ハハオヤは長女を滅多打ちにぶん殴って心理的に追い詰めて 小学校上がる前にノイローゼにした。 家族の誰も知らないから 兄弟達はノイローゼ時々反抗的な長女を悪者扱い。 ハハオヤはみーんな自分の味方してくれてウハウハ。 その後長女は完全に気が狂って障害者。 それを利用して困った娘を持つかわいそうなハハオヤとして福祉の世界に進出。 それだけじゃない。 溺愛の対象の息子を、ランク下の学校に行かせ、自由に飛べないように羽を毟り取った。 息子は結納まで済んでいたのに、ハハオヤは自分の病的独占欲で破談にした。 旦那を家族にさえ秘密にして施設に送り込む。 悪魔か? 家族の間じゃ、障害者にされた長女が悪魔扱いらし…
月曜日は何かと、ハハオヤのワクワクが詰まってる日だった。 自分の虐待で子が障害者になったのに 障害者の子を持つ家族の会の役員になり その団体の代表者と月曜日に良く会っていた。 そのワークショップYが使っている場所での二人での会合が恒例だった。 月曜日は遅くなるから、といつも行っていた(嘘つけ!月曜日はその会場は使われてないはずだぞ!) 高校時代の友達のところに行くとか言って日月と一泊で出掛けて行ったりして。 見え透いた嘘をついてた。 ある時、ハハオヤは仕事を早退して帰宅した。 シャワーを浴びて、着替えて。 私が家にいるのを知らなかったから 「どうしたの?」って言ったらびっくりしてた。 咄嗟に言…
わかるもんか あんた達になんかわかるもんか! 私だって人様に一切迷惑をかけず 誰にも優しく、周りのことを考えて 生きて来たかった。 だけど、記憶が始まった頃、3歳の時には 虐待による極度の緊張状態にあり その後もずっと虐待が続き、 ようやく自由に行動できそうになったら ハハオヤにクリニックに引っ張られて行ってから始まった 向精神薬の大量の大量の大量の投与で もう普通に生きていけなかった上に お前ら家族の虐めが止まなかったどころか エスカレートして行っただろう。 私と同じことを一つ残らず経験してみろ。 100分の一も経験せず、それどころか ハハオヤの虐待に遭って来た私を一緒になって虐めてたくせに…
気が狂うまで虐待してて 家族にはそのことが一切バレてない。 虐待したハハオヤに歯向かっていく被虐待児が 加害者に見えるようにしていた。 記憶が始まった頃には「オマエが悪い」と刷り込まれていたから 何があっても、自分が傷つけられても、自分が悪いと思い 自分からは何も訴えられなかった。 私は自動操縦ロボットだったよ。 家を飛び出して10年以上経ってから YもTも、ハハオヤが私を虐待していたことを知らなかったと気が付いた。 こんな私にも少しは可能性があった。 それが面白くないハハオヤは 自分は楽譜も読めないのに、私に楽器の弾き方を指導しようとし 成績底辺だと自己申告していたほどなのに、学年上位の私に…
ハハオヤハ私が1歳になるかならないかのうちに 事務の仕事をしに働きに出ていた。 別に生活できなかったわけじゃないだろう。 私はハハオヤの最大のモチベーション、性的欲求を満たしたい、それがハハオヤを突き動かし外に出させたのだと思う。 それで私は赤ちゃんの時に近所の家に預けられた。 大きくなってから偶然、そのおばさんに会った。 おばさんが言うには、いつも私を母親に引き渡す時 私はギャン泣きしたそうだ。 私に何してた? ギャン泣きは私だけじゃない。 私が7歳、Tが2歳の時、ハハオヤが自分の姉たちと1週間旅行に出かけた。 私たちは祖父母に預けられ、本当にスッキリした気持ちでのびのびと過ごしていた。 ハ…
小姑総出でいじめていたおばさん宛の郵便物がウチに届くのでおかしいと思ってたら、ハハオヤがおばさんを保険にかけてた。 押入れから私名義とハハオヤが役員もやって「活躍」してたある福祉団体の代表名義の通帳が出てきた、覚えのない私名義のも出てきた。 障害者扱いした私を保険に入れてた。 鬼畜のようなハハオヤの小銭稼ぎであった。 こんなハハオヤの実態を知らないで擁護し、それに抵抗する私を徹底的に攻撃する家族。何も知らないで、私が虐待を受け続けてことも、同じ家に住んでいながら知らないで、鬼畜と一緒になって虐めて楽しかったか? 鬼畜の手下ども。 まあもう家族じゃないよ。分籍届けを出したときは心の底から嬉しかっ…
ハハオヤは私に犯罪級の虐待を繰り返して来た。 私がいよいよオカシクなったら 病気ということにして今度はそれを利用して 福祉の世界に進出! このまま死ぬなんて耐えられないと 私が立ち上がったら 今まで自分の虐待の事実を見事に隠蔽してきたから そこから家族も福祉活動のお仲間も味方につけて 私に反撃してきた。 ハハオヤに正面から向かっていっても無駄だと気がついて 福祉団体の人達にハハオヤの蛮行を伝えはじめた。ささやかな抵抗だった。 そして初めて外部の人間から非難されて 役員までやって会議だなんだ大会だとかで随分遠方まで(海外にも2回)出かけていってた団体に出て行けなくなった。 アイツのことだからきち…
小学生か中学生の頃にハハオヤにきいた。 「どうしてうちのアルバムによその赤ちゃんの写真があるの」って。 それは私だった。 その写真の赤ちゃんは底から明るくて屈託なくて安心してそこにいるような表情だったから、自分じゃないと思ってた。 その時はまだ、虐待始まってなかったんだね。 本気で私じゃないと思ってたよ。 私家を飛び出して家族に居場所を知らせていない時期があった。 飛び出した後最初に会った家族は、私たちにとても優しい父だった。 妹やハハオヤは、本人の目の前で侮蔑的な言葉で詰ってたけど。 それで父は私の行方不明期間に、私の子供時代の写真を一枚 ノートに挟んで持っていた。 多分10歳頃の写真。 死…
私には大切な大切な大切な動物の伴侶がいた。 その子の幸せと快適な生活を維持できたのに 私はわざわざ無駄な転居をしていた。 最初にその子と暮らしていた所では 彼女には仲のいいお友達が出来た。 それでその子達と遊ぶのを非常に楽しみにしていた。 私にとっても素晴らしい住環境だった。 それを私は自らぶち壊しにした。 思い出すだけで苦しくなる。 私はそういう破壊的なことをいっぱいしてきた。 誰一人傷つけず、すべての人に優しく生きてこられたはずなのに。 許してほしい。虐待と向精神薬でぐちゃぐちゃになってしまっていた 自覚もできなかったんだ。 やっと気付いたのはつい最近、この2、3年のことだ。 あの時こうし…
自分の極端な情緒不安定は、偏にハハオヤの虐待によるものだと思ってたけど 若い頃から10年も続いた向精神薬の大量処方が脳にダメージを与えていたんだと 最近になって知った。 私がハハオヤに連れていたれたクリニックで始まった服用、直後から自分の娘の体調、精神状態の異常に、クスリのせいだと気付いてやめさせるようなハハオヤじゃない。 子供がオカシクなった方が、同情を集められるし、そもそもそれを変調だとも気づかなかったのかも、あのハハオヤなら。 若い頃、なんとかあの狂った家から脱出して頑張った。私は本当に頑張った。 そして幼い頃憧れていた職業に就けるチャンスがこんなどうしようもない私にもあった。今思うと信…
