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頑張らない生き方 https://blog.goo.ne.jp/youko-cafetaim

膠原病他いくつもの疾患と道ずれの毎日病気になって見えた世の中自分の内面を思いのままに書いています。

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2020/10/17

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  • 信じられない思考回路

    今、住む里山は穏やかで心身の静養に最適だと自負していたのに・・・信じられない出来事に、取り乱してしまったのです。70年以上も生きて居れば半世紀近くもシングルで生きて居れば世間の風にも吹かれ身を守る術も分かっているつもりだったけど・・・今回は、許容できないのです。自治会主催で高齢者を対象に「貯筋体操」を始めるからと団地の上階の方から再三誘われたので初日に顔出しをしたのです。男性は二人位で女性が10人位自治会館に集まりました。何故か?まとめ役は民生委員の方。この民生委員の方の思考に振り回され続ける羽目になったのです。私がこの公営住宅に入居して間もなく、この民生委員が訪ねて来て名刺を出したものの、すかさず「どこの病院に行ってるの?」と言う。取り合えず大学病院名を告げたが、私は7診療科を受診しているので国立病院に...信じられない思考回路

  • 墓じまい事情

    今朝パソコンを開けると「墓じまい」の文字が目にはいった。私は墓じまいどころか、自分の骨を子供達の負担にならないように・・・と考えている最中。そういえば従妹が去年言っていたわ~。私のルーツである〇〇家の先祖代々の墓があるお寺の檀家として毎年それなりのお金を収め、寺の改装などには結構なお金を寄付して、門扉の脇の所に大きな文字で我が祖先の名が掘られている。母は跡取り娘として○○家を継いだが末娘の叔母が病弱で・・・私と同じ膠原病と後にわかって祖母は、末娘を嫁に出すことが心配で手元に置き婿さんに来てもらった。・・・とは言え実家の姓を名乗ったが婿さんと養子縁組をしたわけでは無い。幾つかの飛び地を持ち、祖母は煙草や練炭小間物の商いをし川淵の家には父と結婚した母が家業の一つ船宿や干し海苔を作って暮らしていた。無知とは怖い...墓じまい事情

  • 兄弟姉妹は他人の始まり

    兄弟姉妹は他人のはじまりとは耳にしていたが我が身の事になるとは・・・・。姉夫婦は今年80歳兄夫婦は77歳・・・とお陰様で元気ですが私は60歳の時に故郷から飛び出しこの里山に住んでいる。跡取り娘の母は64歳で逝った父亡き後まだ33歳の兄に頼りきって事実上の家主扱いだった。父40歳半ばで軽い脳梗塞になり労働が難しくなったとき母が親から受け継いだ土地に借家を建て家賃収入で生計を維持していたがその借家も劣化し、設備もそぐわなくなったので母は建て替えを提案したが銀行マンだった兄は反対していた。姉も私も苦しいながらも子育て中なので詳細に口出しはしない。やがて兄が60歳の頃支店長までは昇進したが団塊世代でそれ以上の昇進は頭打ちとなり給料を下げて、銀行に留まるか?他社に出向して高給を得るかの選択を迫られた。兄は後者を選ん...兄弟姉妹は他人の始まり

  • 猿まねは所詮猿まね

    佳子さまが皇室としてペルーに訪問したようで、週刊誌やネット・テレビに映りだされている。気になったのは姉真子さんが訪問した時と同じドレス・同じ振袖をお召しになった記事です。愛子内親王は成人の儀を社会情勢を鑑みて自分用にティアラを新調せず、一般人に嫁いだ叔母のティアラを借り受けている。この先皇室の一員として終生過ごすのか?あるいは民間人となられるのかは兎も角祖母や母に当たる美智子様や雅子さまのティアラが使われなくなったときそれらを胸張ってご利用なされる覚悟が感じられた。今回真子さんが且つて訪問したペルーに佳子さまが訪問する際これ見よがしにブルーのドレス・緑がかった振袖をそのまま着ているのを見て吹き出してしまった。母、紀子妃の浅はかな入知恵と想像つかぬ人は少ないだろう。いずれ民間人になる立場と称して秋篠宮邸新築...猿まねは所詮猿まね

  • 忘れていたのに…心無い兄家族

    もう15年近く前の事で忘れていたはずなのに、急に嫌な思いが胸を締め付けてきた。母が肺ガンと判り…しかしもう89歳。ドクターの説明を聞き私達子供達で辛い検査や治療は受けず在宅で看取ることにしたのです。母にはガンとは言わず、「肺炎の悪化で、お医者さんと看護師さんが往診に来てくれるよ」と住み慣れた家で、庭木や花の見える所に介護ベッドを置き家族と同じ物を食べる生活をしていた。私は毎月3~4日泊まる支度をして母のベッドの下に寝る。私自身幾つもの不調を抱えての事なので通院の合間をぬっての訪問です。私が出向いた時に兄嫁には自分の用事をして貰い、母が食べたい物を作る為に食材を予め買い置きして貰う。そんな日常を過ごしていた時、入院していた兄嫁の父親(長野県)が亡くなったとの連絡があったようだ。兄嫁は三姉妹の長女で、シングル...忘れていたのに…心無い兄家族

  • 漠然~と 後5年

    数日前からから漠然~と「あと5年」という数字が頭の中に浮かんでいます。あと5年…とは私の心臓が動いている時間。そしてその数字に満足し納得している私がいます。逆算して今何をするべきか?を思うのです。月曜日は大学病院の膠原病内科受診でした。毎回、血液検査と尿検査をします。腎臓の機能を表す推算GFR値が39.5・・・段々下がってきています。60が下限値で、20を下回ったら透析の準備でシャントを作ります。10を割ったら透析です。週に3回、4~5時間かけて血液中の不純物を濾過する機械に体内の血液を循環させる・・・延命装置です。かつて透析をしている人達と交流があって、誰一人として、「透析のお陰で」とは言う事はありませんでした。毎日、息苦しく、気だるく、食事も可成りの制限があり、日々の生活は通院が第一優先でしかない。私...漠然~と後5年

  • 裏切らないで・・・訪問看護システム

    昨年は突然意識が無くなり硬直したまま倒れるというアクシデントに見舞われました。大きな失神は3回で全く予兆もなく気が付けば床やトイレに転倒していて都度、骨折。意識が戻っても判断力無く、ヘルパーさんに促されて病院へ。診療科をいくつも廻されて「てんかん」と診断されたが、脳波検査をしていないので確定ではない。ケアマネさんが、緊急通報電話を市役所に手続きしてくれた。リハビリ型のディサービスは余り良い顔をされず退所。それで訪問看護を薦めてくれたのです。3人の看護師が交代で訪問しバイタルチェック顔色、身体状況、などを観察し自分で出来ない、足の爪切や擦り傷の手当などをしてくれる…はずだった。しかし3月半ばに責任者とケアマネが来て説明を聞き、契約した。緊急時24時間対応だが、事務所で連絡を受け判断し、看護師を招集し、必要機...裏切らないで・・・訪問看護システム

  • 友遠方より来る 又遠方より旅人来る

    以前約30年程住んでいた町から、友人が紅く化粧をした滝を見に来ると連絡があった。勿論異性の友達です。彼とは色々なストーリーがあり、絶縁状態の続いた後、人間として付き合える関係になった。男と女は…終わった。嫉妬も…終わった。旅費も食事も割り勘で、我が家に泊めても…なんてことは無い。80歳を超えた男性が100歳の寝たきりの女性を強姦したニュースを見た時「若いね~」と半分侮蔑の気持ちで見られる位、私と彼の精神年齢は不詳の付き合いです。彼は未だシルバー人材に登録して1日4時間の労働をしているので連休を取るのは簡単ではないようで暇な私が合わせるようにしている。昨日、彼は前日遅番の仕事を終え帰宅後すぐに寝て、朝食も摂らずに特急電車でやって来た。私はお昼のお弁当とお茶を用意しリユックに詰める。コロナ封鎖解禁の秋は観光客...友遠方より来る又遠方より旅人来る

  • 秋が急ぎ足で・・・

    あんなに暑くてイライラしていた9月が過ぎるとカレンダーの1枚を切り取るように秋が来た。まだ陽に当てて無い冬用の掛布団を取り出し足元に置く。夏用のTシャツを洗い仕舞い支度。私に頭の中を何かか通り抜けて行く。季節は人生その物?かも知れないって考え。暑さを目の敵にしていたのはエネルギーを持て余す若かりし頃と同じかも知れない。尖ってみたり、燃えてみたりの時代がずっと続くと思っていたら突然、疲労感が襲って来て、自分がそう若くない季節を歩いていると知る。時々、深い雪に埋もれて息絶える日を想像する。それが私の潜在的理想なのかも知れない。今迄幾度となく入院をし、手術を経験した。手術台には自分で上がり横たわるが数秒の内に看護師らが首の所に間仕切りを作り両手、両足が拘束されて、やがてス~と眠り落ちるので医師の呼びかけで薄っす...秋が急ぎ足で・・・

  • 人生 第3章がはじまる。

    末っ子の私は深読みするタイプでは無かったので、流れのままに、ちょっと不合理?・・・と思う事は多々あってもその波に乗って生きて来ました。いろんな事が有っても、「因果応報」の心情が支えだったのかも知れません。時は流れ33歳で子供2人を連れて離婚しました。話がこじれて調停へ。8カ月掛かりました。その間、子供は転校し、私は保険会社に勤務しました。氏をどうしよう・・となった時子供が年度の途中で氏が変わる事のリスク・・イジメ!!名刺を持って学校の共済の営業をしている私の「どうしたの?」の質問攻めを想像する時、リスクを最低限にするために夫の姓を名乗り続ける事にしました。まだ若い弁護士は実家に戻らないんですか?どうして嫌になった夫の姓を使うんですか?などなど・・そのたびに目を丸くして「えぇ・・そういうもんなのですか?」と...人生第3章がはじまる。

  • コロナとの晩夏

    9月ともなれば早秋とかくべき季節だが今年はまさに晩夏の暑さでした。11日に医療センター受診後、疲れを感じ夕飯もそこそこに床についてしまったが翌朝、寝汗びっしょり、頭ふらふらでいつも枕元に用意してある体温計を加えると40度近くまで上がっていく。一度は起床し水を飲み・・・またベッドに。食欲無し!思考力無し!午後になったら熱が下がった。幸いとばかり、シャワーを浴び着替えをして何某かの食事をとるが味が妙?甘味も塩味も感じず、苦味だけ。こんな時間を3日程過ごして近所のクリニックに電話をした。私は幾つもの難病と言われる疾患を抱えて、多量の薬を服用しているので開業医の敵らしい。この里山の町に着て13年が過ぎたが、風邪らしき発熱等で開業医を受診してもお薬手帳を見るなり「掛かりつけ医(大学病院)に~」と返された事数回。救急...コロナとの晩夏

  • 長男の嫁 ③

    私が嫁いで直ぐに実家は二世帯住宅に立て直した。父が50歳半ばで軽い脳梗塞を患い、船宿を続ける事が困難になった事もあるが、母は跡取り娘で不動産等は母の名義であり、入り婿だった父は家業が継続できなくなれば母の計画をあからさまに反対も出来ない立場のようであった。兄は某信託銀行に勤め貸付担当という立場、バブル期とあって顧客からの付け届けで実家の廊下は塞がるほどだったから、実家は母と兄とで何事も決まっていった。新居が建ち、親戚一同が集まった。兄嫁は都内国立で歯科医院をしている伯父の所で歯科衛生として勤めていた頃兄が患者として出会ったようだ。3人姉妹の長女でしっかりしている雰囲気はあったが親族一同を接待するその姿はすでに若女将を思わせる身動きだった。私は実家を離れた者、指図されるがままに御勝手で食器洗いなどしていた。...長男の嫁③

