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究極の世界史 ~歴史は究極の人間ドラマである~
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裏ネタ、衝撃エピソード満載の究極の世界史ブログです。
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16回 / 32日(平均3.5回/週)

ブログ村参加:2020/10/27

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眞田禮さんの新着記事

1件〜30件

  • 【ブタ戦争】たった一匹の豚をきっかけに起きた戦争

    ささいな事件が戦争を引き起こすきっかけになるという話は歴史上珍しい事では無いが、おそらくブタ戦争(豚戦争)を超えるものはないだろう。 ブタ戦争とは、その名の通り一匹のブタが引き金となった戦争である。 19世紀初頭、イギリスとアメリカ両国がアメリカ本土とバンクーバー島の間に位置するサンフアン諸島の領有権を主張していた。 (画像)サンフアン諸島 その当時、その島にはアメリカ人移住者とハドソン湾会社の従業員であるイギリス人が居住していた。 戦争のきっかけとなる出来事が起こったのは、1859年6月15日のことであった。 その日、ライマン・カルターというアメリカ人農夫が、自分の家の庭

  • 名門オックスフォード大学でかつて起きた乱闘、「聖スコラスティカの日の乱闘」について

    オックスフォード大学と言えば世界でもトップレベルの優秀な大学だが、かつてその名門大学で歴史に残る悲惨な事件が発生したことがある。 それが「聖スコラスティカの日の乱闘」である。 Credit:wikipedia(画像)1907年に発行された「聖スコラスティカの日の乱闘」を描いたポストカード。なぜか年号が1354年になっている スコラスティカとは修道女でありカトリック教会・正教会の聖人で、2月10日は彼女の祝日であった。 1355年の2月10日、聖スコラスティカの日にバーで飲んでいたオックスフォード大学の学生二人が、その店のオーナーにワインの質が悪いと文句を言った。 それに

  • 【スカラベ】古代エジプトではフンコロガシが神と崇められていた!?【ケプリ】

    今から約5000年前の古代エジプトでは、フンコロガシが創造のシンボルとして崇められていた。 そのため古代エジプトの時代には、フンコロガシを模ったアクセサリーやお守りが多数存在する。 (画像)フンコロガシ Credit:wikipedia(画像)アメンホテプ3世とティイの結婚記念品 古代エジプトではフンコロガシをスカラベと呼び、スカラベが後ろ足で転がしている球体のフンは太陽の運行に見立てられた。 そのため、太陽神ラーの形態の一つであり日の出の象徴とされるケプリは、スカラベと一体化している。 Credit:wikipedia(画像)ケプリ 顔に大きくフンコロガシが

  • 【ブレムミュアエ】古代には頭の無い種族が存在した!?【無頭人】

    かつてヨーロッパでは、世界の果てに様々な異形の生き物が存在すると思われていた。 犬の頭を持つ人間や一本の大きな足を持つ人間、そして頭が無く胸に顔のある人間などである。 頭の無い奇妙な種族はブレムミュアエやアケパロイと呼ばれ、古代の書物に度々その存在が記述されている。 Credit:wikipedia(画像)異形人の版画。1544年「Cosmographia」より Credit:wikipedia(画像)左から、ブレミュアエ、スキアポデス、キュクロプス その最古のものは、紀元前5世紀にギリシアの歴史家ヘロドトスによって記された「歴史」という書である。 それに依れば、頭

  • ポンペイで行われていた売春について。スピントリアの用途とは?

