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ブログタイトル
中論を勉強してます
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西嶋和夫先生がサンスクリットから直訳された中論を勉強しています
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ブログ村参加:2020/07/13

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悠村隆道さんの新着記事

1件〜30件

  • 中論・20-2頌 完全に現実的な世界と結果の不存在

    第二頌 完全に現実的な世界と結果の不存在西嶋先生の訳理性がさまざまの確かな事実の中に存在している場合には、それに伴なってさまざまの綜合的な把握が生まれて来る。結果という考え方がさまざまの綜合的な把握の中に全く実在していない場合には、さまざまの綜合的な把握が更に改めて生まれて来る可能性がない。中論を勉強しています理性がありそしてその理性と様々な確かな事実が一体となっていると、正に綜合的な判断が次々と...

  • 中論・20-1頌 理性の働きと結果の存在

    第一頌 理性の働きと結果の存在西嶋先生の訳理性がさまざまの確かな事実の中に行き亘っている場合には、正に綜合的な把握がうまれている。(しかし)結果という考え方が綜合的な把握の中に既に実在すると考えている場合には、さまざまの綜合的な把握が更に改めて生まれて来る可能性がない。中論を勉強しています理性がありそしてその理性が様々な確かな事実にとっての理性であるならば、正に綜合的な判断が生まれる。もしも結果は...

  • 中論・第二十章 綜合的な把握に関する検証

    第二十章 綜合的な把握に関する検証に入る前に西嶋先生の解説です。この章においては、実践哲学の真諦的な概念の代表としての理性と理知的な哲学の俗諦的な概念の代表である結果とを取り上げて、その二つの概念が仏教哲学の世界で、果たして並列的に共存できるか否かが議論の対象となっている。理性は本来確かな事実の一つとして、既に第一章その他で議論されている処であり、現在の瞬間における実在の一つに属するけれども、一方...

  • 中論・19-6 「時」と存在

    第六頌 「時」と存在西嶋先生の訳「時」が存在を作り出すことがはっきりしている以上、存在がないにも拘わらず「時」の動き出すということが何処にあり得よう。存在という考えが全く何処にも一切実在していないにも拘わらず、「時」の存在するということが、将来といえども一体何処にあり得よう。中論を勉強しています「時」がこの世の中の全ての存在を作り出しているのであるから、もしもこの世の中の全ての存在がないならば「時...

  • 中論・19-5 「時」は認識不可能

    第五頌 「時」は認識不可能西嶋先生の訳「時」は継続がなければ把えることができないし、停滞している時間は認識することができない。「時」は把握された状態と把握されていない状態とが、一つに重なった現実の事態であって、「時」は認識の対象とはならないものである。中論を勉強しています目の前の現状が常に変化する事によっての我々は時間というものを実感する事が出来るが、もしも目の前の現状が決して変化する事がないなら...

  • 中論・19-4 現実の世界と行為

    第四頌 現実の世界と行為西嶋先生の訳この地上の世界もそしてそれ以外の世界の両方とも、行為に依存して回転して行くものである。(そのような状況の中で始めて)最高のものも最低のものもそしてその中間のものも、(区別のない)たった一つの現実として、感受されることが可能である。中論を勉強しています我々が住むこの現実の世界もそして頭で考えている過去や未来の世界も、行為によって生まれる現実の事態が一瞬のうちに現わ...

  • 中論・19-3 現在の瞬間と人間の認識

    第三頌 現在の瞬間と人間の認識西嶋先生の訳現実の事態がまだ充分に気付かれていない場合には、現実の事態に関連しても、気付くという点に関連しても、過去は認識の対象となり得ない。現在の瞬間がまだ到来していないということは、恐らく「時」というものが認識されていないことを意味するであろう。中論を勉強しています現在の瞬間において現実の事態は確かに実在しているが、その現実の事態が具体的に予想されていない場合には...

