今日は企業訪問。多くの方のお世話になります。人様のお時間をいただくことは実にありがたいことです。だから私も誰かのために時間を使いたいと思います。与え合わなければ良き価値創造はできないのだと思います。感謝。与える
2020年が終わろうとしています。ただの一日が過ぎているだけと言えばそれまでのことです。しかし、日本人は、ハレの日とケの日という概念を持ち、単調な日常(ケ)に、非日常(ハレ)という日々を挟むことで、生活を弾力化してきました。新型コロナウイルスで、酒席が無くなり、祭りがなくなり、様々なイベントがなくなったことは、ハレの日を喪失したということです。経済的なダメージも、感染者の方にとっての健康ダメージも大きいと思いますが、この精神面での切り替えを行うハレの日を失ったことが、私たちにとっては大きなストレスになるのかもしれません。ただ、そうとわかっていれば、手の打ちようはいくらでもあります。明るさを決して失わないこと。人間も自然の一部ですから、時には大自然の中で鋭気を回復すること。それが大切なのだと私は思います。2020年の終わりに
「坂の上の雲」で、日本騎兵の父と呼ばれる秋山好古が、朝鮮に出発するときのシーンを見ていて思った。秋山好古は、身ごもっている妻に、生まれてくる子どもの名前をしたためた紙を手渡す。半紙には筆で「信好(のぶよし)」「與志(よし)」と書いてある。好古は、「男なら信好、女なら與志、どうです?」と言う。妻は無言で好古の顔を見つめている。この時に夫の覚悟を全て悟っているのだ。「どうです?ええ名前じゃろう」「男でも女でもええけん、元気な子を生んでくれたら、それでええ」「後のことは頼んます」といった後で、二人の間に沈黙が流れる。この沈黙の時間が語っていることは、「自分の命は尽きても、命は子どもに受け継がれる。生まれてきた子が俺だ。」ということです。その時代の軍人の妻は、夫を愛し、夫が死ねば、その子の中に、夫の姿を見て愛したのだろ...死生
自分のことすら満足に出来ない人が、他人のために貢献することなど出来ない、というのも事実ですが、他人のために力を尽くさない人が、自分の持てる最大の力を発揮できないこともまた事実です。つまり、私たちは、自分という円をどこまで大きく拡げていくことが出来るかを問われているのです。利己心に固まれば、自分のことさえ全うできず、一方、利他の心で生きようとしても、己が未熟であれば、利他の実現などできないのです。己をどこまでも磨きつつ、利他の心を忘れないという生き方をすることが、結局は自分を高め、自己を充実させ、人々に良きものを生みだしていくことになるのだと思います。利他であったかどうかは、自分が努力し、それをやり続けてきたかどうかの結果でしかありませんし、他人が決めることでしかないのです。利己と利他
オフィスを引っ越してから、一年が過ぎました。どうやら、床が余り分厚くないようで、イスを引くときの音が階下に伝わるようでした。うるさく響く感じは全くなかったので、そこまでの想像力が働きませんでした。ごめんなさい。さっそく防音マットを注文しました。早く言ってくださったら、もっと早く対応させていただけたのに申し訳なく思います。昨年の暮れは、結局、福岡のマンションも、東京のマンションも、再開発のために取り壊されることになり、計3箇所の引越に奔走していました。新体制でのスタートを切って間もなく、新型コロナウイルスの感染が問題となり、一年の過ごし方が大きく変わってしまいました。さて、新しい、令和三年はどのような1年に出来るか楽しみです。一年
「坂の上の雲」を見ていて、ふと思いました。「あぁ、私は美しいものが好きだったのだ」と。愛にも、美しい愛と、そうでない愛があります。勇気にも、美しい勇気と、そうでない勇気があります。思いやりにも、美しい思いやりと、そうでない思いやりがあります。美しさとは、打算が入らない純粋さのことかもしれません。一途に相手を思う心のことかもしれません。自然の美しさには、どこにも打算の入る隙はありません。花の美しさ、山の美しさ、川の美しさ。美しさを誇る気持ちも、美しいと見せようとする気持ちも、そこにはありません。ただ、あるがまま。私も美しくありたいと思います。え?見た目のことじゃないですよ。おっさんですから(笑)。美しさ
弊社は本日が仕事納めの日です。今年は新型コロナウイルスパンデミックで本当に大変な年となりました。しかし、本当に大変なのは、来年だと思います。気を引き締めてかかりたいと思います。苦しい人たちも大勢いらっしゃることと思います。より良い社会の実現のためには教育の力も不可欠だと私は思います。ささやかではありますが、できることを倦まず弛まずやり続けていきます。ちなみに?会社の仕事納めの日と、私の仕事納めの日は異なります。念のため(笑)。本日仕事納め
「第3波来襲でも、なぜ人々は会食を止められないのか」ってメディアは言うけど・・・。なぜ人々はパチンコをやめられないのか。なぜ人々はお酒をやめられないのか。なぜ人々は交通違反をやめられないのか。なぜ人々は甘いものをやめられないのか。なぜ人々は本を読むのをやめられないのか。なぜ人々は映画を見るのをやめられないのか。なぜ人々はゲームをやめられないのか。なぜ人々は喧嘩をやめられないのか。どれか一つでも、人々が完全にやめられたらやめられるんじゃないかな?そう思います。食+コミュニケーションは、人間の欲求としてはかなり欲されているものの一つではないかと思います。だから、そう簡単にはやめられない。(私はそもそも懐具合が寂しいので行きません、いや、行けませんが。)だから、やめるには、みんなが正直で、言うことを聞く、素直で従順な...メディアは言うけど・・・。
橋本愛-木綿のハンカチーフ/THEFIRSTTAKE「THEFIRSTTAKE」は、一発撮りのパフォーマンスを鮮明に切り取るYouTubeチャンネル。ONETAKEONLY,ONE...youtube#video橋本愛-木綿のハンカチーフ/THEFIRSTTAKEhttps://www.youtube.com/watch?v=qNrAN0V7DX4私の世代にとっては懐かしい青春の歌。ゆっくりとしたメロディに日本語の歌詞が溶け込んで、心象風景が美しく描き出される歌の世界を味わうことが出来ました。何でも慌ただしく、賑やかに時を過ごす日々の中で、こうした曲の世界に落ち着いて浸るのも良いのではないかと思います。恋心も、繊細で、哀しくて、強くて、情緒に溢れていた、遠い昔の話です。木綿のハンカチーフ
