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雨上がりの空に―わたしの不登校経験談― https://duffyuki224.hatenadiary.com/

京都で不登校を研究する大学院生をしています。自身の不登校経験談を、ゆるっとマイペースに綴ります。

よしだ
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2020/10/23

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  • やっと、雨が上がった。

    4月1日。 大学の入学式です。 スーツを着た自分の姿を鏡で見ながら思いました。 「本来なら、わたしがこの格好で行くべきなのは大学の入学式ではなく、どこかの企業の入社式だっただろうなあ、、、」と。 朝、何気なく見ていた新聞の新任教諭の欄に小学校の同級生の名前が載っているのを見つけました。 そうです、同級生のほとんどは今日から社会人なわけです。 でもわたしは、まだ大学生をやっています。しかも、2年遅れです。 なんでわたしはまだこんなところにいるのだろう、という思いが全くないわけではなかったですし、周りが気にならないわけでもありませんでした。 でも、今のわたしは昔とはちがうんだと、それだけは胸を張…

  • 人生、なるようになる。

    試験の面接のとき、わたしは面接官の先生にこう言いました。 「約2年半の通信での生活は本当に楽しかったです。だから、ずっと目標にしていたこととはいえ、この場所を離れたくないという思いは、、、今も消えたわけではありません。」 この言葉を聞いて不合格にするなら、どうぞそうしてくださいと思いました。それでもし不合格だったとしても、わたしは何の後悔もなく前に進めます。これがわたしの“正直な気持ち”だからです。 それでもわたしは受かったわけです。 だったらもう、行くしかありません。 何が決め手で合格になったかはわかりませんが、面接であんなことを言ったにも関わらず受かったということは、きっとその方がわたしの…

  • 新しい世界へ羽ばたく勇気。

    転籍の書類の締め切り前日、転籍のことではじめて泣いてしまいました。 そんなわたしを見かねた母は言いました。 「そんなにいやなら、転籍するのやめたら?」 でも、いざそう言われると「じゃあやめるわ」とはとても言えないんですよねえ~(笑) 通信の学生の友だちはみんな「いつでも戻って来ていいんやで😊」と言ってくれいましたし(それは冗談でしょうけど笑)、わたしもできることならそうしたいと思いました。 けれど、わたしはきっと、、、いつまでも、この場所に甘えてちゃいけないんだろうな、とも思いました。 通信課程での2年半の学生生活は、そして『書記』としての1年弱の役員生活は本当に本当に楽しいものでした。もちろ…

  • まさかの、、、。

    試験から10日後の朝、大学のHP。 【合格です。おめでとうございます。】 、、、受かりました(笑) 試験の出来は、正直とても悪かった。と、自分では思っています。英語も小論文もそこまで自信があったわけじゃなかったですし、何より、一番自信があった面接でつまずいたのが致命的でした(笑)予想外の質問が思った以上に多く、うまく受け答えができなかったんですよね。今までいくつも面接をこなしてきましたが、こんなに後味の悪い面接は初めて、、、というくらい、本当に最悪の出来でした。 面接を終えて帰る時、「ああこれ、絶対に落ちたな」と思いました(笑)あれだけ転籍をいやがっていたというのに、いざ落ちたかもしれないと思…

  • 試験までの1か月。

    結局、願書締め切り当日まで悩んでいたのですが、当時一番仲良しだった主婦の学生さんに「とりあえず出すだけ出してみたら?出してもまだ考える時間はあるし、出さなかったら後悔するんじゃない?」と言われ、一応願書は出しました。とりあえず試験まではまだ時間はあるし、そもそも試験に受かるかどうすらわからないし~と(笑)どの試験もそうですが、願書を出したらはい合格!ってわけでもないですからね(笑)*1 願書を出した直後は「とりあえず試験頑張るか」と思っていろいろ準備を進めていた*2のですが、なんだか急に寂しくなってきました。支部通信も、「編集するのはこれで最後かもしれない~」と思うとそれだけで涙がボロボロ出ま…

  • 転籍したくない、、、!

    1月。大学の審査に通り、転籍試験の願書が送られてきました。来月の試験を受けるには、これを1週間以内に提出しなければいけませんでした。 大学の審査がどんなものだったのかは未だにわからないのですが、審査に通ったことは正直全然うれしくなかったです(笑)これで審査に落ちてれば、何のためらいもなく来年度も今の場所にいることができたのに、、、という。また色々と悩まないといけません(笑) 転籍願を出してからのこの1か月、特に何かがあったわけではなかったのですが、何気ない役員間でのラインのやりとりが楽しかったり、何気ない飲み会が楽しかったり、支部通信の編集が楽しかったり、、、「やっぱりこれからもこの場所で過ご…

  • 泣きまくる1週間。

    もし役員になっていなければ、おそらく多少の迷いはあったとしても今頃転籍のための準備を進めていたと思います。転籍することで何が一番いやだったのかというと、それは間違いなく「役員の仕事ができなくなること」でした。 レポートや試験勉強、バイトをこなしながら毎月支部通信の編集をおこなうのはすごく大変でしたが、それ以上にとても楽しかったです。憧れていた役員さんたちと憧れていた仕事ができるなんて、こんなにも幸せなことはないと思っていました。いくら転籍を目標にしていたとはいえ、せっかく見つけた居場所を手放すなんて、、、できることならしたくないわけです。わたしが一番悩んでいたのはそこでした。 転籍願提出締め切…

  • 不登校を、乗り越える。?

    わたしが通学課程への転籍をずっと目標にしていたのは、それがいわゆる「普通」とされる道だと思っていたから、そして、もう一度ちゃんと学校生活ができるようになって初めて「不登校を乗り越えた」と言うことができると思っていたからです。 けれど、この2年間で色んな人と出会って色んなことを経験して、通学制と通信制は学び方が違うだけで何ら変わりはないことや、色々な道があっていいんだということを知りました。 それに、不登校のことも、、、教育を一から勉強して、何を持ってして「不登校を乗り越える」と言えるか、そもそも不登校って「乗り越える」ものなのか、、、わからなくなってきたのも事実でした。 不登校経験者でその後一…

  • 転籍のこと。

    とにかく通信生としての学生生活や役員の仕事が楽しくて、転籍のことは本当に悩んでいました。それでも「やらずに後悔はしたくない」と思っていたので一応準備は進めていて、出願にあたって必要な単位をすべて漏れなく取得し、転籍願も取り寄せてはいました。この転籍願を12月中旬までに提出し、大学側の審査に通れば1月中旬に願書を提出、そして2月中旬に試験があり、下旬に合格発表、という流れでした。 夏休み前に、一度大学の事務局に通学課程への転籍について聞きに行ったことがあったのですが、そのとき事務局の人にこう言われました。 「今までの自宅学習と違い、毎日大学へ足を運ぶことになるということをよく考えた上で検討してく…

  • 不登校の理由。

    新聞も支部通信もそうですが、こうして色んな人にわたしの思いや考えを伝える機会を得ることができたのは、本当にうれしいことでした。 ただ、新聞にわたしのコラムの掲載が決まったとき、わたしにはひとつモヤっとすることがありました。 掲載にあたって新聞社の人と何度か電話でやりとりをしたのですが、一度こんなことを聞かれたことがあります。 「不登校になったのって、いじめが原因ですか?」 このようにわたしの不登校の話を聞いたらすぐに「いじめられていたの?」と聞いてくる人はわりといます。 わたしはそのたびに「はあ?」と思います(笑) もちろんいじめが原因で学校に行けなくなる子どももたくさんいます。 でも、なんで…

  • 最後の診察。

    秋。 病院の都合により、K先生の契約が切られることになったため(笑)約5年半!続いた診察に終わりを告げる日がきました。 最後の診察は、ぶっちゃけかなりモヤモヤが残るものだったのですが(笑)それはまた、機会があればべつのときにしゃべります。 「もう大丈夫。ふつうの大学生じゃん。もしまた過呼吸みたいになっても、べつに死にゃしないんだから。ずっと続くわけじゃないし、いつか終わるんだから。ゆとりを持ってれば大丈夫だよ。」 K先生は最後に、そう言ってくれました。 K先生と初めて出会ったのは、わたしが高校2年生のときです。何の楽しみも生きる希望もなく、毎日部屋の隅っこで三角座りして、ガラケーをいじるか、泣…

  • 不登校になったからこそ、、、。

    「不登校にさえなっていなければ、、、。」 そんな思いが全くなくなったわけではありませんでしたが、この頃は「不登校になったからこそ今の自分がある」と心から思えるようになっていました。 ◆◆◆◆ 私は中学二年の時に不登校になり、高校でも不登校を経験した。家族や周りの友達になかなか理解してもらえず、自信を失い、つらく苦しい思いもたくさんした。一方で、同じ境遇の仲間や大学の友だち、信頼できる大人の方にたくさん出会い、広い視野で物事を考えることや、色々な道があっていいことを知った。不登校になったからこそ出会えた人、得たものも多くある。 そして今、学生生活やアルバイトに励み、自分が輝ける居場所を見つけた。…