    古代ローマ、特にポンペイでは売春は主要産業の一つであった。 この町は火山の噴火によって地中に埋もれてしまい、後の発掘作業によって当時の町の様子がそのまま現在に残されていることで有名だ。 そこからは売春宿や如何わしい遺物が多数発掘され、当時その町で性産業がいかに活気づいていたかを物語っている。 特に売春宿や宿屋に残る壁画には当時の情事の様子が克明に描かれており、現在もポンペイを訪れた観光客にとって目玉の一つとなっている。 Credit:wikipedia(画像)ポンペイのフレスコ壁画 Credit:wikipedia(画像)ポンペイのフレスコ壁画 Credit:wik

  • カエサルも驚愕!?ドルイドが生贄の儀式に用いたウィッカーマンについて

    木の枝で作られた巨大な人型の檻の中に隙間なく詰め込まれた人々。 下の画像は18世紀に書かれたイラストだが、いったい彼らが何をしているのか、このイラストを見ただけで理解できる人少ないだろう。 Credit:wikipedia(画像)18世紀に描かれたウィッカーマンのイラスト この巨大な人型の檻はウィッカーマン(小枝の人間)と呼ばれ、中に閉じ込められた人々は神に捧げる生贄としてウィッカーマンごと燃やされたのである。 このなんとも残酷かつ奇妙な儀式を行っていたのは、現在のイギリスやフランスに位置する地域に住んでいた古代ケルト人のドルイド達である。 ドルイドとは当時のケルト人社会

  • ローマ帝国の皇帝の容姿がAIによって復元される

    ローマ帝国の皇帝達の姿が最新のAI技術によって蘇った。 コロナウイルスによるロックダウンの期間中、カナダのカメラマンでありCGデザイナーであるDaniel Voshart氏は、退屈しのぎのために「Artbreeder.com」というウェブサイトを使ってローマ帝国の皇帝達の顔を復元することを思いついた。 「Artbreeder.com」では、複数の画像を合成して新しい画像を生成したり、写真に写っている人物の人種・性別・年齢を細かく加工することができる。 Voshart氏はローマ皇帝達の胸像や硬貨に描かれた肖像をもとにその姿を復元しようと試み、最終的にアウグストゥスから、カリヌス、ヌメリアヌ

  • 中国で池の水を抜いたら水面から巨大な仏像が出現。一体その理由は

    「池の水ぜんぶ抜く」というテレビ番組では、水を抜いた池から思わぬお宝や珍魚が出現することがあるが、中国では池の水を抜いたところ更にとんでもないものが姿を現したようだ。 中国の江西省にある貯水池で、水力発電用の水門の改修を行うために池の排水を行ったところ、巨大な仏像が水面から姿を現したという。 Credit:CNN Credit:CNN Credit:CNN その石壁に掘られた仏像は全長3.6メートルほどの大きさで、元あるいは明の時代に造られたものだという。 その仏像の足元からは古い寺の残骸も発見された。 そもそもこの貯水池は1960年に造られたものであり、

  • 馬王堆漢墓に埋葬されていた帛書は世界最古の解剖学書か

    現存する世界最古の人体の解剖学書は、古代中国の時代に書かれた鍼灸書なのかもしれない。 中国の湖南省に馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)という紀元前2世紀、前漢の時代に作られた墳墓がある。 Credit:wikipedia(画像)馬王堆漢墓の模型 そこには当時の長沙国で丞相をつとめ初代軑侯となった利蒼とその妻子が葬られており、また同時に数々の貴重な副葬品も埋葬されていた。 その中でも帛書(はくしょ)と呼ばれる絹布に文字が書かれた書物は、その内容が政治、思想、科学等多岐の分野に渡っており、当時の文化を知る上で非常に貴重な史料となっている。 Credit:wikipedia(画像)

  • スコットランドで発掘された二つの体に6つの頭部を持つ人骨。その真相は

    スコットランドのとある教会にある中世の墓から、奇妙な人骨が発掘された。 そこには、2つの体に6つの頭部が埋葬されていたという。「Six-Headed Chief(六頭の長)」と名付けられたその人骨は、果たして何者なのだろうか? その謎が、最新のDNA鑑定によって明らかにされようとしている。 Credit:FAS Heritage(画像)2つの体に6つの頭部という特殊な方法で埋葬された人骨 漁村ポルトマホマックの教会の祭壇の近くで発見されたその奇妙な骸骨は、2人の人間と独立した4つの頭部が同じ墓に埋葬されたものであった。 その二人の人間は、13世紀後半から15世紀前半に埋葬

