親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
親の介護をする家族にとって、親の介護を長期間ストレスなく乗り切るためには ケアマネとの関係構築が非常に重要です。 それには、家族会議で家族の意見を統一して、ケアマネに意見するのは代表者1名とする事。ケアマネとの面談の後も代表者が家族を集めて報告会を開く事。
親の介護が始まるとケアマネ選びは必須の作業となりますが、ケアマネと親の介護をする家族との間で意見の相違があると要介護認定や介護施設選びの際にトラブルが生じる恐れがありますので、ケアマネ選びやケアマネ決定後まで周囲の意見を聞き入れ、連絡を密にし親の介護方針の共有化をはかる事が重要です。
ケアマネージャーを安易に決めてしまう事は、その後の要介護認定やケアプランの作成、介護施設選びなどで親の介護をする家族の要望が反映されるのか?家族が望む事をスピード感を持って行動してくれるのか?が判りません。ケアマネ選びはその後の介護をスムーズに行えるか否かの重要な作業の一つですので、周囲の介護経験者の意見を聞きながら慎重なケアマネ選定が必要です。
親が要介護になった時、その後の親の介護に行けるケアプランの作成や親のその後の選択肢を決めるにあたり、ケアマネの働きは私達親の介護をする家族にとっては、親の介護方針を決める道標的な存在となります。そんなケアマネとのコミュニケーション不足は、親の将来に悪い影響を与えてしまいます。
私の亡くなった母親の妹である叔母から託された。そのうちの一つに将来叔母にもしもがあった際の親戚への遺産分割明細が用意してあった。 叔母の兄妹や亡くなったご主人方の甥や姪への遺産分割明細である。 老後資金がないと叫ばれる現在において、ここまで周囲の人に残すものがあるという事実。それに向けて経営から退いても資産運用を続け、来るべき自身の死に備えてきた叔母は立派です。
叔母からの『私のもしもに協力して』 との依頼に甥である私は快く引き受けた。後日届いた叔母からの手紙には、 事細かに、連絡先や依頼する弁護士や税理士、そして葬儀屋やそのプランまでが 細かく明記されていました。
私の母親の妹である叔母には母親の生前や亡くなった後もいつも私たちの支えになってくれました。そんな叔母が私リモート対面した際、『私のもしもの際の事に協力をお願い』と生前の遺言を私に託してきました。私は妹と分担して快く引き受けますと答えました。 自分の弱みを見せない叔母が声を震わせて感謝の言葉を返してきました。
亡くなった私の母親とその妹である叔母は、とても仲が良い姉妹で互いに家庭に入ってからも交流していました。そんな中の良い姉妹が雑談の中でいつも夢見ていた事は、姉妹一緒に元気なうちに高級介護施設に入所し3食昼寝付きの優雅な生活を送りたいという事でした。その夢は母親がパーキンソン病で逝ってしまい実現しませんでしたが、叔母は私達家族を今でも支えてくれます。
元経営者の叔母は体調は悪いのですが、 経営者時代からの研究熱心さと、人との交流や情報交換を今でも続けており、当た物冴えは経営者時代と変わりません。 そんな叔母が、周囲と関わりたいという思いで資産運用を継続してその成果で 私たち親戚にお祝いやお悔やみなど で関わりを維持しているのは、周囲に還元できるだけの資産を得ているからだと思います。
親の介護を終えた、または親の介護中の世代も約10年先は自身が要介護の心配をする歳になります。来るべき老後生活に備える事を真剣に考える時期になりました。充分な預貯金がある人は別にして、将来に不安のある人は、今後10年で今ある預貯金を資産運用で増やしておくべきです。 税金の優遇措置を活かしnisaを始める事が一番身近で老後資金確保の近道ではないでしょうか?
介護施設に入所する義母親、介護施設で働く職員。かれこれ2年以上もコロナ禍の制約の中で生活を営んでいます。 ストレスは相当なもので、先の見えない、目標設定の出来ないコロナとの戦いで精神的なストレスで疲弊している現状を少しでも軽減するにはカウンセリングが必須ではないか?
