うつ病とは碌なものではない。 苦しいばっかりで。 ほんと、碌なもんじゃない。
うちの親は、何にでも酢をいれる。 それかレモン。 手作りカレーですら酸っぱい。 多分、そういう味が好きか、健康にいいと思っているのだと思う。 食べさせてもらっている身のうちは、そこに文句を言えなかった(少しは言ったことがあるかもしれない)。 結婚してよかったことのひとつは、もう酸っぱい料理を食べないで済むことだ。 この前、久しぶりに親の手料理を食べたら、やはり酸っぱかった。 全然、懐かしいとかは思わなかった。 結婚してよかったとまた思った。
ずっと苦しい。 ずっと調子が悪い。 いつからだろうか。こんなに調子が悪くなったのは。 一週間くらい? そんなものかもしれないが、長く感じる。 鬱には、波はあるものだが、今の私は出口の見えないトンネルを歩いているようだ。 リラックスできず、いつも悲しく、憂鬱で、不安で、焦燥感があって、眠れず、なんのやる気も出ない状態が続いている。 うれしいとか、楽しいとか、幸せとか、楽しみだ、という気持ちになりたい。
もうひとり子どもが欲しい。 本当にそう思う。 私はどこに出しても恥ずかしくない鬱病だし経済的なこととか夫の気持ちとか、ダメな理由ばかりだけれど、 やっぱり「欲しい」と言う気持ちが定期的に湧く。 おかしいね、子育てなんて大変なのにね。
今日も苦しい。 仕事は頑張った。日中は、仕事で気が紛れることもあって、鬱の苦しみを感じない。 エンジンがかかる前の朝と、疲れた夕方以降が辛い。 寝る前、穏やかな気持ちでないのは辛い。 ずっと仕事をしていればいいのか。 職場に泊まり込んで。 昔は、それに近い生活をしていた。 遠い昔な気がする。
午前中調子が悪くて、午後は少し良くて、寝る前にまた悪くなる。
午前中調子が悪くて、午後は少し良くて、寝る前にまた悪くなる。 食事をする気力もない。 眠ろうとすると泣きたくなる。 涙は出ないけれど、泣きたいのだ。 子どもが私を笑わせようとしてくれる。 その気持ちがうれしい。 心の中で泣きながら笑っている。 あまりにも調子が悪いので、筋トレをした。 筋トレをすると、その時だけ、ほんの少し楽になる。
自分の家なのに、抜き足差し足忍び足で台所に行き、薬を喉に流し込んで、そのあと這うような気持ちで洗面所に行って歯を磨いてきた。 あとは眠くなるのを待つだけ。 明日になれば、また気分も変わると思う。 もう、食べ物を食べる気力もない。 少しは痩せないかなー。
とても憂鬱だ。 憂鬱に理由なんてない。 理由がないのに憂鬱になるのが鬱病。 私はリッパな鬱病患者。 暗い部屋、ベッドの中、スマホを手にし、動けない。 寝る前に歯を磨けるだろうか。 寝る前の薬を飲めるだろうか。 寝られるだろうか。 自信がない。
ぼーっとしていると嫌なことを思い出す。 失敗を思い出して、恥ずかしくて叫んでしまう。 精神的に余裕がないのがわかる。 あー今日は眠れないコースかな・・・
最近、「メトロノームアプリ」というものに出会った。 もちろん私が音楽をするのではなく、入眠用だ。 カチ、カチというメトロノームの音を聞いていると、寝やすい。 タイマー機能もあって便利だ。
どうしても鬱が苦しいときは、「息だけしていればいい」ことにしている。
どうしても鬱が苦しいときは、「息だけしていればいい」ことにしている。 ただ息をして、時間が過ぎれば、また風向きも変わってくる。 息をすることだけ考えて、 過去のことや未来のことは考えないようにする。
うちの子(年長5歳)は食物アレルギーがある。 今日、大きい病院のアレルギーセンターで「重症。一生治らない」と言われた。 食べたら死んでもおかしくない、 これまで死ななかったのはラッキーだと。 一生って。 死ぬって。 宣告が重い。 そして、うつ病患者としては、 うちの子が万が一うつ病になったとき、アレルギーで自殺を図らないか心配だ。 そこらの毒物より、よほど簡単に手に入る。
今日はあやうく仕事で大失敗するところだった。人を傷つけるところだった。もう傷つけたかもしれない。 人に騙されて、その気はなかったにせよ私も人を騙しかけた。そして別の人を傷つけるところだった。 最悪の事態を未然に防げたのは、運が良かったからだ。たまたまだ。 私が人に騙されたこと、人を傷つけ(かけ)たことは変わらない。 それはショックだ。 私がもっとよく気をつければ良かったのかもしれない。
