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  • 心の持ち方

    自分が休みたい、遊びたいという気持ちよりも、未来の子どもたちに何かを遺したいと思う気持ちの方が強くなるようで無ければ、本当の教育などできるものではないと思います。そして、教育は、していますとひけらかすものではなく、ただひたすらに実践していくものだと思います。志にしても、私の志はこうですよとひけらかすものではなく、ただひたすらに、思いを深め、胸に刻み、学び続け、一歩を踏み出し続けるものだと思います。心の持ち方

  • 重み

    人間にも物事にも重みというものがあります。その人や物事から受ける重厚な、また厳粛な感じです。しかし、これはなかなか数値化できないし、理論的に説明しにくいものです。この軽重が理解できない人が多くなったと私は感じます。木を見て森を見ぬ議論もそうですし、鼎の軽重が問われるという場面においても、何が重いのかわからなくなっているように感じます。また、重箱の隅をつつくような批判や議論も目立ちます。教養というものはそうしたところで物を言うものなのだろうと思います。そうした教養につながる教育を軽視したツケはいつか必ず回ってくるのだと思います。日本の自然や文化や歴史を軽んずる教育は、祖先の苦労を忘れる忘恩の徒を生み出すように思います。しかし、そうした人たちも、悪気の無い、普通の良い人たちなのだろうと思います。ただ、そうした...重み

  • 子どもは大人の真似をする

    味方であれ、敵であれ、死を悼み、いなくなったことを寂しがったり、懐かしがったりするのが、日本人の人情であったと思います。戦っても、戦い終わればノーサイドで、互いをたたえ合うのがスポーツマンシップであり、武士道精神であったと思います。人の死に対して、いつからこんなに醜悪な振る舞いが目立ち始めたのだろうかと思います。それ以前に、醜い戦い方(足の引っ張り合い、人を人とも思わぬような非道など)が常態化していることが残念です。そして、そうした大人の振る舞いは、必ず子どもたちも真似ていくものだと思います。子どもは大人の真似をする

  • キャリアオーナーシップセミナーin熊本

    キャリアオーナーシップセミナーを熊本で開催します。「志の教育」の一環です。漂うように生きないために、活力ある生き方をするために何が大切か。全力でお伝えします。キャリアオーナーシップセミナーin熊本

  • 遺すべき大切なもの

    何歳になっても、夢を持つこと、理想を追い求めることを放棄しない人間でありたいと思います。また、気高く生きることを放棄しない人間でありたいと思います。何も遺せないかもしれないけれど、せめてその思いだけでも遺せたらと思います。やはり本当に遺るのは、本当に心を込めたものだけだと学んで来たからです。遺すべき大切なもの

  • 較べることと較べないこと

    他人と較べることを怖れてはならないと思います。なぜなら、他と比較しなければ、自分の強みも弱みもわからないからです。しかし、その前提として、自己を確立しておかなければならないと思います。なぜなら、自分が無ければ、人は比較の中で、劣等感に苛まれたり、不安に陥りがちになってしまうこともあるからです。自分の信念は、学び続け、鍛え続けなければ確立されるものではありません。そうした視点が前提になければ、較べることにも、較べないことにも、良き意味は生まれないと思います。較べることと較べないこと

  • 死をおくる

    安倍元首相の葬儀が行われます。哀悼の意を表したいと思います。反対のデモがあるのは政治家として仕方の無いことかもしれません。特に、あたりさわりなくやってこられた方ではないので、已む得ないのでしょう。しかし、私は1人の日本人として、亡くなった方へ哀悼の意を表することや、日本のリーダーとして多くの成果を生み出した方に敬意を表することは、とても大切なことだと思います。亡くなった方の、政治的信条が異なろうと、仮に何か大きな瑕疵があろうと、私は「人の心」を忘れたくはないと思います。死者をむち打つような人情酷薄な社会を目の当たりにして、これではいけないと思います。誰であろうと、人の死は、敬意と悲しみと共に、静かに送り出すことが、人としての礼儀だと私は思います。死をおくる

  • ちりめんじゃこの記憶

    スーパーで買ってきたちりめんじゃこを食べていて、ふと、「あぁ、子どもの頃も食べていたなぁ」と思い出しました。子どもの頃の食の記憶というものは、それほどまでに残るものなのかと思いました。何十年も記憶の表層に出てくることが無かったものが、なぜか今日の夜、ひょっこり出て来たのです。私たちは、その場で子どもにわからせることを教育だと勘違いしているのではないかと思います。そうではなく、何の見返りも求めずに、添加物の無い、自然で新鮮な食を与えられていたことも、実は大きな教育だったのです。そして、それは何十年か後にしか、思い出されないようなものかもしれません。しかし、それはしっかりとその人間の一部になって残っているし、次の世代へと伝えていくことができるものなのです。これほど大きな教育はないと私は思います。ちりめんじゃこの記憶

  • 我が道を行く

    当たり障りのないことを言ったり、やっていた方が、その場はうまくいくのだろうと思います。確かに当たり障りのないことを言っていた方が、多くの人に受け入れてもらうことができますし、反対して足を引っ張る人も出て来ないと思います。しかし、信念のないところに、教育の発展も、世の中の進歩もないのだろうと思います。「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」と詠んだ、吉田松陰先生の境地には、遠く及びませんが、やはり、妥協をしてはいけないと思います。心を尽くして、角が立たぬように心を配りつつも、言うべきことは言わなければならないと思います。ただ、それ以上に、私はやるべきことを黙ってやり続けていようと思います。我が道を行く

  • で?

