今回はカーステンボッシュ植物園にやってくる鳥たちを紹介します。ピンクッションやエリカ属の花、ジャイアントハニーフラワー、極楽鳥花で蜜を吸う小鳥たちが見られます。 まずは、ジャイアントハニーフラワーに蜜を吸いにやってきた鳥たち。1枚目はケープメジロ(Cape White-eye)とミナミダブルカラードサンバード(Southern Double-collared Sunbird)、2枚目はケープカナリア(Cape Canary)です。今回写真が撮れませんでし...
南アフリカ・ケープタウンに住む中で経験した、日本とは違った習慣・エピソードや、観光スポットの紹介をしています。
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今回はカーステンボッシュ植物園にやってくる鳥たちを紹介します。ピンクッションやエリカ属の花、ジャイアントハニーフラワー、極楽鳥花で蜜を吸う小鳥たちが見られます。 まずは、ジャイアントハニーフラワーに蜜を吸いにやってきた鳥たち。1枚目はケープメジロ(Cape White-eye)とミナミダブルカラードサンバード(Southern Double-collared Sunbird)、2枚目はケープカナリア(Cape Canary)です。今回写真が撮れませんでし...
ウエストコースト国立公園に続いて、今年はカーステンボッシュ植物園にも花の写真を撮りに行ってきました。植物園にはたくさんの種類の植物が植えられているので、ウエストコースト国立公園とは違った花も見ることができました。 これらの花は、ケープを代表するフィンボスという植物の中の代表的なグループであるプロテア属の花です。最初の花は、キングプロテアで、南アフリカの国花でもあります。他の3つの写真は、ピンクッ...
前回、ウエストコースト国立公園の花を紹介しましたが、今回は公園内で見かけた動物たちを紹介します。花と違って動物たちは、カメラを向けている間、動いてしまうのと距離があるので、思った写真を撮るためにたくさんシャッターを押してしまいます。特に鳥たちはじっとしてくれないので、シャッターを切る前に飛んで行ってしまったり、ピントが合わなかったりして難しいです。 花畑のシマウマ(Cape Mountain Zebra)たち。シマ...
今月、2年ぶりに花畑を見にウェストコースト国立公園へ行ってきました。本当は8月中に行きたかったのですが、行ける日の天気が良くなかったりして、結局いつもより遅く行くことになりました。時期が遅くなったので、いつも鮮やかな色を見せてくれるオレンジ色(Namaqua Marigold)、黄色(Cape Weed)、白色(Rain Daisy)のガザニア系の花が少なくなっていました。今回多かった花は、紫色(マゼンタ色)のHongerblom(Senecio are...
◆ケープが登場する作品オランダ東インド会社が1600年代半ばに食糧補給基地としてケープに入植してからしばらくの間、ヨーロッパの人たちにとってケープは帆船で何か月もかかる遠い遠い未知の存在でしたが、イギリスが植民地化した1800年代に入ると、ヨーロッパで書かれた小説などにケープに関わるものが登場するようになったので、その頃にはケープの存在はヨーロッパに広く知れ渡っていたのかなと思われます。今回は、ケープに関...
◆見どころ(パール/ウェリントン)②●アフリカーンス言語博物館(Afrikaans Language Museum)この建物は、1860年頃にパールのワイン農家だったギデオン・マルヘルブ(Gideon Malherbe)氏によって建てられたジョージアン様式の住居です。1階はマルヘルブ家族が暮らしていた当時の様子をできる限り再現するよう、実際に使っていた家具や装飾品、道具などが展示されています。 マルヘルブ氏は、アフリカーンス語の普及を目指して187...
◆見どころ(パール/ウェリントン)①※パール山からパールとウェリントンの町を望む1657年にアブラハム・ガッベマ(Abraham Gabbema)率いる探索隊がこの一帯を探検し、1687年にはシモン・ファンデルステル(Simon van del Stel)の指揮のもと、ステレンボッシュ(stellenbosch)とは別に、ここにもフリーバーガー(Vrye Burgher:自由市民)たちを入植させて農地開拓を始めました。それ以降、この一帯は時代とともに穀物、ワイン、...
◆見どころ(ステレンボッシュ)④●週末マーケットケープタウンには、土曜日(週末)のみ開かれるマーケットがいくつもあり、ケープトニアンは家族や友人と出掛け、そこで食事をしながらおしゃべりしたり、ゆったりとした時間を過ごす人が多いです。ステレンボッシュにも土曜(週末)マーケットが開かれている場所があります。・ルート44(Rout 44)このマーケットでは、年に一回、日本の文化を紹介する「ジャパン・デイ」(ケープタ...
