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2020/12/08

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  • 東日本大震災から10年。「花が咲く」「山笑う」

    春山笑う季節。3月11日なれど「啓蟄」七十二候では「笑う」時。24節気、72候を楽しむ。3月、啓蟄に入りました。啓蟄とは陽気に誘われて土の中の虫が動き出す頃のこと。一雨ごとに春が近づく、そんな季節の間を感じながら。「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」志貴皇子訳「雪解けの水が岩からほとばしる滝のほとりに、ワラビが芽を出す季節が来ましたね」万葉集巻八を開くと、春雑歌から歌が始まります。古の人の自然への思いにふれるたび、感受性豊かな祖先に畏敬の念を覚えます。3月初候は「啓蟄戸を啓く」です。この時季に祭事や農事を始めることを「コトハジメ」といいます。お事汁という食べ物をいただくのが習わしで、豚汁の豚肉抜きの味噌汁といったところでしょうか?初候をすぎると、「桃始めて笑う」です。桃の花が咲き始め...東日本大震災から10年。「花が咲く」「山笑う」

  • 立春大吉はシンメトリー。2021年2月3日は立春の日

    立春大吉はシンメトリー春の縁起の良い言葉、立春大吉を紹介します。立春とは、古来の季節を表す言葉「二十四節気」の最初の時季。2021年では、2月3日が立春の日です。この立春の早朝、禅寺では、魔除けや厄除けの意味を込めて『立春大吉』と書いた紙やお札を門に貼る習慣があるのです。魔除け厄除け幸運を呼び込む四柱推命や風水等では、節分までは前年で立春をもって新しい年が始まると考えられています。節分の豆撒きは大晦日にあたり、厄を祓って、翌日の立春から新しい年の幸運を呼び込むしきたりだったのです。では何故禅寺で『立春大吉』と書いた紙や札が貼られるようになったのでしょうか。禅寺でも曹洞宗のお寺でこの習慣を実践しているところが多く、お寺だけではなくそのお寺の檀家となっている家にも配られる『立春大吉』の札ですが、縦書きにした『...立春大吉はシンメトリー。2021年2月3日は立春の日

  • 前向きになれる言葉/ ポール・ヴァレリーの詩の一節から

    湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていくフランスの詩人、ポール・ヴァレリーの言葉です。人生は時の湖に浮かぶボートのよう。進むべき方向、未来には背を向けている自分がいる。オールを漕ぐ自分が目にするには過ぎ去る風景のみ。つまり過去ばかりだ。ボートに乗る人は、誰も未来を見ることは出来ない。しかし、その過去もボートが進めば、遠ざかっていき、やがて見えなくなる。人は過去から学び、いまを生きると誰もが言います。一方で、忘れることの大切さも説かれています。あなたはどんな人生を歩んでいますか?過去だけにこだわっていませんか?過去は、その風景とともにやがて遠くに消え去っていくのでしょう。未来に背を向けているのだからこそ、今をしっかり見つめなければ。人生を漕ぐボートの主は私しかいないのだから。禅語をテー...前向きになれる言葉/ポール・ヴァレリーの詩の一節から

  • 大河の一滴を読み、自死を考える

    この世は地獄であり、時として極楽でもある。親鸞の「嘆異抄」の中に出てくる有名な言葉に「地獄は一定」があります。一定は「いちじょう」と読み、「今ここにある確かなもの」の意味。つまり、地獄は、私たちが生まれ育っている今、この瞬間、この場所だと言うのです人によって、地獄の受け止め方も、地獄の様相も想像が異なるのでしょうが、たしかに、地獄のような悲しみを味わう瞬間はあります。愛する人と別れたとき、死別したとき、大きな困難に見舞われたとき、病に犯されたとき、そして「心が萎えた」「折れた」とき。私も自死へのあこがれを何度も強くしました。一歩手前まで、後少しで体現する間近まで、自ら命を絶とうとした瞬間があります。絶望を超えて、言えることは、「死は易く生は難し」三国志にも出てくる言葉。最近読んだ本の中にも、こんな文章があ...大河の一滴を読み、自死を考える

