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sonicstepsのブログ
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https://sonicsteps.hatenablog.com/
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トットちゃんにもエジソンにもなれない無名の発達障害当事者による告白。辛いけど滑稽で、ときには救いもあったりする個人史を、建前論で飾ることなく打ち明けてゆきます。
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3回 / 26日(平均0.8回/週)

ブログ村参加:2020/09/22

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sonicstepsさんの新着記事

1件〜30件

  • ADHDとして生きるということ⑦ 高校(中編) 前後して申し訳ないが、時計の針を高校入学の頃に戻させていただく。 中学時代の地道な筋トレが功を奏し、僅かながらも運動能力の向上に成功した僕は、高校へ上がると弓道部へ入部した。もちろん、これまでのスポーツに対するコンプレックスを払拭するためだ。種目に弓道を選んだ理由はふたつある。ひとつは根っからの軍事オタクであり、弓矢やゴム鉄砲からゲーセンの機関銃まで、あらゆる飛び道具が大好きだったこと。もうひとつは、何となく運動神経のない者でもこなせそうなスポーツに思えたことだった。 その年、弓道部に入部した男子は、僕を含めて三人いた。ひとりは高価なモデルガンや…

  • ADHDとして生きるということ⑥・高校(前編) ——高校へ行ったら、自分はきっと生まれ変わってみせる—— 中三までの惨めな日々との決別を誓って、僕は共学の県立高校へ進学した。ここで人生を変えられなかったら、きっと死ぬまで後悔することになる……何とも青臭い思い込みだが、当時は真剣だった。 同級生のなかには同じ中学から進んだ顔ぶれも混じっていた。性格の悪い奴でもいたら嫌だったが、男子に限ってみれば、僕と不仲だったような者はほとんどおらず、とりあえずは安心した。 だが、問題なのは女子の方だ。 決して大人数ではないが、中学時代にとりわけ僕を忌み嫌っていた女子数名が、いくつかのクラスに点在している。お…

  • ADHDとして生きるということ⑤・中学(後編) 中学に上がると、僕にもそれなりに友だちができるようになった。漫画やプラモデルに出会ったことで、何かに打ち込む喜びも覚えた。だが、クラスの女子との軋轢はますます悪化の一途を辿り、何をやっても嫌われ続けることになる。 初めて異変に気づいたのは、夏休みが過ぎ、二学期も中盤に差し掛かった頃だった。 彼女らに直接何かを言われた訳ではない。ただ、いくつかのグループが、僕が近づくだけで妙な反応をする。全員がさっと顔をそむけたり、口元をおさえて薄笑いを浮かべたりしながら、露骨にこちらから去ってゆくのだ。もちろん何も話しかけてくれない。こちらが話そうとしても何も答…

  • ADHDとして生きるということ④・中学(前編) 小学校の高学年になると、僕は群馬大学付属中学校の受験を目指して猛勉強を強いられた。平日はもとより、日曜祭日も母親が付き添い、朝から晩まで机に縛りつけられる。子どもらしい娯楽は取り上げられた。楽しいはずのゴールデンウィークや夏休みも犠牲になった。おかげでクラスメートのテレビの話題にもついて行けなかったことは、すでに書いたとおりだ。 だが、それでも僕は受験に失敗した。 この群馬大学付属中学校というのは県下唯一の国立中学で、入学試験を突破するのは難関だ。それだけに、ここへ入れば名門高校への進学の可能性も高くなる。平たく言えば前橋市で最も頭のいい子どもが…

  • ADHDとして生きるということ③・思春期 あまたの例外はあるものの、発達障害のある人たちの中には、極端に異性にモテないケースがあるように思う。 理由はいくつも考えられる。まず、発達障害の多くはいわゆるオタクだ。趣味はたいていマニアックだから、話題を共有できる相手は限られている。だから、まれに似たようなマニアの異性に出会うと目の色を変える訳だが、現実は厳しい。アスペルガーであれば他者の気持ちを読み取るのが難しいし、ADHDは平気で恋人の誕生日を忘れてしまう。おまけに会話はすべて直球ストレートであり、恋愛には必須となる心の駆け引きが難しい……とは、ネットでみられる専門家たちの指摘だ。 それにもうひ…

  • ADHDとして生きるということ②・両親との関係 両親のことを書く前に、小学生の頃の成績にも触れておく。 ADHDの大きな特性として、好きなことには尋常ならざる集中力を発揮するが、嫌いなことには見向きもしないというのがある。こと勉強に関しては、これは僕にも当てははまることだった。 といっても、成績が本当に「ずば抜けてた」といえるのは、理科の一科目のみ。これはやはり父親が医者だった影響が大きいと思う。子ども向けに書かれた「人体のしくみ」みたいな図鑑を読むのは大好きだったし、生き物の生態にも興味を持った。昆虫の飼育もよくやったが、死ぬと標本にしたり、ときには解剖して体内の構造を調べたりもした。(当時…

  • ADHDとして生きるということ①・学童期 「発達障害は『障害』ではなく『個性』なのです……」 似たようなフレーズを飽きるほど聞かされた。ネット情報やTVの特集、おびただしい書籍の数々など、発達障害を題材としたコンテンツには必ず添えられている慣用句だ。 これから述べてゆくように、私は発達障害のおかげで人生をぶち壊された。その忌まわしき足枷を、彼らはなぜ「障害」と呼ぼうとしないのか。おそらくは、歴史に名を遺すような著名人のなかには、発達障害とおぼしきエピソードを持つ人が少なくないことが大きな理由だろう。たとえば世代を超えて尊敬を集める政治家や企業家、アスリート、芸術家、ミュージシャンやTVタレント…

  • イントロダクション いまから87年前のこと。 東京・乃木坂の裕福な家庭に、ひとりの女の子が生まれた。 彼女は幼少の頃から変わっていた。入学先の小学校では教室でおとなしくしていることができず、毎日のように迷惑行為を繰り返した。机のふたをやかましく開閉したり、窓辺に通りかかったちんどん屋を呼び寄せたりと、さまざまな奇行に及んでは授業をぶち壊す。激怒した教師たちは彼女を「問題児」とみなし、ついに退学処分を言い渡した。 小学校にも通えないようなクズに対して、世間は冷たい。普通に考えれば、彼女の人生はこの時点で「落伍者」として決定づけられていたことだろう。どこへ行っても軽蔑され、社会へ出てもまともな職に…

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