  • 中論・19-2 現象と現在の瞬間 

    第二頌 現象と現在の瞬間西嶋先生の訳現在の瞬間がまだ到来していない時点とは、現在の瞬間における停滞がまだ具体化していない時点であり、現在の瞬間がまだ到来していないという事態は、恐らく言葉では表現することが全く不可能な事実であろう。中論を勉強しています現在の瞬間がまだ到来していない時点とは、現在の瞬間の状態を色々と予想をするがまだ具体的になっていない瞬間である。現在の瞬間がまだ到来していないという状...

  • 中論・19-1 現象は現在の瞬間における事実

    第一頌 現象は現在の瞬間における事実西嶋先生の訳現在の瞬間のまだ到来していない時点が過去と考えられるのであるから、現在の瞬間がまだ到来していないという事実は、時間の経過が過去の時の中にあるということを意味する。現に目の前に見えている現象が、到来したものでは決してないという事実は、過去の時点において既に予見されなければならない筈である。中論を勉強しています現在の瞬間にまだ「時」が到来していない瞬間は...

  • 中論・第十九章 「時」に関する検証

    第十九章 「時」に関する検証に入る前に西嶋先生の解説です近代物理学においては空間と時間とが極めて重要な基準の役割を果たしているけれども、インドにおいては既に原始仏教の時代以前から空間と時間との重要性について気付かれていた。特に仏教においては現在の瞬間における行為というものを中心にして哲学が説かれていたところから、時間につても現実における時間は、過去、現在、未来というように横に並んだ時間系列としての...

  • 中論・18-12 霊魂と仏教哲学

    第十二頌 霊魂と仏教哲学西嶋先生の訳(霊魂という考えは、)真実に目覚めた仏陀と呼ばれる人々の間では姿を現わしておらず、理論を大切にする声聞乗と呼ばれる人々の間でもやはり滅びてしまっている。環境を大切にする縁覚乗と呼ばれる人々の間においてのみ、単に知識だけの問題として、一般の情勢とは遊離した形で推進されている。中論を勉強しています(霊魂という考えは、)真実に目覚めた仏陀と呼ばれる人々の間では生まれて...

  • 中論・18-11 現実の世界と神々の存在

    第十一頌 現実の世界と神々の存在西嶋先生の訳二つ以上の目的を持ったものではなく、多数の目的を持ったものでもなく、途切れ途切れのものでもなければ、永遠のものでもない。そのようなこの世の中が、さまざまの神々の内部に含まれているというような考え方は、真実を得られたたくさんの人々によって、処罰に価するものとして評価された。中論を勉強していますこの世の中はこの世の中以外に存在しない、またこの世の中はただ単に...

  • 教訓

    最近、女優の杏さんが加川良君の「教訓」を歌ってツイートしている。なかなかの評判だそうな。しかし私はどうしても我慢がならず自分の意見を述べたいと思います。加川良君の「教訓」を聞いたころは、ベトナム戦争、カンボジア内戦のころでベトナムの若者アメリカの若者がお互いに自分の正しさを信じて命がけで戦っていました。同じ様にカンボジアの若者のそうです。そのころ日本の若者は(私もそうですが)戦争の現実など何にも知...

  • 中論・18-10 個々の事物の独立性

    第十頌 個々の事物の独立性西嶋先生の訳個々それぞれのものがはっきりと存在している。何故ならばそれぞれ個々のものが、その他のものと一致するということは、決してあり得ないのであるから。具体的なこの事物が別のものと同じであるということも決してあり得ないのであるから、瞬間瞬間の存在でないものが、永遠の存在であるということも決してあり得ない。中論を勉強していますこの世の中の具体的な個々の事物がそれぞれの目的...

  • 中論・18-9 確かな事実と現実の世界

    第九頌 確かな事実と現実の世界西嶋先生の訳特に優れていることもなければ特に劣っていることもない確かな事実が、平穏な状態を示しており、眼に見える形を通して眼に見えないものが示されている。他のものに換えることの出来ない独自の存在が、それ自身を目的とした存在として存在し、そのような世界が現実の世界としてその特徴を見せている。中論を勉強しています特に優れている訳でもなければ特に劣っているで訳でもない確かな...