  • 前向きになれる言葉/ 一陽来復・陰から陽へ転じます

    行く雲、流れる水。自由自在の心「行雲流水」という言葉を紹介します。広々した空に浮かぶ雲の悠々とした姿の前には人間の喜怒哀楽の感情など、とるに足りないほどの小さなものに思えます。鬱積とした気持ちを持っていても、それはこだわる心に過ぎないと反省させられ、強く生きる新たな力が湧いてきます。文学にはしばしば、悠然たる雲の姿に勇気づけられて人生の転機を乗り切る姿が描かれているのも当然でしょう。「帰りなんいざ」が冒頭に来る有名な漢詩、陶淵明の「帰去来の辞」に「雲無心以出岫雲は無心に以て岫(みね)を出で鳥倦飛而知還鳥は飛ぶに倦みて還へるを知る」があります。「雲無心」の章とも呼ばれるこの節は、帰去来辞の核心を成す部分で、「雲には天下を覆い尽くそうとする野心も、雨を降らせようとする邪心もない。自らの性に従って、山より出てゆ...前向きになれる言葉/一陽来復・陰から陽へ転じます

  • 禅語「逆風張帆(ぎゃくふうちょうはん)」 逆境に生きる

    逆境の中での生き方を説いた禅語に「逆風張帆」がございます。帆船が向かい風(逆風)にもかかわらず、敢えて帆を張る、との意味で、「逆境に耐え、前に突き進もうと努力することで活路が開ける」という、禅の教えです。詳しい内容は茶掛けの禅語~日本人のこころ~を参照ください!禅語「逆風張帆(ぎゃくふうちょうはん)」逆境に生きる

  • 施無畏「恐れるな 大丈夫だよ」(禅語が導くパワー)

    「施無畏」恐れるな大丈夫だよ何をそんなに迷っているの。恐れがあるのはあなただけではないよ。恐れないで、むかってごらん。「無畏を施す」という禅語。観音菩薩が発したとされる言葉で、畏(恐れ)れ無いことを施すという意味から、この世の人々からあらゆる恐怖を取り除くという観音経の中に出てくる慈悲の言葉だそうです。人は誰もが常に悩み、苦悩を抱えて必死に生きています。それは将来や現実の生活の中で、様々な人や物に出会い、触れることで生まれてしまうこと。言わば、苦悩は生きている証。この世に悩まずに生きている人などいないでしょう。どん底まで悩みきった人に、たった一声「恐れなくていいよ。きっと大丈夫」と声をかけると、無責任だとお叱りもあるでしょうが、声をかけられることで、救われなくても、迷いが解決せすとも、声をかけられた人は「まだひ...施無畏「恐れるな大丈夫だよ」(禅語が導くパワー)

  • 禅語「掬水月在手」 ミュージカル「ラ・マンチャの男」の主題曲のようです

    禅語「掬水月在手」「水を掬すれば月手に在り」と読み、茶道の掛軸としてよく掛けられる禅語です。唐の時代、于良史作の漢詩『春山夜月』にあり、「掬水月在手弄花満香衣」の語で禅の世界では使われます。自分とかけ離れた、遠くにある美しいものとして月を見ているだけでは、そのものに気づくことは出来ない。水を掬うという働きかけがあって初めて、月は心の中に入って来て自分のものとして感じられる。壁にぶつかって立ちすくなんでいたのでは状況は変わらない。どうなるか分からないが行動を起こすことによって状況に変化が起こり、打開の道が開ける。この禅語を読むと、自らの可能性を信じて、届くはずのない月に手を伸ばそうと歌う「インポッシブルドリーム」という曲が思い浮かばれます。この曲は、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の主題歌。勝てるはずのない水車を...禅語「掬水月在手」ミュージカル「ラ・マンチャの男」の主題曲のようです