  • 長男の嫁 ②

    私の生家には3歳年の兄の妻・・・長男の嫁さんがいます。跡取り娘だった母にとって兄は希望の星であり、溺愛の対象だった。兄が彼女を家に連れて来た時、母は占星術の本を開き自分と彼女との相性が良いとそれは大喜びだった。兄の先輩の方が仮仲人となり、兄・両親・そして何故か?私も共に信州の彼女の両親の元へご挨拶に出かけた。そして私は仮仲人さんに、「お兄さん達がご両親と一緒に住むのだから君も早く独立しないとね・・・」と耳打ちされたがとっさには理解できなかった。21歳の私は、学生の延長上に生き、大人の恋愛も、ましてや結婚を考えてはいなかったので美容師の資格を取り勤務していた美容室に住み込みで勤務しなければいけないのか?そんな事をぼんやり考えていた。徒弟制度を根強く残す美容師の世界の給料は安い。御指名のお客様が増えてやっと認...長男の嫁②

  • 長男の嫁 ①

    結婚すると女性の多くは「嫁」と呼ばれる。兄弟が居れば、特に長男の嫁は特異な存在である気がする。長男の嫁が産んだ子は又特異な存在の孫でもあるようだ。長年続いた日本の家長制度の名残なのでしょう。少子化、そして結婚しても子供を産まない選択をするようになった昨今ではやや風潮が変わって来てはいるものの、団塊世代の私達は家長制度を当然と考える親の元で育ちしかし、少子化で長男・長女の結婚で「家」に縛られない自由を満喫する子供達の狭間で何となく割の合わない思いをしているような気がする。私もかつては「長男の嫁」であった。僅か9年の結婚生活で終止符を打つことになったが、今思い出しても苦い胃液がこみ上げる。夫であった人は、幼少期に両親が離婚し、母親と一緒に東北の里・・実家に戻ったようだ。里には年老いた祖母と、子供に恵まれなかっ...長男の嫁①

  • まさかの・・・コロナ

    先週の月曜日は市内の医療センターの受診でした。帰って来た時妙に疲れていて、夕飯もそこそこに寝てしまったのですが翌朝目が覚めると鉄板の上に寝ているような身体の痛みと熱っぽさで身動きが出来ず体温計を加えると38.6度もある!!木曜日にヘルパーさんが来るまでの記憶が曖昧だけどヘルパーさんが来る前に検温すると38度は確実。玄関の鍵を開けてテーブルの上に買い物のメモを置きベッドに潜りこんでいました。ヘルパーさんは手慣れたもので余計な会話をせず、買い物とキッチンの洗い物をして帰りました。ウトウト・モヤモヤしながら、起きられる時は冷蔵庫を開けてみるのですが味覚が可笑しくなっていて、何もかも不味く感じます。土曜日になってこれは只の風邪ではなさそう!!この後連休だし~と・・近くのクリニックに電話をすると、「タクシーでおいで...まさかの・・・コロナ

  • 長~い眠りの後で

    ご無沙汰していました。長~い眠りの中で、いろんな夢を見ていたような、良くも、悪くも、思考も行動も停滞している間に1歳年が増え74歳になりました。今年兄は77歳姉夫婦は80歳になります。細やかな手作りの梅干しと新生姜のガリを作り暑中見舞いとして送りました。兄嫁の母が10年近く認知症の末、老衰で眠り、兄嫁の末妹の夫が一回り年上だったのですが、やはり認知症で施設に入り義母を追うように翌月眠ったようで・・・(内輪でこじんまりと葬儀を済ませたと後で聞いたので)喪中の最中の祝い事は、さり気なく。私の父は44年前に逝き、母は14年前に逝ったので、41年前に子供を連れて離婚した私は家庭を築き真っ最中の娘と息子と姉と兄がいわゆる親族だが、年々親族の濃さが薄まって行くと感じるのは私だけだろうか?用があれば、メールが来る。私に...長~い眠りの後で

  • 忘れたはずなのに・・・

    人生長く生きて来ると、時々思い出して、ウルウルしたりあの時、もしも言えたら・・・とかあの人、今どうしてるかしら?今逢えたら・・・と思える、懐かしい想い出の中にずっと生きている人と「忘れなくちゃ」「絶対忘れよう」「きれいさっぱり忘れて,無垢になって終わりたい」・・と両極端の思いに胸痛む出来事がいくつかは誰にもあります。今の私は、最初に書いた甘酸っぱい想い出で時々胸が苦しいくなることが多いけどそんな時想いが叶わなかったから美しい過去なのねと一人想い出に浸る事が多いのです。でも「きれいさっぱり忘れて、無垢になって・・・」と時々胃が痛くなるような思いがこみ上げてくることもあるのです。どんな理由があってもどんな辛い目にあってもいつまでも人を恨むのはおやめなさいと自分に言い、良い関係、良くして頂いた事もあるでしょ、自...忘れたはずなのに・・・

  • 気儘にのんびり でも考えていますよ。

    昨日、3月25日は母の命日であり44歳で逝った娘の夫の誕生日でした。母は77歳のお祝いをした後に発症した大腸の病気で手術・通院、縫合が拙くて再手術。入退院をしている時に肺がんが見つかり、90歳近くなっていたので在宅緩和ケア―で看取りました。娘の夫は仕事の都合で近親者のいない福島に移住。順風に来ていたと安心していたが、突然、職場で頭痛を訴え、病院に行った時は既に・・・。娘は看護師だったので、冷静に状況を理解し、怖い位たんたんと「もしもし、お母さん!竜ちゃんが永眠しました」電話をしてきました。生きた年数。長い看護の末にやっぱり・・・の別れ。だれも本当の最期に合わず、一瞬で逝った別れ。でも悲しみは同じ重さだと感じる。でも人間関係が大きく揺れる眩暈を感じる。私は母亡き後、ぎくしゃくしていた兄達と距離を置くために6...気儘にのんびりでも考えていますよ。

  • 新しい試み 訪問看護サービス

    先日、ケアマネさんが、訪問看護サービスの責任者と来られました。私のケアマネさんは息子より若い(既婚者)男性でもう10年もお世話になっています。血縁の家族よりも身近な人かもしれません。去年、てんかん発作で怪我をしたり・・・でディも辞めたしコロナ禍で友人とランチもしないこの頃・・・・というか?今年8月で74歳になる私の脳みそと身体の変化を見据えての事と思うのですが、難病の分類に入るいくつもの病気と同棲している私の心身の変化を案じて週1回、看護師さんが家に来てくれて体調や諸々変化を診て、相談や診療につなげてくれるシステムのようです。これも介護保険制度の一つ。男性では入り込めない部分をホローする為と言っていたけど周囲は、認知症やパーキンソン病などで家族介護が問題の年齢になり、でも私は一人暮らしを貫いているから兄弟...新しい試み訪問看護サービス

  • 今も辛い 抜歯の後

    歯の抜歯(根尖性歯周炎の最終段階)は眠っている間に終わり点滴に鎮痛剤と化膿防止の薬を入れ、ウトウトと一晩が過ぎました。シェーグレン症候群を発症してから、唾液が出ない所為か?歯の劣化が進み、何度も治療、抜歯をしてきたけれど今回が一番辛かったかも。2週間が過ぎても、歯茎の爛れ、潰瘍状態は残ったまま歯を抜いた後の縫合は自分で見るのも嫌なほど凸凹して、はち切れそう。左右の扁桃腺も赤く炎症を起こしたまま。今迄の口腔外科のベテラン医師達は異動になり若手医師ばかりになって、専門医以上は2人だけなのも不安要因です。思い出すのも辛い程ソフト面、ハード面で薄っぺらな医療行為に出くわしてしまいました。追記*医療保険の不思議?日帰りで局部麻酔で出来る巻爪の手術には手術給付金が出ますが5日も入院し全身麻酔で歯茎を切開し3本歯を抜い...今も辛い抜歯の後

  • 今日から入院です

    先週末にコロナの陰性が確定したので、予定通り入院です。今までの2泊3日ではなく、ちょっと厄介な敵で4泊5日になりました。病名は根尖性歯周炎というもので、大分前に神経を取りクラウンを被せた所に、自己免疫が落ちた時、細菌が根元まではいって潰瘍を作り、歯はドロドロに溶け、歯茎から膿が吹出し、いかにも悪玉の形相の潰瘍が歯五本分に広がっています、重度の潰瘍です。明日手術ですが、何度通院したことか?ドクターとバトルしたことか?姉達も八十歳近くなりアチコチほつれた身体が辛いからと、酒の立会に来れないと、手紙と小遣いを送ってくれました。通い慣れた国立病院なので不安はないけど、私も姉達も、歳を実感するこの頃です。病院の食事が美味しいのが救いです、でも明日は手術で絶食😥明後日はプリン食べられるかしら?今日こそ...今日から入院です

  • 口腔外科の手術・・・不安です

    17日に口腔外科を受診し、相変わらず若い医師(後期研修医?)はボソボソと言うだけ。看護師にサインを求められたのでサインしてしまった・・・・。医師と看護師の署名が入っているだけで2行位の文章が書かれ良く見ない私が悪い?!医師から名前を呼ばれ、診察室に入り椅子に座ると、パソコンから沢山書類を出しはじめます。チラっとみると、私の病名は「根尖性歯周炎」と印字され、手技「抜歯」とかかれていました。ネットで検索していたので、その病名がどういうものか?私なりに知ってはいましたが、・・・それでも医師は口頭で説明をしません。「7日が手術だから6日に入院ね。翌日退院。」とあっさりというのです。私にとって上の歯の1番2番4番の3本も抜かれるのに2番と4番はもう根っこしか残って居ないので切開し、炎症のある部位を切り取る手術で人前...口腔外科の手術・・・不安です

  • やっと決まった口腔内手術

    今月は不気味な位静かな闘病です。暮から違和感のある口内炎?が益々酷くなって・・・でも、痛くは無いんです。赤く爛れて、歯茎が腫れている真ん中にニキビみたいなものが・・ネットで検索したら歯肉炎に良くにているけど口内炎や歯肉炎は2週間位で治るらしいけど悪化していくのは歯肉ガンみたいなのです。1年位前に歯のCT検査で副鼻腔炎が有る事が解ってでも、私はシェーグレン症候群で涙も唾液も、鼻水も出ないので時々手鏡を見ながら鼻の中を覗くと白いチーズみたいな物があったりです。国立の口腔外科医師は病名も言わず、レントゲン写真しか診ず、私の口の中をのぞく事も有りません。2週続けて、「いつ(手術)する?」って聞いてきて具体的な説明も無く・・・で、3月6日に入院7日に手術になりました。又、17日の午後受診の予約が入っているけど、今度...やっと決まった口腔内手術

  • 厄介なご近所さん

    あ~つかれた~。73年生きて来て、何が一番大変か?なんて判っているはず。でも、でも、今更ですがご近所さんとの関係に疲れています。我が家は公団の3階で4階には女性が二人住んでいます。私より少し年上の70歳代。理解力とか判断力とか柔軟性とか・・・は年齢の所為だけではないようですね。分かっていても、私は憂鬱な気持ちを持てましているのです。一昨日の朝9時過ぎた頃に4階のSさんから電話があっておはようございます・・と言い終わるかどうかの瞬間怒りの感情を込めた声で「あんた!ゴミはどうしたのよ~」と。ゴミとはSさんが買い物に使っていた大き目の押し車と私のアイロン台のことです。アイロン台が立って使うタイプの大きなもので、Sさんがもう使わないからと押し付けるように私の家に運んで来た物です。暫くは、電動ミシンの台として使って...厄介なご近所さん

  • 息子の誕生日

    昨日2月9日は息子の48歳の誕生日でした。いつも、2歳年上のお姉ちゃんの後ろを歩いているような消極的で自分の意見を言わない息子でした。小学校低学年の時、通学に花やの前を通ります。きっとカーネーションの切り花を見ていたのでしょうね。そして、小遣いをためていたのでしょうね。母の日に、白い花の入ったポットを一つ私に差し出し「おかあさんごめんね・・・」と言う。お花屋さんに行ったら、カーネーションが30円も値上がりして買えなかった。花やの叔母さんがこれだったら買えるよって・・赤いのじゃなくてごめんね。申し訳なさそうに差し出す息子だった。優しい息子の気持ちが嬉しくて、白い花のポットを庭に植えたら3年位、毎年大きくなって私を喜ばせてくれていました。そんな息子が、一人親家庭で、私の気配りもお金も足りず高校に入ってからいじ...息子の誕生日

  • 私、癌かも?