  • インカ帝国が生贄に捧げたリャマが出土される。リャマの生贄の目的とは

    インカ帝国の遺跡から、500年前に生贄に捧げられた4体のリャマがほぼ完全な状態で出土された。 研究者は、リャマは生贄の価値として人間の次に高かったのではないかと語る。 リャマの体に傷跡や切られた跡は見られなかったが、それらは生き埋めにされた可能性もあるという。 発見された場所はTambo Viejoというかつてのインカ帝国の主要都市の遺跡である。 リャマの毛にはカラフルな糸によって装飾が施されており、また、同じ場所から装飾されたモルモットの死体も発見された。 Credit:L.M. Valdez Credit:L.M. Valdez Credit:L.M. Valde

  • アン・ブーリンの処刑について。黒幕はヘンリー8世だった?

    1536年5月19日、ヘンリー8世の2番目の王妃アン・ブーリンが処刑された。 その容疑は反逆、姦通、近親相姦及び魔術であった。しかし現在では、その罪は恐らく冤罪であり、アンの処刑は夫ヘンリー8世によって仕組まれたものであるとまで主張する研究者もいる。 ヘンリー8世は世継ぎである男児を望んでいたものの、アンは男児を産むことが出来なかった。 そのため、アンはヘンリー8世の寵愛を受けることが出来なくなったとされる。 彼女は処刑される前に、夫ヘンリー8世を「紳士的で至高の君主」だと讃えていた。しかし、残念ながらそれは事実ではなかったようだ。 Credit:wikipedia(画像)ヘンリ

  • 【世界最古のポルノ?】石器時代に作られたヴィーナス小像とは

    いつの時代でも、女性の肢体というのはある種の普遍的な魅力があるようだ。 石器時代にヨーロッパを中心に発掘されたヴィーナス小像からもそれは窺える。 ヴィーナス小像とは、女性をかたどった彫像のことであり、その材質は石灰石、セラミック、マンモスの牙等様々である。 それらの多くは豊満でふくよかな体型が特徴的で、豊穣や多産の象徴だったのではないかと考えられる。 その用途については、宗教儀式や祭祀で用いられる神具であった、性的興奮を起こさせることを目的とした性具であった等の説があるが、これらが作られた時代が先史であったため文字などの記録が残っておらず、どのような目的で使用されていたのか詳しいことは

  • オーストリア大公マリア=テレジアが取った感染症対策が、現代にも通用する画期的なものであった。その内容について

    ヨーロッパで猛威を振るった黒死病の流行は、オスマン帝国では19世紀まで続いていた。 オスマン帝国と国境を接していた当時のオーストリア大公マリア=テレジアにとっても、国境を越えて自国に疫病が入り込むのは悩みの種であった。 そこでマリア=テレジアが取った疫病対策は、現代にも通用する非常に効果的なものであった。 Credit:wikipedia まずマリア=テレジアは1770年、オーストリアとオスマン帝国の間に非常線を張り国境を封鎖した。 その非常線は1,600キロメートルに及び、境界線沿いに両国の兵士が配置されていた。人や物がその境界線を越える際は、疫病に感染していないか検疫

  • 世界が恐れた!?ネパールの山岳民族から構成されるグルカ兵とは

    グルカ兵とはネパールの山岳民族から構成される兵士の呼称である。 彼らは「臆病と言われるならば死を」を座右の銘にかかげ、その忠義と勇敢さに満ちた戦いぶりで名を上げた。 彼らのもう一つの特徴として、ククリと呼ばれるくの字型の伝統的な武器が挙げられる。 Credit:wikipedia(画像)グルカ兵 Credit:wikipedia(画像)ククリ グルカ兵の起源は1814年にイギリス東インド会社とネパール王国との間で勃発したグルカ戦争(別名:ゴルカ戦争、英・ネパール戦争)にさかのぼる。 グルカ兵は火力ではイギリスに圧倒されたものの、その勇猛な戦いぶりでイギリスに甚大な被

