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  • 忠義

    「忠義」と言うと、封建時代の危険な思想だと思われることが多いようである。しかし、自分の一身を擲つことで、その人が生きることが、自分が生きること以上に、世の中の未来の役に立つのであれば、それは自分も生きることになり、未来の子どもたちをも生かすことになっていく。忠義とは、社会的生物である人間がたどり着いた、極めて利己的な思想なのかもしれない。だから、忠義の何が悪かろうと思う。ただ、気をつけたいのは、他人に感謝を求めることで、感謝の本質がそこなわれていくのと同様に、他人に忠義を求めることで、忠義の本質はそこなわれていく。私も自分が忠義の人でありたいと思うが、他人にそれを求めるつもりはない。忠義

  • 評価

    評価というものは、他人がするものゆえ、自分ではどうにもならぬもののように思う人も多いようだが、とんでもない勘違いである。自分の言動が、他人の評価となって返ってきただけである。だから他人の評価は自分の責任だとも言える。しかし、人は誤解することも多いものである。真意が伝わらぬ事も多い。価値観が違えば当然のことである。だから、すぐにわかってもらおうなどと思わぬことが大切である。時が必要であり、自己の信念と、自己を磨き続けることが大切である。ひょっとしたら、自分が死んだ後に、何十年という時間が経って、真意が伝わることもあると思う。所詮はそんなものであるから、自分の言動を磨くこと、つまりは、その源である、自分の考え方を磨くことが肝要である。評価

  • WBC

    やっぱり、人間が夢中になる姿を見るのはいいなぁと思います。全力を尽くすこと、勝利への執念を燃やすことは、本当に尊いことです。人々がコロナで忘れかけていた、リアルの熱量を、強烈に呼びさましてくれたように思います。試合を見る時間も無く、終わった後で、ちょこちょこNEWSを見る程度の私で申し訳ないのですが、それでも素晴らしいなぁと心揺さぶられます。そして、自分も教育という世界で、負けないような気迫を持って頑張ろうと思います。選手の皆さんの、試合までの日々の努力の積み重ねを思う時、私も負けないだけの日々の努力を重ねていこうと思います。WBC

  • 自由な教育者

    私が良かったと思うことは、教育についての師がいないことだと思います。素人の教員崩れが、本気で教育をやろうと思うと、本気で勉強しなければなりません。その時に、大学の教授だの、学閥だの、学習指導要領だのに、一切影響されない道を歩いてきたことが、本当に幸いなことだったと思います。なぜなら、色々な固定観念や常識から、私は自由でいられたからです。そして、教育の本質を追究し続けることができたからです。また、上役の顔色をうかがったり、出る杭は打たれるから、打たれないようにしたりということが、私には一切ありませんでした。肩書きも、地位も、権威も、お金もないかわりに、私はいつも自由でいられたのです。まだまだ、道半ばというより、始まったばかりですが、ひたすらに自分の道を探求していこうと思います。自由な教育者

  • 古き教え

    人間はそう簡単に立派な存在にはなれないもののようです。紀元前の孔子やブッダやキリストの教えさえ、まだ体現することは出来ないのですから。一体、古いものは遅れているという思想はどこから生まれてくるのだろうかと思います。新しかろうが、古かろうが、人間の真実に迫る教えは、尊く、そして、変わるものではないと私は思います。古き教え

  • 至誠天に通ず

    私は特定の宗教を信じる人間ではありませんが、神道も仏教もキリスト教も大切だと思い、敬意を表しています。また、神様に守られているなぁと思うことしばしばです。(仏様かもしれませんし、天かもしれませんが…。)危険を避けてくれたり、また、そのことで、危険を知らせてくれているようにも感じます。根拠はなくとも、私にも何かしらの天命があるのだろうと思っています。だから感謝をしています。神様にも仏様にもご先祖様にも天にも。「至誠天に通ず」とは、吉田松陰の大切にした言葉であり、孟子の言葉であります。至誠を胸に抱き、日々、全力で世の中のために生きる。そうすれば、その思いは天に届き、天のご加護を受けることが出来る。慢心する余裕などどこにもありませんが、謙虚に、虚心に、真心を尽くして一日を大切に生きていこうと思います。至誠天に通ず