    年末、しかも体調の優れない時急に左上の歯がうずき始めのです。ずっと満足な食事も摂れなかったのに一層つらくてお粥とポカリスエットだけだったのに・・・。近くの掛かりつけの歯医者だったら、電動カートで何とか行ける!行こう!予約なしだっかけど必死だったので・・・・駆け込みました。幸い余り待たずに診て頂けました。治療してある銀歯の被せ物を外して貰うとす~とする快感?でも歯科医の顔は強張っていました。血と膿を吸引した後,舌で患部を探ると歯が全くなく穴が開いています。手鏡を渡されじっくり見ながら説明がありました。左上歯茎は赤く腫れあがり、そこにある歯はグラグラ。抜歯もやむ負えないとの説明です。又、国立病院の口腔外科に紹介状を書いて頂きました。家に帰ってから、手鏡で腫れあがった歯茎を観察し、YouTubeで検索です。口内...私、癌かも?

  • 夢は束の間 現実に・・・

    友とのゆったりまったり温泉の旅が帰宅してもほんのり硫黄泉の香で癒されていました。・・・いました。そう過去形です。昨日は暫くぶりにスーパーに出向いたのです。年末に姉夫婦から送られて来た野菜も乏しくなったので買い足ししないとね~・・・「物価高」は、毎日テレビから流れるキャスターの声でまた~!!と承知はしていたがスーパーの自動ドア―を入ると直ぐに練馬大根370円人参中小サイズ3本180円きゅうり1本90円デコポン2個590円えッえっえっ・・・・魚類暮の売れ残りみたいな乾いた物が暮の価格のままお肉も卵も右へ倣い。パン、バター、牛乳も高くなっているか、サイズが小さくなっているのです。これが現実の世界でした。あの料金であのお持て成し夢のようです。ツーリストを使って宿泊した方々のコメントの多くに食事の量がいまいち!で★...夢は束の間現実に・・・

  • 温泉はいいね~

    昨年末、友人が温泉に行こうよ~とお誘いがあって私の住む町の湯本までバスに揺られて行きました。電車の到着時間の1時間前に駅で友を待つ。見慣れた駅なのに、とても新鮮で不思議な気持ちです。パンフレットも新年になって変わっています。あら??バスの冬季割引・・・だって。「宿泊のお客様は半額」・・・だって。わぁ~お得。駅員さんに問い合わせすると宿泊のチケット?だって言うけど電話予約なので何も無い↓駅員さんが宿に問い合わせをしてくれて・・やった~片道分1120円で往復チケットをゲットです。最近は横文字ネーミングのホテルが多いけれど何故か?私は旅籠○○〇と言うお宿を予約しました。勿論価格的な事も有るけどね~まったりのんびりできる古き良き温泉に入りたくて。予約電話をした時は支配人かしら?落ち着いた声の男性でした。ネットで下...温泉はいいね~

  • 里山の冬・・・私は好き

    2日程前からピリピリとした寒さです今朝から白い物が舞ってきたわ~と思っていたらあっと言う間に、屋根も道路も真っ白に変身~。お勤めの方は大変ね・・と且つての自分の姿と重ねて思い出してほくそ笑む。でも今は1週間で1回位しか外出しない生活だからちょっと光熱費が気になって節約生活だけど、家の中でちんまりと過ごすにはとても良い景色なのです。やっと冬が来た・・・。犬の如く、心の中はちょっとはしゃいでいる私。江戸川が東京湾にそそぐ、そんな町で産まれ都心まで勤めに行って、夜の8時からが本番とばかりににぎわう繁華街で会社の上司の誘い、指示を当然とばかりに付き合って生きて来た私の過去。福祉の未熟だった時代にだから子育てもできたけど成れの果てがこの身体なのです。男性の多くはこんな人生を生きている・・・と今、そう思える歳になりま...里山の冬・・・私は好き

  • 息子の思いやり2と施設の現実

    息子が「群馬の施設に入る?」って聞いて来たのは多分、私が施設での生活を心底望んでいると・・・。でも違います。鎖骨を骨折し手術し、金属棒を入れたまま8カ月は動作制限があって暮らさなければならずヘルパーさんが週2回来てくれても家族の様に我儘も言えず45分間の家事支援では暮らして行けず隣の市のケアハウスに入居したことが有ったのです。書類上は月々10万円も掛からないと書かれても自室の電気、水道が別途、ワンルームとトイレだけなのに今の暮らしよりも高い請求でした。公共部分水道・光熱費が含まれているのです。60歳から100歳近い人までいるケアハウスの食事は当然、高齢者に合わせているので物足りず近所のスーパーなどで買い物をしてミニキッチンで調理して食べる。季節の果物も欲しい。洗濯物はコインランドリーで洗濯200えん。ドラ...息子の思いやり2と施設の現実

  • 息子の思いやりなのね?

    ずっと忘れていたのに・・・思い出してしまった息子の言葉息子は大学時代、飲食店でバイトをしたことがきっかけで卒業後、そちらの道に就職し群馬県で働き始めました。接客に慣れている息子を慕ってくれて良く食べに来てくれるお客様もいる様で息子のお嫁さんもその一人でした。最初は女子会で大勢で通ってくれた彼女から積極的にアプローチがあって・・・結婚する事に。本音を言えば、娘も息子も手の届くところにいて欲しかったが、娘もお嫁さんも看護師の道に進み、息子も娘の夫も、好きな人生を歩かせたい。子供達が相次いで結婚し子供が産まれた53歳頃から、私の心身に異変が始まり、結局難病で障害者に。今は要介護1でヘルパーさんの助けなくては生活できません。孫が産まれても、何も手伝いができない私。息子夫婦は4人の孫を設け、一生懸命共働きをしている...息子の思いやりなのね?

  • 有能な保険マンに幸あれ

    昨年11月に掛かって来た1本の電話。相手は、私が加入している外資系生保の代理店。名前はAさん。電話で大まかな話を聞いてはいたが、73歳で持病があって・・・保険の見直しなんてムリムリとお断りしたが、設計書をお作りしますので、説明だけで結構ですので・・・と口説かれお約束した日時に、パソコンをリモートにしての会話に身だしなみ、言葉選び、声のトーンが良くダメ元で見直し設計をして頂くことになったのです。実は私、33歳の時に子供を連れて嫁ぎ先を出て最初に就いた仕事が生命保険の外交員だったのです。幼い子供がいるので、時間的に融通が付き、収入も出来高で男女格差がない職業。朝、朝礼をしてコール(本日の目標)して出発です。その保険会社は教員の共済がメインであとは、各職種の組合関係なので比較的安全でした。かつて、結婚した相手は...有能な保険マンに幸あれ

  • 麗しき三角関係

    昨日16日は私の里の〇〇市で「純烈」のコンサートとか・・・30年来の友人が「純烈」のフアンで、住まいから1時間以上も掛けてライブにを見に行くと言う。同じ趣味のご近所友達と計4人で行くけど・・・私にラインで「私の旧友の営業している喫茶店に行きたい~」と言って来たので、住所と電話番号をしらせたが、旧友は、一人で昭和レトロな珈琲にこだわった生一本の営業しているくそ真面目な男で、常連さんが殆どで、4人分のランチを作るとなるとお待たせしてしまうと…遠回しにお断りが来たのです。駅前にはスタバやバガーショップ、その他飲食店は沢山あるが、何故か?私の旧友に興味があるらしい友人御一行。お詫びを兼ねて干柿と一緒にパソコンから地図をコピーして飲食店に赤丸を付け、駅から7分程歩いた所にあるやはり旧友の営業している「かつ甚」という...麗しき三角関係

  • ”私達・・モテルってことよ”の一言で・・・

    私の交友関係は細く長くのタイプのようです。一番長いお付き合いは小学校の同級生達。4年5年6年は組み替えがなかったので66年の間、付かず離れずで今も時々会う友人がいます。k子ちゃんは東北のご長男の嫁さんになったので帰省も儘ならず、親の最期にも間に合わず状態で当然、私達は55年間逢ってはいないが、年二度のハガキは欠かさずのお付き合いです。実は、私2度の離婚を経験しています。最初は子供達の父親なので悪口は言いたくないが給料は入れない。DV。マザコン。正体不明で私は子供を連れて逃げ出しました。子供達が家庭をもって一安心の時発症した病気で職を失い、喰えない生活の時に助けて貰った職場での友人の家に転がり込み、結婚したのですが・・・彼はある種の障害者です。娘は看護師をしていたので、理解できると思っていたがダメで、娘の夫...”私達・・モテルってことよ”の一言で・・・

  • ホームベーカリーは優れもの

    昨年11月頃、ネットで黒いボディーのホームベーカリーを買いました。いつもお正月はスーパーで既成のお餅を買っているのに・・・何故か?急にホームベーカリーが欲しくなってしまい気が付いたら買っていました。年末は買い物が多いのに何を血迷ったか?買ってしまいました。年末は、体調不良と、毎日煮物をしては小分け冷凍で食欲減退ぎみ。おまけに、歯茎が腫れてきて・・・味覚音痴に拍車が掛かり三が日はお粥と鮭の身をほぐしてあとはポカリスエットで過ごす始末。でも気付いたのです。やっぱり、ホームベーカリーは優れもの。8000円の買い物は無駄では有りませんでした。秋に新米のもち米をどっさり買ってあったのでお赤飯を作って、一人住まいの友人に煮物や、干し柿と一緒に送るつもりでした。友人は北海道出身で、あちらでは甘納豆でお赤飯を焚くそうです...ホームベーカリーは優れもの

  • 若いドクター ビビってる!!

    昨日は、朝7時27分のバスに乗って約1時間15分国立病院に着きました。年始の所為か?初診の窓口が混んでいます。約1時間待ってやっと口腔外科に。あら?すいているわ!何時ものことながら問診表に記入を求められて記入。担当は女医さんの名前になっている。先ずはレントゲン検査の指示書が出てお薬手帳も添えて提出すると間もなく名前をよばれました。1Fのエックス線検査室でパノラマと部分の写真を撮りに。診察室から名前が呼ばれ入室。でも女医さんじゃなかった。若いイケメンのドクターだった。無骨で愛想の悪い中年ドクターより、イケメンの話しやすい若いドクターの方が良いに決まってるわ。でも、パソコンで私の履歴を見ながら、なにやら考え込みカレンダーを持って来て手術日を探している様子です。私には7人の主治医が居て、かなり強めの薬を含め計1...若いドクタービビってる!!