新型コロナウイルスへの対応を見ていて思うことは、社会的に発信力のある人たちや、決定権のあるリーダーたちの弱さが問題だということです。私が感じている弱さの正体は主に二つです。一つは、相当数の人たちが、江戸時代のように、「由らしむべし、知らしむべからず」と考えているのではないかということです。つまり、「国民はたいして判断力がないのだから、俺たち(メディア、政治家、その他)が、必要なことを教えてやるし決めてやる。黙って言うこと聞いてりゃいいんだ。」という姿勢です。情報は、今の時代、いくらでも得る方法がありますから、その優位性は、既にかなり揺らいでいるのです。もう一つは、「論理的な一貫性と信念がない」ということです。「なぜそうなのか」「なぜそうするのか」「我々はどうすべきなのか」。感染症対策を例に取れば、様々な積み上げ...リーダーたちの姿
新刊『学び方が変わると人生が変わる』Amazonで、現在、予約受付中です。よろしくお願い致します。弊社宛にご連絡いただければ、一足早くご購入いただけるよう手配致します。また、出版社である、梓書院のホームページにも案内されています。「1年間、失敗を恐れず幾度でも挑戦できる環境でリーダー像を学ぶ塾生たちの素直な声が綴られた「塾生レポート」を読むと、成長していく子どもたちの活力溢れる姿が自然と目に浮かんでくる。ぜひ「塾生」を「社員」に置き換えて企業経営者の皆さんにも読んでほしい。すべてのページに「志を持つことの大切さ」がぎっしりと詰まっている1冊です。」という推薦のお言葉を、バッカーズ九州寺子屋支援者の会・副会長であり、株式会社ふくや代表取締役会長である、川原正孝様よりいただきました。また、同じく副会長である、株式会...予約受付中
「インフルエンザウイルスは自分の力では増殖することができず、他の生物に感染し、感染した細胞の中で自分の遺伝子のコピーを作り増殖していきます。その結果、インフルエンザウイルスに感染したほとんどの細胞は死滅してしまいます。また、インフルエンザウイルスの遺伝子はRNA(人の遺伝子はDNA)という遺伝子で、このRNAは誤ったコピーが発生しやすく、これを変異といいます。インフルエンザウイルスは常にこの変異が起こっており、人の1000倍の確率で起こっているといわれています。さらに、増殖スピードは速く、1個のウイルスは1日で100万個以上に増殖します。インフルエンザウイルスは常に変異と増殖を繰り返して、徐々にマイナーチェンジしながら生き延びています。一度、インフルエンザにかかったのに、何度でもかかることがあるのは、このように...こわいこわい
何だかんだ言って、日本の国内総生産は、世界第3位です。これは凄いことであり、日本の総理大臣にかかっている重圧は相当なものだと思います。坂の上の雲を追い続けた日本は、これから、改めて自身の哲学を再構築しなければならないと思います。その前夜の、混沌とした中で、政治も教育も経済も防衛も外交も混沌としているのだと思います。小さな事を、声高に非難することも必要かもしれません。しかし、大局を考えて行動すべき人たちが、その役割を果たすことが出来るように支えてあげることも大切なことです。深い哲学を持ち、世界のことを考えて行動しなければならない人たちが、あまりにも非道い状況にいると思います。自ら招いているという節もありますから、早くそこから脱却していただきたいと思います。日本の未来
「サザンオールスターズの桑田佳祐が作詞作曲し、演歌歌手の坂本冬美が歌う楽曲「ブッダのように私は死んだ」のミュージックビデオ(MV)が、公開から約1か月半で再生回数100万回を突破。演歌歌手の楽曲としては異例の早さを記録した。」ということで、早速、聴いてみました。感想は・・・、「ブッダに謝れ!」・・・以上。という感じです(笑)。歌の世界観たるや、もう支離滅裂。桑田佳祐さんだから仕方ないけど(笑)。ブッダについて、手塚治虫さんのマンガ『ブッダ』ぐらいは読んだ方が良いかと思いました。どうか仏教界から怒られませんように。・・・て言うか、どうか仏罰が当たりませんように。南無。ブッダのように私は死んだ
今日は、月に一度のメルマガの配信日でした。大体、月の終わり頃に配信しています。そこから一部を抜き出して転載します。配信をご希望の方は、ご連絡ください。◆◆先人の言葉に学ぶ◆◆――――――――――――◆今月は、宮本武蔵が自身の生き方を21か条に記した「自誓書」といわれている『独行道』の言葉を紹介します。宮本武蔵は、晩年に肥後熊本藩の客分となり、熊本千葉城の自邸で死去の7日前、正保2年(1645年)5月12日に弟子の寺尾孫之丞に、兵法書『五輪書』とこの『独行道』を与えたと言われています。剣客としての厳しい生き方を貫いた武蔵らしい精神が、一つ一つの言葉に込められています。一、世々の道をそむく事なし。(古今の道に外れない)一、身にたのしみをたくまず。(おのれ一身の楽しみに趣向を凝らさない)一、よろづに依枯(えこ)の心な...メールマガジン12月号
「人口1200人の伊平屋島で大規模感染陽性30人島内で100人超のイベント」という記事がネットに出ています。12/24(木)16:41配信の沖縄タイムスの記事です。一方で、「橋本五輪相が6人で会食、陳謝「しっかり対応しなくてはいけなかった」」という記事が出ています。12/24(木)14:58配信の毎日新聞の記事です。さて、どちらが問題なのでしょうか?沖縄は、新型コロナウイルスの感染者が多数出ています。しかし、沖縄県知事は特に非難されてはいませんし、陳謝もないようです。橋本五輪相の方は感染者は出ていません。しかし、非難され、陳謝しています。なぜこのような報道の違いが生まれるのかを、よくよく考えておく必要があります。確かに大臣の方が立場が重いからということはあるのかもしれません。しかし、まだ、起きてもない感染(起き...報道姿勢の違い
