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2020/07/25

1件〜100件

  • 中学生 新森二丁目時代--11

    ある女教師 記憶では私が二年生になる頃だったと思う。他所から女性の体育教師が赴任してきた。その挨拶も朝礼であったはずだが、そもそもそんなことに何の関心もないので何も覚えていない。しかし徐々にこの人のことが眼に入ってくるようになった。

  • 中学生 新森二丁目時代--10

    帽子 中学生になったばかりの頃、当然皆新品の学生服だった。帽子も新しい。記憶では350円と450円の二種類があって、高いのは仕立てとか造りが上等だったのだろう。皆見栄を張って450円のを買っていたと思う。自分もそうだった。

  • 途中ですが

    この頃ブログの顔つきを変える練習などしていまして、ブログデザインをあれこれといじっています。これに関しては全然素人なので何をどうすれば良いのかサッパリです。タグを記述するような難しいことではなくて、もうちょっと楽にあれこれいじれるようにできないものでしょうか。 ともかくはそう言うことですのでちょっとの間落ち着かないかも知れません。またシーサーは妙に動作ががかったるく、これもどうして改善しないの…

  • 中学生 新森二丁目時代--9

    顔面を怪我して、ちょっと見にくくなった時期がある。クラスの誰もそれを気にしなかったが、ひとりだけ、本当に嫌らしい感じで顔を醜く歪めて馬鹿にする奴が居た。それを、一度だけではなく何度でもやるのでかなりムカついたが、馬鹿は相手にしないに従った。徹底して無視した。

  • 番外 事故に遭った犬

    思い出したので特に割り込みで記す。 以前兄が友人たちを呼んで田舎に行ったことを書いた。理由すらわからぬ状態でネチネチと兄に叱られたと書いた、小学生時代のあの夏だ。港の桟橋から釣り糸を垂れて遊んでいたら、犬がキャンキャンと吠える声が突然けたたましく聞こえた。

  • 中学生 新森二丁目時代--8

    母倒れる 上手く行くと思って転居した。仕事になりそうなスペースを構え機械も置いた。しかしそれは、直ぐに躓いたようだった。取引先は幾つかあったようだが皆支払いが悪いのだ。ようやく払ってもらうのも手形が多かった気配だ。手形は勘弁してください----そういう父の声を何度も聞いた。当時はそういうのが普通だったのだろうか。

  • 中学生 新森二丁目時代--7

    音楽教師 小学校中学校とも、自身の出来の悪さ故に教諭や教師との折り合いが悪く、早く言えば生徒の数のうちに入らない存在だったと思う。馴染める教師などあろうはずもなかった。しかし例外的に、普通に見てくれているのだなと思える教師も一人存在した。

  • 中学生 新森二丁目時代--6

    ポータブル電蓄 兄が使っていたポータブル電蓄を払い下げてもらうことになった。別に金を払った訳ではないが、自分では買えぬから物欲しそうにしていたのだろう。しかしこれが自分には大きなきっかけになった。

  • 中学生 新森二丁目時代--5

    嫌な奴の奇妙な癖 成績は良い方の部類だが、思い出すなり不愉快になる嫌な奴がいた。 テストの答案を返してもらう時、普通は教師の前で手渡されるのを持って席に下がる。でもそいつは何故かクルッと教師の側に回って、わざわざ教師がこちらに見えないようにしている答案を見るのだ。そして下がる時に一瞬次の輩の答案用紙をちらっと見る癖があった。教師の誰一人としてそれを注意した者がない。そこに…

  • 中学生 新森二丁目時代--4

    背負った星は離れない…。きっとそういうことだろう。 もう幼いころから濡れ衣を着せられやすいことは認識していた。それは容易に取れないと言うことも。 休み時間などに…

  • 中学生 新森二丁目時代--3

    こうして書くに連れ思い出そうとするのだが、中学生時代のことは本当に記憶の大方が抜けているような気がする。覚えていて楽しいことなどほとんどなかったせいだろう。大方学校での出来事は不愉快なことばかりで、それを既に不愉快とも受け取らず、ただ--阿--のように受け止めていた。それで時間が過ぎればそれで良かった。

  • 中学生 新森二丁目時代--2

    多少忙しくなったので、これは行けると思ったのだろう。父は、既に大学に通っていた兄を中退させて家業に専念させることにした。兄は無念だったろうと思う。音ばかりうるさくてろくに走らないダイハツの軽トラの中古も中古を知り合いから譲ってもらい、兄に急ぎ免許を取らせて品物を配達させることになった。