  • 歯の治療

    今日は久しぶりに国立病院の口腔外科受診です。新年早々、歯茎が痛み、近くの歯医者に行ったら歯根が炎症を起こして膿が溜まっているとの事で被せてある銀歯を外し、お掃除をしたら僅かに根っこしか残っていません。近くに差し歯が有るのですがそれもグラグラして寿命は短しのようです。私は骨粗鬆症の治療薬プラリア注射をリウマチ科で受けているので骨壊死のリスクが高く、開業医の先生は扱えないようで紹介状を頂いて、国立病院の口腔外科で手術です。過去にも何度かしているので、静脈麻酔(全身麻酔に近い状態)で手術を行い入院して、発熱や出血を管理してくれ翌日止血の様子と消毒をして、異常なければ退院です。一人住まいなので、入院の方が安心です。今日は初診で行って、術日などを決め、説明を聞いてきます。昨年末、保険の見直し手続きをしたけどまだ証券...歯の治療

  • 成人式も様変わり

    私の成人式は半世紀以上前でした。そろそろお振袖が出て来た頃です。姉は訪問着と袋帯を誂えたのを覚えています。成人式・・・でもね、私、美容師だったからお店は前日から泊まり込みで準備して天手古舞なの判っていたから、先生にお休みくださいと言えずにいました。其の頃の勤め人は権利とか、有給とか言えない立場ですしだから何も用意してなくて・・・。12月半ば頃町から成人式の招待状が届きました。私達は団塊世代の最後でとても人数が多くて、文化会館に入りきれず午前と午後の二部式でした。私の住居地は午後の部勤務先の地区は午前の部「Yさん~成人式行ってもいいわよ」って先生が言うの。まっ~と思ったけど、一生に一度の記念だから仕事が終わってから、先生に髪を結い上げて貰い水色にピンクの花が散った小紋の小振袖に(これは美容学校の卒業パーティ...成人式も様変わり

  • クルミ餅に挑戦

    暮は煮物をどっさり作ってお裾分けで精一杯それでお餅は〇〇の切り餅にしました。でも本当は昔両親が臼と杵でついたお餅特に実家のの方では「かきもち」と呼ぶお豆の入った物青のりの入った物木の実が入った物で細楕円形に作り、ほぼほぼ硬くなってきたら薄切りにして寒晒しにした物が大好きでした。当時はお菓子なんて来客用なので「かきもち」を火鉢で焼いたり、油であげたりしてちょっと塩か醤油で味付けしたものが、冬のおやつでした。私、食べるばかりで作る工程をみてなかったのです。昨日、ホームベーカリーで挑戦してみました。もち米3カップ水3カップで焚いてかくはんの時にお菓子のクルミの実を入れてみました。あらら・・・・クルミの姿が有りません。その代わりミルクコーヒー色のお餅が出来ていました。バットにサランラップを敷いて餅粉を少し引き出来...クルミ餅に挑戦

  • ヤフオクにハマっています

    私の住む町は観光地として有名ですが、地理的には里山なのでとってものんびりです。暮らしやすい所ですが、電車は1時間に1本バスは2時間に1本しかないのでちょっと不便。観光地特有のお土産屋さんや飲食店はあるのですが日用品を買うお店はほんの僅かで足の悪い私には不便です。たまたま仕事でパソコン(当時は電算機と言ってました)を使っていたので、53歳でリタイア、闘病になったけど一人暮らしが出来るのはパソコンのお陰。年金が入ると支出管理をして食品はネットでまとめ買いをしています。楽天市場が多いですね。2か月分買ってしまいます。生ものは冷凍保存か干し物に。生活用品はヤフオクにハマっていますよ。ふふふ。年末にいつも千葉の友人が房総の切り花を贈ってくれてだから今年は大きな水盤が欲しくて年末にヤフオクで落札しました。一つは22円...ヤフオクにハマっています

  • 作話? それとも病気?

    ディサービスに通っていた頃、親しくしてくれた方の事。とても良い人なんですよ。脳梗塞で左半身マヒになってしまったけど奥様と良く連れ立って出かける前向きなな人。その方が時々変な事を言うのです。例えば父親が早くに亡くなり、中卒で働いていたけど東京の伯父が高校までは出なくては・・・と伯父の家に厄介になり、2年遅れで都立の工業高校に入ったと聞きました。幼馴染の今の奥さんは社会人になって東京の彼を訪ね、二人は結ばれ、彼女が成人式前にお子さんが出来たので入籍し仕事にに就き・・・・と確か聞いたのですが?いつの間にか彼は学校の先生と言う事になっています。続けて、お子さんが出来たので、里に帰って来て保育園に入れて彼女は学校の給食作りの仕事のパートに・・・・と確か聞いたのでですがいつの間にか彼女は調理師と言う事になっています。...作話?それとも病気?

  • 大切な着物 苦い想い出

    私は昔美容師でした。沢山の方の髪を結い上げお着物の着付けをしてきました。それから妻になり母になりシングルマザーと呼ばれる事になりシャカリキ働きました。一番自分らしく頑張れたのは呉服の営業でした。毎年年間5千万円のノルマを課せられ一生懸命着物の工程・技法・作家の特徴を勉強し高額商品の販売ができるようになり、ノルマを達し高揚しました。お客様がその着物の良さに十分納得しお買い求め頂くとても素晴らしい仕事であり後々まで、お手入れやお直しまでお付き合いさせて頂き着物を通じて親類のようなお付き合いをさせて頂いたそんな想い出のある仕事でした。私の母も着物好きで、展示会には良く来てくれて良い品を求めてくれました。母亡き後、姉達は着物に興味が薄く形見分けで、着物は私の所に。私は両親を看取った後、訳け合って単身この里山で暮ら...大切な着物苦い想い出

  • 保険の見直し

    昨年11月頃、素敵な声の男性から電話が掛かって来て、私の入って居る外資系保険の代理店の方との自己紹介でした。私自身、且つて加入していた生命保険が満期になった60歳では既に体調が優れなかったので、保険加入は無理と半分諦めていたけど緩和型保険が出来て、少額保証だったら入れたので1口加入。3年位して幸い大きな入院も手術も無かったので追加で1口加入。・・・と言う具合でプラス癌保険にも加入。60歳を過ぎてからの加入で緩和型なので大きな保証は望めないのは分かっていたけど、もう働けない身体なので、貯蓄代わりにと思ってました。医学の進歩、新しいデーターってすごいですね。友人が初期の乳がんが見つかったのですが1週間の入院で後は外来で投薬。検査。*私通院保証つけて無かった!!!私が肺炎を起こし大学病院に入院したら無理やり個室...保険の見直し

  • 作話をする人

    私の近くに「作り話」をする人が何人かいるのです。困ったものです。何の為に・・・?私にはわかりません。大分前、まだ私が現役で働いていた頃は忙しくて土曜日にまとめて洗濯をして、乾くまでの間買い物や、普段出来ない用事をして・・・夕方取り込んだ洗濯物を畳んでいるとあれ??何か?足りない。決まって、新しく買った下着や洋服、ハンカチが無い。其の頃彼女の事が判らなかったので・・・私、<困ってるの>と打ち明けたら、「その泥~女だよ」という。え??下着まで盗むのって男じゃない?それから、彼女に疑問を感じていたけど、半信半疑で・・・でもある朝玄関脇のプランタンに植えたチューリップが花を咲かせた。朝は6時半に家を出て帰りは8時9時の毎日だから水やりだけが精一杯で・・・あれ?何か?変?と思ったらチューリップの花が全部茎の元から無...作話をする人

  • お節の残りでお焼き作り

    去年は沢山つくりました。先ずはサツマイモの干し芋次に干し柿つくり・・・サツマイモは蒸かしたての皮を剥いて薄切りにしてほし網に渋柿を合計50kgも買ってピーラーで皮を剥き紐に括って物干しざおにほしました。柿渋で爪が真っ黒になりました。でも、お歳暮の変わりに遠くの親戚や友達に差し上げたらとっても美味しいって喜ばれて私もニコニコ笑顔になりました。栗は渋皮煮を作って青豆のようかんに入れておやつです。綺麗に皮を剥いた栗の甘露煮はお芋と合わせてきんとんです。白花豆、ちょっとお高いですが柔らかく煮えてお裾わけ。ごぼうも北海道から取り寄せて梅干しを調味料に白煮。これらも評判が良くてお友達にお裾分け。一人で食べるより誰かの笑顔と食べた方が美味しいですものね。こんなに作ったものだから作りながらつまんでいたものだからお正月はも...お節の残りでお焼き作り

  • 今年は 幾つ 良い事あるかな~

    私の持病が出たのは53歳の時一人親家庭で、シャカリキ働いて看護師になった娘が結婚した頃息子が理系の大学を卒業して就職し彼女を家に連れて来た頃私の身体と心に何かが壊れて行く音がした。だ~れも気付いてくれない。38歳で逝った文子姉ちゃんの夢を見た。64歳で逝った父の夢を見た。楽しそうだから、行こうとしたけど行けなかった。子供達は結婚し家庭を築き遠方で暮らしている。あれから20年、私は厄介な持病と暮らしている。子供達は沢山孫を産み私の持病は負けない位、余病を産んだ。主治医が7人になった。だから、寂しくなんてないよ。要介護になって、毎週2日ヘルパーさんが来て楽しい時間もあるしケアマネさんもとても優しい男性。申し訳ないね~ずっと働けなくているのに税金のお世話になって。今な~んにも不服はないの。一つだけ、ずっと楽しん...今年は幾つ良い事あるかな~

  • 忙しいんだね

    昔の元旦は学校に行き、紅白の餅を貰ったのが嬉しかった。近所の友達と一緒に歩く息は真っ白だけど暮に母親が買ってくれた、新しいトッパーコートを自慢げに着て雑煮で腹いっぱいなのに、ポケット詰め込んだみかんを出して食べながらあるくのが幸せだと感じた。学校の帰り道は、もっと賑やかで幸せだと感じた。学友の家を寄り寄り帰ってくるそこで煎餅や干柿や小さいリンゴを貰ってズボンのポケットまで膨らんでいた。紅白の餅を親に預けると、子供達は繰り出してキャッキャッとふざけ走り、遊び廻る。ここ数十年、お正月がしずかだと感じている。子供の声がしない。外を歩くのは、犬を連れた伯父さんだけ。スーパーも飲食店も正月から電気がついている。働く人は皆忙しいんだね子供達は家でゲームをしながら留守番かな~ほんとにほんとに静か普段より静か皆忙しいんだ...忙しいんだね

  • 晴天の三が日はテレビを消して

    西に見える日光連山は綺麗に雪化粧お正月だもんね空は澄んで何処までも蒼い新春だもんね年賀状が元旦には6通届いて嬉しいねその一人、小学校の同級生の女の子あら、いやだ~もう73歳のおばあちゃんだわ中学も高校も別でだったけど私と同じ22歳で私と同じ岩手の方に嫁ぎ大家族のご長男でさぞ、ご苦労だったでしょうね私は複雑な家族関係に耐えられなかったけどkちゃんは貫き通して偉いね。強いね。kちゃんは同窓会にも来られなかったので13歳から60年も逢っていないけど、便りだけは、ずっとずっと続いている。三が日は騒々しいテレビは消してほんわりと想い出に浸ってすごすいつも年賀状には「逢いたいね」と添え書きがあるけど・・・いつあえるのかなあ~私は幾つもの持病で一人旅は出来なくなってでも、岩手迄なら特急で1本道だからいつか、逢いにいきた...晴天の三が日はテレビを消して

  • 懐かしき19歳

    今朝、テレビを付けたら、明治神宮(原宿)の様子が放映何故か?甘酸っぱい昔を思い出しました。私が美容師のインターンをしていた美容室は、会社組織で印刷部もありました。印刷部で歳の近いンN君と気が合い、誘われて明治神宮に行ったのです。二人ともウールの着物を着て、・・・砂利道を歩き初詣です。其の頃はスマホもデジカメも無い。参道に写真屋さんが居て、声を掛けられ二人並んで写真を撮って貰いました。朝、早めに行って、お昼は何を食べたのかしら?忘れました。その写真を美容室の先生に見せたら「N君と結婚するの?」と聞かれ、「いえ、まだそんなんじゃなくて・・・」と答えると「じゃ~こんな写真持ってちゃだめよ」と取り上げられ、それっきり見る事ができないまま。今じゃ、考えられないことね。でも昭和40年代はそんな考え方だったのですね。手...懐かしき19歳

  • 新 春

    新年おめでとうございます。2023年が良き年になりますことを心からお祈り申しあげます私達の子供の頃のヒーロースーパーマンが厄介なコロナ、世相、犯罪から弱き人々を救ってくれる事を心は、昔に帰って信じたいと思っています新春