  • 羨ましい気持ち。

    アルバイトに行くとき、夕方からのシフトだと、ちょうどわたしが通っていた小学校の子どもたちが学校を終えて帰宅する時間とかち合い、大量の小学生とすれ違うことも少なくありませんでした。おしゃべりしながら歩いたり、歌いながら楽しそうに歩いたり、、、まだなんの穢れも知らない純粋な子たちばかりで、本当にキラキラしていました。 今のうちに色々経験して、強くなっておくんだよ。 しょうもない大人に自分の才能を汚されないように、邪魔されないように、、、。 まっすぐに、自分に正直に生きるんだよ。 かわいいちびっこたちを見ながら、いつもそんなことを考えていました(笑) 学生アルバイトの半分以上が高校生の子だったので、…

  • アルバイトのこと。

    この頃には、バイトにはわりと楽しく行けてました。役員活動を始めたことも影響していたと思いますが、後輩が増えて先輩として必然的にしっかりしなければいけなくなったこともあり(笑)前よりも自信を持って仕事ができるようになりました。 新しい子たちも含め、働いている人みんな良い人たちばかりでしたし(店長さん以外)、常連のお客さんの顔を覚えたり、覚えられたりしたことで仕事を「楽しい!」と思うことも格段に増えました。色んなことを乗り越えて、わたしは心からバイトを楽しむことができるようになりました。 仕事内容としては、棚に並んでいるパンを袋に入れたり、レジ打ちをしたり、食パンをスライスしたり、洗い物をしたり、…

  • 誇り。

    「通信に行ったのは“前進”じゃない、“逃げ”や。逃げるのも必要なことやけど、これは“逃げ”。それは、忘れたらあかん。」 短大を辞めて通信に行ったとき、そう言った人がいました。つい数か月前に「大学の役員になった」と報告したときも、その人は「それを理由に転籍を迷ってるなら、それは逃げや」というようなことを言いました。 たしかにわたしがこの大学に来たのは、間違いなく「逃げ」でした。それは当時のわたしも理解していたし、だからこそ少し後ろめたい気持ちもありました。 でも、例え逃げから始まったものだったとしても、こうしてわたしは、自分の居場所を見つけることができました。だから今となっては、「あの時逃げて良…

  • 最高の居場所。

    わたしが初めて編集に携わった支部通信を見たK先生は、こう言いました。 「ついにあなたもこういうことするようになったか、、、。」 、、、ですよねえ(笑) 「社会不適合の人って、自分で居場所を見つけられないの。だから自分たちは患者に色々な場所を勧めるわけだけど、本当はそういう場所は自分で見つけないといけない。でも、あなたは思いもしないとこでこうして自分で居場所見つけてきたんだから、あっぱれだよ。」 わたしが短大を辞めて今の大学に入学した時、K先生はそれをとても否定的に捉えていました。 「通信か、、、。あーあ、社会とのつながりが今以上になくなって、やりたいことも明確に定まらないまま同じこと繰り返さな…

  • 良い変化。

    役員になった次の日から、支部通信の原稿チェックやら、懇親会の準備やらに追われる日々が始まりました。やらなければいけないことが多く、想像していた何倍も大変でした。 けれど、その分余計なことを考える暇がなくなって(笑)バイトにはそれまで以上にすんなり行けるようになり、去年は這うようにして行ったスクーリングも比較的スムーズに行くことができました。体調不良に悩まされることもほぼなくなって、毎日がとても充実していました。役員抜擢は、わたしに確実に良い変化をもたらしてくれていました。 役員になったことで、学習会の常連学生さんたちともより仲良くなれましたし、飲み会やら、何かしらの集まりに誘われることも増えま…

  • 役員抜擢。

    大学は自宅学習がメインなので、必要な情報は全て月に一度発行される広報物で知ることになってました。 家に届く広報物は、大学が発行しているものと自分の住んでいる地域の支部*1が発行しているものの2種類あって、大学が発行しているものは学校便りみたいなもの、そして、それぞれの支部が発行している「支部通信」というものは、いわば学級通信みたいなものでした。 支部にはそれぞれ役員の人*2が数名いて、その人たちがこの支部通信の編集をしていました。わたしがいつも参加している学習会も、支部の役員さんが中心となって運営しているものでした。 学習会に参加する度に、役員さんの仲が良い姿とかテキパキ仕事していらっしゃる姿…

  • 「ふつう」になりたい。

    そんなある日、前回記事にしたIちゃんから久しぶりに連絡があり、小学校の同級生4人で飲み会をやることになりました。 正直、すごく楽しかったです。こういう集まりに呼んでもらえることすらあまりなかったので*1本当にうれしかったですし、「あ、わたしいまめっちゃ楽しいわ」とか思ってましたね(笑) でもその分、悲しさもありました。コミュニティの広さ、コミュニケーション能力の高さ、行動力、精神力、体力などなど。全てにおいて、同級生とわたしの間でものすごく大きな壁を感じたからです。 通信の大学に来てからちょっとずつ「ふつう」に近づいているなという実感はありました。でもこうして改めて現実を見ると、やっぱりわたし…

  • 目から鱗。

    あるとき、ふと思い立って、不登校経験者の人のブログをいくつか読み漁りました*1。 みんないろいろと苦労したようでしたが、それぞれしっかりとした夢を持って、努力して、前向きに行動を起こしている人ばかりでした。そして何より、みんなとても楽しそうでした。 「わたしと全然ちがう、、、」 そう思いました。 今まで不登校をコンプレックスにして、それを理由に縮こまって狭い世界の中で生きていた自分がバカらしく思えました。不登校でも、ここまで変われるのかと思いました。いろんな人のブログを読んで、「不登校なんて、本当は大したことないのかもしれないな」と思いました。ほんとうに、目から鱗がボロボロ落ちましたね(笑) …

  • 身の丈に合った選択。

    学習会は毎回色んな人と仲良くなって、色んな話ができてすごく楽しかったです。もうこの頃には通信にいることに対する後ろめたい気持ちもすっかり消えましたし、いろんな人と会うたびにたくさん刺激をもらえ、視野も広がりました。 学習会に参加したとき、「中学時代に不登校になり、その後数年間の引きこもりを経験した上でここに来た、、、」という学生さんの話を聞きました。 その人は「この大学を卒業するのに8年*1かかってもいいと思っている」みたいな話をしてくれました。わたしには「最短の4年で卒業する」という選択肢以外頭になかったので、正直とても驚きましたね。でもたぶんそれは、不登校や引きこもりを経験してブランクがあ…

  • 少しずつ。

    それから少しずつ、いろんなことを動かし始めました。 まず、大学の学習会に毎回参加するようになりました。 参加者のほとんどがわたしよりも年上、、、という、ちょっとアウェーな状況でしたが、もともとわたしは同年代の人よりも年上の人の方が話が合うタイプの人間だったので、むしろ居心地が良かったです。それに、本当にいろんな職種・年代の人が来ていたので、正直年齢差に関してはあんまり気になりませんでした。 というか、わたしのような20そこそこの子が学習会に毎回来るのはとても珍しいことだったらしく、けっこういろんな人に可愛がってもらえたので(笑)それはある意味、通信生だったからこそ得られた特権だったかもしれない…

  • 見つける、変える。

    結局、何も解決していないのだな~と思いました。 家族の確執も、大人への恨みも、体調のことも、周りのことも、心のモヤモヤも、、。解決したように見えて、本当は、何も解決していないんじゃないか、と。 なんて悲しくて惨めな人生なんだろう~と思いました。まさか20歳になるまでこんなに辛い思いをしているとは、不登校になった頃は思ってもみませんでした。 最近は「不登校は不幸じゃない!」なんていう活動をしている元不登校の人もいますし、それに賛同している人も多数います。が、正直わたしはそう思ったことは一度もないです。 不登校は不幸です。その苦しみは、不登校から脱したあとも多かれ少なかれ続いていきますし、「不登校…

  • 友達。

    体調不良を機にけっこう久しぶりに いろんなことを考えてしまい、かなり情緒不安定でした。 と同時に、この時期何度か家族と揉めたり、数少ない知り合い*1といざこざがあったりしていたので、余計にメンタルが病んで「うわああああああああ」となってしまっていました。 こうして辛いことがあったとき、わたしには、話をできる人がいません。何かあったら心配したり、心配してくれたり、それこそ失恋したときに励ましてくれるような、、、そうい「心から信頼できる人」みたいな存在の人が一人もいませんでした。 不登校になる前から 人付き合いはあまり得意ではなくて、友達と遊ぶのもあまり好きではありませんでした。 特に大人数で遊ぶ…

  • 20歳のわたしによる自身の不登校経験の解釈。

    わたしは、自分が不登校になったのは「当時私に関わっていた全ての大人に責任がある」と思いました。もちろん、それからズルズル引きずっているのには自分にも責任があるとは思いますが、「始まりは、あのとき周囲にいたすべての大人」という考えは、誰に何と言われてもこの先ずっと変わることはないと思います。中1や中2の頃に書いた日記を見返すと、我ながら怖くなります。「この人よくリストカットとか自殺未遂せずに生きていたなあ」みたいに思いますし、正直な話、不登校になって当然だとも思います。 現実逃避。責任転嫁。 そう思う人もいるでしょうし、実際そういう言葉を口にする大人もたくさんいます。 でもこれは、わたしが長年自…

