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勝鬨美樹
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2020/12/27

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  • 営業マンを接待する首相(@0@);

    あまり政治経済の話は書かない。 岸田文雄首相、米ブラックロックCEOと面会 - 日本経済新聞 岸田文雄首相は21日、首相官邸で米資産運用大手ブラックロックのラリー・フィンク最高経営責任者(CEO)と面会した。政府が進 www.nikkei.com しかし。。あまりにも唖然とするので書こう。 世界のどこに己の国を簒奪するためにやって来たハゲタカをお迎えする指導者がいるのか?金塗れのゼレンスキーでさえ、もし野村證券の社長が行っても、わざわざお迎えには出ないだろう。 それほどまでに国がらみ民がらみで、アメリカのファンドを買わなければならないほど、日本に未来はない・

  • 城壁の外を散策する/サンテミリオン村歩き#21

    https://www.youtube.com/watch?v=ipokFxqQbg4 アントル・ドゥー・ヴェールAntre Deux Verres(Rue de la Prte Sainte-Marie, 33330 Saint-Émilion)を出た後に王の塔La Tour du Royを左に見ながら歩いた。 「なるほどねぇ、王の塔ではなかったのね」 「ん、城壁に取り付けられた監視塔というのが事実だったようだ」 僕らはLa Tour du Royの横にある幾つも曲がった細い階段を登った。雨で滑る。注意しながら進むと、 クーバン通りRue du Couventに出る。 此処は村

  • 古名アスカンバス/サンテミリオン村歩き#20

    「西暦300年ころからローマでキリスト教が国教化すると、当時属州最大級になっていたボルドーへ、キリスト教徒たちは精力的に布教活動を行った。幾つもの教会/修道院がこの時期に出来上がっている」 「ああそういえばボルドー博物館にたくさん当時のものが飾られていたわね。でも教会はシャンパニュー地方みたいに多くなかったような気がするけど」 「ローマは西ゴート王国にボルドーを奪われているからな。その時代に壊されたものが多い。それもあるが、当時建立された教会/修道院はジロンド川左岸に多かった。それはボルドーがあまりにも泥の町だったからだ」 「そんなに酷かったの」 「ん。ジロンド川右岸は、川を流れてきた

  • 王の天守閣/サンテミリオン村歩き#19

    https://www.youtube.com/watch?v=tiPM_ZO8nFs 「聖エミリオが暮らした洞窟を、大幅に改装改築拡張したのがオーブテール子爵ピエール・ド・カスティヨンPierre de Castillonだ」 「ふうん。・・でも、なぜカスティヨンはサンテミリオンをサンチャゴへの中継点にしたいと思ったの」 「自領の中に聖地を持つというのは、とても大きなステータスだったんだよ。聖エミリオが死んで300年、既に地元では聖地として取り扱われていたが、彼はこれをグローバルにしたいと考えたんだろうな。彼はカッパドキアを訪問していてね、同じようなものを領地の中に起こしたかっ

  • 聖エミリオの奇跡/サンテミリオン村歩き#18

    https://www.youtube.com/watch?v=h15uFdZmTZo&t=34s ブルネ門から村へ向かってポルトブルネ通りを歩いた。雨は続いたまま。人通りはない。大きな雨粒がブルネ門の石壁を叩いていた。 「車の通行も、ほとんどないのね」嫁さんが言った。 「よほどのことがない限り、車は村の外環道を使うんだろうな」 ポルト門の向うは五差路なっていて、村の交通手段として機能している・・という感じだった。 僕らは撮影をした後、そのままランチをしたMaison de la Cadèneのほうへ戻った。そしてレストランの手前、二股になっているリベルテ通りを左に入った

  • ポルトブルネ/サンテミリオン村歩き#17

    https://www.youtube.com/watch?v=w8S7-HADGUs Logis des Cordeliersでランチが終わってからポルトブルネ通りへ出た。雨は止まっていなかった。人通りはない。 「この先のブルネ門へ寄りたい」僕が言うと 「近いの」と嫁さんが言った。 「100mくらい先だ」 ポルトブルネ通りを東の村はずれに向かうと、五差路の手前にブルネ門Porte brunet porte médiévale 1200(Rue de la Prte Brunet, 33330 Saint-Émilion)はあった。 「あら、ここはBed & Breakf

  • 村の小さなミシュランひとつ星/サンテミリオン村歩き#1

    SAINT‑EMILION PORTES OUVERTES 2024 - Les vins de Saint-Emilion Le week-end du 4 et 5 mai 2024, les châteaux de Saint-Emilion vins-saint-emilion.com 雨のサンテミリオン歩きは趣がある。コルデリエのマルシェで買い物をした後、そのまま通りの前にあるホテルAuberge de la Commanderieに戻った。そして荷物を置いた後、レセプションで傘を借りてもう一度村へ出た。 「ランチは近くで取るの?」嫁さんが時計を見ながら言