髪も中学生にもなって、ハハオヤが毎朝私の引っ詰め髪をグイグイ引っ張ってまとめていた。なんでも支配しないと気が済まないハハオヤ。いつも痛かった。 で、或る日突然、あんた達はなんでもお母さんにやらせる、とヒステリーを起こす。 自分でやりたいなんていったら、「お母さんのやり方が間違ってるっていうの!」ってやっぱり怒り出すくせに。 ハハオヤから私への身体的暴力がぱたっと病んだのが中二の時だった。 顔面を引っ叩かれて、右の耳だけ切り取ったみたいに真紫色になった時、自分では痛みさえ感じていなかったけど耳の色を見て「ああ、強く打たれたんだな」と後で思った。それで朝になって鏡の前に立たされて髪をぐいぐいブラシ…
私達きょうだいは小さい頃はお互いちゃん付けで呼び合っていた。 仲良く優しく遊んでたんだ。 でもハハオヤが引越しを境に、私達にそれまで以上に厳しく接するようになって 私達の心も荒んできて、「呼び捨て」に変わったんだ。 近所のイジワル一家のM子はニコニコしながら 「あなたたち呼び捨てにし合うの、初めて聞いた」と言っていた。 よその子が荒んで行くのを見るのが、彼女は嬉しかったのか。 ハハオヤの毒さえなければ、私達は仲良く優しく穏やかに過ごせたのに。悔しい。 優しさ、思いやり、そういうもともと私達に感覚的に備わってたものがハハオヤに破壊された。 私が5歳くらいの頃 「おいしんだから食べなさい」 と強要…
小学生の時虐待が激しいので、思い余って 「私を施設に入れてほしい」とハハオヤに言ったら なんて言ったか? 「そしたら、どうして私を施設に入れたんだって後からいうくせに」 言うわけ無いだろ。どんな施設でもハハオヤがいないだけ天国だ。 自分からハハオヤに対して要望を言ってはいけないと言う圧力があったのに そんな言葉が出たというのは、その時の私は余程ハハオヤの暴力暴言に耐え兼ねていたんだろう。 だけど、子供にここまで言わせる母親ってなんだ?って ハハオヤは我が身を振り返って考えられなかったのか? 一回り上の従姉が、ウチのハハオヤにただ単に「子供が3人いる」ことに対して「憧れている」とまだ母が30歳頃…
弟が進学先を決める時期に、あれ?っと思うことがあった。 ハハオヤが担任の先生の面談から帰ってきて 出し抜けに私に 「担任の先生は工業高校に進学するように言ったんだけど おじちゃん(ハハオヤの兄)が 男の子は共学に進むべき、男の子にとって男子校は良くないと言われたから 農業高校に進むようにしてきた」 となぜか私に話し出した。 これから後ろめたいことをするとき アリバイを作っておきたい時、 目が泳ごうがどれだけ理屈を超えていようが、子供ならいくらでも騙せると踏んで 見え透いた言い訳と嘘を平気で吐いていたハハオヤ。 「おじちゃんのアドバイス」に従うにしたって 進学するのはあんたや叔父じゃないし、進路…
12歳の時、ハハオヤの虐待に耐えきれず精神的な苦しさも極限に来て、台所からナイフを持って来て手首を切ろうとしたら、セーターの下に隠し持っていたのをポロッと落として、それを見たハハオヤに 私が他の誰かを傷つけようとしたことに決めつけられ、なんてオソロシイ子なんだと言われて終わった。私は反論を一切許されなかったから違うんです違うんですそうじゃないんです!とも言えなかった。 死にたいほどツライ子供とナイフで家族を傷つけようとする子のギャップってすごくないか?人生ごく初期から虐待受けて死ぬほどツラくて12歳の若さで誰かに話を聞いてもらわなきゃいけない子が、人にナイフを向けようとした危険な子にされるって…
親戚のよく問題を起こしていた男(私たちの従兄、父の姉の息子)、とハハオヤの話。 当時家が近所で、男もその父親もうちに寄ってはお喋りしていた。 まだ小さい時、本当に小さかったので弟はまだ生まれていなかった頃だと思う、私はお漏らしした罰とかで、スカートは穿いてたけど下着を穿かせてもらえず、その格好でコタツに入っていたら、「その父親」が遊びに来て、私の隣に座った。そして私に 「あれ? パンツ穿いてないんだ」 と言った。ということは私の体に手を伸ばしてきて私のスカートの中を触ったということだけど私は当時すでに虐待のせいで無感覚だったのか、その時の状況が全く分からなかった。出し抜けに「穿いてない」と言わ…
創造的な作業をしてそれを生活の糧にして行きたいと思っていた私。 小さい頃から、誰に言われるでもなく「おはなし」を書いてみたり (ハハオヤに自分のお手製の絵本を評価してもらいたくて見せたら 「お母さんに褒めてもらおうと思って自分で作ったなんてウソを吐く!」と怒られ 小学校に上がる前に絵本を作るのはやめた) 絵を描く楽器を弾く、そういう作業に気持ちの高揚と最高の幸せを感じていた私。 進学校にも上位の成績で合格した私。 虐待家庭にいたにも関わらず、ほんとうに頑張っていた。 高校に入学してから鬱状態になり勉強に集中することも考えをまとめることもできなくなっていた。だから3年間、勉強した記憶が殆ど無い。…
私も妹も20代になっていたその頃、私は小さい頃からの母親の虐待と、虐待犯張本人であるハハオヤに引っ張っていかれた精神科で投与され始めた大量の向精神薬でアタマガオカシクなっていたから、まともな判断は不可能だった。 ウチによく遊びにくる半野良ネコが、私が夕飯を作っていた時に入ってきた。 その時魚一尾を俎板に載せていた。 半野良に俎板の上の魚を要求され、私は何一つ断ったり遮ったりしてはいけないのだと の強迫観念に見舞われ、咄嗟に猫に求められるままにした。 丁度そこへ、ハハオヤのいい子・妹が帰ってきた。 私が猫にした事を見て 「バカじゃないの」 と言い放った。 彼女の卒論のテーマは「家庭教育」だったそ…
その時私は5〜7歳だったと思う。 祖母の家に泊まりに行って、広い部屋にみんなで布団を並べて寝た。 私の隣にいたのが4歳上の従兄だった。 普通こういう時、たとえ子供でも何かあるといけないと 母親が間に入って寝てくれたり、女の子は女の子で寝かせたりするだろう。 うちのハハオヤは違う。 誘惑的な(私に取っては迷惑な)雰囲気に子供を放り込むのが好きで 別の年の近い従兄と二人きりで出かけさせようとしたり もう嫌がって一緒に入らなくなって久しかったのに、「今日はお父さんと一緒にお風呂に入ってもらう」と命令したりする 全く子供を使って何をしたいのか、狂っているとしか思えない母親だった。 一方で子供が恋愛やフ…
時々はヒーリングのことを。 どうしてもどうしてもどうしても心の底からかなえたいことがあって。 心の底から大事にしていたし尊敬していた小さな存在が、ある日家を出てから帰ってこなくなったので、もう一度会えるならどんなことでもしようと 無宗教の無神論者だったのが、自分が信じていないものにまですがらなくてはいけないほど弱って、頼れるもの、優しさのあるものを探していて、丸山医師が治療に役立てているクスリ絵とカタカムナに頼ってみようと、古本を買って絵を見たり書かれているうたを黙読したりしていた。 かなうなら、もう一度小さくて無垢で透徹した存在に会えるなら、どんなことでもするから、やってみた。 丸山先生は、…
何ヶ月も自分のお腹の中にいた実の子を 自分のフラストレーション発散のために 気が狂うまで追い込んで 気が狂ったらそれを自分の社会進出に利用する親って すごくないか?