これまで、このブログは、私の思いつきで綴っていて、くだらないつぶやきもいっぱいありますから、ひっそりと目立たぬようにやってきていました。しかし、そろそろ変化を作り出そうかと思い、Vision&Education,Ltd.のHPのホーム画面にアイコンを作って、アクセスしやすくしてみました。これから少しずつHPを作り替えて行きます。動画もアップしていきます。1月中には何とかしたいと思っています。しばらくお待ちください。ブログ
今日は久しぶりに旧交を温め、未来への展望が具体化された、いい夜でした。充実したひとときでした。やはり、直接会って話すことは、とても大切なことだと改めて感じました。居酒屋V&E、そして、BarV&Eは、コロナ対策も万全です。料理もお酒も水菓子も全て美味しゅうございました。またのご来店を?ご来社を?お待ちしております。いい夜でした
12/19(土)12:58配信のニューズウィーク日本版に次の記事が出ていた。「「戦う狼」こと「戦狼」外交官のトップ、中国の王毅(ワン・イー)外相。11月24日に来日した彼が発した尖閣諸島をめぐる挑発的な言動は、日本に深刻なインパクトを与えた。その際に国内外のメディアが使った「戦狼」だが、多くの日本国民と世界の良識ある人々は、その精神の由来について不思議に思っているに違いない。戦狼とは中国特有の「狼の乳」、つまり極端な中国中心の民族主義的思想、それも階級闘争論に依拠した暴力革命肯定論と、被害者史観に基づく教育を受けて育ったゆがんだ民族主義者を指す。」こうした考えでいる隣国が存在している中で、日本の歴史教育たるや悲惨なものである。愛国心と言えば右翼と指弾され、偽写真や偽情報を信じ込まされては贖罪意識をすり込まれる。...ごまめの歯ぎしり
今回の本、『学び方が変わると人生が変わる』には、バッカーズ寺子屋、バッカーズ九州寺子屋の卒塾レポートを沢山使わせていただきました。本が出来たので、レポートを使わせて頂いた皆さんにお送りしたら、どうやらそろそろ到着しているようで、色々なメールをいただきました。嬉しいものです。「バッカーズ寺子屋に入塾していなければ、今の進路選択はしていなかった。」というコメントを目にしたときには、「あぁ、やはり人生に影響を与えているのだ」と感じました。多少なりとも価値のある教育を生み出せている喜びと共に、その責任の重さを深く感じました。『学び方が変わると人生が変わる』
哲学の有無は、その人の言葉と行動に、強く影響を与えています。しかし、哲学を磨くことを意識する人は多くありません。政治家にしても、教育者にしても、「何をするか」という事柄にばかり意識が向いています。右のものを左に移したり、左右のバランスを取って落としどころを見出すことが、政治であり、教育だと思っているのかもしれません。だから何をしたいのかよくわからないのです。自分でも本当は何が正しいかわかっていないから、他人にそれが伝わるわけがないのです。信念がないのです。しかし、受験においては哲学の有無などほとんど価値のないことです。だから、軽視され続けています。しかし、現実の社会において、人々は無意識のうちにそれを敏感に感じ取っています。安倍前首相や中曽根元首相が長期政権にあったのは、やはり哲学があったからであろうと、今、感...哲学の有無
変化の時代、激動の時代です。ここで思うことは、何でも「やってみなけりゃわからない」ということです。本にしても自力で書いたのは今回が2冊目です。それまでは、共著であったり、対談本であったりしましたから、本当に自力で書く苦労や、必要なことは、書いてみて色々とわかってきました。大学の卒論では原稿用紙50枚に苦労し、引用文だらけという非道い代物しか書けなかった私が、今や、2ヶ月ほどで15万字を平気で書けるようになったのだから、笑うしかありません。バッカーズ寺子屋もそうです。世の中にない学び舎でしたから、「やってみなけりゃわからない」ことだらけでした。でも、チャレンジャーだから、とにかく「うひょ~!、たいへ~ん!」とか叫びつつ、走り回りながら、全力で試行錯誤して、というか、色々なところに頭をぶつけたり、体をぶつけたりしな...やってみなけりゃわからない
スーパーのレジ袋を使わぬように。環境に良くないからと散々言われています。脱炭素社会で、石油を使うのはやめようと。しかし、レジ袋と同じ理由で、石油から作られる、コロナ感染予防のためのアクリル板を使うのはやめましょうとは誰も言いません。自治体が指定しているゴミ袋を紙に変えましょうとは誰も言いません。以下に挙げたのは、石油から作られる製品ですが、それぞれを廃止しろという話にはなっていません。ポリカーボネートPCCD、携帯電話など透明で、熱に強いアクリル樹脂PMMAメガネやコンタクトレンズなど透明で、強いポリアミドPAファスナー、レトルト食品袋など丈夫、酸素を通さないポリプロピレンPP台所用品、クルマの部品熱に強く、艶がある低密度ポリエチレンLDPEポリ袋、食器容器など軽く、薬品に強い高密度ポリエチレンHDPEバケツ、...脱炭素社会
梓書院様から出版する新刊、『学び方が変わると人生が変わる』ですが、今、梓書院様のサイトを見ると、新着ブログで紹介して下さっています。https://www.azusashoin.com/blog/archives/1489こちらをご覧下さい。梓書院でキーワード検索していただいても、今ならすぐに出ます。お知らせ
高千穂神社には、樹齢800年という木がありました。私たちは、私たちの人生よりもはるかに長く生きた木々に対し、神を感じ、しめ縄を巻き、敬い大切にしてきました。自然を恐れ敬う心が、自然の美しさを保つことになり、自然の一部である人間が、人間らしく生きる原点になっていました。しかし、それではお金になりません。写真は近くの家が取り壊され、木々が伐採されている様子です。これも人間の営みですから、どうこう言うべきではないと思います。ただ、一つだけ考えておきたいことがあります。何十年、何百年とかけて育った木を、私たち人間は一瞬で切り倒す技術は手に入れました。しかし、そうした木を育てるには、やはり何十年、何百年の時が必要なのです。時間に対する哲学を深めたい。このことを通じてそう思いました。時間