  • かなり難解な禅語「道得三十棒」。もはや「いじめの極意」

    本日の禅語は「道得三十棒」。かなり難解な言葉で、理解に苦しむ方も多いかと思われますが心して聞いてください。禅においては臨済の「喝」徳山の「棒」といわれるほどに、厳しい教え方があります。臨済義玄禅師は修行者との禅問答において「一喝」を飛ばして導き、徳山宣鑑(とくさんせんかん)和尚は来る修行者には棒を打ち据えて荒っぽく導いたといいます。きちんと答ええても三十棒を食らわせ、答えがなければまた三十棒を打つ。まるで「いじめ」を見るような、一般的感覚では理解できないことですが、禅の世界では、「これが悟りだ、これが正解だ」と思ったら、それはもう「迷い以外の何物でもない」という考えがあります。答えが何であろうと、明確な正解ではありえない。それを表現するため、徳山は弟子たちを殴ったのだとか。ある夜の説法の時、徳山和尚は「今夜は何...かなり難解な禅語「道得三十棒」。もはや「いじめの極意」

  • 禅語「巌松無心風来吟」と『回向返照』(えこうへんしょう)

    禅語「巌松無心風来吟」なんの意識も、狙いも、欲望もない、無心こそ、自然の姿。無策無心こそ、美しい人の姿形である、という意味の禅語です。そのまま読めば「巌松無心風来たって吟ず」です。巌谷の松に風が吹き来て、松籟の音が、時には激しく、時には優しく梢々と響く様を表現しています。風が吹けば梢を鳴らします。良い音を鳴らしてやろうと風が吹くわけでもなく良い音を鳴らそうと松が思う訳でもありません。自然法爾で思惑のない無策無心だからこそ美しい。松は歌う意志があるわけではなく、風も歌わせようと吹いているわけではありません。その場の機縁に応じているだけ。ただ自然に鳴っているのです。松には、歌おうとか人に褒められようとかという、意識も作為もなく、風が吹いてくれば自ずから、ただ鳴るだけ。これをそのまま人に置き換えれば、自然の働き、無作...禅語「巌松無心風来吟」と『回向返照』(えこうへんしょう)

  • 自己を学ぶとは、自己を○○○こと。すなわち禅語「只管打坐」

    10月4日の相場と禅語「しかん-たざ只管打坐」日経株価は連日下げを記録し、私の保有株もこれまで最長だった6日連読下落の記録を破り、7日目に突入しました。わずか一週間で4000円も下落した持ち株もあります。相場を学ぶ時に、必要な格言は様々ありますが、本日は禅語「只管打坐」について考えます。曹洞宗の開祖、道元の著書『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』には、「仏道を学ぶとは、自己を学ぶことです。自己を学ぶとは、自己を○○○ことです」と書かれています。○○○に入る言葉はわかりますか?「只管打坐」の説明として書かれたものにこうあります。『毎朝仏壇を前にして、体を真っ直ぐにして、線香を真っ直ぐに立てて、自分の鼻筋と線香とご本尊さまの鼻筋が真っ直ぐになるように坐る。そして、真っ直ぐになった心と体とを活かすこと。毎朝3分でも5分...自己を学ぶとは、自己を○○○こと。すなわち禅語「只管打坐」

  • 大谷翔平選手に贈る禅語 「臥龍不鑑止水」(がりょう しすいにかんがみず)

    「臥龍不鑑止水」(がりょうはしすいにかんがみず)一つの場所にとどまって、ぬくぬくと過ごしてはいけない。高い志を持つ者であれば、なおさら淀んだ場所に身をおいてはいけないのだ。禅語「臥龍不鑑止水」は、天に昇る龍(臥龍)は、決して水にその姿を長く映すことはない。昇りつづける姿は淀んだ水に映る一瞬の時もないほど、素早いものなのだ。臥龍のごとき、高みを目標にするものは、淀んだ環境に居るべきではない。自分が夢を叶える意志も大切だが、夢を叶える場所も大事なのだ。エンゼルス大谷翔平選手にとって、活躍できる場所。それは、ワールドゲームに進出してメジャートップ・世界一のチームの一員になること。そして米国は、ワールドシリーズに進む強いチームに、大谷選手のような逸材を送り出すことに反対しない土地柄でもある。FAを取得する大谷翔平さんに...大谷翔平選手に贈る禅語「臥龍不鑑止水」(がりょうしすいにかんがみず)