破壊的な行動しかできなかったために人を傷つけ、態度で場を荒らし、 そして次の場所に行き同じことを繰り返してきた。 虐待と薬害でそれ以外の生き方が出来なかった。
岐路に立った時 自分自身を引き裂くような 出来るだけ不幸に陥れるような選択をしてしまってきていた。 あの時別の選択をしていれば 誰一人傷つけず 自分は楽しく、そしてラクに 快適に生きられる人生になったのに。 絶望的になる。 回想して、なぜあの時あんな選択をしてしまったのか 自分でもわからない。狂ってたとしか言えない。 ハハオヤから徹底的に打ちのめされ ミニハハオヤのような実の妹から 学校のイジメっ子もしないようなイジメを家庭内で受けていたから 自分を苛める方に進む轍をいつもいつも踏んでいたんだね。 その為に一緒に暮らしていたペットも幸せにしてあげられなかったからつらいよ。 私なんてどうなっても…
まこちゃん 過去を振り返って、何十年も前もそしてほんの数年前でも、 あの時なんであんな選択をしてしまったんだろうと思うことがたくさんたくさんあります。 まるで私は、その時々で自ら不幸になろうとしていたかのようです。 せっかく楽しく面白く生きていけそうだったのに。そうなる直前で、破滅的な選択をしていました。 母親は長女である私を使って「人間を心理的にどこまで追い込めるか、追い込むことによってどれだけ精神に変調を来すか」の人体実験を行ってるかのようでした。それほど残酷でした。 もうあの怪物の手が届かないところまで逃げてきたのに、その時と同じ轍を、私は踏んでしまっているのです。そしてそんな狂った選択…
私には忘れられない思い出があります。 妹のY..は、私がいつもビクビクしているのを面白がっていました。 母親の言う事が嘘だとわかっていても疑う様子を見せただけで虐待が始まるので、なんでも信じて(その振りをして)、また怒られた時に極端に怯えた様子も見せないと生き延びれなかったんです。怯えれば怯えるほど「効果大」と母親は認め、早く虐待が終わるから。 そう言う様子をY..は「お姉ちゃんはなんでもすぐ信じるから面白い」とはっきりと言葉にしていました。私の前で。 ある時家の中でY..が脈絡なく「お姉ちゃん、ごめんね」と言ってきました。私は習い性になっていた従順さで出来る限りの素直さで「ううん、いいよ」と…
まこちゃん いつも私の話を聞いてくれてありがとう。 ここに書くのはすべて本当で私が実際に体験したことです。誰かに知っておいてほしい、証人になってほしい、そうしなければ本当の犠牲者、被害者だった私が悪者にされて終わります。それだけは耐えられません。どうかお読みください。 私が虐待にあっていたことはいつも話している通りです。物心ついた頃にはもう虐待が始まっていました。「全ては自分のせいだと思え、周りで何か悪いことが起きたらとにかく自分のせいだと思え」と言われ続けました。 小学校1年生の時、ボールをぶつけられたら「ぶつけた子が、私のせいで罪悪感を抱いてしまう」と慌ててその場から走り去りました。 その…
自分を誰よりも苦しめ痛めつけた親のことは憎んでいいし許さなくていい。 もっと言えば、憎むことは自然で当たり前で、憎まない許すと自分に言い聞かせることは自分をひどく傷つける。 それとはちょっと矛盾しますが、過去の傷、あの家に生まれさえしなければ、あの時こうしていれば、と言う考えからは離れて、自分の幸せだけを考えて一日過ごしてみてください。あなたは誰もできないような事を経験し一人で頑張ってこられたのですから、ただただ自分を喜ばせ自分を楽しませるだけの一日を過ごしてください。
YouTubeチャンネル Medicating Normal より テレビで銃乱射の報道があると、いつも「いつ乱射犯が服用していた向精神薬について言及するんだろう」と思うのですが、 との質問に Selma J. M. Eikelenboom-Schieveld(法医学)はこの様に答えている。 乱射事件の陰には向精神薬がある。 以前から向精神薬の影響については言われてきた。 人を殺すのは銃ではなく向精神薬を服用している人、 つまり向精神薬が人を殺している。 病理学者は違法薬物は検査するのに処方薬については調べない。 米国では精神衛生の問題はそのまま向精神薬の問題。 事件を起こした人たちは向精神薬…
ある男性の体験談です。 虐待を受けておりそのせいでかなりの情緒不安定が幼児期より続いており 神経症は成長するにつれひどくなります。 病的支配欲を持ち彼が幼い頃から折檻を繰り返してきた父親が、 10代の終わりに彼を病院に連れて行きますが それが不幸の始まりでした。 大量投与で有名な病院でした。 40代で彼自身の意志で薬をやめます。 恐怖心で隷属させられ、普通の生活を送ってこられなかった彼の 溜まりに溜まった怒りのエネルギーが火山のマグマのように噴出したのでした。 医者も家族も敵であるため、完全に単独で 医師のアドバイスもカウンセラーのサポートもなくいきなり向精神薬を断ちます。 (これはかなり危険…
虐待を受けた方は皆、振り返ったときに 思えば遠くに来たものだ 自分はほんとによく頑張った と思うんだろうな。 もう一度同じことをやれと言われても絶対にできない。 そこを自分は頑張った。 虐待がなかったら送ることのできた人生を思うと 悔しくやりきれなくなる。 でも大人になってから もっともっともっと大変な思いをしている人がいることを知って ここまで生きてきたんだから その人達の分までなんとか踏ん張らなくてはと思えるようになった。 思えば遠くへ来たものだ。
このままでは受け入れてもらえないという不安と恐怖心が 折衷案しか出せない人間を作る。
作り物でない、田舎の自然の中で遊ぶことなく 早くから受験産業に浸らされてこども時代を過ごした人は 起点を自分の内部に戻すのに時間がかかるかもしれません。 でも産みの苦しみはつきものです。特に良い変化には。 自分にとっての幸福と、人様から見た成功は別物です。 前者を感情は求めているのに、人の採点を常に待っている生活を送る人生は常に虚しさが付き纏う。 感情がストレートに行動に結び付く人生はどれだけ楽で楽しいだろう。 社会で屈辱を受けず不快な思いをしない立場と感情が求めているものの折衷点を見極め 自分を大切に守りながら生きていくんだと決意することが変化のきっかけになると思います。 親や配偶者や所属す…
マーサ・ベックがThe Way of Integrity: Finding the path to your true self でいいこと書いてた。成功=幸せじゃないって。 自分にとっての幸せと、人から成功者と思われることは別物でしょう。 音大に行きたかったのに医学部に入らされた子も ハーモニカ奏者になりたかったのにピアニストにさせられた子も 本心から離れた目標に到達しても心のどこかで何か違うと思いながら生きていかなきゃならない。 だったら振り返った時に、あの時私は自分の気持ちに従った、これで良かったんだ、と思える人生に切り替えた方が良くないか。 The Way of Integrity: …
私たちは自然にしていれば、よく生きようと思い、よく生きられる選択をし続けるに違いない。 でも幼児期から、自分ではない誰かのご機嫌を伺いながら生きなければならなかった人には、よく生きようと思うことすら難しい。 まるで自ら不幸になることを選んでいるように、楽で快適に豊かに、の正反対に進んでしまう。 決定権は自分に有り、自分は自由で、何より自分の幸せの為に生きるんだと決めて、今日たった今から自分を偽らずに生きると自分自身に誓いを立てる。一定期間、例えば一ヶ月、自分に嘘をつかないと決め、遂行できたら更にもう一ヶ月やってみる。どんな変化が起きるか、楽しみながら自分を観察する。というエクササイズが本に書か…