ごく1部の介護士の事件で評判が悪い介護職員の立場ですが、殆どの職員の方は家族との生活に犠牲を払いながらも、介護施設で懸命に入所者へ愛情を注いでくれています。 介護職員の方々がいるからこそ、私達家族が日常生活を支障なく送れることに感謝すべきです。
コロナ禍で介護施設に入所した義母親は2年以上も厳しい制約の中で、会話や面会が出来ない環境で懸命に生きています。そんなストレスの溜まる環境での唯一の楽しみ?である家族からの差し入れや毎日の着替えを、義母親の好みや食べたいときに食べられないストレス、職員に差し入れを取られた?という訴えは 義母親にとっては全て真実なのでしょう。
介護施設に入所する義母親の介護職員に対する不信感や被害妄想が止まりません。コロナ禍で家族との面会が10分と限られた中でも、義母親は私達家族に介護職員への不信感を口にします。特に私たちの差し入れたお菓子を介護職員に盗られた?こと に相当不信感があるようです。
コロナ禍で家族との面会も限りある時間しか出来ない現状で、義母親は長女である私の妻には面会の予約が取れれば毎回会っていますが、長男や次女とは2~3か月に1回しか会えない為、実の子供とは言え、義母親の兄妹と間違えたり、孫と名前を間違えたりしているようです。
コロナ禍での義母親との介護施設での面会は制約が多く,接種証明書の提示や面会の人数制限そして面会時間の限定などとても家族水入らずでのひと時を過ごせる状況ではありません。介護施設は高齢者が多く、感染対策が一般施設より厳重であるので 仕方のない事ではありますが、介護施設内での入所者や介護職員との会話も制限されており、ストレスの増加や認知症の進行が懸念材料です。
離島の現状は介護施設がないために、独り暮らしの高齢者は、自分が要介護になれば土地建物を処分して島外の病院や介護施設に入らざるを得ない事で、近年人口の減少が顕著です。その事は義務教育以上の教育施設がない子供世代にも言える事です。
離島に単身赴任中の友人からの話で、 離島における、人口確保の為には、子供たちの施設小中学校以上の教育施設と高齢者に対する介護施設と人材の確保が出来ないと人口が減る一方の現状を聞かされました。若い世代が戻らない離島の現状は将来の島の活性化や設備投資を躊躇させ、衰退の一途をたどる事を避けるためにも、観光や人々の誘致で芸集を得た上での公共施設の設備投資が急務です。
人生100年時代で80歳平均の寿命を考えて将来に備えてきた人たちは、後20年分の備えをする必要に迫られています。 親の介護を経て次の介護世代に入る私達世代は親の介護の教訓を活かし、自分たちの体調が悪化した時、次世代の子供に経済的負担をかけるわけにはいきません。
私達が私の親がまだ若かったころの平均寿命は80歳ほどでしたので、医療保険や生命保険も80歳までをカバーする補償内容の保険が主流でしたが、医療の進歩で 今や人生100年と言われるほど長寿社会となり、80歳以降の備えが必須となってきました。子供や周囲に経済的負担を掛けない為にも保険内容の見直しは急務です。
私は夜勤という不規則な時間帯の車を使った仕事で、ここ数年、残尿感や尿意と格闘しながら仕事をこなす毎日です。 つい数年前までは親の介護で親のトイレの心配をしていた私が僅かな期間で自身の尿意と闘う事になるなんてショックでした。
父親が介護の末亡くなり、誰もいなくなった実家を私の妹が相続する事になりましたが 売却するにも部屋の中の物を処分しないと解体も出来ないご時世です。 断捨離するにしても、可燃、紙、段ボール、金属、割れ物、廃プラと分別しなければならず、片付けは兄妹分担で週末を利用しながらの長期間に渡りました。
我が家の生前断捨離は、物置部屋からスタートしました。要介護状態になれば、捨てるものの選別もままなりませんので、夫婦元気なうちに、子供たちに迷惑をかけない為にも、少しずつ捨てるものの選別、取っておくものの保管、移動を行います。
私の亡くなった両親の実家の後片付けが長期に渡った経験から、我が家では夫婦ともに健在なうちに少しずつ断捨離を行う事を決めました。夫婦どちらかが要介護になったりすると、断捨離どころではありませんから、要るもの要らない物の選別から、1部屋単位でくっくりと片付けを進めようと思います。
義母親への面会に合せて、独立した私の長男が帰省してきました。約2年ぶりの対面にもかかわらず、義母親は初孫である長男の事は覚えていて、早く会いたいと楽しみにしていたようです。初孫おそるべし ですね。
義母親の入所する介護施設では、コロナ対策が未だに厳しく、月1回の面会と、面会は1回2名迄という規則で、義理の息子である私は面会の機会が与えられません。実の子供でない分、義母親から忘れられるのではないかと心配です。 義理の関係とはいえ、わたしも義母親にお世話になった身として、早期のお見舞いを希望しています。
親の介護や仕事のついでに食事をして詰め込むように食べ物を口に運ぶことは、ストレス以外の何物でもありません。 食事はその後の活力になると同時によく噛んでゆっくり味わう事で、忙しい介護や仕事のストレスを解消できる手段となります。
仕事時同様に親の介護での小休止、休憩は、介護の現実から離れた個室や、車内や外回りにて、その時間だけは親の介護の現実を忘れて、リラックスできる環境で心身ともにリフレッシュする事が重要です。
親の在宅介護や出勤時のデスクワークなど、屋内での作業、介護は日を浴びる事もなく、体内時計が活性化しないままでの1日のスタートとなり、決して規則正しい1日の始まりとは言えません。 朝起きたら、ゴミ捨てや散歩のついでに日の光を浴びてから1日をスタートする事で、前日の心身のストレスを少しでも軽減し、新しい1日の始まりを迎えられる事に繋がります。
親の介護によるストレスは、休日の起床後の朝の過ごし方で変わってきます。 普段の出勤時、親の介護時のような時間に追われたルーティーンはストレスや疲労を増幅させる原因になりますので、マイペースでゆっくりとした時間を過ごす事で、過度のストレスからの解放への近道となります。
両親の介護 私の独り言 親の介護2022が始まる。 世間は お正月でも親の介護に 正月休みなし。 親の介護2022年が始まる 新年あけましておめでとう ございます。 今年もよろしくお願いいたします。 新しい年が始まりましたが、 親の介護に正月休みはありません。 ご家族の方は大変ですね。 私も母親と父親の生前は介護で 季節感なく、親の介護をしており ました。 けれど介護される親には季節感の ある食事を出したり(おせちとか 餅なし雑煮を出していました。) お正月であれば『おめでとう、 母さん、今年もよろしくね。』 と挨拶をしたりしてました。 我が家の正月の親への演出は、 ラジカセで、お琴のCDを流…
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
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年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
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親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
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親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
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