  • リフレシュの季節

    週に1度のディだったが辞めてみると・・こんなにも自由が有ると感じる。半日ディで午後の部だったので、午前中に昼と夜の食事の用意をし早昼飯を済ませる。ディの木曜日に体調をベストにしておくように、コントロールしていた。消化器の疾患を持っているので、お腹が張って痛みや便秘になり、処方されている薬を状態に合わせて数個飲むと、1~3日後に排便があるが、細い軟便が10回位出たり水様便が5~6回出たり・・・枇榔な話だが、トイレに走れなくて・・・そういう時は大きいナプキンを下着に付けておかないと粗相をする。・・・でディの時にはコンデションを良くして於かないと不安だった。今、山の上は紅葉が始まり、秋を楽しんでいるが、何より、体調をディに合わせる為に薬を調整しなくなっただけでも心が軽い。食事の支度やメニューも特別考えないで済む...リフレシュの季節

  • 終わり良ければ・・・と言うが

    今日の昼近く、ディの生活相談員から電話があり集金に来ると言う。予想通り嫌な事はしない所長は電話に出ない。ケアマネさんも言っている事だが、他の事業所は生活相談員がして来る電話等このディでは所長がしている。開所以来、いや少なくとも私が入って7年目になるが、生活相談員が利用者の前で説明したのは介護保険の改定による金額変更のお知らせだけだった。10年間生活指導員とは思えない程しどろもどろでプリントされた文言を棒読みしていた。私は可哀そう痛ましいと感じた。予定通り13時半頃生活指導員が集金に来たが、辞める訳も体調も一切問う事は無く無駄口は一切言わずお金を持って出て行った。お大事にとか、元気でね・・とかの社交儀礼も言わない。そう所長に指示されて来たのは想像がつく。丸まる6年以上、通所してその間入院・手術を幾度もあった...終わり良ければ・・・と言うが

  • ディを辞めました

    ずっとモヤモヤしていた心にピリオドを打ちました。リハビリ型ディサービスにどうしても行く事が辛くなり、ケアマネさんを通して退所したのです。通所して8年目、楽しい想い出の多かったディだが今は苦痛でしか無くなったのです。ディサービスを利用する目的は人それぞれで介護認定を受けている理由も様々です。私もこの疾患で儘ならない身体にになってからその時の需要に応じてディを選び又転居などもあって、今の所で4か所目で、いろいろな人と出会いそれぞれの家庭の事情を知り患う疾患の細部を見聞きし、私には学びの場所であり、程よい疲れは心地よい眠りの源でもあった。今のディを探してくれたケアマネさんは常に私を理解しようと努めてくれるので都度出来事は話しているのですでに察していたように退所の旨を電話してきれました。しかし所長、生活指導員らか...ディを辞めました

  • ヘルパーさんとの付き合い方

    突然の気候変化もあり、小難しい事を考えるのが面倒になりました。ヘルパーさんが9時に来て、ゴミ出し部屋の掃除をしてくれて、後はお茶タイムです。ヘルパーステーションでは、利用者から金品、茶菓子などは禁止事項になっているようですが私は歴代のヘルパーさんの仕事を終わったら、お茶と私の手作りの食べ物を出して食べて貰っています。建前は・・・私、シェーグレン症候群も有って味覚音痴だから甘すぎるとか塩辛いとか味見して~~と言う事にしてあるのですが私の体調は突然ヘナヘナになって寝込んでしまう事があるので、そういう時に冷蔵庫の中にある物で食事を作って貰う為です。冷蔵庫の冷凍室と冷凍庫にはネットでまとめ買いした食材がぎっしり入っています。暇な時に炊き込みご飯や赤飯を焚いておにぎりにしたのを1個づつラップに包んで切らさず冷凍して...ヘルパーさんとの付き合い方

  • 介護業界も利益優先事業?

    すっと心が重かった。脚の不具合の所為。失神して部分的記憶喪失の所為。埒開かぬ医療の所為…そう思っていたが、何かが可笑しい・・7年も通ったリハビリディの空気が可笑しい・・・そんな思いをケアマネさんに打ち明け、最悪辞める覚悟で欠席を続けた。今私の心が軽くなっている。私は良い人を演じて自分に嘘をついて居た事に気付いたのだ。所長は私の息子と同じ年齢で元大学病院の手術部の看護師だったと聞いている。法人になっているので、所長の夫は整体師で、治療院を構えているが閑古鳥がないているので社長となってディの方も手伝っている。23歳の息子がいる。彼は華奢な体つきで今風の若者の風貌で性格は優しいが定職を持たず深夜パソコンでそこそこの稼ぎをしているが自立は出来ず親がかりで、ディの専務らしいが忙しい時だけ来る。送迎のドライバーの時も...介護業界も利益優先事業?

  • 人工関節置換手術と医療の現場

    昨日は、国立病院の整形外科の受診だった。2021年6月右膝に人工関節置換手術をした。経過は良好で、可動域も可成り有り、落ち着いた頃左脚の膝の手術を予定していた・・・が。2019年暮れ、ベランダからキッチンに上がるわずか7センチの段差に躓き転んでしまった。国立病院整形外科で手術してくれたドクターは自分の医院も持っているので、些細な事は医院に行く。転んだ時も直ぐに医院に行ったが、そしてレントゲンを撮ったが大丈夫だとのお墨付き。痛みも和らいだ。安心して過ごしていたのに、2020年8月テーブルで食事をしながらテレビを見ていた時、ほんの僅か、右足を引いた時ギクッ!!右半身が固まった。身動きできない。痛み・・・。人工関節が外れたのだ!!。手の届く所にスマホがあったのが幸い。隣人を呼んで来てもらった。彼女は私以上に動揺...人工関節置換手術と医療の現場

  • 眠れぬ夜に・・・

    今週も週末は台風の影響で雨が降り続いている。こんな日は、持病のリウマチの所為か?身体のあちこちが痛む。食欲も、気力もない。20年もこんな生活を過ごしていながら、まだ完全に受容できていないのか?一度ベッドに入ったが、又起き出してきて、パソコンで音楽を聴いたり、ゲームをしたり。眠れぬ夜にもじもじベッドの中で身体をうごかしていると過去の出来事を思い出す。たいていは良からぬ思いでだ。他人を変える事は出来ない。ならばもう水に流そうとおもうのだが・・・まだ私はそこに到達出来ていない凡人だから、全ては消せない。憎しみや嫉妬の気持ちはもうないが、あった出来事をなかったことには出来ない。母が余命少なくなったある日、私を抱いて、「何があっても病院には行くんだよ。薬はきちんと飲むんだよ」と言い続ける。母の一番下の妹も膠原病で結...眠れぬ夜に・・・

  • エリザベス女王の国葬に我が国を重ね観る

    イギリスのエリザベス女王が逝去され、国葬の映像が何度もテレビに映し出されている。97歳、そして在位もあと僅かで70年となり、杖を使用しなくともヒールのある靴で華やかな色調のドレスを着こなし、大病で寝付くことなく、あっと言う間に天に召された姿は見事とと言う去り際だった。若くして父である王を亡くされたので、21歳で女王に即位されたことには、かなり重圧が心にのしかかりつつ、第二次世界大戦後の世界復興に心血を注ぎ言葉に尽くせないご苦労の人生を歩まれて来たことは、戦後生まれの私にも想像の端は解るつもりだ。そしてチャールズ皇太子とダイアナ元王妃にまつわる不仲説や伴うスキャンダル・事故死にはさぞ苦しいおもいをされた事と思い計らう。ダイアナ元妃の短い一生とは、全く正反対であるエリザベス女王の一生は他国の事であり詳細は殆ど...エリザベス女王の国葬に我が国を重ね観る

  • ケアマネジャーの力量

    私の介護認定再調査申請の結果がでた。申請は私が言うより早くケアマネさんが手続きをしてくれた。彼は結婚し、小学生の子供が二人いるが、私の息子よりずっと若い。しかし、仕事は素早く、熱心で、もう10年ものお付き合いになっている。私が度重なる入院の度に、メールで知らせると病院に来て、ケースワーカーや医師から情報を得て、退院後の生活が順調にいくように福祉用具の担当者などとのアセスメントを設けてくれるので退院後、生活に困る事は無くいままで家族の支援なしでやってこられたと言える。血縁の家族には、言わなくてもわかるでしょ~という甘えがあるから手術の日にしか来ない姉や息子に諦めの気持ちで付き合うしかないが仕事とは言え他人のケアマネさんが何度もメールで状況を把握し、ケースワーカーから実態を聞き、退院日には、すぐに生活できるよ...ケアマネジャーの力量

  • 秋の到来。 人生にも秋の気配。

    何時もは空が白地始める時間今は5時頃になると目が覚めるのに昨日は8時近くまで起きられなかった。ヘルパーさんが来るので、ゴミを一つに纏めなければならないので、ベッドから起き上がったが頭がフワフワして眩暈がする。それでもベッドから足を下ろし歩こうとすると、意に反してよろよろと先走るように足が動く。あっ!倒れる又かも!と思いベッドのサークルに掛けてある首掛け緊急ブザーを手に取り一息付く。肋骨を折り、頭をぶつけ、失神した半年前の出来事が甦った。半年前は日曜日の夜の出来事で、失神から覚醒しても判断能力が無くなって、掛かりつけの整形外科にタクシーでいったのは4日経ってからの木曜日だったが、その間、何を食べて過ごしたかも記憶が欠落している。お風呂は?洗濯は?体の痛みの手当ては?・・・覚えていない。結局、脳神経外科や循環...秋の到来。人生にも秋の気配。

  • 介護保険の裏側 真面目な人が損をする改悪STOP

    3年前の介護認定では、それまでと同じ要介護1だった。しかし、今年7月の介護認定では要支援2に下がって、利用できるサービスが減っている。歳を重ね動きや記憶力の衰えを感じるこの頃、以前は往復5時間かけて通った大学病院にも辛くなり、福祉輸送に9000円払って送り迎えをしてもらわなければならない。主病の膠原病にいろいろ余病がついて、整形外科、消化器内科、循環器内科、口腔外科、皮膚科、精神科、脳外科・・・と、診療科目と交通費が年々増えて行く。駅から500mの往復さえ、杖を突き途中で立ち止まりながらとなって、今回の介護認定は当然納得がいかない。市役所に認定見直し申請をケアマネさんが出して、来週結果がでることになった。市は国のガイドラインに沿ってやっているのかも知れないが、公務員はイエスマンばかりなのだろうか?国の政策...介護保険の裏側真面目な人が損をする改悪STOP

  • 言わない優しさ 聞かない優しさが判る歳

    暑い暑い夏が去り、里山の朝夕は秋の香を含んだ湿った風が吹き始めている。ベランダのプランタに枝を伸ばしていたトマトも抜き、春菊・サニーレタス・小松菜の種を蒔いた。スーパーで買った方がむしろ安いかも知れないが、調理する寸前に必要な量を摘み取り食卓に出す喜び。私の年間ルーティンなのです。先月73歳を迎え、体の不具合を又一歩実感しながら秋のはじまりに立ち止まっている。8月31日はアボちゃんの誕生日なので、今年もハッピーバスデーのメールを深夜に打ち込んでおいた。4日も経ってからアボちゃんから電話。「ありがとね~。今じゃ子供も俺の誕生日なんてわすれているよ・・・」と笑う。アボちゃんは小学校4.5.6年の同級生の男子で、特別親しいとか・・では無かったが、中学校から他の町の学校に進み其々の道を歩いて来た。35歳の時地元に...言わない優しさ聞かない優しさが判る歳

