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2020/08/28

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  • 夏の明るい寂寞かな

    枇杷の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込みの蔭には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ早や萎れてしまった。梅雨が過ぎて盆芝居の興行も千秋楽に近づくと誰も彼も避暑に行く。郷里へ帰る。そして、炎暑の明るい寂寞が都会を占領する。永井荷風の随筆集(岩波文庫)にある『夏の町』の冒頭の書き出しである。荷風がほぼ5年間の洋行(アメリカ、フランス)から帰って2年後に書いた随筆だ(発表は明治43年8月、東京散策記ともいえる『日和下駄』の執筆より4年前になる)。28歳という年齢を感じさせない熟達した書きようであり、江戸情緒を感じさせる叙述だ。冒頭にでてくる花たちは、初夏にわが町でも見かけた。お寺さんに自生したり、ご近所の庭先に咲いていて、今や懐かしく感じられる。東京のお盆は明治より新盆だが、旧盆の八月...夏の明るい寂寞かな

  • 柳原義達について、もう少しの話

    前回の続きジェルメーヌ・リシエについてIT検索していたら、興趣をそそられることが多々あった。ちょっと驚いたのは、後期の作品『蟻』(1953)が約3億3千万円で売買されていたこと。所蔵者は東京国立近代美術館、落札者は民間の美術関係会社。超高額だが、世界基準のリシエ評価としては、さもありなんと類推できる。そのほかの美術品の入札についても、想像をめぐらすこと多し。▲リシエ作『蟻』(1953)検索では、「柳原義達」という固有名はかなりの頻度で出た。柳原と矢内原伊作が、リシエについての評論を書いている(雑誌『みずゑ』)。リシエに関する単独の著作物は全くでてこない(無いのだろう)。国会図書館には、柳原名義のリシエに関する著書があるらしいが未確認。各大学の紀要いわゆる論文集には、ジェルメーヌ・リシエの名は散見できたが、...柳原義達について、もう少しの話

  • 女性彫刻家ジェルメーヌ・リシエが遺したもの

    ジェルメーヌ・リシエ(1902~1959)とは、フランスの女性彫刻家であり、ロダン(1840~1917)の高弟であったアントワーヌ・ブールデル(1861-1929)のそのまた愛弟子である。ブールデルは日本各地で巡回展が催されたこともあるが、ロダンほどには馴染みがないかな?いや、「弓を引くヘラクレス」をはじめ多くの彫刻やレリーフなどが各地の美術館に所蔵され、目にされた人は多いのではないか。また、ブールデルは自然主義のロダンの影響を脱して、独自の構築的な彫刻をめざしたとされる。それが、近代日本の彫刻界を牽引した高村光太郎をはじめ、佐藤忠良、舟越保武、後述する柳原義達らに多大なる影響をあたえたといえよう(アカデミズムから離れた在野の彫刻家グループ)。▲弓を引くヘラクレス▲瀕死のケンタウルスさて、ブールデルの弟子...女性彫刻家ジェルメーヌ・リシエが遺したもの

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