  • <br />中学生 新森二丁目時代--1

    話が前後したが、中学の一年生時代に我が家はまた引っ越すことになった。季節は覚えていない。まぐれかどうか知れないが、多少は事業が回転したものと見えていつまでも畳の上での作業というわけにも行かなくなった。ちょっと離れたところに元パーマ屋だった空き家があって、そこを買ったのか借りたのかは知らぬが、とにかくそこに引っ越すことになった。

  • 中学生 新森四丁目時代--5

    不愉快なお袋さんの思い出がある。 クラスの中で幼稚園の時に一緒だった顔なじみが居た。私が転居しているので奴とは小学校が別々なり、六年間は合うことがなかった。 …

  • 中学生 新森四丁目時代--4

    冴えない学校生活だったが、良い思い出がまったくない訳ではない。 掃除当番のとき、何故か私の組で特別に勝手に、受け持ちでもない校舎の階段の掃除をすることになった。ジャンケンで、負けた者が当番をするのだ。これは単純に明快に担任の見栄だったように思う。

  • 中学生 新森四丁目時代--3

    中学生になって、その入学式がどんなだったか。その類のことはもう全然覚えていない。 一年生の担任は国語の女教師だった。やっぱりというか、あまり折り合いがつかなかった。成績が悪いので当然だろうが、こちらとしては、別に教師から良く思われてもしょうがない。どうでも良かった。毎日適当に学校に居て、時間が来たら帰るだけだった。

  • 中学生 新森四丁目時代--2

    私は中学生になって半年も経たぬうちにここを転居することになったのだが、ひとつ清々することがあった。というのも、すぐ隣の町内にどうにも虫の好かぬ男が居たのだ。というより不良だった。確か二つ年上だった。

  • 小学生 新森四丁目時代--27

    ここに住まいしている間に、私は中学生になった。昔のこととて頭を丸坊主にしなければならなかった。登校初日に友達が誘いに来て、学生服に身を包んだ丸坊主の私を見るなりわっはっはと笑った。 それはお互い様だ。お前だってなんか変だ。お互いに微笑いながら、初めての学生服での外歩きにいささか照れくさい思いだった。 友達が誘いに来たのもそれが理由だった。馴れるまで、一人じゃちょっと恥ずかしい。

  • 小学生 新森四丁目時代--26

    夏休みの宿題なるものがある。当たり前だが、毎学年あるので、夏休みが終わったらなにか作成して出していたはずなのだが、これが殆ど思い出せない。いったい何をやっていたのだろうか。きっとろくなのは出せなかったに違いない。 他の者達は昆虫採集や絵日記みたいなのが多かったと思う。でも私が何を提出したか、これがもうきれいさっぱり。私は本当に、夏休みに何をしていたか情けない程思い出せない。覚えている楽しいこと…

  • 小学生 新森四丁目時代----25

    濡れ衣を着せられやすいと先日書いた。つまりは疑われやすいのだ。 五年生六年生の頃はお年玉や小遣いを貯めてプラモデルを買うのが殆ど唯一の楽しみと言えた。 正月にな…

  • 小学生 新森四丁目時代--24

    自転車泥棒 ニッサンテレビ名画座なる番組があった。確か、三時頃から四時半くらいまでの時間、一週間ごとに洋画を放映していた。どんな映画が放映されていたのかはあまり覚えていないが、学校から帰ったらとにかくスイッチを入れてそれを観るでもない観ないでもない時間を過ごすのだった。

  • 小学生 新森四丁目時代----23

    五年生当時のことをあまり覚えていないと記したが、振り返ると六年生時代も記憶している程のことはあまりないのだった。六年生になって、担任が軍隊式の男性教諭から女性に変わった。いつの頃からか学校に居て、顔だけ見知っているような人だった。どうせ誰でも良かったのだが、これからは何かあっても殴られることだだけはなさそうだと思った。

  • 小学生 新森四丁目時代----22

    見事な濡れ衣というものがある。もし人間に--星--というものがあるのなら、これはきっとそれだろうと思う。悪いことをして捕まらない奴も居るが、しても居ないのに疑われるタイプが居る。何故か知らないが私はそんなタイプのようだ。

  • 小学生 新森四丁目時代----21

    一緒に住んでいた叔母一家が離れることになった。詳しいことは知らないが、叔母と当家とで家賃(あるいはローンだったかも知れない、もう詳しいことはわからない)を折半すれば安上がりでもあるので一緒に住むことになったのかと思うが、結局はそうなった。