  • コンプレックス。

    スクーリング以降、体調は悪くなる一方で、短大にいるときみたいな感じでした。バイトにも思うように行けなくなり、、完全に闇の中でした。バイトがしんどくなったのは、単なる“体調不良”だけが原因でなく、一番の原因は実は「店長さんと揉めてひと悶着あったから*1」という理由だったりします(笑)なので、それ以降バイトに行く日は毎回微熱を出し、ご飯が食べられなくなって過呼吸を引き起こすようになりました。バイト先は家から自転車で10分ほどの距離だったのですが、自分で自転車に乗って行くことさえできなくなり、母に車で送り迎えをしてもらう日が続きました。そんな状況でよく行ってたなぁ、、、当時のわたし。 本当に体調が悪…

  • 閉ざされた道。

    それからはときどき学校の図書館に行って勉強したり、レポートを書いたりしつつ、来年の通学課程への転籍へ向けての準備を進めていました。パン屋さんのバイトも週2で行き、わりといろんなことをせっせと頑張っていたと思います。 単位の取得方法として、レポート+試験のほかに、実際に大学に行って授業を受けるスクーリングもありました。うちの大学はだいたい1科目につき2日間のスクーリングがあったのですが、1日目は昼から夕方まで3コマ、2日目は朝から夕方まで6コマという、なかなかハードなスケジュールのものでした。とにかく行くのがいやすぎて(笑)初めてスクーリングに行く日は朝からずっと泣いていました。でもその授業は通…

  • 学習会。

    大学の勉強はすこぶる順調でした。レポートは死ぬほど難しかったですし、試験も毎月あって大変な部分もありましたが、文章はある程度書き慣れていましたし、自分が興味のあることゆえに勉強するのがとても楽しくて、うまれて初めて勉強を「楽しい」と思うことができました。「わたしが求めていた『勉強』はこれだ!!!!」という感じでした。 入学して数か月が経った頃、大学に「学習会」というものがあることを知りました。学習会は、「普段あまり交流する機会がない通信の学生が集まって、履修の相談をしたり、雑談をしたりして交流を深めましょう~」という会で、だいたい月1でおこなわれていました。「行ってみたい、、、!」と思う反面、…

  • 新しい生活。

    短大をやめてから、びっくりするくらい体調が良くなりました(笑)受験生時代からずーっと悩まされていた耳痛も完全になくなりましたし、過呼吸になることもほとんどなくなりました。「身体ってすごいな、、、」と思いました。 ひとまず何かバイトを始めてみようと思い、いろいろ調べてみたのですが、・家から近い ・あまり賑やかな雰囲気じゃない ・飲食(接客)以外 ・辞めても気まずくならない(辞めてから、そこへ行かなくても生活する上で困らない)、、、となると、本当にしっくりくるバイト先がありませんでした。(こだわりがつよすぎる笑) そんなとき、偶然母の友達が娘さんのバイト先を紹介してくれました。その人はパン屋さんで…

  • 大学生になる。

    10月から、某大学の通信教育課程の教育学部の学生になりました。学部選びにはかなりの迷いがあって、教育学部に行くか心理学部に行くかでけっこう長いこと悩みました。一口に“教育学部”と言っても、ほとんどの大学の教育学部が「教員育成のための学部!」という感じのカリキュラムで、純粋に教育のことをひたすらに勉強できそうな大学というのはほぼありませんでした*1。かといって、心理学部のメインはやはり「心の病気」なので、教育だけをしっかりやるには向いていません。 なかなかそれらしい学部、大学が見つからなかった中で、この頃の自分に一番しっくりきたのが、この大学の教育学部でした。しかも後期入学があったので前期で短大…

  • 社会と接するということ。

    9月末で短大を退学しました。短大の先生たちは本当に優しくて、わたしが行けなくなってからも親身に話を聞いてくれていました。退学を決めたときもすごく応援してくれたので、本当に申し訳なかったですが、嬉しかったですね。 まさか自分でも、こんなに展開が早くなるとは思っていませんでした。去年1年間ずっと悩んでこの短大を選んだわけですが、ある意味「賭け」でした。このままでは何も変わらないけど、環境が変われば、何かが変わるかもしれない。「絶対大丈夫」なんて確信はどこにもなくて、むしろ不安しかなかったですが、0.1%でも変われる可能性があるのなら、、、と、勇気を出して一歩を踏み出しました。結果、何も変わりません…

  • 転機。

    そんなとき、テレビでフリースクールの特集をやっているのを偶然見つけました。そういう特集って、やっぱり意識せずとも自然と見入ってしまうんですよね。 自分と同じように、学校のことで辛い思いをしている人はたくさんいる。わたしがその人たちのためにできることって、、、何があるのだろうか、、、。 テレビを観てそう思ったそのとき、わたしのなかの何かが動きました。「わたしが勉強したい、やりたいことってこれなんじゃないの!?」 不登校の人の力になりたい。自分の経験を活かしたい。教育について、もっと色々考えたい。 「やっぱり大学に行きたい。」そう思いました。 不登校の人の力になれるように、もっと教育についていろん…

  • 今後のこと。

    そんなこんなで1か月に一度は学校へ行って担任の先生と話をしていたのですが、授業に出ることはできませんでした。結局、前期の授業には一度しか出ていなかったので、単位なんてのはひとつもありゃしません(笑)じゃあ後期からどうするか?という話になるのですが、「前期は全く行けなかったのに、後期から行けるようになる」なんて、そんな都合のいい話があるとは到底思えませんでした。最初は後期から休学することも視野に入れていて、休学している間に次の道を決めることができれば、、、とも思っていました。だから一度は休学の書類をもらって帰ってきたけど、休学して来年の4月から行けるようになるとも思えなかったですし、そこまでして…

  • 社会を変えたい。

    これは不登校ブログとはべつのブログ*1にも書いた話なのですが、わたしは小さなころから学校教育に疑問を持ち、今の日本の教育や社会の在り方に異議を唱えていたため、「今の世の中を変えたい」という思いをものすごく強く持っている子どもでした。けれど、そういう話をするとみんな必ず鼻で笑いました。 「世の中はあなた中心に回ってるんじゃないんだから。気持ちはわからなくはないけど、それでもこうしてちゃんと世の中は回ってるんだからしょうがない。社会なんて、そう簡単には変えられないよ。」 K先生はそう言っていました。それは充分わかっていることでしたが、それでもわたしは本気で、大人になったら今の日本の教育を変えたいと…

  • 社会意識。

    新しい学校生活が始まったことで、周りから学校の話を振られることも多くなりました。今に始まったことじゃないですが、わたしは学校の話をされるのが死ぬほどいやでした(笑) 「学校楽しい?」と聞かれたら、例え楽しくなくても「楽しい」と言わなきゃいけないし、「今が一番楽しい時期ね~!」なんて言われて、「そうですね」と愛想笑いをする。「楽しくなんかないです。今の学校教育はおかしいですよ。文科省めっちゃムカつきますよね!」なんて、口が裂けても言えませんからね(笑) ただ楽しくないだけならまだ良いです。でも、わたしの場合は「ふつう」とはちょっとちがいます。だからそれを一から説明するのも面倒でしたし、結局嘘をつ…

  • 変わりたい、けど、変われない。

    「みんなと同じように学校へ行って、楽しい毎日を過ごしたい」という思いが全くないわけではありませんでした。でも、そうやって「大勢の中の一人」に溶け込むことで、個性を失うのはもっといやだと思いました(笑) 「ふつう」を全く求めていないわけではなかったですし、「ふつう」を求めていたからこそ無理をしていたところもあったわけです。が、とにかく完全なる「ふつう」色に染まってしまうのがいやだったんですよね(笑)何が何でも自分のポリシーやプライドを絶対に曲げたくありませんでした。でも、もしそういう考えが自分を苦しめているとしたら、勇気を出してそれらを変えていかなくてはいけないのかもしれないなあ、、、ということ…

  • 引きこもり。

    「まずは毎日電車に乗る、毎日早起きするというところから始めないと無理なんじゃないか」と思い、とりあえず実践してみました。が、電車に乗った途端に強い吐き気に襲われて過呼吸を起こしかけた*1ため、そこから学校はおろか、電車に乗ることさえも怖くなりました。外を出歩けば吐き気や過呼吸、貧血が起きるようになって、ほとんど外に出られなくなりました。 しんどくなったらどうしよう。 もし胃が痛くなったら、吐いたら、過呼吸になったらどうしよう、、、。 いつの日からか、外出する度にそんな心配ばかりするようになりました。実際そういうことは一度もなかったのですが、ここ何年かはずっとそんな不安がありました*2。 特に長…

  • 5年のブランク。

    K先生は「しんどくなるのは甘え、病気じゃないんだから。何がそんなに嫌なの?みんな当たり前にやってんだから」と、学校に提出する診断書を書くことを拒否するくらいには、学校に行けないわたしのことを怒って?いました。ひどい人です(笑) K先生はわたしが短大へ行くことに決まってからずっと、「もう大学行くようになったら元気になって、診察にも来ないんじゃないの~」なんて言ってましたが、わたしはそのたびに腹が立っていました。何がやねん、と思いました(笑)短大に合格したくらいで元気になると本気で思ってるのか。もしそう思うなら、あんたは今までわたしの何を見てきたんや!と(笑) 「あなたのことは決してきらいじゃない…

  • 何度目の不登校か?