  • 「陰徳陽報」それは積善がもたらす余慶と等じ意味の禅語です。

    陰徳あれば陽報ありひそかに良い行いをすれば後で必ず報われるということ。同じ意味の言葉に「積善の家には必ず余慶あり」があります。私が落ち込んでいる時に、信頼する方から贈られた言葉。それが「積善の家には必ず余慶あり」。当時、私の持っていたスケジュール帳にこの言葉を書いていただきました。私よりはるかに年上で地位のある方から予想外の言葉をいただき恐縮するとともにこの言葉の意味を深く理解できずに戸惑いました。それは私自身が罪多き人間でとても善根を積んでいたとは思っていなかったからです。しかし、その方から見ると私は、きちんと陰徳を果たしていたそうです。だからこそ、いつでも連絡があれば会うのだと付け加えられたのです。もう少し生きていこうかな、そう思わせてくれた言葉でした。「陰徳陽報」それは積善がもたらす余慶と等じ意味の禅語です。

  • コロナ感染拡大中ではありますが、「無事是吉祥」を願います。

    無事是吉祥「無事」とは禅の重んじるところであり、様々な解釈や用法がありますが、意味するところは人は元々、仏であり、ならば求めるべき仏も、行うべき道も本来はないと云う意味です。樹木希林さんが茶道の先生を演じ、主演の生徒役の黒木華さんがお茶の稽古を通じて人生について考える映画が『日日是好日』です。茶室の床の間に掲げられた掛け軸のひとつが「日々是好日」でした。印象的なシーンは映画の最初の頃、主人公の黒木華さんがまだ茶道を習いはじめた頃、お正月に使う茶器に犬の絵が描かれているのに気づき、「干支の茶碗を使っているなら、次に使うのは12年後か・・・」と気が遠くなるようなそぶりを見せます。そして映画の終盤、いろいろなことが当然、生きていると起こるのですが、気がつくと、犬の絵柄の茶器を用意している自分がいる。12年、あっという...コロナ感染拡大中ではありますが、「無事是吉祥」を願います。

  • 妖術の使い手が書いたという禅語「緑樹陰濃夏日長」

    本日、紹介したいお話は、中国の妖術使い「神仙思想」と美しい漢詩『山亭夏日』との関わりです。私が研究する禅語の世界では、この『山亭夏日』の一節である「緑樹陰濃夏日長」が有名で、茶室の掛け軸にもなっている言葉です。その漢詩を書いた人物。実は、妖術使いとして有名な方だと知っていましたか?まずは漢詩を読んでみます。木々の緑が色濃く茂るほど、夏の日差しは強く、長い。樹木の木陰が心地よく感じる頃になりました。緑樹陰濃夏日長(りょくじゅかげこまやかにしてかじつながし)とありますように、葉も茂り濃まやかさを増した木々の間を縫って吹いてくる風はなんとも言えないものがあります。高駢による漢詩『山亭夏日』に「山亭の夏日綠樹陰濃(こまや)かにして夏日長し楼台影倒(さかしま)にして池塘(ちとう)に入る水精(すいしょう)の簾(れん)動いて...妖術の使い手が書いたという禅語「緑樹陰濃夏日長」