さっきまであんなに眠かったのに、薬を飲んだら目が冴えて、眠れない。
さっきまであんなに眠かったのに、薬を飲んだら目が冴えて、眠れない。 うつ病のくすりってのは、眠くなるんじゃないんですか・・・ 私はよくこういうことがある。薬を飲むと、精神がたかぶって眠れない。 薬が精神に作用しているとしか思えない。 まあ、うつ病のくすりだから、精神に作用する薬なんだけど。 鬱にもよく効いてくれる薬だから、仕方ない。我慢して付き合うしかない。
私は子どもを0歳2ヶ月から保育園に入れた。 初めの一年は、今通っているのと別の保育園にお世話になっていた。 首も座らない赤ん坊を預かってくれた保育園。 小さな、優しい保育園だった。 その保育園が、少し遠くに移転することになったので、私は断腸の思いで今の園に転園させた。 そのことは、2年くらい引きずったと思う。 本当は辞めさせたくなかった。 今でも年賀状を出している。
子どもがもうすぐ保育園を卒業して小学校に入学する。 そのための準備を進めている。子どもの成長は嬉しい。楽しい。 保育園には本当にお世話になった。朝から晩まで預かってくれて、一日一食(昼)のみならず二食(夕)食べさせてくれることもあって、七夕など季節ごとにイベントをしてくれて、トイトレやら箸の持ち方やらお散歩やら劇ごっこやら、もう語り尽くせないほどお世話になった。子どもは多くのことを学んで成長した。 しかし、「保育園を卒園、さみしい」「先生へ感謝」という気持ちが起きない。 家族のように、兄弟のように濃密な時間を過ごした同じクラスの子どもたち。それが、卒園を境に、もう一生会わない子もいるかもしれな…
私の小学校4、5、6年の担任だった先生は、息子さんを18歳で亡くした。
私の小学校4、5、6年の担任だった先生は、息子さんを18歳で亡くした。私が5年生の頃だったと思う。 そのニュースを聞いて、翌朝、学校に行く時、母は私に黒いスカートを履かせた。 先生は忌引きで学校には来ないのにどうして、と私は思った。 そんなことを、今なんとなく思い出す。 先生は、私たちの前では取り乱したりしなかった。戻ってきたら、そのままなんとなく過ごした。 先生、かわいそうだったなあ、と、今思う。
やっぱり少食療法はすごい。 食べない方が調子がいい。 摂食障害にはなりたくないから、食べはするけど、こんなにてきめん調子が良くなるなんて。 朝は、つい「食べた方がテンション上がるかも」とか思ってしまうけど、そんなことないと、覚えておきたい。
うつ病になっていなかったら。 ガンガン働いて、子どももたくさん産んで、家事もこなして、充実した日々を送っていた・・・かもしれない。 中学生くらいまでの私は、わりと意欲的だった。 難しいことにチャレンジすることを楽しんでいた。 ま、妄想である。 そんなことをふと空想して、楽しんでいる。
昨日に引き続き、今日も苦しい。 はあ、なんで、穏やかに過ごせないんだろう。 これは、ただ、連休が終わって平日が始まるという、そういう誰にでもある憂鬱ってやつなの? 私は仕事は嫌じゃない。 子ども(5歳)も大きくなって、相手するのも少しは楽になってきた。 世の中コロナだから? 少しでも体調が悪くなると、すわコロナ?と焦るのは、確かに精神衛生上良くない。 でも、そんな、それほどのことでもない。 仕事しよう。 そうしたら、いろいろ忘れられるかもしれない。
ダメだ。苦しい。 連休が終わるからか? 久しぶりにちゃんとした鬱だ。 半年に一度の鬱だ。 仕事が嫌とかは、少なくとも意識の上では、思わないのに。 子育てとかも、まあまあで、問題ないのに。 筋トレすると、2、3分は調子がいいが、その時だけだ。 歯磨きして、薬を飲んで、寝たいが、動けない。 泣きたい気持ちがする。しかし泣けない。苦しい。 眠れないと思う。
子ども(年長)が、突然 「この香水のせいだよー」 と歌い出した。
子ども(年長)が、突然 「この香水のせいだよー」 と歌い出した。(『香水』) 保育園で覚えたらしい。 それ大人の歌だよ、と思った。面白かった。 1歳児の時、教えてもいないのに「アッポーペン!」と言い出した時と同じくらい驚いたし、面白かった。
