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  • 料理の記憶 〜高級寿司屋〜

    すすきのラーメン横丁の短期バイトが終わり、私はまた無職に戻りました。 私はこの2週間ですすきのという街を好きになっていました。当時まだ16歳だったけれど、ギラギラと騒ついた雰囲気、ヤクザ、客引き、酔っ払い、ホステス、混ざりあった匂いがまとわりつき、ここが札幌の中心部である事を誰もが疑わなかった時代です。 私はラーメン屋さんを辞めてから同じすすきのにあるお寿司屋さんで働く事になります。 では、そのお寿司屋さんの話し、どうぞお付き合いください。 このお寿司屋さんはススキノの中心部をにあり、あるホテルの地下に構えるお店です。今回はあえて名前を伏せますが、気になる人は直接私に聞きに来て下さい。 開業は…

  • 料理の記憶 〜裏メニュー〜

    前回の投稿に続き、ラーメン横丁にあるこのお店には「ドラム缶スープ」と書いてある。 その名の通り、ラーメンのスープはドラム缶のような大きさのなべで作っているのだ。 実際はドラム缶ではなかったと思うが、私の記憶が定かではない。 私の担当は、主にお皿洗いであった。 厨房の大きさは人がすれ違えないほど狭い。そして洗い場の横にそのドラム缶が置かれている。 約200杯とれる寸胴にはいつも最大火力でスープがぐつぐつ言っていて、とにかく熱い、暑い、アツイ! 黙っていても汗が沸いてくるような暑さの中、約8時間ほどの勤務時間。 いやでも痩せるシステムだ。 ダイエットをしたい人は是非ラーメン屋さんで働くといいだろう…

  • 料理の記憶 〜サインの歴史〜

    すすきのラーメン横丁のお店で食べたことがある人は、有名人のサイン色紙がびっしりと壁に貼ってるのを覚えているだろうか。 私の働く天鳳にも有名人が数多く来ていて、年数の古い事により油やタバコのヤニで色あせた物もある。書いた人の中にはすでに亡くなった方もいるだろう。 好きな人から見れば宝の宝庫という事になるだろうし、ある意味では札幌観光の代名詞を決定づける看板となっている。 例えばラーメン横丁に新規オープンしてどれだけ現代風にオシャレを気取ってもサイン色紙が大して貼られていなければ、どうも味気なく感じてしまう。 食べに来たお客さんも 「おお~あれあの人だ。」とか「何書いているかよくわからんな。」など…

  • 料理の記憶 〜すすきのラーメン横丁〜

    前回に引き続きラーメン屋さんのお話。 と言っても、今回は別のラーメン屋さんのお話。 これは私が16歳の頃、ろくに勉強もせずにスレスレで入った高校は大して楽しくも無く、早々と辞めていた。 すぐに何かの仕事をする訳でも無くぷらぷらしていた時、知人からアルバイトのお話あった。 札幌雪祭りの期間だけ、アルバイトしないか? それはすすきのラーメン横丁の短期バイトでした。 当時、すすきのラーメン横丁と言えば札幌観光の代名詞とも言える場所で、全国各地から観光客が押し寄せ、特に雪祭り期間中ともなれば大変な賑わいをみせている場所だ。 札幌市に現在ほど際立ったラーメン屋さんがなかった時代に、あそこに行けば札幌ラー…

  • 料理の記憶 〜初めてのアルバイト〜

    人生で初めてアルバイトをした「ラーメン屋」さんの話 札幌中心部の狸小路には当時キクヤ楽器の地下に一軒のラーメン屋さんがありました。 その当時私は15歳で中学校卒業したばかりだった。 高校の入学式も済んでいないのに、アルバイトに憧れていて、 春休み期間中、毎日アルバイト募集の広告をチェックしていた。 そんな気持ちも強くあっという間に初面接、初履歴書、初アルバイトが決まった。 しかし 理想と現実は異なり、私のワクワクがクタクタに変わる。 ラーメン店は当時かなり流行っていたらしく、オープン間もなくあれよあれよと満席状態。 右も左もわからない私にとっては1日があっという間に過ぎて行ったものです。 やる…