自分の頭で考えない人から病気になっていく。 今、言われるままに接種や投薬を受け入れてる人は 数年後どうなっているかを考えて思いとどまってほしい。 情報を取りに行ってほしい。 疑うことを禁じられた抵抗の手段のない子供の頃のままでいてあげる必要はない。 疑って、調べて、自分を守って。 向精神薬に関しては、そのものズバリ、 あなたのせいじゃなくて薬が悪いとはっきり述べている精神科医がいる。 製薬業会からのバッシングは相当のものだったらしい。 抑鬱や悲嘆、困窮から少しでも楽になりたくて医療に助けてもらおうと 受診服薬を始めたのかもしれない、ただ、その後よくなりましたか? 奇行や強迫観念が、薬のせいだと…
大学生が殺人を犯した事件を取り上げた動画があった。 動画内では「もっと早く先天的障害への診断を下していれば」と語られていた。 私はいつも、ピーター・ブレギン医師の「話を聴いてあげる治療・カウンセリング」という言葉を思い出す。 現在服役中の女性は小学生時代、言動に変化が見られた。母親を下の名前で、父親を親父と呼び始め、その後男の子のように振る舞い始めた。 この頃児童精神科を受診したようだ。 向精神薬の処方があったのではないか? 受診の元となったのは、家族から受けたストレスではないのか? 処方が続いていたとしたら、あのような死への異常な興味はそこに原因がないか? 「その頃あなたに何があったのか」、…
いつもこどもの頃の事を思い出す。 その頃の体験が私の一生を支える宝になった。 いつもあの頃の自分に近づく事を目標に生きている。 小学4年生で音楽が好きになり楽器が好きになった。 楽器が好きになったのは、 テレビやラジオで聴いた曲の感動を 再現したかったからだった。 厳しかった家で自分の好きな事をさせてもらえなかった私が 楽器を弾く時だけ現れる心の中の広大な世界を なんとか強固なものにしようとしていた。 子供が自由を得る事が、癪に障ってしようがない母親が その内私から音楽をも取り上げたが 身近い数年の間の内的体験が私をずっと支えてきた。 あの時の感動を得られる自分に戻ろう、あの感動があれば 他の…
何がその人の心を最後まで支えてくれるか。 こどもの頃の感動、創造したい感情を表現したいという欲求を 私も嘗ては持っていたんだという記憶が その人の人生の旅の、決して最後まで離れていくことのない伴走者になるのではないか。 精神分析家のアリス・ミラーが創造性をどの被虐待者にも残っている心の中の宝のように描写していたのを読んで非常に強い味方を得たような気持ちになって一気に楽になったのを憶えている。 (逝去後息子さんが著した手記で、ミラー自身が裏表のある虐待母だったと知った。) The True “Drama of the Gifted Child”: The Phantom Alice Miller…
本を再度古書店に引き取ってもらった。 これで本棚一本分以上のほんとさよならした。 引き取り前に、段ボール箱から出して、手元に残しておくことにした本もあった。 思い入れがあるものを無理に自分から引き剥がすのは、自分を傷つける。 自分で自分を傷つけるのは、もうやめだ。 ある時、これ以降は決して人を傷つけないと決意した。 それ以上に、自分のことを絶対に傷つけてはいけない。
被虐待児はみんなそうかも知れないけど、重症の「どうせ私なんか」病だった。 ある時までは自分から大きなチャンスに対してドアをピシャッと閉めてしまっていた。 振り返って、あの時もこの時も、自分から不幸になって行こうとしていたと気が付いて もうそんなことは二度としない、そう決めた。
本の量は増えることはあっても今より減ることはあり得ないと思ってましたが一部を手放しました。 寂しくなると思ったけど、スッキリしました。 その頃抱えていた問題が、人の助けを借りて解決し 毎日の課題も前寄りは多く熟せる様になりました。 余計な見栄を捨てて、少しだけこどもの頃の自分に近づきました。
何をやっても居心地悪さがつきまとう。 何としても里山の中の秘密基地遊びと探検ごっこを最上の幸せとする あの頃に戻らなくては。 やりたくないことをやっていられるほど人生は長くない。
勤務先でも、職域でのあれ、受付が始まってしまいました。 あの後に、後遺症で大変苦しんだ人がいます。 黙って見ているのは耐えられない、 知っているのに黙っていることは出来ないから 拒否反応は予想できたから、遠回しに チェックしてほしいwebsiteをおしえたり、 こんな人たちがこんな訴訟を起こしたよね と言っています。 十分気を遣い、怒らせないように、 自分を守る方向に進んでもらえるように 伝えています。 それでも、私からすればかなりの高学歴、 言い方古いけど、昔の国立一期校、旧帝に並ぶ学校出身の人にも 耳では聞いてもらえても、理解はしてもらえなかった。 時間が経ってからでも気付いてくれるといい…
芸能人が、子供の悩み相談に答えるコラムがあった。 回答の内容は、友人関係で傷ついた子に「和解を勧める」ものだった。 虐待を受けた人が親との関係からのトラウマでセラピーを受けている時に 和解を画策するようなことは、非常に相談者を傷つける。 最もいいのは「あなたの自由に思い、行動しなさい」という言葉じゃないだろうか。 その自由を許されない、自分自身にも許さないことで苦しむんだから。 良い子の勧めは、魂を傷つける。 無思慮なアドバイスを仕方なく受け入れた時から思考停止が始まる。 そして出来るだけ何も感じないようになる。 こうやって、馬鹿な大人が出来ていく。
1週間前は、スタンディングデスクは決して買わないと書いた。 つい昨日運動不足で座りっぱなしが良くないことを身に沁みて感じて 帰り道、どうやってスタンディングデスクに近いものを実現させようか考えた。 書棚の棚板を動かしてPC本体とキーボードと板タブを置く場所を作ったら ちゃんとスタンディングデスクになった。 全くお金を使わずに、一つもかっこ悪くすることなく 2、30分の作業で終わった。 今までPCを置いて居た机は広くなったし。 いいことばっかりだ。
これまでの人生で最も幸せだったのは 15、6や20歳頃ではなく、どう考えても嘘偽りなく8歳ころで、 近くの山に分入り、友達が来た時は山の中に招待し 匿った野良犬と自由に遊び、こどもにとっての至福である秘密基地ごっこに耽った。 草の匂い、青い空、あの時遊んだ野良犬の子のぷっくり膨らんだお腹。 あの体験があったから、虐待母の待つ家に帰るしかない病的に緊張し切ったこどもだったのに生き延びることができた。 大人になっても最高の遊びは変わらない。あの時と同じ遊びを求めていない振りをして、わざわざつまらないことを面白いと思い込む大人になる努力をして、自分で精神を死なせてはいけない。
大人気ない、いやなイジメに遭った時 いつも『この人を見よ』の中の 私は酸っぱい話に加わりたくないので 糖蜜入りの壺を差し出すのだ。 この言葉を思い出して、取り合わないようにしています。
作業机兼食卓の前にずっと座り続けることがあり ふと「昇降式スタンディングデスクを買おうか」と思い あれこれ検索し、どのタイプがいいか絞り込み もっと絞り込めたら絶対買おうとまで思った翌日 「やっぱり椅子に座ってる方が落ち着くし、10分に一回でも 立ち上がって体動かせばいい」と気が変わり このままで行くことにした。
こどもさんが、えほん、と言うべきところを 「えおん」と言ったとします。 そうしたら、絶対に「何言ってんの」「えほんて言えないの」 と言い返さないで、そのまま「えおん」と言う言葉の響きに 浸らせてあげてください。 10歳になっても「えおん」と言っている子はいません。 だから、せっかく発した「えおん」と言う音の語感を その時期だけの宝だと思って そっとしておいてあげて下さい。 どうせいつか誰かにつつかれてしまうんですから またはいつか自分で気付くんですから 決して「それくらいのこと」ではありません、 お願いですから突き回さないであげて下さい。 2、3年の間かもしれませんが、その時だけでも その子の…