◆見どころ(ステレンボッシュ)③●バーガーハウス博物館(Burgerhuis Museum)ビレッジ博物館のブレッターマンハウスと同時期の1700年代終わり(1797年)に建てられた典型的なケープダッチ様式の住居とその当時の生活の様子を復元した博物館です。こちらも裕福な家庭の住居で、当時使われていた家具は豪華なものでした。正面にはケープダッチ様式に見られる立派な切妻屋根(入口の上の部分)があります。この切妻の形は、時代によっ...
◆見どころ(ステレンボッシュ)②●ステレンボッシュ・ビレッジ博物館(Stellenbosch Village Museum)こちらの博物館では、ステレンボッシュにフリーバーガーたちが移り住んだ1600年代後半から1800年代終わりまでの人々の生活の様子を展示・紹介しています。年代ごとに4つの建物に分かれ、それぞれの建物に案内人がついて紹介してくれます。(英語でですが)博物館のチケットを購入するこの建物では、ステレンボッシュにヨーロッパ...
◆見どころ(ステレンボッシュ)①1679年10月にケープ総督として就任したシモン・ファンデルステル(Simon van del Stel)が未開の地を探検した際に発見した、農地に適した土地で、その半年後にはフリーバーガー(Vrye Burgher:自由市民)が移り住んで土地を開墾し始めました。また、ファンデルステル自身もこの土地を気に入り、「Van der Stel se Bosch」(ファンデルステルの森)という名前をつけ、自分の誕生日になると毎年ここ...
◆見どころ(フランシュフック)フランシュフックは山に囲まれたこじんまりした町で、山の斜面にはブドウ畑が広がっています。※フランシュフックの町の展望(Franschhoek Passより)かつてはオリファンツフック(Olifantshoek)と呼ばれ、象などの野生動物たちが歩き回っていた谷間に、フランスから避難してきたユグノーたちがこの地に移り住み、十分な道具もない中で農地を開拓して町になりました。現在は、ユグノーたちが開拓した...
●KWVの設立P.J. ハノン(P.J. Hannon)や、レイモンド・デュボア(Raymond Dubois)が協同組合型ワインセラーを提唱していた同じ頃、チャールズ W.H. コーラー(Charles W.H. Kohler)という人物が、1907年、南アフリカのワイン産業の保護と成長促進を目標に掲げた「植民地ワイン農家・ワイン商人協会」(Colonial Wine Farmers and Wine Merchants’ Association)を設立しました。※チャールズ W.H. コーラー(KWV Emporium展示物...
●ジャガイモ臭いワイン1700年代後半からコンスタンシアで生産されたコンスタンシアワインを除いて、オランダ東インド会社が入植した当初から、ケープで生産されていたワインはずっと質の悪い(評判の悪い)ワインでした。1800年代終わりのイギリスでは、ケープ産ワインのことを「惨めなゴミ」「極悪」「不潔」「ジャガイモ臭い」などと、思いつく限りのひどい表現がされていました。おそらくは母国でワイン生産をしていた人もいた...
●イギリス植民地時代1800年代に入り、ケープがイギリスの植民地になった後、イギリスでケープ産ワインの需要が高まりました。当時ヨーロッパではナポレオン戦争が起き、ナポレオンがイギリスの経済的な痛手を与えようと、大陸との貿易を禁止する大陸封鎖令を1806年に発令しました。これにより、イギリスにフランス産ワインが入ってこなくなり、それを補うために1813年にケープ産ワインに特恵関税(減税措置)を与えました。それま...
◆ワイン現在は世界中のコンテストで受賞するほど質の高いワインを生産しているケープ(南アフリカ)ですが、1900年代半ばまでは浮き沈みの激しい歴史を歩んできました。●オランダ東インド会社時代会社が入植してすぐに開墾して作った畑(現在のカンパニーズガーデン)にも、わずかながらブドウを栽培してワインを造ったようですが、ケープへの入植は貿易船への食糧供給が目的なので、ワイン生産は重要ではありませんでした※最初の...
