名が存在します。...
三屋神社 島根県雲南市三刀屋町給下865『出雲国風土記』 (733年)飯石郡三屋郷の記載に、「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の御門(みと)がある。だから、三刀矢という。」と書かれています...
自然石を神霊が宿ると考えて祭祀対象とする巨岩を磐座(いわくら)と言います。また同じような言葉で、磐境(いわさか)という言葉があります。磐座と全く同じ意味であるという説もありますが、磐境は、人の手が加わ...
奥出雲町のホームページを見ていたら、興味深い造形の神社が載っていました。いわゆる木造の建築物の神社でもなく、何か石の板が組み合わさった石が御神体のようです。鯛の巣山に登った後、その川子神社を参拝しに行...