    (今日のタイトルは乃木坂46の「何度目の青空か?」をパクりました笑) 入学式の次の日から、学校に行くことができなくなりました。「このままじゃだめだ」と思って、次の週に一度だけ学校へ行って授業を受けましたが、それ以来全く行かなくなりました。何をしても吐きそうで、朝になると涙が出てきました。それでも頑張って行く準備をしようとすると、過呼吸と震えが止まらなるのです。“大学”と言っても中高と何も変わらないこと、そしていくら大学でも“学校”である限り、わたしはちゃんと通うことができないことを改めて実感しました。この頃のわたしにとって学校はまだ、「わたしを不幸にする存在」でしかありませんでした。 授業に出…

  • 短大生。

    そんなわけで、わたしは4月から短大生になりました。女子大だったので、オリエンテーションのときから既にいくつかのグループができあがっていました。自分より1つ年下の子だと考えると自分から話しかける勇気はなかったですし、そもそもそういうのが何よりもきらいなので(笑)相変わらずその人たちを冷めた目で見ていたせいで、わたしは早速グループに入り損ねました。これだから女子っていやなんだよな~と思いました。なんで女子って、こうもすぐグループを作って群れたがるのでしょう。めんどくさ(笑)まあどうせ2年間耐えれば良いだけだし、中高と違って一人でも生きていけるだろうし、わたしはわたしのスタンスで生きていくから、、、…

  • 不安とプレッシャー。

    入学式が近づくにつれて、周りの大人は学校のことを口うるさく言ってくるようになりました。祖母は、「行けなくなったら責任取れへんから、今度はちゃんと行かなあかん。だから『行くのいや』って言ったらあかんで」と、顔を合わす度にそういうことを言ってきてましたし、祖母の家に居候している従妹も、度々そういう話をわたしに持ち掛けていました。 けど、わたしだってべつに、好んで学校へ行っていなかったわけじゃありません。「行きたい、行かなきゃいけない」という気持ちはあったのに、それに身体が追い付かなかったのですから、こういうモノの言い方は正直ものすごく不愉快で、プレッシャーにもなりました。 祖母も従妹も、わたしを思…

  • 父とのこと。②

    それでも父は次第に病んでいき、「何のために働いているのかわからない」と言い出すようになり、会社に降任届を出す、出さないの話まで飛び出しました。とことん面倒な人です。 そんな話をずっと母から聞かされ、あまりに母や祖母*1が「早く仲直りしてくれ」とうるさく言ってくるのもあって、わたしはこの年のお正月、約1年半ぶりに父と顔を合わせました。 直接話をすることはなかったものの、久しぶりに見た父は、何だかものすごく老け込んでいました。「それだけ顔を合わせていなかったんだな」と実感したのと同時に、「それだけ色々抱えているんだろうな」なんて、、、。わたしが被害者なのに、そんなことを思ってしまいました。そして、…

  • 父とのこと。①

    この頃、家のことで一つ進展がありました。高3の夏から全く顔を合わせず、口を聞いていなかった父と「形だけの和解」をしたのです。 わたしが父を無視をし始め、一緒にご飯を食べることを拒否してしばらくの間、父は母に「今の状況をどう解決すべきか」というような長文メールを送っていました。こういう理屈っぽいところというか、何でも理論的に解決しようとするところに非があるということに本人が気づかない限りは何をしても無駄だな、と思いましたね(笑) わたしは正直、もう一生このままでも良いと思っていました。だから極力父とは顔を合わせないよう細心の注意を払っていましたが、タイミング悪くリビングで偶然鉢合わせしたりするこ…

  • 受験を終えて。

    年末、わたしは某女子短大から内定を得ました。家から片道30分で行けるからそう遠くないですし、四大への編入枠もそれなりに充実していたので、「もうとにかく、勉強せず*1に学生を名乗れるところがあるんだったらそれで良い」と、半ば投げやりで願書を出したのです。 「おめでとう、決まって良かったね。」 「何もめでたくないから。おめでとうなんて言わないで、、、。」ほんとに、ずっとそう言ってましたね(笑) 中学・高校入試のときも、受かった学校は第一志望校じゃなかったので、そのときから「おめでとう」と言われるのはじつは死ぬほどいやだったのですが、このときが一番いやでした。短大なんて落ちることなんかまずないし、い…

  • 踊る人、踊らない人。

    K先生は一度、こんな話をしてくれたことがあります。 「自分もやりたいことだけやって、やりたくないことはやらない人だったから、あなたの気持ちはわかる。でも自分は、そこで一人だけ踊らないでいる勇気がなかった。小心者だから。批判とか、ハブられるのいやだったし、とりあえず周りが踊ってるんだから自分も踊ろう、みたいな部分はあったよね。」 K先生も学生時代、色々あったことは聞いていました。浪人したけど予備校に通うのがいやで、毎日予備校と反対方面の電車に乗って遊びに行っていたこと。 原付バイクに乗って一人山奥へ籠り、ずっと読書をしていたこと。 K先生も自分で言っていましたが、わたしと似ていてわりと“異端児”…

  • 受験は平等なチャンスなのか。

    「自分は今の入試制度が間違っているとは思ってない。受験っていうのは勉強ができるかどうかよりも、一つの目標に向かってどれだけ計画立てて実行できるかってのを見てるんだと思うんだよね。それは社会に出てからも必要な力だと思うし、それがないと何もできないから。それに誰だって勉強さえすれば入れるんだから、こんな平等なチャンス、社会に出たらもうないよ。」 K先生に、こんな話をされたことがあります。「受験は平等なチャンス」というのは、塾の先生方にも何人か言われましたね。 まあ、その意見もわからなくはないです。が、「この世に平等なんて存在しない」と考えるわたし*1は、この話に賛同することはできませんでした。むし…

  • プライドを捨てる決意。

    どうすれば平穏に過ごせるか、、、。たくさん悩んで、わたしは「優等生」としてのプライドを捨てることにしました。 とりあえず、今年中にどこでも良いから受かった大学に入る。 大学名、学部、学科を選ばずに、わたしの今の学力で入れるところか、学科試験のない面接や小論文だけで入れるところに行く。最悪、大学じゃなくたって短大や専門学校でも良い。そして、2年後か3年後、もしくは卒業後にもっとレベルの高い大学へ編入する。 編入試験なら普通の入試と違ってもっと専門的な問題が出されるだろうから、それだとわたしも、今よりはちゃんと勉強するはず、、、。 今の日本社会で求められるのは、入り口ではありません。「どこを卒業し…

  • 「優等生」としてのプライド。

    その後、いくつかそれっぽい大学を受験しようとしましたが、結局どこも受験せずに終わりました。この頃のわたしは、単語帳を出してきただけで強い吐き気に襲われ、ご飯も食べられず、シャーペンの音や参考書のページをめくる音だけで耳がキンキンしてどうしようもなくなる、、、というような状況でした。それでも頑張って問題を解こうとしても問題文すら読めず、すぐにシャーペンを投げ出し、暴れたくなる衝動に駆られ、5分も机に座っていることができない、、、みたいな感じでした。どう頑張っても、受験勉強ができなかったのです(笑)そりゃあんだけ学校や受験に対して違和感を抱いていたのですから、まあ無理もありません(笑)身体は正直な…

  • 迷走。

    じつはこの頃、某有名私立大学の自己推薦入試を受けていたのですが、最初の書類選考であっさりと落ちました*1(笑)K先生やM先生はじめ、いろんな人に相談しながら書いた志望理由書と自己アピールの文章は、今見てもかなりレベルの高いものだと自分でも思っているのですが(笑)まあ、ダメだったのでしょう(笑) 唯一当てにしていた自己推薦入試に落ちたことにより、次をどうするか考えないといけなくなりました。でも相変わらず体調は悪いし、イライラするけど暴れる気力もないし、勉強も全くやる気になれないし、、、てな感じで、ずっとモヤモヤしていました。 これからどうなるのか全くわからなくて、とにかく毎日が怖かったですね。わ…

  • もしもあのとき、、、。

    毎日がいやすぎて、不安すぎて、ずっと体調が悪かったです。これからのことを考えるだけで吐き気がしてきて、ベッドから起き上がれない日もありました。本当に些細なことでイライラすることが増えて、今まで以上に周囲に対して心を閉ざすようになりました。何だかんだ高3の時の方が勉強できていたし、心も安定してたと思います。 段々と、自分が弱くなっていっている気がしました。不登校になる前は、どんなにしんどくても頑張って学校や塾に行っていたし、勉強だって「こんなにやってどうすんの?」というくらい、やってました。が、このときのわたしは本当に何もできなかったのです。 もしもあのとき、A先生に「しばらく休みなさい」と言わ…

