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勝鬨美樹
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2020/12/27

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  • 駅から村まで/サンテミリオン村歩き#03

    https://www.youtube.com/watch?v=q4JllgEuhJ8 今でもブケール通りは、鉄道でサンテミリオンを訪ねる人々のメインストリームとして生きている。 SNCFサンテミリオン駅を降りると、すぐ傍にムーランドビゲMOULIN DU BIGUEY通り/国道D122がある。村はこの道を北へ/右へ歩くと辿り着く。ブケール通りまでは距離にして2.5kmあまり、かなり長い徒歩行になる。右側だけに歩道があり、左側はクルマが止められるようになっている。景色はずっと葡萄畑だ。Château La Gaffelière(La Gaffelière-Ouest, 33330

  • 先細ってしまった村への道・ブケール通りに泊る02/サンテミリオン村歩き#02

    https://www.youtube.com/watch?v=Ir3C23EE-ow いまでも、村のすぐ南にフォンガバン川L'oiseau de Fongaban Rivièreが運河となって流れているが、以前はこの川に繋がってドルドーニュ川へ向かうグランド フォンテーヌ川というのがあった。サンテミリオンの丘から始まる細い川だ。この川は幾つかの支流をもっていて、隣接しているプチフォンテーヌ通りにも流れており、物流の手段として利用されていたようだ。このグランド フォンテーヌ川は、いまのポルト・ブゲール広場に小さな池を持っていた。今は残滓もない。 ここにブゲール門(ポルト)Prte

  • 先細ってしまった村への道・ブケール通りに泊る/サンテミリオン村歩き#01

    https://www.youtube.com/watch?v=CmwPxdnz0p0 サンテミリオン村の中心部へ向かうポルトブゲール通りPrte Bouqueyreは、王の塔からほど近い細い路地である。中世の趣を未だに湛えている通りだ。 ここにロジスデロイChambres d'hôtes Les Logis du Roy(7, rue Porte Bouqueyre - 33330 SAINT-ÉMILION)というホテルがある。僕のサンテミリオン歩きは、最近ここが定宿になってる。 でも嫁さんはお気に召していない。もう少しホテルらしいところが良いらしい。どうもこのChambre

  • ワインと地中海/kindle版

    ワインと地中海: 6000年の旅を見つめながら歴史紀行 www.amazon.co.jp 300円 (2024年02月17日 11:48時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 母の化粧机の横に色々な化粧品と共に、淡青色の歪な球形のガラス玉が有った。 親指爪くらいの大きさで不透明だった。置かれている木台は、葡萄の幹を加工したものだったと思う。ガラス玉は表面に幾つもの同心円の黄色い模様が描かれていて、その中心がすべて穿ってあった。見つめていると一つ一つが眼球のように思えて、不思議な違和感のある置物だった。

  • ワインと地中海#63/シラクサ散歩11

    https://www.youtube.com/watch?v=PHCaQZzuL0A オルテージャの南端にあるCortile Spirito Santo(Via Salomone, 21, 96100 Siracusa)までは充分徒歩圏内だが、タクシーを頼んだ。ドレスコードはないが、女性はハイヒールという天敵が有るからね。石畳みの道はきつい。 http://www.cortilespiritosanto.com/ 旧い邸宅を利用したレストランだった。現代的なシシリー料理だった。ワインのチョイスはソムリエに任せた。 「ここはね、ワインのコレクションで有名な店なんだ。シシリーは地元

  • ワインと地中海#62/シラクサ散歩10

    オルテガ市場Mercato di Ortigiaへ戻ったのは午後二時を過ぎてからになった。待ち合わせのカフェには嫁さんが先に入っていた。 「悪い悪い、思ったより時間がかかった。どうだった?料理教室は?」 「面白かったわよ。わりと知ってるはずのメニューなのに、作り方がとてもユニークでびっくりしたわ。すっごく刺激になったわ。・・あなたは?」 「ん。ガイドを頼んだ人が中々面白かったよ」 「ホテルが紹介してくれた人でしょ?」 「ん。ウニクサーノ大学で教師をしてる人だった。彼の案内も面白かったけど、彼の祖父の話が面白かった」 「おじいさまの話になったの?」 「ん。シチリアン・レジスタンスだったそ

  • ワインと地中海#61/シラクサ散歩09

    https://www.youtube.com/watch?v=ppI9hEQKYDw 博物館を出てアウグスト通りをクルマは直進した。すぐに道は公園にぶつかった。 「ここがアルケオロージコ・ネアポリス公園Archeologico Neapolisとして設備されたのは、戦後でした。1952年です。考古学的な発掘は1800年代には既に始まっていたのですが、シチリアそのものがイタリアの政治構造に巻き込まれて、長い間、政情不安だったため、調査は何回も分断されて100年以上放置されたままでいました。それが戦後になって外資からの資金援助を受けて再開したのです。いまの形に整ったのは30年ほど前

  • ワインと地中海#60/シラクサ散歩08

    https://www.youtube.com/watch?v=WY3LC76PKM8 ママと別れた後、そのままホテルが予約してくれたTAXIとの待ち合わせ場所へ向かった。2~3分先にあるMunicipio di Siracusaシラクサ役場の前だ。ドライバーが車の前で立って待っていた。アンドレアという若いドライバーだった。 ホテルのコンシェルジェに頼んだのは、4時間ほどで市内巡りを頼めるドライバーそして州立考古学博物館とアルケオロージコ・ネアポリス公園Parco Archeologico Neapolisのガイドできる英語の話せる人ということだった。即座に彼の名前が出て、その場