◆フルーツ生産地1892年、あるイギリス人が夢を持ってケープにやってきました。彼の名前はハリー・アーネスト・ビクター・ピックストーン(Harry Ernest Victor Pickstone)といい、ケープで果樹の苗木屋を開こうと考えていました。※ハリー・アーネスト・ビクター・ピックストーン(ウェリントン博物館展示物より)彼は19歳の1884年に兵士として遠征に参加し、イギリスの植民地であったケープにやってきました。遠征から無事に帰還...
●山脈越えウェリントンまで鉄道が到達した翌年の1864年9月、さらに山脈の東にあるウースター(Worcester)までの鉄道建設が計画されました。この区間は南北につながる山脈を越える必要がありました。馬車が峠越えをしていたベインズクルーフパス(Bain's kloof pass)は蒸気機関車にとっては勾配がきつくて登れないため、蒸気機関車が越えられる峠(タルバに抜ける現在のNuwekloof Pass)まで迂回しなければいけなかったことや、山...
●乗合馬車1824年、ケープタウンとパールの間を週2回行き来していた郵便馬車に人を乗せて、旅客サービスを始めました。※場所は違いますが、鉄道が開通する前にケープタウンとWynbergというところを走っていた乗合馬車(年代不詳)(引用 ※01)1852年にはバス会社が設立され、翌年からケープタウンとパールの間を毎日乗合馬車が往復するようになりました。1845年にはステレンボッシュとドラケンシュタイン北部のタルバ(Tulbagh)と...
◆交通現在は舗装された道路が整い、ケープタウンからステレンボッシュやドラケンシュタイン地域にあるパールやフランシュフック、ウェリントンの町には、自動車で1時間ほど走れば行くことができます。●馬車道1657年にアブラハム・ガッベマ(Abraham Gabbema)らが探検して、ドラケンシュタイン地域はケープタウンにいたヨーロッパ人に広く知られるようになりましたが、探検以降しばらくの間、新たに訪れるヨーロッパ人はほとんどい...
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今回はカーステンボッシュ植物園にやってくる鳥たちを紹介します。ピンクッションやエリカ属の花、ジャイアントハニーフラワー、極楽鳥花で蜜を吸う小鳥たちが見られます。 まずは、ジャイアントハニーフラワーに蜜を吸いにやってきた鳥たち。1枚目はケープメジロ(Cape White-eye)とミナミダブルカラードサンバード(Southern Double-collared Sunbird)、2枚目はケープカナリア(Cape Canary)です。今回写真が撮れませんでし...
ウエストコースト国立公園に続いて、今年はカーステンボッシュ植物園にも花の写真を撮りに行ってきました。植物園にはたくさんの種類の植物が植えられているので、ウエストコースト国立公園とは違った花も見ることができました。 これらの花は、ケープを代表するフィンボスという植物の中の代表的なグループであるプロテア属の花です。最初の花は、キングプロテアで、南アフリカの国花でもあります。他の3つの写真は、ピンクッ...
前回、ウエストコースト国立公園の花を紹介しましたが、今回は公園内で見かけた動物たちを紹介します。花と違って動物たちは、カメラを向けている間、動いてしまうのと距離があるので、思った写真を撮るためにたくさんシャッターを押してしまいます。特に鳥たちはじっとしてくれないので、シャッターを切る前に飛んで行ってしまったり、ピントが合わなかったりして難しいです。 花畑のシマウマ(Cape Mountain Zebra)たち。シマ...
今月、2年ぶりに花畑を見にウェストコースト国立公園へ行ってきました。本当は8月中に行きたかったのですが、行ける日の天気が良くなかったりして、結局いつもより遅く行くことになりました。時期が遅くなったので、いつも鮮やかな色を見せてくれるオレンジ色(Namaqua Marigold)、黄色(Cape Weed)、白色(Rain Daisy)のガザニア系の花が少なくなっていました。今回多かった花は、紫色(マゼンタ色)のHongerblom(Senecio are...
◆ケープが登場する作品オランダ東インド会社が1600年代半ばに食糧補給基地としてケープに入植してからしばらくの間、ヨーロッパの人たちにとってケープは帆船で何か月もかかる遠い遠い未知の存在でしたが、イギリスが植民地化した1800年代に入ると、ヨーロッパで書かれた小説などにケープに関わるものが登場するようになったので、その頃にはケープの存在はヨーロッパに広く知れ渡っていたのかなと思われます。今回は、ケープに関...