  • 中論・18-8 宇宙の実在・非実在と直観的な判断

    第八頌 宇宙の実在・非実在と直観的な判断西嶋先生の訳すべてのものが実在しないのか、実在するものは実在するものであり、実在しないものはやはり実在しないものなのであろうか。この世の中は実在しないものでは絶対にないとか、(この世の中は)絶対に実在するものではないとかという意見は、釈尊が深く戒められた処である。中論を勉強しています全てのものが実在するのかあるいは実在しないのか、実在するものは実在するという...

  • 中論・18-7 均衡した状態と宇宙の秩序

    第七頌 均衡した状態と宇宙の秩序西嶋先生の訳抽象的な世界はむしろ言葉だけによって描写された世界であり、抽象的な世界は心の慰めに役立つ面がある。姿を現わしていない世界こそが何ものからも妨害されることのない世界であるから、均衡した状態こそが宇宙の秩序そのものの世界である。中論を勉強しています抽象的な世界というものは言葉によって説明された世界であり実在している訳ではない、抽象的な世界は心で色々な事を自分...

  • 中論・18-6 霊魂と五種類の集合体

    第六頌 霊魂に関する問題の否定西嶋先生の訳霊魂と呼ばれるものはむしろ直観的に捉えられる性格のものであって、霊魂の問題については否定的であることの方が、むしろ説得的である。真実を得たたくさんの人々によって、霊魂が否定されたり自分自身でないものが完全に否定されたりしているけれども、その方がよっぽど説得力がある。中論を勉強していますいわゆる霊魂と呼ばれているものは感覚的に考え付いたものであって、霊魂の存...

  • 中論・18-5 均衡した状態と現実の世界

    第五頌 均衡した状態と現実の世界西嶋先生の訳修行の苦しみを超越した自由自在の境涯と修行におけるさまざまの苦しみが絶えずお互いに入れ替わるものである。それらの状況は、可視的な世界を超越した可視的な世界そのものであって、均衡した状態の中におけるこの世界が、正に自分自身を規制している。中論を勉強しています修行というものは苦しさを乗り越えた状態と、今まさに苦しい状態にあるという二つの状況が絶え間なく交互に...

  • 中論・18-4 自己管理された状態と具体的な現象

    第四頌 自己管理された状態と具体的な現象西嶋先生の訳「私の」という表現とか、「私は」という表現とかは、使い古された言葉ではあるけれども、自分自身を正に外部的に外から捉えている。自己管理された状態と具体的な現象とは一つのものであるけれども、(「私の」とか「私は」とかという言葉が使われる場合には、)その場の実情は具体的な現象の支配的な立場を離れ、創作的な心の働きが主体的な位置を占めている。中論を勉強し...

  • 中論・18-3 自己犠牲の不明確さ

    第三頌 自己犠牲の不明確さ西嶋先生の訳自己を否定することは自分自身を具体的に犠牲にすることを意味しており、その状態は現実的なものではあるけれども、決して認識の対象となることがない。自己を否定するという態度が自分自身を具体的に犠牲にするという事実を作るのであるけれども、その(自分自身を具体的に犠牲にするという)事実は、眼に見える場合もあるけれども、眼に見えない場合もある。中論を勉強しています精神的な...

  • 中論・18-2 自己犠牲の実態

    第二頌 自己犠牲の実態西嶋先生の訳具体的な人間が霊魂を頼りにして生きているというようなことが、将来といえども一体何処にあり得よう。自己を否定することは自己を具体的に犠牲にすることを意味しており、心の落ち着きが失われ、霊魂と霊魂とが一つに重なって消えてしまった状態のように見受けられる。中論を勉強しています現実に生きている人間が霊魂を頼りにして現実の自分を否定した場合、現実の自分はこの世の中において一...