  • 【ヘタイラ】古代ギリシアで行われていた売春について【ポルナイ】

    人類最古の仕事は売春であるとよく言われるが、古代ギリシアでも売春は盛んであった。 当時のアテネでは地元民だけでなく外国の旅人や商人をも相手にした売春宿が営まれていた。 余談ではあるが「ポルノ(porn)」という単語は、ギリシャ語で売春、もしくは売春婦を意味する単語「ポルナイ(pornai)」が語源であるという説もある。 Credit:wikipedia(画像)娼婦とその客 当時のギリシアにはポルナイ、ヘタイラという二種類の売春形態があったと考えられている。 ポルナイは売春宿や街路で大衆の客を相手にする娼婦であり、時には「ついてきて」と言うメッセージが書かれたサンダルを履いて客

  • クリミア半島で開頭手術を受けたスキタイ時代の男性の遺骨が発掘される

    クリミア半島で約5000年前、スキタイ時代のものとみられる男性の遺骨が発掘された。 その男性の年齢は20代と見積もられており、なんと頭部には石刃で開頭手術が行われた形跡があるという。 Credit:Darya Veselkova Credit:Darya Veselkova 手術によって頭蓋骨に140×125mmの大きさの穴が開けられているが、その穴に自然治癒した形跡が無いことから、残念ながらその手術は失敗に終わり、その男性は術後すぐに死亡したと見られる。 遺体は右向きで、両膝を曲げられた状態で墳丘に埋葬されており、そこからは2つ石製の矢尻も発見された。 Cre

  • 黒死病が流行した時代に現れたペスト医師について。その異様なマスクの理由は?

    14世紀にヨーロッパを襲った黒死病と呼ばれる疫病によって、一説によればヨーロッパの3分の1の人口が死亡したとされている。 黒死病の正体はペストであると考えられ、ヨーロッパでは17世紀までペストの流行が断続的に続いていた。 Credit:wikipedia(画像)黒死病患者 そのため、ペストが流行した都市では、ペスト患者を専門とした医師が雇われていた。彼らはペスト医師と呼ばれ、多くは経験の少ない若手の医者か、あるいは、まったく医療経験の無い者達であった。 彼らは、貧富の隔てなく平等に患者を治療したが、一部のペスト医師は特別な治療を施す見返りとして、追加の報酬を要求していたとい

  • ペルシア帝国の都市ダスキュレイオンの遺跡からディオニューソスと思われるマスクが出土される

    かつてのペルシア帝国に存在した小アジアの都市ダスキュレイオンの遺跡から、興味深いマスクが出土された。 このマスクは、約2300年前に作られたものとみられる。 Credit:Pen News Credit:Pen News この発掘作業を監督していた研究者によれば、このマスクはディオニューソス(ディオニュソス、デオニュソスとも表記)を模ったものである可能性があるということだ。 ディオニューソスは、別名としてバッコスとも呼ばれ、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神である。 Credit:Pen News(画像)豊穣とブドウ酒と酩酊の神ディオニューソス そ

  • 現在も発掘調査が行われている、新約聖書に登場する町ベツサイダの遺跡について

    イスラエル北部のガリラヤ湖から北に1.5kmほど離れた場所に位置するエッ・テルに、新約聖書に登場する町ベツサイダとみられる遺跡が存在する。 ベツサイダはイエス・キリストの弟子アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷であり、この町でキリストは、盲人の目を治す、五つのパンと二匹の魚を増やし五千人の人々に食べさせる(五千人の給食)、という二つの奇跡を行った。 しかし一方で、多くの奇跡と宣教を受けたにも関わらず、町の住民が不信仰であったため、イエスから叱責を受け呪われたという。 Credit:Pen News Credit:Pen News ベツサイダは、「漁師の家」と言う意味であり、