熊本に行ってきました。史跡を訪れるときに、何の知識もなく見たところで、自分を成長させる肥やしにはなりません。やはり、同じ生身の人間として、五感を働かせ、その人の精神に迫らなくてはならないのだと思います。写真は霊巌洞という熊本の山中にある洞です。60歳の秋から宮本武蔵はここに籠もって『五輪の書』を書きました。寒さの厳しい場所です。自然と一体になって、鍛え抜かれた精神と肉体で、人生の総まとめをしたためていった、その凄まじい迫力に圧倒されます。また、熊本の四時軒にも行きました。横井小楠が教えた家塾です。坂本龍馬も吉田松陰も三度足を運んでいます。五箇条のご誓文を起草した由利公正、教育勅語の起草に尽力した元田永孚、大日本帝国憲法の草案をつくった井上毅らも、この四時軒を訪れています。勝海舟は次のように語ったと言われています...歴史の学び方
国見ヶ丘の所で書いていた「だるまの朝日」って何?という方へ。すみません。一週間もブログサボっていましたね。
高千穂峡に行って、ボートにも乗りました。いつもは混雑していて、待ち時間が大変だとのこと。ゴールデンウィークなどは9時間待ち??だったというお話でした。幸い、私は待ち時間ゼロでボートに乗ることが出来ました。国見ヶ丘で雲海を見ることが出来たことといい、だるまさんになった朝日を拝むことが出来たことといい、ガイドさんに「強運ですね!」を連発されました。ここでもまた不思議な写真が撮れました。ここに掲載していないのですが・・・。大分、そして、九州への展開を、高千穂の神々に祝福していただいているかのように感じました。とにかく水がいいので、野菜が美味い!充実の2日間でした。高千穂峡
大分での講演の翌日、高千穂に行きました。オートキャンプ場のレストランで、とても美味しい地鶏の炭火焼きと高千穂牛をいただきましたが、鶏の美味しさは格別でした。翌朝7:00前に、国見ヶ丘に行きました。なんと11月24日以来の雲海を見ることができ、だるまになった朝日を見ることもできました。雲海を見に行こうと訪れた人もなかなか気象条件が整わないとみることが出来ないということを、その日、9:00からお願いしていたガイドさんに伺って初めて知りました。ここでは、不思議な写真がたくさん撮れました。国見ヶ丘
少し書くのが遅くなりましたが、「エクスプレッションアカデミー2021in大分」のプレセミナーが終わりました。福岡県以外では初めての試みでしたが、おかげさまで、非常に充実した時間を皆様と共に過ごすことが出来ました。せっかくこれから4回ほど大分に行くので、中高生のために何かをしてみようと思います。新たな決意がみなぎった大分での一日でした。大分プレセミナー
色々な会をやっていく上で、神経質なぐらいに、アルコール消毒、うがい、検温、換気、アクリル板の設置、その他の対策をしつこくやっています。寒くなると、風邪やインフルエンザが流行るわけですから、新型コロナウイルス感染のリスクも当然高まっていくと思います。対策を徹底しつつ、やるべきことを止めないようにやっていきたいと思います。医療関係者の方にご迷惑をおかけしないように、また、周囲の人たちに、ご迷惑をおかけしないようにベストを尽くします。冬に向けてとにかく対策
javascript:void(0)エクスプレッションアカデミー2021in大分・プレセミナー
日頃、TVをほぼ見ない私が、昨日、車の点検に向かう途中、モーニングショーの音声を聞いていた。話題は新型コロナウイルスについてだった。「政府が、・・・」「エビデンスが、・・・」「ヨーロッパでは、・・・」「ニュージーランドでは、・・・」とコメンテーターが、居丈高に批判的な口調で語っていた。いつも思うのは、一つの国を例に出すときに、なぜ人口の比較とか、分母を揃える話がないのかということだ。絶対値で話すのか、比率で話すのか、いつも混同されていて、感覚的な話になっている。それに、「アメリカでは・・・。」とか「ニュージーランドでは・・・。」とか、常に「出羽守」発言になっている。面白かったのは、「これまでの日本人の死者数は?」と1人が尋ねたところ、誰も数字を言えなかったことだ。ディレクターといった、番組の準備をしている人たち...モーニングショー
ブログ開設5,000日を迎えた今日、決めたことがあります。天孫降臨の地にまずは行くこと。そして、ラフカディオハーンの語った、九州スピリットをテーマに、新しい学びを開始すること。今月は、大分、宮崎、熊本を訪ねます。福岡も再発見しに行かなくてはなりません。今日、新しい来年の手帳も買いました。今までとは違う形式に変えました。新しくしようと、特に意識してやっているわけではないのですが、なぜか勝手に体と心がそう動いている感じです。変化を生み出すときはそうしたものなのかもしれません。確かに今までもそうでした。人生の残り時間を完全燃焼させたいと思います。今日決めたこと
5,000日間、ブログを書いてきて思うことは、ブログというものは、自分と向き合いつつ言葉を紡ぎ、様々な価値観の他人と向き合いつつ言葉を選ぶ修行だということです。自分の考えや思いが無ければ言葉を紡ぎ出すことはできません。価値観の異なる他人への配慮ができなければ的確な言葉を選べずに誤解が増幅されます。他人の攻撃を恐れて言葉をゆがめれば自分の信念のなさが露呈されます。本当に、色々な意味での修行だと思います。もっと言葉の達人になりたいと心から思います。まだまだ修業は続きます。ブログの効用
今日でブログ開設5,000日となりました。思えば、長い日々でした。色々な事がありました。思えば、短い日々でした。色々な事がありました。あと10年は全力疾走を続けると思います。本もできました。頑張ります。発売は1月15日です。しばらくお待ちください。ブログ開設5,000日
週末、3日間断食というものを試してみました。なかなか、体が浄化され、軽くなってきたようで、いい感じでした。しかし、行動も思考も、仙人の爺さんみたいになってきたような気がしました。どうもいつものパワーがないのです。すっかり穏やかな爺さんになっていました。このまま、仙人の爺さんになるわけにはいかないので、昼ご飯は普通に戻しました。パワーが一気に戻ってきて、頭も回転し始めました。久米仙人よろしく、夜は調子に乗って、出版祝いがてら、酒も飲んでしまいました。その後、一時過ぎまで仕事に没頭しました。やっぱり、こうじゃなきゃ、私は駄目だな。仙人は向いてない。あきらめようっと。仙人の爺さん?