プラシーボ効果とは、本来効果のない薬を「効果がある」と偽って投与されて、症状が改善してしまう現象です。 鎮痛剤だと言われて症状の改善とは無関係のビタミン剤を与えられて痛みが緩和したり消えたりすることが実際起きるそうです。 偽薬を与えられた人が、どうして健康を回復してしまうのか。 でも最も大きい要因は、服用した本人の「よくなることへの期待」の気持ちだそうです。処方してくれた治療者の暖かい励ましの言葉よりも、本人が「よかった、これでこれから良く成るんだ」と安堵した時に分泌されるエンドルフィンの効果が大きいのだそうです。 虐待を受けたり酷いイジメを経験したりすると、良い期待そのものを持てなくなると思…
ある人が、自分の意思でなく、心療内科に連れていかれました。 連れていったのは、常に誰かの同情を受け可哀想な自分を維持したい母親。 連れていかれたのは、その母親のターゲットになった実子。 母親は自分の虐待で神経がオカシクなった実子を自分の手で医者の元に引っ張っていきました。 成人間近で自立したい気持ちの強かった実子を、これでまたしばらくの間手元に置いておける。母親はそう算段しました。 小さい頃から、家庭内でいつ母親の猛烈な怒りに襲われるかわからない極度の緊張を抱えてきた実子は、もともと情緒は不安定でした。 診察対象である子よりもしゃしゃり出て喋り捲る母親。 診察が終わり、その日から向精神薬の処方…
マーサ・ベックという人の本の中に 自然に四季がある様に人生にもサイクルがあり 何をやってもうまくいかない時期を乗り越えれば 穏やかな春が来る、人生にも組織にも言えること、と書かれていました。 占いには懐疑的、というか占いはまったく見ない私ですが このサイクルに関しては、振り返って、頷ける点があります。 「今は冬に当たる時期なんだ。これが永遠に続くわけじゃない」 と知っているだけでだいぶ精神的に楽になれると思います。 今つらくても、のちに振り返って あの時なぜ苦しんでいたんだ って思える時が来る。今の苦しみがずっと続くわけじゃない、 それを知ってください。 それと、自分をいじめない様に食べ物はで…
抑鬱症状のために診察に訪れた30代の男性は大人になってから、 風邪を引いても鼻水や喉の腫れ、頭痛などの一般的な症状が現れたことがなかった。 医師(本の著者)が風邪に関して過去に何があったか記憶を遡るように男性に求めた。 ある日家族が出かけて一人になった時、猛烈な孤独感に襲われた。 テレビやアルコールで気持ちを紛らわす代わりに、その感覚がどこから来ているのかを探ろうとした。 ほとんど意識に上ってくることのなかった12歳の時の記憶が蘇った。 一緒に遊んでいた友達がポリオで急に亡くなった。 母親に連れていかれた家庭医に「鼻水、喉の腫れ、頭痛などの症状が出たらすぐに来なさい。あとは祈るしかない」と言わ…
すごく単純なこと。優しくされたことがない人間が、虐待する。虐待のどこが悪いのかわからないから止める人の言うことも理解しようとせず頑なに突っぱねる。そうして被害者が生まれる。被虐待児が精神疾患を負う。周囲に理解ある人がいない場合は医療機関に被虐待児は助けを求める。心ある医師、でなければ薬漬けにする。自分で調べる習慣がない人、疑わない人、異議申立てしない人は、漬けられたら漬けられっぱなしになる。 大元凶は、親が子に優しくしないこと。
私は最高に幸せなのは、その人の心に従って生きることだと思っています。 圧倒的な自由の感覚や強烈な感動や幼い頃の思い出の中に生きていけたらどんなに幸せか。 だからそんな生き方を妨害する向精神薬には徹底的に抵抗して害を訴えたいんです。
この二つを、徹底して禁じているのが日本の教育では? この埋め込みに成功すれば、支配する側は安泰。相手が言いなりになってくれる、こんなに美味しいことがあろうか。 十分な休養、精神の回復まで自分の気持ちの中に深く沈潜できる自由があれば済むことでも、休まずに学校や職場に通い続けなければいけないとなれば、向精神薬に頼ることになる。自分を追い込んだ敵のせいにもならず、お医者さんに設けさせてあげられる、自分だけが苦しむ。これなら小さい頃にプログラムされた行動から外れない=誰からも避難されない、本当の自分を除けば。 もしそのつらさや不眠状態が薬によって齎されているとしたら?なんて考えてみられないか?
SNS上で、精神疾患のつらさ、服薬や通院、診断について述べられている方は 精神科受診の前の状態を思い出してみて。 処方薬の服薬が始まってからの方がつらくはありませんか? 前の方が仕事も休まずに行けていたとか 寝つきもよかったとか 不安になるとしても時間の経過とともに解消されていたとか。 ちょっと思い出してみて。
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私にはいくら感謝しても仕切れない人がいます。 お医者さんであるにも関わらず、 薬はのまなくていいよとおっしゃってくださった先生。 あの時あの先生に診ていただかなかったら、どうなっていただろう。 その時のこと、忘れません。 今は情報をいくらでも取りにいけます。 それを家で寝転がってたって、見ることができます。 なのになぜ、自分の体を自ら傷つけに行く人が減らないのでしょうか。 youtu.be なんて、寝転がってぼんやりと考えていました。
まだ若かった頃、風邪で近くの個人医院に行きました。 その先生はいつも、白衣は椅子の背もたれにかけて、 セーター姿で診察をされていました。 風邪がつらいですと言うと 「あなたの体は今、体温を上げてウィルスと戦っている だからその熱を下げちゃいけない。 安静にして汗をいっぱいかいてしまいなさい」 と言われました。 注射も処方薬もなし。 看護師さんも、お大事にね、と笑顔で送ってくださいました。 普通なら、あれもこれも出して、薬がなくなった頃もう一度来て、と言って ポイント稼ぎに勤しむでしょうに。 私が市販薬だけでなく処方薬も体に入れなくなったのは それから数年後でしたが その時のことを30年経った今…
薬害について書いていきます。 最近新たに薬害関係のチャンネルを見はじめました。 https://www.youtube.com/c/DruglessdoctorUSA https://www.youtube.com/c/MedicatingNormal どの動画も向精神薬の害を訴えています。 「メリットとデメリット」「服用する場合の注意」などではありません。 動画で薬害について訴えている専門家の講演をみると、 副作用(というより服用による害そのもの)に苦しんだ経験のある人が 腹蔵なく企業のヒモ付き医師の口からは決して出てこない言葉で 薬害の現実について話す専門家を賞賛するコメントを書いてます。…
「教育・しつけ」という調教によって 自分の本当の気持ちがわからなくなったら その枷を外すには、 選択の基準を「抑圧と解放、どちらを感じるか」にする。 モグラ叩きのモグラみたいにされて、 いちいち自分の本心とは反対のことを強いられて育っても かすかに「どちらを感じるか」の感覚は残っている。 自分で確認できない時は、時間はかかっても 自らに問い続けてら心の弾力は戻ってくる。 そうやって少しずつでも自由になっていけばいい。 Pressure 名詞: pressure, oppression, coercion
注意が精神の内側へ内側へ向かうことが良い精神状態だと思っていました。 その一方で、反対の状態に持っていくような、気持ちの高揚や完全に外側に意識が漏れ続けるような本を読んで、動画を見ていました。 それが、こどもは幸せになろうとしていない、どんな子も感受性を全開にしてその時々の印象に浸っているという言葉を聞いたのと、好きで読んでいるMartha Beckが、いわゆるセルフヘルプ本を読んでいない、必要なくなった、と書いていたのを読んでから 自助も時間管理も読みたいジャンルではなくなってしまいました。 気持ちが求めていることは静かになって自分に問うことでしかわからないと思ったら、 時間管理もモチベーシ…