  • 硬膜動静脈廔と付き合うことに

    今年3月に目の前が真っ暗になり・・・気付けば、洗面所で倒れ、肋骨が折れ・・・その後、脳神経外科で「硬膜動静脈廔の疑い」と診断され頭痛、耳鳴り、倦怠感などの不調に悩まされて外出が怖くてメンタルがた落ちの日々ですが、院長先生が白黒つけたいなら精密検査しますよ・・・と言われて、担当ドクターは「大きな病院にかないと、とおしゃっていましたが」と言うと院長先生が私やりますよ‥と言ってくれたので即答でお願いしますと答えた。10万人に0.3人程度の希少疾患で、出来る先生は極わずからしい。鼠径部からカテーテルを脳まで通し、MRIでは分からない部分を診て、造影剤を流して血流の様子をMRIの写真で確認するようです。3日の入院です。よかった~。遠くの大学病院とかに行くとなると、交通費や付き添って貰う人も要る。差額ベッド代も高いし...硬膜動静脈廔と付き合うことに

  • 介護保険の改悪

    今日は朝早くから病院に向かった。ケアマネジャーが介護認定の再審査請求を出してくれたので、主治医にお願いをしに出掛けたのです。私は主治医が、膠原病内科、整形外科、消化器内科、精神科など複数いる。最初は消化器内科のドクターに3年分の経緯を書いたレポートを送付してお願いしたのだが、身体状態は明らかに低下しているのに要支援になってしまった。ネットで検索してみると、現場を知らない財務省が要介護2までは軽度とみなし、経費節約の為に改正(改悪)を進めているという。勿論お金が足りないという理由だ。私をたとえれば、介護ベッドと電動カートを利用しているが、それらをはぎ取られるのだ。私の場合、介護ベッドはリウマチが発症して動作が困難になった時にお買い得品があったので買い取り、自分の物である。今、正規の値段で買えば20万以上する...介護保険の改悪

  • 介護認定の結果

    3年前に要介護1となった。リハビリディと週2日のヘルパーを利用しながらなんとか生活してきたが膝の手術後、可動域に制限が掛かり、浴室の改装をしたり、玄関に手すりを付けたり自己負担1割だがそれでも十数万円がかかった。幸い少額ながら生命保険を掛け続けていたので、入院・手術の給付金が出たので賄えた。その後、膝人工関節の具合が思わしくなく、歩行も、駅の階段も、辛くて人様には見せられない格好で通院をしている。再々手術を望んでいるが、コロナ禍で病床確保が続き、緊急性の無い手術に医師は首を縦に振ってくれない。今、硬膜動静脈廔のの疑いでカテーテルを腿から脳まで通す検査を検討している。廔が破裂すれば、良くて寝たきりの身体になるから、検査を受け、必要ならば手術も行う予定。ふと、長く生きる事がお目出度いのか?という考えが横切るが...介護認定の結果

  • 安倍元首相の国葬

    基本的にブログに、政治と宗教の事は書かない主義だが、今回自分に例外を認めた。安倍元首相が銃弾に倒れ亡くなられた事は、痛ましい出来事です。しかし、国政に携わり、国民の生活を右に左に舵をとる国会議員ともなれば、賛成派も批判派のエネルギーも、半端ない程の威力があると認識している。今回の容疑者は、母親が宗教団体に属し、一般市民には恐ろしい程のお金を貢ぎ、破産し、家族が崩壊した事が根底にあり、その宗教団体と自民党、安倍氏が深く係っているということで犯行に至ったと報道されている。それがほんとうならば、私は国葬をすべきでは無いと思う。想像するに、安倍氏の遺体はエンバーミング処理を施し、安置されているのではないかと思う。だから、犯罪の内容も、安倍氏の行った、もりかけ問題も明らかになって居ない、もし金品の授受や総理大臣特権...安倍元首相の国葬

  • 死は突然にくるのだろうか?

    闘病中の家族、つい最近あった学友、ディの仲間・・・の死の知らせが来る。突然に・・・。??本当に突然だったのだろうか?過去を振り返ると、私はその知らせが来ても驚かなかった。何故なら、彼らは其の間際に普段とは違う行動や感情を見せつけていた。怒りっぽくなって手こずらせたり・・・間もなく癌の末期の知らせが来た。勝気な彼女が涙を見せ・・・間もなく昏睡に入った。いつも、見事なホームでリハビリをする彼が全く存在感が感じられない(影が薄い)日があり・・・間もなく死の知らせ。鬱ぎみで覇気のない友人が、エネルギシュにアプローチしてくる。いつもとは違う。段々違ってきている。前はあんな風ではなかった。私は、だからおどろかない。産まれ来た者は何時か死す。死す時は様々であっても、天のみが知るその時が近づくと皆自分の本質にもどり旅立ち...死は突然にくるのだろうか?

  • 言葉のマジック

    日常会話の中で可成り盛って話している知人がいる。その中の一人について、書いてみました。彼は、昭和21年生れで戦後の貧しさの中で生きて来たひとり。父親が中学生の時に亡くなってしまったので、義務教育もそこそこに、働かざる得ない日々、東京の伯父の助けで、伯父宅に世話になり、2年遅れで都立の工業高校に行かせて貰ったようだ。彼20歳。2学年年下の幼馴染の彼女が居て、ずっと文通で初恋を温めていた。昭和のフォークソングの世界のようだ。彼女が19歳の時(間もなく20歳)、東京に住む彼を訪ねた。彼女の父親は地元では一流と言われる企業に勤め当時にしては豊かな暮らしだったが彼の話の辻褄からみると、彼女は中卒で、小さい事務所で働いていたようだ。暫くぶりの逢瀬で淡い初恋は、大人の恋となって、彼女は身ごもった。彼22歳。恐る恐る結婚...言葉のマジック

  • 孫の祝い事

    嫁姑の問題は永遠の課題であることは解っているつもりだった。生きて来た時代背景、一人の男を夫として独占したい嫁と息子として愛している姑がいるのだから根底からして思いが違うのはしかたない。家族の数だけ嫁姑の問題は尽きないだろうが・・・時に信じられない出来事もある。恥を晒して我が家の出来事を書く。もう20年近く前の事だが、私の心に刺さった刃は抜けないままでいる。娘が結婚し第1子が男の子であったので初節句の時に当時15万円程の兜飾りを贈った。そして2年後息子夫婦の所にも第1子として男の子が産まれた。別に住んでいるとは言え、我が家の初孫だから、嫁家が祝って来るのが一般的なのだが私はすでにリウマチを発症し就労不能、要介護状態であったので孫の世話も出来ず強く同居は求めず息子たちの生き方を尊重していた。看護師として勤めを...孫の祝い事

  • 昨日は介護認定調査でした

    コロナ禍もあって、以前は年に1回の調査が、今回は3年目になった。この3年の間に右膝の人工関節置換手術、翌年にはその人工関節が脱臼し再手術、身体的機能はかなり落ちた。装具を付けたり、浴室を介護保険で改修したり、玄関に手すりをつけたり・・・しかし予後は良くない。そして、開業医では出来ない(骨壊死のリスクが有るため)国立病院で歯の抜歯を入院してを3回。今は抜歯した後に義歯をいれている。今回一番問題なのが、先日失神や転倒で骨折などの怪我をし、やはり脳神経外科で確認したところ「硬膜動静脈廔」の疑いだった。疑い・・というのは、カテーテルを太ももから脳まで入れて内視鏡で確認をまだしていないので確定診断とはならないそうだ。だが、設備の整った病院が近くに無い。専門医が県外にしか見当たらない。遠方だと交通費、宿泊費など費用が...昨日は介護認定調査でした

  • 私の命を問う

    ご無沙汰いたしました。今年になって2度の転倒、怪我。尋常では無いと感じつつ身体と心を癒していました。5月17日隣の市にある評判の良い脳神経外科病院でMRI検査を受けました。ドクターははっきり病名をいいませんでしたが、幾つかのキーワードを。①脳の硬膜②動脈と静脈が繋がっている③精密検査、手術は太ももからカテーテルをいれて、しかし、リスクもある。⑤今は悪性の物では無い。⑥定期的にMRIで脳にある白い影の変化を診て行く。これらのワードから検索して、硬膜脳動脈静脈廔という病名にたどり着いた。10万人に0.3人という症例の少ない稀有な疾患のようで検査、設備のある病院や医師はかなり少ないようだ。3月の最初の失神をするまで、全く異変はなかったのに。この先、どう生活すればよいのだろう。私はその脳神経外科の担当医師に手紙を...私の命を問う

  • ケアハウスのスタッフ

    ケアハウスや、その他介護施設に勤務するスタッフは何某かの有資格者だ。それは、行政で決めた有資格者の定数を満たしていなければならないから。しかし実態は・・・福祉専門学校や大学を出て学問も、実務研修もして国家試験を受けて来たスタッフもいれば市区町村で行くヘルパー研修を数週間受けて取得した、高齢者には満たない専業主婦がスタッフにはいるのです。食卓配膳や車椅子を押して、入居者を移動させる位の仕事には差し支えないが社会福祉法人をうたってはいるが、やはり利益追求をする施設では、最低限の人員を有効に回さなければならないので、ほぼほぼ皆、同じ業務をしている。一番怖いのが専従が義務の看護師等と相談員という立場でいるケアマネージャー有資格者だ。給料が安いから仕方無いとは言え、私の入居していたケアハウスの看護師は元皮膚科勤務をしてい...ケアハウスのスタッフ

  • ケアハウス(老人ホーム)での日々

    まだ60代半ばの頃、持病のリウマチに加えて鎖骨骨折で手術をし、全快するまでの8カ月間不自由な生活をすることになった。いろいろ介護サーピスを利用しても、配食のお弁当を摂って買い物を減らしたりしても右手を全く使わない訳には行かず、肩の皮膚を破って固定用に入っている金属の棒が出て来てしまう。真夏の出来事で化膿が心配だった。どの道、子供達との同居は難しい関係で施設で暮らすことになるのだからと気軽にケアマネジャーがいくつかチョイスしておいたケアハウスの見学に連れて行って貰った。隣の市で、年金で入居できる所というのが条件だった。あらかじめパンフレットを取り寄せ目星をつけて置き訪問。1件目敷地内にケアハウス、当別養護老人ホーム、ディサービスなどが立ち並び定員100名ラフな感じの所で所長の男性も気さくで感じがよかった。開放的で...ケアハウス(老人ホーム)での日々

  • 又、倒れ足にヒビが入って引きこもり生活

    ゴールデンウイークの最中、又倒れてしまいました。食事が済み、席を立って2~3歩歩いた時前のめりに倒れたのは自分ではきちんと歩いていたつもり・・・が、足が縺れて全く歩けて無く身体だけが前に傾きドサッと顔から床に落ちて行ったのです。今回は意識喪失は無かったのですが・・・テーブルの脚につかまりやっとの思いで起き上がったのですが痛い!痛い!幸い装具を着けていたので人工関節の右膝の脱臼は免れましたが左足に強い痛み。壁を伝って、ベッドまで行き、一呼吸そしておもむろに靴下を脱ぎワイドワイドパンツを捲ると痛い所に皮下出血の青紫色のあざが浮き出ている。あ~~又やっちゃった。気分低迷の中整形外科で出されている強力な鎮痛剤入りのシップを張ったが、連休で‥どうしよう??行った事の無い、休日当番の病院に行くのは気が進まない。結局6日まで...又、倒れ足にヒビが入って引きこもり生活

  • 病院の不思議? 黙って居て良いの?

    みみさん、こんにちは。ご意見頂き嬉しくおもいます。みみさんに背中を押された感じで日頃思っていることをこの機会に書いてみようと思います。私は掛かりつけ病院は獨協大学病院と、国立病院です。好んで遠くて混んでいる病院に行っているわけでは無く、持病・・膠原病を主とする諸々の症状は町には専門医が殆ど居ず、居ても特殊な検査や入院になると対応できないので、関連の大きな病院に廻されることになります。以前、風邪をひいて高熱が出た時、近所の内科に行ったら、お薬手帳を見るなり、「掛かりつけの大学病院に行って下さい」と追い返されました。こんなことが数度あったので、時間をかけ、時に高額なタクシー代をつかってでも、大学病院か、国立病院に行くしかないのです。そこに、一つ矛盾があるのですが、初診時には紹介状を持って行かないと、結構な金額をとら...病院の不思議?黙って居て良いの?