  • 道聴塗説(しったかぶり) コロナで酒NGの真偽を問う

    道聴塗説居酒屋は本当にコロナの主犯なのか?「道聴塗説とは、しっかり理解していないのに、知ったかぶりをして人に説くこと」を指します。コロナ禍で道聴塗説が溢れています。お酒を提供することは悪なのでしょうか?緊急事態宣言が解除されると、次は「まん延防止等重点措置」に移行するでしょう。法的に、酒類を提供しないよう要請や命令できるのか?については、「告示改正」によりできることになりました。しかし、本来、法改正が必要なところなのに、告示改正という方法で、酒類提供の停止を要請したり、命令したりできるようにしたことについては、違法の疑いがあるとの意見が、法律専門家の中から出ています。居酒屋でお酒を提供できないということは、事実上、営業できないということでしょう。営業の自由に対する大きな制約となる要請や命令を、弱い法的根拠に基づ...道聴塗説(しったかぶり)コロナで酒NGの真偽を問う

  • 「惺々着」目覚めたくない世の中ですが・・・

    通りに面した一軒家の庭先から覗く紫陽花が薄桃色、紫、空色と咲きこぼれています。梅雨時の気分を和ませてくれるこの花、古人は七変化とか八仙花とか呼んでいました。コロナ禍では、花を愛でる気分にもなりませんが、少しだけお付き合いください。夢を叶えたいのは誰しもの願いですが、何かを始めても途中で投げ出したり、最後までやり通す事ができない時は、正しい夢を描けていないのかもしれません。まずは本当にやりたいことを見つけ、夢を育むことがすべての始まりです。幕末の思想家・吉田松陰は「夢なき者に理想なし理想なき者に計画なし計画なき者に実行なし実行なき者に成功なし故に夢なき者に成功なし」と述べています。自分自身の終着点を思い描かなくてはなりません。禅のことばに「惺々着」があります。惺という漢字はなかなかお目にかからない字ですが、「惺」...「惺々着」目覚めたくない世の中ですが・・・

  • 「回向返照」他人に惑わされず、我が道を行く

    初夏の太陽の下、まもなく向日葵が元気に咲き誇って来ることでしょう。コロナ禍が極まるこの時季、皆さま様にはお辛き日々をお送りのこととお見舞い申し上げます。ご両親から賜った掛け替えのない生命です。ご養生専一に御身おいといくださいますようお願いいたします。進むべき道に迷ったり、何かを学ぼうとする時、他者の考え方を吸収しようとします。著名人の講演やハウツウ本に答えを求めることもあるでしょう。しかし、人の言葉は所詮、人の言葉でしかありません。誰のものでもない自分の人生です。何をすべきか、何をしたいのかを素直に考えればいいのです。禅語に「回向返照」という言葉があります。元々は黄昏直前の西の空に沈みゆく太陽の照り返しの輝きのことを意味するものでした。他人の言葉に答えを探し、他人の考えに追随してしまっている自分を改めて見直し、...「回向返照」他人に惑わされず、我が道を行く

  • コロナ禍に「春和景明」のことばを添えて

    日本各地で咲き誇った桜花の時季も過ぎ、桜若葉が樹樹を覆う街路とありました。陽射しは立夏の暦のごとく、夏の明るさを身にまとって参ります。穏やかな「春和景明」の光景が終わりを告げようとしています。夏を迎えて躍動する景観は、コロナ禍で閉ざされがちの心を開いて、希望も新たに新たな時代の到来を楽しめ、と励ましてくれることでしょう。この「春和景明」という言葉は、北宋の政治家・范仲淹による「岳(がく)陽楼記(ようろうのき)」の中の一節です。この散文の結句となった「先憂後楽」の故事は、岡山県の庭園や東京ドームのある「後楽園」の名前の由来になったほど有名です。本来は政治家の心構えを意味しましたが、現在は「困難で苦しいことを先にすれば、後で楽になる」と解釈されます。先憂後楽は今の生活にも繋がる言葉です。コロナ禍で無理を心を痛めた人...コロナ禍に「春和景明」のことばを添えて