  • 小学生 新森四丁目時代 20

    父は知り合いの伝手を頼って小さな家内工業をやっていた。学校から戻った私もそれを手伝わされた。 しかしこれは、全然うまく行っていないようだった。あるときはあれをやり、あるときはこれをやりで、仕事の内容が一定せず、収益なんか殆どなかったようだ。その内容を詳しくは記せぬが、子供の私には、あまり景気よくないのだなという雰囲気以外には掴めなかった。

  • 小学生 新森四丁目時代 19

    向かいの家に泥棒が入ったことがあった。路地から入ったようで、家主は性格のきつい猫を飼っていたのだが、路地で殺されていた。 特に金持ちには見えない普通の民家だが、…

  • 小学生 新森四丁目時代 18

    少年--という月刊漫画雑誌を毎月買っていた。自分の小遣いで買っていた。鉄腕アトムや鉄人28号はこれに掲載されていたので、この手の雑誌ではトップではなかったろうか。 で…

  • 小学生 新森四丁目時代 17

    書くなりに思い出してくる。そうだ、五年生のとき、思い出すだに嫌な奴が同じクラスに居た。そいつは、何故かいつも私を見張っているような奴だった。勉学はできて、聞けば名門の家の倅だった。

  • 小学生 新森四丁目時代 16

    これは四年生か五年生のときだったと思う。 夏休みに田舎へ遊びに行った。兄たちといっしょだった。兄は高校の友だちを誘った。男友達ひとりと女友達を二人の三人を呼ん…

  • 小学生 新森四丁目時代 15

    五年生には印象に残ることはないと記したが、林間学校のことを書いて、ふと思い出した。ずっと忘れていたが、自分にある種の覚悟を強いるような出来事があった。 …

  • 小学生 新森四丁目時代 14 

    小学生の六年間で、印象の薄い学年がある。 下級生の頃は誰しも記憶が遠いので印象が薄くても当然かも知れない。しかし、年齢が10才を超えてくるとあれこれと記憶に残ることがあるものだ。しかし私には、何故か五年生当時の印象が薄いのだ。

  • 小学生 新森四丁目時代 13

    正月の楽しいことと言えば、東宝の正月映画だった。怪獣映画。 京阪沿線に千林というところがあり、今はそれ程でもないが昔は賑やかな商店街だった。アーケードがあって、…

  • 新年なので…。

    既に、正月と言っても普段と何ら変わることのない日常になって久しい。今年はコロナのせいで余計に気持が華やぐ雰囲気がない。 しかし正月なので、それに関する思い出を…

  • 小学生 新森四丁目時代 12

    ガキの頃は概ねそうだったが、小学生の頃はまだ自分に自我が出ないので、するだけの我慢はして生きるだけだったと思う。 家族の私に対する評価はどうやら決定的で、比較し…

  • 小学生 新森四丁目時代 11

    台風があった…。この場所に住んでいた時、私は初めて大きな台風を経験した。 家のベランダが吹き飛び、屋根瓦が吹き上げられるような台風を初めて経験して、以後このよう…

  • 小学生 新森四丁目時代 10

    四丁目時代の我が家は公園の近くにあった。確か八の付く日だったと思うが、夏場に限って夜店があった。公園の周囲をコの字に囲んで店が並んだ。 夜店は本当に楽しみだった。…

  • 小学生 新森四丁目時代 9

    当時の汲み取り事情記しておく。 信じられない人も在るだろうが、事実なので記す。当時は殆どの家で、例え金持ちの家であっても、トイレはぼっとん式の汲み取りだった。 &lt;…

  • 小学生 新森四丁目時代 8

    それほど記憶はないが、滑稽な出来事も無いではなかった。 昭和の昔、それも東京五輪当時はテレビドラマが熱心に見られた時代だった。私はコンバットや世にも不思議な物…

  • 小学生 新森四丁目時代 7

    四年生になってから、私は始めてプラモデルを買った。あまり良い思い出のない私だが、プラモデルに夢中になったのは楽しい思い出と言える。 学校の成績もダメ、家でも親…

  • 小学生 新森四丁目時代 6

    ベランダで、子猫が産まれた。 ある母が日洗濯物を干していたら、どこやらでニャーニャーと鳴き声がして、調べてみるとベランダの下に産まれたばかりの子猫が二匹居た。 付近には蚤がいっぱい居たらしい。

  • 小学生 新森四丁目時代 5

    ある日兄が、突然カナリヤを飼うと言い出した。この癖は父と兄に共通していたみたいで、ふとそんな気になるのだが、長続きしない。 私は日々重苦しいことばかりだったので、動物に感心を示す余裕がなかった。そのせいか、いったいカナリヤがいつまで飼われていたのか、サッパリ覚えていない。どうせ長い間ではなかった。