  • 疲弊しているのか?医療機関の対応

    先月始め、突然の失神を経験したが、いざとなると何をどうして良いのか分からないものだ。夕食後テレビを見てリラックスしていたが、洗面所に行くつもりで立ち上がった時、停電の如く、真っ暗になり何も見えず、、、寒さで気が付けばトイレで倒れていた。いわゆる「失神」という状態だったと後になって分かった。直ぐに救急車を呼ぶべきであったと思えたのは一月程経ってから。寒さに耐えられず、壁を伝ってベッドに潜り込む。血圧160心拍数110いつも枕元に置いてある機器で測定する。異常値であるが、どうすべきが分からない。翌朝、ヘルパーが来るので玄関のカギを開けに行ったが、背部全体が痛むが、どうしたらよいのかも考えが及ばず、4日経ってやっと病院に行こうと思った。その間、食事はどうしてたのか?記憶が無い。先ず、整形外科に行ってレントゲンっを撮る...疲弊しているのか?医療機関の対応

  • 2022/04/14憩いのひと時

    今年もツバメが来てくれましたキッチンの前の竹竿に泊まり、つがいの彼女を呼ぶかのようにさえずるツバメ、、、3年連続で来てくれている。過去2年はヒナは育たず仕舞いで夏の終わりに親鳥は悲しげに空っぽになった巣を後にして群れに混じって南の方角に去って行った。今年は無事タマゴを孵化させ、親子で飛び立つ姿が見たいと思っている。番いになったツバメは、瞬く間に器用に巣を作る。いつの間にか卵を産むと、雌雄交互に卵を抱え始める。孵化すると卵の殻を巣から嘴で出し、この時期が最も大変なようで、一羽が雛を抱えている間、もう一羽が敵となる鳥などが来たら攻撃的し家族を守る。合間を見て、餌を取りに行く。自分自身をたべ、孵化した雛に与える餌を口一杯に持ち帰る。そしてもう一羽と交代し、警護をしつつ餌場に素早く飛んでは帰ってくる。ツバメは賢い。人の...2022/04/14憩いのひと時

  • 人生で一番 幸せ期かも知れない。

    「生きる苦しみと、死にゆく悲しみと・・・」私の好きなさだまさしの曲の一部です。女性は命を懸けて子供を産む。そして子供は天寿を全うするまで、その年齢に応じて生きる苦しみと、ほんの僅かな喜びを抱えて自分を産んでくれた親や友の死の悲しみを味わう。まったり・・とかゆる~り・・・とかウキウキ・・・とかそんな甘美な時間は人生の中でどれ程あるだろうか?赤子が歩き始めれば、転ぶ痛さとの葛藤があり学齢になれば、初めて人間関係の複雑さに戸惑い恋をすればその思いの深さと同じ位悩む事を知る。夫婦であれ、親子であれ、友人であれ、深い繋がりと同等以上に自問自答の時間がある。そして、私は今、寿命を全うするために病の辛さを生きている。3月6日夕食後停電かと思うように真っ暗になり何も見えなくなり、寒さで気付いた時はトイレで仰向けに倒れていて、そ...人生で一番幸せ期かも知れない。

  • 実家が消える時 心が自由になれる

    父が逝って母が逝った後同居していた兄嫁は家の中を片付けはじめた。私がまだ20歳の頃、神社の参道で的屋のオジサンがふうてんの寅さんの如く口上巧みに売っていた大皿を数枚誉め言葉にほだされて買って来た物を母は気に入ってずっと使っていた。40年近く食器戸棚の下段に置き、おはぎやちらし寿司、刺身の盛り合わせを乗せて食卓に出していた。母屋の裏には10坪位の納戸が有り、頂き物、引き出物の食器や鍋やポットなど手つかずにあったが食器は使う物だけ、壊れるまで出しておけば良いといい、昔からの食器を使い、私ら、外に出た家族の飯茶碗もそのままに置き、里帰りした時にはその茶碗にご飯を盛ってだしてくれた。納戸には祖父・父が家業の船宿で使っていた半纏・投網・名入りの旗や道具類が大きな茶箱に入って積まれている。祖母曾祖母の嫁入り道具だった桐のタ...実家が消える時心が自由になれる

  • 通院 季節 そして 生き学ぶ

    今日はメンタルクリニックへの通院。私は膠原病に不随して発症した病双極性障害Ⅱ型で月に1度の通院している。且つては職場に近い渋谷の女医さん(渋谷区役所に席を持ち、日赤病院で発達障害の子供達を診ながら13時から20時まではビルの11階でご自身のクリニック診療をしている)に仕事が終わってから通い時に1時間近く微に入り細に入り私の治療と心の持ち方を導いて貰え、見失いかけた自分を取り戻して感謝しきれない程、素晴らしい出会いであった。この町に来て新たな主治医を見つけることはとても大変なことだ。地方独特の偏見・・・精神科は気違いと呆け老人が行くところ・・・と平気で言う。ネットで調べて一番最初に行った所は女医さんが院長をして明るい雰囲気で入り易かったが初診時30歳代位の男性医師が担当になりいきなりあそこは(私が移住した里山の町...通院季節そして生き学ぶ

  • 生き そして 逝く日まで

    60歳を過ぎてから急に親しい人の死が身近で起こるようになった。還暦・・・多くの人は赤い衣類を着て、着せられて喜々としたり年寄りあつかいするな!と受け入れ拒否をしたりの光景を目にするが・・・何かの本で読んだ事の受け売りだが還暦とは、産まれた時を1歳として12年の意味ある干支を巡り、大厄の年を迎える事であると。その、大厄を赤い衣や食物を身に着け、食し、切り抜けられた事を満60歳に祝い神仏に感謝の拝さんするのだという。無性に納得している。小学校の仲間が60歳を過ぎてから2人逝去したとの知らせが入った。共に、優等生のリダーだった。癌を患っていたようだが完解すると信じていたらしく旧友の誰もが早すぎる死に唖然とした。私がこの町に移住したのも偶然だが60歳だった。母が89歳で卒寿を超えられず眠ったまま静かに自分の布団の中で逝...生きそして逝く日まで

  • またまた 理由はコロナ!?

    前回、国立医療センターの脳外科を受診した際、心臓の異常でも失神することがあるから内科を受診するようにと、ドクターから言われた。29日はシェーグレン症候群の検査で予約が入っていたので、先週から再三、予約係と電話で確認を取り28日にも、最終確認をとった。病院のホームページには初診時には紹介状が無いと有償になることが書かれているが但し書きに現在当病院に継続している場合は無償とあったのでしつこい位に確認し29日に来院した時3番窓口で内科の初診予約を申し出て下さいということであった。たしかに予約は取れ内科窓口に提出すると問診表の記入を促され、書き提出した。・・・・が事務職のユフォームを来た女性が再度私の所に来て、循環器内科は院内他科からの勧めであっても紹介状が必要だという。ごたごたと言っていたが、一度個人クリニックに掛か...またまた理由はコロナ!?

  • 突然の危機に思う

    3月6日夕食(午後7時過ぎ)を済ませ少しの休憩後、眠りに入る前に洗面所、トイレの方向に向かった。突然視界が途絶え真っ暗になり意識喪失。何秒後か?何分後か?分からないが寒さで気が付くと、私の身体は、視界が途絶えた場所から2m位先のトイレの便座の蓋の上でやや斜めに仰向け倒れていた。朦朧とする中ベッドに向かい潜り込みながら、何をすべきかを考えていたことを僅かに記憶しているが、特別痛みも無く冷たくなった体を抱えて眠りについた。眠剤を常用しているので一層今何をすべきかの判断が曖昧だったのかもしれない。翌朝、眼が覚めると、体全体に痛みが走る。昨夜の出来事の殆どは記憶にない。ヘルパーさんの来る9時近くまで、ベッドの中で過ごし、やっと起き上がったがゴミを指定袋に集める。ヘルパーさんがいつもよりふらついている私を見て、寝ている様...突然の危機に思う

  • 不穏な時代

    まだ暗い時間帯だったが雨の音で目が覚めた。ベッドの横の障子を開けると、雪とも雨ともつかぬ大粒の雫が空から舞い降り駐車場の車の屋根に当たっては跳ね返っている。雫はやがて音が止まり、雪に変わって民家の屋根に積もり始めた。今日は、コロナワクチン3回目の接種で9時少し前には家を出なければならない。近くのクリニックでの接種だが、私の足では歩いて行くには少し遠い。私はリウマチで両ひざを手術しており、右足は人工関節が入っているが、具合が余り良くない。3年前に人工関節を入れたが、2年前に脱臼し再手術、その後も芳しくなく、ごつい装具を着けての生活はとても不自由です。タクシーではワンメーターも掛からぬ距離、私はシルバーグレーの電動カートで行くことにした。装具を隠すために、ジーンズ2枚をリメイクしたロングスカートに、真冬用のダウンコ...不穏な時代

  • 長い眠りから

    年の初めから自分の心に纏まりがつかずキーボードを押すことができませんでしたが今やっと永い眠りからさめたように自分の心と姿に向かいあっています。私は身体だけではでは無く心にも深い傷を負い病んでいます。通院を始めてからもう20年になりますが原因は33歳で成立した離婚に至る経緯にあるようです。苦しい。辛い。当人にしか分からない心の痛み。薬なしでは日常の生活が出来ません。幸い都会にいた時もこの里山の町にきてからも良きドクターにお会いでき今があります。私は病を隠してはいません・・・が病を知らない人にはこの辛さを訴えても分からないからあえて理解を求める事をしないだけです。里山の空は樹木は私に静寂と一時のやすらぎを与えてくれるのです。一人でいる爽やかさは安らかです。100人の雑踏の中にいるよりずっとずっと満たされ人間の本質的...長い眠りから

  • 初参り

    あえて初詣とはかきません。浩○さんが生きていたら、、多分、必ず、一緒に初詣に行ったことでしょう🙏小正月が過ぎ、晴れやかな空に雪のベレー帽子をかぶった山の方向に電動カ−トを走らせ東照宮に向かう私は普段着のまま。陽明門の前にそびえる杉の大木に手を当てる。🌲ヒンヤリとしつつ何処?温かい。空を見上げて写真を撮る。蒼い空と杉の木の間に虹が見える🌈虹は動き、色も移り変わって行く神秘的な時が流れる。何度もシャッターをきったが、、紫色にも黄色にも、ピンクにも、萌葱色にも変化していく空。良い事の前触れのように思える時間だった。冷たい風が頬をくすぐる。冬って、こんなに良い季節だったのね。浩○さんはあの虹の上で半世紀来の友人と何を話しているのかしら😊初参り

  • 新年が始動し始めました

    静かな新年が始まりました。寒波、雪、そしてコロナでの始まりで、子供達の弾む声も聞こえず、勿論晴れ着姿など居ない年の始まり。それでも、暮に作っておいたお節料理と雑煮で新しい年を迎えた事を一人で祝うのです。子供達からは、今年も音沙汰無しです。私、一人で生きます。自分の時間を楽しみ、自分を大切に日々を暮らし召される日までを生きて行きます。私は女の子と男の子を産んだ事は事実ではあっても、私を取り巻く環境は私を模範的な母親にはさせなかった。子供達は、貧しさと寂しさの中でいつしか自我を持ち自分なりの生き方を見つけ今を生きているのです。それで良い。私の存在は忘れてくれて良い。人を理解すること程難しい事はないのだから、あなた達の年齢で72年生きて来た私を理解する事はこの上なく難しいことでしょう。出来る範囲で良いから看取りだけし...新年が始動し始めました