  • フラストレーション・トレランスと「大河の一滴」

    作家・五木寛之氏は「大河の一滴」のなかで、人は道路の白線をまたぐように、簡単に自死する、と告げています。それは、生命を決しておろそかにしてはならぬ、というほどの上から目線ではなく、「ネガティブに生きる生き方もあっていい」と人々にエールを送る言葉です。命の儚さ。つかの間の命、死するものとしみじみと思う時、自分の生き方を本気で考えるものです。命ある間に本当の生き方を見いだし、こんなに光り輝くすばらしい世界に生きているのだから、悔いのない人生を送りたいものだと、時には思うでしょうが、「そのうちに」で、日が暮れてしまう。人は死ぬものだということを、日常、全然忘れて暮らしているばかりか、死と隣り合わせであることさえ、さほど気にもかけずに日々を過ごしています。しかし、まさに死に直面したならば、生きていることを強く実感するそ...フラストレーション・トレランスと「大河の一滴」

  • 50代こそ、なりたかった自分になれるチャンス

    今日は、Nianticの足立光代表のインタビュー記事を参考に、「50代は落ち着くな!」について考察します。以下は、足立さん(どんな会社の代表かはググって下さい笑)の日経冊子のインタビュー記事から信条を自分なりに要約してみました。40~50代の人たちが「歳を取ったら落ち着かなきゃ」と考えるのは間違いです。なぜなら「落ち着く」ことは【停滞】なのです。人間は歳を取れば取るほど強い刺激を受けないと変わることができません。そのため、歳を重ねるほど新しいことに触れて、強い刺激をたくさん受けないと新しいことを考えられなくなります。50代になれば、ぜひ、外に出ていって新しいこと、流行っていることを体験してほしい。子どもが独り立ちする40~50代は、もう1回、自分の殻を破るよいタイミングです。子どもの面倒をみなくてよくなり、経済...50代こそ、なりたかった自分になれるチャンス

  • 他是不吾は「而今」に通じます

    こんにちは。本日は「他是不吾」(たはこれわれにあらず)という禅語をご紹介します。「他是不吾」(たはこれわれにあらず)」の意味は「よそはよそ、うちはうち」という自己中心的な意味ではありません。他人と自分を比較するのではなく、まず、自分が行うことが大事だと悟ったお話です。由来となったお話は、道元禅師が中国の宋に留学中の体験からです。あるひとりの典座(てんぞ、禅のお寺で食事の世話をする炊事係)との会話が元になりました。道元は宋の天童景徳寺に修行中、年老いた典座が外でキノコを干していたのをみて、その老体の典座にこういいました。「そんなことはご自身でなさらずに、もっと若い者にやらせてはどうですか?」道元は、親切心から言葉を典座にかけたのですが、老師は鋭い口調でこの禅語を道元に伝えました。「他是不吾(他は是れ吾にあらず)」...他是不吾は「而今」に通じます

  • 東日本大震災から10年。back number「日曜日」がリフレインする今日です。

    backnumberの「日曜日」なぜか、この曲を聞くと東日本大震災を考えてしまう。何気ない日常こそ、幸せが詰まっている。この曲は、それを頭に浮かばせ、そして、被災された方々の心境を重ねてしまう良い曲です。明るい音調で、心地良い名曲ですbacknumber好きです。この曲は、日々是好日を謳ったのでしょうだから、心に響きます歌詞は「ねぇもうすぐお昼だよ君の声で目が覚めてでももう少し寝たい気もするなでも君に怒られるな最近の幸せといえば美味しいものを食べる事で確か前はもっと大それた事を語ってたはずなのにな洗濯物をぱたぱた伸ばしてる君をソファーの上で眺めてたらなんとなくわかった気がしてきてそうだあの日君がこっちを向いてバカねって笑ってくれた時きっとあの時に変わったんだこんな毎日を願う僕にたとえアイドルと付き合えなくたって...東日本大震災から10年。backnumber「日曜日」がリフレインする今日です。