◆見どころ(パール/ウェリントン)②●アフリカーンス言語博物館(Afrikaans Language Museum)この建物は、1860年頃にパールのワイン農家だったギデオン・マルヘルブ(Gideon Malherbe)氏によって建てられたジョージアン様式の住居です。1階はマルヘルブ家族が暮らしていた当時の様子をできる限り再現するよう、実際に使っていた家具や装飾品、道具などが展示されています。 マルヘルブ氏は、アフリカーンス語の普及を目指して187...
◆見どころ(パール/ウェリントン)①※パール山からパールとウェリントンの町を望む1657年にアブラハム・ガッベマ(Abraham Gabbema)率いる探索隊がこの一帯を探検し、1687年にはシモン・ファンデルステル(Simon van del Stel)の指揮のもと、ステレンボッシュ(stellenbosch)とは別に、ここにもフリーバーガー(Vrye Burgher:自由市民)たちを入植させて農地開拓を始めました。それ以降、この一帯は時代とともに穀物、ワイン、...
◆見どころ(ステレンボッシュ)④●週末マーケットケープタウンには、土曜日(週末)のみ開かれるマーケットがいくつもあり、ケープトニアンは家族や友人と出掛け、そこで食事をしながらおしゃべりしたり、ゆったりとした時間を過ごす人が多いです。ステレンボッシュにも土曜(週末)マーケットが開かれている場所があります。・ルート44(Rout 44)このマーケットでは、年に一回、日本の文化を紹介する「ジャパン・デイ」(ケープタ...
◆見どころ(ステレンボッシュ)③●バーガーハウス博物館(Burgerhuis Museum)ビレッジ博物館のブレッターマンハウスと同時期の1700年代終わり(1797年)に建てられた典型的なケープダッチ様式の住居とその当時の生活の様子を復元した博物館です。こちらも裕福な家庭の住居で、当時使われていた家具は豪華なものでした。正面にはケープダッチ様式に見られる立派な切妻屋根(入口の上の部分)があります。この切妻の形は、時代によっ...
◆見どころ(ステレンボッシュ)②●ステレンボッシュ・ビレッジ博物館(Stellenbosch Village Museum)こちらの博物館では、ステレンボッシュにフリーバーガーたちが移り住んだ1600年代後半から1800年代終わりまでの人々の生活の様子を展示・紹介しています。年代ごとに4つの建物に分かれ、それぞれの建物に案内人がついて紹介してくれます。(英語でですが)博物館のチケットを購入するこの建物では、ステレンボッシュにヨーロッパ...
◆見どころ(ステレンボッシュ)①1679年10月にケープ総督として就任したシモン・ファンデルステル(Simon van del Stel)が未開の地を探検した際に発見した、農地に適した土地で、その半年後にはフリーバーガー(Vrye Burgher:自由市民)が移り住んで土地を開墾し始めました。また、ファンデルステル自身もこの土地を気に入り、「Van der Stel se Bosch」(ファンデルステルの森)という名前をつけ、自分の誕生日になると毎年ここ...
◆見どころ(フランシュフック)フランシュフックは山に囲まれたこじんまりした町で、山の斜面にはブドウ畑が広がっています。※フランシュフックの町の展望(Franschhoek Passより)かつてはオリファンツフック(Olifantshoek)と呼ばれ、象などの野生動物たちが歩き回っていた谷間に、フランスから避難してきたユグノーたちがこの地に移り住み、十分な道具もない中で農地を開拓して町になりました。現在は、ユグノーたちが開拓した...
●KWVの設立P.J. ハノン(P.J. Hannon)や、レイモンド・デュボア(Raymond Dubois)が協同組合型ワインセラーを提唱していた同じ頃、チャールズ W.H. コーラー(Charles W.H. Kohler)という人物が、1907年、南アフリカのワイン産業の保護と成長促進を目標に掲げた「植民地ワイン農家・ワイン商人協会」(Colonial Wine Farmers and Wine Merchants’ Association)を設立しました。※チャールズ W.H. コーラー(KWV Emporium展示物...
●ジャガイモ臭いワイン1700年代後半からコンスタンシアで生産されたコンスタンシアワインを除いて、オランダ東インド会社が入植した当初から、ケープで生産されていたワインはずっと質の悪い(評判の悪い)ワインでした。1800年代終わりのイギリスでは、ケープ産ワインのことを「惨めなゴミ」「極悪」「不潔」「ジャガイモ臭い」などと、思いつく限りのひどい表現がされていました。おそらくは母国でワイン生産をしていた人もいた...