  • 新たな年 そして初夢

    新たな年は山から吹き下ろす雪と風の吹雪で始まりました。朝カーテンを開けるといぶし銀の世界です。晴天の中にそびえる山並みの風景よりも今を、今の世相を表しているようで一人納得する朝でした。暮には予想外の収入2万円が入り、即冷凍庫を購入です。姉夫婦から送られて来た家庭菜園の野菜を出来る限り下ごしらえをし冷凍保存。栗きんとん、ゴボウの梅煮、黒豆昆布、身欠きにしんを早々に作り冷凍保存。1年の計は元旦にあり・・・とか?私の元旦の計は・・・1月の食費は今ある物でほとんど賄えそうなのでネットの初売りを利用して買い置き。冷凍できる魚類、乾物などなどカードで購入しました。引落は来月の年金後なので、来月も食費はあまりかからなくて済みそうです。食費は、度々スーパーに行って余計なものまで買ってしまう事と、食品の廃棄でそこそこ嵩むので思い...新たな年そして初夢

  • 新年のご挨拶 謹んで申しあげます。

    謹んで新春のお慶びここに申しあげます。コロナ禍ではありますが、より多くの皆様に幸多き年になりますことを祈っております。敬具新年のご挨拶謹んで申しあげます。

  • 終わる令和3年 始まる令和4年

    この里山の町で13回目の年越しを迎えます。都会化した千葉県から60歳を目前にした秋の始まりに単身移住してきて・・・今、私は幸せです。新鮮な山と杉並木の風景は私の身体に合ったのか、激しい痛みで苦しんだ日々が次第に少なくなりました。海辺育ちの私は、山の恵を食し、今はそれらの調理もそこそこ上手になりました。新たな人間関係。血縁に縛られる事無く、自分の意思で交流の深さを選べる自由を手にしました。私の心身を苦しめた多くの人間関係を手放しぼっちで・・・一人ボッチで始めたシニア生活。当然貰えるべき遺産も遺品も手放すことに迷いは有りませんでした。そんな形あるものは、いつか壊れ無くなるのです。私は目には見えぬが、自由と孤独を抱え、新しい生き方を選んだ事が今正しかかったと思っています。旧友達はこんな私を自由奔放な女・・・と笑いなが...終わる令和3年始まる令和4年

  • シニアの青春は・・・何色?

    カウントダウンはクリスマスツリーの電飾だけではない。カウントダウンは年越しのイベントだけではない。今年も喪中のハガキが届く。両親は勿論、伯父、叔母も・・・60年来の旧友もすでに5人が旅立ている。浩〇さんも59歳で思い出だけを残して旅立った。そんな年齢になったシニアの私達、大勢の家族に囲まれている人も、一人暮らしをしている人も心の底には、同じ色の不安に染められた時間が流れている。シニアのカウントダウンの始まりを一人で抱え込んでいる心。でもその日まで青空色のキャンバスに、好きな花の色のカラーペンで夢を描く。子供の頃の様に、理想の職業や愛に溢れた家庭などはもう描けない。短期で出来る事しか思い浮かばないから・・・理想とか愛とかという言葉に手が届かない。でも魂の世界(スピリチィアル空間)では、私は永遠で居られるのだから、...シニアの青春は・・・何色?

  • 中途半端な心で過ごす年の瀬

    今日は、メンタルクリニックの診察の日でした。12年前理想の兄のような優しさで心のうちを聞いて下さるドクターと出会えて私は知人一人も居ないこの里山の暮らしに身の置き場を教えてくれた素敵なドクターです。私が双極性障害Ⅱ型を発症したのは、19年前の過重労働と膠原病発症よりずっと以前だった気付きをくれたドクターです。そう・・・40年前の離婚。夫の暴力がきっかけだったのです。日常のありきたりの会話をしていて・・・突然拳が私の頬に振り下ろされ、血を吐く。トイレに立つのかな?と思っていると、私の背後から左手で首を絞められ右手は顔面を叩き鼻血が噴き出る。多分・・・私の言った言葉が気に入らなかったのだろうが?・・・無言の暴力に未だ理解できずじまい。只、恐怖心と人間不信に陥って子供を連れて逃げるように家を出た過去。あの頃自分が病気...中途半端な心で過ごす年の瀬

  • 今日は抜歯手術です

    今年、3回目の抜歯手術の入院です。膠原病の治療に必須のステロイド剤で骨粗鬆症に。骨粗鬆症の治療薬の為に、骨壊死のリスクを背負い、開業医では抜歯が出来ず、国立病院に入院、静脈麻酔をしなければならない。私達が子供のむし歯の治療はガリガリ削って薬をふくんだ綿球を差し込み、その上をセメントで塞ぐだくの簡易な物だったし、団塊世代はけして栄養を考慮した食事に気配り出来るゆとり等無かった。そのツケかも知れない。今回の術前検査で副鼻腔炎があることが分かり、、、そちらも来年は治療しなければならない。父親が副鼻腔炎から上顎癌を発症し他界している顔の半分を失い、酷い姿で逝っているので、もし私があのようになる程悪化したら、延命治療は受けないと覚悟している紅葉も遠き日になって、山頂には雪が薄っすらの年の終わり☃️間もなく手術の準備の点滴...今日は抜歯手術です

  • ざわつく心

    又突然歯が欠けて、残った根を切除する手術で国立病院に入院することになりました。今年になって、3回目です。12月6日に予定されています。全身麻酔なので痛みは感じませんが、風の冷たくなった今、術前、術後の通院は辛いですね。たた、今回は今迄と違い、抜歯だけではなく、副鼻腔炎の疑いがあるのです。今年最初に手術した所に入歯が入り1週間付けていただけで歯茎が最初は白く、そして今は赤く変色し違和感があるのです。先月折れた歯をかかりつけ医に診てもらったが、根の神経はあるが、修復不能との事で又国立病院へ。その際、最近、白い牛乳が固まったような液体が左鼻から出るんです・・・とドクターに伝えた。赤く爛れた歯茎は左鼻の下。副鼻腔炎かもしれないと、CT検査が追加された。今迄は術前の検査等は1日だったのに、今回は2日で朝一番の唾液採取の提...ざわつく心

  • 浩〇さんが死にました

    木曜日の夜、ディの仲間の小〇さんからメールがあり、浩〇さんが20日に亡くなったとの知らせ。とても、複雑な気持ちです。彼の父親が膵炎で入院中ですが、母親は毎日彼をタクシー代わりにして病院に通い、衣類の取り換えや差し入れに通っていたので、彼はずっとディを休んでいました。ラインで、その病院にはランドリールーム無いの?頼めば看護助士さんが洗濯してくれるよ!・・と言ったのですが「母親はたとえ洗濯物が無くても、差し入れが無くても毎日父親に面会に行くんです。頭が下がります。」・・・と母親を賛美する。浩〇さん自身脳出血の後遺症でリハビリが必要な身体なのに、そのリハビリを休ませて、アッシー君に使う母親に疑問を持ったので、「それおかしいよ!自分の身体大事にしないと!時々はお母さまにタクシーを使って貰ってリハビリに出て来てね」と私は...浩〇さんが死にました

  • ご無沙汰しました。千葉へ帰省

    先週月曜日から1週間故郷の千葉県に行ってきました。子供を産み、育てた柏市の友人から電話があり、急に視力が無くなり眼科に行くと白内障と網膜剥離で入院・手術が必要だと言われ、大学病院を紹介されたと言うのです。白内障は私もすでに手術しているのでそう心配する事はないが網膜剥離は・・・ネットで検索するとやや心配で、失明の可能性もあるという疾患です。友人は私より1歳年上で一人暮らし。親族は皆、高齢になり、息子は北海道に住んでいるので来ることは難しいと・・・。わかったよ!!今コロナも下火になり、私の体調もまあまあなので、私が付きそうよ!・・と言う事になり久しぶりの千葉県への帰省です。月曜日に千葉県柏市へ向かう。駅でテレビでも放映されている埋蔵金駅弁とお茶を買って特急電車に乗り込む。故郷は田舎と言うが、私の場合60歳で里山暮ら...ご無沙汰しました。千葉へ帰省

  • インナーチャイルド・・NO2

    ディサービスという金魚鉢に入ってきたオタマジャクシは当分カエルにになって飛び出して行きそうもない。むしろ不完全な形で生息している。60歳に間の無くなるオタマジャクシは今度は左腕に白い時計、右腕に真新しい黒い腕時計をしている。体操中も往復に着るジージャンを脱ぐことはない。外見は別に他人に影響するわけでは無いから、とりあえず横に置いておいてもよいが・・・個別リハの後休憩のtee-taimがありその後集団体操になるが、オタマジャクシは、一番後ろで呆け~としているか、女性スタッフと他愛もない子供じみたお喋りをしたり、猥談をしたり時にはトイレに閉じこもりをする。直前連絡で休む日も多く周囲は益々違和感を感じて、声をかける人は居なくなってきている。私は尋ねて見た。集団体操好きじゃないみたいね?・・と彼はこう答えた。「年寄りく...インナーチャイルド・・NO2

  • 久しぶりの東照宮参り

    明日からは本格的な寒さの到来とか・・・昨日はとても暖かく今年最後の小春日和のようだったので、久しぶりに電動カートで東照宮参りに行ってきました。木曜日の夕飯時左奥のクラウンを被せてある歯がポロリと取れて何か?不吉な気分に・・・金曜日(昨日)、朝一番で歯科医に行き応急処置をしてもらって帰って来て痛み止めを飲んで少し眠り気が付けばもう11時過ぎ。昼食を作る気分でも無く・・・こんな時はドライブです。最後の小春日和になるかもしれない・・・と町に出て行きました。コロナの緊急事態宣言も解除になり、観光客もそこそこきています。途中、この町唯一のファミレスの前を通ったので、滅多に一人ランチはしないのですがピザが食べたかったのでファミレス入店。満腹になった所で東照宮にむかいました。実は、もう20年近く前からの友人(千葉県在住)が、...久しぶりの東照宮参り

  • 男の品格とは・・・

    今迄感じた事も考えた事もなかった…男の品格…を妙に感じるこの頃です。私は特別、著名人やアスリートの友人・知人の中で生きて来た訳ではないのですが、いや、寧ろ、ブルーカラーの同僚、中小企業の中間管理職の上司の中で生きて来たので酒席などでは、乱れた会話下ネタ話は度々でいわゆる「耳年増」だったかもしれません。軌道を外れた男女関係も目にし、耳にし・・しかしそれらは「秘め事」であったから「~ふ~ん、あの人もね~」と、他人事としてやり過ごしてきたのです。今は闘病中であり、人間関係も様変わりしてきました。私にとって、リハビリは楽しいひと時でありリフレシュできる至福の時なのです。月曜日から金曜日まで午前・午後と10回あるうちの一つに偶然集まった10人足らずの人達だがそれぞれの身体機能に応じたリハビリをしながら、男女をを問わず、年...男の品格とは・・・

  • インナーチャイルド?

    人それぞれの生き方があるから、全てを一律に制服を着せるつもりはないが・・明らかに年齢不相応の風貌・生き方をしている人に対し私はどう接するべきか?を時々迷うことがあります。仮にAさんとしよう。彼は、高校生までは優等生であったようです。一人っ子で親の期待を背に受けて生きて来たが、大学受験に失敗をしてしまった。そんな躓きなどよくある事なのだが、彼にとっては「よくある事」では許せない一大事だったらしく、その後いわゆるぐれてしまったようだ。遊び、小さな犯罪に手を出し、前科も付いて親の期待の分だけ逆に落ちて行った。親を困らせる事が快感だったのかも知れない。いろいろ遊んだ挙句可成り若い女の子を妻にしたが、旨く行かず離婚。子供が居なかった事と、それなりのお金があった事で争う事も無く離婚したことを、「彼は円満離婚」と言う。世間に...インナーチャイルド?

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