  • 浪人。

    その後わたしは「浪人」という道を選びました。やっぱりどう頑張ってもみんなと違う道に進む勇気はなかったですし、「とりあえず高校卒業したら大学行くのがふつうでしょ」みたいな価値観がずっと消えなかったんですよね。うーん、、、。 浪人を決めてから、わたしは某予備校に通い始めました。 予備校がわたしに向いてないことは重々わかっていたのですが(笑)「宅浪」というのも考えられなかったし、とりあえず形だけ行ってみることにしました。 予備校の授業で先生が「これは高校で習った文法で~」とか「これは高校の教科書に載ってるから全員知ってるよね~」みたいに言うだけで、自分が不登校であること、普通の学生ではないことを改め…

  • 平日の昼間に10代の子どもが外を出歩くのはつらすぎ問題。

    一応これで高校までの話が一通り終わったわけですが、ここでちょっと一旦ブレイクタイムとして、この頃真剣に悩んでいた「平日の昼間に10代の子どもが外を出歩くのはつらすぎ問題」(笑)についてしゃべりたいと思います。 基本高校時代はずっと体調が悪かったのですが、よほどつらいとき以外は、塾以外にも積極的にどこかへ外に出るようにしていました。 近くのコンビニに行ったり、友達と遊んだり、カラオケに行ったり、、、。それでも行く場所がないときは母に無理やり買い物を頼み、それをスーパーやドラックストアに買いに行ったりもしていました。 もちろん、平日のスーパーやドラックストアなんてほとんどおばちゃんしかいないので(…

  • 高校卒業。

    3月。わたしは無事に、高校卒業の資格を得ることができました。わたしみたいに、途中で高校を辞めて他所の学校に転校する場合、本来なら、前の学校で得た単位を次の転校先に引き継ぐことができます。でもわたしは、前の高校で1つも単位を得ることができず、引き継げる単位がゼロだったため(笑)同級生と同じ年に高校卒業の資格を得るためには、2年間で必要単位を取らないといけませんでした。が、高2はほとんど学校へ行けなかったので、実質この1年間で高校卒業にあたって必要になる単位を取らないといけなかったのです。 とはいえ、学校の授業だけではそれはなかなか難しかったので、一部の科目は高卒認定試験(大検)を受けて、それと合…

  • 受験について考える。②

    頑張って勉強して良い学校(偏差値の高い学校)に合格できたとしても、幸せな人生が歩める保障なんてどこにもありません。わたしだって中学は一応私立の学校に進学しましたが、その選択をしたことによってわたしはこの上ないくらいに不幸な生活を送ることになりました。正直「中学受験なんかせずにそのまま公立の学校へ行っていたら何か違ったのかな」という思いは、今でも心の片隅に消えることなくあります。 偏差値の高い大学(学校)へ入ることはとてもすごいことですし、まだまだ学歴主義的な価値観が根強いこの社会を生き抜いていくのに最高の武器になると思います。でも、「偏差値の高い大学を出て、有名企業に就職したら幸せな人生が送れ…

  • 高3のよしだ、受験について考える。①

    1月末、公募推薦で落ちた私立大学の一般入試がありましたが、わたしは入試前日に受験放棄することを決めました。願書を出すのすら何度も悩んだし、受験するかどうかもすごく悩みましたが、とにかくこの頃のわたしは勉強したくなかったし、とにかく受験がいやでした。 そして、受験を「怖い」と思いました。この頃のわたしの学力は、偏差値50以下の大学でさえ合格できるかどうかわからないくらいのレベルにまで落ちていました。だから、どうせ受けたって落ちることはわかっていましたし、わざわざ時間とお金を費やして傷つくのはいやだと思いました。じゃあなんで願書出したの、と言いたくなりますが(笑)願書を出さないことは、「受験を諦め…

  • 病院の話。

    そういうモヤっとした状態は年が明けてからも続きました。それを病院でK先生に話すと、こう言われました。 「自分にはどうすることもできないし、何年か先のことを考えればこんなことして甘ったれてる場合じゃないんだから!!!!」 (笑)たしかにK先生の言うことはもっともだし、そんなことくらい、言われなくても全部わかっていました。でも「あなたは何も考えてない」みたく言われたくはなかったし、これでもちゃんと考えました。というか、24時間そのことしか考えていなかったと思います。一応はお医者さんなんだからもっとべつの言い方があったと思うし、もっとわたしの気持ちを考えてくれても良かったと思います*1。 本当に、こ…

  • いろんな葛藤、悩み。

    しかし、家に帰った瞬間、激しい胃痛がわたしを襲いました。胃痛の原因はわかってます(笑)が、辛くてもやるしかないし、M先生にあんな言葉をもらったら、やらないわけにはいかないです。それに、せめて最後の受験くらい、M先生に、、、というか塾に、そして親に恩返しをしたいと思いました。恩返しというか、「早く落ち着いて安心させたい」的な意味合いが強かったかもしれないですね。その思いはたしかにあるのに、身体が言うことを聞きませんでした。 次の日から、朝起きられなくなりました。不登校になった時みたいな感じになって、「ああ、この感じ懐かしい」と思ってしまう自分がものすごくいやでした。それからずっと胃の調子が悪くて…

  • 再決意。

    結局、中途半端な気持ちで受験勉強を始めたのがいけなかったのだろうな~と思いました。「みんなが大学行くっていうからわたしも行くか~、それが普通やもんな~」みたいな気持ちだけで受験を決め、特に行きたい学校もなく、カタログショッピング状態で色んな大学のパンフレットを見比べて、「特にこれと言って行きたい大学はないけど、強いて言うならここかな~」くらいの感覚で志望校を決めていたのも事実でした。それで受験勉強している人もいるのかもしれないですが、わたしはそれじゃ駄目だということはわかっていました。中2の時みたいに、「ぜったい大人を見返してやる!」みたいな強い意志がないと、勉強大嫌い人間&学校教育批判人間の…

  • 悔しい気持ち。

    公募推薦は落ちる前提で受けていたので、結果を見てもそんなに驚きはしなかったですし、凹むこともありませんでした。というか、結果云々よりも、ちゃんと「2日間受験しに行った」ということそのものが、当時のわたしにはほんとにすごいことだったと思います。そう、頑張ったんだよわたしは、、、!(笑) 合格発表の1週間後、塾に公募推薦入試の合格者の名前が貼り出されました。友達はもちろん、たくさんの人が合格していて、おそらくウチの校舎で公募推薦に落ちたのはわたしだけだったと思います。そうだろうな、、、とは思っていましたが、事実を目の当たりにしたのはこの時が初めてで、なんとも言えない感情がふつふつと湧き上がってきま…

  • 受験、やめたら?(笑)

    秋になってから、志望校をワンランク下げました。文系人間だったので、「行くなら文学部かなあ、、、」というのは高1の頃からぼんやりと考えていたのですが、特に文学とか英語とかを勉強したいわけではありませんでした。だから、高3になってからはパンフレットを見ていてピンときたとある大学の社会学部を第一志望校としてずっと掲げていましたが*1、どう考えてもあと半年では届きそうになかったので、本当は滑り止めとして受ける予定をしていた大学を第一志望校に変更し、そこの大学の公募推薦入試を11月に受けることに決めました。 とはいえ、公募推薦1か月前になっても勉強は全くやる気になれず、体調も全然回復しませんでした。 こ…

  • 怒りの限界。

    それからも体調が悪い時期はずっと続き、イライラが募る日々でした。 そんなある日、父に靴の踵を踏んでいたのを注意されただけで思わず「うっせーな」と言ってしまい*1、「出ていけ!」と怒鳴られました(笑)わたしは冷静に「お前が出てけや」言いました(笑)そして部屋に閉じこもりました。そこから全く、わたしは父と口を利かなくなりました。ご飯もわたし一人だけ自分の部屋に閉じこもって食べるようになり、それ以降は極力父と顔を合わせないように暮らすようになりました。 今までずっと抑えていましたが、父のことは正直あまり好きではありませんでした。わたし(と母)の気持ちを理解しているようで理解していないことが、とにもか…

  • 頑張れない自分。

    勉強ボイコットを始めて以降、かれこれ半年以上は勉強から離れていました。でもわたしはやっぱり、大学に行きたいと思いました。このまま高校を卒業して就職というのもやっぱり想像がつかなかった*1し、高校卒業後は大学へ進学することが「普通」だと思っていました。 「大学進学が当たり前で、それが普通。それ以外の道は普通じゃない。」この偏った価値観がどれほどわたしを苦しめていたのか、今ならよくわかるのですが、この頃はまだそのことに気付くことができませんでした。それにK先生はじめ、周りの人たちから「あなたは頭が良いから大学受験しないともったいない」とあまりに言われるので、「それならば、、、」と。高3になったタイ…

  • なぜ人は学校へ行くのか。

    「なんで学校に行かなきゃいけないんだろう」ということは、高校で二度目の不登校を経験してからずっと考えていたことでした。「社会に出たときのため」と言っても、学校で教えてくれることなんてたかが知れてるし、学校では教えてくれないこともたくさんあります。 というか、みんなそもそも何が楽しくて学校へ通っているのでしょうか。友達と話すのが楽しいからなのか、好きな人がいるからなのか、部活が楽しいからなのか、、、。まあ中には、「何の楽しみもないけど行かなきゃいけないから行ってる」という人もいるだろうし、むしろそういう人がほとんどなのかもしれないですね。 わたしも昔はそうでした。だから中学で不登校になった時も「…