●イギリス植民地時代1800年代に入り、ケープがイギリスの植民地になった後、イギリスでケープ産ワインの需要が高まりました。当時ヨーロッパではナポレオン戦争が起き、ナポレオンがイギリスの経済的な痛手を与えようと、大陸との貿易を禁止する大陸封鎖令を1806年に発令しました。これにより、イギリスにフランス産ワインが入ってこなくなり、それを補うために1813年にケープ産ワインに特恵関税(減税措置)を与えました。それま...
◆ワイン現在は世界中のコンテストで受賞するほど質の高いワインを生産しているケープ(南アフリカ)ですが、1900年代半ばまでは浮き沈みの激しい歴史を歩んできました。●オランダ東インド会社時代会社が入植してすぐに開墾して作った畑(現在のカンパニーズガーデン)にも、わずかながらブドウを栽培してワインを造ったようですが、ケープへの入植は貿易船への食糧供給が目的なので、ワイン生産は重要ではありませんでした※最初の...
◆フルーツ生産地1892年、あるイギリス人が夢を持ってケープにやってきました。彼の名前はハリー・アーネスト・ビクター・ピックストーン(Harry Ernest Victor Pickstone)といい、ケープで果樹の苗木屋を開こうと考えていました。※ハリー・アーネスト・ビクター・ピックストーン(ウェリントン博物館展示物より)彼は19歳の1884年に兵士として遠征に参加し、イギリスの植民地であったケープにやってきました。遠征から無事に帰還...
●山脈越えウェリントンまで鉄道が到達した翌年の1864年9月、さらに山脈の東にあるウースター(Worcester)までの鉄道建設が計画されました。この区間は南北につながる山脈を越える必要がありました。馬車が峠越えをしていたベインズクルーフパス(Bain's kloof pass)は蒸気機関車にとっては勾配がきつくて登れないため、蒸気機関車が越えられる峠(タルバに抜ける現在のNuwekloof Pass)まで迂回しなければいけなかったことや、山...
●乗合馬車1824年、ケープタウンとパールの間を週2回行き来していた郵便馬車に人を乗せて、旅客サービスを始めました。※場所は違いますが、鉄道が開通する前にケープタウンとWynbergというところを走っていた乗合馬車(年代不詳)(引用 ※01)1852年にはバス会社が設立され、翌年からケープタウンとパールの間を毎日乗合馬車が往復するようになりました。1845年にはステレンボッシュとドラケンシュタイン北部のタルバ(Tulbagh)と...
◆交通現在は舗装された道路が整い、ケープタウンからステレンボッシュやドラケンシュタイン地域にあるパールやフランシュフック、ウェリントンの町には、自動車で1時間ほど走れば行くことができます。●馬車道1657年にアブラハム・ガッベマ(Abraham Gabbema)らが探検して、ドラケンシュタイン地域はケープタウンにいたヨーロッパ人に広く知られるようになりましたが、探検以降しばらくの間、新たに訪れるヨーロッパ人はほとんどい...
◆見どころ(フランシュフック)フランシュフックは山に囲まれたこじんまりした町で、山の斜面にはブドウ畑が広がっています。※フランシュフックの町の展望(Franschhoek Passより)かつてはオリファンツフック(Olifantshoek)と呼ばれ、象などの野生動物たちが歩き回っていた谷間に、フランスから避難してきたユグノーたちがこの地に移り住み、十分な道具もない中で農地を開拓して町になりました。現在は、ユグノーたちが開拓した...
●KWVの設立P.J. ハノン(P.J. Hannon)や、レイモンド・デュボア(Raymond Dubois)が協同組合型ワインセラーを提唱していた同じ頃、チャールズ W.H. コーラー(Charles W.H. Kohler)という人物が、1907年、南アフリカのワイン産業の保護と成長促進を目標に掲げた「植民地ワイン農家・ワイン商人協会」(Colonial Wine Farmers and Wine Merchants’ Association)を設立しました。※チャールズ W.H. コーラー(KWV Emporium展示物...
●ジャガイモ臭いワイン1700年代後半からコンスタンシアで生産されたコンスタンシアワインを除いて、オランダ東インド会社が入植した当初から、ケープで生産されていたワインはずっと質の悪い(評判の悪い)ワインでした。1800年代終わりのイギリスでは、ケープ産ワインのことを「惨めなゴミ」「極悪」「不潔」「ジャガイモ臭い」などと、思いつく限りのひどい表現がされていました。おそらくは母国でワイン生産をしていた人もいた...