  • 海底から17世紀のトルステンソン戦争にて撃沈されたデンマークの軍艦が発見される

    デンマークのロラン島から約150メートル離れたところにある海底から、17世紀に撃沈された一隻の軍艦が発見された。 その軍艦は、デルメンホルストというデンマークの軍艦で、トルステンソン戦争にて撃沈されたものである。 トルステンソン戦争とは、三十年戦争の終盤、1643年から1645年にかけて勃発したスウェーデンとデンマークとの戦争で、この戦いに勝利したスウェーデンがバルト海の覇権を握る結果となった。 今回発見された軍艦デルメンホルストは、1644年のフェーマルン島の戦いにて、スウェーデン軍による火船の体当たりによって撃沈させられたものだ。 Credit:wikipedia(

  • エジプトのミイラの生前の姿が、CTスキャンと最新の3D技術によって復元される。ミイラ肖像画との比較も

    この度ドイツとオーストリアの研究者たちが、エジプトのとある少年のミイラの生前の姿を、CTスキャンとCGの技術で復元することに成功した。 その少年のミイラは今から約2000年前に埋葬されたもので、1880年、カイロ南部に位置するハワラピラミッドの近くで発掘された。 生前の身長は約78センチ、年齢は4歳程度だとみられている。 そしてそのミイラの棺桶には、生前の容姿を描いた肖像画が張られていた。 Credit:ancient-origins.net(画像)少年のミイラの棺桶と肖像画 今から約2000年前の当時、エジプトでは画家がミイラの肖像画を描き、それを棺桶に張り付けるという習慣

  • 世界史上、最も凄惨な戦い!?モンゴル帝国のホラズム・シャー朝征服とは

    世界史の中で起こった血生臭い出来事と言えば、モンゴル帝国のホラズム・シャー朝征服を思い浮かべる人は多いだろう。 1219年から1221年にかけてチンギス・カン率いるモンゴル帝国が行ったこの征服行為によって、一説によれば当初ホラズム・シャー朝にいた200万人の人口が、20万人にまで減ったという。 しかも、この悲劇はホラズム・シャー朝の対応次第で回避できた可能性もあるのだ。 Credit:wikipedia(画像)ホラズム・シャー朝 モンゴル帝国がホラズム・シャー朝を征服するに至った経緯は以下の通りである。 西遼(カラ=キタイ)を征服したモンゴル帝国は、ホラズム・シャー朝と国

  • かつてユリウス・カエサルは海賊に誘拐されたことがあった。その時カエサルが取った驚きの行動とは。

    ※この記事はyoutubeにもアップされています。動画でご覧になりたい方は下記リンクからどうぞ。 https://youtu.be/4__RQVrKifs 紀元前1世紀の地中海、とりわけアナトリア半島周辺では海賊行為が横行しており、多くのローマ人がその被害にあっていた。そんな中、紀元前75年、エーゲ海に位置するキリキア地方の海賊が、とある25歳のローマ人を人質にとった。その男は修辞学を学ぶためにロドス島へ向かっており、その名をユリウス・カエサルと言った。 Credit:wikipedia(画像)カエサル立像 海賊が身代金として20タレントを要求すると、カエサルはその要求

  • 【閲覧注意】イギリスに骸骨が散乱する「死者の島」があった。それらは監獄船の囚人だった?

    そこかしこに朽ちた屍や棺桶の残骸が散乱している、まるでホラー映画のような島がイギリスに存在する。 ケント州の北部に位置するその沼地の島は、その異様な光景から「死者の島」と呼ばれている。 なぜこの島がこのような状態になったのか?それは今から約200年以上前にさかのぼる。 かつてイギリスには「監獄船」と言うものがあった。もともと監獄船はイギリスの植民地であるアメリカに囚人を送るために使われていた。しかし、アメリカが独立したことによって流刑地を失ったイギリスは、囚人達を船の中に収監したまま港に係留させ続け、まさに海に浮かぶ監獄としてその船を使用したのである。 その後オーストラ

  • 【チャールズ1世】かつてイギリスに公開処刑された王がいた。そしてその後意外な形で果たされたその復讐とは?