  • 学校に行っている人、行っていない人。

    月日が流れ、わたしは高校3年生になりました。 4月某日、小学校からの友達2人の学校帰りに合流し、近くのマクドで2時間くらいお茶したことがありました。 マクドに行ってまずびっくりしたのが、ほとんど学校帰りの学生しかいなかったことでした。 ガールズトークしている人、勉強に励む人、カップルでイチャイチャしてる人、、、。「そっか、みんなこうして学校帰りにファストフードとか寄って遊ぶんだなあ、学生ってそれが普通なんだよなあ」と改めて思いました。2人は慣れた様子だったのに対し、わたしはこんな経験をするのがはじめてだったため、何だか少しおどおどしてしてしまいました。そんな自分を見て、「わたしってやっぱり普通…

  • ようやく表に出てきた学校への違和感。④

    わたしはあまり積極性がない人なので、授業中に挙手して自分の意見を述べるのがすごく苦手で、授業中はずっと黙秘を続けていた。 けれど、小4の時の担任の先生は「1回の授業で最低3回発言しましょう」みたいなルールを作り出したので、それがすごく負担だった。発言したくて挙手するなら良いけど、発言したくないのに無理やりさせる意味がわからない。そしてわたしはクラスでただ一人、そんなルールを無視して黙秘を続けた。相変わらずそのへん何があってもブレない人間だと思う。 それでも発言をしないといけない場面は小学校、中学校そして高校も何度かあったけど、わたしはそれを「恥さらし」だと思っていた。 発言したくもないのに、答…

  • ようやく表に出てきた学校への違和感。③

    あとはやはり、なんと言っても校則である。中学の時は携帯やお菓子の持ち込みが禁止されていて、それを持ってきたのが先生にバレた人は反省文を書かないといけなかった*1。そんな形だけの反省文を無理に書かせたところで、何が変わるのだろうか、と思った。それでその人が二度と学校に携帯やお菓子を持って来なくなるとは到底思えない。 というか、そもそも携帯やお菓子の持ち込みを禁止する理由ってなんなのか。べつにそれで他人に迷惑をかけなければ禁止する必要はないのではないか。 校則に納得ができなかったわたしは、中学の時は携帯もお菓子もウォークマンも学校へ持って行っていたし、「そんなしょーもない校則に個性を奪われてたまる…

  • ようやく表に出てきた学校への違和感。その②

    音楽が得意な一方で、わたしは体育が大の苦手だった。だから、小学生の頃は体育の授業をずる休みしていたことも何度かあった*1。べつにそれが悪いことだとは今でも思っていない。逆上がりや水泳やマット運動ができなくたって生きていけるし、やりたくないことを嫌々やるだけの時間があるなら、もっと自分の好きなことややりたいことをやって、長所や個性を伸ばした方がよっぽど良いと思う。 小学生の頃からそういう考え方だったからこそ、それができない、良くも悪くもみんな平等に同じ教育を受けないといけない日本の学校教育システムに馴染むことができなかったのだと思う。 「苦手」と言えば、国語の授業も苦手だった。 「この時の主人公…

  • ようやく表に出てきた学校への違和感。その①

    そんなわけで、「この頃(高校生時代)のわたしは、自分の不登校経験や学校への違和感をどう解釈していたのか?」ということを、当時ルーズリーフに記していた文章をもとに*1ざっくり紹介しようと思います。 中学で不登校になった時、わたしは、その中学校自体が私に合わないのかと思っていた。けれど高校で不登校になった時に、「わたしは学校そのものが嫌いなんだ」ということにようやく気が付いた。つまり、わたしは学校、もっと言うと学校のシステムにうまく適応することができない人間だったのだ。 「年齢が同じで住んでる場所が近いから」という理由だけで、30人近い子どもが狭い教室の中に押し込められ、みんなで決まった時間に決ま…

  • ルーズリーフ。

    ある日の診察で、K先生はこんな話をしてくれました。「心を病んでる人には、日記とか、文章を書かすの。そうすると自分を客観視することができてすごく良いんだよね。」 わたしはそれを聞いて、何となく、今まで自分が抱いていたモヤモヤを、思いつくだけ自分なりに文章に書き記してみました。で、それを次の診察の時に持って行って先生に読んでもらったら、ものっすごく褒められたんですよね。 「今時の高校生って変な文章書く人が多いから正直舐めてたけど、これはグッとくる。」 久しぶりに大人から褒められたわたしはすごく嬉しくて、それからはほぼ毎日、思ったことや考えていること、昔の辛かった出来事とかも全て、バカみたいにルーズ…

  • カウンセリングの効果。

    K先生の診察に通い始めてから、わたしは少しずつ変わっていきました。目に見えてわかった一番大きな変化は、「自分の気持ちを人に伝え、感情を表に出すことができるようになったこと」だと思います。 この頃のわたしはとにかく情緒不安定で毎日にように泣いていたり、家出みたいなことをしたり、母や塾の先生*1暴言みたいなものを吐いたりしていたんですけど(笑)今思うと、今まで抑えに抑えこんでいた感情を徐々に親や周囲の人間にさらけ出すことができるようになった効果の表れだったのかもしれないなあ、、、と思います、今までずっとそれができずに苦しい思いをしていたので、こうした変化は自分にとってものすごくプラスになったと思い…

  • 勉強ボイコット。

    塾恐怖症については、その後徐々に滞在時間を増やしたり、再び自習に行き始めたりしてリハビリを続けた甲斐があって、夏休みが終わる頃にはすっかり克服することができました。学校のトラウマで長らく乗ることができていなかった電車も母と一緒に何度か乗る練習をし、無事に克服することができました*1 あれから月に2回、K先生の診察に行くようになりました。K先生はわたしの悩みに毎回すごく適切な助言をしてくれていました。それに、診察以外にも色んな雑学とかも教えてくれたりしてすごくおもしろくて、謎に仲良くなっていました(笑)たぶん、相性が良かったのだと思います。 「ああいう発作を起こすのは、何がきっかけかわからない。…

  • 思春期の難しさ。

    その後、事情を把握した看護師の叔母もメールをくれました。『思春期で色々あるんやから、現れ方は違えどみんなが通る道やし、いくら点滴して薬飲んでも、根本的解決にはならんから。食べたいもん食べて、寝たいだけ寝てればいい。』 “思春期なんだから、みんなが通る道”。 大人になった今、この言葉の重みがずっしりと心に響きます。 わたしたちが思っている以上に、思春期の子どもはすごく繊細で、敏感で、傷つきやすい年頃です。だから、現れ方は違うかもしれないけど、みんなが何かを抱えながら、何かに悩みながら生きているのだと思います。実際この当時も、塾の同級生や後輩、そして中学のときの友だちの中にも、明確な理由のない体調…

  • 某お医者さんとの出会い。

    ボロボロのわたしを見て、親をはじめとする周りの人たちはこっちが申し訳なくなるくらい心配してくれたのですが、このとき診察してもらった先生は全く逆で、びっくりするくらい冷静で淡々としていました。 「吐き気が治まりません」と言ったら、「じゃあなんかあったらここに出して」と言ってプラスチックの容器を目の前にさらっと置いたり、診察中にも関わらず、いきなり知り合いのお医者さんに電話したり(笑)初めは正直、ちょっと温度差についていけなかったですね(笑) でも、話を聞いていくと悪い人ではないことはすぐにわかりましたし、何が理由でそう思ったかわからないのですが、何となく「この人はわたしの力になってくれる人かもし…

  • 塾恐怖症。

    この頃の一番の大きな変化は、今まで何とか頑張れていた勉強を頑張れなくなったことでした。高校に入って不登校になってからは確実に勉強時間は減ってましたが、それでも自分なりに勉強は続けていました。でもそれが、ここへ来て急になんのやる気も出なくなってしまったのです。なぜかわからないけど、「とにかく何も勉強したくない~」と思うようになりました。そんなこともあってか、あれだけ大好きだった塾にもあまり行きたいと思わなくなりました。先生たちと話もできていたし、仲良くしている友達もいたし、授業も特に不満はなかったのですが、とにかく塾に行くのが嫌で、特に理由もないのに授業を休んだりもしてました。 とはいえ、家にい…

  • 通信制高校。

    そんなわけで、わたしは高2から通信制高校の学生になりました。通信制高校は本当に自由でした。授業があるのは週に3日だけで、自分が取る必要のある授業、取りたい授業に何回か出て、レポートを書いて試験を受けれるだけで単位がもらえました。部活や委員会、文化祭や修学旅行などの行事も一応ありましたが、それらに参加するかは本人の自由意志でした。「大学みたいな感じやな」と色んな人に言われましたが、本当にそんな感じでした。 通信にはいろんな人がいました。真面目そうな普通の学生もいたし、仕事をしながら学校に来ている人や、わたしみたいに様々な事情があって全日制の学校から転校してきた人も多くいました。 通信に来て一番び…