  • コルドリエ修道院02/サンテミリオン村歩き#15

    「コンドリエ修道院は400年かけて少しずつ巨大になった。教会/中庭/ワイナリー/ワイン貯蔵室/地下室/庭園そして6っ有った修道院の僧侶のための寮が有った。そして1789年だ」 「フランス革命ね」 「ん。コンドリエ修道院は閉鎖され、会派は解散。建物はすべて国有化された。そしてすぐさま競売にかけられた」 「だれが買ったの?} 「だれも買わなかった。国有化はされたが、引き取りてがないまま放置されたんだ。そのうち革命政府は崩壊。ナポレオンの時代になるが、相変わらず放置されたままだったんだよ」 Maurice Graterrole は、彼のUne ville curieuseで、その廃墟となった

  • コルドリエ修道院01/サンテミリオン村歩き#14

    ガアデ通りを坂下に向かって行くと、東の村外れへ向かうポルトブルネ通りの道との二股にぶつかる。ポルトブルネ通りは、ゆっくりな登り道だ。少し行ったところ右側にオーベルジュ・コマンドリーAuberge de la Commanderie(2 Rue de la Prte Brunet, 33330 Saint-Émilion)というホテルがある。 http://www.aubergedelacommanderie.com/ ここは僕のお気に入りで、わりとよく利用する。二階の部屋の窓がサンテミリオン村に向いており、村が一望できるからだ。朝起きた時に、窓から見た景色が何とも宜しい。窓を開けると聞

  • ワインショップ巡り/サンテミリオン村歩き#13

    https://www.youtube.com/watch?v=4sSSeJC3RcQ サンテミリオン村は、ボルドーの北ドルドーニュ川に面した丘にある。村そのものは3ヘクタールほど。所謂サン=テミリオン地域Juridiction de Saint-Émilionを含めても7.5ヘクタールしかない。人口は1200人前後だそうだ。標高は、一番低いところで20m前後。高いところは100m前後ある。全体にゆっくりな上り坂だが、モノリス教会あたりから急こう配になって観光センターが有る台地へ向かうのが特徴だ。 この急こう配の坂がサンテミリオンの町並みを替えている。坂の上は官公庁や企業が集まり

  • 村郊外北西側ワイナリー/サンテミリオン村歩き#12

    サンテミリオン村での一番の楽しみはワイナリー巡りだ。しかしお話ししてる通り、ほぼ150あまりの生産者が存在する。これを全て走破するのは至難だ。それで幾つかのグループにまとめてみた。 今回は❸村北西側にあるワイナリーにあるワイナリーを紹介したい。 ただ、村内のホテルに泊まって郊外のシャトーへ出かけるとなると、徒歩で出来る訪問数は限られてしまう。なので僕はサンテミリオン郊外にあるホテルを拠点とすることをお勧めしたい。 実は、サンテミリオン村の傍には秀逸な宿泊設備が幾つかある。逆に村巡りのための宿泊先とするには距離的に不便なので、こうしたときに利用するほうがいいだろうと僕は思う。 ❸村北西

  • 村郊外南東側ワイナリー/サンテミリオン村歩き#11

    サンテミリオン村での一番の楽しみはワイナリー巡りだ。しかしお話ししてる通り、ほぼ150あまりの生産者が存在する。これを全て走破するのは至難だ。それで幾つかのグループにまとめてみた。 今回は❷村東南側にあるワイナリーを紹介したい。 ただ、村内のホテルに泊まって郊外のシャトーへ出かけるとなると、徒歩で出来る訪問数は限られてしまう。なので僕はサンテミリオン郊外にあるホテルを拠点とすることをお勧めしたい。 実は、サンテミリオン村の傍には秀逸な宿泊設備が幾つかある。逆に村巡りのための宿泊先とするには距離的に不便なので、こうしたときに利用するほうがいいだろうと僕は思う。 村東南側のホテルで、僕の

  • 村内・ワイナリーとワインショップ/サンテミリオン村歩き#10

    サンテミリオン村での一番の楽しみはワイナリー巡りだ。しかしお話ししてる通り、ほぼ150あまりの生産者が存在する。これを全て走破するのは至難だ。それで幾つかのグループにまとめてみた。 ❶村中心にあるワイナリー 村歩きをしながら見て歩くにはD122ガデ通りにあるワイナリー歩きがとても便利だ。何れも立派な地下ケーブを持っていて、見学すると良い。予約なしでも入れるところがあるので気軽に寄ってみよう。 ➀Château Guadet(4 Rue Guadet, 33330 Saint-Émilion) https://www.chateauguadet.fr/ 通りの名前となったGuadetは、