  • おそらく

    おそらく忠誠心についてのコメントは、色々と誤解を受けるであろうと思います。私はただ、日本人的感覚からすれば、人情酷薄と思える海外のグローバル企業と、日本に続く100年企業との対比を思っただけです。個々人の働き方や、境遇、考え方、価値観はそれぞれであろうと思います。とにかく働くことが人生の大きなウェイトを占めている中で、何が幸せと言えるのだろうかと改めて考えてみたいと思うのです。おそらく

  • 忠誠心

    会社から会社を転々とすることが、キャリアアップになるという考えが主流を占めていて、終身雇用という形態は終わったかのような印象を受けることも多々あります。しかし、いくつかの会社を渡り歩いてキャリアアップしていくことも良いとは思いますが、一つの会社に忠誠を誓って、その仕事と共に人生を生きていくことにも大きな価値があると思います。創業者の思いと共に生きるということは、そういうことだと思います。無論、変化の時代ですから、変化への対応力はなければなりません。しかし、転々とするだけで、忠誠心も義理人情もない人と、共に人生を賭けて仕事をしていこうという気持ちには、少なくとも私はならないだろうと思います。忠誠心

  • ただ粛々と

    私は幸いにして、固定観念から脱した教育を形にすることが出来るようになりました。それには多くの人たちの支えがありましたし、一方で、多くの逆境がありました。どちらに対しても、感謝しかありません。困難なこともありましたが、それでも安易な道を選ばず、自己顕示欲を満足させるような道を選ばず、偽りの発展を望まず、本物とは何のことかを考え、粛々と自分の道を歩いてきました。あとは、たくさんしていただいたことを、いかにして後の世代に手渡していくかだけです。まだ、私の歩いてきた道に価値があるなどとは思われてもいません。社会に知られることのない、ささやかな成果でしかないのです。しかし、私はこの価値の大きさを信じます。自分のやっていることの価値を自分が信じなくて誰が信じるでしょう。それを押しつけることなく、喧伝することなく、粛々...ただ粛々と

  • 誠実さ

    誠実であることと誠実を装うことは違います。冷静に、言行が一致しているのか、そうでないのかを見定めていけば、両者の違いはすぐにわかることです。嘘偽りのない人とは、共に過ごしていて居心地が良いものです。私は真っ直ぐである方を選びたいと思います。誠実さ

  • やるべきこと

    日本は危機に立っています。それは人間としての日本人の劣化という、かつて無い大きな危機です。日本という国がなくならないように、覚醒し、行動する人たちが、一人でも多く出てこなければなりません。解決が難しいのには二つの理由があります。、死に至る病に冒されている自覚がないこと、その治療薬の処方箋を書くことが、よほど深い洞察力がなければ困難であること。この二つです。私も及ばずながら、全力を尽くします。何を言うかではなく、何をするか。そのことが大切だと思います。やるべきこと

  • 本物とは

    色々な方に出会って、素晴らしい人物やその品格というものを強烈に思い知らされてきました。そして、学ばせていただいてきました。それが自分の土台となっているために、少々のことでは揺るがなくなっていることを感じます。「本物とは何のことか考えよう」という言葉は、本当に大切なメッセージです。本物とは

  • 東京にて

    バッカーズ寺子屋の保護者会を開催しました。三年ぶりの対面での開催です。やはり、人と人とが同じテーブルについて、食事をし、会話をすることで、たくさんの心の交流があり、多くの学びがあるのだと思います。私はこうした時間の一つ一つを大切にします。ここに教育の未来があり、日本の未来があると思うからです。東京にて

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