  • 2021年1月9日「玉置浩二ショー」から。“一”度、“止”まって振り返れば、“正”しかったことがわかる

    2021年1月9日NHK「玉置浩二ショー」。年末の紅白歌合戦の「田園」で復活した玉置さんの姿をもう一度見ようと、楽しみにしていた番組。実は、玉置さんの親友のASKAさんが、「玉置浩二は体調不良で深刻。でもなんとか持ち直した」という趣旨のツイートを昨年のコロナ禍のなか、あげてらっしゃったので、心配していました。でも、紅白でのお姿に感動(当日の紅白で紹介されるまで玉置浩二が出演することを知らなかったので、名前が出たときには驚いて画面を二度見しました笑)、さすがに生放送ではなく収録のようでしたが、力強さが戻り、あの美声を聴くことができました。そして、BSでワンマンショー復活。大好きな「しあわせのランプ」の歌に、思わず両手を握りしめていました。番組中のインタビューで語った、コロナ禍で音楽を止めようとした話。ひょっとして...2021年1月9日「玉置浩二ショー」から。“一”度、“止”まって振り返れば、“正”しかったことがわかる

  • コロナ禍に、信じたい言葉 「艱難辛苦汝を玉にす」

    艱難辛苦汝を玉にす連日、新型コロナウイルスの影響で、生活が不安定になった人の話をニュースで見かける機会が増えています。当初は、飲食店や観光業に目が向きましたが、今やあらゆる産業で影響があります。きっと皆さんの身の回りでも。仕事、お金、人との関わり、いままで手に入れたものが突然消え、当たり前が当たり前でなくなった世界。社会人だけではありません。女性も、子供も、老人だって。葬儀さえ開くことができない世界です。私たちは、このウイルスにより、体を攻撃されるのではなく、もっと次元の異なるものを攻撃されて、崩壊させられているような気がします。荒廃する世界は荒廃する心を生みます。人々を直接死に追いやる戦争さえ、戦っている側の人は気分の高揚さえあり、決してすべてを否定する場でなかったでしょう。一部の成功者、このコロナ禍にあって...コロナ禍に、信じたい言葉「艱難辛苦汝を玉にす」

  • 春和景明。淑気間近に、春の訪れを待ちわびる

    師走を迎え、今年もあとわずかになりました。いよいよ押し詰まり、心忙しい日々をお過ごしではないでしょうか?寒気凛冽の季節です。冴え渡る空気の中、はるか彼方の山の稜線が鮮明に映え、凍てつく風に肌身が凍み入るにも関わらず、思わず見入ってしまいます。これより先の時季は「山眠る」の言葉があるように、精気の衰えを感じつつ、正月を迎えれば、新年の淑気に包まれ、新たな気持ちで一陽来復を願う日を迎えられると、背筋を正しています。瑞祥の気が満ち、春へと日脚も伸びる頃を想いながら、前向きに明るくなれる言葉巡りに勤しむ今日です。冬寒の中、草木も死んだように眠るなかにあって、この季節は「松」「竹」「梅」の三友の言葉が多く登場する時季でもあります。松は、寒さの中でも凛として緑の光輝を放つ、その清雅の姿が喜ばれ、「寒松千丈」といった熟語とな...春和景明。淑気間近に、春の訪れを待ちわびる

  • 元気をくれる言葉/小田和正さん「hello hello」

    hellohello作詞・作曲︰小田和正きっといいことが待っているそう思ってるホントに君が幸せになると信じてる去りゆく人がいてまた新しい出会いがきっと始まるhellohellohellohello今は元気出して早く明るい日射しは今日も降り注いでいるすべてが変わってゆくきっと明日になれば明日になれば強く生きてやさしく生きて自信をなくしてくじけそうになっても君のほんとに大事なものを見つけるまでhellohellohellohello君に見えてるかそこからはるか遠い未来へと続く道いくつもの夢が君を待ってる明日になれば明日になれば強く生きてやさしく生きて自信をなくしてくじけそうになっても君のほんとに大事なものを見つけるまでどこまでも続く白い道夏の空想う気持ちはいつでもそこへ帰って行く心に届くものはいつも同じやさしいかた...元気をくれる言葉/小田和正さん「hellohello」

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