私はもう収容所に閉じ込められてるわけじゃないのに 自分から飛び出さなくて。おかしかったな。考えてみたらっていうか、考えなくたって。
健康維持のために必要な知識を得て、そうしないと自分が苦しむ 知識だけで回避できる苦しみもある
傍目から成功と思われる状態になっても、本当の自分ではない何かになったのなら居心地悪さがつきまとう。 自分を統合したい、全一性を保ちたいという欲求に素直になって、なんとしてでも統合状態を保とう、そう居られないのは我慢がならない、そこまでの弾力を感情が取り戻せたら、本当の自分への回復が早まる。 過去に虐待にあって、感情面の回復にばかり気を取られていましたが 自分の体を傷つけないように気をつけることがどれだけ大事かも回復の過程で知りました。 気鬱になるのは本当につらい、せっかく気の持ちよう、考え方でなんとか上向いても、パックされたコンビニで売られてる菓子パンで、また気鬱になるのは耐えられない。 どん…
こどもの頃は誰でも、目に映るものが立体的に感じられ 創造したい欲求がそのまま行動に繋がっていた。 でも大人になるにつれ牢獄の影が忍び寄る。 一旦大人になってしまったら、私のように虐待やいじめを経験した人間はあの頃に戻ることは難しいのか、と思っていました。 いっときでも親の暴力を忘れることは、自分自身を傷つけることで自らをめしいて お人好しの鈍感な人間(だからイジメにもあった)になることだと思っていましたが そうも言っていられなくなりました。 それで過去に起きたことを考えないでみる、これから先を思い悩まないでみる これを試してみたら、少しこどもの頃の心を取り戻せました。いちばん欲しかったものです…
向精神薬は死にたくさせる薬 抗鬱剤は、鬱にさせる薬 睡眠薬は、それなしでは眠れなくさせる薬 米国の学校で起きた銃乱射事件は向精神薬が引き起こした事件 自殺者の9割は向精神薬服用者 服用を始めると抜け出せなくなりますます薬は強くなる、どこかで知識を持った人に、本や動画に出会わない限り、「薬はいいもの、薬のおかげでなんとかこの状態を保てている」との幻想、刷り込みから抜け出せない。最悪の場合自死に向かう。 この記事を書くにあたり参考になった書籍・チャンネル Medicating Normal Peter Breggin MD Toxic Psychiatry Medication Madness: …
試しに、一旦家庭環境が元で起こったことと自分を切り離すことにしました。 今の気分だけに焦点を当てる、などと言うけど、今の自分は育った環境が土台になっています。目を逸らすのは感覚を無にすることで、それは虐待に耐えていた時に自分に強いたことなのでやってはいけない、と思っていました。 ただ最近読んだものインパクトが強くて、信じていい内容だと思ったので 素直に従って、今までのことを自分の頭の中で語り直すことと、これからを思い悩むことをやめてみました。 こどもの頃、いつになく嬉しく浮き立った気持ちになっていることに気づき、それが明日から夏休みためだったとわかった時のような気分に、なった。 大人になってか…
重いものを持ち上げてぎっくり腰になってから2年くらい腰痛が続いていたことがあります。 立ってても座ってても横になっても痛い、じわっと脂汗が出てくるくらい。 コルセットも着けた、整形外科で牽引もやってもらった、それでも腰痛はよくならなかったんですが、手元にあった ワイル博士のナチュラル・メディスン の腰痛の項を読んで書いてあることを試してみました。 〜呼吸を深くする、腰痛を意識しない。 呼吸なんて関係ないだろう、そんなことで良くなるものか、とも思いましたが、腰痛がつらすぎて、できることは試してみることにしました。 やったのは1日何度かの深呼吸と「腰痛のことを考えないようにすること」だけだったのに…
虐待の加害者を憎んでいい許さなくてもいいと言われたときに一気に楽になりました。 当然言うまでもなく自分を責める必要はありません。 それと並行してやっておけばよかったことがありました。 過去に起きたことを自分の頭の中で繰り返し語らないことです。 猛烈に怒っていいのですが、その一方で自分の幸せも考えるべきでした。 私は若い時に、今振り返ると自分を生かすチャンスは何度かありました。 それを生かすことなく新たな空白の時期を作ってしまいました。 その点では大馬鹿ものでした。 頭の中で物語を繰り返すのをやめて行動を起こせばよかったんです。そんな単純なことができませんでした。 物語の反復をやめたからって、降…
今まで、親に怒られたことのないという人に会ったことがある。 両親とも怒らなかった人が1人、お母さんだけは何が会っても庇ってくれたという人が2人。 3人とも、わがままで自分勝手、の正反対で 友達に何かあった時守ってあげて、 長上にもおかしいと思ったことはおかしいと立ち向かって、 自分の経歴に引け目を感じたり、自分を矯めて世間の型に自ら嵌りにいったりしなかった。 守られてる安心感から堂々と単独行動を取れたんだ。 守ってあげて信頼してあげたら、そういう大人に育つのに。 「世間の荒波に耐えられるように」とか言って厳しく管理して調教したら ビクビクした、本当の自分を生きられない不幸な大人になるだけなのに…
マーサベックの本に、事故で鼻を怪我して、手術で耳の軟骨を移植した男性の話が出てきます。手術は成功したけど、鼻に移植された軟骨が耳の形状に変わって行く、というちょっと気持ち悪い話です。 私たちは程度の差こそあれ、鼻に成ることを強制された耳ではないでしょうか。 まだ十分遊びきってない就学前の年から、受験マニアの親に塾に通わされたり ほんとは芸術家になりたかったのにスポーツの英才教育を受けたり ほんとはクラリネット奏者になりたかったのにピアニストになるよう仕向けられたりしたら、何かが違うと思いながら歪に生きて行くことになりますよね。 生き延びるために、親に虐められないために、学校でバカにされないため…
セルフヘルプの本でよく「エクササイズ」のページがあるじゃないですか。 安っぽい恥ずかしいのじゃなくてちゃんとしたのを見つけてやれば、 ちゃんと本当の自分に戻れるんですよ。 今やってて、こどものころの自分の気分になってきた。 切ないけど産みの苦しみだと思って続けてる。
youtubeチャンネル Medicating Normal の動画より
なになに? 向精神薬の副作用? 暴力、自殺、殺人との関連? ほ〜。 www.youtube.com
少しでも経済的に楽になるために持ち物を少しずつ手放していたことがありました。 ほんの僅かでもお金になるくらいなら有り難いと、売れるものは持っていた本くらいだったのでフリマに出していました。 ある日、文庫本1冊が売れ、郵送の準備をしていて、その本が自分から離れていくのを非常に悲しく感じて、もうこんなことやめよう、とその本を最後に、手持ちの本を売るのはやめました(今はまたちょっとずつ出しています)。 本が友達、のようなところが自分にはあって、あまり友人はたくさんは要らない、旅行などのレジャーもいらない、食べ物にも拘らない、好きな本があれば、そう思っています。 売るのをやめたきっかけになった本は、買…
虐待を受けた子は 虐待があった年月の何倍もの時間を本当の自分に戻ることに費やします。 そんなのただ戻りゃあいいだろ、と思う人は 虐待をよくわかっていない人です。 それができないから苦しいのです。 でも虐待を受けた子たちは 苦しいからと言って、人生の作業を中断したりしません。 戻れるか戻れないかわからなくても それ以外の生き方はできないのです。
最後の最後まで頼ることのできる導き手は、嘘のない本当の自分