  • 中論・18-1 霊魂と五種類の集合体

    第一頌 霊魂と五種類の集合体西嶋先生の訳霊魂が(五蘊と呼ばれる五種類の)集合体と同じ様な実体として仮に存在するとするならば、霊魂についても発生、消滅、存続という事態が存在する筈である。(またこの世の中に、五蘊と呼ばれる五種類の)集合体以外のものが存在するとするならば、それに見合った五蘊以外のものの特徴がこの世の中に存在する筈である。中論を勉強していますもしも霊魂が五蘊と同じ様に具体的に存在すると主...

  • 中論・第十八章 霊魂に関する検証

    第十八章 霊魂に関する検証に入る前に西嶋先生の解説です一般に霊魂の実在を信ずる考え方は、観念論を考え方の主軸とする精神主義的な宗教における共通の特徴であると考えられるけれども、この世の中の実在を信じている仏教の考え方においては、霊魂の実在を認めない。この思想は、今日まで仏教を一種の精神主義的な観念論として理解して来た一般の仏教徒にとっては、重大な衝撃であると思われる。しかし仏教哲学の基礎を疑問の余...

  • 中論・17-33 あらゆる想念や外見の架空性

    第三十三頌 あらゆる想念や外見の架空性西嶋先生の訳さまざまの激しい苦しみも、さまざまの行為も、さまざまの肉体的な側面も、行為をする人々も、さまざまの結果も、(現実そのものの行いと比較するならば、)さまざまの眼に見えるものや、さまざまの行為をする人々や、さまざまの結果などと同じように、何れもガンダルヴァと呼ばれる刑務所を持たない架空の都市や、蜃気楼や、睡眠と同じように、現実の世界の中に実在する存在で...

  • 中論・17-32 現実の行いと結果との融合

    第三十二頌 現実の行いと結果との融合西嶋先生の訳そこにおいては、何かを作りつつあるという事実の外見が、作りつつあるという事実そのものであって、それが行いでありそれが作られつつあるものの内容でもある。したがって現に作りつつあるという行いは、でき上がってしまった内容とは別であり、現に作られつつある状態は、正に現に作られつつある状態以外のものではあり得ない。中論を勉強しています何かを作っている実行を傍で...

  • 中論・17-31 完成と未完成

    第三十一頌 完成と未完成西嶋先生の訳そこにおいては、何かが既に作り上げられたという事実が、決定的な権威を持っているのであって、既に出来上がっているという事実が、完成した状態を更に完全なものに高めている。現に作りつつあるという事実と、既にでき上っているという事実とは異なっており、現に作りつつあるという事実は、正に現に作りつつあるという経過を意味しているに過ぎない。中論を勉強しています行いによって何か...

  • 中論・17-30 行為をする人と結果との非実在性

    第三十頌 確かな事実と人間の存在西嶋先生の訳行為が、行為をする人として現実の世界に実在している訳ではないのであるから、行為から生まれたものが恐らく結果であろうという推定は、決して何処にもあり得ない。その場合享楽的な人は、結果という解釈の中に何かが実在すると考えているけれども、(そのような実在としての結果は)将来といえども何処かに存在するということが全くあり得ない。中論を勉強していますもしも行為が存...

  • 中論・17-29確かな事実と人間の存在

    第二十九頌 確かな事実と人間の存在西嶋先生の訳確かな事実が一斉に眼の前に現われているという訳ではなく、確かな事実とは違う事実が一斉に現われて来ているということでもない。そのような状況の中では、この世の中が行いとして実在しているのであって、したがってそこにおいては、行為をする人が実在している訳では決してない。中論を勉強しています確かな事実が全てこの世の中に姿を現わしている訳ではなく、かといって確かな...

  • 中論・17-29 確かな事実と人間の存在

    第二十七頌 無知と欲望西嶋先生の訳...

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