  • 小学生 新森四時代 4

    この長屋には、私は小学生の三年生から中学一年生の半ばまで住まいしたが、悲しいことも悲しげなことも少なくなかった。 六年生の中頃、真裏に住む子供が亡くなった。男…

  • 小学生 新森四丁目時代 3

    この長屋ではちょっとばかり不思議なことがあった。それが何であったかはわからない。でも実際にあったことなので記す。 当時私は兄と一緒に二階の六畳間で寝ていた。季節…

  • 小学生 新森四丁目時代 2

    四丁目に越したときに、特に覚えているのは、モスラを観に行ったことだろう。父が割とこの手の映画が好きで、一緒に観に行ったのだった。 旭区の大宮というところに、千…

  • 小学生 新森四丁目時代 1

    小学生の三年の途中で、私達はすぐ隣の四丁目に引っ越した。長屋だったが、今までと違い二階建ての大きな長屋だった。 我が家がどうしてそんなに小刻みに転居を繰り返したのか、今ではもうわからない。私も訊くことをしなかった。兄と違って私は転校する必要がなかったので、それほど気にならなかった。

  • 小学生 新森六丁目時代 11

    ここでの記憶はほぼ語り終えたと思う。ここでの最後は私の怪我と病気のことを記そうと思う。 ある日、引き戸の修理を母と兄がやっていた。畳の上に引き戸を寝かせてあれ…

  • 小学生 新森六丁目時代 10

    当時は紙芝居というのがあった。今どれだけの人が知っているだろうか。 子どもたちが学校から帰ってくるころを見計らうようにオッチャンがやってくる。毎日ではなく、多…

  • 小学生 新森六丁目時代 9

    幼稚園児だった私は、寺方からここに移ってきて小学校三年生の中頃まで住んでいた。この間、学校で何があったかなどまったく覚えていない。 遠足もあり、運動会もあったのに、それがどんなだったかなど、不思議なほど覚えていない。

  • 小学生 新森六丁目時代 8

    小学校の二年生だったある夕方、父が子犬を下げて帰ってきた。梅田周辺でうろうろしているのを見つけて、飼い主が近くに居ると思って探したが、遂に見つからず、しょうがないからそのままバスに乗って帰ってきてしまったらしい。

  • 小学生 新森六丁目時代 7

    ここに住んでいるときに、近所に、特に印象に残っている友達が居た。 といっても彼の顔などはもう全然覚えていない。 その子は私と多分同い年だった。しかし、どんな事情だか、学校では見かけなかった。

  • 小学生 新森六丁目時代 6

    この時代に楽しかったことと言えば、やはり守口時代と同じで、周辺の池でザリガニ釣りをすることだった。学校から帰ったらすることはほぼそれだった。 しかし周辺には点…

  • 小学生 新森六丁目時代 5

    記していると色々なことを思い出す。チラホラとテレビが普及し始めたのもこの時代だった。昭和三十四、五、六年くらいに子供が夢中になるような娯楽番組がいっせいに放送され始めた。

  • 小学生 新森六丁目時代 4

    まことに薄っすらとしか覚えていないが、ここに住んで居るときに初めて犬を飼った記憶がある。兄がムクという名前を付けて、鼻黒の茶色い雑種だった。 どこ…

  • 小学生 新森六丁目時代 4

    この場所に移ってきて、私たちは再び古市時代に利用していた銭湯を利用するようになった。城東区と旭区の違いはあっても、生活圏は違うのに銭湯が同じだったというのは、今思うとちょっと興味深いと思う。

  • 小学生 新森六丁目時代 2

    当時のことで覚えていることをざっと考えてみる。 前回、ここに住んだ時代のことをほとんど覚えていないと記したが、確かに学校で何があったかなどあまり覚えていないけど、その他のことは意外に沢山のことを思い出せるようになった。

  • 小学生 新森六丁目時代 1

    今は暗渠になっているドブ川が流れていた。名前など気にしたことはない。名前などあったかどうかも分からない。 この川に沿って生活道路があったのが、現在は暗渠なって…

  • 幼い頃 新森六丁目時代

    守口寺方では正月を迎えた記憶がある。集落の人びとで餅つきをやったことを覚えている。 しかしその直後でなかったか、私たちは又々転居することになった。 守口から再…

  • 幼い頃 守口時代--8

    長屋の右隣に、普段遊び仲間だった兄弟が居た。兄はともかく、弟とは結構遊んだ。名前を、皆は--かんちゃん--と呼んでいた。苗字も本当の名前も知らない。 兄の方は、ベ…