●イギリス植民地時代1800年代に入り、ケープがイギリスの植民地になった後、イギリスでケープ産ワインの需要が高まりました。当時ヨーロッパではナポレオン戦争が起き、ナポレオンがイギリスの経済的な痛手を与えようと、大陸との貿易を禁止する大陸封鎖令を1806年に発令しました。これにより、イギリスにフランス産ワインが入ってこなくなり、それを補うために1813年にケープ産ワインに特恵関税(減税措置)を与えました。それま...
◆ワイン現在は世界中のコンテストで受賞するほど質の高いワインを生産しているケープ(南アフリカ)ですが、1900年代半ばまでは浮き沈みの激しい歴史を歩んできました。●オランダ東インド会社時代会社が入植してすぐに開墾して作った畑(現在のカンパニーズガーデン)にも、わずかながらブドウを栽培してワインを造ったようですが、ケープへの入植は貿易船への食糧供給が目的なので、ワイン生産は重要ではありませんでした※最初の...
◆フルーツ生産地1892年、あるイギリス人が夢を持ってケープにやってきました。彼の名前はハリー・アーネスト・ビクター・ピックストーン(Harry Ernest Victor Pickstone)といい、ケープで果樹の苗木屋を開こうと考えていました。※ハリー・アーネスト・ビクター・ピックストーン(ウェリントン博物館展示物より)彼は19歳の1884年に兵士として遠征に参加し、イギリスの植民地であったケープにやってきました。遠征から無事に帰還...
●山脈越えウェリントンまで鉄道が到達した翌年の1864年9月、さらに山脈の東にあるウースター(Worcester)までの鉄道建設が計画されました。この区間は南北につながる山脈を越える必要がありました。馬車が峠越えをしていたベインズクルーフパス(Bain's kloof pass)は蒸気機関車にとっては勾配がきつくて登れないため、蒸気機関車が越えられる峠(タルバに抜ける現在のNuwekloof Pass)まで迂回しなければいけなかったことや、山...
●乗合馬車1824年、ケープタウンとパールの間を週2回行き来していた郵便馬車に人を乗せて、旅客サービスを始めました。※場所は違いますが、鉄道が開通する前にケープタウンとWynbergというところを走っていた乗合馬車(年代不詳)(引用 ※01)1852年にはバス会社が設立され、翌年からケープタウンとパールの間を毎日乗合馬車が往復するようになりました。1845年にはステレンボッシュとドラケンシュタイン北部のタルバ(Tulbagh)と...
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◆ユグノー(Huguenot)1500年代後半、フランス国内でキリスト教徒の中のカトリック(旧教派)とプロテスタント(新教派=ユグノーと呼ばれていた)との間で宗教戦争(ユグノー戦争)が起こりました。(フランスはカトリックの国)1598年4月、アンリ4世による「ナントの王令」で(条件付きではあるが)信仰の自由が認められ、戦争は終結しました。 ※ナントの王令とフォンテーヌブローの王令(フランシュフックHuguenot Memorial Mu...
●Stellenbosch1679年10月にケープ総督として就任したシモン・ファンデルステル(Simon van del Stel)は、就任早速、ケープ周辺の未開の土地を探検して回りました。目的は、貿易船に補給する食糧や、ケープに移り住んだ会社社員たちの食糧の需要が増え、食糧増産(穀物生産)するための農地に適した土地を探すためでした。1679年11月、ファンデルステルは兵士を引き連れて東に向かい、その夜は小川のほとりで野営しました。その小...
◆ワインランド南アフリカではワイン生産地をワインランドと呼び、それらの多くがある西ケープ州をいくつかの地域に分けて観光ツアーが企画されています。多くのワイナリが集まっているのがステレンボッシュ(Stellenbosch)と、フランシュフック(Franschhoek)やパール(Paarl)、ウェリントン(Wellington)が含まれるドラケンシュタイン(Drakenstein)と言われる地域です。これらの地域を中心に歴史や観光スポットなどを紹介し...
◆インド人年季奉公労働者1848年、ダーバン近郊に住んでいたエドムンド・モアウッド(Edmund Morewood)は、いち早くサトウキビの苗を輸入してサトウキビ栽培を始め、1851年にナタールで初めて砂糖を生産しました。これをきっかけに、ナタールの農家が次々とサトウキビ栽培を始めて、耕作面積が広がっていきました。それに伴って、農場での働き手が必要になってきました。この時はすでに奴隷を使うことは認められず、新たな働き手を...