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今日は企業訪問。多くの方のお世話になります。人様のお時間をいただくことは実にありがたいことです。だから私も誰かのために時間を使いたいと思います。与え合わなければ良き価値創造はできないのだと思います。感謝。与える
バッカーズ九州寺子屋のホームカミングデイが終わりました。先週、東京でのホームカミングデイを終えていますので、二つの寺子屋のホームカミングデイが終わりました。みんな、それぞれに成長を遂げていたことを嬉しく思いました。成長のスピードは千差万別のものです。だから、早いことを誇る必要もなければ、遅いことを嘆く必要もないのです。それぞれの時があります。タイミングとしての時もあれば、命の長さとしての時もあります。それぞれに自分らしい時を過ごしてほしいと思います。私も私らしく。また、真意はなかなか伝わらないもの。それでも、伝わらないことを嘆くのではなく、伝える力のないことを嘆きたいと思います。また、来年、お目にかかります。ホームカミングデイ
教育は人間を相手とする仕事です。しかし、人間を自分の思ったようにすることなどできません。だから、「こうあれかし」と願う心と、そうはならないという現実との狭間に苦悶することとなります。ここで、「こうあれかし」と願うのは、祈りでなくてはならないということです。決して強制すべきものではありませんし、また、強制したところで身につくものではありません。それから、その祈りは、本当に良きことなのかを常に自問自答することが求められると思います。自分と世の中への視野の深さと広さが問われているのだと思います。また、祈ることしかできないむなしさを噛みしめつつ、それでも祈り続け、実践し続ける強靱な意志が求められるのだと思います。教育とは
エクスプレッションアカデミーを大分県日田市の大山町で今年は開催しています。学びに対する、受講者の皆様の集中力と反応が素晴らしいと思いました。とにかく共に日本の教育をより良いものにしたいという思いのある方がいらっしゃるところであれば、私は全国どこにでもうかがいます。これからの展開が楽しみです。エクスプレッションアカデミーIN大山町
「私は一夜にして成功を収めたと思われているが、その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった。」このレイ・クロック(マクドナルドを世界的なチェーンに育て上げた人物)の言葉は、実に励まされる言葉です。私はビジネスの成功とは無縁の者だと思いますが、教育に置き換えて、思うところ大です。バッカーズ寺子屋は19年目、私の教育事業の会社は18年目です。まだまだ、初心を大切に、努力を重ねていこうと思います。様々な名言・格言は、自分の人生を支えていく杖となってくれます。人としての深み、人生哲学的な趣のあるのは、東洋の格言の中に多い気がします。一方で、ビジネスの支えとなるのは、西洋の言葉が多い気がします。私の読書歴による感覚的なものですから、偏りもあるでしょうし、不正確なものではありますが、そんな気がしています。日本の...言葉の力
バッカーズ寺子屋(東京)、バッカーズ九州寺子屋の入塾説明会を下記日程で行います。対象は10歳から15歳の子どもたち。7月に入塾して、来年6月に卒塾します。月二回の講座と年三回の合宿などを開催いたします。講座内容や身につく力など、わかりにくいことが多いので、まずは入塾説明会にご参加下さい。詳細は、それぞれそのホームページをご覧下さい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バッカーズ寺子屋(東京)入塾説明会<label>・第2回入塾説明会2024年3月16日(土)15:00~16:00</label><label>・第3回入塾説</label><label>明会2024年4月20日(土)11:00~12:00</label><label>・第4回入塾説明会2024年4月20日(土)16:00~...バッカーズ寺子屋&バッカーズ九州寺子屋入塾説明会
人生は時間です。自分の命を次の世代の若者たちに分け与えてもいいという覚悟で生きるということは、子どもたち、若者たちと、共に時間を過ごすということです。そして、その時間が子どもたち、若者たちにとって、無為なものとならぬようにするためには、自分自身が学び続け、自分という人間を磨き続けるということにならざるを得ないと思います。人生は時間
教職を離れて、教育行政や、政治家や、教職員組合など、あらゆるものと無関係になって、私はより深く教育と向き合えるようになりました。色々な組織にいれば、その立場で、関係機関に対して、様々な要望をしていくこととなります。それはそれで大切なことだと思います。しかし、自分の会社で(と言っても個人事務所のような会社で)、一人、自分の責任で教育実践を続けていくと、何も他に対して要求することはできません。己の教育力が全てなのです。誰かや何かのせいにすることができなくなりました。とても大変ですが、清々しい道です。このような人生に導いてくださった、全ての方々に深く感謝しています。教育の道
本当に読むべきと言える本は、決して多くはないと思います。ましてや繰り返し読まなければと思える本に至っては数えるほどです。四書五経は除いての話です。忙しい日々ではありますが、繰り返し読むべき本は、繰り返し読もうと思います。『修身教授録』をもう一度読み返さねばと思っています。読書
相手が変わらないことに目を向けて、教育は困難だと思う人は多い。しかし、自分が変わらないことに目を向けて、教育は困難だと思う人はあまりいない。教育の困難さ
教育に長年関わってきて思うことは、教育の成果とは、結局は、一人の人間が自立し、幸せな人生を歩むことができるかどうかだということです。グローバル化し、IT化する世界の中では、新しい知識も必要ですし、スキルも必要です。しかし、人間として自分をいかに磨いていくかが、本当は大切なことなのだと思います。ただ、そうした学びが必要だと思う人は多くはありません。人として自分はできていると思っているからです。あるいは、そのような効果測定ができないことなどに時間とお金をかけることは、正しいことではないし、無駄だと思われてしまうからです。だから、私は本当にささやかな一歩を大切に踏み出し続けるしかありません。そんな世界から離れて、世の中の流れに乗ってしまえば、もっと楽なのかもしれませんが、私は私の大切だと信ずる価値を追求していこ...教育について思うこと