  • ワインと地中海#59/シラクサ散歩07

    https://www.youtube.com/watch?v=Cy6fWaRYOoo ホテルの朝食を済ませて町へ出た。海岸通りニッツア通りを散策した。 「少し遠回りなんだが、オルテガ市場には海岸線を散策しながら行こう」 午前中はオルテガ市場周りと料理教室をキットにしたツアーに申し込んでいた。4時間余りである。僕はその間に島を渡って州立考古学博物館へ行くつもりだった。 「料理教室兼ランチだから、終わるのは午後2時過ぎね」 「ん。市場にあるだろう、どっかのカフェテリアにいるよ。場所は向うへ行ったら、決めよう」 そのまま少し歩くと"Occhio" scolpito sullo sti

  • ワインと地中海#58/シラクサ散歩06

    「賢王ヒエロ二世の時代。シラクサは大きく再興した。ローマとの連携を守り、これを通したからだ。BC215年に彼が亡くなるまでシラクサは往時の栄華を一時だが取り戻した。それがアルキメデスの時代だ。アルキメデスが亡くなったのはBC212だ。ローマ兵によって殺されたとある」 「一所懸命計算をしているところにローマ兵が入ってきて、光を遮るな!と言ったからでしょ? 学校で習ったわ。でも・・なぜローマ兵なの?シラクサはヒエロ二世が亡くなったことで、また戦禍に巻き込まれての?」 「そうなんだよ。BC218年にポエニ戦争2回目が始まったんだ。スペインにいたハンニバルがイタリアを侵攻した。一時は大進撃だっ

  • ワインと地中海#57/シラクサ散歩05

    アレトゥーサの泉を見ながら、町の中へ入るポンペオ・ピケラリ通りに入った 「町の中に入る道は細いものばかりなのね」 「ん。つい最近までオルティージャ島内は車の乗り入れが禁止されていた」 「ヴェネツィアみたい」 「ん。ヴェネツッアは太鼓橋という障壁が市内にいっぱいあるからな。物理的に無理だけど、オルティージャはなし崩し的に車両通行可になってしまった」 「でも石畳みがきちんとしていて、車が頻繁に通るとボロボロになってしまうんじゃないの?」 「それは有るな。アレトゥーサの泉の泉が観光バスで埋もれたら・・たしかに哀しい」 「アレトゥーサって女神さまなの?」 「いや。女神に仕えるニンフだ。女神アル

  • ワインと地中海#56/シラクサ散歩04

    Calarossa Caffèを出ると、隣にデリがあることを嫁さんが見つけた。いつものようにまるで吸い込まれるように入っていった。 Alimentari Randieri Lucia(Via Serafino Privitera, 41, 96100 Siracusa) 「ここも良いかも。サンドイッチが美味しそう。少し何か買っていこうかしら」 好々爺とした感じで、嫁さんは色々なものを買った。持つのは僕の係。ご満悦なようだ。 「今夜のお夜食ね」 「はいはい」 すぐ横にローマ通りというのがある。僕らはここを曲がった。そしてすぐ先のカポティェッチ通りを左へ曲がった。MUSEO DI PA

  • ワインと地中海#55/シラクサ散歩03

    Spiaggia Diana nel Forte(V. Eolo, 46, Siracusa)を出て、そのまま海岸沿いのエアロ通りを南へ歩いた。 「シケリア西部をギリシャ人たちが攻め始めると、カルタゴはすぐさま本土から兵士を送り付けた。軍事力では圧倒的にカルタゴのほうが勝っていた。しかし思うんだが、カルタゴ側にシケイアに住むギリシャ人を殲滅させてまで、シラクサを自分たちの手にしたいという気持ちが有ったか・・ということだ。シケリア戦争でのカルタゴは、どう見ても総力戦を仕掛けていない。ギリシャ人たちが降伏すれば占拠してそれで終わり・・という姿勢のように思う。そのへんにギリシャ軍との気質の違

  • ワインと地中海#54/シラクサ散歩02

    https://www.youtube.com/watch?v=dsHYbcrhgzI 荷物を置いてホテルを出た。目の前の通りはラルガ通りという。右へ進むとT字路にぶつかり、これを左に曲がると海岸線にでた。僕らはそのまま浜辺まで歩いた。2mほどの高さだろうか展望台がすぐ傍に見えた。 Spiaggia Diana nel Forteという。僕らはその展望台に上った。見え目のは海原と左右に広がる海岸線だけだった。 柵まで行くと、嫁さんがすぐ下の水辺を見た。 「岩だらけね。前は?イオニア海?静かな海ね」 「ん。今日はな。このあたりまで大陸からの陸風が吹く地域だから、海は荒れると狂暴にな

  • シャンパーニュ紀行05

    シャンパーニュのワインと歴史の話

  • ワインと地中海#53/シラクサ散歩01

    CDGシャルルドゴール空港からFCOレオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港を経由して、CTAカターニア・フォンターナロッサ空港Aeroporto di Cataniaへ入る所要時間は、だいたい9時間から11時間の間。いつものようにローマ経由はトランジットが長い。しかし最近はEASYJETが飛んでいるようなので2時間半でCDG-CTAは繋がっている。カターニア・フォンターナロッサ空港にはEASYJET専用のターミナルがあるそうだ。ぜひ次回はそれを使ってみたいと思う。 カターニア・フォンターナロッサ空港Catania–Fontanarossa Airportは、シチリアに入る最も一般的な空路で

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