  • 料理の記憶 〜衝撃の味〜

    根源 記憶の深 どんな料理よりも体が覚えている出来事 当時私は10歳かそこらで、中学生だった長男が私の見ている中フライパンを振るう姿。 好奇心に溢れる私はワクワクしていた。 「なにしてるの?」 「玉子焼きだよ。」 はじめて見る長男の料理。それまで兄弟の誰かが料理をする事は無く、玉子焼きを自分で作れる事をはじめて知った。 「いいか、フライパンを煙が出るまで温めるんだ。」 私よりも知識豊富な長男は自慢げに火をともす。 見る見る煙が立ち昇るフライパンに卵を入れた時、私を未知の世界へ誘った 一瞬で火が通った卵を見て 「よし、ごはんも入れちゃおう!」 「おおぉ。すげー」 悠々とフライパンを回しながらあれ…

  • スリランカ狂和国の誕生

    水谷さんという人を語るには一冊の本が必要になる。この人は本当に面白い経験をしている。私は水谷さんの歴史を親族の次に知っている人物だと言っても過言ではない。水谷さんが若かりし頃、北海道の海鮮流通業界にいた。営業で北海道中を巡り流通のノウハウを学んだ。その後東京に移り、流通と経済、さらには不動産に至るまで仕事をしながら様々な分野の勉強をしていた。その後、水谷さんは自分の仕事を海鮮を主にした練り物にするか不動産にするかを悩み、結局札幌の場外市場で練り物店を構えることになる。今では観光客で賑わう場外市場のオープンに伴いお店は繁盛した。その頃、日本ではオイルショックが起きた。トイレットペーパーや、ティシ…

  • 札幌スープカレーの真髄

    私がスープカレーと出会ったのは20年近く前の話だ。札幌市白石区にある「BOSCO(ボスコ)』だったか、東区にあった「JACK IN THE BOX(ジャックインザボックス)」だったのかはっきり覚えていない。それから札幌市ではスープカレーブームが始まった。ブームの火付け役となったのは白石区にある「マジックスパイス」であり、話題が話題を呼んで行列を作った。話題を呼んだ理由の一つとしてはスパイスの存在である。馴染みのなかったスパイスという存在が、それまでガラムマサラを普段のカレーに入れるくらいの知識しかない人に刺激を与えた。カイエンペッパーの辛さに刺激を覚え、スープの出汁に感銘を受けたのだった。私の…

  • 伊賀忍者の里

    みなさんこんにちはようこそ忍者の里伊賀へ私は今日、三重県伊賀市にやってきました。「伊賀」「甲賀」と言えば昔、忍者が多くいたと言われている場所です。伊賀は三重県甲賀はお隣の滋賀県山を一つ隔てた場所に伊賀流、甲賀流と別々の忍者がいました。伊賀の忍者といえば「忍者ハットリくん」で有名な服部半蔵です。歴代有名な武将たちの情報役または戦の先頭に立ち活躍したと言われています。現代でも外国人に忍者は人気ですね。伊賀市にある忍者博物館には忍者好きな観光客が団体で来ているようです。忍者に関する書斎は色々とありますが私たちは是非、忍者の末裔に会ってみたいと思う次第です。さて、忍者の話はしましたが今日は忍者に会いに…

  • 焼き鳥ラプソディ

    月一回の焼鳥食べ歩きを始めて2回目、今回は大阪にある「暁(あかつき)」に来た。 私はたった2回目にして、このお店にたどり着いたことに驚きを隠せずにいる。 2回目とは言っても、これまでの人生、様々な焼鳥屋を食べた記憶がある。 そもそも、私は串鳥という焼鳥屋で働いていたし、その関連で多くの焼き手に出会っている。 私が住んでいた札幌市で美味しいと言われる焼鳥屋には積極的に行くようにしていた。 あるところでは繁盛店だったり、あるところではチェーン店だったり、そして高級焼鳥店と言われる所にも行ったことがある。 これまでに一体、何千本食べたことかと思うほどだ。 まず初めに言っておきたい。 この「暁(あかつ…

  • 鮎を食す日

    岐阜県の清流といえば長良川が有名である。 夏の始まりには鵜飼いが始まり、見物客を楽しませる。 鵜飼いの歴史はとても古い。「日本書紀」や「古事記」にも記載されているほどだからよほど古いと見える。 北大路魯山人が書いた料理王国という本に鵜飼いについて書かれているが、この人に言わせればどうも調子が狂うそうだ。 「鵜飼いがどうのというわけではないが、目の前で鵜が獲った魚を食べず、見物客はいつたれが獲った魚かわからないものを焼いて食べるというのはどういうことか。」 ここに書かれている魚とは鮎のことだ。 鮎は新鮮なうちに食べるのが一番である。と魯山人は言っているのである。 鮎という魚については数々の人が言…

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