  • 涙の退学。

    1月下旬、担任に「今のよしださんの正直な気持ちが聞きたい」と呼び出されました。号泣しましたね(笑)「留年か退学かしか選択肢が残っていないのに、わたしの気持ちなんて関係ないやんか!何度も無理矢理教室に連れて行って、『どうですか今の気持ちは』なんて言う*1お前に、わたしの気持なんかわかるわけないやろ!」と(笑) 当日は、母と一緒に行きました。「辞めて通信制の学校へ行きます」と言ったら、ものすごく怒られました。 「いつから辞めたいと思ってたの?辞めたいと思ってたなら、なんでもっと早く言わないの?ご両親に色々してもらって申し訳ないと思わないの!?」 意味がわからない。怒りたいのはこっちやわ(笑)あれだ…

  • 決断のとき。

    年が明け、規定の欠席日数をこえたことにより*1、わたしに残された選択肢は留年か退学の2択となりました。 正直、この学校に残る気は全くなかったです。仮に2年生に進級できていても、残ることはなかったと思います。だから夏休みくらいから、もし辞めたら今後どうするのかということを自分なりに色々考えていました。 わたし自身、大学受験のことは決して諦めたわけではありませんでした。たしかにあまり前向きではなかったですが、「大学くらいは出ておかないといけないんじゃないか」ということは薄々感じていましたし、それがいわゆる「普通とされる道」だと思っていました。そう、それが「普通」なんだと。 そうなると、高校卒業の資…

  • 人生初の家出。

    ある日、塾で当時の副教室長をしていた先生と軽く喧嘩しました(笑)喧嘩というか、わたし的にとても理不尽なことで怒られたので、腹が立ったわたしは、無理矢理やらされていた英語の小テストを白紙で出したのです。そしたらその先生がカンカンに怒って「勉強しないなら帰りなさい!!!!」と言ったので、「じゃあ帰りまーーーーす!さよなら!😉」と言って、ひゃっほう!てな感じで速攻帰ったという、、、(笑)相変わらずやることが破天荒です。 家に帰ったら母が「帰ってくるの早くない?」みたいに言うので、塾での出来事を正直に話すと怒られました。はあ?と思いました。わたしはいてもたってもいられず、携帯と財布片手に家を飛び出しま…

  • 高校の話。

    9月から、学校に週1回来ていたスクールカウンセラー(以下「SC」)のところに通うようになりました。わたしはあんまり行く気はなかったんですけど、「8月末に担任からSCのことを聞いた母が勝手に予約を入れた」という話を、カウンセリングの当日に父から聞かされて(笑)今思うと、不登校になってだいぶ日が経ってからSCの紹介をする担任も担任だし、予約を入れた時点でそのことをわたしに言わなかった母も母です。ほんとに、みんなしてちょっとなんか変です(笑) SCの人*1は、結構なおじさんだったのですが、わたしはまず、その人にだけお菓子とお茶が用意されているという環境に違和感を覚えました。A先生のときみたいに「一緒…

  • 原因不明の体調不良。

    8月に入ってから、急激に体調が悪くなりました。強い吐き気に1日中襲われ、段々と食欲がなくなって、ご飯が食べられなくなりました。「食べなきゃいけない」と思っても、どう頑張っても食物を口に運ぶことができなくて、何も食べたくない、、、と思いました。こんな経験は人生で初めてで、自分でも何が起きているのかよくわかりませんでした。 そんな状態が1週間ほど続いたある日、強い吐き気と過呼吸が止まらなくなりました。自分はもちろん、親もパニックになって慌てて病院へ行き点滴を打ってもらいました。このときはまだ、わたしも親も、そして病院の先生も「暑さでやられて熱中症みたいになっただけ」だと思っていました。 点滴で一旦…

  • 三度目の塾通い。

    中学まで通っていた塾は3月で卒業していたのですが、それ以降も何度か足を運んでいました。小学生や中学生の友達*1に会いに行ったり、M先生やW先生に会いに行ったり、特に用事はないのになんとなく遊びに行ってみたり、、、。本当にこの頃のわたしは良くも悪くも塾に依存していた*2ので(笑)卒業生だと言うのにバカみたいに行っていたし、小中学生しか対象じゃなかった塾のことを心から恨んでました(笑) そしたら、そんなわたしを見かねた母が、卒業した集合塾と同じ建物内にある個別指導(小4の時に通ってた)の入塾を勧めてくれました*3。「そんなに塾の空気吸いたいなら行けばいいじゃない。集合塾と同じ建物やから先生や友だち…

  • 二度目の不登校。

    学校に行けなくなってから、わたしはほぼ引きこもり同然の生活を送っていました。特に勉強しようという気にもなれなければ特にすることもなく(笑)ただ毎日ボーッとしてたような気がします。 母は中学の頃に比べるとだいぶ理解してくれるようになりましたし、それなりに話を聞いてくれることも多かったです。が、ヒステリックなことには変わりなく(笑)たまに「うわああああ」となってわたしや父の前で泣き出したり、喚き出したりすることがあったので、わりと大変だった。そんな母より厄介だったのが、父です。「あんたがこうして学校を休んで家にいる間、お母さんは心の中で泣いてる」なんて言ってた日にゃ、わたしは悲しすぎて泣きました。…

  • 悪夢再来。

    高校の入学式。 クラスの人びとが必死に色んな人に声をかけ、手当たり次第メアドを交換して無理やり友達を作っている中、わたしは一人冷めた目で携帯をいじってました。 昔から、こういうやりとりがほんとにきらいでした。まだ出会って間もなくて、気が合うかどうかもわからない人と友だちごっこをしていったい何が楽しいのか。みんなそんなに一人になるのがこわいのか。バカみたいだなと思いました(笑) 担任(30代♂)は入学して早々こう言いました。 「ここは部活で日本一を目指すクラスではなく、勉強で日本一を目指すクラスです。3年間勉強に集中して、みんなで良い大学に入れるよう頑張りましょう。」 この先生の言葉を聞いて、わ…

  • 不登校の場合の成績+出欠について。(参考)

    この前部屋を掃除していたら、中学のときの成績表+出欠表が出てきました。不登校の場合の成績の付け方は、おそらく学校によって異なると思いますが、せっかく貴重な資料が出てきたので(笑)「わたしの場合はこうでした」という話を参考程度に書いてみようかなと思います。高校入試の話にもつながると思いますし。ので、今日は体験談はないです。 この写真は不登校真っただ中の、中3の3学期の成績表です。うちの学校は「3学期の成績=1年間の成績」という評価の仕方だったので、これが“正真正銘の不登校児の1年間の成績!”になります(笑) 恥ずかしげもなくどどーんと載せてしまいますが、見てもらってわかるように、たまに授業を受け…

  • 号泣の合格発表。

    結局、わたしはその後受験した中堅私立高校に進学することになりました。 進学先の高校にはコースが3つありました。 国公立大を目指して勉強一目散のコース。私大を目指し勉強を頑張りつつ、部活も適度に頑張るコース。ひたすら部活を頑張って、推薦で適当な大学を狙うコース。 わたしは中間の私大コースを希望していました。国公立コースは偏差値が高いし授業もハードそうだったので、体力的にも精神的にもついて行ける気がしなかったのです。けれど、M先生やW先生はずっと、「国公立コースで願書を出しなさい、無理なら下のコースに回し合格になるから」と言っていて、両親も同意見でした。それにわたしも偏差値的に「どうせ国公立コース…

  • 高校受験。

    勉強は、正直「頑張った」とは言えません(笑)この時のわたしの5科目の偏差値は50にも満たなかったのです。わたしが第1志望校にしていた高校*1は偏差値60以上必要だったので、塾の先生にも学校の先生にも「奇跡でも起こらない限り合格は厳しい」と言われていました。だから「今からやって受かるのかな」「これで本当に良かったのかな」という不安や迷いは最後まで消えることはなかったし、「志望校をもうワンランク下げたほうが良いのでは?」ということもいろんな人に言われていましたね。事実とはいえ、なかなか傷つくようなこともほんっとにたくさん言われました。けれど、わたしはこの高校以外に行きたいと思う学校が1つもなかった…

  • 2か月間の受験生活。

    A先生に外部受験のことを話したときはものすごく不安でしたが、わたしの決断を讃え、応援してくれました。 最後に、A先生はぽつりとこう呟きました。「いやなんやな、、、この学校が。」 わたしは涙が出そうになりました。そうじゃないんです。この学校はとても良い学校だとわたしは今でも思っているし、結果として先生を裏切ることになって本当に申し訳ないと思います。でも、わたしは外部に行きたい。わずかな可能性に賭けてみたい、、、。本当に、それだけでした。 外部受験を決めてすぐにあった期末テストは、不登校になってから初めて全教科受けに行きました。教室に行って授業に出る回数も増やし、ほぼ毎日学校に行ってました。それで…