小学2、3年生の頃のこと。 私はおとなしい子供で(いつ母の体罰が始まるかわからないため常にビクビクしていて)、その時も何が理由でそうなったかわからないのですが、母に打たれました。 自分の核のようなものがあるとしたら、それが自分の内部から離れて、自分の体の外へいってしまうような感じがしました。虐待家庭に育つということは、徐々に自分が自分で無くなっていく体験を日々積み重ねていくことです。(どんな体罰も絶対に絶対に絶対にいけない。) その8〜9歳の時の感覚から、自分を統合すれば自分自身を取り戻せると信じて、内的作業をずっと行ってきました。 その作業を助けてくれる本を見つけて、中に書かれているエクササ…
怖いこと不快なことから自分を守るために、無感覚になるしなかった 自分の感情を表現したかった子は、大事な感覚を失ってしまったら 操り人形として生きるしかなくなる。 恐怖や不快感の元(学校や家庭、職場)から離れることができても 感覚が失われたままだったら、折角戦場から平和な場所に避難できたのに その平穏も感じることができない。 無感覚から回復するために、 何が自分を落ち着かせるのか 人から押し付けられたのではない自分の価値観で好きになったものは何か 小さい頃、まだ本当の自分だった頃好きだったものは何か 思い出してみる。 回復の途中で、一時的に苦しくなることもあるかもしれない、 回復に伴う産みの苦し…
本当のじぶんに戻る。感情に従って、1日の中で何分でもいい、行動してみる。 じぶんを傷つけないのはどちらか、温かい感じがするのはどちらか、そういうことを基準に進む。 じぶんの気持ちがわからなければ、どこに行けても何ができてもどこに合格しても 「わたし、何やってるんだろう」と思い続けることになる。 今回参考にした本 The Way of Integrity
体に聞いて心を整えるとか、体は嘘をつかない、というタイトルの本もある。 好きなつもりでいたことも、実は親に言われて、友達に笑われたくなくて、負けたと思われたくなくて等で我慢してやっているかも。 そうやって、付き合いたくない人、行きたくない学部、住みたくない場所、etc.を選び続けて、子供の時の自分からどんどん離れていってしまう。半分病気のまま「これが自分だから」と偽りながら。 こんなことしていたら、自由で素直な子をいじめたくもなるだろう。自分の体から出ていくことができないのに、自分の気持ちがわからなくなったら、人生は牢獄だろう。 囚人をこれ以上増やさないためにも、内的世界を涵養する暇大人は子ど…
すこティっすフォールドって、人気ですよね。 人工的な交配で作られた種類です。 骨瘤ができてちゃんと座れないなどの先天的障害がよくみられるそうです。 ↓彦さんチャンネル【保護猫活動】第202話 もうスコってブランドやめませんか? より youtu.be 飼ってる側は可愛くてご自慢でも、ネコ自身は痛みとの共生、そんな一生です。 ふと、思ったんです。可愛い男の子スコのyoutubeチャンネル、 あの100万超の登録者を有する。 あれって本当に猫と一緒に暮らしてる男の人の日常なのかな。 あそこで実際に生活してるのかな。 ペット業界の広告として作られたチャンネルじゃないのかな。 それだけのためにあの子は…
一旦、医療産業の毒牙にかかって、そこから向精神薬処方が始まったら 希死念慮、妄想、幻聴、躁鬱、不眠、無感覚、無感情が始まる。 それを、薬のおかげで「私はなんとかこの状態を保っていられるんだ、 先生のおかげ、薬のおかげで。これがなかったらどうなっていたか、 もっと早く、出会っておくんだった」と考えるようになる。 なんでかと言うと、薬で鈍くさせられてるから、本当のことがわからなくなってる。 上記のような症状があり、また、薬が切れることが怖くなる、切らさず服用するのでその為状態はますます悪化。 SNSでフォローしている方が「つらい、さっき薬飲んだ」「薬もらいに行かなきゃ」と呟いていらっしゃるのを見る…
本当の自分に戻らない限り、常に居心地悪さがつきまとう。 人生の早いうちから、本当の自分がわからなくなるくらい 頭の中を引っ掻き回されて、創造的な欲求もいじくり回されて台無しにされたら それは悲劇ですよね。 自分の悲劇を見たくない人が、創造的に情熱を保って生きている子に 残酷に当たるんでしょうね。 そして見たくない子の方が圧倒的に多いから どうしても多対一の残酷物語になりますよね。 隠して創造性は潰されます。でも潰しても潰れずに 生き埋めにされようとした感情は生き続けるから 苦しみは続きます。 あっさりいじめる側に回れたら、どんなに楽かと 創造的な子は思うでしょうね。でも出来ないよね。 自分の創…
アリスミラー自身も毒親だったそうですね。 何を信じればいいのか、何も信じられない、そんな気持ちになりました。 でも著作によりだいぶ救われたことは確かです。 何より良かったのが、ミラーが創造的なことにずいぶん肩入れしてることです。 創造は、おまけでも贅沢でもない。生き方そのものなんだって確信できた。 参考にした本: 新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて 魂の殺人 新装版 The Body Never Lies: The Lingering Effects of Hurtful Parenting (English Edition)
書くからには役に立つことを書こうと思う。 サバイバーとしての経験 体調管理 セラピー情報 なんとか乗り切った、なんとかなった。 そのただ中にいた時は、乗り切れるとは思ってなかったけど。 その時に ちょっとした体質改善ときの持ち方が役に立った。 体質改善ができれば、そこから 自分の人生の極一部でもコントロールできた経験が その次に繋がっていく。 決して些細なことじゃない、というか大きな変化のきっかけになるのに。 人間の体は、単純な機械ではないけど ある程度の 「こうすればこうなる」というのはあるから 実行していけばいい。 自分の人生を、それまで他の誰かに完全に統御されてたものを 日々の体調管理だ…
なにも、いちばんの友達は人間でなきゃいけないことはない。 いろんな局面で助けてくれたのは 犬や猫や風景や本だったな。 虐待から救ってくれたいちばんの味方は アリスミラーの本だったかな。 そのアリスミラーも自分の子を苦しめる裏表のある母親だった。 ミラーを崇拝しないけど本は自分の味方になった。 ミラーの本を知ってから 誰になんと言われようと 虐待を潜り抜けた自分を労って甘やかそう、と 初めて思えた。 誰もそんなこと言ってくれなかったので ミラーの本を味方と思うしかなかった。 過ぎて見ると、人間の味方が現れるまで待ったりしなくてよかったんだ。 どんなに優しい人も、100%の甘えは許してくれなかった…
私には同じ親から生まれた家族が二人います。 一人は自分を表現したいと言う感情が自然に湧き上がってくる、 創造衝動というのを持ったまま大きくなった子でした、ある年齢までは。 ある年齢までは、と言うのは家庭内イジメの加害者とその子分が 創造性を傷つけてないがしろにしたからです。 もう一人は、イジメ加害者と親和性の高い 凡庸で人と同じことをやり、流行をチェックし 聴く音楽も着る服も、「流行り」が動機の 意地悪で冷たい人間でした。 可愛がられたのは、後者の人間でした。 おかしな家でしょ? 目立ってイジメられたのは私でしたが 深いところで傷ついて可能性をぶっ潰しにされたのは きょうだいその一の方でした。…