若い頃には少しも気にならなかった、日本の未来や、次の世代の幸福が気になるようになりました。歳をとった証拠なのかも知れません。しかし、子々孫々のこと、日本の未来のことを、先人たちはしっかりと考えてくださっていたのだということが、学べばいくらでも見えてきます。見ようとしなかったから見えなかっただけだと、ようやくこの歳になってわかってきました。それが見えてくると自分が恥ずかしく思えてきます。ただ、私の教育は、所詮は自己満足のためです。自分が納得のいくような仕事を楽しんでいるに過ぎないのです。未来の子どもたちに後ろ指指されたくない、という思いで必死に教育実践をしてはいますが、それもまた、所詮は自己満足に過ぎないのだと、わかっていてやっています。そして、それが何か?と呟いている自分を嘲笑する私がいます。自己満足
命を削って、全身全霊をかけて、伝えようとしたものは、必ず伝わるし、後世に残る。・・・のであれば、いいなぁ。と思います。実際には、そうでもないか。とも思います。(笑)しかし、「愚公、山を移す」ということを信じようとする愚かな自分がいます。「愚公、山を移す」という言葉は、次のようなお話からできた言葉です。「愚公という老人が、交通の便をよくするために一族で自宅の前にある山を崩しはじめた。これを見た人が、その愚かさを笑ったのに対し、愚公は、子々孫々続ければいつかは成功すると答えた。その志に感じた天帝が一夜で山を移させたという。」「涓滴岩をも穿つ」という言葉に近いかとも思います。一滴のしずくは大したことないようだが、ぽとぽと落ち続けていると、やがて岩に穴をも空ける。というのです。つまり、努力を続ければ、困難なことで...愚公、山を移す
バッカーズ九州寺子屋16期生募集の入塾説明会を開催致します。入塾を希望される方は、必ずいずれかの回にご参加をお願い申し上げます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。第1回2024年2月18日(金)17:00~18:00第2回2024年3月10日(日)17:00~18:00第3回2023年3月20日(水)17:00~18:00第4回2023年4月13日(土)18:00~19:00会場:〒814-0001福岡市早良区百道浜2-4-27AIビル9階麻生キャリア研修センター※資料等の準備がございますので、事前にFaxまたはメールにて、事務局宛、お申込のご連絡をお願い致します。バッカーズ九州寺子屋入塾説明会
先日、2月11日、NHKで「驚異の庭園~美を追い求める庭師たちの四季~」が放送されました。2002年から、足立美術館は、アメリカの日本庭園専門誌『数寄屋リビングマガジン/ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング(SukiyaLivingMagazine:TheJournalofJapaneseGardening)』に、庭園日本一に選ばれ、2022年、20年連続日本一を達成しています。バッカーズ寺子屋ができたのが2005年。一期生から、毎年、10歳から15歳の子どもたちを連れていき、コロナで休止した年も含めて20年間、日本の文化・芸術に親しむ機会を作り続けてきました。もう300人を越える子どもたちと、足立美術館を訪れたことになります。もちろん、足立美術館だけでなく、出雲や松江も訪れます。出雲に残る日本文...足立美術館とバッカーズ寺子屋
父として、母として、子育てが終われば、祖父として、祖母としての、孫育てが待っています。子どもが居なくても、おじさんとして、おばさんとして、子どもに関わっていくことはでてくると思います。だから、誰もが人として、学び続けることが大切になると思います。バッカーズ寺子屋やバッカーズ九州寺子屋や志学舎で、保護者会をやり続けているのはそうした意味があります。私が教えるのではありません。互いに学び合うのです。保護者同士、異なる仕事や子育ての価値観に触れることで、教育観・人生観を深く広やかなものにしていくことが可能になります。また、子どもの成長を共に温かく見守りながら、私たちも共に楽しく成長していけば、社会もより良いものになるのではないかと思うのです。夢
粛々と今日の一歩を大事に踏み出し続けます。私にはそれしかできることはありませんから・・・。他人への非難をしたりする必要も感じませんし、自己顕示欲を充たすようなことも私は好きではありません。ただ、今日の一歩を、力強く踏み出し続けていきたいと思います。と言いつつ、メルマガ配信は、今月は13日の予定です。少し遅めでごめんなさい。徒然なるままに
【Mr.サンデー】天才・三國シェフ物語“人生突破術”【リアルストーリー】(youtube.com)を見ました。『三流シェフ』という本に書かれていることの映像版です。こだわりを持つことの大切さ。プライドを持ち続けることの大切さ。負けん気の強さの大切さ。細やかな視点を持つことの大切さ。全ての仕事に通ずるものだと思います。そういう教育を私も目指したいと思います。目指す教育
教育はとにかく全身全霊を懸けてやるしかないものだと思います。しかしながら、直ぐに成果が出るようなことは、人間教育においてはありえないのだと思います。自分自身のことを考えてみても、直ぐに劇的な変化が起きないことはわかります。その人の生活習慣や心の習慣が変わり、その人の言葉と行動に少しずつ変化が起きて、だいぶ時が経って、ふと気がつくと大きな成長を遂げていたことが感じられた。そんなものだと思います。私は人の促成栽培には興味はありません。どっしりと根を張った人間となって、揺るぎない人生を生きて欲しいと願うばかりです。教育について思うこと
教育の成果は、その人の目の輝きによって測られるべきものだと思います。偏差値が低かろうと、点数が取れていなかろうと、時に過ち、失敗してしまおうと、二度と無い自分の人生を、目を輝かせて生きているかどうか。それが大切だと思います。なぜなら、その輝きの裏には、たくましく生き抜いていこうという意志や、与えられた生への喜びが、必ず存在しているからです。子どもたちの偏差値が低いことを嘆くより、子どもたちの目の輝きが失われていること、生きる活力が失われていることを、嘆くのが当たり前にならなくてはダメだと思います。目の輝きが失われていることに気づき、そして、それを心から嘆く大人たちが増えていくことでしか、あるいはまた、目の輝きを取り戻す教育を考えられる大人たちが増えていくことでしか、日本の教育が正気を取り戻すことはないのだ...教育の成果