    最近、色々な人のコメントを読んでいて思うこと。「その通りですね。で、どうするの?」分析や論評は的確でも、そこから先がないのが気になる私です。「で、どうするの?」今日も、この言葉を胸に突きつけながら、一歩一歩前進します。で?

  • 弔問外交

    「弔問外交」という言葉が飛び交っている。実に下品な言葉だと思う。行うのは、あくまでも弔問であるべきだと私は思う。結果として外交が行われることがあるのは勿論良いと思う。多くの人が集まれば、そうした形が生まれることはよくわかる。だが、はじめから「弔問外交」などと言っている人間に、死者に対して心からの哀悼の誠を捧げる気持ちなどあろうはずがない。下品だし、卑しい気持ちが透けて見える。行うのはあくまでも「弔問」であるべきではないのか。いつから私たちはそんな物言いしかできなくなったのだろうか。もはや止められないことかもしれないが、少なくとも私はそうした物言いはすまいと思う。弔問外交

  • タイパ

    深い思考をするためには、本を読み、自分と向き合い、世の中を考え、思索にふける時間が必要だと私は思います。また、色々な「余韻」や「味わい」というものが、人の暮らしには大切なものだと思います。目の前のことに、反射的に言葉を紡ぎ出していくことが、どれだけのものを生み出すのか私にはよくわかりません。しかし、それが現代という社会です。タイパ(タイム・パフォーマンス)が良いとか悪いとかが、大切な価値観です。「日本のポップソングのヒットチャート上位20曲のイントロは、2011年の平均17秒台から21年には半分以下の6.3秒と一気に短くなりました。背景には音楽配信の普及があります。サブスクリプションで聴き放題のため、利用者は好みの曲を探して次々と再生します。歌い出しやサビまで時間がかかる曲はスキップされることもあります。...タイパ

  • やってみないとわからない

    私の教育に価値があるのか無いのか。私の教育実践が拡がりを持つのか持たないのか。はたまた、私の死んだ後に残るのか残らないのか。全てはやってみるしかありません。全力でチャレンジしていく中で、道が開ける手応えに出会うのか、大きな壁に出会うのか。全ては実際にやってみなければわからないことです。やってみないとわからない

  • プリンシプルの無い日本

    自民党議員と統一教会の癒着の問題が次第に明るみに出て来ています。私は保守の政治に期待を寄せる者の一人ではありますが、不誠実さを嫌う人間でもあります。また、革新を求める者の一人でもあります。真の保守とは、過去の人々の人生の歩みに敬意を払い、未来への改革を断行する者たちだと思うからです。清濁併せ呑むということと、この問題は違うと思います。多くの政治家たちの「志操」の無さが露呈した。それだけのことです。よく、落選したら何にもならないと言いますが、人を騙し、心を偽って当選した人たちに、人々のリーダーであって欲しくはないと思います。こうした感覚が戦後の日本社会を駄目にしてきたのだろうと思います。やはりプリンシプルなき日本の社会に大切なのは、次の言葉を身につけていくことだと思います。バッカーズ少年教育十原則1.ウソご...プリンシプルの無い日本

  • 子どもの教育とは

    子どもの教育とは、結局は教える人間が、不断の努力を重ね、自分を磨いていくことでしかないのだと、ようやくこの年になってわかりました。世界的数学者、岡潔先生の仰るとおり、「人造り」などという言葉に無神経になった時点で、傲慢の誹りを免れないのだと思います。それは吉田松陰先生も仰っているとおりなのです。「教授は能はざるも、君等と共に講究せん」。(教えることはできないが、共に学ぶことはできる)という言葉の奥深さが真に理解できて、はじめて本当に教育が見えてくるのだと思います。次に、岡潔先生の『情緒の教育』の最初に書かれている所を少しだけ紹介します。「六十年後の日本」「私は人というものが何より大切だと思っている。私たちの国というのは、この、人という水滴を集めた水槽のようなもので、水は絶えず流れ入り、流れ出ている。これが...子どもの教育とは

  • 没頭していると・・・

    仕事に没頭していると、どうしても発信が覚束なくなってしまいます。読んで下さっている皆様、誠に申し訳ありません。ただ、私にとって最も大切なことは「教育実践」であり、それに次いで大切なものは、教育実践のための「学び」ですから、ご容赦下さい。きっと私はSNS向きの人間ではないのだと思います。自己を顕示せず、黙々とやる方が性に合っているのだと思います。だから駄目なのだろうと言うことで、苦手なことにも挑戦します。私は頭が悪いので、深く思考をするためには、どうしても時間が必要なのです。自分と向き合い、思考を深める時間(下手な考え休むに似たりではありますが・・・。)が欲しい人なのです。また、体力の限界まで攻めていると、思考力がついていかないこともあるのです。色々と言い訳をしたくなった、秋の1日でした。(笑)没頭していると・・・

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