まず、体質改善から始めてはいかがでしょうか。 勿論それで全ては好転しないかもしれませんが ゼロよりは何か少しでもプラスの方向に進んだ方がいいです。 虐待にあっていた方は、親から離れてもその亡霊に悩まされます。 フラッシュバック、低すぎる自尊心、コミュニケーション不全 その為仕事がうまくいかない、そして虐待親から受けた仕打ちを思い出す。 そこから抜け出す為の第一歩として過去にやったこと。 自分の体を大切にして、今よりも健康になる為の対策を立てた。 いちばん効果的なのは食べるものを変えた。 (元被虐待児として、自分の体って大切にしていいんだ!という発想自体がなかったので、気付いた時にはなんだか安堵…
両親、同じ両親から生まれたきょうだい二人とで暮らしていた。 最初の記憶は3歳。その時すでに母親により虐待あり。 母親のターゲット私一人に絞った。 私は、虐待が酷いので、時々爆発して暴れるでしょ、そうすると きょうだいは「(自分たちには)優しいお母さんに歯向かうなんて、酷い」、ってなるわけ。 きょうだいは虐待のこと知らないからね。 きょうだいが母による私への虐待を知らないって気づいてないから 「実はね、私は誰もいないところで母親からこんなことされててね、我慢して我慢して我慢して堪えきれなくなった時に暴れちゃうの」と説明したらわかってくれるかも、とも思いつかないわけです。 絶望的に暴れる私、ますま…
服薬自体がそれほど影響しているとは知りませんでした。 良心的医師や啓蒙活動をされている方々の本を読んだり講演の動画を見たりして どこまで向精神薬が患者さん一人ひとりの人生を めっちゃくちゃにしていたかを知りました。 読めば読むほど、百害あって一利なしとわかってきます。 概論(文学でも心理学でもなんでもいいです)、手にとると 絶対その分野の歴史を学びます。 昔は「面倒」に感じていました。 でもピーター・ブレギン医師の本に 向精神薬製造がどのように始まったかが書かれているのを読んで 発端が何にあるのかを知らなくてはいけなかったと反省しました。 SNSで症状、医師から与えられた病名をプロフィールに載…
これから、調べ物しつつ、また最初の頃のように関連記事を書いていこうと思います。 隙間時間に、本を読みつつまとめていきます。 集めて纏めた情報を見た人に、助かってほしい。 本当の自分に戻って生きていくのがいちばんの幸せだ。
どこでも聞く言葉だけど、今まで何度も聞いてきたはずなのに そのタイミングで響いてくることってありますよね。 行動は「こうすべきである」 ではなく 「自分はこうしたい」 という気持ちで始めるのが好ましい。 それは当たり前でしょう、今よりちょっとでも 本当の自分に近づきたかったら。 言葉ではわかっていてもそうできていなかったのが 漸くできていなかったことを自覚して 気持ちを切り替えて生活しはじめたら ずっと必要だったものを注文し ずっと出来たらいいと思ったことをやり ずっと手付かずで放っておいたことを再開し。 遅いか。こんな当たり前のことも出来ないで 結構な年月過ごしてきたなんて。 でも出来るよう…
相手を許さない限り自分も救済されない。 相手を憎んでいる限りあなた自身幸せになれない。 よく聞く言葉です。 特にふわふわした自助系の本で。 もしそうだとしても 児童虐待の被害者は、そうしなくていいと思うよ。 そんなことしたらますます治癒から遠ざかる。 他のどんな動物もしない不自然なことをされた上に 和解しろ、相手を許せなんて。 虐待から被害者を救ってくれるのは 不自然で理不尽な無理のある感情よりも 「本当のこと」だってあのアリスミラーも書いていた。 一時期貪るように読んだ。 でもそのミラーも、実は酷い母親だったんだってね。 実の息子さん(の手記はすぐには英訳されなかった。 「ミラーの本が売れな…
最近、わんこらチャンネル を見ています。お勧めに上がってきた この動画 がキッカケで登録し、他の動画、ブログも殆ど拝見しました。 無事に学位を得られた方達の唱えられている方法は、 スタートから心置き無く受験勉強に打ち込める環境がもともとあるので どうしても、虐待家庭にいた人間の生活に応用できないことが多いのですが こちらの「わんこら式」はそうではない感じがして、勉強や生活に取り入れています。 自分が自分に戻っていく、内面の変化を感じます。抽象的な言い方ですが。 なんだか、つらいままこどもから大人になるまでずっとつらいまま生きてきた 「大きなこども」の味方になってくれる方法に感じます。 かずにゃ…
小さい頃ふと思い立って、 犬やネコみたいに部屋の中で四足歩行してみた。 彼らのように自由な存在に変身できたみたいで なんだかすごく気分が良かった。 その時のことをずっとおぼえている。 いつまでも本当の自分ではない何かになる努力ばかりしてないで 4、5歳の頃の自分との繋がりを絶たずに 見聞きするものが全て立体的に映る感覚とともに 生きていけばいいんじゃないのか。 そうは言っても食べていかなきゃならないけど。 気持ちだけは保っておこう。 誰もが自分にとってのふにゅを心の中に持っていたら 世界はもっと穏やかになると思います。
周囲と自分を比べ、人から与えられた評価基準で自分を測った時に 自尊感情、セルフ・エスティームは得られるものなので その感情、気持ちの高揚を得ようと思うこともやめたら 望んでいたこどもの頃の感覚を再獲得できそうだと思った。 少し前に、こどもは「幸せになろう」なんて思わない、という言葉をどこかで聞いていたので自尊感情のことも納得できた。 気持ちが軽くなってきた。 🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈 ヘルスコンシャスな、人の健康に携わっている人には 当たり前で、わざわざ書くことでもないのですが 何を食べるか、と同じくらい何を食べないかも重要ですよね。 今まで食べていたものを、添加物や消化時の体への負担…
膝痛を治した時に参考にした アレクサンダーテクニークの本の中に 「体に聞いて心を整える」という副題のものがあったと思う。 逆もありだろうし、虫が明るい方に集まるように 自分が心地よく感じる方へ、 心か体か、どちらかのいう事を聞いて 向かっていくのが健康になる近道だと思う。 過干渉の親に、好きなことに取り掛かろうとしていると 妨害を受けていたら そのうち自分が本当にやりたいことがわからなくなっていった。 長年そうしていると、無感情、無感覚になり、 快も不快もわからなくなる。 大事な導き手である感覚を失ったら それはそれは生きにくい。 ある時ちょっと話し込んだりしてた知人から 「これはあなたの味方…
膝の痛みを抱えていた時は、 すでに自己治癒力に頼る方法がある、と知っていたので 通院、服薬はしませんでした。 痛みを軽減したくて、その方法を探しに図書館に行きました。 どの本かは残念ながら思い出せないのですが アレキサンダーテクニック の本だったことはおぼえています。 膝を曲げる時は「赤ちゃんがおもちゃを拾うときのような姿勢で」。 この一文で、半年未満で治りました。 腰痛同様、再発はしていません。 我々は、大人になる過程で 自分以外の何かになることを強いられ続けて 生まれながらに持っていた知恵を捨てながら 歳をとっているのかもしれないですね。 もったいないです。 中学生になり 小学校の牧歌的な…
2年間、腰痛でした。 寝ても起きても座ってても じわっと脂汗が出てくるほどの痛さでした。 コルセット巻いて、整形外科で牽引やってもらってても一向に治りませんでした。 ワイル博士のナチュラル・メディスン 作者:アンドルー ワイル 発売日: 1993/06/01 メディア: 単行本 雑誌で紹介されていた ワイル博士のナチュラル・メディスン の腰痛の項を読んで試してみました。 この本は読み物として面白いだけでなく 巻末に辞書のように50音順で症状が、 そしてその症状の改善方法として 食事法や効果のあるハーブ、 生活方法などのがまとめられています。 腰痛の項には、(手元にないため記憶です) 深呼吸をす…
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