読みたい本が沢山あります。読み直したい本が沢山あります。後者にはゆったりとした時間が必要です。目先のことにばかり追われていれば、なかなかその時間をとることは出来ません。大切なことをじっくり反復して学び直すことも大切だと思います。それでしか深く学ぶことは出来ないからです。本
すべての仕事がそうですが、教育も一つ一つの精度を上げていかなければなりません。自分の言葉一つ、自分の振るまい一つ、生活の一つ一つ、生き方の一つ一つが、教育として滲み出てくるものである以上、自分の生活と仕事へのこだわりと、やることの一つ一つの精度を上げていくしかありません。何となくやっていないか。鈍くなっていないか。無精になってはいないか。自分にもっと厳しくあらねばと思います。なぜなら、その人間の甘さは必ず伝わるものだからです。コピーの取り方一つ、ホチキスの止め方一つ、その人の心構えがわかりますから、私も精度を上げ続けなければなりません。目に見えないからといって手を抜くようでは、生ぬるい仕事しかしていないと思われて当然です。精度を上げる
今、寺子屋でやっている教育は、6・3・3の12年間と大学受験のための学びではなく、50年近い社会人生活で活かすことの出来る学びだと自負しています。しかし、学校教育で刷り込まれてしまった固定観念との闘いは、所詮は多勢に無勢、ごまめの歯ぎしりみたいなものでしかありません。しかし、それでも私はもっと激しくやり続けます。それが大切だとわかった以上は、身を殺して仁を為す覚悟が必要だと思います。大げさに聞こえると思いますが、そうでもないかもしれません。必敗の闘い
AIが発達していき、人間の代わりとなることが増えれば増えるほど、人は何のために生きるのか、人は何のために学ぶのか、人にとって何が幸せなのか、といった哲学的な問いと、「志」という社会貢献への思いを持つ目的意識が、大切になるのだろうと思います。また、「豊かに生きる」ということは、結局は人との関わりの中でしか実現しないと思います。だから、ますます人としての在り方が問われていくのだろうと思います。だから、結局、教育は、「志の教育」という、教育の原点に回帰していくことになるのではないかと私は思っています。「志の教育」への回帰
私の中で、謝るとは、「ごめんなさい」と心から言うことだし、感謝するとは、「ありがとう」と心から言うことだと思います。「申し訳なく思っています。」という言い方は、どこか他人事のようで、責任を感じているとは思えないし、「感謝しています」という言い方も、あまり心が伝わらないと感じます。「○○と思っている」「○○している」という言い方は、「○○」の部分は色々と主語をすげ替えて使える言葉です。「私は○○と思っている」「彼女は○○と思っている」「私は○○している」「彼は○○している」一方で、「ごめんなさい」「ありがとう」は、主語を置けない言葉です。「私がごめんなさい」「私がありがとう」とは使えません。つまり、自分自身の感情であることが大前提であり、他人に思いを伝えるための、ストレートな言葉だと思います。言質を取られな...謝ること
言葉が消費され、力を失った時代に、私には何が語れるのだろうと思います。とにかく誠実に真摯に、行動を背景とした信念と共にある言葉を紡ぎ出すしかありません。それしかできないし、人生も教育も、結局は、言葉と行動の総体でしか在りません。私如きのやることは、たいしたことにならないのはわかっています。しかし、それでも一歩一歩踏み出し続けるしかないと思っています。言葉が力を失った時代に
昨日はバッカーズ九州寺子屋のホームカミングデイでした。久しぶりに再会できたこと、卒塾生の皆さんが、それぞれに頑張っていることを大変嬉しく感じました。昨日は、父の命日でもありましたが、教育者であった父は、私が墓参りに行くよりも、子どもたち若者たちと共にあることを、きっと喜んでくれているだろうと勝手に思っている自分がいました。コロナで少し絆が弱くなったところも感じましたので、改めて新しいスタートをと誓ったところでした。昨日
他人のために見返りを求めることなく、嬉々として動く人がいます。一方で、他人のために自分が何かすることは、自分の時間が失われることであり、損をすることだと思う人がいます。そうした心根の違いはちょっとしたところに表れます。人としての未熟は隠しようがないのです。与える人たちは、互いに与え合いながら、感謝の心と共に楽しく生きていく人たちです。与えない人たちの多くは、与えられることも少なく、感謝を本当の意味で理解することもなく、奪われる不安におびえながら、日々、生きていくことになる人たちのようです。私は幸せな世の中になるように、少しでも何かを与えることが出来るようなそんな人になりたいと思っています。私は何も持っていませんが、誰かのために時間を使うこと、身体を使って汗を流して働くこと、ささやかですが、できることをしよ...与えること
少子化対策が色々と取り沙汰されています。人口が減少すれば、日本という国はいずれ消滅するしかありません。だから少子化対策は大切だと思います。しかし、お金だけの問題ではないように私は感じています。貧しさが原因なら、戦後、日本が焼け野原になったときに、子どもが増えることはなかったはずです。私が感じていることは、未来に希望が持てない、志がない人が多くなったこと。今の自分の豊かさを手放したくないという利己心が強くなったこと。子どもを宝と思い大切にする心が失われたこと。そうしたことのように感じるのです。万葉歌人の一人でもある山上憶良は、次のような歌を歌っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【長歌】瓜食(は)めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲(しぬ)はゆいづくより来りしものそ目交(まなかひ)にもと...子宝
結局、自分を偽り、自分を飾る者は、人としての成長が出来ずに人生の時を過ごしてしまいます。出来ないことだらけでも良いし、能力が無くても良いから、愚直に、正直に、誠実に向き合っていくこと。それだけが人を伸ばしていく唯一の道であったと思います。成長できない人は、成長できない者同志で、愚痴をこぼしたり、陰で文句を言ったり、それに共感してみたり、そうした傷のなめ合いに時を過ごしていくことになります。でも、それも仕方のないことだと思います。自分と向き合わないことを前提にしていれば、そうしなければ、はけ口がなく辛いのもよくわかります。しかし、そうした人たちと、貴重な人生の時間を共に過ごしたくはないと思います。愚直に、誠実に、正直に