  • 二度目の一大決心。

    進路を決断してすっきりするかと思いきや、なぜか余計にモヤモヤしてしまいました。塾で受験勉強を頑張る友達たちを見てものすごくアウェーな気分になったり、なんとなく、W先生やM先生と距離を置くようになってしまったり、何のために塾に来ているのかわからなくなってしまったり、、、。そんな中、久しぶりに学校へ授業を受けに行くと、外部受験希望の人が増えていることを知りました。そう、意外とわたしの学校、というかわたしのクラスには外部受験希望者が多く、3人に1人くらいが外部受験を希望していたのです。そんな人たちを見て、「羨ましい」と思っている自分がいました。何だかんだ言っても、やっぱり外部受験したい気持ちは消える…

  • 一大決心。

    支援室からの帰り道、いつも電車の中で考えていました。「来年も、わたしはこうして同じ景色を見ているのかな、、、。」 外部受験は中1からの夢でした。そのためにずっとがんばってきたし、塾の先生に恩返し、、、?というか、何かを「がんばった」という結果を目に見える形であの人たちに見せつけて、いい加減に自分のことを認めてほしいと思いました。それにやっぱり、「クラスメイトから嫌味を言われている」という話も、何気にずっと引っかかっていたんですよね。高校になっていくらクラスが替わっても、同じ学校にそういう人がいると思うとつらいな、と思って。それならば、ガラッと環境を変えて一からすべてやり直すのもひとつの手なのか…

  • 板挟み。

    秋になり、塾のクラスメイトが志望校を決め始めるなか、わたしは1人今後の進路を模索していました。 不登校になってから、外部受験はほぼ諦めていました。ろくに勉強もできていないのに受かる高校なんてないと思ってましたし、精神的にもそんな余裕があるとは到底思えなかったのです。けれど、夏休み終わりの塾のテストでわりといい成績を残すことができ、「これだったら外部受験してもそれなりの学校に行けるんじゃないか」と、少しだけ自信が湧いてきたんですよね。 「外部受験するとしたらこのままではいけない」と思ったわたしは、10月くらいから学校の授業に今までよりも積極的に出始めるようになりました。毎日ではなかったし、1日1…

  • 自分探しの旅。

    夏休みは結構病んでましたね。毎日体調が悪くて熱っぽく、日曜日以外毎日お昼1時から夜10時すぎまであった塾の夏休み講習も、結局半分くらいしか出席できませんでした。 不登校になってから半年が経つというのに、わたしは何も成長できていない、、、と思いました。 学校の授業も塾の授業も、しんどくて出られなくて頑張れない。 日に日に体調は悪くなるばかりで、胃痛にはならないものの、毎日胃が重たい感じがするので胃薬を飲まないとやっていけない、、、。 そんな自分が本当にいやでした。 夏休み講習が始まって先生たちも忙しくなったことから、普段よく話を聞いてくれていた先生たちともあまり話せなくなってしまいました。「忙し…

  • 無理をする要因。

    無理を期末テスト前日、A先生はわたしに二度目の「勉強禁止令」を出しました。「本当は、期末テストも受けたくないんじゃないの?塾の先生とかお母さんに言われて勉強してるだけでしょ?」 図星でした(笑)中間テストの英語と国語に加え、今回は数学も受けるつもりで勉強していましたが、どうせ良い点数を取れないのはわかっていたので、受けに行くのやめようかな、、、と思っていた矢先でした。「もう受けなくても良いんじゃない?変に受けて点数が悪かったら、ヨッシーにとってプラスどころか余計にマイナスになると思う。ヨッシーの好きなようにしたら良いけど、その方がヨッシーのためだと思うわよ。」見事にわたしの心を見透かしたA先生…

  • わずかな希望。

    塾には相変わらず淡々と行っていました。不登校になってからはテストの校内順位もダダ下がりだったのでかなり落ち込んでいましたが、それでも派手に成績が下がることはなくて、細々とではあるけど頑張っていたと思います。 中3になってからは、ほぼ毎週のように教室長のM先生と面談をしていました。M先生はこの塾の先生の中で一番不登校に理解を示してくれていて、面談の日でなくても何かあると度々話を聞いてくれていましたし、話した後は毎回母に電話をして状況を報告してくれていました。今思うとM先生は、担任だったW先生よりもいろいろわたしのためによく動いてくれていた気がします。 不登校なんて学校と家庭の問題なので、べつに塾…

  • 少しの変化。

    何とか英語と国語だけ中間テストを受けにいくことができてホッとしてた5月末(なぜわざわざ行ったんだろう?笑)。A先生は突然、わたしに教室へ戻るよう促してきました。どうやら心理テストの結果が1か月前に比べて良くなっていたらしく、「もう教室行けるやん!」みたいな感じのことを言われたのです。更には、当時担任だったB先生からも「もう教室に来れるんじゃない?」なんて、塾にいたわたしの携帯にわざわざ電話をかけてきたのだからおったまげました。 わたしはとても複雑な気持ちになりました。「心理テストごときで、私の何がわかるの?」 正直心理テストなんて、どういうことを書けばどういう結果が出るか、ある程度わかってしま…

  • 母とのこと。

    相変わらず不登校生活を続けるわたしを見た母は、ますます病んでいきました。 母は専業主婦でずっと家にいたので、わたしが学校や塾に行ってない間はずっと家で二人きりでした。二人で朝ご飯を食べて、二人でテレビを見て、二人で昼ご飯を食べて、、、という生活は、いま思えばこの上ないくらい辛く、苦しいものだったと思います。 母はわたしが不登校になってから毎日のように泣いてました。本人はわたしに隠れて泣いているつもりだっただと思いますが、全然隠しきれてなくて(笑)それが逆に辛かったですね。 「わたしのせいでこんなに辛い思いをさせて申し訳ない」と思う気持ちと、「一番辛いのはわたしなんだけど~」という気持ちが入り混…

  • 「不登校の人」としての生活。

    その後、A先生*1と相談し、わたしは週に2度ほど支援室へ通うことになりました。つまり、引き続き不登校を続ける(=教室には行かない)ことになったわけです。 というわけで、今日は「不登校の人」として生きることになったわたしの1日をざっくりと紹介します。 朝は8時30分に「はなまるマーケット」とともに起床するのがこの頃の定番でした(なつかし!笑)。というか、母がいつも「はまなる」の時間になるとわざわざテレビをつけて、起こしにきてたんですよね(笑)だからいやでも起きないといけなくて。 正直、うざ~と思うこともありましたけど、本来なら学校に行っているはずの時間に、こうしてのっそりと起きるわたしを本当はど…

  • まだ、行きたくない。

    そんなわけで、1か月半ぶりに教室に行くことができたわたしを見たA先生は、春休みの間中ずっと「もう4月から教室に行けるね!」みたいなことを言っていて、親もそれを望んでいました。というか、もともと「しばらくの間(3学期中)お休みする」というテイで不登校をやっていた(笑)ので、なんか自然とそんな流れになっていたような気もしますね。 でもわたしは、その大人たちの期待に応える自信がまったくと言っていいほどありませんでした。まだ教室へ戻る気力はないと感じていたし、なんとなく、教室には戻りたくなかったんですよね。「なんで?」と聞かれたら、うまく答えられる自信はなかったですけど、今のままだとまた同じことを繰り…

  • 1か月半ぶりの教室。

    3学期の終業式の日、“わたしほどではないけど、ちょっと学校を休みがちな同じクラスの友だち”に誘われて、成績表をもらうために一緒に学校に行きました。職員室に行って事情を話すと、A先生に「成績表は今さっき〇〇先生(担任)が教室へ持ってっちゃったから、ほしいなら教室に取りに行きなさい~!」と言われました。そしてA先生は、ほぼ無理やりわたしたちを教室の前まで連れて行ったのです。最悪や、と思いましたね(笑)。こんなはずじゃなかったのに~みたいな。 そのまま帰ろうかとも思いましたが、せっかく来たのでやっぱり成績表はほしいじゃないですか。となると、勇気を出して教室へ入るしか選択肢はないわけで、、、。 教室に…

  • 不登校直後のわたし。

    A先生はいつもわたしのことを気遣ってくれていて、「べつに勉強なんかしなくてもいいし、塾にも無理に行かなくていいからね」と言ってくれていました。でも、この頃のわたしは本当に、いくら勉強がきらいとはいえども「勉強が自分にとって一番の負担になっている」という自覚がまるでなかったですし、「勉強のやる気が起きない」「勉強するのが苦痛」という理由だけで勉強をやらないのは甘えだとも思っていました*1。 とにかく周りと遅れるのが不安で仕方なかったので、不登校になってからも一応、友達に学校で習った場所を教えてもらったり、プリントやノートをコピーさせてもらったりして、3月の期末テストに向けて準備を進めていました。…

  • 不登校に対する周りの反応。

    その後、家に帰って母に事情を説明すると、案の定病みました(笑)「なんでうちの子がこんなこと言われなきゃいけないの。なんで学校行けないの。ねえなんで、、、。」みたいな感じでしたね。基本的に、母は真面目で何でもすぐ思い詰める人(悪く言えばヒステリック)なので、こういう感じになるのだろうなということは容易に想像できました。ですがやっぱり、少し胸が痛かったです。父は、自分も中学の頃にしばらく学校に行けなかったことがあったらしく、母に比べれば意外と理解はあって冷静でした。そう、、、まだ、このときは。 塾の先生に関しては、正直よくわからなかったですね。理解している人もいるような、そうじゃないような、、、。…

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