    かつてイギリスに、大衆の面前で処刑された王がいた。イングランド王チャールズ1世(1600年 - 1649年)である。 王が公開処刑、というだけでもとんでもない話だが、実はこの事件はその後、さらにすさまじい方法で復讐が果たされる。 一体何があったのか?それは17世紀、ステュアート朝の時代に起きた出来事であった。 Credit:wikipedia(画像)チャールズ1世 絶対王政を敷いたイングランド王チャールズ1世は、清教徒(ピューリタン)の弾圧や、議会を無視した政治を行ったため、国民や議会の反発を招いていた。 チャールズ1世の専横に耐えかねた議会は、王に対して「権利の請願」を提出

  • 【魔女狩り】ノース・バーウィックの魔女裁判

    ノース・バーウィックの魔女裁判は1590年から2年に渡って開かれた魔女裁判である。 これはスコットランドで行われた最初の大規模な魔女狩りであった。 Credit:wikipedia(画像)ジェームズ6世 事の発端は1589年、スコットランド王ジェームズ6世(後のイングランド王ジェームズ1世)が、花嫁のアン・オブ・デンマークを迎えに行くために、スコットランドからデンマークのコペンハーゲンに向けて出航したことであった。 その帰りの航海の中で、船が嵐にあって沈没寸前の被害にあうという事態が発生する。 船員は、この嵐は魔女のしわざに違いないと考えた。1590年7月、デンマークで魔女裁

  • 【閲覧注意】「叫ぶミイラ」の謎。苦痛に喘ぎながら息絶えたかのような表情を浮かべるその真相は?

    ※この記事にはミイラの画像が含まれるため苦手な方は閲覧に注意して下さい。 エジプトで発掘されたミイラの中には、まるで叫んでいるかのように口を大きく開けているものが存在する。 その表情はまるで喘ぎ苦しみながら息絶えたかのようだが、なぜそのような表情をしているのか?その理由については、確定的な事はわかっておらず、現在も研究が進められている。 主な仮説としては、 ・口を開けた状態で息絶え、そのまま死後硬直した ・埋葬される際に包帯で顎をしっかりと固定されていなかっため、長い年月が経つうちに自然と開いてしまった と言った理由が考えられている。 Credit:wikipedia

  • 切り株にイエス・キリストの模様が現れる。これは果たして天啓か、それとも・・・?

    キリスト教には終末論と言う考え方が存在する。世界に終わりが訪れた時、イエス・キリストが再び地上に降臨するというものである。 そのような考え方が根底にあるためか、敬虔なキリスト教徒の中には、壁の染みやパンの焦げ目など日常の些細な物にもキリストの姿を見出し「我が主が再臨された」と感嘆することがある。 先日、ブラジルでとある労働者が道路の舗装作業をしていた時も、同様の出来事が起こった。 その男が道に生えている木を伐採している時、その幹の断面になにか模様のようなものがあることに気づいた。最初、その模様は蝶々のように見えたと言う。 Credit:CEN(画像)最初は蝶々に見えたというその

  • 【乱交】【獣姦】「カジュラーホーの建造物群」のラクシュマナ寺院に残る過激すぎる彫刻達

    エロスを探求した古代インドの経典「カーマ・スートラ」には88手の体位や変態性欲等、性愛に関するあらゆる事柄が記されていることで有名だが、インド北部にあるラクシュマナ寺院には、まさにその「カーマ・スートラ」を具現化したような世界が存在する。 ラクシュマナ寺院は、インドの小都市カジュラーホー(カジュラホとも表記)に位置する寺院である。10世紀前半、チャンデーラ朝のヤショーヴァルマン王によってヴィシュヌ神に捧げる宮殿として建設された。 当時カジュラーホーには、他にもヒンドゥー教の寺院や、ジャイナ教の寺院が建立されており、その数は80以上にも及んだとされるが、今日ではそれらの多くは破壊

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