「忠義」と言うと、封建時代の危険な思想だと思われることが多いようである。しかし、自分の一身を擲つことで、その人が生きることが、自分が生きること以上に、世の中の未来の役に立つのであれば、それは自分も生きることになり、未来の子どもたちをも生かすことになっていく。忠義とは、社会的生物である人間がたどり着いた、極めて利己的な思想なのかもしれない。だから、忠義の何が悪かろうと思う。ただ、気をつけたいのは、他人に感謝を求めることで、感謝の本質がそこなわれていくのと同様に、他人に忠義を求めることで、忠義の本質はそこなわれていく。私も自分が忠義の人でありたいと思うが、他人にそれを求めるつもりはない。忠義
評価というものは、他人がするものゆえ、自分ではどうにもならぬもののように思う人も多いようだが、とんでもない勘違いである。自分の言動が、他人の評価となって返ってきただけである。だから他人の評価は自分の責任だとも言える。しかし、人は誤解することも多いものである。真意が伝わらぬ事も多い。価値観が違えば当然のことである。だから、すぐにわかってもらおうなどと思わぬことが大切である。時が必要であり、自己の信念と、自己を磨き続けることが大切である。ひょっとしたら、自分が死んだ後に、何十年という時間が経って、真意が伝わることもあると思う。所詮はそんなものであるから、自分の言動を磨くこと、つまりは、その源である、自分の考え方を磨くことが肝要である。評価
やっぱり、人間が夢中になる姿を見るのはいいなぁと思います。全力を尽くすこと、勝利への執念を燃やすことは、本当に尊いことです。人々がコロナで忘れかけていた、リアルの熱量を、強烈に呼びさましてくれたように思います。試合を見る時間も無く、終わった後で、ちょこちょこNEWSを見る程度の私で申し訳ないのですが、それでも素晴らしいなぁと心揺さぶられます。そして、自分も教育という世界で、負けないような気迫を持って頑張ろうと思います。選手の皆さんの、試合までの日々の努力の積み重ねを思う時、私も負けないだけの日々の努力を重ねていこうと思います。WBC
私が良かったと思うことは、教育についての師がいないことだと思います。素人の教員崩れが、本気で教育をやろうと思うと、本気で勉強しなければなりません。その時に、大学の教授だの、学閥だの、学習指導要領だのに、一切影響されない道を歩いてきたことが、本当に幸いなことだったと思います。なぜなら、色々な固定観念や常識から、私は自由でいられたからです。そして、教育の本質を追究し続けることができたからです。また、上役の顔色をうかがったり、出る杭は打たれるから、打たれないようにしたりということが、私には一切ありませんでした。肩書きも、地位も、権威も、お金もないかわりに、私はいつも自由でいられたのです。まだまだ、道半ばというより、始まったばかりですが、ひたすらに自分の道を探求していこうと思います。自由な教育者
人間はそう簡単に立派な存在にはなれないもののようです。紀元前の孔子やブッダやキリストの教えさえ、まだ体現することは出来ないのですから。一体、古いものは遅れているという思想はどこから生まれてくるのだろうかと思います。新しかろうが、古かろうが、人間の真実に迫る教えは、尊く、そして、変わるものではないと私は思います。古き教え
私は特定の宗教を信じる人間ではありませんが、神道も仏教もキリスト教も大切だと思い、敬意を表しています。また、神様に守られているなぁと思うことしばしばです。(仏様かもしれませんし、天かもしれませんが…。)危険を避けてくれたり、また、そのことで、危険を知らせてくれているようにも感じます。根拠はなくとも、私にも何かしらの天命があるのだろうと思っています。だから感謝をしています。神様にも仏様にもご先祖様にも天にも。「至誠天に通ず」とは、吉田松陰の大切にした言葉であり、孟子の言葉であります。至誠を胸に抱き、日々、全力で世の中のために生きる。そうすれば、その思いは天に届き、天のご加護を受けることが出来る。慢心する余裕などどこにもありませんが、謙虚に、虚心に、真心を尽くして一日を大切に生きていこうと思います。至誠天に通ず
おそらく忠誠心についてのコメントは、色々と誤解を受けるであろうと思います。私はただ、日本人的感覚からすれば、人情酷薄と思える海外のグローバル企業と、日本に続く100年企業との対比を思っただけです。個々人の働き方や、境遇、考え方、価値観はそれぞれであろうと思います。とにかく働くことが人生の大きなウェイトを占めている中で、何が幸せと言えるのだろうかと改めて考えてみたいと思うのです。おそらく
会社から会社を転々とすることが、キャリアアップになるという考えが主流を占めていて、終身雇用という形態は終わったかのような印象を受けることも多々あります。しかし、いくつかの会社を渡り歩いてキャリアアップしていくことも良いとは思いますが、一つの会社に忠誠を誓って、その仕事と共に人生を生きていくことにも大きな価値があると思います。創業者の思いと共に生きるということは、そういうことだと思います。無論、変化の時代ですから、変化への対応力はなければなりません。しかし、転々とするだけで、忠誠心も義理人情もない人と、共に人生を賭けて仕事をしていこうという気持ちには、少なくとも私はならないだろうと思います。忠誠心
私は幸いにして、固定観念から脱した教育を形にすることが出来るようになりました。それには多くの人たちの支えがありましたし、一方で、多くの逆境がありました。どちらに対しても、感謝しかありません。困難なこともありましたが、それでも安易な道を選ばず、自己顕示欲を満足させるような道を選ばず、偽りの発展を望まず、本物とは何のことかを考え、粛々と自分の道を歩いてきました。あとは、たくさんしていただいたことを、いかにして後の世代に手渡していくかだけです。まだ、私の歩いてきた道に価値があるなどとは思われてもいません。社会に知られることのない、ささやかな成果でしかないのです。しかし、私はこの価値の大きさを信じます。自分のやっていることの価値を自分が信じなくて誰が信じるでしょう。それを押しつけることなく、喧伝することなく、粛々...ただ粛々と
誠実であることと誠実を装うことは違います。冷静に、言行が一致しているのか、そうでないのかを見定めていけば、両者の違いはすぐにわかることです。嘘偽りのない人とは、共に過ごしていて居心地が良いものです。私は真っ直ぐである方を選びたいと思います。誠実さ