  • 幼い頃 守口時代--7

    地理的概念が一致しない。 私は周辺の池で遊び惚けていた。通っていた幼稚園に関する記憶はあまりない。あっても記事になるようなものではない。 私の住ま…

  • 幼い頃 守口時代--6

    当時の買い物事情がどうだったか。 記憶する限り、我が家の周辺のかなり広い地域を含めても、八百屋の一件もなかったのではないか。あったかも知れないが私には覚えがない。 &lt;…

  • 幼い頃 守口時代--5

    住まいの近くにあった大江牧場(大江乳業と言ったか)に関してちょっとしたことがあったようだ。 随分後になって母から聞いた話だが、当家は多少の無理をしてここか…

  • 幼い頃 守口時代--4

    華陽荘時代と違って、ここには台所とトイレが各戸に設けられていた。 これは結構な住環境の変化だった。華陽荘は集合の共同トイレだったから一々離れまで行かねばならなかった。自宅で用を足せるというのは、それだけでも天国だった。

  • 幼い頃 守口時代--3

    兄が六年生になるときに、私は幼稚園に通うようになった。 寺方小学校と寺方幼稚園は目と鼻の先なので、私は兄と共に同じ道を通った。 面白かったのは、兄は今から思うと…

  • 幼い頃 守口時代--2

    気の毒なことに、兄は小学校五年生の大方を関目小学校に通い、一年居ないまま寺方小学校に転校することになった。華陽荘で正月を過ごした記憶がないのでそう判断するのだが、もしかしたら五年生の終わりまでを関目に通ったかも知れない。

  • 幼い頃 守口時代--1

    華陽荘には、多分一年は居なかった。しかし四つの子供の一年未満は実に大きい。私は現在の住まいに越してきてからほぼ二十二年になるが、その歴史はスカスカだ。 そ…

  • 幼い頃 記憶の果て 華陽荘--7

    華陽荘に関してもう少し思い出せることを記してみる。 前の道路をちょっと北上したところに--へんみ--という酒屋がある。 薄っすらとだが、この酒屋さんは当時もあった…

  • 幼い頃 記憶の果て 華陽荘--6

    歳関係はもうはっきりしない。それはしかし大した問題ではない。 私は小説を書いている訳ではない。実際に生きた過去を思い出しつつ書いているので、あやふやな部分はそれで良い。

  • 幼い頃 記憶の果て 華陽荘--5

    まだどの家にも洗濯機も冷蔵庫もなかった。どころか当家には扇風機すらなかった。夏はどうしていたのかもう思い出せない。 割と食中毒はあったと思う。しかしあの…

  • 幼い頃 記憶の果て 華陽荘--4

    ここに記憶に合わないことがある。 私の記憶では、ゴミの山は道路沿いに造られていた。四日市線と呼んでいた道路、国道163号線はバス路線で、私がここを転居して何年経った後もバスの窓からゴミ山目撃している。

  • 幼い頃 記憶の果て 華陽荘--3

    そのゴミが、いったいどこから運び込まれていたものか私は知らない。 得体の知れない動物の骨のようなものから、椅子やタンスの壊れた粗大ごみまで、ありとあらゆるもの雑多にが無分別に集められて、他に置くところもなくそこに積み上げられていたようなものだった。

  • 幼き頃 記憶の果て----華陽荘--2

    しかし私は、この華陽荘なるアパートに越してきた当初のことはまったく覚えていない。いきなりここに住んでいる四歳くらいの子供だったときから私の記憶は始まる。 以後のことは、意外にあれこれと覚えている。…

  • 幼き頃 記憶の果て----華陽荘--1

    半ば畑混じりの、市街地の外れだった。 付近には戦時中の高射砲陣地の後があり、防空壕の一部がまだ残っていた。きっと戦時中は工場だか兵舎だかの建物があちこちにあったのだろう。 そんな建物を戦後アパートに造り直したところに私たちは越してきた。

  • 幼き頃 記憶の果て

    私は和歌山のある港町で生まれたが、三つにもならないうちに大阪の高槻と言うところに一家で越したらしい。 高槻には母方の親戚で、土地を所有していたやや裕福な一家があって、そこに頼る形で転居したようだ。 ようだ、と言うのは、自分もその辺のいきさつをあれこれ聞くこともなかったし、母もあまり昔のことは語らなかった。父はもとよりめんどくさがり屋で、昔のことをアレコレ訊いても大抵いつも煩がるのだった。 …

  • 序文

  • こと始め

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