  • レストラン13軒/サンテミリオン村歩き#10

    我が家の場合、サンテミリオン村を訪ねる時は最低でも一週間程度は時間を取る。多いのは土曜日に東京を出てパリに入り、そのままTGVでボルドーへ。そしてSNCFでサンテミリオン村へというコースである。パリへ午前中に着く便だと、5時間後にはサンテミリオンのホテルへ辿り着くコースだ。 帰路は同じルートで、日曜日にサンテミリオンを午前中に出で帰国とする。つまり土曜東京発・翌週日曜日東京着という献立である。9日間を利用する。 それと多いのは、帰路一泊だけパリに泊るという選択肢だ。そんなときは大抵、嫁さんの買い物目当てでパリ市内のマルシェ歩きが挟まったりするが、まあ、その方が時間が自由に使えるのでラク

  • ワイナリー一覧#01-2/サンテミリオン村歩き#08

    Château Monlot(292 route du Lavoir, 33330 Saint-Hippolyte) http://www.chateaumonlot.com/ Château Montlabert(1 Monlabert, 33330 Saint-Émilion) http://www.chateau-montlabert.com/ Château Moulin de Lagnet(Les Vignobles Chatenet-Goujon 1, Larguet, 33330 Saint-Christophe-des-Bardes) https://www.mouli

  • ワイナリー一覧#01-1/サンテミリオン村歩き#08

    フィロキセラが南仏ガール地区で発生したのは1862年だった。なぜ正確に発生時が判っているかと言うと、それはジョセフ=アントワーヌ・ボルティJoseph-Antoine Bortiという南仏の農家が、その年に米東海岸からランブルスカを持ち込んだことが判っているからだ。彼が持ち込んだ葡萄は見事、南仏に馴染んだが、その葡萄に付着したフィロキセラが周辺の葡萄を枯らし始めた。南仏の葡萄全域が感染するに5年は罹っていない。フランス全土に拡大するには10年ほど・・世界中へ広がるには30年ほどだった。 ボルドーは、地域的に南仏が近かったこともあって、かなり早い時期からフィロキセラ禍に襲われていた。サン

  • ホテル選び/サンテミリオン村歩き#07

    サンテミリオンは観光地化しているので宿泊設備が割とある。 ホテルとB&Bそしてレンタルのアパートがある。代表的なものを列挙しよう。お勧めを★での数で示してみた。 ホテル形式は➀➁③④⑤そして少し離れた㉞だが、B&BのChambre d'hôtesが僕は好きだ。村には秀逸なレストランが多いので、長期滞在を考えるなら朝食だけが付いたホテルの方が使いやすいと思う。 ①★★★Auberge de la Commanderie(2 Rue de la Prte Brunet, 33330 Saint-Émilion) http://www.aubergedelacommande

  • ボルドーからサンテミリオン駅まで/サンテミリオン村歩き#06

    https://www.youtube.com/watch?v=FmNqYNq3RPY&t=391s ボルドーからサンテミリオンへ向かうには、選択肢が三つある。TAXI/列車SNCF/バスの三つだ。 パリからボルドーへは選択肢が二つ。飛行機/列車TGVになる。空港はボルドーの西12kmのメリニャックにあるボルドー・メリニャック空港Aéroport de Bordeaux-Mérignacで、パリからならCDGかオルリー空港出発となる。所要時間は1時間程度。例えば成田からボルドー直行を試みるならCDGからの便を利用する。この場合は、たいていエアフランスになる。パリへワンスト

  • サンテミリオンの自律性/サンテミリオン村歩き#05

    https://www.youtube.com/watch?v=dtU3XpOzc_o 第二次世界大戦中、ボルドーがナチスドイツの手に墜ちたとき、ナチはこの地に彼らの海軍基地・潜水艦基地を作った。ガロンヌ川沿いには、いまでもその時の潜水艦基地が残されている。 ボルドーを訪ねたら是非とも行くべき負の遺跡だ。・・ボルドーで出会うのがワインだけというのは、あまりにも心貧しい。この地の、時代の変転を通して、ぜひとも西欧史に触れることを僕は強くお勧めしたい。 https://www.youtube.com/watch?v=92pjm2jnhos さて、サンテミリオンだが。此処

  • 聖エミリオンの教会/サンテミリオン村歩き#04

    サンテミリオン村は、ボルドーから北東へ40kmくらい離れた小高い丘の上にある村だ。人口は2000人ほど。主産業は葡萄農家である。ワインの生産地としても村としても旧い。AD200年ころから在った。スペインと戦ったローマ軍の退役軍人が興した村だ。 キリスト教時代になると、いつしかここがサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路のひとつになった。 もともとはアスカンバスと呼ばれていたが、サンテミリオンと呼ばれるようになったのはAD700年からで、ブルターニュの修道士エミリオンが、この丘の崖に隠棲したからである。 ブルターニュの修道士エミリオンはヴァンヌVannes出身で、ヴァンヌ伯爵のパン職人

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