子どもの小学校のことが不安だ。 優しい温かい保育園とは違う、それは仕方ないとわかっているが、どうも機械的で冷たい印象がある。 個別対応が、とことん面倒くさそうだ。 子どもの数も多いし。 いまさらだが、小学校受験をして私立に入れた方が良かった? いやいや。 もう仕方ない。 うちの子は、いい意味でも悪い意味でも普通の子どもで、それほど特別な対応はいらないと思うし。 気をつけて子どもの様子を見よう。
イライラする。 私はしょっちゅう憂鬱になったり不安になったりするが、それほど怒りを感じない方だ。 しかし今はイライラする。 相手のことを見下している時、相応しい扱いを受けられなかったと感じた時、イライラするのかもしれない。 それは失礼だから改めよう。
この前、ついに筋トレをした。 鬱といえば筋トレ。 ずーっとやる気にならなかったが、ついに私も筋トレを始めた。 「筋トレ 簡単」で検索して、本当に一番簡単そうだったやつ。 そしたら、次の日には筋肉痛になった。 痛いから筋トレしたくない。 筋肉痛が治ってから、また筋トレすればいいのかな? こんなペースでいいのだろうか。 わからない。難しい。
私は、子供を産む前、男の子が欲しかった。 女の子は、私と同じ不幸な人生を送る、男の子なら生理もないし、力強く自分の人生を送ってくれるだろう、と思っていた。 しかし女の子が生まれた。 妊娠中、病院で、先生がエコーを見ながら、「女の子ですね」と言った時のことを覚えている。 なぜか涙が出た。 そうか、女の子かと思ったら涙が出た。 悲しい涙ではないと思う。 なぜ涙が出たのかわからない。 今はこの子に満足している。 子どもと私は全然違う人間であり、違う人生を送るのだと、はっきり理解できた。 心身ともに健康に、幸せに育ってほしい。
夜には気持ちを落ちつけて、眠りの世界にすんなり入っていきたいところだが、実際はまったくそうはいかない。
夜には気持ちを落ちつけて、眠りの世界にすんなり入っていきたいところだが、実際はまったくそうはいかない。 なんとなく不安でそわそわし、ぼんやり不幸な気持ちになり、戦闘モードに入ったかのように意識がはっきりして、心が休まらない。 実際に不安のネタがあるかどうかは関係ない。いつも、寝る前には目がギラギラと「意地でも眠らないぞ」モードになる。 根負けして、ストレッチしてみた。 ストレッチは、多分うつ病にもいいのだが、うつ病というのは「ストレッチをする気にもならない」というのが全てなので、実際にやったことはなかった。 今日は、ストレッチをする気になった分だけ、少しはいつもより調子がいいのかもしれない。 …
歩くと頭がすっきりする。 落ち着かないときには散歩して、気を紛らわせたい。 今日は疲れた。 お昼寝とかをしなかったから、夜になると疲れる。 年賀状のような習慣は、疲れるから、辞めてしまいたい。
私の子ども(5歳)は、私には出来すぎた子だ。 私は相当のうつ病で、物事の暗い面をみがちで、マイナス思考だが、この子に関しては、ほとんど心配することがない。 私は幼稚園時代から絵を描くのが壊滅的に下手だったが、うちの子はそういうことがない。 なんでもひと通り、悪目立ちしない程度にこなすことができる。 本を読むのが好き。 友達といい関係を築いている。 いい子すぎる、手がかからなすぎるということさえない。(もしそうだったら、私はすごく心配したと思う) この子のおかげで、いっぱいいっぱい楽しい思いをさせてもらっている。 一緒にいて、気持ちが明るくなることもよくある。 でも、だからといって、毎日が楽とい…
何か失敗や、不安なことなどがあるときに鬱になるのは当たり前として、何もない時にも気分が沈む。
何か失敗や、不安なことなどがあるときに鬱になるのは当たり前として、何もない時にも気分が沈む。 明らかに楽しいとか、面白い、嬉しいとき以外の「普通」は、「普通」であるはずなのに、いつの間にか鬱の区分に入っている。 何もないと、暗い方向に思考が傾く。 「何もない」ときに、心の中で明るい言葉を唱えてみた。 楽しい、明るい未来、何も問題ない、これから良くなる、うまくいく・・・ 鬱に傾くのを、少し阻止できた気がする。 しかし、疲れる。 意識をただ「普通」に保つのに、余計に疲れる。
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